最後に残った友たちの恩義に報いてから2023年06月22日 17時49分11秒

★未だ我を見捨てじ、友たちよ

 もういつ死んでもいいと書いた。が、だからといって、今日明日にもパパっとすぐさま死ねるわけではない。
 死ぬためには、それなりの手順、つまり準備や支度がある。そう、中村とうようや加藤和彦のように準備万端としないとならない。
 立つ鳥跡を濁さず、である。
 むろんまた隣近所からの嫌がらせやトラブルなど、我を非難糾弾する外的圧力にキレて、突発的に暴発するようなハメツ的事態を起こして終わりが来るかもしれないが、まあ今は、あえて急いで歩を進める気はない。
 心置きなく死ぬためには、死後、我の親族たちに迷惑かけぬよう、最低限の゛後片づけ」はしないとならない。

 それは、遺産と呼べるような金目の物ではなく、我家のほぼゴミ的がらくた類、つまり本やレコード、オーディオ類など大量のモノの「処分」もとうぜんながら、それよりも個人的には、自分がかつてしたこと、未だ果たせていないこと、つまりそのままにしたまま、関係された方々にきちんと「お返し」が出来ていないモノゴトが気にかかっている。
 我は、学生時代に、むろんバンド活動など音楽もやったが、同時並行的に、8ミリフィルムでの映画製作もやっていた。
 きちんと完成させて公開したものもあるが、けっきょく撮り終えたものの、「完成版」はできず、中途半端というか、作品として「そのまま」にしてしまい、指折り数えてみると、半世紀近くたつ「未完成」の映画もある。
 今さらそれを完成させ公開しようとか、できるとも思えないが、せめて、その中途のものでも出てもらった友人たち、関係した人たちに、青春の記録としてデジタル化してお渡ししたい。
 今思うと、呼び出しては無償で役者やスタッフとして使いまわしただけでなく、交通費さえもお渡しししていなかった。当時は、まったくそうしたことに頭も気も回らなかった。
 自分は今もどうしようもないバカだが、今振り返ると、かつてのさらにどうしようもないバカだった若い頃、してきた悪事に思い至り、まさに申し訳なさに胸が張り裂けそうになる。思い出すと真夜中でも思わず叫び声あげてしまう。
 彼らの善意というか、ご厚意にただ甘えて、当時はその有難さにまったく気がつかないでいたのだ。あの頃は。

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