.ウディさんとの思い出・続き2024年09月03日 11時37分01秒

★まさに我と同類・同好の士であった。

 その後、我はそこ、かけこみ亭で、護憲と反戦平和のための「共謀コンサート」なるものを企画・開催することになり、ウディ氏にも声をかけた。
 彼はきさくに応じてくれて、何回か登場し、ステキな歌声に加えてブルースハープを吹きまくってくれた。
 そして次第に彼個人についてもわかってくる。氏の本業は植木屋さんであった。
 あるときのコンサートのとき、彼は、仕事帰りとのことで、作業着といいうか、仕事着のまま現れた。その姿に驚いた。
 手甲脚絆というのだろうか、今でも消防士たちが正月など昔の火消しの姿で、高いハシゴの上でアクロバットな舞を披露するときのような恰好、つまりタイトなパッチ姿であった。おまけに、足元は地下足袋であったと記憶する。

 フツー、そういう恰好は、ダサいというかあまりカッコ良くないはずだが、無駄な贅肉など一切ない引き締まったウディ氏のその姿は、見惚れてしまうほどカッコよかった。
 今でも植木屋にはそうした姿で作業する人は多いのか我は知らない。が、まさに彼には似合っていて恰好からも彼の仕事ぶりが想像された。素晴らしく的確な仕立てを颯爽とされるに違いないと。

 また打ち上げや幕間のとき話しているうちに、彼はギターの愛好家というか、収集家、つまりコレクターであることもわかった。訊けば手持ちのギターは、100本!!!だと言う。びっくりした。
 じっさいに彼のご自宅などて見たわけでもないし、どういうギターをお持ちであるのかは知らないしわからない。
 ただ、高級なそれではないようで、彼が語るのを聴く限り、ハードオフや古道具屋、リサイクルショップ等で安値になってるジャンクギターの中から掘り出し物をみつけては買い集めてくるようであった。
 あるときのコンサートのとき、仕事帰りに偶然立ち寄ったリサイクルショップで、かなり昔のものだが、国産のビンテージギターをバカ安で二本手に入れられたと嬉しそうに話していたのを思い出す。
 むろんそういうワケありのギターは、そのままでは使い物にならない。だから店頭でジャンク品として格安で出されている。
 彼は、それらを自ら手を加えて、ペグの修理、ブリッジの高さから反りまで細かく調整してきちんと鳴るよう、使用できるように仕立てるのである。そういうことが出来る方で、それを趣味としてのギター収集であったと我には思える。素晴らしいことだ。

 実は私事だが、我もまた中古ギターは約30本持っている。きちんと数えたわけではないし、全体数はいったい何本なのか定かではないが、完全なジャンクも含めればおそらくその数はあるだろう。氏の100本にはとてもかなわないが。
 我もまた以前はあちこちのリサイクルショップやハードオフの類の店に出向いては、格安に出ているジャンクギターの中から、出物を探し出し買い求めるのがとても好きだった。
 が、ウディ氏と違うのは、我はとことん不器用で、そうしたギターを修理したり調整することは苦手で、いじってはみたものの直せないでいるギターも多々ある。時間が無くなったこともあるが、我には元々そういうメンテナンスや調整する能力が欠落していると気づく。
 今思うと、ハーモニカもだが、我と彼とは趣味嗜好がほぼ同じで、違うのは、テクニックも含めて彼の方が全てが上でさらにマニアックであったということだ。我は足元にも及ばない。
 マニアックという以前に、何もかも全てにこだわりのある、誰よりもスタイリッシュかつダンディな素敵で偉大な生き方の人であった。そんな人は我には他にいなかった。

 コンサートの時だけでなく、もっと個人的にも親しくなり、ジャンクギターの修理修繕のノウハウ等をもっと指南してもらえば良かった、と今心から思う。じっさいちょっと話した限りでは、カンタンな事だよ、まず弦のバランスを確認して云々とか話してくれたが、ライブの最中で慌ただしくそのままになってしまった。
 いま、我以外にそんな趣味の人はまずいないと思っていた、ハーモニカとギター収集という希少かつ偉大な同好の仲間を失い、哀しみ以前に深い欠落感というか、もっと個人的にも関りを持っておくべきであったのだ、と強い後悔の念に苛まれている。

 彼のフェイスブックに、ご家族が告知された情報によると、突然の心筋梗塞での急逝だそうで、まさに突然起こった予期せぬ不測の事態にさぞや当人も驚き戸惑い苦しまれたことかと思う。
 主は何故にあんな素晴らしい善い人にこんなことをされるのかと問い憤りさえ覚える。ウディ氏の魂よ、安かれとただ祈るしかない。
 思い出を書きながら少しだけ泣いた。

 一つだけ気になるのは、その100本の遺されたギターは、友人知人たちが遺品として持ち帰られると訊いたが、もしもどうしても残ってしまい、ゴミとして処分するしかないものが出たのならば、我もまたそれらを頂きたい、捨てられるのならば全て引き取りたいと思っている。
 それが偉大な亡き同好の友に報いることだと思ふ。

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