どうにも体調悪い そのことの報告だけ2025年01月08日 22時18分27秒

★まだかろうじて生きてるが

 新しい年になって一週間以上過ぎた。
 昨年のクリスマスの前から、風邪なのかコロナかインフルエンザなのかわからないが、いわゆる風邪的症状で体調を崩して未だそれが治らない。
 もう熱などはないのだけれど、激しい咳がずっと収まらず、ひたすら寝てからも咳の発作が続き、苦しくてたまらない。いったいどうしたものか苦悶している。
 昨年末に、この「風邪」の前に病院に行ったのだけど、そのときは様々な検査の数値は特に問題ないと門前払いされて、もし気になるなら詳しくはリウマチや膠原病の専門病院に行けとのことで、それきりとなってしまった。
 そして年末年始風邪で寝込み、何一つできぬまま年を越して、今も激しい咳が続き、基本寝たきりとなって新しい年に、キモチは逸るもののどうにも動けずいたずらに日々が過ぎていく。いったいどうしてしまったのか。

 ともかく今週中に、体調と様子見てまた病院に行き、拙ブログでも報告するが、このまま何も更新なく月日が過ぎ、やがて我が病から死んだらしいとの風の便りが届く人には届いて、このブログという唯一の窓が自然消滅するのも望むところではない。

 ほんとうにまだ死ねない。死にたくない。が、たった一人で身動き取れず、かろうじて同居している動物たちの世話だけは何とか日々やり過ごしてもうそれだけで、朝も昼もひたすら断続的に寝込んでいる。咳を静めるのは唯一アルコールだけだ。

 どうしようもない人生だと自任してきた。が、まさかこんな酷い事態が起こるとは、正直予想も予測もしてなかった。経済的にも体力的にも生活的にもすべてが崩れてめちゃくちゃになってしまった。こんなことが起きるとは。

 死ねば楽になるか。と苦しい咳で起きて自問する。が、死んだって何も解決しないことだけは間違いなく、その為すべきことを投げ捨ててのトコトンの放擲は、まさに死後裁きにあうだけだ。何よりも動物たちや我が数少ない友人たちに申し訳ない。

 こんなことを書きたくもないし書いたって何にもならない。我を敵視し嘲笑うやつらはとことん嗤え、だ。が、今我はいったいどうなっているかぐらいは、これまでの 経緯上やはり短くても正直に書き記すべきだと思い、書きました。

ようやく人生が少しだけ、また動きだした感2025年01月16日 21時51分08秒

★ご心配おかけしました。ブログも適宜再開していきます。

 物心ついてからも60年以上経ち、もはや70近い齢となったのに、昨年、2024年は、これまでの人生でいちばん最低最悪の年であった。
 親たちが死んだ年よりも昨年は何もかもが行き詰り、働いていないのに思わぬ出費が相次いで、何をやっても失敗失態続きで、本当にもうどうしようもない一年だった。
 自分でもよく無事でともかく何とか過ごせたと思う。※それには多くはないが篤志ある友人知人からの経済的援助や励ましも多々あったからで改めて心から感謝いたす。

 今年こそ心機一転、もう一度この人生をやり直す、生き直そうと誓ってたものの、昨年のクリスマス前から風邪なのかコロナなのか流行りのインフルエンザなのか、突然風邪のような症状で動けなくなってしまい、年末も正月もずっとひたすら時間あらばベッドに横になっていた。
 みほこんから誘われてた、イブの夜に中野の教会でクリスマスキャロルを唄う集いには何としても顔だそうと思ってたのに、ともかく寒気がひどくて咳も発熱感もあり、動けなくてベッドからお詫びのメールを打って、お赦し頂いた。
 その風邪的症状は、年明けには収まってきたものの、その後も咳が残り、特に夜中に尿意などで目覚めると、その後に激しい咳の発作が続いてしまい、眠ることもできず本当に苦しかった。

 前回そうした状況をちょこっと書いたが、それから年明けに近くの診療所に行き、詳しい検査を受けたわけではないが、肺炎ではないとのことで風邪と咳の漢方薬をいくつか出してもらい、その薬が効いてきたのかようやくこのところは夜の咳の発作などは収まってきている。
 昨年は、届いた新年の賀状にも、返信すらできなかったので、今年こそは去年頂いた方へはこちらから年賀状を出そうと誓っていたのに、そんなこんなでまたも身動きとれず、値上がりした年賀はがきは買ったものの結局未だ出せずにいる。※今年届いたのは、わずか二枚だけであった。

 そんなこんな新年もまた早くも腰砕けというか、また身動きとれず何もできず鬱々としていたが、一昨日の夜、亀有のKID・BOXという、旧知の友人がやってるライブの店に、畏友館野公一さんのソロライブがあったので、太田三造さんと久々に出向き、観客も含めて親しい人たちとあれこれ語らい、ようやく気持ちも改まった。

 その店のオーナーとも話して諭されたが、我らのような独身者、独り者は、世間との繋がりは何もないのだから、せめてこんなブログでもできるだけ頻繁に更新しないことには、こちらは生きて無事・平穏であったとしても、ブログなど観てずっと更新が滞っていると友人知人関係の方の中には何か起きたのか、大丈夫かと心配される方もいる。
 拙ブログなど、何を書いても読み手の反応・反響などは、まずコメントも一つも届かない不人気なものだから、いろいろトラブルもあったこともあり、我自身どうせ誰も読んでないのだと達観して、やる気というか書く情熱も以前より失っていた。そう、下手にあれこれ頻繁に何か書くと、悪意ある嫌がらせの反応のほうが返ってきたことも多い。
 が、自分にとって世間との繋がりというか、我の動向や思いも含めて、友人知人に対しても、読んで目を通してくれるかはともかくも、思いや近況を伝える、発信するのはこのブログだけなのだから、やはりできるだけ頻繁に、発信、つまり更新していかなくてはならないのだと思い至った。そう、パソコンに向き合える時は、必ず。

 我は、この世界をハメツに導くトランプ大統領の盟友、マスク氏がオーナーをやってる限り、旧ツイッターだか、Xだかはやることはないが、かろうじてフェイスブックだけは他にやってる。
 が、そこにこまごまとした自らのことは書いて発信しようとは思わない。せいぜいイベントの告知など宣伝的に使う目的で用いている。
 思うのだが、なんで今の人は、自分が食べた料理や作った食事、行ったところなど、本当に個人的などうでもいいと(我は)思えることを頻繁に世間の発信するのであろうか。
 フェイスブックの憂鬱なところは、そうした私的なことをこちらにも観るように連絡が届くことで、まして、その友人、こちらが知らないまた別の友人のしたことやコメントに対して、また何かアクションを起こしたことまで通知される。
 正直どうでもいい。今日々生きることに精一杯で、かろうじて何とか死なずに生きているような人間にとって、人様が何を食べようが何をしようが本当にどうでもいいし知りたくもない。
 フェイスブックというのは、ほんとうに余計なおせっかい焼きというべきか、要らぬ情報ばかりが届く。むろん何か細かく設定すれば不要な通知は来なくなるらしいが、我はそんなことも面倒くさい。

 このブログの良い点は、いろいろ不具合はあろうとも、基本的にこちらに関心ある、読みたい方が向こうから来てくれて読んでくれるからだ。
 我が何を書いたとか、何を発信しました、といちいち勝手に関係者に通知されない。まずそのことだけでも有難いと思う。
 むろんこの世は、我に対して敵意と悪意に満ちているから、ウカツなことを気軽に書くと、それを目にした正義感バカが、また様々な嫌がらせなどこちらの書く気を削ぐ様々な妄動、ときに炎上に繋がるかもしれないから今は常に慎重・細心でありたいと思ってる。が、自粛も委縮もしないし、そうした嫌がらせにはもう二度と屈したくない。

 俺の人生なのだ、ほっといてくれ、である。オレもあんたの人生に関わる気は毛頭ないし、関わりたくもない。それこそがフェアな関係ではないか。読みたくない人、知りたくない方は、読まないでいいのだから。

 亀有に行ってから、ようやく再び、この拙い、どうしようもない人生だが、少しづつ少しだけ動き出した気がしている。
 願わくばまた止まり、倦み錆びることなく少しでも前進していくことを祈るだけだ。
 ヒトは、どうして他者の人生に対してあれこれ嘴を挟んでくるのだろう。オレは、あんたの人生に何かしたか、だ。それは、正義ではないし単なるおせっかいだ!!

 いま、祈り願うは、どうか今年こそ昨年よりは少しでもマシになるように、人生を再び取り戻すことが出来ますように、だ。

 というわけで、ブログ再開していきます。まずは昨年末に我が企画し、終えた二つのイベントに関しての事後報告から。

病の床で、夜の音を聞きながら考えたこと・序2025年01月20日 11時24分44秒

★一体自分は何をしているのか、何をまずすべきなのか

 ――というわけで、咳がひどく出るタチの悪い風邪?をひいて、クリスマスから年末年始とただひたすら寝込んでいた。
 新年が来ても正月どころではなく今年はまだ餅も一枚も食べていない。
 誰にも会わず出かけられず、最低限の動物たちの世話と、その餌などの買い物だけは何とか済ますと、後はひたすらニンゲンは何も食べずに時間あれば横になっていた。
 そうして眠ってばかりいると、当然ながら眠りも浅くなり、ヘンな時間に起きてしまい、その後はなかなか寝つけなくなる。

 辛いのは、咳が出ても出なくても真夜中の3時頃に、必ず尿意で目が覚めてしまい、それからしばらく眠れないことだ。
 夏場ならば、夜が明けるのも早いから、そのまま起きてしまい早朝から爽やかな朝の街を散歩することもできるが、今は一番寒い頃で、ただひたすら布団にくるまっているしかない。
 
 電気暗くして、そうしてベッドに横になっていると、まったく物音のしない深夜には、「夜の音」というものがあることに気がついた。
 掛け時計の刻むチクタクという音ではなく、まさに夜そのものが持つ無音の音だ。
 よく昔の漫画などで、誰もいない場所に書き文字などで、「シーン」と表示してあるが、まさにそれである。
 それは、深閑、森閑というしかなく、その「シーン」という文字はそれを示しているのであろう。
 その夜の音を聞きながら、思うのは、自らの死についてもだが、死んでいった友や知人たちのことである。
 昨年も何人か親しくしてお世話になった友が逝った。
 我よりはいくぶん年上だったとは思うが、我のように病弱ではなくはるかに頑健で、元気なイメージしかなかったからまさにその訃報に驚かされた。死というのは、決して弱い者から訪れるとは限らない。
 そして思うのは、みんなどこへ行ってしまったのか、我もやがてそこに行くのか、ということであり、今はまだ咳に苦しみながらも生きている自分はこれからどうなるのか、何をどうすべきなのかという自問であった。

 去年、24年は、暮れの12月に二つのイベントを企画して、ともかく成し終えられた。一つは、予想外の盛況というか、自らも多々学び得るところがあり成功したのだが、もう一つの近隣でやったイベントのほうは、惨憺たる結果に終始してしまい、今もそこをこれからどうしたら良いか、どうすべきか頭悩ましている。
 そう、失敗したのは、近場で企画したフリーマーケットとフォークソングの集いである。

 客も出演者もともかく誰も来ないのである。来ると言ってた友人知人が来なかっただけでなく、二回目となるのにお客も前回より少ないどころかほとんど誰も来なかった。
 その原因は多々あるとは思うが、要するに我の非力さ、人脈の無さに尽きるというしかない。

 ずっと忘れていたツライ気持ち、昔、浅草で企画して、やはり客が入らずに大失敗に終わった某所の「40周年記念コンサート」の時の苦い気持ちを久しぶりに思い出した。
 そのときは、以降三か月ばかし鬱状態に陥り立ち直るのに時間がかかったが、今回は一週間程度でまあ落ち込んだ気持ちは戻った。

 そう、いったい自分は何をやっているんだ。まず何をすべきなのか、だ。

 ※と、ここまで書いていたら、玄関先が騒がしい。誰か来たと思い降りたらば、作業服姿の男二人がファイル持って我を待っていた。
 てっきりまた市の職員が、介護保険料やら未納付の税金の督促、もしくは、環境課や道路整備課の職員が、ご近所からの苦情を伝えに来たと思ったら、何と、北杜市の収納課の奴らであった。
 我には、その北杜市の山里に倉庫として使ってる古民家が在るのだが、そこの税金徴収である。
 固定資産税が今年度二期分未納付になっていたのだが、その徴収にわざわざ山梨県の最奥の市から東京まで来たのである。
 呆れ果てた。そしてこの山梨県の市は恐ろしいとも思った。

 いまここで払いますか、と言うが、当然そんな持ち合わせも余裕もない。とりあえずコンビニ支払いの用紙だけ受け取って帰ってもらった。他にもこちらに用事がありそのついでだそうだが、本当に理解に苦しむ。携帯に電話なりかけてからならまだしも、いきなりの急襲には恐れ入った。市内ならまだしもこんな収納督促対応は、他に聞いたことがない。
 異常であるとしか言いようがない。北杜市の対応、徴収方針には理解に苦しむ。あえて記しておく。たぶん彼らのここまでの高速代、ガソリン代だけで未納の一期分に当たるかと思う。

病の床で、夜の音を聞きながら考えたこと・番外2025年01月22日 12時28分48秒

★先日の北杜市職員の急襲、その後を記す

 と、前回=一昨日、山梨県北杜市の職員の男二人が突然ウチに押しかけて来て、溜まっていた固定資産税二期分督促の「急襲」を受けてから体調がおかしくなった。

 一昨日は雨上がりの暖かい穏やかな日だったが、彼らが帰ったあと、怒りと憎しみのような感情がじょじょに高まり、毛穴が逆立つような状態となり、ある意味パニック障害を起こした。
 突然の来訪に憤り抗議した我に対して、特に二人組の若い男の言った「また来て欲しいですか?」という、脅迫ともとれる言葉に怒り心頭となった。

 確かにうっかりして振り込みを忘れていた我も悪い。が、払わぬ意志でいたわけではないし、溜まって延滞金がついたとしてもこれまで毎年きちんと支払ってきている。今年も既に一期分は払ってあった。
 それが今年度、二期分が溜まっただけで、何故に何の連絡もなく突如わざわざ東京の我が家にまで押しかけて、支払え、今払えますかと迫るのだろうか。彼らには手順はないのか。
 高速道路の中だけの距離だけで、須玉~八王子間は100キロ以上離れているのである。
 このことをやはり諸税金の督促に頭痛めたことのある女友達にこぼしたら、その経費もまた市の税金から出ているのだから、彼らは痛くもかゆくもない、徴収のためならあらゆる手を使うのが市職だと諭され、耳目を開いた。

 が、その後も憤懣やるせないというべきか、むしゃくしゃした気持ちの昂り、苛立ちは収まらず、家に食べるものもあったが、何か作る気持ちにもなれずに気分転換を兼ねて、駅前の中華・日高屋へ行って、日本酒の熱燗とタンメンにギョーザの定食をたらふく食べた。
 そしたら妙に気温が高い日であったからか、ラー油やコショウを入れ過ぎたのか、汗が出て止まらなくなり、まさに滴り落ちるほどの滝のような汗が流れ出て困惑した。この冬場に汗まみれの男を店員も不審な目で見ていたことだろう。
 支払いを済ませて帰宅したわけだが、歩くのもやっと、もうふらふらで起きていられず、そのまま倒れ込むようにベッドに入って寝入ってしまった。
 夜になって喉の渇きで起きたが、要するに自律神経がおかしくなったのだと思った。
 その晩は、このところ収まっていた咳の発作も出てまいった。

 自らの弱さ、愚かさを今更ながら噛みしめるしかない。
 昨日もまだふらつきは残っていて、犬との散歩や買い物のときなど何回かよろめいて転んだが、ケガするほどの大事には至らないですんだ。

 まずは、その報告だけ記す。督促された固定資産税は、すぐさまコンビニから支払った。
 近く北杜市には別件で出向く用事もある。そのとき税務課の責任者にこうした急襲としか言いようのない突然の来訪について抗議してこようと思っている。