近況と、このところ思うところを何回かに分けて・② ― 2024年09月01日 23時32分47秒
★ようやく長い夢から覚めたような
9月に入りました。
昨日も。また今日も、終日一昨日のような猛烈な雨が降るような予報は出ていたが、小雨が断続的に降った程度ですんだ。
夕方には、晴れて来て西の空には夕焼けが見えた。
雷雨や強風などの被害がなかっただけでも良しとしたいが、何かはぐらかされたような、天気予報に振り回された気がしている。
ただ、気温も下がってきているはずだが、湿度が高いせいか今夜はともかく蒸し暑い。窓も開けられず室内にいるだけでも汗ばむほどだ。
まずパソコンのことだが、先日ついにウインドウズ11にアップデイトした。
これで以前より起動からブログを書くまで早くなった気がしたが、未だ新しいOSに慣れていないせいもあってか、完全にシャットダウンしていない状態から立ち上げようとしてもやはりかなり時間がかかる。
今夜も、更新が進行中です、電源を入れたままにしてください、との表示が出て、またやたらしばらく待たされた。
やはりパソコン本体自体を買い替えねばならないのかと今思案中だ。
何が苛立つと言って、書きたいことがあり、早くこのブログの書き込み画面を出したいのに、パソコンに向かってもそこまでに漫然と十数分?じっと待たされることだ。そうこうしているうちにその意欲が萎えてきてしまうではないか。
さておき、先ず何から書くべきか。このところ友人知人の訃報が相次いでいる。その方たち一人づつ書いても一回のブログに収まらないと思うので、様々な悼む思いはあるもののまずは自分のことから書いていく。
ドコモかしこも足の踏み場もないゴミ屋敷と化した家の内外のことや、増えすぎた猫問題など未だ解決に至らぬことは相変わらずだが、このところようやく自らの身体にきちんと向き合えるようになってきた。
猛暑の夏でもあることだが、このところ日に何度もシャワーを浴びたり、週に一度は近くの銭湯に通ったりして、素っ裸の吾身の姿を浴室、浴場の鏡に映して見ている。
これは自惚れや贔屓目ではなく、我が身の肉体は、その年齢のわりにはまだじゅうぶん若々しいと思えてきた。
むろん背中は丸く厚くなり、だいぶ猫背気味だが、腹もまだせり出すほどには出ていないし、スポーツはまったくしないから筋肉はないものの贅肉は少なく肉体だけ見れば、二十代の頃とほとんど変わらないように見える。
今は体重も5キロほど増えてはいるが、多忙で一時期より落ちたので、肥満とかメダボとは言われることはない。
ただ顔と白髪だけは年相応の爺むさい風貌で、それに比べれば身体はまだ若々しいということだ。
嗤われるかもしれないが、身体だけ見れば、とても70歳近い老人のそれではない。そのことに気づいてこのところ自信を取り戻している。
あとは、意識的に背筋伸ばして姿勢を常に正していけば、腰の曲がったジジイになることはないだろう。
機能的にも、今はまだ先日のコロナで、まだ咳が残り痰も絡み苦しい時もあるが、体調的にはほぼ万全となってきた。
この2年、いや、もっとかもしれないが、ずっと悩みの種だった右腕の痺れと機能障害もこのところようやく癒えて、まだ筋肉痛的な痛みはあるものの、問題なく自由に動かせる状態になってきた。
腰痛も今はないし、身体だけは今は何も問題ない。
で、なんでこんなしょうもないことを書いてるかというと、ほぼこの10年は、風呂に入ろうが、シャワー浴びようが自分の身体をまじまじと見ることさえなかったからだ。いや、顔すらも鏡にきちんと映したことがなかった。
我が母は、2016年に癌が再発して死んだのだが、その死の前年頃から、介護と世話に追われて、認知症気味の父も健在だったので今よりもともかく忙しかった。
特に死の一年前からは、在宅で我は一人で母を看病していたので、落ち着いて自らがゆったりゆっくり入浴する事すらできなかった。
そして母の死後は、急速に認知症と身体の衰弱が進んでいく超高齢の父の世話にまた追われて、一昨年秋の父の死まで同様の状況が続いていた。
そして今、父の死からまる二年を迎える今に至り、犬猫の世話や家の片づけ等に今も追われてはいるものの、ようやく吾身の肉体を鏡に映してまじまじと見つめ直す余裕も出てきたのだ。
いま思うのは、最愛の母と父の死と、その後の多々後始末と、何もかも一人でやらねばならない孤独な生活への移行と、悪夢とは言えないが、まさにずっと長い夢を見ていた気がする。
そしてようやく、今頃になってその夢から覚めた、のだと。
今もまだともかくやることは山積して目が回るほど慌ただしいし、何ひとつ解決も先も見えはしないが、この吾身、身体だけはまだここにあり、自らに取り戻した気がしている。
内臓はわからないが、アルコールさえ飲みすぎなければ、あと10年はともかくも5年は大丈夫だろう。
先のことは何が起こるかわからないし油断や過信は禁物だが、まだこの身体さえあれば、何でもできると思えてきた。そう、70歳過ぎようとも。※むろん、交通事故や災害など不測の事態に遭い命を落とす可能性も多々あるわけだが、それはそれとして。
親しい方はご存じだろう。我は誰よりもウカツでバカだから、これまで何度も命にかかわるようなケガや事故は起こしてきた。が、幸いにして病気も含めて入院するほどの大ケガ、大病には遭わなかった。
そこに我が神、我が主のご加護があったからだと思うし、ただ神頼みに生きるのではなく、自らも節制して細心の注意で一日一日を丁寧にいきていこうと思う。
こんな我にもまだできること、すべきことがあると信じて。そしてそれは誰にとっても善い喜ばしいことであるように。
9月に入りました。
昨日も。また今日も、終日一昨日のような猛烈な雨が降るような予報は出ていたが、小雨が断続的に降った程度ですんだ。
夕方には、晴れて来て西の空には夕焼けが見えた。
雷雨や強風などの被害がなかっただけでも良しとしたいが、何かはぐらかされたような、天気予報に振り回された気がしている。
ただ、気温も下がってきているはずだが、湿度が高いせいか今夜はともかく蒸し暑い。窓も開けられず室内にいるだけでも汗ばむほどだ。
まずパソコンのことだが、先日ついにウインドウズ11にアップデイトした。
これで以前より起動からブログを書くまで早くなった気がしたが、未だ新しいOSに慣れていないせいもあってか、完全にシャットダウンしていない状態から立ち上げようとしてもやはりかなり時間がかかる。
今夜も、更新が進行中です、電源を入れたままにしてください、との表示が出て、またやたらしばらく待たされた。
やはりパソコン本体自体を買い替えねばならないのかと今思案中だ。
何が苛立つと言って、書きたいことがあり、早くこのブログの書き込み画面を出したいのに、パソコンに向かってもそこまでに漫然と十数分?じっと待たされることだ。そうこうしているうちにその意欲が萎えてきてしまうではないか。
さておき、先ず何から書くべきか。このところ友人知人の訃報が相次いでいる。その方たち一人づつ書いても一回のブログに収まらないと思うので、様々な悼む思いはあるもののまずは自分のことから書いていく。
ドコモかしこも足の踏み場もないゴミ屋敷と化した家の内外のことや、増えすぎた猫問題など未だ解決に至らぬことは相変わらずだが、このところようやく自らの身体にきちんと向き合えるようになってきた。
猛暑の夏でもあることだが、このところ日に何度もシャワーを浴びたり、週に一度は近くの銭湯に通ったりして、素っ裸の吾身の姿を浴室、浴場の鏡に映して見ている。
これは自惚れや贔屓目ではなく、我が身の肉体は、その年齢のわりにはまだじゅうぶん若々しいと思えてきた。
むろん背中は丸く厚くなり、だいぶ猫背気味だが、腹もまだせり出すほどには出ていないし、スポーツはまったくしないから筋肉はないものの贅肉は少なく肉体だけ見れば、二十代の頃とほとんど変わらないように見える。
今は体重も5キロほど増えてはいるが、多忙で一時期より落ちたので、肥満とかメダボとは言われることはない。
ただ顔と白髪だけは年相応の爺むさい風貌で、それに比べれば身体はまだ若々しいということだ。
嗤われるかもしれないが、身体だけ見れば、とても70歳近い老人のそれではない。そのことに気づいてこのところ自信を取り戻している。
あとは、意識的に背筋伸ばして姿勢を常に正していけば、腰の曲がったジジイになることはないだろう。
機能的にも、今はまだ先日のコロナで、まだ咳が残り痰も絡み苦しい時もあるが、体調的にはほぼ万全となってきた。
この2年、いや、もっとかもしれないが、ずっと悩みの種だった右腕の痺れと機能障害もこのところようやく癒えて、まだ筋肉痛的な痛みはあるものの、問題なく自由に動かせる状態になってきた。
腰痛も今はないし、身体だけは今は何も問題ない。
で、なんでこんなしょうもないことを書いてるかというと、ほぼこの10年は、風呂に入ろうが、シャワー浴びようが自分の身体をまじまじと見ることさえなかったからだ。いや、顔すらも鏡にきちんと映したことがなかった。
我が母は、2016年に癌が再発して死んだのだが、その死の前年頃から、介護と世話に追われて、認知症気味の父も健在だったので今よりもともかく忙しかった。
特に死の一年前からは、在宅で我は一人で母を看病していたので、落ち着いて自らがゆったりゆっくり入浴する事すらできなかった。
そして母の死後は、急速に認知症と身体の衰弱が進んでいく超高齢の父の世話にまた追われて、一昨年秋の父の死まで同様の状況が続いていた。
そして今、父の死からまる二年を迎える今に至り、犬猫の世話や家の片づけ等に今も追われてはいるものの、ようやく吾身の肉体を鏡に映してまじまじと見つめ直す余裕も出てきたのだ。
いま思うのは、最愛の母と父の死と、その後の多々後始末と、何もかも一人でやらねばならない孤独な生活への移行と、悪夢とは言えないが、まさにずっと長い夢を見ていた気がする。
そしてようやく、今頃になってその夢から覚めた、のだと。
今もまだともかくやることは山積して目が回るほど慌ただしいし、何ひとつ解決も先も見えはしないが、この吾身、身体だけはまだここにあり、自らに取り戻した気がしている。
内臓はわからないが、アルコールさえ飲みすぎなければ、あと10年はともかくも5年は大丈夫だろう。
先のことは何が起こるかわからないし油断や過信は禁物だが、まだこの身体さえあれば、何でもできると思えてきた。そう、70歳過ぎようとも。※むろん、交通事故や災害など不測の事態に遭い命を落とす可能性も多々あるわけだが、それはそれとして。
親しい方はご存じだろう。我は誰よりもウカツでバカだから、これまで何度も命にかかわるようなケガや事故は起こしてきた。が、幸いにして病気も含めて入院するほどの大ケガ、大病には遭わなかった。
そこに我が神、我が主のご加護があったからだと思うし、ただ神頼みに生きるのではなく、自らも節制して細心の注意で一日一日を丁寧にいきていこうと思う。
こんな我にもまだできること、すべきことがあると信じて。そしてそれは誰にとっても善い喜ばしいことであるように。
亡き人たちへの思いを書き記す・ 1.ウディ石川さん ― 2024年09月02日 23時01分40秒
★石川さんと我
このところ友人知人の訃報が相次いでいる。
皆、我よりは幾分年上だが、何で彼であって我ではないのか、ずっと自問している。
どうして善い誰にも愛され惜しまれる人は先に逝き、我のような誰からも疎んじられ無価値な人間が臆面なくもまだ生きているのか、いつもその死の知らせの都度思う。
しかしそれは、もし神の計らいだとしてもそこに答えは出ない。言えることはただ一つ、我はまだその時でなく、まだ生きて為すべきことがあるからだとしか思えない。
かの漱石に、『長谷川君と余』と題する短編、というより随筆がある。そこに出てくる長谷川君とは、あの二葉亭四迷のことであり、漱石は、二葉亭とは親しい間柄ではなかったのに、出版社からだったか二葉亭の死後、追悼号に請われて筆をとり亡き人の思い出を記した名短編である。
友と呼べるほど親しい関係でなかったものの、漱石はたんたんと彼との少ない出逢った機会を思い出しつつ、偉大な文筆家の死を深く悼んでいる。
漱石には、盟友子規をはじめ、多くの友人知人への追悼、思い出文が残されているが、中でもこの長谷川君こと、二葉亭に関する一文は押さえた筆致ながらその哀しみと亡き人の人柄と偉大さ、敬愛が伝わる名文である。
我も拙くもそれに倣って、この2024年夏、8月の初旬に急逝した石川さんと我について記しておこうと思ふ。
ウディさんと記すか、ウッディさんと記すか迷うものの、彼は素晴らしく奇特な不思議な人であった。あんな人はもう二度と他に会うことはないだろう。※以下、「ウディ」として記す。
彼を知ったのは、まだ谷保かけこみ亭で、月一?でだったか、誰でも参加できるオープンマイクのライブが開催していた頃で、その場で見知ったのだと思う。
テン・ホールズのハーモニカを西部劇のガンマンの如く、ベルトにいくつもホルダーに入れ、たくさん下げていてまず驚かされた。そんな人は初めて見た。
と言ってもテンホールズのハーモニカとは、何かまずそこから説明しないとならないか。
小学校などの音楽教育で嫌でも買わされ吹かされる複音のハーモニカとは違い、穴が10個しかないごく小ぶりなハーモニカのことをテンホールズと呼ぶ。またはブルースハープとも。
フォークソングやブルース、ロックでは、そのテンホールズのハーモニカをライブや録音で用い多用されている。
ただ、問題は、キーごとにそのキーのハーモニカを使わねばならないことで、ハ調、つまりCの曲ならば、Cのキーのそのハーモニカを用いないないと合わすことが難しい。
ということは、各キーごとに合ったハーモニカが必要となる。しかも曲には、マイナーとメジャー、つまり長調と短調があるので、ハーモニカもまたマイナーの曲には、マイナーのそれをキーごとに使わないと合わすことはできないのだ。
マイナーのも入れれば、全部で20本以上揃えないとならないのである。まあ、あまり使われないキーも当然あるが。※FとかFmとか。
我も下手くそながらそのブルースハーブをギター弾きながらホルダーに挟んで吹くので、そのキーごとに、マイナーもすべて揃えて持っている。
が、それをホルダーに入れてベルトに下げて全てを腰に巻いている人がいるとは仰天した。
確かに、曲ごとにキーは違うのは当然だから、曲が変われば我など常に慌てて合うキーのハーモニカを数ある中から探し出すのにいつも苦労している。
それを、キーごとに順にホルダーに入れて常に腰にベルトで下げておけば探し迷うことは少なくなるはずだ。
ライブの後だったか前だったか、ウディ氏に、そのベルトハーモニカホルダーについて尋ねたら手作りだと言う。そう、すべてにわたって彼はそうした創意工夫のハンドメイドの人であった。
そしてその時は知らなかったのだが、氏は、ハーモニカのみならずフォークギターの稀代のコレクターであったのだ。
《長くなるのでもう一回続きます》
※昨夜は、友人久我さんの訃報が届き、彼と知り合ってから約20年のことがあれこれまさに走馬灯の如く思い出され、気がついたら一睡もしないうちに朝となった。ので寝不足で今目がかすんできている。
このところ友人知人の訃報が相次いでいる。
皆、我よりは幾分年上だが、何で彼であって我ではないのか、ずっと自問している。
どうして善い誰にも愛され惜しまれる人は先に逝き、我のような誰からも疎んじられ無価値な人間が臆面なくもまだ生きているのか、いつもその死の知らせの都度思う。
しかしそれは、もし神の計らいだとしてもそこに答えは出ない。言えることはただ一つ、我はまだその時でなく、まだ生きて為すべきことがあるからだとしか思えない。
かの漱石に、『長谷川君と余』と題する短編、というより随筆がある。そこに出てくる長谷川君とは、あの二葉亭四迷のことであり、漱石は、二葉亭とは親しい間柄ではなかったのに、出版社からだったか二葉亭の死後、追悼号に請われて筆をとり亡き人の思い出を記した名短編である。
友と呼べるほど親しい関係でなかったものの、漱石はたんたんと彼との少ない出逢った機会を思い出しつつ、偉大な文筆家の死を深く悼んでいる。
漱石には、盟友子規をはじめ、多くの友人知人への追悼、思い出文が残されているが、中でもこの長谷川君こと、二葉亭に関する一文は押さえた筆致ながらその哀しみと亡き人の人柄と偉大さ、敬愛が伝わる名文である。
我も拙くもそれに倣って、この2024年夏、8月の初旬に急逝した石川さんと我について記しておこうと思ふ。
ウディさんと記すか、ウッディさんと記すか迷うものの、彼は素晴らしく奇特な不思議な人であった。あんな人はもう二度と他に会うことはないだろう。※以下、「ウディ」として記す。
彼を知ったのは、まだ谷保かけこみ亭で、月一?でだったか、誰でも参加できるオープンマイクのライブが開催していた頃で、その場で見知ったのだと思う。
テン・ホールズのハーモニカを西部劇のガンマンの如く、ベルトにいくつもホルダーに入れ、たくさん下げていてまず驚かされた。そんな人は初めて見た。
と言ってもテンホールズのハーモニカとは、何かまずそこから説明しないとならないか。
小学校などの音楽教育で嫌でも買わされ吹かされる複音のハーモニカとは違い、穴が10個しかないごく小ぶりなハーモニカのことをテンホールズと呼ぶ。またはブルースハープとも。
フォークソングやブルース、ロックでは、そのテンホールズのハーモニカをライブや録音で用い多用されている。
ただ、問題は、キーごとにそのキーのハーモニカを使わねばならないことで、ハ調、つまりCの曲ならば、Cのキーのそのハーモニカを用いないないと合わすことが難しい。
ということは、各キーごとに合ったハーモニカが必要となる。しかも曲には、マイナーとメジャー、つまり長調と短調があるので、ハーモニカもまたマイナーの曲には、マイナーのそれをキーごとに使わないと合わすことはできないのだ。
マイナーのも入れれば、全部で20本以上揃えないとならないのである。まあ、あまり使われないキーも当然あるが。※FとかFmとか。
我も下手くそながらそのブルースハーブをギター弾きながらホルダーに挟んで吹くので、そのキーごとに、マイナーもすべて揃えて持っている。
が、それをホルダーに入れてベルトに下げて全てを腰に巻いている人がいるとは仰天した。
確かに、曲ごとにキーは違うのは当然だから、曲が変われば我など常に慌てて合うキーのハーモニカを数ある中から探し出すのにいつも苦労している。
それを、キーごとに順にホルダーに入れて常に腰にベルトで下げておけば探し迷うことは少なくなるはずだ。
ライブの後だったか前だったか、ウディ氏に、そのベルトハーモニカホルダーについて尋ねたら手作りだと言う。そう、すべてにわたって彼はそうした創意工夫のハンドメイドの人であった。
そしてその時は知らなかったのだが、氏は、ハーモニカのみならずフォークギターの稀代のコレクターであったのだ。
《長くなるのでもう一回続きます》
※昨夜は、友人久我さんの訃報が届き、彼と知り合ってから約20年のことがあれこれまさに走馬灯の如く思い出され、気がついたら一睡もしないうちに朝となった。ので寝不足で今目がかすんできている。
.ウディさんとの思い出・続き ― 2024年09月03日 11時37分01秒
★まさに我と同類・同好の士であった。
その後、我はそこ、かけこみ亭で、護憲と反戦平和のための「共謀コンサート」なるものを企画・開催することになり、ウディ氏にも声をかけた。
彼はきさくに応じてくれて、何回か登場し、ステキな歌声に加えてブルースハープを吹きまくってくれた。
そして次第に彼個人についてもわかってくる。氏の本業は植木屋さんであった。
あるときのコンサートのとき、彼は、仕事帰りとのことで、作業着といいうか、仕事着のまま現れた。その姿に驚いた。
手甲脚絆というのだろうか、今でも消防士たちが正月など昔の火消しの姿で、高いハシゴの上でアクロバットな舞を披露するときのような恰好、つまりタイトなパッチ姿であった。おまけに、足元は地下足袋であったと記憶する。
フツー、そういう恰好は、ダサいというかあまりカッコ良くないはずだが、無駄な贅肉など一切ない引き締まったウディ氏のその姿は、見惚れてしまうほどカッコよかった。
今でも植木屋にはそうした姿で作業する人は多いのか我は知らない。が、まさに彼には似合っていて恰好からも彼の仕事ぶりが想像された。素晴らしく的確な仕立てを颯爽とされるに違いないと。
また打ち上げや幕間のとき話しているうちに、彼はギターの愛好家というか、収集家、つまりコレクターであることもわかった。訊けば手持ちのギターは、100本!!!だと言う。びっくりした。
じっさいに彼のご自宅などて見たわけでもないし、どういうギターをお持ちであるのかは知らないしわからない。
ただ、高級なそれではないようで、彼が語るのを聴く限り、ハードオフや古道具屋、リサイクルショップ等で安値になってるジャンクギターの中から掘り出し物をみつけては買い集めてくるようであった。
あるときのコンサートのとき、仕事帰りに偶然立ち寄ったリサイクルショップで、かなり昔のものだが、国産のビンテージギターをバカ安で二本手に入れられたと嬉しそうに話していたのを思い出す。
むろんそういうワケありのギターは、そのままでは使い物にならない。だから店頭でジャンク品として格安で出されている。
彼は、それらを自ら手を加えて、ペグの修理、ブリッジの高さから反りまで細かく調整してきちんと鳴るよう、使用できるように仕立てるのである。そういうことが出来る方で、それを趣味としてのギター収集であったと我には思える。素晴らしいことだ。
実は私事だが、我もまた中古ギターは約30本持っている。きちんと数えたわけではないし、全体数はいったい何本なのか定かではないが、完全なジャンクも含めればおそらくその数はあるだろう。氏の100本にはとてもかなわないが。
我もまた以前はあちこちのリサイクルショップやハードオフの類の店に出向いては、格安に出ているジャンクギターの中から、出物を探し出し買い求めるのがとても好きだった。
が、ウディ氏と違うのは、我はとことん不器用で、そうしたギターを修理したり調整することは苦手で、いじってはみたものの直せないでいるギターも多々ある。時間が無くなったこともあるが、我には元々そういうメンテナンスや調整する能力が欠落していると気づく。
今思うと、ハーモニカもだが、我と彼とは趣味嗜好がほぼ同じで、違うのは、テクニックも含めて彼の方が全てが上でさらにマニアックであったということだ。我は足元にも及ばない。
マニアックという以前に、何もかも全てにこだわりのある、誰よりもスタイリッシュかつダンディな素敵で偉大な生き方の人であった。そんな人は我には他にいなかった。
コンサートの時だけでなく、もっと個人的にも親しくなり、ジャンクギターの修理修繕のノウハウ等をもっと指南してもらえば良かった、と今心から思う。じっさいちょっと話した限りでは、カンタンな事だよ、まず弦のバランスを確認して云々とか話してくれたが、ライブの最中で慌ただしくそのままになってしまった。
いま、我以外にそんな趣味の人はまずいないと思っていた、ハーモニカとギター収集という希少かつ偉大な同好の仲間を失い、哀しみ以前に深い欠落感というか、もっと個人的にも関りを持っておくべきであったのだ、と強い後悔の念に苛まれている。
彼のフェイスブックに、ご家族が告知された情報によると、突然の心筋梗塞での急逝だそうで、まさに突然起こった予期せぬ不測の事態にさぞや当人も驚き戸惑い苦しまれたことかと思う。
主は何故にあんな素晴らしい善い人にこんなことをされるのかと問い憤りさえ覚える。ウディ氏の魂よ、安かれとただ祈るしかない。
思い出を書きながら少しだけ泣いた。
一つだけ気になるのは、その100本の遺されたギターは、友人知人たちが遺品として持ち帰られると訊いたが、もしもどうしても残ってしまい、ゴミとして処分するしかないものが出たのならば、我もまたそれらを頂きたい、捨てられるのならば全て引き取りたいと思っている。
それが偉大な亡き同好の友に報いることだと思ふ。
その後、我はそこ、かけこみ亭で、護憲と反戦平和のための「共謀コンサート」なるものを企画・開催することになり、ウディ氏にも声をかけた。
彼はきさくに応じてくれて、何回か登場し、ステキな歌声に加えてブルースハープを吹きまくってくれた。
そして次第に彼個人についてもわかってくる。氏の本業は植木屋さんであった。
あるときのコンサートのとき、彼は、仕事帰りとのことで、作業着といいうか、仕事着のまま現れた。その姿に驚いた。
手甲脚絆というのだろうか、今でも消防士たちが正月など昔の火消しの姿で、高いハシゴの上でアクロバットな舞を披露するときのような恰好、つまりタイトなパッチ姿であった。おまけに、足元は地下足袋であったと記憶する。
フツー、そういう恰好は、ダサいというかあまりカッコ良くないはずだが、無駄な贅肉など一切ない引き締まったウディ氏のその姿は、見惚れてしまうほどカッコよかった。
今でも植木屋にはそうした姿で作業する人は多いのか我は知らない。が、まさに彼には似合っていて恰好からも彼の仕事ぶりが想像された。素晴らしく的確な仕立てを颯爽とされるに違いないと。
また打ち上げや幕間のとき話しているうちに、彼はギターの愛好家というか、収集家、つまりコレクターであることもわかった。訊けば手持ちのギターは、100本!!!だと言う。びっくりした。
じっさいに彼のご自宅などて見たわけでもないし、どういうギターをお持ちであるのかは知らないしわからない。
ただ、高級なそれではないようで、彼が語るのを聴く限り、ハードオフや古道具屋、リサイクルショップ等で安値になってるジャンクギターの中から掘り出し物をみつけては買い集めてくるようであった。
あるときのコンサートのとき、仕事帰りに偶然立ち寄ったリサイクルショップで、かなり昔のものだが、国産のビンテージギターをバカ安で二本手に入れられたと嬉しそうに話していたのを思い出す。
むろんそういうワケありのギターは、そのままでは使い物にならない。だから店頭でジャンク品として格安で出されている。
彼は、それらを自ら手を加えて、ペグの修理、ブリッジの高さから反りまで細かく調整してきちんと鳴るよう、使用できるように仕立てるのである。そういうことが出来る方で、それを趣味としてのギター収集であったと我には思える。素晴らしいことだ。
実は私事だが、我もまた中古ギターは約30本持っている。きちんと数えたわけではないし、全体数はいったい何本なのか定かではないが、完全なジャンクも含めればおそらくその数はあるだろう。氏の100本にはとてもかなわないが。
我もまた以前はあちこちのリサイクルショップやハードオフの類の店に出向いては、格安に出ているジャンクギターの中から、出物を探し出し買い求めるのがとても好きだった。
が、ウディ氏と違うのは、我はとことん不器用で、そうしたギターを修理したり調整することは苦手で、いじってはみたものの直せないでいるギターも多々ある。時間が無くなったこともあるが、我には元々そういうメンテナンスや調整する能力が欠落していると気づく。
今思うと、ハーモニカもだが、我と彼とは趣味嗜好がほぼ同じで、違うのは、テクニックも含めて彼の方が全てが上でさらにマニアックであったということだ。我は足元にも及ばない。
マニアックという以前に、何もかも全てにこだわりのある、誰よりもスタイリッシュかつダンディな素敵で偉大な生き方の人であった。そんな人は我には他にいなかった。
コンサートの時だけでなく、もっと個人的にも親しくなり、ジャンクギターの修理修繕のノウハウ等をもっと指南してもらえば良かった、と今心から思う。じっさいちょっと話した限りでは、カンタンな事だよ、まず弦のバランスを確認して云々とか話してくれたが、ライブの最中で慌ただしくそのままになってしまった。
いま、我以外にそんな趣味の人はまずいないと思っていた、ハーモニカとギター収集という希少かつ偉大な同好の仲間を失い、哀しみ以前に深い欠落感というか、もっと個人的にも関りを持っておくべきであったのだ、と強い後悔の念に苛まれている。
彼のフェイスブックに、ご家族が告知された情報によると、突然の心筋梗塞での急逝だそうで、まさに突然起こった予期せぬ不測の事態にさぞや当人も驚き戸惑い苦しまれたことかと思う。
主は何故にあんな素晴らしい善い人にこんなことをされるのかと問い憤りさえ覚える。ウディ氏の魂よ、安かれとただ祈るしかない。
思い出を書きながら少しだけ泣いた。
一つだけ気になるのは、その100本の遺されたギターは、友人知人たちが遺品として持ち帰られると訊いたが、もしもどうしても残ってしまい、ゴミとして処分するしかないものが出たのならば、我もまたそれらを頂きたい、捨てられるのならば全て引き取りたいと思っている。
それが偉大な亡き同好の友に報いることだと思ふ。
ちょっと休憩、中休みとさせてください。 ― 2024年09月04日 01時00分00秒
★睡眠不足でめまいもしてフラフラで
このところ友人知人の訃報が相次いで、夜、寝床に入ってもその人のことや昔のことが思い出されて、なかなか寝付けず、気がつくと夜も白み朝になってしまう。
それからタイマーをセットして少しだけ眠るようにしているのだが、犬猫たちの世話やら朝からやらねばならないことはいっぱいなので、長く眠ることもできず、うとうとしては寝た気もしないまま8時、9時前には起きて寝不足の重たい頭と身体を引きづってまた一日が始まる。
当然、慢性的睡眠不足で頭も重く鈍く痛く、目もかすみ視点が合わない感じで一日中ぼうっとして疲れはとれない。怠い。
ブログも書きたいことはたくさんあるのだけど、先ずはこの昼夜逆転状態を改めない限り我身がもたない。
体調戻すためにはともかく夜は早く寝てたっぷり睡眠をとるしかないわけで、少しの間、中休みというかお休みします。
このところ友人知人の訃報が相次いで、夜、寝床に入ってもその人のことや昔のことが思い出されて、なかなか寝付けず、気がつくと夜も白み朝になってしまう。
それからタイマーをセットして少しだけ眠るようにしているのだが、犬猫たちの世話やら朝からやらねばならないことはいっぱいなので、長く眠ることもできず、うとうとしては寝た気もしないまま8時、9時前には起きて寝不足の重たい頭と身体を引きづってまた一日が始まる。
当然、慢性的睡眠不足で頭も重く鈍く痛く、目もかすみ視点が合わない感じで一日中ぼうっとして疲れはとれない。怠い。
ブログも書きたいことはたくさんあるのだけど、先ずはこの昼夜逆転状態を改めない限り我身がもたない。
体調戻すためにはともかく夜は早く寝てたっぷり睡眠をとるしかないわけで、少しの間、中休みというかお休みします。
うたが人をつなぎ、人がうたを結んでいく・1 ― 2024年09月07日 10時46分48秒
★もう会えないのか・・・
その人とは行く先々のライブ会場でよく顔を合わせた。
そしていつしか親しくなった。
一緒にライブ観覧の旅にも行ったし、我が企画したライブにも常に来てくれた。
我も彼が企画するライブにはできるだけ行くようにした。
友と呼べるほど個人的に親しいわけではない。
が、間違いなくとても大切な音楽「仲間」だった。
今日も夜、かけこみ亭のライブに行くのだが、もう彼とは会えない、彼はもう来ないのだ、と気づいたら涙が溢れ出てきた。
その人とは行く先々のライブ会場でよく顔を合わせた。
そしていつしか親しくなった。
一緒にライブ観覧の旅にも行ったし、我が企画したライブにも常に来てくれた。
我も彼が企画するライブにはできるだけ行くようにした。
友と呼べるほど個人的に親しいわけではない。
が、間違いなくとても大切な音楽「仲間」だった。
今日も夜、かけこみ亭のライブに行くのだが、もう彼とは会えない、彼はもう来ないのだ、と気づいたら涙が溢れ出てきた。
9月は哀しみの月、それにしても未だ暑い!! ― 2024年09月15日 22時33分15秒
★昨日は父の命日で墓参りに行ってきた。
9月は、我にとって父母の命日が続く哀しみと追悼の月だ。母は、2016年の9月8日に、父は、一昨年の14日に亡くなった。
お墓は、浄土宗の町田市のお寺に在るけれど、我自身は、仏教に敬意は抱くものの、特に法要などは今年もしなかった。
したとしても、もう親族はほぼ誰も来ない。せいぜいできることは墓参りで、何とか昨日、縁ある人と誘い合わせて、墓に仏花を供え、線香を焚いてきた。
しかし、もう9月も半ばとなるのに、未だ熱中症警戒警報が出るほど異常に暑い。母の死んだ頃も父が逝った頃も、まだ9月だからやや汗ばむ程度に暑かったとは思うが、今年のように真夏のような陽射しではなかったと思える。
いや、これが日常、平常であり、温暖化を通り越して、地球沸騰化の現実なのであろうか。
ということは、来年はまたさらに暑くなって、その暑さはさらに長く、本来冬の季節近くまで続くのかと思える。
もう秋など来ないのか。
さておき、そうした地球環境の異常に対しての政治の無策を嘆き憤るのはまた別の機会にするとして、哀しみの月に多々思うことを記していきたい。
9月は、我にとって父母の命日が続く哀しみと追悼の月だ。母は、2016年の9月8日に、父は、一昨年の14日に亡くなった。
お墓は、浄土宗の町田市のお寺に在るけれど、我自身は、仏教に敬意は抱くものの、特に法要などは今年もしなかった。
したとしても、もう親族はほぼ誰も来ない。せいぜいできることは墓参りで、何とか昨日、縁ある人と誘い合わせて、墓に仏花を供え、線香を焚いてきた。
しかし、もう9月も半ばとなるのに、未だ熱中症警戒警報が出るほど異常に暑い。母の死んだ頃も父が逝った頃も、まだ9月だからやや汗ばむ程度に暑かったとは思うが、今年のように真夏のような陽射しではなかったと思える。
いや、これが日常、平常であり、温暖化を通り越して、地球沸騰化の現実なのであろうか。
ということは、来年はまたさらに暑くなって、その暑さはさらに長く、本来冬の季節近くまで続くのかと思える。
もう秋など来ないのか。
さておき、そうした地球環境の異常に対しての政治の無策を嘆き憤るのはまた別の機会にするとして、哀しみの月に多々思うことを記していきたい。
ようやく再び人生が動き出した感あり ― 2024年09月23日 15時19分14秒
★ご心配おかけしましたがもう大丈夫かと
9月も半ば過ぎたというのに、いっこうに涼しくならず連日の猛暑が続く。一昨日も朝から熱中症警戒警報が市のスピーカーから流れていたが、ようやく昨日から朝の雨の後、曇りがちで気温も下がり涼しい風も吹いてやや秋めいてきた。
むろんまだ晴れれば真夏の陽射しが戻るだろうし、本格的に秋めいてくるのは、来月になるかとも思う。それでも少し今日は涼しくてほっと一息ついている。
このところまたライブ通いが始まった。かけこみ亭での敬愛する、佐藤GWAN博さんに続いて、一昨日の土曜は、豊田勇造の荻窪の民家でのライブに顔出してきた。
勇造さんから元気と勇気をもらったということもあるが、父の死後、昨年から続いていた我の多事災難、トラブルからようやく抜け出しつつあるのでまずそのことを書いていきたい。
そして年内の我が企画などについても。
人生にはツイテないとき、トラブルが多発し不運、不遇の時が誰にも来るのかわからないが、我には去年から今夏にかけて、なんで次々とどうしてトラブルが多発するのか、神を呪いたい気持ちにさえなるようなことが続いた。それも経済的に痛いことばかり起きた。
とても全部はあからさまに書けないが、増えすぎた猫問題に関するトラブルや、我を敵視するご近所からの嫌がらせ騒動などは既にここにも少し書いたが、それ以外に個人的な、家内のトラブルがさらに相次いだ。
年明けの、今使っている富士通のパソコンのモニターが壊れて、交換修理となり、保証期間内だから無料と思ってたら、画面の交換だけで10万近くかかったことは書いたかと思う。
以後も次々と家電が壊れて、電子レンジは今も壊れたままだし、居間のテレビも長年使ってきて、スイッチがなかなか入らなかったり画面がちらつきだしたのを我慢して視ていたら、7月の頭に、突然画面が暗くなって切れて、いくらスイッチ入れ直しても全く何も映らなくなった。今もテレビは見れないままだ。
さらに初夏6月のある日、水道が蛇口をひねっても出なくなり、これは水道代を滞納してるから止められたか!!とキレて水道局に電話したらば、そうではなく「漏水」が激しいことが分かったから検針係の人が元栓を停めたことだとわかった。
電話したのですぐに水道局の職員が来て、庭先地中の検針メーターを開けて、中のバルブを回して開いてくれた。
見ると確かにメーターのパイロットの銀色のコマがくるくると激しく回っている。
職員曰く、「この回り方は、たらたら漏れているとかではなく、蛇口を全開にしているとしか思えないほど」と言う。よって、検針の人が異常な使用量に気づいて、その場で緊急的に止めたのだった。
実際聞かれたが、その時どこも水道は使っていない。ということは、どこか床下とか地中で今もずっと漏れていることになる。
また面倒な事になった。
ともかくまたバルブは閉め直して、まず家の中じゅうくまなく水回りをキッチンからトイレ、風呂場などあちこち確認していくことにした。増築したこの家には風呂もトイレもキッチンも上下何か所もある。
が、どこも水漏れしている様子はない。だいたいそんな大量に勢いよく漏れているとしたらば、いつからかわからなくても家のどこであろうと辺り一面水浸しになってすぐさま気がつくはずだろう。
ということは、やはり地中とかのどこかで配管が破断したのか、これはまた確認するのに業者を呼ばねばと、暗澹たる気持ちになった。
ともかくすごい勢いで水漏れしているのを知りながら水道を使うことはできない。
仕方なく空の4リットルの焼酎のペットボトル何本かに水を溜めて、それを使うことにしてまたバルブは停めた。しかし早く何とかしないとトイレも使えないではないか。いったいどこから漏水してるのか。
《もう一回続く》
9月も半ば過ぎたというのに、いっこうに涼しくならず連日の猛暑が続く。一昨日も朝から熱中症警戒警報が市のスピーカーから流れていたが、ようやく昨日から朝の雨の後、曇りがちで気温も下がり涼しい風も吹いてやや秋めいてきた。
むろんまだ晴れれば真夏の陽射しが戻るだろうし、本格的に秋めいてくるのは、来月になるかとも思う。それでも少し今日は涼しくてほっと一息ついている。
このところまたライブ通いが始まった。かけこみ亭での敬愛する、佐藤GWAN博さんに続いて、一昨日の土曜は、豊田勇造の荻窪の民家でのライブに顔出してきた。
勇造さんから元気と勇気をもらったということもあるが、父の死後、昨年から続いていた我の多事災難、トラブルからようやく抜け出しつつあるのでまずそのことを書いていきたい。
そして年内の我が企画などについても。
人生にはツイテないとき、トラブルが多発し不運、不遇の時が誰にも来るのかわからないが、我には去年から今夏にかけて、なんで次々とどうしてトラブルが多発するのか、神を呪いたい気持ちにさえなるようなことが続いた。それも経済的に痛いことばかり起きた。
とても全部はあからさまに書けないが、増えすぎた猫問題に関するトラブルや、我を敵視するご近所からの嫌がらせ騒動などは既にここにも少し書いたが、それ以外に個人的な、家内のトラブルがさらに相次いだ。
年明けの、今使っている富士通のパソコンのモニターが壊れて、交換修理となり、保証期間内だから無料と思ってたら、画面の交換だけで10万近くかかったことは書いたかと思う。
以後も次々と家電が壊れて、電子レンジは今も壊れたままだし、居間のテレビも長年使ってきて、スイッチがなかなか入らなかったり画面がちらつきだしたのを我慢して視ていたら、7月の頭に、突然画面が暗くなって切れて、いくらスイッチ入れ直しても全く何も映らなくなった。今もテレビは見れないままだ。
さらに初夏6月のある日、水道が蛇口をひねっても出なくなり、これは水道代を滞納してるから止められたか!!とキレて水道局に電話したらば、そうではなく「漏水」が激しいことが分かったから検針係の人が元栓を停めたことだとわかった。
電話したのですぐに水道局の職員が来て、庭先地中の検針メーターを開けて、中のバルブを回して開いてくれた。
見ると確かにメーターのパイロットの銀色のコマがくるくると激しく回っている。
職員曰く、「この回り方は、たらたら漏れているとかではなく、蛇口を全開にしているとしか思えないほど」と言う。よって、検針の人が異常な使用量に気づいて、その場で緊急的に止めたのだった。
実際聞かれたが、その時どこも水道は使っていない。ということは、どこか床下とか地中で今もずっと漏れていることになる。
また面倒な事になった。
ともかくまたバルブは閉め直して、まず家の中じゅうくまなく水回りをキッチンからトイレ、風呂場などあちこち確認していくことにした。増築したこの家には風呂もトイレもキッチンも上下何か所もある。
が、どこも水漏れしている様子はない。だいたいそんな大量に勢いよく漏れているとしたらば、いつからかわからなくても家のどこであろうと辺り一面水浸しになってすぐさま気がつくはずだろう。
ということは、やはり地中とかのどこかで配管が破断したのか、これはまた確認するのに業者を呼ばねばと、暗澹たる気持ちになった。
ともかくすごい勢いで水漏れしているのを知りながら水道を使うことはできない。
仕方なく空の4リットルの焼酎のペットボトル何本かに水を溜めて、それを使うことにしてまたバルブは停めた。しかし早く何とかしないとトイレも使えないではないか。いったいどこから漏水してるのか。
《もう一回続く》
人生が動き出した感あり・続き ― 2024年09月25日 23時30分58秒
★漏水騒動は、意外に簡単に解決した。が・・・・
我が家は、公道に面して、前と後ろの棟を時間差で建てて、連結した建物なのだが、水道の止水栓もそれぞれ別になっている。
二つの止水栓をそれぞれ閉めて、どちらの棟で漏水が起きているのかを確認してみた。
すると、裏の方の栓を閉めれば、表側の棟では水漏れしていないことがわかった。水道のメーターのパイロットのコマは回らない。
となると裏側のどこかで、地中も含めて漏れていることとなる。
で、また再度トイレから風呂場、流しなど裏側の棟の中の水回りをすべてくまなく調べてみた。むろん、いったん水は停めてである。
そしたらば、裏の棟一階のキッチンの流しのレバーが原因のように思えてきた。
裏の棟は、一階、二階ともワンルームのような作りで、それぞれガス台、水道、トイレがあり、小さいキッチンも付いている。
親たちが生きていた頃は、その部屋は、彼らの寝室だったのだが、いまは、一階はフロア全体が、完全に猫部屋と化して何匹もの猫たちがそこで暮らしている。我は、そこに餌を運ぶのが日課なのだ。
そこのキッチンの水道の蛇口は、昔ながらの廻して捻るノブ式ではなく、簡便な上げ下げだけですぐ水が出るレバー式の新型のものであった。
水を元栓から停めているので確認できなかったが、それが上がってた気がした。※確かレバーを上げると水が出る仕組みだったと覚える。
ともかくそれがもう二度と動かないように、ガムテープでぐるぐる巻いて固定して、また庭に出て検針メーターを確認した。止水栓を開いてもパイロットは回っていない。
それからしばらく時間おいて何度も確認してみたが、もう漏水は起きていない。ということは、その一階裏の部屋のキッチンの流しから、ずっと水が出ていたのだ、流れてる水はそのままシンクに落ちてるから、床とか水浸しにはならない。
漏水騒動の原発箇所は、そこであった。では何故にレバーが動いたのか。原因というか、犯人は、猫であろう。その部屋には猫しかいないのだから、レバーを動かしたのは猫しかいない。我はもう何年もそのキッチンは使っていいのだから。
で、その漏水した水道代、使用料は、通知の紙を確認したら、なんとなんと、約18万5千円とあった。
二か月ごとの支払いとしても18万5千円!!!!!!!!!!!!!! まさにアンビリバボー である。
水道局に電話して、まず水漏れ自体は、原因がわかり解決したことを伝えて、とてもそんな金額では払えないと伝えた。何とか料金減免処置はないものか、と。
対応した局員の話だと、地中などでの漏水の場合は、その工事対応した業者が作業を終えた後で、申請書類を出せば、いくらか減免はあるとのこと。
しかし、今回は、家屋の中でのことなので、業者にも頼んでいないし、全てこちら側の過失なのだから、減免は無理だと言う。まあ、それも通りだ。抗っても仕方ないか。
けっきょく分割払いにしてもらうことにして、7月から4回だかに分けて、届いた振込用紙で支払うことに合意した。既にもう一回目の4万弱は金かき集めて支払った。
しかし、いったいいつから水は流れ出ていたのだろう。毎日、短時間でもその裏の猫部屋に入っていたのだから、流し台は奥のほうにあるとしてもずっと水が出ている音に我はどうして気がつかなかったのか、自問しても答えにならない。
実は、先のパソコンのモニター交換も原因は、猫であった。今だから明かすと、猫がモニターのディスプレイ画面にマーキングの尿をかけたのが壊れた原因だった。
百害あって一利なし、という言葉があるが、猫の利はいくらかあるとして百害とは言わないまでも、いったいどれだけ猫たちの為に被害金額がかさむのであろうか。嘆息するしかなかった。
我が家は、公道に面して、前と後ろの棟を時間差で建てて、連結した建物なのだが、水道の止水栓もそれぞれ別になっている。
二つの止水栓をそれぞれ閉めて、どちらの棟で漏水が起きているのかを確認してみた。
すると、裏の方の栓を閉めれば、表側の棟では水漏れしていないことがわかった。水道のメーターのパイロットのコマは回らない。
となると裏側のどこかで、地中も含めて漏れていることとなる。
で、また再度トイレから風呂場、流しなど裏側の棟の中の水回りをすべてくまなく調べてみた。むろん、いったん水は停めてである。
そしたらば、裏の棟一階のキッチンの流しのレバーが原因のように思えてきた。
裏の棟は、一階、二階ともワンルームのような作りで、それぞれガス台、水道、トイレがあり、小さいキッチンも付いている。
親たちが生きていた頃は、その部屋は、彼らの寝室だったのだが、いまは、一階はフロア全体が、完全に猫部屋と化して何匹もの猫たちがそこで暮らしている。我は、そこに餌を運ぶのが日課なのだ。
そこのキッチンの水道の蛇口は、昔ながらの廻して捻るノブ式ではなく、簡便な上げ下げだけですぐ水が出るレバー式の新型のものであった。
水を元栓から停めているので確認できなかったが、それが上がってた気がした。※確かレバーを上げると水が出る仕組みだったと覚える。
ともかくそれがもう二度と動かないように、ガムテープでぐるぐる巻いて固定して、また庭に出て検針メーターを確認した。止水栓を開いてもパイロットは回っていない。
それからしばらく時間おいて何度も確認してみたが、もう漏水は起きていない。ということは、その一階裏の部屋のキッチンの流しから、ずっと水が出ていたのだ、流れてる水はそのままシンクに落ちてるから、床とか水浸しにはならない。
漏水騒動の原発箇所は、そこであった。では何故にレバーが動いたのか。原因というか、犯人は、猫であろう。その部屋には猫しかいないのだから、レバーを動かしたのは猫しかいない。我はもう何年もそのキッチンは使っていいのだから。
で、その漏水した水道代、使用料は、通知の紙を確認したら、なんとなんと、約18万5千円とあった。
二か月ごとの支払いとしても18万5千円!!!!!!!!!!!!!! まさにアンビリバボー である。
水道局に電話して、まず水漏れ自体は、原因がわかり解決したことを伝えて、とてもそんな金額では払えないと伝えた。何とか料金減免処置はないものか、と。
対応した局員の話だと、地中などでの漏水の場合は、その工事対応した業者が作業を終えた後で、申請書類を出せば、いくらか減免はあるとのこと。
しかし、今回は、家屋の中でのことなので、業者にも頼んでいないし、全てこちら側の過失なのだから、減免は無理だと言う。まあ、それも通りだ。抗っても仕方ないか。
けっきょく分割払いにしてもらうことにして、7月から4回だかに分けて、届いた振込用紙で支払うことに合意した。既にもう一回目の4万弱は金かき集めて支払った。
しかし、いったいいつから水は流れ出ていたのだろう。毎日、短時間でもその裏の猫部屋に入っていたのだから、流し台は奥のほうにあるとしてもずっと水が出ている音に我はどうして気がつかなかったのか、自問しても答えにならない。
実は、先のパソコンのモニター交換も原因は、猫であった。今だから明かすと、猫がモニターのディスプレイ画面にマーキングの尿をかけたのが壊れた原因だった。
百害あって一利なし、という言葉があるが、猫の利はいくらかあるとして百害とは言わないまでも、いったいどれだけ猫たちの為に被害金額がかさむのであろうか。嘆息するしかなかった。
苦難苦境のときは、過ぎ去り?て・・・ ― 2024年09月26日 01時37分05秒
★主よ、我をこれ以上試みにあわすなかれ、と
水道の「漏水」騒動は意外にすぐ解決した。※が、未だ支払いは、分割にせよ10数万残っているのだ!
やれやれと思ったら、ふと気づくと玄関わきの四畳半の洋室のエアコンが冷えない。
風は出ているのだが、ちっとも冷えない。外の室外機からは、通常は生暖かい風が出るのに、ひんやりしている。
気がついたのが、6月の7日で、翌日、買ったヤマダ電機に電話した。
その部屋は、母を見送り、その後は、父の寝室となっていた部屋で、玄関脇にあるので、医師や看護師の訪問には簡便なため、狭いが折り畳みベッドを置いて今は亡き父母たちの寝室にしていたのだ。※現在は主に猫たちの居住スペースと化している。
2011年に我家を増改築したときに付けたその部屋のエアコンが壊れたので、父の死の約一年前に近くのヤマダ電機に行き、迷ったが一番安かったヤマダオリジナル、の、としてH社のエアコンを買い5年保証も付けてもらった。
父が死ぬまでは無事稼働していたのだが、一年後に冷えない不具合が出て、ヤマダに電話したら修理業者が来て室内外機とも新品に、無料で交換してくれた。
そのエアコンがまた今年の6月、夏を前にして突然冷えなくなったのだ。風は出ているが、冷風にならない。
それから何度修理依頼の電話をしたことか。何回も修理業者が来たもののエアコンは冷えないままなのである。
最終的に今、現時点では冷えるようになったが、9月も半ばになってからだ。この夏三か月、ただ送風だけで過ごした。
思い出してもうんざりするが、経緯をできるだけ簡単に記す。
・6月18日 ヤマダ電機が手配した修理業者が来て、いろいろ調べて、以前の施工業者の配管ミス、と言い、外の配管をあれこれいじって帰った。が、エアコンは送風にはなるが冷えないまま。
・6月25日 また別の修理業の若い男が来て、外の室外機からエア漏れだとして、パイプの繋ぎ目をいじって一時は冷えるようになった。
が、一晩過ぎたらまたただの送風となってまた冷えなくなった。
・7月2日 同じ若い男が来て、また室外機をいじってたが、「わかんねーよ」とかぶつぶつ言いながら、繋ぎ目のパーツが今手元にないので直せない、後ほどまた別な人が来ると言って、直らないままに。
・7月12日 今度は、下請けの修理業者ではなく、エアコンのメーカーH社からサポート担当の人が来て室外機を細かく点検・確認。やはりエア漏れ起こしているので、その室外機じたい交換することになり、また後日に。
・7月23日 そのH社のサポート担当者が来て、外の室外機を新品に交換した。これで、もうようやく直った!と安堵したのだが、翌日またも冷えなくなり相変わらず送風のままに。
・8月8日 同じH社のサポートの人が来て、再度点検・確認。交換した室外機からもまたエア漏れがあると確認して、室内のも含めて室内外機すべてを交換することに。ただし、製品を発注かけてもお盆休みに入るので作業はお盆明けに、と。そして以降、9月になってしまった。なかなか連絡もない。
・9月17日 さすがに痺れ切らして、ヤマダ電機に苦情の電話して、このままなら、消費者庁に欠陥商品として通告すると伝えたら、ようやくそのH社のサポート担当が来て、室内外機すべて新品に交換終了。そして現時点では問題なく稼働し冷えている。
が、このところ長く続いた猛暑もやっと過ぎ去り、急に涼しくなってきたので、実質的に、猛暑対策としての冷房として使えたのは、5日もなかった。けっきょくこの夏三か月間、6月から9月までずっとそのエアコンは直らず、送風のままであった。
呆れた話である。書いてても有り得ないことだと思うが、事実だからそのまま記した。
そのH社が中国メーカーだから、ダメだとか断言はできない。日本のエアコン専門メーカーでも今はみな海外製造であり、たぶん中国や東南アジア諸国でつくっている。
が、二回目に来た若い修理下請けの男が言っていたが、このメーカーのはすぐに壊れる、直っても壊れやすいから諦めて別の専門メーカー、D社とか日本の会社のにしたほうが良い、という「忠告」は正しかったように思える。
他のメーカーより一万円ぐらい安いからそのヤマダオリジナルのを選んでしまいやはり後悔している。
我が家には、他にもエアコンがあるが、二階の大広間やキッチンで使っている東芝製のは、2011年に設置してから一度も壊れることなく、やや冷えなくなってきた感あるものの問題なく今も使えている。
まあ、幸いメーカー保証期間内だったので、こちらは出費はなかったから幸運だったものの、このエアコン騒動で何が辛かったかというと、何度も何度もその都度電話したこともだが、修理訪問日が決まるたび、庭のクルマを出して近くのドラッグストアに置いて、室外機の周りの荷物、がらくた類をぜんぶ移動させて、脚立が置けるほどのスペースを毎回造ことだった。何度も何度も繰り返してまさに汗まみれになった。何回修理しても直らぬことに精神的にも体力的にも疲弊した。
今は無事エアコンは壊れずに稼働しているが、正直なところまたいつ不具合起きるか心底不安かつ疑心でいる。
無償での保証期間が終わって壊れたらば、つぎは、日本の専門メーカーのに替えることにする。
その他にもいくつもの家電類がこの春から壊れた。なんで次々とこうした不具合が続くのか。そんなこんなで我は、教会にもなかなか行けなかったが、ただ神に祈るしかなかった。「主よ、どうか我をこれいじょう試みにあわせないでください」と。
水道の「漏水」騒動は意外にすぐ解決した。※が、未だ支払いは、分割にせよ10数万残っているのだ!
やれやれと思ったら、ふと気づくと玄関わきの四畳半の洋室のエアコンが冷えない。
風は出ているのだが、ちっとも冷えない。外の室外機からは、通常は生暖かい風が出るのに、ひんやりしている。
気がついたのが、6月の7日で、翌日、買ったヤマダ電機に電話した。
その部屋は、母を見送り、その後は、父の寝室となっていた部屋で、玄関脇にあるので、医師や看護師の訪問には簡便なため、狭いが折り畳みベッドを置いて今は亡き父母たちの寝室にしていたのだ。※現在は主に猫たちの居住スペースと化している。
2011年に我家を増改築したときに付けたその部屋のエアコンが壊れたので、父の死の約一年前に近くのヤマダ電機に行き、迷ったが一番安かったヤマダオリジナル、の、としてH社のエアコンを買い5年保証も付けてもらった。
父が死ぬまでは無事稼働していたのだが、一年後に冷えない不具合が出て、ヤマダに電話したら修理業者が来て室内外機とも新品に、無料で交換してくれた。
そのエアコンがまた今年の6月、夏を前にして突然冷えなくなったのだ。風は出ているが、冷風にならない。
それから何度修理依頼の電話をしたことか。何回も修理業者が来たもののエアコンは冷えないままなのである。
最終的に今、現時点では冷えるようになったが、9月も半ばになってからだ。この夏三か月、ただ送風だけで過ごした。
思い出してもうんざりするが、経緯をできるだけ簡単に記す。
・6月18日 ヤマダ電機が手配した修理業者が来て、いろいろ調べて、以前の施工業者の配管ミス、と言い、外の配管をあれこれいじって帰った。が、エアコンは送風にはなるが冷えないまま。
・6月25日 また別の修理業の若い男が来て、外の室外機からエア漏れだとして、パイプの繋ぎ目をいじって一時は冷えるようになった。
が、一晩過ぎたらまたただの送風となってまた冷えなくなった。
・7月2日 同じ若い男が来て、また室外機をいじってたが、「わかんねーよ」とかぶつぶつ言いながら、繋ぎ目のパーツが今手元にないので直せない、後ほどまた別な人が来ると言って、直らないままに。
・7月12日 今度は、下請けの修理業者ではなく、エアコンのメーカーH社からサポート担当の人が来て室外機を細かく点検・確認。やはりエア漏れ起こしているので、その室外機じたい交換することになり、また後日に。
・7月23日 そのH社のサポート担当者が来て、外の室外機を新品に交換した。これで、もうようやく直った!と安堵したのだが、翌日またも冷えなくなり相変わらず送風のままに。
・8月8日 同じH社のサポートの人が来て、再度点検・確認。交換した室外機からもまたエア漏れがあると確認して、室内のも含めて室内外機すべてを交換することに。ただし、製品を発注かけてもお盆休みに入るので作業はお盆明けに、と。そして以降、9月になってしまった。なかなか連絡もない。
・9月17日 さすがに痺れ切らして、ヤマダ電機に苦情の電話して、このままなら、消費者庁に欠陥商品として通告すると伝えたら、ようやくそのH社のサポート担当が来て、室内外機すべて新品に交換終了。そして現時点では問題なく稼働し冷えている。
が、このところ長く続いた猛暑もやっと過ぎ去り、急に涼しくなってきたので、実質的に、猛暑対策としての冷房として使えたのは、5日もなかった。けっきょくこの夏三か月間、6月から9月までずっとそのエアコンは直らず、送風のままであった。
呆れた話である。書いてても有り得ないことだと思うが、事実だからそのまま記した。
そのH社が中国メーカーだから、ダメだとか断言はできない。日本のエアコン専門メーカーでも今はみな海外製造であり、たぶん中国や東南アジア諸国でつくっている。
が、二回目に来た若い修理下請けの男が言っていたが、このメーカーのはすぐに壊れる、直っても壊れやすいから諦めて別の専門メーカー、D社とか日本の会社のにしたほうが良い、という「忠告」は正しかったように思える。
他のメーカーより一万円ぐらい安いからそのヤマダオリジナルのを選んでしまいやはり後悔している。
我が家には、他にもエアコンがあるが、二階の大広間やキッチンで使っている東芝製のは、2011年に設置してから一度も壊れることなく、やや冷えなくなってきた感あるものの問題なく今も使えている。
まあ、幸いメーカー保証期間内だったので、こちらは出費はなかったから幸運だったものの、このエアコン騒動で何が辛かったかというと、何度も何度もその都度電話したこともだが、修理訪問日が決まるたび、庭のクルマを出して近くのドラッグストアに置いて、室外機の周りの荷物、がらくた類をぜんぶ移動させて、脚立が置けるほどのスペースを毎回造ことだった。何度も何度も繰り返してまさに汗まみれになった。何回修理しても直らぬことに精神的にも体力的にも疲弊した。
今は無事エアコンは壊れずに稼働しているが、正直なところまたいつ不具合起きるか心底不安かつ疑心でいる。
無償での保証期間が終わって壊れたらば、つぎは、日本の専門メーカーのに替えることにする。
その他にもいくつもの家電類がこの春から壊れた。なんで次々とこうした不具合が続くのか。そんなこんなで我は、教会にもなかなか行けなかったが、ただ神に祈るしかなかった。「主よ、どうか我をこれいじょう試みにあわせないでください」と。
哀れみと慈しみを我に ― 2024年09月28日 22時31分59秒
★義人ヨプでさえ試みにあわす神なのだから
その他の機器類の不具合をざっと記すと。
・テレビは、ずっと画面がちらつき観づらかったのを我慢してたがついに壊れて何も映らないまま放置されている。Amazonで中古のテレビを既に注文して届いているのだが、未だ設置できていない。※楽しみに観ていた「虎と翼」も「光る君へ」も観ることができなくなったままだ。
・電子レンジはスイッチ入らなくなって使用不可のまま。
・トースターは、猫たちが床に落下させて以降、拾い上げてもいない。
・ケータイではなく、元々家にある宅電のブラザー社製のファックス電話機は、この一か月ピーと大きな異音が出て使用できないまま。機械の故障か回線の問題なのかまだ確認もできていない。
・これはトラブルではなく、自然の経年劣化なのだが、この10年以上愛用してきたブリジストン製の業務用自転車の後輪がついに劣化のためスポークが折れ始めて、けっきょく後輪全部を新しいものに交換した。その代金が3万円~。
先の漏水騒動での水道代もだが、こうして次々と出費がかさみ、まさに湯水のごとく金は消えていく。
幸い奇特な友人たちからの暖かい支援はあったし、今現在は何とか直ちに困窮してサラ金に走るような状況ではないからご安心ください。
しかし次々とトラブルが相次ぐとさすがにノンキ者の我でさえいったい何でだ!!と憤り、神をも恨む言質を吐きたくなる。エアコンもだが何故にこんなトラブルが我に続くのか。
が、旧約聖書中の『ヨブ記』を思うとき、誰よりも神を信奉し義しい人であったヨプでさえも、家を倒壊させ家族を奪い、身体に病を与え苦しめる神なのだから、我のこんな苦難は苦難と呼ぶ価値さえない。
そう、人としてナザレのイエスが味わった苦しみと苦難を思えば屁のようなものだ。我には仲間、得難い友もいる。
考えてみれば、電子レンジにしろトースターにせよ、テレビもだが、ないと生きていけないほどすぐさま困るわけではない。ファックス付き宅電も、もう今ではファクシミリなど送ってくる人はいないし、ケイタイさえあれば通話には困りはしない。
テレビがあると、テレビの番組、放送時間に合わせて自分の時間が制約されるので、ないとニュース映像が見れないのは不便だが、逆に時間は自由に使えることに気がついた。
まあ、時間とお金に余裕ができたらまたおいおい必要あらばそれぞれ揃えていくことにして、ともあれ生きていくのには、水道とコンロと灯りさえあればとりあえず十分なのである。それにあとケイタイ一台あれば通信は事足りる。
まあ、パソコンがないとこうして長い文章はなかなか書けないわけだが・・・。
この世に起こることすべては神の愛、神の計らいなのだから、ヒトはただ主に哀れみと慈しみを請い願うだけだ。
我のささやかな苦難、困難のときを乗り越えて、今はただそう思える。
主よ、我に哀れみと慈しみを!!
その他の機器類の不具合をざっと記すと。
・テレビは、ずっと画面がちらつき観づらかったのを我慢してたがついに壊れて何も映らないまま放置されている。Amazonで中古のテレビを既に注文して届いているのだが、未だ設置できていない。※楽しみに観ていた「虎と翼」も「光る君へ」も観ることができなくなったままだ。
・電子レンジはスイッチ入らなくなって使用不可のまま。
・トースターは、猫たちが床に落下させて以降、拾い上げてもいない。
・ケータイではなく、元々家にある宅電のブラザー社製のファックス電話機は、この一か月ピーと大きな異音が出て使用できないまま。機械の故障か回線の問題なのかまだ確認もできていない。
・これはトラブルではなく、自然の経年劣化なのだが、この10年以上愛用してきたブリジストン製の業務用自転車の後輪がついに劣化のためスポークが折れ始めて、けっきょく後輪全部を新しいものに交換した。その代金が3万円~。
先の漏水騒動での水道代もだが、こうして次々と出費がかさみ、まさに湯水のごとく金は消えていく。
幸い奇特な友人たちからの暖かい支援はあったし、今現在は何とか直ちに困窮してサラ金に走るような状況ではないからご安心ください。
しかし次々とトラブルが相次ぐとさすがにノンキ者の我でさえいったい何でだ!!と憤り、神をも恨む言質を吐きたくなる。エアコンもだが何故にこんなトラブルが我に続くのか。
が、旧約聖書中の『ヨブ記』を思うとき、誰よりも神を信奉し義しい人であったヨプでさえも、家を倒壊させ家族を奪い、身体に病を与え苦しめる神なのだから、我のこんな苦難は苦難と呼ぶ価値さえない。
そう、人としてナザレのイエスが味わった苦しみと苦難を思えば屁のようなものだ。我には仲間、得難い友もいる。
考えてみれば、電子レンジにしろトースターにせよ、テレビもだが、ないと生きていけないほどすぐさま困るわけではない。ファックス付き宅電も、もう今ではファクシミリなど送ってくる人はいないし、ケイタイさえあれば通話には困りはしない。
テレビがあると、テレビの番組、放送時間に合わせて自分の時間が制約されるので、ないとニュース映像が見れないのは不便だが、逆に時間は自由に使えることに気がついた。
まあ、時間とお金に余裕ができたらまたおいおい必要あらばそれぞれ揃えていくことにして、ともあれ生きていくのには、水道とコンロと灯りさえあればとりあえず十分なのである。それにあとケイタイ一台あれば通信は事足りる。
まあ、パソコンがないとこうして長い文章はなかなか書けないわけだが・・・。
この世に起こることすべては神の愛、神の計らいなのだから、ヒトはただ主に哀れみと慈しみを請い願うだけだ。
我のささやかな苦難、困難のときを乗り越えて、今はただそう思える。
主よ、我に哀れみと慈しみを!!
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