形骸にすぎないとしても生きていることに意義と意味がある2020年10月21日 23時58分17秒

★我が父、満96歳の誕生日に

 今日10月21日は、大正13年生まれの我が父の誕生日である。今年は年男だから、なんと96歳になる。
 母が死んで4年、我一人で何とか面倒見て来てついにここまで来た。決して平穏無事に歳月を重ねたというわけではない。老いさらばえた父と還暦過ぎた、老いてゆく息子との男同士の生活は、ある意味辛酸の極みでもあり、何度キレて殺しそうになったかわからない。
 通ってる施設の職員から暴行が疑われると通報があり、市の福祉課が乗り込んできて我ら当事者の意向を全く無視して「保護」されそうになったこともあった。
 このところはさすがに老化衰弱も極まり、深夜に徘徊して外に出たり妄動や暴言は収まって来たが、介護の度はさらに高まってきて、いよいよ最終介護施設に死ぬまで入所の日は近いとひしひし感じている。

 もういつ死んでもまったく不思議ではない歳まで生きたわけで、あと一年またさらに馬齢を重ねられたとしてもこの家で暮らすのはまず難しいとはっきり思える。
 何しろ足腰が萎えて、自力ではほとんど歩けない。介護施設では車椅子に乗せられ移動しているがウチでは車椅子は入らない。何かに掴まってからうじて立ち上がれたとしても歩き出したとたんよろけて転倒するのも日常的だ。
 また、このところ食べるのもかなり難しく、吞み込む力がさらに衰えたのでいつまた誤嚥性肺炎を起こすかその危険度は高まってきている。食も細くなってさらに痩せて来ているのでつい無理して促すと吐き戻してしまう。
 排便排尿は、もう常時紙パンツの中に垂れ流しだからさほど問題はないけれど、呆けがこれ以上進むと就寝中など、息子の目が届かないとき、それを自ら脱ぎ捨て糞尿まみれとなるかもしれない。
 じっさい寝ながら無意識にオムツを自ら外すのは夏場などこれまでも何度もあり、幸いにしてシーツと敷布団に世界地図を広げる程度で済んでるが、大便をあちこち撒き散らすまで痴呆となればもうアウトである。とても我一人で処理できなくなる。

 いまはもう死の瀬戸際というだけでなく、全てがギリギリ、限界となってきていて、人はここまで長生きするとこんなにまで頭も身体もダメになるのか!!という驚きと嘆きとが合わさった感心状態でいる。
 そう、頑健な体質に生まれて、酒もタバコもやらず、癌などの進行性の病に罹らなければ、結果として人はここまで生きられるのである。別に彼の行いが良かったとか、健康に常に自ら気を付けていたからではまったくない。
 今の時代は、医療じたいも、介護保険など介護体制も進んでいるから人は特に病気や事故に遭わない限り誰もが基本長生きできるのである。

 ただ、ここまで何もかもできなく、わからなくなってしまった父を見ていると、往年の几帳面で様々なことに興味やこだわりを強く持っていたかつての父は完全にすがたを消してしまったと情けなくも悲しくも思える。
 今の父は、まさに今はただ生きてここに在る、というだけの形骸であり、長生きと引き換えに、彼は彼自身の個性、ある意味「人間性」をも失ってしまったのだ。つまるところ今の父は抜け殻である。
 「形骸」という言葉で思い出すのは、今できもう誰もあまり語らないが亡き江藤淳のことである。自殺した彼の遺書にその言葉があったと記憶する。

 文芸評論の大家として戦後の文壇、論壇をけん引した江藤の業績や仕事については今ここでふれない。
 ただ彼の死は、ときどきこの我にも喉に刺さった小骨のように、我が心に痛みを走らせる。彼は1999年、自死したのだ。
 彼はその前年、愛妻を癌で亡くし、彼も脳梗塞で半身不随となり、夫婦には子もなく、飼っていたペットも手放して自ら自宅の風呂場で剃刀で手を切って自死したのである。今調べて歳を確認して驚いた。66歳とある。
 我の記憶ではもっと老齢、高齢でと思い込んでいたが、今の我の齢とほとんど変わらないではないか。

 その彼の遺書には確か「今の自分は形骸に過ぎず」と記してあったと記憶する。つまり、妻も先に逝き、自らも脳梗塞で不随となり何一つできなくなってしまい、絶望し自分を形骸だと断じ、ゆえに生きている意味がないとして死を選んだのである。
 彼の死はそのときも我に大きな衝撃を与えた。三島の死はある意味、愛国に名を借りた彼の美学の果ての情死だと理解できたからそのときはショックを受けたが、言葉は悪いがヒトゴトですんだ。
 が、江藤の死はヒトゴトにはできない。いや、誰にとってもそうではないのか。
 老齢でなくとても何かの理由で半身不随となり、自らでは何一つできなくなってしまったとき、人はその絶望にどう向き合えるか、だ。そしてそこに孤独も加われば、解決策は自死となってもおかしくはない。
 江藤淳は、妻を亡くし自らも半身不随となって仕事も難しくなり鬱状態となって結果として死を選んだのだと思える。

 この我も父がいなくなればたった一人でこの家で生きて行かねばならない。困窮もしてくるだろう。もしそこに脳梗塞などで身体が不随となってしまえば、それでも生きていく意味が見いだせるだろうか。
 いや、身体は動けても父という唯一の家族がいなくなってしまえば、子も妻もない我は、誰を頼りに一人で老いて行けば良いのか。その先、そこに希望は少しでもあるか。やがては父のように足腰立たなくなろう。

 真夜中にふと目覚めてしまった時など、トイレに行ったあとはまた布団に入ってもあれこれ先のことを考えると不安で眠れなくなる。そしてそんなときに江藤淳の遺書を思い出す。たった一人で形骸になってしまったとき、我は自死せずにいられるか。
 むろん、生来の意気地なしの我だから彼のようにスタイリッシュに振舞うことは絶対にできないと今は思えるが・・・

 幸い我には今は犬猫たち、手のかかる「家族」がいっぱいいる。モノも言わないし家事は何一つ手伝ってくれず、ひたすら要求ばかりする彼らだが、そこに「他者」という関係が結べるのが有難いしウレシイ。父がいなくなったとしても完全な孤独ではない。彼らがいる限り我は自死はしたくてもできやしない。
 我が父もまさに形骸にまで老いさらばえてしまったが、その「存在」だけで今の我には有難い。父がいなくなれば我の存在自体が意義と意味をかなり失ってしまうのだから。

 そう、ヒトは「存在」しているだけで意義と意味、つまり価値があるのである。そこにその人がまだ生きて在るだけで、様々な関係が生じるしあれこれ始まっていく。
 何一つできなくなったとしても、そこに一つのモデルとして「生き方」も「死に方」も示せる。我も人がとことん長生きするとどうなるか、父からとことん教わっている。
 呆けというのは老いて死に行くための神の計らい、賜物だと上智大学ホイヴェルス神父は記していたと記憶するが、確かに最愛の妻の死も含めて何もかも忘れてわからなくなっていくのはある意味幸福なことなのかもしれない。
 親しい人たちが先に逝き、自らも身体が動かなくなって何もできなくなって頭だけは明晰というのは実に辛いことであろう。江藤淳のように。

 そう、どんな歳になってもどんな状態となろうとも、死は自ずからやってくるものなのだから、自らそれに向かうことはない。
 その日までともかく生きてその「存在」を世に示していけば良い。
 あなたは一人ではない、とよく諭される。が、問題はこのコロナ禍で、ソーシャルディス、社会的距離の確保などとかいうバカなことを振りかざす世相が正義となっっていることだ。それでは「関係」が結べない。
 コロナより怖ろしいものがある。それは孤独である。今はコロナでは人はまず死なないが、孤独は確実に人を自ら死に追いやっていく。

すべてこれもまた良しとしよう2020年10月13日 23時56分23秒

★もう身体はボロボロだが

 俗に歯、目、マラと言う。男が老いてダメになっていく箇所、部位のことで、その順番なのだそうだ。
 ほんとうに情けない話だが、世の中にいるのは老いてきても元気で健康な人ばかりではない、ということを知ってもらうために、特に若い人たちに知ってほしい。恥ずかしいが包み隠さず書く。

 先に、市の特定健診へ、父連れて行ってきた。今回はコロナもあって予約入れてたのでさほど待たされずにすんだ。まだ、結果はきちんと返ってきてはないのだが、父は腎炎の疑い、我は・・・、かなりあちこちの数値が悪いようだ。
 まあ、父のように百歳近くまで生きていれば、どこも異常がないほうがおかしいわけで、進行性の持病などなくてもまさに全身の機能が衰え、老衰による多機能不全となってもまさに当然なのである。
 が、息子である我は、まだ60代半ばにならんとする齢で、何がいけなかったのか満身創痍、いくつもの病を抱えていよいよ身動き取れくなって来た。今月はいくつも病院通いが始まる。

 先に過活動膀胱による小便垂れ流しのことは書いた。寝て起きたときとか、何かの折、ある程度の量の小水が膀胱に溜まっていると、尿意を感じた途端、トイレに行くまで我慢できず漏らしてしまう。
 以前は、ちょろちょろ下着を濡らす程度だったのが、最近ではどんなに我慢しても我慢がきかず、一度漏れ出すと止めようがない。床にまで垂らすほど出続け、濡れたズボンを押さえて大慌てでトイレに駆け込む。
 では、父のように始終、無意識的に漏らし続けているのかというと、我はそうではなく、起きてるとき、何かに集中しているときは漏らすことはない。
 この病気は、一度でも「尿意」を覚えてしまうと突然したくてたまらなくなってトイレまでの我慢もできず漏らしてしまうものなのである。頻尿というわけでもない。ともかくしたいと意識すると、とたんに我慢ができなくトイレに行くまでも待てずにたらたら漏らし始めてしまうのである。

 介護施設で働いている妹からは、女の人の病気だと言われたが、男だってなる。記憶にあるかぎり、五十代に入った頃から起こりだし、いろいろ漢方薬を試したが効果はなく、このところさらに悪化して今では常に我慢できず、家にいる時は垂れ流しとなることも多々ある状態になってしまった。
 しかし、外に出ていて特に何かに集中、専念しているときは決して起こらない。だからコンサートのときなどは、ご安心ください。緊張していめときこそお漏らしはしませんから。
 でもこれからは父の尿漏れパンツをお借りすることもあるかと思う。今は世間がウルサイから、外でもどこでも立小便も気楽にできないご時世だから。
 我の年代でこんな病気になった人は少ないかと思う。じっさい情けなく恥ずかしいが、やがては隠すこともできないだろうから早めにここに記す。

 しかし尿漏れは下着を濡らす程度の不快感だけで痛みなどの実害はない。じつは今、いちばん困っているのは、歯であり、もはや我の前歯は残ってる歯が少ないだけでなく、その少ない歯さえこのところ欠けてきて神経に障り沁みて痛くて食事も進まない。
 虫歯があってのことではない。自分でも驚いたが、健康だと思っていた歯が、周りのエナメル質から剥落してどんどん削られ小さくなってきているのだ。あたかも岩山が雨風で風化してボロボロに崩れていくように。固いものを食べてたほけでないのに、食事中や歯ブラシで磨いているときに歯の表面から欠け落ちていく。こんなことってあるのか!?だ。
 もう手遅れかとも思うが、まだ根が残っているうちならまだ何か処置は出来るのではないか。

 よくシンナー常習者やドラッグやってるとは歯がボロボロになると言われる。じっさいそういう人は皆さん歯がほとんどない。先に逮捕された某シンガーソングライターも。
 我は若いときはともかく、ドラッグはアルコール類以外一切口にしていない。ただ一つ思い当たるのは、このところ炭酸と酸味料入りの缶チューハイの類を日々吞み続けていたことで、それで酔っぱらって歯も磨かず寝てしまったりしていたから、歯そのもの、特に前歯が劣化してボロボロとなってきたのかもしれない。

 もっと早く歯医者に行こうと常常考えてはいた。が、かかりつけの歯医者は立川にあり、しかもそこは混んでて常に待たされることと、このコロナ禍もあって、ついつい足が重く遠のいていた。
 しかしもう痛くてそろそろ我慢も限界である。このままさらに悪化したら飯もおちおち食えなくなる。

 このところさらに目もかすんで老眼と近眼が相俟って、パソコンに向かう職掌柄そちらもタイヘンだが、それは治しようはないしメガネや目薬で対応するしかないのでもう悩みはしない。
 また、マラに関しては、使い道はないので精力が衰えようとちっともかまわない。ただ、我の失禁頻尿もそれに当てはまるとすれば、この老化の三点は我に一気に今やしかも同時に訪れてきていて、そこに腰痛や足底筋膜炎という持病も加わり、もはや我が身全身、まさに満身創痍という感がある。

 情けない。恥ずかしい。しかもこれもまた我が身の不徳の結果なのだと思い至る。そう、だらしなく野放図に生きてきたツケが出てきたのだ。
 60代でこんなであれば、この先、もし長生きできたとしてもどれほど惨憺たる状況が起こるかさまに先が思いやられる。憂鬱になる。
 しかし、こうも思う。もしほんとうに健康で、ずっと元気のままで長生きできたらそれは素晴らしいが、自分にとってそれは良いことだっただろうか。
 我はとことんバカで何も考えない性分なのだから、結果として過信してまたさらにとてつもない愚かな過ちをしでかすのではないか。事故など取り返しのつかないひどいことが起こりそれで命を落とすかもしれない。
 モノゴトには二つの側面がある。病気がちの人間は嫌でも慎重になるはずだし、結果としてそのことで長生きできることもある。
 昔の人は一病息災と言ったが、元気で長生きしてある日突然ピンピンコロリと死ぬほうが幸福かどうか我はわからない。

 ただ今は、こうなってくると健康ということに何より注意を払うし、食べ物にも気を使うことが多くなった。もう四つ脚の肉類や炭酸飲料は極力口にすることはやめにした。
 無理はしないし無理はできないから、意識して何事も自制せざる得ない。我のような極端から極端へ、無理を無理やり通して来た生き方も再考のときが来たと思える。

 これもまた運命であろうし、自らまいた種だとしてもだからこそ結果責任をしっかり負わねばならないはずだ。痛みも苦労もしてみないとわからないしそこから得るものも何かあるはずだ。
 もっとひどい難病も多々あるしそれでも挫けずに明るく前向いて行きている人たちがたくさんいる。我の病気や体調など病気のうちにも入らないほどの。
 ならば、だからこそすべてこれもまた有難いことだとして、すべてこれも良しとしよう。

 何であれ、すべてをきちんとしてまず自らに向き合っていくことから始めていく。自分をまず愛させない人間は他者誰も愛せないのだから。

やまない雨はないけれど2020年10月11日 00時07分51秒

★長く続いた冷たい雨はやっと上がったが

 颱風が来ているからだというが、8日木曜の午後から降り出した冷たい雨は、金曜、土曜と終日降り続き、やっと先ほど10日土曜の夜になって上がった。
 ともかく気温も低く昨日など日中でも20度に届かず、秋というより初冬11月半ばの気温だと報じられていた。
 つい一か月前、9月の半ば頃は、まだまだ残暑厳しく、猛暑、酷暑続くと騒いでいたのにまったくあの暑さが信じられず夢のようだ。
 このところ春と秋という中間の季節がどんどん短くなってきていると誰かが言ってたが、まさにその通りで、季節は一気に短い秋から冬へ駆け足で向かっている。
 毎度のことながら冬支度など何もしてなく、やっとのこと長袖のパーカーを引っ張り出して何とか寒さをしのいでいる。ああ、また今年も冬が来る、というため息が出てしまう。そう、もう今年も残すは三か月足らずとなった。

 体調も悪いところに、様々なトラブルや予期せぬ事態も重なりほとんど自分の「けんあんの事」は進まない。
 が、今は死に行く老父も含めてあれこれ抱えるものが多すぎるのだから、ともかく日々何とかやり過ごせて月日が無事過ぎていくならそれだけでも良いことだと肯定していくしかない。そう、ともかく皆まだ生きているのだから。時間が経つのは良いことだろう?
 そして我がこと以外の事案として、谷保かけこみ亭で毎月開催の「月刊・共謀コンサート」のこともどうすべきか頭悩ましている。

 コンサート自体は常にとても素晴らしく楽しく面白いことであり、企画できるのは身に余る名誉に思えることだが、このコロナ渦中、感染不安の問題から観客のみならず演者側、つまり「共謀者」が集まりにくく、どう企画を立てるか、いま再考迫られている。
 このところのイベントの規制緩和コロナは収束していない以上、実際のところまだ入場者数は制限しないとならないし、出演者の側も二極化が進んで、積極的にライブ活動に専念する人と未だ慎重派とに分かれて出演者の手配が難しいというのがどこものようだ。

 つまりコロナを怖れずライブに出る人は多忙でスケジュールがいっぱいとなり、慎重派は感染を怖れてそうした「三密」の可能性高い場には出向くのは今も自粛中だから出演してもらえない。そのどちらも出演は難しいのである。
 我は、再開後の「共謀コンサート」、つまり今年残り三回の出演者を募るに際し、先日、これまで出て頂いた多くの方々に、ご都合というか、参加の意思、その有無をお知らせ願いたいと同報メールを送った。
 だが、○○月の回なら参加可能とか、「返信」を頂いたのはごく少数で、我が不徳の致すところだとただ情けなく思うしかなかった。
 個々に出演願いの連絡をとればまた返答はあったかもしれないが、このコロナ禍、それぞれ思う立場やご事情があるわけで、無理強いはそもそもできない。
 高齢の方や、家族に病人がいたり、自ら持病があったり福祉や医療関係等、絶対にコロナに感染してはならない仕事に就いている人もいてそれぞれの事情から当面は屋内のライブ活動は控えたい方もいるわけで、それもごく当然至極のことだと思える。
 じっさい、このコロナが完全に終息するまではかけこみ亭でのイベントには参加しないと宣言された方もいて、それもまた致し方なく、このご時世では「共謀」じたい、もはや不可能なのかと自問するしかなかった。

 しかしだからといって、この「共謀コンサート」は、共謀者が少ないからといって中途で中止すべきことではないと信ずるし、逆にこんな全てに不如意かつ不自由な時世だからこそ、配信以前に生のライブイベントは意味と意義があると思いたい。
 少数であろうと眼前に観客がいてくれて、彼らと共に過ごすライブの時間こそ新たなこれからの我らの「共謀」の入り口であり、コロナでさらに分断が進んだ世界の、人と人との距離、関係を再構築する「連帯」の手段だと信ずる。
 人はモノゴトがうまくいかないと、ときに絶望に陥り、結果として全てが無意味、無駄だったとニヒリズム、虚無的になってしまう。
 が、大事なことはあくまでも結果ではなく、成功しなくてもその過程、プロセスなのだと信じたい。結果は変わらないとしても誰かが声を上げたり、新たにアクションを起こすことで、小さな水滴が波紋を広げていくようにじょじよに少しづつでも変化が起きていく。
 変化を望むなら待つことでなく、自らが変わっていくことからではないか。外からの変化を期待し待ち望むことも大切だが、同時にまず自らからこそ変わらねばならない。

 同じうたは聞き飽きた。新しいうたが聞きたい。もし、新しく良い歌がないならば、我は拙くても自らそれをつくりたいと願う。
 安倍政治が終わり菅政権となったが、それで何が変わったのか。同じ顔触れの彼らに何が期待できよう。
 新しいうたを自らつくり歌っていきたい。その場として「共謀コンサート」を続けて行く。
 降り続く雨を止めることはできやしない。が、やまない雨はない。晴れたら、したいこととすることが誰にでもあるはずだ。

人の死に方考2020年10月03日 21時23分00秒

★我が父、いよいよ末期のときが近づいて来たこと

 また極私的なことを書かせてもらう。関心ない方は読まないで頂きたい。縁起でもないと思われるだろうが人の死に方について思うところを書く。

 今日は土曜。朝方父を民家型お泊りデイサービスの介護施設に送り出して午前は買い物とか用事を済ませたあと、昼過ぎから自転車走らせ東中神の銭湯に行き、久々に身体を丁寧に洗い広い湯船で手足を伸ばしのんびり湯に浸かって来た。そこは小さいながらも露天風呂もある。きちんと湯に入るのは何週間ぶりのことか。

 帰り道、銭湯向かいの肉屋で揚げたてのコロッケとメンチを買い、齧りながらコンビニで缶酎ハイも買って、ほろ酔い気分でウチに戻り倒れ込むように夕方まで深く眠った。
 起きたらもう外は暗かった。でも久しぶりに寝足りた気分で身体も心もスッキリしている。
 犬猫たちに餌もやって、家事は一段落、とりあえず今9時すぎ、二階の自室でパソコンに向かっている。

 我が父は、このところ二か所の介護施設に通い、そこでお泊りもして家に帰ってくるのは、月曜と木曜の夕方で、月曜は翌日火曜日の朝、また別施設に送り出す。
 が、金曜は終日家にいて、医師の訪問診察や、看護師の訪問が交互にある。そしてまた土曜の朝施設に送り出す。つまり木曜の夜から金曜一日、晩も含めて二晩は在宅で我が面倒見ないとならない。
 が、このところまた呆けが進んで、夕方昼寝でもさせてしまうと、深夜に戸をこじ開け外に出ようと徘徊したり、穿かせた尿漏れ防止パンツを自ら脱ぎ捨て、下半身裸で眠ってシーツに小便で世界地図を広げるので、こちらはおちおち深く眠ることはできやしない。

 夜もテレビでも観せて、できるだけ遅くまで眠らせないようにして、何枚も尿漏れ防止のためバッドやパンツをきちんとセットしてそれからとに戸に鍵かけて部屋から出ないようにして寝かせる。
 寝かしつけたと思っても気を緩めると深夜に戸を自ら無理やりバカ力でこじ開け、何のつもりが真冬でも裸同然のかっこうで外に出たりするので、我は寝てても気は休まらない。常に物音に耳をすませ、衣類も着たままで仮眠状態でうとうとして、明け方必ず一度起きて彼のオムツを交換する。
 それが一晩ならさほど辛くないが、木曜、金曜の晩と二晩続くと睡眠不足でフラフラになってくる。父がいる時は日中も昼寝はできない。目を離すと何をしでかすかわからないのだ。いや、何もしなくてもうつらうつらさせると今度は夜中が怖い。

 このところ、我が責を負う「月刊・共謀コンサート」は毎月ごと月末の土曜日開催ということが多いから、そんなで二晩ほぼ不眠で場に臨むのは体調がしんどくて、たいがいその前日の晩、金曜の夜から夕飯はウチで済ませた上、車でお泊り施設に一晩早く連れて行くようにしている。利用料はかさむが、そうでもしないと土曜の朝に父を送り出したのではコンサートの準備も我の体調も取り戻せない。

 その父は、今月の21日が誕生日だということだから、大正13年生だから、何と96歳となる。そしてさすがにこのところますます老化による衰弱は進んできた。
 施設にお泊りさせる日は多いとしても、週の内三晩は、帰宅し在宅で我が世話しているわけだが、食事も下の世話も移動もいよいよ限界に近いとこのところ痛切に感じるようになってきている。
 先日、市がやってる特定健診があり、我は父つれてかかりつけの病院の診療所に行ってきた。肺のレントゲンやら血液や尿検査、心電図などとってきた。つまりミニドックである。

 その結果は未だ返されていないのだが、訪問診察のとき、担当医からは腎臓の数値が悪化していると告げられた。彼のパソコンに入ってる父のカルテには既にデータが届いたようだ。このまま進むと透析となるかもと。
 今通っている介護施設にもそのことを連絡した。むろん向うでもできるだけ塩分は控える食事は出ているとは思うが、ウチでもまた極力塩分は減らすよう毎食注意しないとならないわけで、誤嚥での吞み込みだけでなくまた新たにタイヘンな状態に入って来たという思いにとらわれた。そしてこれが超長生きした人の末期の状態なのかと感慨を持った。

 もはやほとんど自力で歩けない、吞み込みも悪くなって食べられない、排便も大小無自覚で常時垂れ流し、記憶も思考力も衰え曖昧となっている。
 身体のうち内臓だけは若い時から丈夫で健啖家だったからこの大男は今まで(結核は若い時患ったが、以外の)大病もせず元気でこの歳まで生きられたのだと思うが、とうとう腎臓もダメになったのだ。
 多臓器不全という言葉がある。老衰による、という「死因」もある。百歳近くまでほんとうに長生きしてしまうと、人はこうして我が父のように頭も身体も何もかも全てが衰えて、大木が樹勢が衰えやがて枯れ朽ちてついに倒れるがごとくに終わりのときを迎えるのだと我は知った。

 人の生、つまり人が生まれるにあたっては、そのカタチはほぼ大差ないと思う。異論はあろう。むろん難産や流産、そして死産などそこにも様々なドラマが多々あると。
 しかし、産まれたその後のことはともかく、産まれる姿はその死期のときと比べればさほど誰もが大差はない。
 が、死のとき、死に臨む姿はまさに人さまざまで、誰一人同じあり方はないと我はつくづく思う。まさに人の数だけ「死に方」はあるのだと。

 事故や自殺はともかく、一番多いのは、癌や心筋梗塞や脳卒中などの病死というパターンだが、それだってあっという間に治療のかいもなく逝くということもあれば、いくつも難病を抱えつつも存外しぶとくなかなか死なない人も多々いる。
 が、進行性の病気での死は、我が母の場合もだが、そこにある道筋、ストーリーが見いだせる。母のことを今思うとき、どうしてその死に向かう列車に乗せてしまったのか、どの段階で見誤ったのか今もずっと自問再考している。

 医師たちの言うがままに唯唯諾諾従っていたから母の乗せられた列車はあの行きだったと今にして思う。そう、医者たちは笑顔の裏でその行き先は早くからはっきりわかっていたのだ。ただ、その行き先は母にも家族にもきちんと知らせなかったのだと。
 また、それすらも母の人生の結末、運命だったのだとも今は思える。ならばこそ、どうしてもっとやさしくできなかったか!という慙愧と悔恨の思いは死後時間と共に今もさらに強くなっている。

 そういうカタチの死のあり方がある一方、父のように行き先がはっきり見えない、いつどこに到着するかすら定かでない死に方もある。
 母のように頭は死ぬ直前でもはっきりしていて、意識もある死はさぞつらいかとも考えるが、父のように何もかも判別できなくなって、ある意味人格崩壊して死んでいくというのもまたそれは辛いのではないか。
何もかもわからなくなってやがて眠るように死ぬというのが理想的なのか、自分にはわからない。
 ただ、はっきりしていることは死は、死ぬときすらも自分では選べない、ということだ。
 人は無意識のうち、無人格のうちにこの世に産まれて来る。自分では何もわからないし何一つできやしない。
 ならば死ぬときもまた同様に、自らの手で何か下すことはしてはならないのではないか。
 いずれにせよ、生ある者、生を受けた者は誰もが必ず死ぬ。天国地獄に限らずあの世があろうとながろうと、そことは没交渉なのだから、あくまでも現世だけが人生なのだ。
 ならばこそどんな死に方でも、それは生きているからということであり、短くても長くてもまさに人は一生懸命生きなくてはならないのだと気づく。自ら命を絶つことはできない。

 我は、我が父母から二つの極端な死に方を知らされ、いや、示されて、生きることの意味を教えられている。
 それもまた父母の愛なのだと今知る。有難いことではないか。

申しわけないが調子が悪い2020年10月01日 23時59分08秒

★新しい月、中秋の名月の下に

 10月に入った。またまたブログ間が空いてしまった。
 このところめっきり涼しくなって、ときには肌寒い日すらあって、我の持病、寒暖差アレルギーが起きたらしく鼻水や咳、微熱などの風邪の初期症状のような状態が続いている。

 コロナではないと信ずるが、母が生きていた頃から我は季節の変わり目には必ず風邪ひいたような体調が何週間も、ときに一か月以上も続き体調を崩す。特に秋口になると必ず。
 寒いなり暑いなりその気温の状態が安定すればそれは収まるのだが、先月のように残暑まだ厳しい日々から一気に気温が下がり涼しくなってきたり、朝晩は冷え込むようになっても日中は汗ばむほど気温が上がる日があると、その「寒暖差」、つまり気温の上げ下げに身体が対応できずアレルギー症状が出るわけだ。

 そしてそれに加えて、数年前に起きた足の裏の激しい痛み、「足底筋膜炎」も右足だけだが、再発して痛くて歩けないというほどではないが、片足を引きずって歩いている。
 さらに慢性的もう一つの持病、人様には公言するのは憚れる下の病気、過活動膀胱も悪化して、外ではまず起こらないが、家にいて、特に寝起きのときなど、小便が我慢できず毎回垂れ流しの状態となっている。トイレに行くまで我慢できないのだ。
 このままだと父の尿漏れパンツも借用しないと対応できないと真剣に検討中だ。しかし我はまだ60代前半なのである。この先どうなってしまうのか。
 そこに我の失態、積年ネグレクトして来たツケから猫が増殖してしまい、今初めてここに記すが、今も大小10数匹の猫が我が家にはいて、その世話で経済的精神的にももう限界気味なのである。
 間もなく96歳になる、超年寄りを抱えて、父が在宅でないときも、そうした体調の悪さに加えて猫たちに起こされたりで睡眠不足が続き、もうフラフラヘラヘラだった。さらに加えて我の唯一の糧、古本稼業もあり、細々とだが、注文あればそれに迅速に応えないと店子は家主のAmazon様からペナルティをくらう。※その脅し、「警告」がすごいんですよ。

 以前のように落ち着いてのんびりブログ書き、世のあれこれに思うところをまさに徒然なるままにだらだら書き進められた頃が懐かしくさえ思う。
 まさに申し訳ないが、今は日々何とか生きていく、つまりその日を無事に乗り切るだけで精いっぱいギリギリで。日々の出来事すらブログで書く時間も気力もない。もし、その時間あれば30分でも長く寝ていたいというのが正直な気持ちなのだ。
 
 父が逝けば、我はその世話から解放されて楽に自由になれるかというと、ウチの基本的収入である父の年金が途絶えるわけで、またそれはそこから新たな地獄が始まるだけのことでしかない。
 
 このところ芸能人の自殺が相次ぎ報じられているが、実のところそれは知名度高い有名人だから騒がれるだけのことで、まさに氷山の一角でしかなくその裏には大勢の無名の一般人の自死が激増しているのではないか。
 そこにどのように影響しているかはっきりしなくても間違いなくこのコロナ禍で新たに強いられた「新しい日常」が影を落としていることは間違いないと我は考える。

 人と人との距離をとることが推奨される社会は実におかしい異常な世界であり、移動の自粛も含め日々のストレスを発散する場すら、「三密」だからと奪われてしまえば、人は孤独のうちに自死するしかない。
 芸能人は世間の目が常にあるから特にストレスが大きく、ましてこのコロナで多忙のはずの仕事もなくなり社会的繋がりを失えば、結果誰にも悩みを相談できず突発的に自死を選ぶのだと我は想像する。

 我も体調に加えて、これからのこと、先の「問題」について真夜中に目覚めたときなど考え出すと、先年亡くなった友人T氏の口癖「暗澹たる気持ち」に囚われまさに絶望的になる。いったいどうしたらいいのだろう。もうダメなのではないか。どうしようもないと絶望的気分なってしまう。
 が、我には拙くとも我の音楽と神が在るから、自死は選ばないし、それで解決しようとは今は思いもしない。もしそれで人生を終わらせられたとしてもそれは根本解決ではなく、まさに「逃げた」だけのことでしかなく、あの世で後々までも地獄の業火に焼かれるだけのことだ。
 そう、これまでも我はずっと嫌なことや面倒なことなど誰もが当たり前にすべき人生からひたすら「逃げて」きたが、最後の最後までそれはしないしできやしない。

 いや、これは真実、真理の話で、古本稼業の傍ら、何十年も手元に来た様々な「あの世」について書かれた古今東西の記録本、研究書を読んで、宗教でなくとも「あの世」、「死後の世界」は存在するし、自死も含めて「殺人」はその責務をまさに死後も償うことを認識したからだ。ならばこそ地獄はこの世で迎えるしかない。いかにしっかり向き合えるかだ。
 いや、地獄は、自業として自らが招いたと同時に、与えられた荷であるのだから、やはりその荷を背負い続けて一生を終えねばならないはずだ。
 よく神はその人が背負えない荷物は与えないというが、正直なところ我はそれすら疑わしいとおもうときが多々ある。この世は悲哀の海だから。
 が、同病相憐れむという俚諺のとおり、困窮にあり悩み苦しむ者たちこそ共に手をとりあい荷は分け合えないとしても励まし慰労し合えるのではないか。何も解決しなくともそこに救いはあると我は信ずる。
 だが問題はコロナウイルスはそうした密接かつ大切な「人間関係」を感染拡大に繋がるからと禁止してしまったことだ。いや、それは専門分野のことしか頭にない非常識な「専門家」たちの謂いか。それを「ニューノーマル」とか「新しい生活習慣」と言い切ってしまう政治家たちのデリカシーのなさよ。

 と、書きだせば、つらつらととめどなくいくらでも書ける。が、気がつけば午前1時を回って日付は変わってしまった。今晩は父が在宅で、明日明け方もオムツ交換に我は起きないとならない。寝る時間がなくなってしまう。
 体調が悪いので、父を送り出す明後日、土曜日の朝まではブログは書けないと、それだけ告知として載せるはずだった。が、こんなに長くなる。
 ともあれ、間は空いたとしてもブログ書き足し続けている間は我はまだ生きていると思ってほしい。一か月も断りなく途絶えてしまったときは、とうとう何かの理由で死んだと思って間違いない。ご了解願います。

「共謀コンサート」9月号、有観客で盛況のうちに終了す2020年09月27日 10時50分43秒

★9月とは思えぬ旗寒い小雨のそぼふる晩に

 新型コロナはじょじょに収まってきているかはともかく、様々な自粛や規制は取り払われる流れは進み、GO Toキャンペーンやらも次々打ち出され各地の街には人出が回復してきているようだ。
 そしてようやくイベント、コンサートも感染防止対策を徹底してという条件の元、しだいに元の形態、ノーマルな頃に戻りつつある。
 コンサートというイベントを企画する側としてもまだまだ気を配ることはいくらでもあるが、無観客ならぬ、観客を入れてのライブが再び開催できる喜びは大きい。やれやれという気持ちだ。

 昨日の谷保かけこみ亭での「月刊・共謀コンサート」も事前に参加連絡のあった3名の観客が来られて、先月・前回の1名から「盛況」の流れにある。
 このまま、かつてのように観覧希望者はどなたでもふらっと参加できて、客数の上限も取り払われ誰でも自由に出入りできる日がいつ戻るかわからないが、ようやく元に戻りつつある実感を昨晩は得た。

 コンサートじたいは、素晴らしいシンガー、ミュージシャンたちの熱演で、観客を前に盛り上がったのだけど、個人的には毎度不手際失態ばかりで、今の気持ちはやや鬱々としている。
 帰ってからまたつい深酒をし、頭痛する宿酔気味で真夜中に起きて、水道の水をガブガブ飲んだ。それから再度寝直したが、枕元で子猫たちが大騒ぎしたりしてたこともあってなかなか寝付けず、朝になってからやっと再び熟睡した。
 寝坊して10時過ぎやっと起きたら、頭痛は収まり頭はいっきりしているが、やはりまたもや自分のダメさの味、苦さは今も舌に心に残っている。今それを再度噛みしめながらこれを記す。

 コンサートは、我の場合、事前に出演者の登場する順番を綿密に考えに考え、最良の「流れ」をつくり、観客に提供していく。それはフォークソングのコンサートでもある意味、ショービジネスであり、出る側にとっても観る側にとっても最良のもの、結果として最良になるものを提供しなければならないと考えるからだ。ただシンガーを集めたというだけではコンサートにはならない。
 昨日もこのところレギュラー化している演者の皆さんに加えて、山口敦子という希代のボーカリストが参加されて、彼女中心に「ショー」の流れ=進行は練りに練って考案されるべきであった。

 しかし、「生配信」をコンサート内に取り入れ、その1時間枠の中の「流れ」もまた考えねばならず、しかも今回はシンガーのお一人が仕事で遅れるるという事前連絡もあったが「変更」ができたため、何も進行が決められない中で当日を迎えた。
 決めてあるのは、今回は生配信は初めての彼女をその枠内でしっかり流すということだけで、他はどうするか現場の状況見というスタンスで臨むしかない。

 が、ライブは水物であり、しかもうたは長短あるものだから、じっさいに演ってみないと時間はよめないし、想定はどんどん現場で時間と共に次々変えざる得なくなる。
 そのことで、毎度ながらも我は失態と判断の迷走を繰り返してシンガーの皆さんにご迷惑をずいぶんおかけしてしまった。中でも館野公一、太田三造の両氏に特に。長い付き合いの友人だからこそつい勝手なことばかり言って振り回してしまったことに。

 まったくダメだなあと今もつくづく思う。情けない限りだ。いつもは終えると、ともかく終えられた満足感と脳内に残滓のように残る良い音楽の余韻で、甘い夢を期待し深く眠ることができるのに今回はさまに夢見が悪かった。
 反省しきりである。過ぎたことだが、仕方ないとは思えない。

 元より、我のダメさ、愚かさは持って生まれた先天的なことだから血肉となって自分が生きている証であり、レーゾンディテール、「存在理由」だから、もう今さら何も悔いも悩みもしないのだが、そのことで他者を巻き込みご迷惑をかけるのは、また別問題でまったくもって申し訳ない。
 「共謀コンサート」も残すはあと年内三か月、つまり3回となった。おそらくより観客を多くお招きして開催できるはずだ。
 次回も含めてまだ誰に出て頂くか何も決まっていないが、今回のような現場で本番中の失態・迷走を繰り返してはならぬと今強く決意、自戒している。

 コンサート自体は我の出ている部分以外は全て皆さん良い、しっかりした歌声、演奏をきちんと示してくれた。有難く今ここで改めて感謝申したい。
 中でも山口敦子さんの静謐な歌声は、雨のそぼ降る肌寒い秋の夜にマッチした、しみじみとした心洗われる思いをその場の誰にももたらしたと思う。
 彼女こそ、今は亡きのみ亭やっちゃんが我に繋ぎ残してくれた方だ。これからもしっかり応援し良い企画を立てて行きたい。一人でも多くの人に彼女の歌声を届けたい。それこそが亡き人の思いに報いることであり、我にできることだと信じたい。

 昨晩の様子は、一両日内に画像でアップしていくが、当日の模様は生配信した約一時間分はかけこみ亭のHP、フェイスブックより観ることができると付記しておく。我は今自らを見直す勇気がない。間違いなく落ち込むから。

「共謀コンサート」9/26日のお誘いと、残す3回、ご参加ご協力を2020年09月21日 09時34分41秒

山口敦子と太田三造at国分寺ギーで。
★コロナ禍で、分断と孤立が深まり自殺者が増えていく時代だからこそ

 コロナウィルスの流行と感染防止のためとして常時マスク着用は当然のこととして「三密」を避けるなどの「新たしい日常」やら「新しい生活様式」が感染症専門家や為政者たちから提唱されて以降、直に出かけて人が人と向き合い会うことじたい、すべきでない、避けるべきこととして、テレワークやリモートなる何でもオンラインで代替していく「ニューノーマル」なる社会に変貌してしまった。買物すらネット通販と飲食店から自宅までのデリバリーが大盛況である。人と直に会わずに何でも済ましてしまう、ある意味これはノーマルどころか異常な事態であろう。それしか対策がないとしても、だ。

 我はそんなバカなことはいつまでも続かないと当初は考えていた。そもそもそれは人間の根源的願望、生理的要求と相反することだから。
 が、コロナの本格的流行から約半年が経過して、このところ全国的にはようやく感染者数は減少傾向にあるものの未だ都心部ではウイルスは微増減を繰り返しており、収束とは程遠い状況にあると言えよう。
※ましてイベントの来場・観客者数を緩和してこの三連休に臨めばどこも各地はスゴイ人出である。これではまたも新たな感染拡大の波、第三波が起きても当然至極である。

 ワクチンが近く完成したとしてもそれが広く一般普及するまではかなりの時間がかかるわけで、おそらくこのまま我らは、このウイルスと共にアフターならぬ「ウイズコロナ」としてこの異常な「ニューノーマル」状態は半ば恒久化していくと思えてきた。
 日本人は特に、感染症に対しては過敏かつきわめて神経質な国民性で、ましてコロナに感染するのは恥ずべき、悪いことであるようだから、感染者は収束傾向にある今でもマスクの着用率は、公共機関や電車内やショッピングモール、遊園地など人が「密」になる場所では以前に増して高まりほぼ100%だと我は見ている。この我すらも今ではそうした場に足を踏み入れる時は使い捨てマスクを着用している。でないと周りから何をされるかわからない。
 国内どこそこの空港で、マスクをしていない乗客がつまみ出されたとかの報道があったと記憶するが、この「ニューノーマル」状況が普及し一般化、徹底化された今の雰囲気ではしごく当然のことであろう。

 オンラインで今は確かに何でも代用代行できるのである。日本人は元々欧米人に比べて友人を集めてパーティーを催したり教会に日曜ごとに行って集うという習慣はない。友人を家に招く習慣も少ない。
 ある意味元々オタク的というか、引きこもり的ごくマイホーム主義的国民性であった。そしてこのコロナ禍でその傾向、嗜好性に拍車がかかった。
 そう、ある意味楽なのである。じっさいにわざわざそこまで出かけ足を運び人と会って話して用事を済まさねばならないというのは存外大変でときにかなり苦痛を伴うことだ。人と会うことは向うの立場も気持ちも忖度しないとならないわけでともかく面倒で気の重いことではないか。
 それは我自身そうした性格気質で、人見知り激しく集団生活になじめず不登校から引きこもり的半生を生きてきたからこそ心底わかる。
 通販の配達員とは、言葉もいらないしアマゾンなど今は「置き配」ということもできるから、一切顔すら合わさずに済む。
 買い物にしてもマスクをしていれば余計な会話も不要だから基本他人と関わりを持つ必要はほとんどない。
 父に関してもこのコロナ感染下、人との距離を保つことこそが善であり最優先のことだから、以前はよく訪れてきた市の福祉課の職員も来ないし都内にいる唯一の親族、彼の孫もこの半年以上我が家には感染うつすことを怖れ姿を見せない。

 この新型ウイルスは感染拡大防止の名目で、まさに人と人との距離をつくり、人との関係、人間社会を「分断」してしまったのである。
 そして結果として何が起きて何が起ころうとしているかというと、人々各自の孤独孤立の深まりとそれが引き起こす自殺である。特に一人暮らしの高齢者と若者が多いのではないか。
 若者ならネットで何でも語らえ繋がっているから孤独ではないというのは幻想で、ネット社会こそ自らを取り繕い人気ある、魅力ある姿に見せない限り他者はやってこない。愚痴や情けないことや本音を書くと無視されるならまだまだマシで、時に炎上したり徹底的に否定されもする。
 高齢者も以前なら民生委員や近所の人が頻繁に様子を伺いに来ただろうが、この「ニューノーマル」社会ではそれは控えるのが正しいことだから、結果として自死に近い孤独死を迎えてしまう。
 人は単身者であろうとも以前ならば近くの居酒屋に出向き、酒の力を借りて「知らぬ同士が小皿叩いて」出会い意気投合することもあった。だが、今では席と席も放されて隣の客と語り合う機会もない。そんなことは許されない雰囲気だ。
 人はどこまで孤独に置かれるか、その孤独の先に何があるか、である。耐えられる人はそれでいいが誰もがそんなに強くはない。

 アメリカ社会では、トランプ政権下、コロナ流行もあって分断と差別、格差が広がって大きな社会問題となっている。
 日本の場合は、格差はともかく、コロナ差別と共に、人と人との分断と孤立化がさらに進んでいると我は思える。今、孤独に悩み苦しんでいる人が間違いなくたくさんいる。
 コロナは、当たり前にあった人と人の繋がり、機会と場を断ち切ってしまったのだ。ならばそれを取り戻すアクションを我々は今すべきで、それを成し得てこそ真にコロナに打ち克つ、克服したと言えるのだと我は信ずる。

 人は自分でじぶんを助けることは難しい。それを強いるのなら政治は不要である。公的支援という言葉こそコロナ時代に最も求められているはずではないのか。
 そんな時代に何ができるか。何をどうすべきか。
 ともかくこのコロナ禍で遠く疎遠となってしまった人にまずはメールでも声をかけあい連絡密にして、ともかく一度直に会う場を設けることではないか(もちろん万全の感染防止対策の上で)。

 そのためにまずは「共謀コンサート」、生の素晴らしい音楽を用意して思想心情は抜きにしてどなたでも迎え入れたい。そしてマスク越しでもとことん本音を語り合いたい。
 ただし、客席数には密を避けるべく上限を設けねばならないから、参加予約のご一報入れて頂き、ご参加ご来場ください。


 人はこんな時代だからこそ孤立しないよう手を差し伸べねばならない。むろんお互いよく手は消毒したうえで、だ。

コロナ禍(下)時代の世相をうたにするとしたら・続き2020年09月16日 23時40分14秒

★コロナは続くよ どこまでも    ※線路は続くよ のメロディで

コロナは続くよ どこまでも
野をこえ 山こえ 国こえて
世界のどこでも僕たちに
新しい日常を押しつける

三密を避けよう 三密を避けよう 人と人との距離はとろう
密室は避けよう 密集はやめよう 密接になるのはよそう 


コロナの時代は 便利だな
仕事も 買い物も 出かけずに
何から何までオンラインで
新しい日常は引きこもり

オンラインでやってこう オンラインでやってこう
面接から葬式までオンラインで
オンラインですまそう オンラインですまそう
ライブから飲み会までオンラインで

コロナ禍(下)時代の世相をうたにするとしたら2020年09月13日 23時58分20秒

★替え歌ならばこんなのは

 コロナウィルスが日本でも本格的に流行し始めてから半年、ようやくこのところ感染者数も減少続きとなり「収束」への兆しも見えてきたように言われている。
 が、またこれから冬を迎えて密になる機会や場も増え、再再度の流行再燃、第三波の襲来もあるかもしれない。またワクチンも全世界的に完成は程遠く、もしそれが国内でも流通するようになったとしてもそれを自ら強く希む人は少ないように思える。我は、まだ安全性がはっきり確定していない怪しいワクチンを予防として打つよりはコロナに罹るほうを選ぶつもりでいる。
 ともあれ、このコロナ禍状況は、世界中でまだまだとうぶん続くことは間違いないだろう。

 さておき、このコロナ感染下、「自粛」期間も含めて皆さまはどうお過ごしだろうか。そして何をお考えになられたか。
 我は、手がけるコンサートも中止余儀なくされ、うたの場、その機会をコロナによって奪われたわけだが、ならば、そうした状況を「うた」にできないものかと考えた。
 うたは、日々の暮らしの中から生まれるもの、つまり、生活や日常を映すものだとするならば、このコロナ感染下の日常、つまり実に嫌~な言葉だが、「ニューノーマル」のことを映すうたが出てきて然るべきかと思う。
 少なくとも我が知る戦後の歌謡曲やフォークソングは、そうした市井の人々の「日常」を歌詞の中で巧みに描き歌詞の中に用いてきた。※例を挙げてもいいが、長くなるので割愛する。

 我も新たに歌詞全部でコロナ時代を描く試みもやってみたが、その前にまずは「替え歌」でいくつか作ってみた。
 替え歌は、敬愛する中川五郎氏や詩人の有馬敲氏も関西フォーク黎明期に早くから手掛けていたことだ。
 我も試作としてまだ思いつき、未完成のものもあるし、じっさいに先日のかけこみ亭での「月刊・共謀コンサート」のオープニングでうたったものもある。
 以下いくつか載せてみよう。

★リモートよ              原曲/かぐや姫 「妹よ」

 リモートよ モバイル一台 隔てて今
 遠くから仕事を押しつけて来る リモートよ
 コロナ時代は 夜も昼もなく 山のような
 仕事を自宅でさせるのか

 リモートよ 昔は退社時間があったから
 どんなに遅くなっても家に帰れた
 今は自宅で リモートワーク 外で仲間たちと
 たまには酒でも吞みたい

 リモートよ 今はこんな大変な時代だから
 どんなことがあっても 我慢しないと
 そして どうしても どうしても
 どうしても 耐えられないときは
 電源切ろうか リモートよ

 ※一応歌詞は拵えて演ってみると、ギターもけっこう難しいだけでなくウケるためには、何より南こうせつのようなハイボイスでないと笑えないことに気がついてボツにした。

★三つのお願い  原曲/四つのお願い ※ちあきなおみ
 
 コロナの時代に私が 恋を 恋をするなら
 三つのお願い 聞いて 聞いてほしいの
 一つ 密室行かないで
 二つ 密集はしないで
 三つ 密にはならないで
 人との距離はしっかりとってネ
 三つのお願い 聞いて 聞いてくれたら
 あなたに私は 夢中 感染しちゃうわ

※このうたも思いつきとしては誰もが考えるもので、二番の歌詞にはマスクは常に外さないで、とか、手の消毒忘れないで、とか入れたのだが、当たり前すぎて批判がなく、ちっともオモロくない。で、これもボツ。

★君はコロナの妻だから 原曲/君は心の妻だから ※鶴岡正義と東京ロマンチカ

 愛しながらも 運命(さだめ)に 敗けて
 感染しちゃったけど 心はひとつ
 陽性反応 医師に告げられ
 涙ぐんでた 君よ
 ああ 見舞いも禁止されている
 君は コロナの妻だから

※これはちょっとイイ!!、とみうらじゅん的には思ったが、じっさいに家庭内で感染者が出た場合、その妻をこうして唄うのは不謹慎だと叱られると思うし、二番では夫も 要観察二週間 とか歌詞も考えたものの曲調も暗くてちっとも笑えない。んでこれもボツ!!

 やはり替え歌というのは、カラッと明るいメロディーでないとダメだと思い至り、考えたのが古賀正男の懐かしの名曲『丘を越えて』ならぬ『コロナを越えて』(現在、思考中)とか、『線路は続くよどこまでも』ならぬ『コロナは続くよどこまでも』とかで、先の「共謀コンサート」で、この曲は館野さんたちに伴奏つけてもらい何とか歌えました!

★もう少しこの稿続きます。ご意見ください。

母の死から4年、今は在るもの全てに感謝したい2020年09月11日 12時42分29秒

★ようやく自分の人生がこれから始まる

 私事を書かせていただく。
 2016年9月8日、今からちょうど4年前、我の母は死んだ。早いもので指折り数えてみるとまるまる4年が経つことになる。その命日に考えたことなど、今の気持ちを記す。

 あの日から4年。その間に、我の周りでは何人かの大事な人たちが老いも若きも逝き、家族の一員である犬猫も何匹も死んだ。我も還暦を過ぎた。
 しかしいちばん大事な我が父も我自身も、そして我の大切に思う人たちは幸いにして未だ健在でただただ有難いことだと思うしかない。こんな時代なのだ。何があってもおかしくはない。ならば神に感謝、である。
 特に父は、亡き母より5歳は年長だったのだから、母が死んだとき、既に九十は卒えてたわけで、ついに来月、誕生日がくれば何と96歳となる。

 ちょっと信じられない気がするし、同世代の友人知人を見回してもそんな長生きしてている親がいる人はいない。いたとしてももはや寝たきりで介護病院施設などに預けて生活は共にしていないだろう。
 父はもう呆けに加えてほとんど歩けず、ろくに食べられず排便排尿は紙オムツの中に垂れ流しとなりまさに命は風前の灯火という感であるが、それでも大正生まれの元日本兵は頑健で、嚥下障害など誤嚥性肺炎の怖れはあっても内臓的にはどこも病気はないようなので廃人一歩手前となってもどっこい生きているのである。

 彼の介護に疲弊するときなど、我は、息子のほうが先に逝くかもしれないという不安に襲われることがままある。何しろ全盛期は、六尺男、つまり180㎝近くの身長と体重80キロを越す大男で老いても彼の妹弟たちが呆れるほどの健啖家だったから、今は骨と皮に老いさらばえても基礎体力がそもそも我らと違うのだ。
 大陸の苦難の戦地から無事帰還できた元日本兵は、日々衰弱は進み明日をも知れぬとはいえ、おそらくこの冬を超えて来春はともかく、来年の正月はたぶん迎えられるかと思う。そう、コロナにも負けずに。

 母も長生きしたほうだが、米寿を迎えられずに死んだとき、我はまさに想定外という思いがした。年長である父のほうが先に逝くと我も母自身も予想していたから、母亡きあとまさか父と我の男同士、二人きりでこの家で暮らしていくなんてまったく考えも想像もしていなかった。
 その父は今は週のうちかなりの日数を二か所の介護施設で介護保険をフルに利用してお泊りに行ってくれているから、我の介護する負担はだいぶ軽くなった。
 が、それでもこのところまた不穏が起きて来たから昼寝でも夜中でも寝かしつけても徘徊や妄動があるのでまったく気が休まらない。
 父がいるときは、夜勤警備員のように、横になったとしても数時間だけ、それも階下の父の部屋の物音に耳を澄ませながらだから、寝た気はしない。
 父を先に寝かしつけて0時過ぎに我も寝たとしても明け方にオムツ交換しないとならないし、ヘタに長く寝かせると父は自ら汚れたオムツを脱ぎ捨てて何も穿かずに寝たりするのでシーツはマットまで大世界地図である。
 昔は大食いでいくらでも食べられた人でもさすがにこのところは食も細くなり、しかもすくにむせて誤嚥する可能性が高いから、毎食食べさせるだけで一苦労である。食べないからと叱って無理強いすると一気に吐き戻したりもする。
 頭も、このところは収まっているが、些細なことに囚われ大騒ぎしたりもするし、おっかさんは、どこ行った!?こんな夜中なのに帰って来ない、と妻が死んだことをも忘れて我にしつこく繰り返し問うこともある。まさに泣きたい気分となる。
 もう、かつての几帳面かつ温和な性格は消えてしまい、ときに暴れもするし、繰り返す妄動や妄言暴言、徘徊行為にこちらも何度もキレたり、つい暴力行為を(お互いに)ふるうことも何度もあった。
 父は壊れてしまった、キチガイになってしまったと嘆き悩んだ日も多々ある。昔から我とは気が合わず、あまり親しい仲ではなかった老人と男二人の4年間、母不在の生活はまさに苦しく耐え難く、辛酸佳境に入るという言葉しかなかった。
 結果として、父が介護施設に行ってる間も我は疲れ果て寝込み、体調もすぐれず最愛の母の死の痛手も大きく何もかもやる気が失せ、すべてがネグレクトしてしまい、我家は今も内外ゴミ屋敷である。
 その有様に見かねたご近所がとうとう市に通報したらしく、先日は市職が訪れて来て、せめてお宅の道端、道路に出ている「ゴミ」だけでも片づけろと「通告」してきた。ゴミだと言う意識はなかったのだが、渡る世間は鬼ばかりという言葉が頭をよぎった。そう、全て自分が悪いのである。世間様から指弾されるにはそれなりの理由があろう。

 そしてそれはこのブログも同じことで、ネグレクトしたり書くことが亡くなったわけではないが、我の性格上、書くからにはきちんと時間かけられる状態でないと書き始められず、このところはともかく慌ただしいのと体調も悪かったり父の世話で疲れ果てていたりと書きだす「きっかけ」、つまりアティチュードというようなものがつかめず、ずっと更新できなかった。
 誰それのフェイスブックのように、日々思った事や出来事、したことなどを手短かに次々アップできたらと思う。が、我のスタイルはこれまでもそうであったように常に冗長、だらだらが基本姿勢だからそうはできやしない。
 何よりも我はバカだから、書く題材は決めていたとしても書きながら考えて、しだいにカタチにしていく形式だから、いきおい長くなるのは当然なのである。気の利いたことをツィッターのように、的確に「発言」できないしそもそもそんな気もない。また「いいね!」という反応、反響も求めはしない。
 顔の思い浮かべられるごくごく何人かの人たちが読んでくれる、いや、そう想定して彼らのために身辺報告も兼ねて書き記している。

 ともかく、この母の死後の4年間、ようやく喪の期間、死後の後片付け、それも現実の物的なことではなく、「心の後片づけ」がようやく終わったという気が今はしている。母が死んだ日の朝のような静謐な空気を感じている。
 母が死んだことは我の生涯最大の痛手であり、その痛恨の思いは何も変わらないが、今はようやくその死すらも肯定できずとも容認できる。もしそのまま今も母は元気で共に暮らしていたら、我は相変わらず全てを母任せにしてかつてのようにライブに旅行にと遊びまくっていたことだろう。まさにキリギリス生活は今も続いていた。
 しかし永遠の夏がないように、いつか季節は変わり、秋が来てやがては寒い冬が来る。母が死に、我に突然秋が来て、しかも不仲の父との二人だけの密接な暮らしが始まった。まさに身動きとれなくなった。自分のことは何一つできなくなってしまった。

 しかし、親はいつまでも生きていないし、いつかは人は一人で生きて自分のコトを自ら始末つけなくてはならない。これがやさしく理解ある妻や子が傍らにいたらまた話は違ったかもしれないが、我はそもそも一人で生きていくしかなかったのだから、未来永劫、母に頼ることは無理だった。ならば、こうして4年間、亡き母のことを思い何度も夢にも見、反芻し尽くし、今ようやく「過去」として記憶のフォルダに入れることができる。
 今風の言葉でいえば、新しいステージに移ったという感じだ。

 そして父とのことも、結局のところ、父という人間を深く知り味わい尽くすためにもこの4年間は必要だったのだと今は思える。
 我は母とは何でも語り合い、気も合い何でも無理が言え甘え尽くしたわけだが、父とはそもそも別人格であり、本当のところは何一つよくわかっていなかった。もし父が先に逝っていたら、いや、母の後を追うようにいなくなってしまっていたら、我は父のことは何も知らずに、わからないまま彼を喪っていたただろう。

 ならばすべてこれで良いのである。この四年、常に思い返しては母の愛の深さに今さらながら思い至り、ただ申し訳なく何度も何度も心中詫びてきたし、老いの行く末の姿として父のどうしようもなさに、我を構成するものを多々見出すこともできた。実に父と我はそっくりであった。
 まさに我はこの二人の顛末であった。拙い愛の結末だった。

 父は元気だといってもおそらく数年内には間違いなく死ぬ。いや、数か月先かもしれないし、近くある朝、我が彼の部屋の戸を開けたらもう息していないかもしれない。
 そしてようやくそこから、いや、父がいつまでも生きていたとしても我の本当の人生はそこから始まる。

 情けなく恥ずかしい話だが、世間の人ならば、就職して親元を離れたときや結婚したときに、そうして「我が人生=自分の人生」を開始しているのだと思う。
 我はほぼずっと親元に、親たちと一緒にいたから、自分のひとりの人生を生きてこなかった。老いた老親の世話をしているつもりだったが、実際は彼らに精神的にも経済的にも大いに依存していたのだ。母を亡くしてそのことを痛感した。母無しでは何一つできない自分がいた。

 ともあれ、実のところ一時期はもうブログも終わりにしようと考えもしたが、まだまだ書きたいことや書くべきことも多々あるような気がする。
 毎度同じうたで聞き飽きた、いや読み飽きたと思われるだろうが、しょせん営利目的でもないし、読み手は一円も損はしないのだから、読んでくれる人がいたらば幸い、という気持ちでこれからも続けていく。
 我には自分にしか書けないことがある、と信じて。そう、読み手にはこここの読み手しか読めないものを書いていく。

 今は、まだ我に、我の周りに在るものすぺてが有難い。ただただ感謝している。皆、生きて未だここに在る。それもこれも全ては神の計らい、神の愛の現れなのだと思う。
 こんな人間が父をも含め、死なずにまだ生き永らえていることだけで奇跡のように思える。まさに神に感謝、である。