3月に入った。ようやく季節も動き出した。 ― 2025年03月05日 23時35分45秒

★久々の本格的な雨が降り続く
なかなか拙ブログ、更新できずに申し訳ない。
先月、2月中は、記憶にある限り雨らしい雨は一回も降らなかったが、今月に入り一昨日から久々に本格的な雨が降り出し、ときに霙や雪交じりの雨が雨が降り続き、ようやく季節は春へと動き出した感がある。
昨日は、午後から粉雪が降り続き、我が多摩地方では数センチは降り積もったが、やがてすぐに霙や雨に変わったので、朝起きたら道には雪は残っていなかった。
この先も雨もよいの日が予報では続くようだ。春は三日の晴れなしと昔から言われるが、ようやくカラカラに乾いていた冬は終わり、本格的に春へと季節は動き出した。
我もまた今さらだが、気持ち新たにがんばろうと思っている。
まず我が愛犬、ベルコのことを記す。
2月の2日に、前からあった左肩のコブの異変に気がつき、病院通いが始まってもう一か月が過ぎた。
当初は、人間の大人のこぶし大にまで大きくなり、膨れて固くなっていたコブ、腫瘍は、破裂して中身が飛び出し、その後、その袋の中の部分をひたすら洗浄、消毒の治療を続けていたが、やがてそのコブ部分も干し柿のように乾いて縮んできて、今はそれがとれて赤い肉の部分が剝き出しになっている。
大きさは、8㎝×6㎝はあるだろうか。、コブがあったところ、ほぼ円形の穴が肩に大きく開いている。画像をアップして載せても良いのだが、痛々しくギョッとさせてしまうのであえて言葉で説明するにとどめておく。
当人は特に痛がってはなく、医師の話では、しだいに肉が盛り上がってその穴=傷口が小さくなっていくのを待つしかないとのこと。やがてはそこに毛も生えたとき、完治したと言えよう。まだまだ一か月はかかるだろうが。
体調的には、もうほぼ以前と同じく体力も食欲も戻り、心配はなくなったのだが、相変わらず薬のせいで、異常とも思えるほど水の多飲とその結果として多尿が相変わらず続いている。
ただ多少はそれも減ってきたのか、以前は真夜中でも一度起きて、水飲みと排尿の散歩に起きなくてはならなかったのが、このところは朝6時半~7時頃まで、ベルコは騒がずに寝てくれるようになってきた。
また動物病院が開いている日はほぼ連日通っていた傷口の洗浄、消毒のための診察も、やっと3~4日おきに、と間があくようにもなった。
むろん日に二回、感染症の抗生薬を飲ませるのと、自宅での消毒作業は続けなくてはならないが、当人も以前と同じく元気になったし、今回の病気は経過観察の段階に入ったと言えよう。
そんなこんなで、2月中は、愛犬の看病、病院通いに毎日振り回された。毎日数時間おきに散歩と夜中も起きるのと、朝も早くから病院前に並ばねばならず、そこに猫たちの世話もあって多忙というか断続的に眠るしかなく、睡眠不足でふらふらで何一つできなかった。
ベルコの治療費、一回行くと3300円である。保険もないから仕方ないのだが、それに薬代や検査代も加わり、カード払いで支払い終えてまだ合算計算していないが、先月だけで10数万かかったことは間違いない。
収入のない身には予想外の出費で、まったくもってカード引き落とし日には頭が痛いが、それもまたベルコの命のためなのだが仕方ない。
いまの我にとってもはや唯一の家族は犬のベルコさんしかいないわけで、その命を伸ばすためならば、どれほど金がかかろうと惜しくはない。
お前には、たくさんの猫たちもいるではないか、と言われようが、猫は家族ではない。例えていえば、賄い付きの下宿人、しかも家賃も払わず自由気ままに好き勝手し放題の手のかかる下宿人でしかなく、彼らは家族ではない。
家族というのは、互いに気遣い認め合い信頼し合う関係があるかどうかで、犬は、昨今人気の超小型犬はどうか知らないが、常に人間のことを思い愛情もってこちらに返してくれる。こんな我を心配してくれている。
先年、母に続き父を亡くし、唯一の血縁は、遠く離れた九州大分の山奥に妹が一人いるが、今この家で共に暮らす家族は犬のベルコしかいない。
その家族がいなくなってしまえば、我は、本当に一人となってしまう。今、毎朝きちんと起きて散歩したり買い物に行くのもベルコがいるからで、彼女がいなくなれば、我は果たしてそうしたルーティンの日課をそれからも築くことが出来るかわからない。その自信がない。
朝も起きることなく、猫たちが空腹で大騒ぎしようともう一切何もきちんとやらなくなるのではないか。
ベルコもまだ本格的老いは見せてはないが、もう若くはない老犬なのだ。今回の病気が癒えたとしてもあと何年生きるかはわからない。
残された共に過ごす日々を一日一日大切にして我も生きたいと願う。
ともかく突然の愛犬の病気に先月は戸惑い振り回されたが、ようやく春三月、気持ち新たにもう一度人生再建に取り組んでいきます。
なかなか拙ブログ、更新できずに申し訳ない。
先月、2月中は、記憶にある限り雨らしい雨は一回も降らなかったが、今月に入り一昨日から久々に本格的な雨が降り出し、ときに霙や雪交じりの雨が雨が降り続き、ようやく季節は春へと動き出した感がある。
昨日は、午後から粉雪が降り続き、我が多摩地方では数センチは降り積もったが、やがてすぐに霙や雨に変わったので、朝起きたら道には雪は残っていなかった。
この先も雨もよいの日が予報では続くようだ。春は三日の晴れなしと昔から言われるが、ようやくカラカラに乾いていた冬は終わり、本格的に春へと季節は動き出した。
我もまた今さらだが、気持ち新たにがんばろうと思っている。
まず我が愛犬、ベルコのことを記す。
2月の2日に、前からあった左肩のコブの異変に気がつき、病院通いが始まってもう一か月が過ぎた。
当初は、人間の大人のこぶし大にまで大きくなり、膨れて固くなっていたコブ、腫瘍は、破裂して中身が飛び出し、その後、その袋の中の部分をひたすら洗浄、消毒の治療を続けていたが、やがてそのコブ部分も干し柿のように乾いて縮んできて、今はそれがとれて赤い肉の部分が剝き出しになっている。
大きさは、8㎝×6㎝はあるだろうか。、コブがあったところ、ほぼ円形の穴が肩に大きく開いている。画像をアップして載せても良いのだが、痛々しくギョッとさせてしまうのであえて言葉で説明するにとどめておく。
当人は特に痛がってはなく、医師の話では、しだいに肉が盛り上がってその穴=傷口が小さくなっていくのを待つしかないとのこと。やがてはそこに毛も生えたとき、完治したと言えよう。まだまだ一か月はかかるだろうが。
体調的には、もうほぼ以前と同じく体力も食欲も戻り、心配はなくなったのだが、相変わらず薬のせいで、異常とも思えるほど水の多飲とその結果として多尿が相変わらず続いている。
ただ多少はそれも減ってきたのか、以前は真夜中でも一度起きて、水飲みと排尿の散歩に起きなくてはならなかったのが、このところは朝6時半~7時頃まで、ベルコは騒がずに寝てくれるようになってきた。
また動物病院が開いている日はほぼ連日通っていた傷口の洗浄、消毒のための診察も、やっと3~4日おきに、と間があくようにもなった。
むろん日に二回、感染症の抗生薬を飲ませるのと、自宅での消毒作業は続けなくてはならないが、当人も以前と同じく元気になったし、今回の病気は経過観察の段階に入ったと言えよう。
そんなこんなで、2月中は、愛犬の看病、病院通いに毎日振り回された。毎日数時間おきに散歩と夜中も起きるのと、朝も早くから病院前に並ばねばならず、そこに猫たちの世話もあって多忙というか断続的に眠るしかなく、睡眠不足でふらふらで何一つできなかった。
ベルコの治療費、一回行くと3300円である。保険もないから仕方ないのだが、それに薬代や検査代も加わり、カード払いで支払い終えてまだ合算計算していないが、先月だけで10数万かかったことは間違いない。
収入のない身には予想外の出費で、まったくもってカード引き落とし日には頭が痛いが、それもまたベルコの命のためなのだが仕方ない。
いまの我にとってもはや唯一の家族は犬のベルコさんしかいないわけで、その命を伸ばすためならば、どれほど金がかかろうと惜しくはない。
お前には、たくさんの猫たちもいるではないか、と言われようが、猫は家族ではない。例えていえば、賄い付きの下宿人、しかも家賃も払わず自由気ままに好き勝手し放題の手のかかる下宿人でしかなく、彼らは家族ではない。
家族というのは、互いに気遣い認め合い信頼し合う関係があるかどうかで、犬は、昨今人気の超小型犬はどうか知らないが、常に人間のことを思い愛情もってこちらに返してくれる。こんな我を心配してくれている。
先年、母に続き父を亡くし、唯一の血縁は、遠く離れた九州大分の山奥に妹が一人いるが、今この家で共に暮らす家族は犬のベルコしかいない。
その家族がいなくなってしまえば、我は、本当に一人となってしまう。今、毎朝きちんと起きて散歩したり買い物に行くのもベルコがいるからで、彼女がいなくなれば、我は果たしてそうしたルーティンの日課をそれからも築くことが出来るかわからない。その自信がない。
朝も起きることなく、猫たちが空腹で大騒ぎしようともう一切何もきちんとやらなくなるのではないか。
ベルコもまだ本格的老いは見せてはないが、もう若くはない老犬なのだ。今回の病気が癒えたとしてもあと何年生きるかはわからない。
残された共に過ごす日々を一日一日大切にして我も生きたいと願う。
ともかく突然の愛犬の病気に先月は戸惑い振り回されたが、ようやく春三月、気持ち新たにもう一度人生再建に取り組んでいきます。
愛犬の病気に関して、経過報告3・とりあえず終り ― 2025年03月13日 00時29分58秒

★やっと一段落~ほっと一息
2月のあたま、愛犬ベルコの身体の異変に気がついてから一か月以上過ぎた。
元からあった左肩のコブ=腫瘍に雑菌が入り、化膿してついに破裂した。その後、コブだった袋は、乾いて干し柿のようになり、やがて外れ落ちてコブのあったところは丸く、そのまま赤向けの肉が剥き出しの状態となった。
コブ自体が、大人のこぶし大ほどもあったから、その赤みの肉が丸見えの状態、傷口はかなり大きく痛々しく、ヒトを驚かせて目のやり場に困るほどだったが、今月に入ってから周りの肉が盛り上がって来て、だいぶ小さく縮んできた。
これまで一か月以上、朝晩飲ませていた抗生剤も先日やっと中止になったので、心配していた水の多飲と結果として多尿も収まるかと思える。
やれやれである。おそらく今月中には、その傷口もふさがり、やがては毛も生えてくるだろう。
いろいろご心配おかけしたかと思うが、とりあえず現時点では、回復の一途であることを報告したい。高齢の犬であるから今後また新たな異変や異常も起こることは覚悟しているが、今はホッと一息ついている。
病膏肓に入る、という言葉もあるが、今回は、肉と皮膚の間の腫瘍で良かった。もし体内、内臓だったらその腫瘍が破裂したら即死していたことだろう。
今回は、生き永らえた。我もまた一日でも長く生き永らえたい。
それにしても先のことはまったくわからないと改めて思う。新しい年になり、今年こそはと昂る気持ちはあったのに、タチの悪い風邪に罹り、咳が止まらず1月はずっと寝込んでしまい、さあ2月からは、と思ったとたん愛犬の病気である。
早朝からの病院通いと薬のせいで連日連夜の水の多飲による排尿の散歩で家の片づけや自分のことどころか猫たちの世話以外のことは何一つできなかった。
我もいつでも起きれるよう服のまま横になって、自らの食事もろくにとれないほど慌ただしく忙しかった。睡眠不足でいつも頭が痛くふらふらだった。
母が死ぬ前も、ウチで我が看護していたから同様な状況で、下の世話の都度真夜中でも起きたことを今回思い出した。
こうしたときいつも思うのは、我も妻帯して家族がいたら、ということだ。結婚しなかったことを後悔はしていないが、現実の話、我一人で誰か他者を介護するのは限界がある。
介護や看護ということは、ワンオペでは当然無理なことで、老老介護でなくても昼夜それを一人でやってると疲れ果て気持ちも倦み、やがてはこちらも倒れてしまうのは間違いない。
妻でなくても他に誰か家人がいたら分担してやれるはずだし、金さえあれば看護士のような人にヘルパーとして長時間来てもらうことも可能だろう。
むろん今でも人間ならば介護保険の範囲内で、訪問看護など来てもらうこともできるが、ペットなどはそうはいかない。動物病院やそのたぐいの施設に預けることも可能だけれど、保険がないのでものすごく費用がかかる。
そして他者を介護する以前に、一人暮らしならば自らが体調を崩したときいったいどうしたら良いのか、だ。
コロナでなくても風邪などで高熱が出たときなど、一人暮らし等で辛く苦しい心細い経験をしたことは多くの人があるかと思う。
自ら身動き取れない状況、状態に陥った時、いったい誰に助けを求めるのか。ケガであろうが病気であろうが、自分で救急車など呼んで通報できるときはまだ良い。
高熱や脳梗塞などで意識がなく、おそらくそれもできないときは、自力でどうにかすることは不可能なのだからそのときはただ結果として死あるのみか。
♪自由とは失うものがなにもないことさ、というフレーズがあるが、一人は気ままでとことん自由だけれど、失うものがないのではなく、最後は一人で命を失うのだと今は気がつく。
その覚悟はできているか。自問している。
我には両親という家族があった。が、親はとうぜん子より先に死んで、我は人間一人になってしまった。
幸い唯一の家族である犬はいて、大病はしたけれど無事に回復しつつある。有難いことである。命の大切さを今かみしめている。
これから一日一日、我にとっても残された日々を大切にして生きていきたいと今さらながら思っている。
独り者の方、ご自愛ください。我もまた。
2月のあたま、愛犬ベルコの身体の異変に気がついてから一か月以上過ぎた。
元からあった左肩のコブ=腫瘍に雑菌が入り、化膿してついに破裂した。その後、コブだった袋は、乾いて干し柿のようになり、やがて外れ落ちてコブのあったところは丸く、そのまま赤向けの肉が剥き出しの状態となった。
コブ自体が、大人のこぶし大ほどもあったから、その赤みの肉が丸見えの状態、傷口はかなり大きく痛々しく、ヒトを驚かせて目のやり場に困るほどだったが、今月に入ってから周りの肉が盛り上がって来て、だいぶ小さく縮んできた。
これまで一か月以上、朝晩飲ませていた抗生剤も先日やっと中止になったので、心配していた水の多飲と結果として多尿も収まるかと思える。
やれやれである。おそらく今月中には、その傷口もふさがり、やがては毛も生えてくるだろう。
いろいろご心配おかけしたかと思うが、とりあえず現時点では、回復の一途であることを報告したい。高齢の犬であるから今後また新たな異変や異常も起こることは覚悟しているが、今はホッと一息ついている。
病膏肓に入る、という言葉もあるが、今回は、肉と皮膚の間の腫瘍で良かった。もし体内、内臓だったらその腫瘍が破裂したら即死していたことだろう。
今回は、生き永らえた。我もまた一日でも長く生き永らえたい。
それにしても先のことはまったくわからないと改めて思う。新しい年になり、今年こそはと昂る気持ちはあったのに、タチの悪い風邪に罹り、咳が止まらず1月はずっと寝込んでしまい、さあ2月からは、と思ったとたん愛犬の病気である。
早朝からの病院通いと薬のせいで連日連夜の水の多飲による排尿の散歩で家の片づけや自分のことどころか猫たちの世話以外のことは何一つできなかった。
我もいつでも起きれるよう服のまま横になって、自らの食事もろくにとれないほど慌ただしく忙しかった。睡眠不足でいつも頭が痛くふらふらだった。
母が死ぬ前も、ウチで我が看護していたから同様な状況で、下の世話の都度真夜中でも起きたことを今回思い出した。
こうしたときいつも思うのは、我も妻帯して家族がいたら、ということだ。結婚しなかったことを後悔はしていないが、現実の話、我一人で誰か他者を介護するのは限界がある。
介護や看護ということは、ワンオペでは当然無理なことで、老老介護でなくても昼夜それを一人でやってると疲れ果て気持ちも倦み、やがてはこちらも倒れてしまうのは間違いない。
妻でなくても他に誰か家人がいたら分担してやれるはずだし、金さえあれば看護士のような人にヘルパーとして長時間来てもらうことも可能だろう。
むろん今でも人間ならば介護保険の範囲内で、訪問看護など来てもらうこともできるが、ペットなどはそうはいかない。動物病院やそのたぐいの施設に預けることも可能だけれど、保険がないのでものすごく費用がかかる。
そして他者を介護する以前に、一人暮らしならば自らが体調を崩したときいったいどうしたら良いのか、だ。
コロナでなくても風邪などで高熱が出たときなど、一人暮らし等で辛く苦しい心細い経験をしたことは多くの人があるかと思う。
自ら身動き取れない状況、状態に陥った時、いったい誰に助けを求めるのか。ケガであろうが病気であろうが、自分で救急車など呼んで通報できるときはまだ良い。
高熱や脳梗塞などで意識がなく、おそらくそれもできないときは、自力でどうにかすることは不可能なのだからそのときはただ結果として死あるのみか。
♪自由とは失うものがなにもないことさ、というフレーズがあるが、一人は気ままでとことん自由だけれど、失うものがないのではなく、最後は一人で命を失うのだと今は気がつく。
その覚悟はできているか。自問している。
我には両親という家族があった。が、親はとうぜん子より先に死んで、我は人間一人になってしまった。
幸い唯一の家族である犬はいて、大病はしたけれど無事に回復しつつある。有難いことである。命の大切さを今かみしめている。
これから一日一日、我にとっても残された日々を大切にして生きていきたいと今さらながら思っている。
独り者の方、ご自愛ください。我もまた。
ようやくすべてが一段落 ― 2025年03月25日 17時33分17秒
★今さらながらがんばります!!
慌ただしいのは相変わらずだけど、犬の傷も癒えて今は梅干し大の大きさにまで小さくなり回復してきました。やれやれ。ご心配多々おかけしました。
そんなこんな年明けからいろんなことに囚われて、何一つ自らの為すべきことはできなかったのだけど、ようやくやっと自分のことに向き合えると思います。
まずは、また昭島でのフォークソングライブのイベントが来月の27日にあります。たぶんもうそれで終わりの回となるかもしれないので、ぜひ皆さんのご来場、ご支援、ご協力お願いします。
詳しくは後ほどチラシを掲載します。
慌ただしいのは相変わらずだけど、犬の傷も癒えて今は梅干し大の大きさにまで小さくなり回復してきました。やれやれ。ご心配多々おかけしました。
そんなこんな年明けからいろんなことに囚われて、何一つ自らの為すべきことはできなかったのだけど、ようやくやっと自分のことに向き合えると思います。
まずは、また昭島でのフォークソングライブのイベントが来月の27日にあります。たぶんもうそれで終わりの回となるかもしれないので、ぜひ皆さんのご来場、ご支援、ご協力お願いします。
詳しくは後ほどチラシを掲載します。
イベント ― 2025年03月29日 16時02分41秒

★
最近のコメント