9月は、哀しみの月2023年09月08日 00時01分19秒

★母の命日と、近づく父の命日を思う

 9月に入った。このところ台風が次々来ていることもあって、雨模様の日も多く、やや気温も下がる日もあって、記録的猛暑、酷暑の今夏もようやく終わりに近づいている兆しが見えてきた。

 また拙ブログ間が空いてしまった。
 何も状況は解決していないが、ようやく一段落してきたような、次の状況に移れると思えてきて先に当ブログ、再開のことを記した。
 が、今月2日の日に、近くでちょっとした音楽の集まりがあり、盟友太田さんを誘って参加したのだが、その後からまた気持ちも体調も崩れてしまい、家内での新なトラブルも起きたりもして何日かウツウツとしてしまっていた。

 で、このブログも気持ちが落ち込んでは書けなかったわけだが、近づく我が母と父の命日を前にして、今さら鬱状態になってもいられない。
 そう、今月は、我が両親の死んだ命日の月であり、本来は墓参りやら亡き人たちを偲ぶあれこれ多々行事の続く月なのである。
 が、浄土宗のお寺にある我家の墓所の下に、父母は、お骨となってそのまた親たちと一緒に納まってはいるものの、ウチは父母たち自身が生きていた頃から、そうした信仰、信心は極めて希薄であった。
 仏壇の位牌に手を合わせることや墓参りも常日頃疎く、また我自身の信仰もそれとは別にあり、父たちが眠る墓所のある寺に対する畏敬の念と有難さは覚えつつも、善き檀家、信徒ではないことは間違いない。

 が、死んだ日、命日というのは、どの宗教問わず意味を持つはずで、明日、9月8日は、2016年に逝った母の命日で、その一週間後、14日は昨年死んだ父の命日であり、今月9月は、ある意味弔いの月、亡き人を思う哀しみの月だと言えるかと思う。
 我もまた望まずとも、死ぬる月は、9月だという気がしている。

亡き母の命日に2023年09月08日 22時23分04秒

★この一年をふりかえる

 私事だが、母は、2016年の9月8日の未明、この家で、我の手の内に息を引き取った。
 それから、早いもので7年が過ぎた。その日のことは、まだ昨日のようにありありとリアルに思い出すが、さすがにもう今は、夢の中ても既に亡き人だと意識してきたし、生前の元気な姿で出てきたときも、目覚めた後に昔はその不在に嘆き常に泣いたりもしたが、もう泣くこともなくなった。
 夢で母と会えたらば、ただ懐かしく有難く嬉しく思うだけだ。そしてあの世でも元気にやってるのだと思い、我もまた近く死んだら、再会のときを楽しみに待つだけだ。

 仏式では、去年が母の七回忌であったのだが、おりしも初夏から父がコロナ禍で重篤の状態で入院中であり、父のことだけに心は囚われ母の法事のことなどは何も考えられず、一切何もしなかった。
 そしてその父も、母の命日の直後に、迎えに来た母に手を取られるがごとく、あの世へ旅立ち、間もなく一年、一周忌となる。
 が、今年もお寺での法事は何も予定してなく、願わくば、今月内にも彼らの孫である、都内に住む我が甥っ子と、我が両親を知る女友達にも声かけて、町田の菩提寺に墓参りだけは行こうと考えてる。

 母が死んでからの歳月はともかく、父が死んでからのこの一年、我一人でほんとうに大変だった。もう何度もダメかと思った。全てが行き詰り何もできなく滅茶苦茶になって、何もかも地iに落ちた。地獄とはこういうものかと知った。苦しさのあまり何度も死を願い試みもした。
 今もすべてを失くして終わりにしたいと強く願うものの、ともかくまだ死なずに、まだ生きてここに在ること、どうしようもない人生を抱えてもまだ生きていることに、喜びのようなもの、いや、何より有難さを覚える。

 自分自身には、生きていく理由、意味など何もないが、我は多くの生き物たち、我が世話しないとならない猫たちや犬がいたので、死ぬに死ねなかったのだと今気がつく。彼らがいなかったらほんとうに間違いなく突発的に死んでいた。そう動物たちの求めが我を現世に留めたのだ。
 この世の人生とは、様々な関係にほかならず、そうした外との関係性の有無こそが人を生に繋ぐ糸、絆なのだとわかった。
 生きること、生きているということは、そうした「外」との繋がりに他ならない。それが失われたとき、人は孤独に陥り絶望し、あげく自死を選び、ときに他者をも道連れにするような非道をも行動する。
 京都のアニメ制作会社の惨事を思うとき、突然理不尽に殺された人たちは当然のこと、犯人の男のそこに至るまでの人生を思う。
 安倍元首相殺害の犯人もだが、同情の余地などはないが、その行動に至るまでの、思いつめた思いを語るべき関係ある者がもしも彼らにいたならば、こんなことは起こらなかったに違いないと信ずる。
 この世は、成功した者たちによる敗者、落伍者へに対する「自己責任論」が満ちている。
 確かに自分もまさに自業自得だと思いもする。我自身が招いた顛末がこの地獄なのだと。
 が、そこに追い詰めることではなく、肯定できなくてもそのどうしようもない現実、現状をまず赦し、その現実を語らう場、話せる仲間のような誰かが必要なのではなかろうか。
 我は何もできやしない。が、その痛みと苦しみは語れるし訊くことはできる。人生は自分のものか、もう一度自問している。

父の命日に2023年09月14日 19時56分37秒

★一年が過ぎて

 今日、9月14日は、我が父の忌日、命日である。
 父は、昨年の今日、夕刻時に市内外れの病院で息を引き取った。
 病院から、危篤状態なのですぐに来てくれ、と携帯に電話があった。
 ちょうど市役所にいて、あれこれ税金とかの支払いの相談終えて外に出たところの我は、その電話を受けて、大慌てで家にも戻らず自転車でかけつけたのだった。
 ちょうど近くの工場の退社時刻でもあり、駅へと向かうその社員の群像とすれ違いながら夕陽を背にして病院に向かって我は走った。
 去年はもっと涼しく夕陽も長く伸びて爽やかな初秋の夕暮れだったと記憶する。今年は同時刻でもともかくまだ暑い。むっとして汗ばむほどだ。

 既に記したと思うが、我が着いたとき、看護師はたった今亡くなりましたと言ったが、父はまだかろうじて生きていて、意識はないものの、かすかな動きもあり、まだ温かい手を握り、不肖不徳の不良息子は泣きながらも悔いて詫び別れを告げることができた。

 それから一年。この一年は、物心ついてから半世紀どころか60年以上も生きてきて、未だ経験したことのない本当に辛く地獄のような辛い日々であった。
 7年前年前、母が、2016年に、癌で自宅で逝った時も、その後の一年は、意気消沈どころか呆然自失、最愛の母を失ったショックで、やはり何も手につかず、見るものすべて意味と色を失い、すべてにやる気を失ったが、それでもまだ生活だけは何とか続いていた。
 それは、父がまだ我に残されていたからで、90過ぎの父がまだ生きていたから、介護施設に通いながらもまだこの家で共に暮らしている限り、最低限の日常生活は維持しなければならなかったからだ。
 その父が、昨年の今日、コロナ関連死でついに母の元へと旅立ち、以降、我はこの家でついに一人暮らしとなった。そして全てが狂い崩れてしまったのだ。

そして、今、これから2023年09月16日 06時49分08秒

★こんな我にもまた、神の計画の一部なのだと

 秋9月も半ば過ぎとなるのに、今年の猛暑は未だ衰えず、連日真夏日が続いている。
 晴れれば強い陽射しに汗噴き出るし、曇りや雨でも湿度が高く、少し動くと汗ばんでくる。できることは、濡れタオルを常に首や頭に巻くことぐらいだ。

 ともあれ、日暮れは早まり、朝晩は少しだけ涼しくなってきた。季節の歩みは遅々としていても確実に進んでいる。もう少しの辛抱だと鼓舞するしかない。

またコンサート、企画しました。2023年09月22日 18時44分00秒

★いま、まだ自分ができること、すべきと思えること。

 右腕の痺れと麻痺は相変わらずだし、状況は何一つ好転はしていないが、気持ちだけは戻った。ともかく生きて生き続けていこうと。
 一昨日の夜、やっとキューブラー・ロスの自伝を読み終えた。多くの科学者が批判したが、死後の世界についての報告と記述は、我がずっと考えていたことと全て合致した。
 そう、(肉体は滅びても)死が終わりでないとしたら、何も自ら死に急ぐ理由などはない。ともかくまずはこの現世で、負債ではないとしても、与えられ賜ったものを精一杯活かすだけだ。
 聖書にも善きしもべの話がある。つまり主人から預かった金を、どれだけ増やして主人に示し返せるか、なのである。

 父の死後、この地獄のような一年、何とか死なずに無事に生き永らえ、乗り越えられたことを今自らただ喜びたい。
 自死は選ばずとも、事故や火災など不測の事態を招く可能性はものすごく高かった。
 何しろ体はアルコール漬けでふらふらで食生活はめちゃくちゃだし、家はゴミ屋敷でまさに足の踏み場もなく、失火の危険性も高かった。
 それでも大過なく入院もせず、ともかく生きてこの危機を乗り越えられたことはまさに神のご加護と、少ないが真に愛すべき友がいたおかげだと言うほかない。
 むろん今も揺り戻しがあり、アルコールも断ちきれてはいないが、今の気持ちは、もう大丈夫だと思える。まずそのことを報告いたしたい。

 今思うは、こんな我にもただただ有難く恐れ多いが、神の愛、つまり哀れみと慈しみがあったということだ。
 これまでも人が知ったら卒倒するような危険なことをずいぶんやってきた。死なずとも障害が一生残るような目にも何度も遭った。
 それでもまあ、今も五体無事に、老いてだいぶガタが来てはいるが、まだ生きてここに在ることは、本当に有難い、奇跡のようにも思える。
 その神の愛に応えたい。

 12月の9日(土)に、谷保のかけこみ亭で、旧き善き友人仲間たちと「共謀コンサート」を再開することにした。
 ウクライナでの戦争も未だ収まらず、日本周辺もやたらきな臭く新たな戦前、とささやかれる今、もう一度だけ音楽とうたの力を通して、護憲と反戦、平和を考える音楽のイベントを企画することを決意した。
 詳細は、また後ほど告知いたしたいが、ぜひぜひご参加ご協力願いたい。