これからのこと・近況追記 ― 2024年04月11日 22時46分27秒
★まず、喫緊の近況から
私事だが、久々に本格的な風邪をひいてこの数日寝込んでいた。
先週の土曜日の夕方から、急に寒気がし水のような鼻水がひっきりなし垂れて、喉も痛いし咳も出る、しっかり風邪にかかってしまった。
幸い齢のせいか、熱などは高くもならぬものの、ただ身体は節々が痛いし怠いので何もできず、猫たちの世話など最低限の用事以外は、ひたすらじっと横になって寝てばかりいた。
幸いやっと昨日ぐらいから回復の兆しも見えて、まだ本調子ではないものの大事に至らず治ってきたと思える。
しかし、このところ人とは誰とも会わず、電車にも乗らず、ライブ等の人込みには全く行かないのに、いったいどこで誰から風邪にかかったのだろうか。
今はもうどこへも出かけず誰とも口も利かず、人と会うのは、近くのスーパーのレジ払いのときぐらいなのに風邪に感染するとは不思議でならない。
ようやく少しづつ動き出した家の片づけ作業がまた少し足踏み状態に陥ってしまった。が・・・
まあ、さておきそれもまた仕方ない仕方ない事態であり、大地震などで突然、家も仕事も家族知人さえ失う不測の事態を思えば、有難いと思えるほどだ。
能登半島で今も被災され先行きの不安と日々の心労に苦しむ人たちを思うとき、もし、我に今この我家を託せる人がいるならば、すぐさま一人で現地に行って支援の一助になることを何でもしたいと心から思う。
お金で支援できる方は、どのような枠組みでも義援金を送ることはすぐさま可能だが、今の我は、そうした余裕は皆無なのでできることとしたら体一つで現地向かい災害ゴミなどの片づけ作業ぐらいしか思いつかない。
が、いまは途方もなく多くの猫たちがウチにはいるので、その日々世話だけに追われて一晩程度なら家を留守にできたとしても、何日も家を空けられない。
動物たちを任せられる家族がいれば、昔のようにどこにでも週単位で気軽に行けるのだが、もう今は一人身だからほんとうに身動き取れない。災害ボランティアに限らず、数日にわたる旅行など無理であり、まして海外などへは行きたくてももはや夢物語である。
風邪も大したことなかったから幸いだったが、何であれケガや大病等でもし入院する事態にならば、いったい動物たちの世話はどうなってしまうのか。
今回寝ながら、風邪で息苦しい浅い眠り中で、このままでは旅行以前に、うっかり病気にも事故にもなれないなあと痛感した。
一人暮らしは気軽で自由ではあるが、自らが病気や事故に遭ったときはまったく無力で、一人ゆえ助けも求められず究めて致死率は高い。
できることは、自らの健康に留意して、常に最新の注意で、何事にも慎重かつ丁寧にやっていくしかない。
どのような関係であれ、共に生活する人、家族がいる人たちは幸福、幸運なのである。事故なり地震なり病気なり、何か起きたときに何らかの対応はしてくれる。
むろんこちらも同様に、心配し世話や介護や何らかの手配はしないとならないとしても。
隣近所に住民はいたとしても、家族親族ではないし、まして親しい付き合いは皆無だから、しばらく我の姿が見えないとしても、誰も関心をはらわないし心配もしない。結果、死後、何週間もしてやっと異変に気がつく。
思うのだが、独身者、いや、一人身の家庭が増えて、しかも高齢化が進む今日の社会では、行政などに頼り任せる以前に、こうした我のような単身生活者たちのネットワークを構築する必要があるのではないか。
市であれ、国であれ、行政が管理し担当する組織によるものではなく、また金儲けの会社組織ではない、もっと緩やかなNPO的連絡&サポート組織。
いまの、フェイスブックや旧ツイッターのようなSNSが、友人知人間においてはその役割を担っていると思えるが、もっと確実かつ真に安全安心な相互連絡確認とれる組織を。
その組織に入って、日々ないし数日に一度、確実に連絡とるように設定しておけば、こちらと連絡とれないとき、あるいは急な助けを要するときは、すぐさま救急システムが動いて、その人の親族なり住まいの行政なり警察や医療体制側に直ちに通知がいくような仕組みを。
むろん介護保険などの関係で、日ごろからケアマネージャーや地域包括支援センターの人と緊密な連絡とり合ったりする関係があれば不要かもしれない。
が、この世には行政などとは全く関係を持たない人たちも多々いるわけで、高齢でも特に異常なく健康ならば、介護保険関連の繋がりは一切ない。
一人暮らしでも我のように、近隣住民も含め地域との繋がりを持たない高齢者はたくさんいる。
そうした孤独な一人者は、災害も含めて何か不測の事態が起きたとき、どう安否の確認をとればよいのか。いや、自ら助けをどこにどうやって求めればよいのか。
急な病気や事故においては、救急車や警察に自ら電話連絡することもできないことも多いはずだ。
「そのとき」にそなえ、災害時の生活グッズを装備しておくこともだが、それ以前に、まずどうやって自らの安否を外へつなげることが出来るか。そんなことをこのところずっと考えている。
風邪のせいなのか、天候なのか、暑いのか寒いのかよくわからない。
寝ていても、あれこれ着ると汗かくし、着ないで寝ると寒気がして眠れない。幸いいまは、心は落ちつき不安はないが、ベッドの中でぼんやりそんなことを考えたり、文庫で漱石の評伝とか読んでいた。
そう、非人情を自覚していた先生も、大病以降、他人の恩に気づき善い人間になりたいと記している。
先生は、それだけの仕事を遺し、門弟や家族、友人知人も多くいたから、多くの人たちが心配し回復を祈ってくれたのだ。
我のような友人も片手に満たないほどの人間、天涯孤独となった者は大事に至ったとき、どうすべきか。
やはり介護保険料、ちまちまと工面して払っていくしかないか。
私事だが、久々に本格的な風邪をひいてこの数日寝込んでいた。
先週の土曜日の夕方から、急に寒気がし水のような鼻水がひっきりなし垂れて、喉も痛いし咳も出る、しっかり風邪にかかってしまった。
幸い齢のせいか、熱などは高くもならぬものの、ただ身体は節々が痛いし怠いので何もできず、猫たちの世話など最低限の用事以外は、ひたすらじっと横になって寝てばかりいた。
幸いやっと昨日ぐらいから回復の兆しも見えて、まだ本調子ではないものの大事に至らず治ってきたと思える。
しかし、このところ人とは誰とも会わず、電車にも乗らず、ライブ等の人込みには全く行かないのに、いったいどこで誰から風邪にかかったのだろうか。
今はもうどこへも出かけず誰とも口も利かず、人と会うのは、近くのスーパーのレジ払いのときぐらいなのに風邪に感染するとは不思議でならない。
ようやく少しづつ動き出した家の片づけ作業がまた少し足踏み状態に陥ってしまった。が・・・
まあ、さておきそれもまた仕方ない仕方ない事態であり、大地震などで突然、家も仕事も家族知人さえ失う不測の事態を思えば、有難いと思えるほどだ。
能登半島で今も被災され先行きの不安と日々の心労に苦しむ人たちを思うとき、もし、我に今この我家を託せる人がいるならば、すぐさま一人で現地に行って支援の一助になることを何でもしたいと心から思う。
お金で支援できる方は、どのような枠組みでも義援金を送ることはすぐさま可能だが、今の我は、そうした余裕は皆無なのでできることとしたら体一つで現地向かい災害ゴミなどの片づけ作業ぐらいしか思いつかない。
が、いまは途方もなく多くの猫たちがウチにはいるので、その日々世話だけに追われて一晩程度なら家を留守にできたとしても、何日も家を空けられない。
動物たちを任せられる家族がいれば、昔のようにどこにでも週単位で気軽に行けるのだが、もう今は一人身だからほんとうに身動き取れない。災害ボランティアに限らず、数日にわたる旅行など無理であり、まして海外などへは行きたくてももはや夢物語である。
風邪も大したことなかったから幸いだったが、何であれケガや大病等でもし入院する事態にならば、いったい動物たちの世話はどうなってしまうのか。
今回寝ながら、風邪で息苦しい浅い眠り中で、このままでは旅行以前に、うっかり病気にも事故にもなれないなあと痛感した。
一人暮らしは気軽で自由ではあるが、自らが病気や事故に遭ったときはまったく無力で、一人ゆえ助けも求められず究めて致死率は高い。
できることは、自らの健康に留意して、常に最新の注意で、何事にも慎重かつ丁寧にやっていくしかない。
どのような関係であれ、共に生活する人、家族がいる人たちは幸福、幸運なのである。事故なり地震なり病気なり、何か起きたときに何らかの対応はしてくれる。
むろんこちらも同様に、心配し世話や介護や何らかの手配はしないとならないとしても。
隣近所に住民はいたとしても、家族親族ではないし、まして親しい付き合いは皆無だから、しばらく我の姿が見えないとしても、誰も関心をはらわないし心配もしない。結果、死後、何週間もしてやっと異変に気がつく。
思うのだが、独身者、いや、一人身の家庭が増えて、しかも高齢化が進む今日の社会では、行政などに頼り任せる以前に、こうした我のような単身生活者たちのネットワークを構築する必要があるのではないか。
市であれ、国であれ、行政が管理し担当する組織によるものではなく、また金儲けの会社組織ではない、もっと緩やかなNPO的連絡&サポート組織。
いまの、フェイスブックや旧ツイッターのようなSNSが、友人知人間においてはその役割を担っていると思えるが、もっと確実かつ真に安全安心な相互連絡確認とれる組織を。
その組織に入って、日々ないし数日に一度、確実に連絡とるように設定しておけば、こちらと連絡とれないとき、あるいは急な助けを要するときは、すぐさま救急システムが動いて、その人の親族なり住まいの行政なり警察や医療体制側に直ちに通知がいくような仕組みを。
むろん介護保険などの関係で、日ごろからケアマネージャーや地域包括支援センターの人と緊密な連絡とり合ったりする関係があれば不要かもしれない。
が、この世には行政などとは全く関係を持たない人たちも多々いるわけで、高齢でも特に異常なく健康ならば、介護保険関連の繋がりは一切ない。
一人暮らしでも我のように、近隣住民も含め地域との繋がりを持たない高齢者はたくさんいる。
そうした孤独な一人者は、災害も含めて何か不測の事態が起きたとき、どう安否の確認をとればよいのか。いや、自ら助けをどこにどうやって求めればよいのか。
急な病気や事故においては、救急車や警察に自ら電話連絡することもできないことも多いはずだ。
「そのとき」にそなえ、災害時の生活グッズを装備しておくこともだが、それ以前に、まずどうやって自らの安否を外へつなげることが出来るか。そんなことをこのところずっと考えている。
風邪のせいなのか、天候なのか、暑いのか寒いのかよくわからない。
寝ていても、あれこれ着ると汗かくし、着ないで寝ると寒気がして眠れない。幸いいまは、心は落ちつき不安はないが、ベッドの中でぼんやりそんなことを考えたり、文庫で漱石の評伝とか読んでいた。
そう、非人情を自覚していた先生も、大病以降、他人の恩に気づき善い人間になりたいと記している。
先生は、それだけの仕事を遺し、門弟や家族、友人知人も多くいたから、多くの人たちが心配し回復を祈ってくれたのだ。
我のような友人も片手に満たないほどの人間、天涯孤独となった者は大事に至ったとき、どうすべきか。
やはり介護保険料、ちまちまと工面して払っていくしかないか。
コメント
_ ケンイチ ― 2024/04/14 00時27分01秒
こんにちは。御両親の介護お疲れ様でした。気苦労の多い仕事ですから、そのことを自ら過小評価するべきではないと思います。また猫の世話も、精神的に安定してないときはしんどいのに、投げ出さずに来たことも、よくやってるよと自己肯定してよいと思います。この歳でお金を稼ぐのは大変かと思いますが、今まで親や猫のために動いて来たことを自負すれば、その延長線上で動けるのではないでしようか?あらたな内省や決意は必要ではなく、とはいえむしろ言葉の前に淡々と動きだせれば、仕事もできる気がします。もちろん増田節は捨てる必要はなく、事のあとに書いてくだされば、きっとうれしく読むでしよう。これから何をするかでなく、今日何をしたかを増田語りで読ませて下さい。楽しみにしています。なお猫のエサ代に関しては足しになるか分かりませんが、カンパしたいと思います。
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