11月も今日で終わる。残すは今年もあと一か月2024年11月30日 22時21分35秒

★自らに問いかける、まず為すべきことを終えてからではないのかと

 気がつけばもう真冬の寒さに。朝夕は吐く息が白く見えるほど寒くなった。トレーナーだけでは風邪をひく。慌てて冬用のコート、ジャンパー類をいま探しまくっているところだ。

 今日で11月も終わり今年も残すはあと一か月となる。
 その12月には、8日、15日と、我が責任者として関わるイベントが日曜ごとに続いている。
 これをともかく無事に盛況のうちに終わらせないと、年も越せないし年末年始の気分どころではない。
 が、このところブログも空いてしまっていたのは、パソコンの不具合もあるけれど、ややウツウツとして気持ちが内向していたからだ。

 きっかけの一つは、友人からのメールで、何故働きもしないのに、あれこれ苦境を言い立てつつもまた新たなイベントや企画をするのか、という苦言というか、お叱りのご意見であった。
 まさに忌憚ないご意見お言葉で、我を思っての忠言だと有難く思い頂く。実際そういう耳に痛いお言葉を我に面と向かってきちんと忠告してくれる人はまずいない。
 そう、まず為すべきことは、きちんと新たな稼ぐ道筋を築いてからだと自分でも思う。収入も途絶えている状態で、なんでまた新たに金のかかる、時間とられることに手を出すのか。そんな余裕はどこにあるのか。
 友は言う、たとえ障害があろうと、皆それぞれ何とか働いているし、まず生活の基盤を築いてからすべては始めるべきでないのか、と。
 まさに正論であり、実のところ我が内にいる、良心というべき社会性ある人格は常にそのことを我に問いかけ、責め続けているのだ。
 まず為すべきことを終えてからではないか、何事も、と。
 あるいは、まず仕事しつつその傍ら、やりたいことを時間つくってその時間あるときにやるべきだと。

 が、我の脳内の病気というか、性向として、それが出来たことはない。世の中には同時進行的に、いくつもの難題課題を抱えてそれぞれに適切的確に関わり進めて処理対応できている人はいるし、じっさい知人にもいる。
 我は、脳の機能障害、発達障害なのかともかく、物心ついたときから常に一つのことだけしかできないのだ。いや、一つのことすらきちんとできたことがない。
 もし我が、どこかに仕事に出かけて、一つの仕事を責任もって任されたりすれば、まず当面はそのことだけで手いっぱい、精神的にも精一杯となってしまい、とても趣味としも責任あるイベントの企画など不可能であろう。それはこれまでの人生経験からも間違いない。
 何であれ常に一つのこと、一つづつ順にしかできないのが我であり、自分でも何でこうなのか!!と呆れ自問するが、何か眼前のことに囚われてしまうともうそれしか考えられないのである。
 つまり、まず今気になる頭悩まず目前のこと、喫緊のことを終えない限り、次のこと、別のことには頭も行動も切り替われない。
 今は、我のような年代、高齢者でも、人て゛不足の社会だからおそらく選り好みしなければ仕事はいくらでもあるだろう。が、まずそうして定収を得たとして、休みの日に我は自らの趣味のことに向き合えるかと考えるとまずそれは不可能だと思える。
 おそらくその週一、あるいは二日の休日には疲れ果てて、ひたすら寝坊して、溜まった家事や掃除などだけで一日が終わり、とてもイベントの企画やその本番当日を迎えられるとは絶対に思えない。その確信がある。
 そんな器用な、いくつも同時同様にこなせる体力気力、能力も我には昔からないのは自分こそわかっている。そう、一つのことすらきちんとできない人間が、だ!!

 つまり、友が我に求める、平日はそうしたどこかに働きに出つつ、傍ら休日にイベントやコンサートの企画や出演も、など両立は我には絶対不可能であり、もし、我もどこかに仕事に就き、警備員でも交通誘導の仕事でも仕事を今し始めたら、もはや音楽活動も含めて、その仕事している期間は一切何もできないことは間違いないのである。

 そう、確かに、ヒトとしてまず為すべき当たり前のことをきちんとやって、生活の基盤を確立してから、趣味的な事にとりかかるべきなのである。それは我が内なる「社会的良心」、常識人が常に我に問い求めていることだ。
 が、これまでの内職的な仕事、家でできるネット上の仕事ならともかくも、どこかに出かけて他者と共に働く仕事に今就いたら、もう我はその期間は一切何もイベントの企画のみならずおそらくブログのようなことすら何もできないだろう。
 むろんこれでいいなんて毫も思っていない。ともかくどんな手段にせよ早く金を稼ぐ手法を見つけない限り、ほんとうに生活できなくなるし人生は終わりになってしまう。まさに困窮死して死まう。
 それはわかっているからこのままでいいとかなんとかなるなんて思っていない。ただ、先のことはわからないからこそ、先延ばしにせず、今できる、すべきことをまず優先しただけのことだ。
 このところやや年上ではあったけれど、周りの友人知人たちが相継いで鬼籍に入り、我の人生も残りすく無くなってきた感がひしひしとしている。
 人生が生きているウチの間のものだからこそ、どれほど生活が困窮しようとも、我は我の人生を形ある、為すべきものにしたいと願う。
 自らの生活だけではなく、カタチや行為としてその思いを世に残したいと願う。いや、残らなくてもかまわない。そうしたアクションをしたいと思う。
 人生が残りすくなくなってきた今だからこそ、我ができる、為すべきことを一つでもしていきたい。むろんそれが実を結ばなくても仕方ない。が、大事なことは、結果よりも、まず種を蒔くことではないのか。
 まだ蒔きたい種や、耕したい土地はいくらでもある。我の生活や実人生なんて本当にどうでもいい。そこに意味も価値も未練も我には何もない、
 我をとりまく、この無意識の悪意や敵意に満ちた世界に対して、まだ為すべきことと異議申し立てしたいことがいっぱいある。
 ます゛それを誰よりも無能で不器用な我だけれど、一人でやっていく。

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