太田三造コンサート2024年12月06日 12時59分11秒

!★いよいよ明後日12月8日です!!

12月15日、第二回フリマ&フォークコンサートのお知らせ2024年12月11日 22時32分12秒

★どなたでもお気軽にお越しください。

 先にお知らせした8日の、かけこみ亭での「太田三造初CD作成支援コンサート」は、おかげさまで熱烈なファン、支援者が集まり無事終了いたしました。
 画像などでそのご報告は後ほどいたしますが、それに引き続き今度の日曜に、10月27日の第1回目のリベンジ?として、2回目のイベントをまた同じ場所で開催します。

 開場は午前11時頃からですが、コンサートは、午後12時半からの予定です。休憩を挟んで夕方までやってると思います。
 出演者が少ないかもしれないので、飛び入り参加も可能かと。野菜や玄米の即売会などもあります。美味しいカレーもご馳走いたします。

 場所は、あの名門スピーカーメーカー、フォステクスの会社、フォスター電機の元社員寮の建物の一階食堂だったホールです。
 入場無料、出入り自由ですので、どなたでもお気軽に覗きに来てください。
 詳しくは、チラシ掲載の番号にお問い合わせを。

音響機材新たにセットしました。2024年12月13日 21時09分21秒

★12月15日の、第二回に向けて

もう一度この人生をやり直す、生き直せたら2024年12月30日 22時07分29秒

★わが生涯、最低最悪の年、2024年。

 先に、二つのイベントの宣伝告知をこの場でもしたのだから、そり結果報告もきちんとしなければならなかった。
 が、今日、今年も明日で終わるという切羽詰まった状況でも拙ブログは、何も更新されぬままだった。
 全く情けなく申し訳なく思う。かつての読者の方も大方呆れ果て、見捨てたことであろう。
 理由の一つに、酷い風邪?をひいてしまいこの一週間近く、まさに寝込んでいたこともある。

 二つのうち、最初のイベント、太田さんのかけこみ亭でのコンサートは、全体的観客は多くはなかったものの、応援ミュージシャンも含めコアなファンが駆けつけてくれて、非情に濃密な、個人的にも面白く意義ある善いコンサートとなった。
 詳しくは、画像を載せて、年は越してしまうが、様子をお知らせしたい。

 が、その一週間後の昭島での、二回目となるフリマとフォークソングのイベントは、まさに惨憺たる状況で、出演側も少なく、観客も前回より少なくほとんど誰も来ず、結果大失敗に終わった。※フリマ自体は、初回よりは収益は出たけれど。
 ずっと心の底に封印して忘れていた、2010年の浅草でのフォークロアセンター40周年記念コンサートの悪夢がよみがえり、その時の気分を久々に思い出しその苦さを再び味わう羽目となった。

 また鬱状態に陥り長く続くかと自ら危惧もしたが、お手伝いしてくれた友人と慰労会を持ち、何とかその危機は脱したかと思えた。
 が、クリスマスの週に入ってから寒さも本格的になったこともあり、風邪だかコロナだかにかかってしまい、熱のせいかフラフラで何もできず、動物たちの餌やりとかごく最低限の業務だけは何とか終えると、日々断続的に朝から夜まで横になってうつらうつらしていた。
 情けない話、玄関先でよろめいて倒れたら、自分では起き上がれないのである。体中痛くて腕とかに力が入らないだけでなく、身体の軸となる部分が定まらず、まるでひどく酔っぱらったような状態で、動けない。何十分も叫びもがき汗まみれになりながらやっと家の中に倒れ込み入れた。
 これまで物心ついてから60年は生きてきたはずだが、こんなことは生まれて初めてのことだった。それが室内でも一回、庭でも一回の計三度起きた。ともかく倒れたら自分では起きることも立ち上がることもままならないのだ。

 けっきょく、今年のクリスマスは、イブに、みほこんに誘われていた中野の教会にクリスマスキャロルを唄いに行く要件も断念してクリスマス当日もまた26日も、ともかくまったく動けず断続的にひたすら眠り続けた。
 で、一度はほぼ治ったと思い、国分寺の女友達のところへ渡すももあり、出かけたら、また風邪がぶり返し、痰が絡む咳が止まらず、寝るまで咳が収まらず寝付けず、昨日までまさに身動きとれなかった。
 寝ても寝てもいくらでも眠れて、そして朝も寝坊してしまう。
 夜も寒くて、家の動物たちの餌やりだけは何とか終わらせると、もう起きていられず、またベッドに入り咳との格闘となる。

 今日はまだ咳は続いているものの、幸い痰の絡みは減少してきて、寒気も軽いので、ようやく当ブログにアクセスできた。

 ラジオでは、様々なゲストを迎えて、このところ必ず、今年2024年は、貴方にとってどんな年でしたか、と来年の抱負について訊いている。
 ならば我もまた答えよう。

 今年2024年は、我が生涯、最低最悪の年であった、と。
 親たちが死んでから、その最悪化傾向は如実に顕在化して来ていて、昨年も、今が一番最悪、どん底だと思っていた。
 が、去年よりもまたさらに今年こそが状況は経済的にも、肉体的にも、生活的にも、人間関係的にも最悪の度を増して、まさに破滅・崩壊寸前のところに至った。
 もし、その中で善いことがあるとして、特筆すべきことは、そんな状況でも我を見捨てず、我が主のはからいと我を憐れむ奇特な友人たちがいてくれたことで、彼らのご厚意と無償の愛、助けによって何とか生きられたということだ。
 そう、良かったことはそのただ一つだけ、まだ死なないで今年もまた生き永らえたということだ。

 今年も残すはあと一日。我がこれからも生きていくためにも拙ブログ、これからできるだけこまめに更新していくことをここに誓う。

 この世は、我に対して敵意と無意識の悪意、そしてときに狂気に満ちている。が、それに屈して、自粛・委縮してしまうことはまたさらに、我にとって自らを縛り、締め付けることだと思い至る。
 またあちこちから様々な嫌がらせがあるだろう。そのときは、そいつらにも応分の仕返しをしていくつもりだ。異論や抗議は正々堂々と、本名でしてこい。