いまが、最低最悪の時。この先にあるのは死。2023年08月29日 09時39分09秒

★ならばこそ、ここから這い上がらねば、戻さねば。

 観測記録史上、最も熱い夏、2023年の8月も終わろうとしている。
 間もなく、我が父母の命日が重なる、哀しみの月、9月が来る。

 拙ブログ再開すると告知した手前、まずは、これまでの経緯を改めて記さねばならない。
 もう本当に頭がおかしくなってしまっていた。何もできないし何もわからなくなってしまった。
 何もかもが、いまそこにあって使ってたものもすぐになくなり見つからなくなり、今自分が何をしていたのかさえわからなくなった。混乱と混沌で今も家の内外は足の踏み場がなく、コバエが飛び交うゴミ屋敷のままだ。
 今もまだバカは変わらないし身体もツラく動かないが、気持ちだけは前向きになった。よって、ブログも再開しようと思い直したのだ。
 そう、このままだと、家の失火や事故を起こして我は間違いなくあっけなく死んでしまう。
 そして、このブログは棚ざらしにされたまま、二度と更新されることない。
 我個人を知る、ごく親しい友人知人たちには、野垂れ死んだ知らせは少し広がるかもしれないが、そうではない拙ブログ少数の読み手の方々は、時間も過ぎて、どうしたのか訝しく思うだけで自然消滅したか、ついに投げ出したと判断し、やがては完全に忘れ去られるだけだろう。
 それもまた致し方ない結末ではあるけれど、そうなる前にもう一度、外の世界との唯一の窓口である我ブログで、できるだけ今の我の「生」を発信したいと思い直した。
 どうしようもない失敗した人生、生きている価値もないと自分でも思うが、その人生の後始末、死ぬための「経過報告」を記していけたらと願う。もしかしたらそこに少しは何らかの読む価値もあるかもしれないと。

 君たちは、どう生きるか、なる題名の本や映画が巷では話題であるが、その問いかけに、どう生きるか、ではなく、どう死んでいくか、こそが問題なのだと答えたい。この歳になると。
 そう、どう死ぬかは、カンタンなことで、人は存外あっけなく自死でなくてもある程度老いればすぐに死んでしまう。不測の病気や転倒など迂闊な事故等で。
 ならばこそ、死ぬために、どのような道筋を選ぶか、進むかこそが一番大事なことではないか。それは断捨離などという些末な身辺整理などですむ話ではない。
 君は、いったいどう死んでいくか、との問いかけを前に、その報告を記していきたい。