皆さんの励ましとご支援で2025年06月01日 23時59分14秒

★何とか今日ここまで生きてこれた。

 6月に入った。今年も今月が終われば半分過ぎてしまうわけだが、昨年の12月からの半年間、自分にとって生涯とことん破綻、滅茶苦茶になってしまった6ヶ月であった。ともかく忙しく慌ただしかった。
 以前から記している、家の片づけも進むどころかさらに行き詰まり、増えすぎた猫たちによって落とされ崩され破壊尽くされ、まさに家中どこもかしこも足の踏み場がない惨憺たる状態となってしまっている。
 先のことはまたどうなるかわからないが、この半年のこれまでのこと、カンタンに報告したい。
 というのは、まだ何も解決はしていないがやっとほぼ一段落してきたと思えるからだ。

 昨年の12月、近隣の施設で我は、フリマとフォークソングのイベントを企画し開催した。そこで2回目である。
 が、先に当ブログで報告したように、お客も出演者も誰も来ず、サンタンたる結果に終り大きなダメージを受けた。
 労多くして益なしという言葉どおり、ご支援受けて新たに大型の音響セットも購入したのに、聴き手も歌い手もほとんど来ない。
 それなりに準備や宣伝に時間もとられ、その時点で全力を尽くしたつもりであったが、自分の非力さと人望、人脈の無さに情けなくて深く絶望した。

 で、オーナーとは、冬の間はともかく春になったらもう一回やることだけ合意して、新たな年を迎えて我は今年こそはの思いで、その広いスペースを利用して今後の人生展開に向けて準備していこうと決意した。

 そのためにライブイベントとは別にして、これまで溜まりたまった我の様々な未整理のもの、本や雑誌、自ら書き溜めた書類も何もかもそこに運び込んで、すべて目を通して、不要なものは捨てて、使うもの、価値あるものはきちんと保存・活用するなどの分別作業をやっていくつもりであった。
 我が家ではもうモノがいっぱいでとてもそれを開陳して確認していく作業スペースがなかったからだ。
 そこにはカセットコンロも持ち込んでたから、軽食もとれるよう飲食物もあれこれ運び込んだ。プレーヤーもないのにレコードの箱までも何箱も。
 予定では、未検索の本などもそこで販売可能か確認選別して、古本稼業再開の礎とするつもりであった。
 そう、かつて社員寮であった場所の食堂スペースならば、一人でそこを作業場にして何でもできたはずだった。

 が、じっさいのところ、ほとんど何もできなかったのである。

 というのは、そこは電気が停められていたので日中、外の外光があるときしか使えなかったことと、2月の頭から老いた愛犬が病になり早朝からの病院通いに我は疲れ果ててしまい、他の動物たちの世話するだけで手いっぱいでとても自分のことなどやる時間も気力もなかったのだ。
 犬のベルコの病気とは、カンタンに言えば、以前からあった肩の皮膚の腫瘍に雑菌が入り、それが化膿して破裂してしまい、その後は、その剥き出しとなった傷口をほぼ連日消毒してもらいに通う羽目となった。
 傷口は一時は、大人のこぶし大ほどもあったのだから、感染症で死んでもおかしくはなかった。
 今はもう完全に傷口は癒えて、毛も生えてそこは跡形も見えない。結局全治二か月で治癒できたわけで、年齢を考えれば一命をとりとめたと言えよう。治療費は保険もないから総額で何十万かかったのか計算もしていないが、皆さんのご支援と励ましがあってのことで、今さらながら改めて有難く感謝いたしたい。

 そんんなこんなで気がつけば春が来てしまい、オーナーから言われたのは、5月から別の人がそこを使うから、第三回目のイベントは、4月末までに、ということで大型連休の初日、27日となった。
 そして、終わったらイベント関係の物も、我の置いてある私物もすべて片づけておくように、と。

 その4月27日のフリマとフォークコンサートの集いは、三回目にしてやっと手応えあるものとなった。新たな出演者や懐かしい出会いもあって、どうにかカタチになってきたという思いを得た。※そのことについてもこの場できちんと報告すべきなのだが、慌ただしくて未だできていない。
 が、それからの後片づけがまさに地獄であった。そしてそれはまだ今もまだ続いている。

 実は、かつては某会社の社員寮だったその広いスペースを、近く行われる都議選の候補者が、選挙事務所に使うとのことで、5月の10日までにすべてどかしてカラにしておけということだったのだ。
 フリマの物品やコンサート関連の機材のなどもそれなりに残っていたが、それよりも自分が持ち込んだ私物がボーダイにあって、その二つを合わせた総量はものすごいものであった。
 五月の大型連休中も年下の友人と共に連日ともかく一切合切箱に詰める作業に追われ、連休最終日には一回、山梨の倉庫へ車で日帰りで運んで少しは減らしたが、とてもまだ家に収まる物量ではないし、そのスペースもない。
 5月の10日も、その都議選候補者たち、選挙のスタッフが集まる夕刻まで必死に片づけ作業をやって何とかスペースをつくることができた。

 山梨の倉庫ももはやほぼいっぱいだし、我が家はモノが溢れいっぱいだったから、その寮のホールで分別作業をやって減らそうと考えたわけだし、フリマの物品も加わってはとても家にも戻せない。
 情けない話、今もクルマは後部座席から荷台まで後方は何も見えないほど満杯だし、庭先もブルシートで覆った段ボール箱でいっぱいで、クルマを停めるスペースがない。
 仕方なく近くの24時間貸しのパーキングに連日停めている。せめて庭先にある分だけでも早く片づけなくてはと焦っているが、このところ雨が多くてなかなか作業も進まない。
 知人からは、レンタル倉庫を借りたらとアドバイスを受けたが、これ以上出費が増えたら、現在無収入の我は、まさに生活破綻してしまい猫たちの餌代にも困窮してしまう。それにどこかに押し込んでも何も解決にはならないのである。
 ともかく早く再度分別して捨てるモノは捨てて減らしていかない限り何もはじまらない。

 今思うのは、まったく自分は愚かであったという悔いと共に、そんな我を哀れみ、見捨てずに励ましやご支援を頂いた方々へのご恩にきちんと報いねばならぬということだ。
 恩返し、という言葉をいかにしてカタチにしていくべきか。お金にはお金で返すべきかとも思うが、それでは単なる融資であろうし、むろん今は返せないならば、別な形でとりあえずの感謝を示さねばならないはずだ。

 ともかくも彼らがいなかったら、この苦難のときは越えられなかった。ほんとうに有難いことである。
 イベントと動物たちの病院通いに時間と金と心を奪われている間に、猫たちは好き勝手し放題で家は内外さらにものすごい状態になってしまっている。
 が、まだ命が続くならば、ここからもう一度人生を取り戻したいし、生活を再建したいと願う。
 そしてそれはきっとできる、かなうと信じて一つ一つ、一日一日少しでも少しづつでもやっていくしかない。

 そしてほんとうに懸案のこと、太田三造さんのCD作成や音楽とブンガクのための新たなサイト開始などにも取り組み進めていく。
 皆の思いにきちんと向き合い応えていく。
 がんばりたい。