近況と、このところ思うところを何回かに分けて・① ― 2024年08月17日 12時07分44秒
★まず、近況~ぼけまる氏のバースデーコンサート行ってから
台風一過の青空である。今朝は、朝からカラっと晴れて、また焼けつくような暑さが戻ってきた。
が、木陰にいると吹く風は爽やかで、もう夏も終わり秋の訪れも近いと今朝方、愛犬との散歩で休憩した近くの公園のベンチで思えた。
私事だが、昨日は、我の誕生日であった。70歳という節目の歳までにはまだ少しいくらかは間はあるが、もう指呼の先であり、こんな感じで一年が過ぎていくならあっという間であろう。
それにしても自分がこんな歳になるとは、ここまで生きているとは若い時はまったく考えも想像もしなかった。感慨深い。
漠然と想像してたとしても、世間一般的な、子や孫に囲まれて暮らす穏やかな年寄りの姿であり、まさか今のような人生となるとは、本当に予想も予測もしていなかった。
恥ずかしい話、何が驚きかというと、若い頃、十代の頃から我は何一つ変わっていないのである。嗤われて仕方ないし、自分でも呆れ果てる。
結婚もしなかったから、妻も子も孫もなく、昔からの親の家に今も住み、収入もほとんどなく、状況も環境もまったく何も変わらないままなのである。
そんな人は他にいるだろうか。
むろん、体型とかは当然変わり、若い時より10キロ近く体重は増えたし、髪は白くなり、鏡に映る我の姿は、もはや確かに年相応の疲れた老人のそれである。そして、ただモノだけは膨大に増えた。それだけ長く生きて時間が過ぎたのだから当然の結果であった。
親たちは既に逝き、このところその増え過ぎたモノ、生き物たちも含めて、それらに囚われ身動きがとれなくなり、まさに人生そのものが行き詰ってしまっていた。
ネット古書店のほうも休止してしまったから、今は全くの無収入であり、親たちの残してくれた預貯金を取り崩して何とか生活してきたが、それもついに尽き果てて、破綻した人生は破滅寸前のところまで行きついた。
しかし、それでも数少ない奇特な友人知人たちが我を哀れみ、経済的に人力的にも多々支援して頂き、何とかその苦境を脱ししつつある。
まだ先は全く見えないし、果たして人生再建となるかは定かではないが、経済的問題のほうは、幸いしにして、亡き父の保険金が大きな額ではないが、先日やっと下りたので、今は毎月かかる光熱費や税金などの金の工面については、この先数か月は頭悩ませずにすみそうな状況だということを報告いたしたい。
ただ、無年金無収入の我なのだから、ともかく一日でも早くどのような手段でも金を稼がないことには生きて行けないわけで、何とか年内には新たな収入の手立てを確立させたいと今せつに願っている。
幸い鬱気分は脱して、今は非常にアグレッシブにどのような人生でも何とかなる、何とかしていけると強く思っている。主よ、憐れみたまえ。
それと、体調についてなのだが、先の日曜日、国立でのぼけまる氏のコンサートに行って以来、またコロナに罹ったらしくともかく喉が痛く咳も出て今も苦しい。
その、かけこみ亭主人・ぼけまる氏主催の、「バースデーコンサート」、みんな集まれ!!という呼びかけなので、我も猛暑の最中、無理して自転車で駆けつけた。
が、今回は、これまでの生前葬コンサートとは違い、端的に言えば、彼の個人的公開同窓会というべきもので、午後1時から夜の7時まで、正直に言えば、長時間ともかく疲れ果てた。
我は、もともと同窓会的なるもの、いや、学校関連のモノゴトには良い記憶がなく一切関心なく、嫌悪さえしている。どこでも常に落ちこぼれた者として、もし会開催の通知が届こうとも絶対に昔の仲間たちとは会う気もないし関係を持とうとは思わない人間なのだ。だいたいその頃の友達も知人も元より一人もいない。※学内サークルやクラブで出合った仲間たちはいます。
過去など全否定してきた人間にとって、今回のぼけまる氏のコンサート?、彼の学生時代の仲間から生協の職員であった頃の人たち、そしてかけこみ亭初期の頃に来ていた人たちと多々次々昔話を語らう彼のステージに、違和感というより、間違えて他校の同窓会の席に来てしまった気分になった。そう、自分の学校の同窓会にも行かない人間が。
しかし、それが面白いとかつまらないとかの以前に、氏は、こうした集いをやりたかったのだと伝わるし、何よりも多くの彼の知人友人が集まって彼を囲んだのだから、それはそれで良かったというしかない。最後の最後までかなりの人たちが席に残っていて驚かされたほどなのだから。
ぼけまるさんは、多くの人たちに慕われ愛されて、幸せな人だと改めて強く再確認した次第。ほんと幸運・幸福な人である。まさに人徳という言うしかない。
先週その日曜日、国立から汗まみれで疲れて帰ってきた頃から、何か喉が痛い。風邪ひいたかと思えたが、我が父が死ぬ前、彼から感染されたコロナウィルスの症状にすごく似ている。
うまく説明できないが、もしかしたらこれはコロナかもと思えた。訊けば、昨今流行しているコロナはまず喉に来るらしい。
ただ、前回は、すぐ高熱が出たが、今回は、我は免疫ができているのか、いくらか種類が変化してるのか、寝込むほどの発熱はなく、測ってはいないがたぶん37度台の微熱しかなく、ただ喉が痛く、今は咳も出て痰がからみ苦しい状況がこの一週間続いている。
今は、コロナだろうが、インフルエンザだろうが、風邪の一種でしかなく、かつてのように医師に即診断してもらい、安静にして自宅療養に努めるべく医療費はかからない状況ではないのだから、身体はしんどくても個人としてフツーの生活していくしかない。
また回を改めて書くが、今トラブル続きで、パソコンは幸いこうしてブログ再開できるとほどに多少は回復したものの、居間のテレビは壊れて完全に視れなくなってしまった。
その他、金のかかるトラブル自体は今も多々あり続いてはいるが、幸い気分は落ち込んでなく前向きである。
しかし、喉も痛くてテレビも見れないならば、起きてるのもしんどくて寝るしかなく、ベッドでスマホいじっては今の出来事、ニュース等を確認してたら、ネットサーフィンというのか、偶然そこから新たな出会いと知識を多々得た。
その中で、最大は、今韓国からブレイクしている、奇跡の歌声・歌心りえさんというシンガーと出会えたことである。
この人を知り得たことは我にとって、まさにバースデープレゼントとなった。
台風一過の青空である。今朝は、朝からカラっと晴れて、また焼けつくような暑さが戻ってきた。
が、木陰にいると吹く風は爽やかで、もう夏も終わり秋の訪れも近いと今朝方、愛犬との散歩で休憩した近くの公園のベンチで思えた。
私事だが、昨日は、我の誕生日であった。70歳という節目の歳までにはまだ少しいくらかは間はあるが、もう指呼の先であり、こんな感じで一年が過ぎていくならあっという間であろう。
それにしても自分がこんな歳になるとは、ここまで生きているとは若い時はまったく考えも想像もしなかった。感慨深い。
漠然と想像してたとしても、世間一般的な、子や孫に囲まれて暮らす穏やかな年寄りの姿であり、まさか今のような人生となるとは、本当に予想も予測もしていなかった。
恥ずかしい話、何が驚きかというと、若い頃、十代の頃から我は何一つ変わっていないのである。嗤われて仕方ないし、自分でも呆れ果てる。
結婚もしなかったから、妻も子も孫もなく、昔からの親の家に今も住み、収入もほとんどなく、状況も環境もまったく何も変わらないままなのである。
そんな人は他にいるだろうか。
むろん、体型とかは当然変わり、若い時より10キロ近く体重は増えたし、髪は白くなり、鏡に映る我の姿は、もはや確かに年相応の疲れた老人のそれである。そして、ただモノだけは膨大に増えた。それだけ長く生きて時間が過ぎたのだから当然の結果であった。
親たちは既に逝き、このところその増え過ぎたモノ、生き物たちも含めて、それらに囚われ身動きがとれなくなり、まさに人生そのものが行き詰ってしまっていた。
ネット古書店のほうも休止してしまったから、今は全くの無収入であり、親たちの残してくれた預貯金を取り崩して何とか生活してきたが、それもついに尽き果てて、破綻した人生は破滅寸前のところまで行きついた。
しかし、それでも数少ない奇特な友人知人たちが我を哀れみ、経済的に人力的にも多々支援して頂き、何とかその苦境を脱ししつつある。
まだ先は全く見えないし、果たして人生再建となるかは定かではないが、経済的問題のほうは、幸いしにして、亡き父の保険金が大きな額ではないが、先日やっと下りたので、今は毎月かかる光熱費や税金などの金の工面については、この先数か月は頭悩ませずにすみそうな状況だということを報告いたしたい。
ただ、無年金無収入の我なのだから、ともかく一日でも早くどのような手段でも金を稼がないことには生きて行けないわけで、何とか年内には新たな収入の手立てを確立させたいと今せつに願っている。
幸い鬱気分は脱して、今は非常にアグレッシブにどのような人生でも何とかなる、何とかしていけると強く思っている。主よ、憐れみたまえ。
それと、体調についてなのだが、先の日曜日、国立でのぼけまる氏のコンサートに行って以来、またコロナに罹ったらしくともかく喉が痛く咳も出て今も苦しい。
その、かけこみ亭主人・ぼけまる氏主催の、「バースデーコンサート」、みんな集まれ!!という呼びかけなので、我も猛暑の最中、無理して自転車で駆けつけた。
が、今回は、これまでの生前葬コンサートとは違い、端的に言えば、彼の個人的公開同窓会というべきもので、午後1時から夜の7時まで、正直に言えば、長時間ともかく疲れ果てた。
我は、もともと同窓会的なるもの、いや、学校関連のモノゴトには良い記憶がなく一切関心なく、嫌悪さえしている。どこでも常に落ちこぼれた者として、もし会開催の通知が届こうとも絶対に昔の仲間たちとは会う気もないし関係を持とうとは思わない人間なのだ。だいたいその頃の友達も知人も元より一人もいない。※学内サークルやクラブで出合った仲間たちはいます。
過去など全否定してきた人間にとって、今回のぼけまる氏のコンサート?、彼の学生時代の仲間から生協の職員であった頃の人たち、そしてかけこみ亭初期の頃に来ていた人たちと多々次々昔話を語らう彼のステージに、違和感というより、間違えて他校の同窓会の席に来てしまった気分になった。そう、自分の学校の同窓会にも行かない人間が。
しかし、それが面白いとかつまらないとかの以前に、氏は、こうした集いをやりたかったのだと伝わるし、何よりも多くの彼の知人友人が集まって彼を囲んだのだから、それはそれで良かったというしかない。最後の最後までかなりの人たちが席に残っていて驚かされたほどなのだから。
ぼけまるさんは、多くの人たちに慕われ愛されて、幸せな人だと改めて強く再確認した次第。ほんと幸運・幸福な人である。まさに人徳という言うしかない。
先週その日曜日、国立から汗まみれで疲れて帰ってきた頃から、何か喉が痛い。風邪ひいたかと思えたが、我が父が死ぬ前、彼から感染されたコロナウィルスの症状にすごく似ている。
うまく説明できないが、もしかしたらこれはコロナかもと思えた。訊けば、昨今流行しているコロナはまず喉に来るらしい。
ただ、前回は、すぐ高熱が出たが、今回は、我は免疫ができているのか、いくらか種類が変化してるのか、寝込むほどの発熱はなく、測ってはいないがたぶん37度台の微熱しかなく、ただ喉が痛く、今は咳も出て痰がからみ苦しい状況がこの一週間続いている。
今は、コロナだろうが、インフルエンザだろうが、風邪の一種でしかなく、かつてのように医師に即診断してもらい、安静にして自宅療養に努めるべく医療費はかからない状況ではないのだから、身体はしんどくても個人としてフツーの生活していくしかない。
また回を改めて書くが、今トラブル続きで、パソコンは幸いこうしてブログ再開できるとほどに多少は回復したものの、居間のテレビは壊れて完全に視れなくなってしまった。
その他、金のかかるトラブル自体は今も多々あり続いてはいるが、幸い気分は落ち込んでなく前向きである。
しかし、喉も痛くてテレビも見れないならば、起きてるのもしんどくて寝るしかなく、ベッドでスマホいじっては今の出来事、ニュース等を確認してたら、ネットサーフィンというのか、偶然そこから新たな出会いと知識を多々得た。
その中で、最大は、今韓国からブレイクしている、奇跡の歌声・歌心りえさんというシンガーと出会えたことである。
この人を知り得たことは我にとって、まさにバースデープレゼントとなった。
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