新しい年 誓い新たに ― 2024年01月01日 11時34分08秒
★2024年は、人生の棚卸し、仕切り直しの年に
新しい年を迎えた。外は陽射しもあり明るいが、北風が強く吹き荒れて、肌寒い。空は雲一つない青空だ。
改めて破綻寸前の人生だが、何とかハメツせず死なずにまた今年も新たな年を迎えられた。神に感謝 である。
そして今誓うのは、完全に行き詰ってしまった我が人生を、何とかまた自らのものに取り戻していく、ということだ。
断捨離とかそういう大層なこと以前に、溜まりに溜まってしまった親たちが生きていた頃からのモノの「負債」を、今年は少しづつでも片づけ無くしていこうと決意した。
去年は増えすぎた猫の世話と、父亡きあとの諸々の支払いなど手続き更新、我への変更に追われて、ともかく慌ただしく時間がなかった。
日々疲れ果てて酔っぱらって倒れ込むように寝てしまう日が続いた。何一つ片付けなどできないまま、家のゴミ屋敷状態は悪化するばかりだった。
いま、新たな年を迎えて、昨日でそうしたやらねばならない面倒な対外的「ケンアンのこと」は、もうほぼ成し終えた。
恥ずかしく情けない話だが、ようやくこれで今年から本当に自分の人生、一人だけで生きていく人生が始まる気がしている。
商売、特に物販などしている方はご存じだろうが、販売業では、ある一定の時期ごとに、抱えている「在庫」をすべて点検し、売れずに倉庫などで場所とってしまったモノなど不良在庫は、処分していく「棚下ろし」の時が必要だ。
生活もまた同じで、我が家は、そうした適宜日常的、定期的にそうした棚下ろし的片づけ作業をまったくしてこなかった。
何でもかんでも溜まると、捨てるのはモッタイナイとどこかにしまい込み、ただひたすら物は増え続けていくばかりであった。
我もそうした血筋の子であったから、基本的にモノは捨てられぬ性分で、若い時からのモノがどこかに溜まりに溜まったままだ。自らは捨ててないのだから、どこかに仕舞ったまま必ずあるはずなのだが、いったい何がどこにあるのか自分でも全くわからない。
そうしたことが可能だったのは、この大きな家があったからで、部屋数は多くても今やほとんどの部屋が物で詰め込まれ物置と化してしまい、実際は狭い部屋の中でモノに囲まれ不便不自由な生活を強いられているのが現状だ。
まさに本末転倒というべきか、今考えると頭がオカシイとしか思えない。
我はけっしてモノに溢れいっぱいの汚部屋やゴミ屋敷を望み、モノを溜め込むのが好きなわけではない。何もない広い部屋こそが理想であり、この家を、2011年に改築したときは、部屋はすべて何もなかったのだ。広い空間ができて本当に気持ちが良かった。
それが10数年過ぎて、その間に母が、そして父が死に、忙しさにかまけて根本的な「棚下ろし」を一度もしないまま、今のこの壊滅的状態に自ら陥ったのだ。
そうした歳月かけて溜まってしまったものはとても一年そこらで点検・処分などできるはずもないが、ともかく少しでも少しづつでもそうした作業をやっていくしかない。
今は幸い体の不調不具合は一段落して、腕も足も動けるのだから、今やるしかない。そう、今年こそ。
ここで仕切り直さないと、このままにしていたらやがて起こるのは失火による火災や事故、そして不測の死である。
こんなことをここに記すと、それを読んでまた我を忌避しせせら嗤う、隣近所の奴ら他の顔が思い浮かぶが、どんな嫌がらせや批判、弾劾を受けようと、屈せずに自分の人生を少しづつでも取り戻していく。これは俺の人生なのだ。
思い返せば、以前、数年前までは、モノは増えてはいたが、何とか場所をつくって大広間で毎年末恒例の、拙宅でのクリスマス謝恩ライブパーティーを開催できていたのだ。
何とか今年、2024年は、それに向けて、拙宅でささやかでもまたホームパーティーが開けるよう、再び友人たちを招くことができるように片づけ頑張るしかない。
やるべきことは山積みの前途多難の年だが、高い峰を仰いでその苦難を思い溜息ついてても仕方ない。ともかくその峰に向かって一歩一歩進んでいくことだ。
愚かで不器用な我の人生のコツは、それしかない。がんばるぞ。
新しい年を迎えた。外は陽射しもあり明るいが、北風が強く吹き荒れて、肌寒い。空は雲一つない青空だ。
改めて破綻寸前の人生だが、何とかハメツせず死なずにまた今年も新たな年を迎えられた。神に感謝 である。
そして今誓うのは、完全に行き詰ってしまった我が人生を、何とかまた自らのものに取り戻していく、ということだ。
断捨離とかそういう大層なこと以前に、溜まりに溜まってしまった親たちが生きていた頃からのモノの「負債」を、今年は少しづつでも片づけ無くしていこうと決意した。
去年は増えすぎた猫の世話と、父亡きあとの諸々の支払いなど手続き更新、我への変更に追われて、ともかく慌ただしく時間がなかった。
日々疲れ果てて酔っぱらって倒れ込むように寝てしまう日が続いた。何一つ片付けなどできないまま、家のゴミ屋敷状態は悪化するばかりだった。
いま、新たな年を迎えて、昨日でそうしたやらねばならない面倒な対外的「ケンアンのこと」は、もうほぼ成し終えた。
恥ずかしく情けない話だが、ようやくこれで今年から本当に自分の人生、一人だけで生きていく人生が始まる気がしている。
商売、特に物販などしている方はご存じだろうが、販売業では、ある一定の時期ごとに、抱えている「在庫」をすべて点検し、売れずに倉庫などで場所とってしまったモノなど不良在庫は、処分していく「棚下ろし」の時が必要だ。
生活もまた同じで、我が家は、そうした適宜日常的、定期的にそうした棚下ろし的片づけ作業をまったくしてこなかった。
何でもかんでも溜まると、捨てるのはモッタイナイとどこかにしまい込み、ただひたすら物は増え続けていくばかりであった。
我もそうした血筋の子であったから、基本的にモノは捨てられぬ性分で、若い時からのモノがどこかに溜まりに溜まったままだ。自らは捨ててないのだから、どこかに仕舞ったまま必ずあるはずなのだが、いったい何がどこにあるのか自分でも全くわからない。
そうしたことが可能だったのは、この大きな家があったからで、部屋数は多くても今やほとんどの部屋が物で詰め込まれ物置と化してしまい、実際は狭い部屋の中でモノに囲まれ不便不自由な生活を強いられているのが現状だ。
まさに本末転倒というべきか、今考えると頭がオカシイとしか思えない。
我はけっしてモノに溢れいっぱいの汚部屋やゴミ屋敷を望み、モノを溜め込むのが好きなわけではない。何もない広い部屋こそが理想であり、この家を、2011年に改築したときは、部屋はすべて何もなかったのだ。広い空間ができて本当に気持ちが良かった。
それが10数年過ぎて、その間に母が、そして父が死に、忙しさにかまけて根本的な「棚下ろし」を一度もしないまま、今のこの壊滅的状態に自ら陥ったのだ。
そうした歳月かけて溜まってしまったものはとても一年そこらで点検・処分などできるはずもないが、ともかく少しでも少しづつでもそうした作業をやっていくしかない。
今は幸い体の不調不具合は一段落して、腕も足も動けるのだから、今やるしかない。そう、今年こそ。
ここで仕切り直さないと、このままにしていたらやがて起こるのは失火による火災や事故、そして不測の死である。
こんなことをここに記すと、それを読んでまた我を忌避しせせら嗤う、隣近所の奴ら他の顔が思い浮かぶが、どんな嫌がらせや批判、弾劾を受けようと、屈せずに自分の人生を少しづつでも取り戻していく。これは俺の人生なのだ。
思い返せば、以前、数年前までは、モノは増えてはいたが、何とか場所をつくって大広間で毎年末恒例の、拙宅でのクリスマス謝恩ライブパーティーを開催できていたのだ。
何とか今年、2024年は、それに向けて、拙宅でささやかでもまたホームパーティーが開けるよう、再び友人たちを招くことができるように片づけ頑張るしかない。
やるべきことは山積みの前途多難の年だが、高い峰を仰いでその苦難を思い溜息ついてても仕方ない。ともかくその峰に向かって一歩一歩進んでいくことだ。
愚かで不器用な我の人生のコツは、それしかない。がんばるぞ。
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