近況と、このところ思うところを何回かに分けて・② ― 2024年09月01日 23時32分47秒
★ようやく長い夢から覚めたような
9月に入りました。
昨日も。また今日も、終日一昨日のような猛烈な雨が降るような予報は出ていたが、小雨が断続的に降った程度ですんだ。
夕方には、晴れて来て西の空には夕焼けが見えた。
雷雨や強風などの被害がなかっただけでも良しとしたいが、何かはぐらかされたような、天気予報に振り回された気がしている。
ただ、気温も下がってきているはずだが、湿度が高いせいか今夜はともかく蒸し暑い。窓も開けられず室内にいるだけでも汗ばむほどだ。
まずパソコンのことだが、先日ついにウインドウズ11にアップデイトした。
これで以前より起動からブログを書くまで早くなった気がしたが、未だ新しいOSに慣れていないせいもあってか、完全にシャットダウンしていない状態から立ち上げようとしてもやはりかなり時間がかかる。
今夜も、更新が進行中です、電源を入れたままにしてください、との表示が出て、またやたらしばらく待たされた。
やはりパソコン本体自体を買い替えねばならないのかと今思案中だ。
何が苛立つと言って、書きたいことがあり、早くこのブログの書き込み画面を出したいのに、パソコンに向かってもそこまでに漫然と十数分?じっと待たされることだ。そうこうしているうちにその意欲が萎えてきてしまうではないか。
さておき、先ず何から書くべきか。このところ友人知人の訃報が相次いでいる。その方たち一人づつ書いても一回のブログに収まらないと思うので、様々な悼む思いはあるもののまずは自分のことから書いていく。
ドコモかしこも足の踏み場もないゴミ屋敷と化した家の内外のことや、増えすぎた猫問題など未だ解決に至らぬことは相変わらずだが、このところようやく自らの身体にきちんと向き合えるようになってきた。
猛暑の夏でもあることだが、このところ日に何度もシャワーを浴びたり、週に一度は近くの銭湯に通ったりして、素っ裸の吾身の姿を浴室、浴場の鏡に映して見ている。
これは自惚れや贔屓目ではなく、我が身の肉体は、その年齢のわりにはまだじゅうぶん若々しいと思えてきた。
むろん背中は丸く厚くなり、だいぶ猫背気味だが、腹もまだせり出すほどには出ていないし、スポーツはまったくしないから筋肉はないものの贅肉は少なく肉体だけ見れば、二十代の頃とほとんど変わらないように見える。
今は体重も5キロほど増えてはいるが、多忙で一時期より落ちたので、肥満とかメダボとは言われることはない。
ただ顔と白髪だけは年相応の爺むさい風貌で、それに比べれば身体はまだ若々しいということだ。
嗤われるかもしれないが、身体だけ見れば、とても70歳近い老人のそれではない。そのことに気づいてこのところ自信を取り戻している。
あとは、意識的に背筋伸ばして姿勢を常に正していけば、腰の曲がったジジイになることはないだろう。
機能的にも、今はまだ先日のコロナで、まだ咳が残り痰も絡み苦しい時もあるが、体調的にはほぼ万全となってきた。
この2年、いや、もっとかもしれないが、ずっと悩みの種だった右腕の痺れと機能障害もこのところようやく癒えて、まだ筋肉痛的な痛みはあるものの、問題なく自由に動かせる状態になってきた。
腰痛も今はないし、身体だけは今は何も問題ない。
で、なんでこんなしょうもないことを書いてるかというと、ほぼこの10年は、風呂に入ろうが、シャワー浴びようが自分の身体をまじまじと見ることさえなかったからだ。いや、顔すらも鏡にきちんと映したことがなかった。
我が母は、2016年に癌が再発して死んだのだが、その死の前年頃から、介護と世話に追われて、認知症気味の父も健在だったので今よりもともかく忙しかった。
特に死の一年前からは、在宅で我は一人で母を看病していたので、落ち着いて自らがゆったりゆっくり入浴する事すらできなかった。
そして母の死後は、急速に認知症と身体の衰弱が進んでいく超高齢の父の世話にまた追われて、一昨年秋の父の死まで同様の状況が続いていた。
そして今、父の死からまる二年を迎える今に至り、犬猫の世話や家の片づけ等に今も追われてはいるものの、ようやく吾身の肉体を鏡に映してまじまじと見つめ直す余裕も出てきたのだ。
いま思うのは、最愛の母と父の死と、その後の多々後始末と、何もかも一人でやらねばならない孤独な生活への移行と、悪夢とは言えないが、まさにずっと長い夢を見ていた気がする。
そしてようやく、今頃になってその夢から覚めた、のだと。
今もまだともかくやることは山積して目が回るほど慌ただしいし、何ひとつ解決も先も見えはしないが、この吾身、身体だけはまだここにあり、自らに取り戻した気がしている。
内臓はわからないが、アルコールさえ飲みすぎなければ、あと10年はともかくも5年は大丈夫だろう。
先のことは何が起こるかわからないし油断や過信は禁物だが、まだこの身体さえあれば、何でもできると思えてきた。そう、70歳過ぎようとも。※むろん、交通事故や災害など不測の事態に遭い命を落とす可能性も多々あるわけだが、それはそれとして。
親しい方はご存じだろう。我は誰よりもウカツでバカだから、これまで何度も命にかかわるようなケガや事故は起こしてきた。が、幸いにして病気も含めて入院するほどの大ケガ、大病には遭わなかった。
そこに我が神、我が主のご加護があったからだと思うし、ただ神頼みに生きるのではなく、自らも節制して細心の注意で一日一日を丁寧にいきていこうと思う。
こんな我にもまだできること、すべきことがあると信じて。そしてそれは誰にとっても善い喜ばしいことであるように。
9月に入りました。
昨日も。また今日も、終日一昨日のような猛烈な雨が降るような予報は出ていたが、小雨が断続的に降った程度ですんだ。
夕方には、晴れて来て西の空には夕焼けが見えた。
雷雨や強風などの被害がなかっただけでも良しとしたいが、何かはぐらかされたような、天気予報に振り回された気がしている。
ただ、気温も下がってきているはずだが、湿度が高いせいか今夜はともかく蒸し暑い。窓も開けられず室内にいるだけでも汗ばむほどだ。
まずパソコンのことだが、先日ついにウインドウズ11にアップデイトした。
これで以前より起動からブログを書くまで早くなった気がしたが、未だ新しいOSに慣れていないせいもあってか、完全にシャットダウンしていない状態から立ち上げようとしてもやはりかなり時間がかかる。
今夜も、更新が進行中です、電源を入れたままにしてください、との表示が出て、またやたらしばらく待たされた。
やはりパソコン本体自体を買い替えねばならないのかと今思案中だ。
何が苛立つと言って、書きたいことがあり、早くこのブログの書き込み画面を出したいのに、パソコンに向かってもそこまでに漫然と十数分?じっと待たされることだ。そうこうしているうちにその意欲が萎えてきてしまうではないか。
さておき、先ず何から書くべきか。このところ友人知人の訃報が相次いでいる。その方たち一人づつ書いても一回のブログに収まらないと思うので、様々な悼む思いはあるもののまずは自分のことから書いていく。
ドコモかしこも足の踏み場もないゴミ屋敷と化した家の内外のことや、増えすぎた猫問題など未だ解決に至らぬことは相変わらずだが、このところようやく自らの身体にきちんと向き合えるようになってきた。
猛暑の夏でもあることだが、このところ日に何度もシャワーを浴びたり、週に一度は近くの銭湯に通ったりして、素っ裸の吾身の姿を浴室、浴場の鏡に映して見ている。
これは自惚れや贔屓目ではなく、我が身の肉体は、その年齢のわりにはまだじゅうぶん若々しいと思えてきた。
むろん背中は丸く厚くなり、だいぶ猫背気味だが、腹もまだせり出すほどには出ていないし、スポーツはまったくしないから筋肉はないものの贅肉は少なく肉体だけ見れば、二十代の頃とほとんど変わらないように見える。
今は体重も5キロほど増えてはいるが、多忙で一時期より落ちたので、肥満とかメダボとは言われることはない。
ただ顔と白髪だけは年相応の爺むさい風貌で、それに比べれば身体はまだ若々しいということだ。
嗤われるかもしれないが、身体だけ見れば、とても70歳近い老人のそれではない。そのことに気づいてこのところ自信を取り戻している。
あとは、意識的に背筋伸ばして姿勢を常に正していけば、腰の曲がったジジイになることはないだろう。
機能的にも、今はまだ先日のコロナで、まだ咳が残り痰も絡み苦しい時もあるが、体調的にはほぼ万全となってきた。
この2年、いや、もっとかもしれないが、ずっと悩みの種だった右腕の痺れと機能障害もこのところようやく癒えて、まだ筋肉痛的な痛みはあるものの、問題なく自由に動かせる状態になってきた。
腰痛も今はないし、身体だけは今は何も問題ない。
で、なんでこんなしょうもないことを書いてるかというと、ほぼこの10年は、風呂に入ろうが、シャワー浴びようが自分の身体をまじまじと見ることさえなかったからだ。いや、顔すらも鏡にきちんと映したことがなかった。
我が母は、2016年に癌が再発して死んだのだが、その死の前年頃から、介護と世話に追われて、認知症気味の父も健在だったので今よりもともかく忙しかった。
特に死の一年前からは、在宅で我は一人で母を看病していたので、落ち着いて自らがゆったりゆっくり入浴する事すらできなかった。
そして母の死後は、急速に認知症と身体の衰弱が進んでいく超高齢の父の世話にまた追われて、一昨年秋の父の死まで同様の状況が続いていた。
そして今、父の死からまる二年を迎える今に至り、犬猫の世話や家の片づけ等に今も追われてはいるものの、ようやく吾身の肉体を鏡に映してまじまじと見つめ直す余裕も出てきたのだ。
いま思うのは、最愛の母と父の死と、その後の多々後始末と、何もかも一人でやらねばならない孤独な生活への移行と、悪夢とは言えないが、まさにずっと長い夢を見ていた気がする。
そしてようやく、今頃になってその夢から覚めた、のだと。
今もまだともかくやることは山積して目が回るほど慌ただしいし、何ひとつ解決も先も見えはしないが、この吾身、身体だけはまだここにあり、自らに取り戻した気がしている。
内臓はわからないが、アルコールさえ飲みすぎなければ、あと10年はともかくも5年は大丈夫だろう。
先のことは何が起こるかわからないし油断や過信は禁物だが、まだこの身体さえあれば、何でもできると思えてきた。そう、70歳過ぎようとも。※むろん、交通事故や災害など不測の事態に遭い命を落とす可能性も多々あるわけだが、それはそれとして。
親しい方はご存じだろう。我は誰よりもウカツでバカだから、これまで何度も命にかかわるようなケガや事故は起こしてきた。が、幸いにして病気も含めて入院するほどの大ケガ、大病には遭わなかった。
そこに我が神、我が主のご加護があったからだと思うし、ただ神頼みに生きるのではなく、自らも節制して細心の注意で一日一日を丁寧にいきていこうと思う。
こんな我にもまだできること、すべきことがあると信じて。そしてそれは誰にとっても善い喜ばしいことであるように。
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