これまでのこと、これからのこと・12021年10月14日 01時46分19秒

★やっと一段落、どっと疲れが出た。

 まず何から書いていくべきか。
 10日の「共謀コンサート」は、無事大盛況のうちに終わりました。改めて来られた関係者方、支援・応援してくれた方々に厚く御礼申したい。※画像も含めておおまかな報告は後ほどしていく予定。

 そして昨日12日、昼過ぎ雨の中、女友達に車出してもらい、ウチの子猫三匹を彼女の友人である青梅の男性宅に届けてやっとけんあんのことは、ひとまずとりあえず終わった。※子猫の件はまだ残っているが・・・
 あとは、我が関わる公的な事案は12月の「共謀コンサート」の最終回だけで、これから一か月半は、家のこと、父とのこと、自分のことに専念できる。
 で、昨日は夕方から気も緩み、どっと一気に疲れが出て、今日も断続的に眠ってしまった。そして夜も頭痛がしたので早く床に入ったら、ヘンな夢を見てうなされて今さっき日付も変わった零時過ぎに起きてしまった。
 朝まで寝なおすべきなのだが、今晩の猫たちの世話、餌やりやトイレ掃除がまだたったので、そんな作業していたら目が冴えてしまったので久々にゆっくりパソコンに向かいブログを記すことにしよう。※幸い父は明日14日の夕方まで帰らない。

 それにしても今振り返って、この夏から秋はともかく慌ただしく忙しくタイヘンだった。まさに次々と難題、問題が起こる多事多難の季節であったとしみじみ思う。まったく気が休まる時がなかった。それで体調もおかしくなってしまった。自律神経が壊れて汗が止まらなかった。今もすべて解決したわけではないけれど、倒れたり入院せずよく乗り切れたと自分でも思う。
 つまるところ、長年自分が放擲してきた、「すべきこと」、つまりきちんと片づけたり、いつかは対応、処理しなくてはならなかった問題事案が、今夏とうとう一気に噴出したということだろう。

 コロナ禍が長引いたことで政府・自民党政権の感染対策、医療対応が後手後手となり、感染爆発を起こしてやっとその脆弱さや根本的問題点が表出したように、平時では隠れて見えなかった我が人生の「問題点」もあるきっかけで突然大きく表舞台に現れる。
 しかも続くときは連鎖的にトラブルは多発するのが常だから、今思うと菅政権には多少の同情も禁じ得ない。むろん彼の首相としての資質こそがいちばんの問題だったのだが。そう、全ては自業自得なのである。

 さておき、今夏7月、前回の「共謀コンサート」が緊急事態宣言下でも無事終わって、その直後、翌日だったか、まずパソコンが壊れた。
 今思えば、もう7、8年、いやそれ以上?使ってきて、機能的にもそろそろ疲弊が見え始めていたと気づく。いつだったか記したが、コピペ機能もうまくできなくなったり、僅かだが本体内部からピーという異音もし始めていて、確かにその前兆はあったのだ。
 その時点でメンテナンス的なことをやったり、いや、それ以上にまずバックアップ的なことにすぐ取り掛かり、別のパソコンにデータも移してメインの使用はそちらに移すべきであった。じっさい今使っているこのパソコンは既に手元にあり、そちらも併用していたのだから。
 ただ、我は毎度のバカゆえに事態がよく認識できず、移転作業も面倒くさがって旧いパソコンをメインに使用し続けていた。まだ大丈夫だろうと、根拠のない楽観主義で。

 そして7月のコンサートが終わったとたん壊れて、電源は入ってもOSが起動しなくなった。が、その後も我はまあそれでも何とか直るだろうとか、最悪でもデータだけは救出できると漠然と思い込んでいた。
 で、何か所もパソコン修理業者にその東芝の一体型デスクトップパソコンを抱えては持ち込み、修理やデータ取り出しをお願いしたが、どこも処置なしで返され、けっきょくメーカーである東芝のサービスセンターに引き取ってもらいお願いすることにした。
 が、最終的にそこでもデータ取り出しさえも不能と診断されて七千なんぼか支払い返されてしまった。そんなこんなで一か月も振り回され1万数千円も見積基本料として直りもしないのに失ってしまった。
 その時間と金、そしてパソコン内に入っていた様々なデータも失ったことは大きいが、さらに大変だったことは、新パソコンでの様々な再設定であった。
 その壊れた旧い普段使いのパソコンにすべての基本的設定のデータ、フォーマットが入っていたから、それが取り出せない、使えないとなると全てまた一から設定しないとならない。
 けっきょく、今のこの新しくメインに使っている富士通のデスクトップに合わせてプリンタも新しく購入したし、ワードなどのソフトも何か使い勝手が違いかなり難儀した。

 今回の10月10日のコンサートでも、当日配布する歌詞カードを載せた簡単なパンフ一枚作るだけでも何もないところから1から始めなくてはならなかった。これまでは、以前自分で拵えた出来合いのチラシのフォーマットを少し手直しすればすぐさま完成できたそうした印刷物も何もかもまた1からのやり直しだからものすごく時間がかかってしまった。まあ、何とか間に合い配布出来だけれど。

 幸いにして、画像や映像などのデータは、近年のはパソコン本体ではなく、外付けハードディスクにいつも取り込んでいたから、パソコンが壊れても被害はなかったが、それでも昔、パソコンに取り込んでいた写真や音声は戻ってこない。大部分は、録ったときのオリジナルのSDカードなどに(消してなければ)残っているはずだが、そうしたSDカードはどこかにあるとしても果たして出てくるのだろうか。
 ともあれ、失った「過去」をくよくよ悔やみ嘆いても仕方ない。英語のことわざに、『こぼしたミルクは戻らない』とあったと記憶するが、ならばこれからの新しいミルクを大事にしていくことだろう。それも「保管」することよりもまずは飲むこと、つまり録ったものなどは「活用」していくことだ。
 過去、思い出は自分を慰めてくれたとしても今の自分を助けてはくれない。未来をどうにかできるのは、「今」だけなのである。

 そんなこんなでパソコンクラッシュの問題は、修理もデータ取り出しも不能ということで決着し、気を取り直して別のパソコンで何とか作業をはじめたと同時期に、今度は新たに猫の問題、脚にケガした「しんのすけ」の問題が発生した。まさかそれもこんなに大事になるとは当初は思いもしなかった。いま、その猫にかかった治療代は既に35万円近くとなった。

 ★長くなったので、続きは別の回に記します。

まだできること、すべきことがあるのならば2021年09月28日 07時26分51秒

★状況は何も変わっていないけれど

 彼岸過ぎて、季節もようやく夏から秋に変わり、朝晩はめっきり肌寒いほど涼しくなってきた。
 失踪した猫が帰ってこない状況は相変わらずなのだが、ようやく気持ちは戻ったというか、踏ん切りがついた。切り替わった。

 まだ、できることとやるべきことがある。そのための時間も(多くはないが)まだある。ならば、ともかく一つ一つ、一日一日きちんとしっかり生きていこうと思った。そう、できることはそれしかない。
 どんなに大変でもやるべきこと、すべきことがあるのは有難い。そうして一日一日何とか乗り切っていけばこの人生も終わる。いや、終えられるだろう。
 公的なことというか、我の対社会的な活動は、来月10日開催の「共謀コンサート」と、それの12月の最終回だけで、ともかく年内のその二つのイベントをなし終えたら、もうそうした企画活動は当面終わりにしようと今は考えている。

 迫りくる父の死を間近に、準備というか、今一度真剣に、成すべきことを検討しなければならないし、「遺産」などはないが、煩雑な死後の手続きなども今まだ生きているうちに変更できることは済ませておいたほうが良いだろうと考えたからだ。
 いろいろご心配おかけしたが、もう今回の危機は乗り越えられそうだ。猫は帰ってくるときは帰ってくるだろうし、帰らないのならば、それもまた意味と理由があるのだろう。
 昨今、自分がつくったうたの文句ではないけれど、愚かさを抱えて生きていく、愚かさと向き合い生きていこうと今更ながら誓った。そう、バカだから、バカだからこそ、だ。
 結局できることはそれしかない。愚かでだらしなく不器用だからこそ、拙を守ることだ。
 ※陶淵明『守拙帰園田』。

 慌ただしさと心労でこのブログもずいぶん更新できずその間隔が空いてしまったが、順位はうんと下がってはいないのは、アクセス数だけは、あまり減っていないことなんだろうと好意的に思いたい。
 コメントなどは皆無でも、つまりそれだけ誰かさんたちが我が窮状を気にかけてたまには覗きに来てくれているのだと考えてこれからもできるだけ書き続けていきたい。
 まだできること、すべきことだと考えて。いろんなことを今更ながらだが、きちんとしていこう。
 ご心配おかけしました。ともかく皆さん有難うございました!!!

我が人生、三度目の苦難の渦中において2021年09月23日 16時59分52秒

★何が起きているのか、何が起きたのか、ようやく心が落ち着いてきたので。

 まったく恥ずかしく情けない話だが、できるだけ包み隠さず正直に書く。
 また、ブログが前回書いてからずっと空いてしまった。ご心配おかけしたらまずお詫びしたい。
 その続きを書こうと思っていた矢先、予想していない「事件」が起きた。自らの迂闊さと愚かさをひたすら噛みしめ、まさに今も胸が締め付けられる思いがする。世間の人にはなんだ、そんなことか、とまた嗤われるだろうけれども。

 実は、先だって記した、後ろ脚をケガして大手術をした猫が、帰宅後、失踪してしまった。先週の金曜の明け方に気がついたのだから、もう一週間がたとうとしている。が、あちこち探しまわったものの姿は確認できていない。
 まだ通院治療中で、近く体内に入っている、骨を固定してある金属製のピン、人間でいえばボルトを抜く再手術をしなくてはならないだけでなく、患部の感染を抑える抗生剤も当分の間は飲ませ続けないと危ないと医師から言われているのに、自らケージの隙間から「脱走」してしまったのだ。
 その病院で診察受けて、骨折していた部分の骨の部分がかなり腐っていて、一時期は脚一本切断することも検討されたが、医師の努力によって何とか切らずに今現在は様子見という状態で、我が家に返されたのだった。
 一か月間の入院費と手術代で、30万円を超したということも書いたが、その額がかかった猫がいなくなってしまったということよりも、これから先、果たして生きていけるのか、ともかく帰ってきてはくれないかという不安と哀しみ、失意のほうが心を占めている。
 まさに我の過失であった。しかし、どうしてこんな辛く悲しく苦しいことが起きるのだろうか。この事件にも何か意味があるのであろうか。

 このところ、起こることすべては神の愛、神の計らいだと我は自らに言い聞かせていた。その出来事には必ず意味があるはずだと。
 しかし、今はまだこのことは、良いことだなんて絶対に思えない。夜も昼も思うはいなくなったまだ子猫と呼べるほどの小さい猫のことばかりだ。開け放してある猫ドアから自ら自分で帰ってくるのをひたすら待つしかない。

 我はもともと、親譲りの不安神経症があり、不意に何か根拠のない不安に襲われてドキドキ心臓が痛くなる。気になることがあるとあれこれ考えて眠れなくなることも多い。
 が、歳とってさすがに鈍感力もついてきたのと、神の存在を確信してから、もうそれは表に出なくなったと思っていた。
 しかし、今回、猫がいなくなった日から、パニック障害まで起こして、汗がだらだら止まらず、何も食べ物は喉も通らず、自分でもこれが続いたら死ぬな、と不安になった。
 ひたすら水をがぶがぶ飲み、下痢もしたが、幸いにして一日半で、ともかく少しは食欲も戻り今はまだ食は細いが何とか食べられている。
 しかし今も事態は何も解決したわけではないので、子猫の入っていた空のケージを見る都度、胸が苦しくなってくる。日に何度も名前を呼んで、「しんのすけ、しんのすけ、帰っておいで」と猫ドアに向かって呼び掛けている。

 わが生涯の過去二つの試練的出来事は、一番目は、これもまた我が不注意から近所の女児を車で跳ねて脳挫傷となり、一時期は危篤状態で、一週間、腫れた脳を冷やしてまさに奇跡的に一命をとりとめたことだ。
 その一週間もまさにこちらも生きた心持ちせず、不眠で神に祈り続けた。幸いにして後遺症もなく先日その子は、成人式を迎えたらしく振り袖姿を垣間見たのだから、もう十数年が経過したということになる。
 二番目は、いうまでもなくは最愛の母の死であり、今思うと、死そのものは覚悟もしていたからさほど苦難ではないことに気づく。
 何が苦しくつらかったと振り返れば、じょじょに死にゆく姿であり、死の瞬間まで共に暮らせたからそのことには悔いはないが、やはりもっともっと何かできたことがあったはずだし、結果として我の不手際で死なせてしまったという苦い思いである。
 その二つの時も、しばらくの間、見る景色すべてが色を失い、我にとってまったく無意味、無価値となってしまった。外の世界のことは何もかもどうでもよくなってしまった。
 元に戻るまでどれだけ時間がかかったことかもう思い出せない。

 今回はたかが子猫のことである。しかし、数日であったが、やはり同様の感覚に陥った。苦しかった。
 
 今もまだ気持ちは元に戻っていない。今も諦めずにともかく自分できっと帰ってくると信じて待ち続ける気持ちに変わりはない。
 このまま、ブログも何の説明もなく更新しないままだと、こんな我を支えて助けてくれた皆様にも申し訳ない。
 ともかくざっとだが、現況だけお知らせした次第だ。

母の命日に思う2021年09月08日 14時51分16秒

★果たせなかった思いとかなわなかった夢と

 9月に月に入ってから多々いろいろあって、良いことも悪いこともともかく慌ただしくて心労甚だしく落ち着いてブログも書けなかった。今も体調はすぐれない。腰がへんな風に痛い。
 何も解決したわけではないが、明日、明後日はまた父が在宅の日なので、今日はまだ時間があるので近況といま思うところを少しだけ書かせてください。

 今日、9月8日は、母の命日である。2016年の今日早朝、母は逝った。指折り数えてみると今年は2021年で、丸5年となる。思えばあっという間だが、いつしかそれだけの歳月が過ぎたのだ。最近では母も夢にも出てこなくなった。残す我らを案じ無念の死だったはずだが成仏したのであろうか。
 何度も書いてきたと思うが、母の死で、我の人生は新たな段階に入った。それまでは、母を中心に、父と、子である我の三人家族で長年あったのが、その日から父と我だけの男だけの家となってしまった。
 しかもその父は、さらに認知症と高齢で老衰老耄が進み、もはやかつての人格はほとんどなく、生きてはいても形骸に過ぎないようなものだから、何一つ頼むに値せず、我が父の世話と家事家計すべてを担当せざる得なくなった。

 そして当然のことだと今気づくが、万事に無能かつ何一つ片づけられない整理整頓・管理能力が欠如した我の家は、内も外もごみ屋敷と化してしまった。頭がおかしいからである。※これは本当に「病的」なものだと自分でも認識しているが、医者にかかっても治るわけでないので診断は仰がない。
 母の死のショックにかこつけて、全てを放擲、ネグレクトしていたから、モノが片づけられなくて増えるだけでなく、たとえば猫たちは避妊や去勢手術することなくほったらかしにしていたら次々と子を産み、またその子がさらにまた子を産み、我が家は多頭飼い飼育崩壊の寸前となってしまった。
 そしてそれは今も続いている。ずいぶん人手を煩わせ、多くの人に新たな飼い主を見つけてもらったが、今もまだ子猫は増え続けたままだ。打ち止め、終わりの日は来るのであろうか。※さらに実は、また子猫が一匹、後ろ脚に事故に遭い一か月も入院していたのが、昨日やっと帰還したところだ。今はケージに閉じ込めて自宅療養中となった。回復傾向にあるがまだまだ予断は許さない。薬を飲ませたり傷口を消毒したりこれまた手がかかるが仕方ない。

 そこに、先だっては長年使ってきたメインのパソコンもクラッシュする事態が起きた。せめてデータ復旧だけは、とあちこち駆け回ったが、それすらもかなわず徒労に終わった。様々な設定も仕事のデータベースもまた1からから、新たに構築しないとならない。
 もう六十代半ばにならんとする歳で、家のことも仕事に関することも猫のことも多々一人で抱えて維持しつつ今さらやり直さないとならないということは、亡き友人の口癖を借りれば「暗澹たる気持ち」とならざるえないが、若い頃から親たちに甘え依存したうえで野放図に生きてきた愚かな人生の帰結、顛末なのだと覚悟してやっていくしかない。そう、ある意味、自業自得は正しいのである。
 どうしようもない人生を、少しでもましになるよう、そのときどきできること=すべきことを少しづつでもやっていくしかない。そうこうしているうちにやがてこの愚かな人生も終わりの日が来るだろう。それはそんな先のことではない気がしている。どこまで果たせるか、だ。

 と、ここまでが、毎度の前置き、前説であり、ここからが書きたいことだ。
 このところ、父のおむつ交換などもあって、何時に寝ても明け方、四時か五時ごろには一度起きてしまう。
 今朝も父は不在の日なのに、寝たのも遅かったはずなのに、まだ暗い午前四時頃に一度目覚めてしまった。ちょうど母が逝った時刻であったかもしれない。
 在宅で看ていた母の容体が急に悪化したのが、その2016年の9月8日に日付が変わった頃で、その急変に慌てて救急車を手配し隊員たちが来て心臓マッサージなど手を尽くしたがもう心臓は動き直すことはなく、そのまま救急車に乗せられ立川のかかりつけ病院に運ばれた。
 我もその車内で、握っていた母の手が次第に冷たくなっていくのを感じて、人の死とはこうしたものかと妙に冷静に思ったことを今思い出す。そして徐々に外は白み始め、病院で死亡診断書をもらい、静謐な朝の街を早速手配し来てくれた霊柩車で母の遺体と共に帰宅したのであった。
 
 葬式や死後の様々な手続きに追われていた頃は、慌ただしくやること多々で、淋しさなど感じなかったが、一段落したとたん我は母なき現実に打ちのめされ何もかもめちゃくちゃになってしまった。
 あの日から5年が過ぎて、今やっとその事実、事態そのものを冷静に俯瞰するように見つめ直し受け容れられるようになった。当初はなかなか受け入れられなかったが、最愛の母の死もまた起こるべくして起こった意味ある事であったと今思う。

 それが良いことであろうと、悪いことであろうと、この世に「起こること」にはすべて意味がある。
 若い時から漠然とそう感じていたが、年とった今は、確信をもって断言できる。そう、起こることは全てには、理由、原因があると同時に、意味がある。すべてのことは、メッセージなのである。
 それを、容認するか以前に、まずその出来事、起こったことをどう人は受け取るか、である。読み取る、と言ってもいい。
 母の死のように、それは絶対に「良いこと」だととても思えなくても、そこには意味がある。それは天の配剤、キリスト教的に言えば、神の御心の顕れ、なのである。
 とてもそう思えないであろう。誰だってつらいこと、特に人の死、それも最愛の人の死は受け入れがたい。

 今、NHKの朝ドラ『おかえりモネ』では、三陸出身の主人公の友人の親父が、あの3.11の大津波で妻を亡くしアル中になっているエピソードが描かれている。
 浅野忠信演じる元漁師のその男は、行方不明となった妻の死を認められず、酒におぼれ役所に出す死亡報告書をずっと拒み続けている。周りから提出の勧めに(妻の死を)「俺は絶対に認めねえよ」と号泣する姿に我もつられて泣いてしまった。その気持ちは今も我は共有している。
 が、受け容れられなくとも、起こること、起きてしまったことはすべて意味があるのだとしたら、人はそれぞれどう解釈してどう捉えるかということこそが求められているのではないか。

 人生はつらく苦しく悲しいことばかりが起きる。思わず天を仰ぎ、何でだ!!と憤りの声が出る。神を呪う言葉すら出る。それはとても良いことだとは思えないことばかりが続く。自死すらも頭をよぎる。
 しかし、その苦難と苦渋の中にこそ何か意味、希望の光、発芽のようなものを少しでもみつけていくしかない。パンドラの函の底に残るものは何か、だ。
 人の幸、不幸は、そのメッセージをどう受け取るかなのである。たとえ絶対に受け容れられなくても。意味は見いだせる。

 そして、まだ生きている我らは、先に逝ってしまった人たちの残した、果たせなかった思いとかなわなかった夢を大切にして抱えて生きていかねばならないと気づく。
 そうして遺された思いと夢とを受け取り、また次へと手渡すこと。それこそが人生であり、やがてはそれが「歴史」となっていくのではないか。
 ならばしんどくてもともかく生き続けていくしかない。がんばりたい。がんばらねば。

9月に入りました2021年09月02日 13時42分34秒

★やっと新パソコン諸々の設置、設定が終わった。

 長月九月に入ったとたん雨模様の日が続き、急に涼しくなった。
 昨日は、父不在ということもあって、朝も寝坊したのに、午後も昼食後、夕方までひたすら昼寝してしまった。大したことはしていないのに、どっと疲れが出た感じがしていた。
 春眠暁を覚えず、ではなく秋眠であるが。まあ、それだけ様々な気苦労で疲れ果てていたのだろう。

 前回も書いたが、コロナ陽性となってずっと自宅療養を余儀なくされていた友人も無事回復途上にあり、自宅隔離も解かれたし、私事だが、クラッシュしたパソコンに代わって新しくメインに用いる富士通のデスクトップのパソコンをプリンタなどと繋ぐ設定作業もほぼすべて終わった。
 もうこれでブログもフェイスブックも自在にアクセスできるし、印刷も今回新たに購入したものだけでなく、旧のプリンタも新パソコンで起動できるように繋げられたので、パソコン&ネット環境だけは元に戻っただけでなくグレードアップできた。
 しかしこれで本当に元通りかと言えば、まったくそうではない。壊れたパソコンに入っていた様々なデータが一切合切失われてしまったので、様々な過去のデータ、情報だけでなく、印刷などの際のフォーム、我が拵えた形式そのものを一から作り直さないとならない。
 例えば、コンサートのチラシや歌集を作るにしても、パソコンが壊れる前は、過去に使用したフォームをそのままコピペしたり入れ替えたりしてそこに新たに付け加えるだけですぐに「完成」させられた。
 しかし、もうそうした過去のデータ、フォームは新しいパソコンには何も入っていないのだから、またすべて最初から入れ直す、つまり何であれ作り直さないとならない。
 ライブの画像なども古いものは、外付けハードディスクに入っていないので、どこかに収蔵してあるはずのSDカードを探し出してまた一枚づつデータを取り出し確認してはパソコンやHDなどに取り込んでいかねばならない。

 これからの様々な作業を思うとき、正直、前途遼遠、うんざりした気分にもなるが、これはある意味、これまで果たせなかった我のデータベース構築の機会ともなるわけで、積年自分の抱えている、録りためた画像、映像、音源などを今度こそ全てきちんと年度、月日ごとに整理・保存し直して、ゆくゆくは公開できるものは世に広く示したいと思っている。
 そういう意味で、まだ何も始まりも始めてもいないが、ようやく新たなスタート位置に立った、というか今風の言葉を使えば、新しいステージの幕が開けたというところだ。

 そう、やっとこれで緒に就いた、というか、新たな旅支度は整った。さあ、ここからだという気分になった。人もモノもデータの類も失ったものを悔やみ嘆き悲しんでも無意味、無駄であろう。
 こぼしたミルクは戻らないのならば、新たなミルクを探し求めることも大事だが、もう一度冷蔵庫の中も整理整頓して見通し良くしてまず不要なものは処分して新たな収納スペースを拵えて快適な生活を送れるよう生活そのものを立て直していくことだ。

 7月の19日にパソコンがクラッシュしてから約一か月半、ずっと我が人生は迷走し、さらに周囲あちこちでコロナ陽性者も出てしまい、ずいぶん気苦労は絶えなかったが、新しい季節を迎えてようやく騒動は収束へ、今は再スタートの緒に就けた。
 間もなく9月8日は母の5回目の命日、そして10月に入れば父の97歳の誕生日が来る。さらに、いよいよ天下分け目の決戦、政権交代の期待が高まる衆院選の日程も出たようだ。やること、できることはいっぱいある。だが、それこそが良いこと、生きているということではないか。

 多事多難の人生はこれからも続くが、いまは、ともかく我もまたここに生きて在るだけで満足であり有難いことだと思っている。
 一人は皆のために、皆は一人のために、今こそ共に手を携えてこの危機を乗り越えていきましょう!!

夏の終わりに思うこと2021年08月31日 23時14分26秒

★いまは、まだ生きてここに在ることだけで、涙がでるほど有難い

 2021年、コロナ禍、二度目の夏、八月も今日で終わる。
 先にお知らせした、かけこみ亭の陽性者の方も、昨日付けで、保健所から「自宅療養」終了証が出たとのことで、ようやく自宅監禁状態から解かれたようだ。
 現時点での体調や今後のこと等、詳しいことは不明だが、ともかく「回復」したことは間違いないわけで、ほっと胸を撫でおろしている。
 ともかく彼が元気で、店にいないことには、店自体の存続が危ぶまれる事態となるわけで、これでまた我の、その店において様々な企画が動き出せる。
 ほんとうに良かったと今は思える。それも彼の周りの友人知人などによる強力なネットワーク体制があったからで、容態の確認、食べ物の差し入れなど連係プレーで体調維持管理ができ、重症化することなく無事回復となったのである。

 それにしてもいかに感染者が増大し医療体制がひっ迫し入院が困難な状況だとしても一度もきちんとした診察など医療関係者による診断もレントゲンも受けることなく、「陽性者」と判定されただけで、コロナ患者として二週間以上も自粛的に自宅に一人で隔離・監禁されることはまさに異常なことではないか。
 自宅治療ならまだしも自宅「療養」という言葉そのものが意味をなしていない。療養とは、手術後など、病やケガが癒えてきて回復傾向にある時点で医師が指示し用いる言葉であろう。
 それを治療もしないで、さらに悪化する可能性がある状態で、この政府は「自宅療養」という無意味な言葉のまやかしで、患者を自宅にほったらかし、つまり放擲してしまう。
 周りに家人がいたり、頻繁に誰かが様子を確認できる人ならともかく、一人暮らしでまして高齢者であれば、たとえ軽症であろうとも突然の高熱や呼吸困難など体調変化が起きた場合、自ら電話かけることもできなくなって、連絡不通で救急隊が訪れた時点で手遅れとなった人も多く出たに違いない。
 コロナはこの春、突然発生した病ではない。もう国内で感染発生の報告から一年半以上も過ぎている。
 政府は何度も何度も緊急事態宣言を出してきたが、いったんは陽性者、患者数は減ってもまた大規模なピークを繰り返してきた。いっこうに収束はしない。
 ただ、ワクチン接種だけを勧めイベントや飲食店に中止、休業せよと締め付けるだけ。その最中に東京五輪は強行して過去最大の山場、感染爆発を招いてしまったのだ。
 そうした挙句に、医療ひっ迫という名目で、中等症までの人は、「自宅療養」で、という方針となったのだ。これはまさに棄民政策というしかない。
 小池百合子らは、コロナは豪雨災害と同じく自然災害、天災だと言い張るが、自然災害だとしても治水を怠って川が氾濫すれば人災であるように、難しい感染症だとしてもここまで抑えきれない状況、しかも全国規模で過去最大の山場を迎えてしまったのは政治の無策であり、この国難は、自公政権による「人災」だと断言する。
 後年、コロナ危機を招いた「悪夢のような自公菅政権」として歴史書に記載されることであろう。しかしまだ先はまったく見えやしない。

 今日は月末、8月31日。このところまた暑さがぶり返していたが、今日は朝から曇り空で蒸し暑かったものの、午後から小雨がぱらつき始め、先ほど夜になったら雷が激しく鳴って東京多摩地区では滝のような豪雨が降った。
 何時間も続いたわけではないが、今はやみ、雨のあとは一気に涼しくなった。
 予報では、今週は雨や曇りの日が多く、温度も30度を超す日はないようである。やっとこの夏も終わった感がある。

 それにしても・・・実に大変なこの夏、八月であった。冒頭に書いた気持ちは嘘偽りない。
 かけこみ亭の陽性者のことだけでなく、我の周りではコロナ患者・陽性の報が相次ぎ、一時は、自らも濃厚接触者となったのではないか、老父にも感染させてしまったかもと怖れ慄いた。
 さらにそこに長年使ってきたパソコンが壊れ、何とかデータだけでも復旧させようとあちこち問い合わせしたり渡り歩いた。が、徒労であった。
 いろんな意味で綱渡り状態が続いたが、菅首相の認識はともかく、我の周りでは「ようやく光が見えてきた」とまさに思える。
 これ以上、事態や状況が悪くならないことをただ神に祈るだけだが、季節も変わり少しでもこの多事多難な状態が収束していくよう、心して、感謝の気持ち込めてここでいったんこの回は終わりにする。

 皆様もご自愛ください。菅自公政権に殺されないためにも来たる総選挙では彼らに退陣と政権交代という鉄槌を下しましょう。

まさに感染爆発! 陽性者・感染者の報相次ぐ2021年08月24日 04時21分19秒

★新しい局面に入った~最大の危機が迫っている

 手短かに記す。この数日、我の周りでは毎日必ず数名が知人・友人などから、誰それがコロナ陽性になった、感染したと連絡が入ってきている。
 我の父が今利用している介護施設は二か所あるのだが、そのうちの一つから一昨日電話があり、職員の一人が陽性となったので、しばらく施設は閉鎖・休業するという連絡があった。

 幸いそのときは、父はそこには行ってなくて、もう一か所の別の施設のほうにいた。で、即そちらに電話して、感染者が出たほうの利用予定日をそこで過ごせるようお願いして、延長・連泊がかなった。今週木曜夕方までだが、正直ほっとした。助かった。
 これで何日もずっと自宅にいられたら、ストレスでコロナではなく我が父を殺してしまうところであった。しかし、来週からの施設利用はどうしたものか。閉鎖中の施設からは、再開についてまだ何も連絡がない。

 それにしても・・・これほどまでに身近に感染者、陽性者が増えてくると、まさに新しい局面に入ったとつくづく思う。
 我もこのところ、準濃厚接触者と目されているし、自分でもいつ症状が出、陽性と出てもおかしくないと覚悟している。
 しかし、同居している動物たちがいるから、どこそこの死亡事例のように、「自宅療養」で体調悪化したとしても入院することはできない。座して死を待つではなく、伏して、一人でこの危機を乗り越えられるのだろうか。
 先のことを考えると、メンタル面が悪化して結果として自己免疫力がストレスで落ちるから、あれこれ考えないようにしているけれど、本当に大変な状況になってきたとひしひしと感じている。
 ミイラ取りがミイラになる、という俚諺があるが、そうではなく、誰にうつされた、とか、誰々にうつしたかもという次元の話ではもはやない。
 今は、街中いたるところに無症状無自覚の陽性者があふれていて、まさにウイルスは「蔓延中」なのである。もういつ誰が今日明日感染してもちっともおかしくないし驚きはしないところまで来ている。

 今にして、もっと早い時期、医療体制に余裕ある頃に感染して免疫力をつけておけば、とさえ思うほど深刻な状況である。我はワクチンは打っていないし、この先も未定だが、ワクチンを打ちたい人の気持ちは今はよくわかる。
 しかし、ワクチンを打ったからといって罹患しないのではなく、かかっても軽くてすむ程度のことならば、いわば心の安全、まさに気休めなのである。むろんそれこそがいちばん大事なことなのだが。

 我は神から差し出される苦い盃も感謝して飲み干そうと覚悟決めている。起こることにはすべて意味があるし、善き力を信じて「そのとき」を待とうと思っている。

 今さらだが、あえて記す。真の意味で今は、誰にとっても特別な「緊急事態」となっている。その渦中にあることを自覚して、ここしばらくの間は息をひそめてこのコロナの嵐が過ぎ去るのを待ち堪えるしかない。
 ともかく街中、人込みににできるだけ出ないことなど、各自誰もが自ら自戒し細心の注意で、何が不要か不急なのか改めて問い直しつつ行動していくしかない。
 今ここで死んではならない。そして誰も死なせてもならない。
 
 どうかご自愛ください。無理はしないでください。雨は必ずやむ。嵐は過ぎ去っていく。来るべきときを信じて待とう。

失ってしまったものとこれから来るべきものと2021年08月16日 13時07分45秒

★私ごとを書かせてください。

 東京五輪が終わったとたん、雨模様の日がずっと続いている。おまけに真夏だというのに肌寒い。まさに異常気象である。
 連日コロナの全国的に新規感染者と重症者の数が日々更新中の感染爆発に加えて、この数日来、九州、西日本、関東でも甲信で、記録的大雨による土砂災害が多発して、まさに人災と天災のダブルパンチにこの国は見舞われている。
 ここ東京でも今は、雨はいったんやんでいる曇天だが、一昨日から断続的にずっと降り続いていて、また今夜から再び活発な雨雲がやってくる、と予報は強い注意を呼び掛けている。
 いったいこの国はどうなってしまうのか、と誰もが先行きを思うと不安になろうかと思う。
 そんな危機的状況のさなかであるが、勝手ながらごく些細な個人的なことを書かせてもらう。これを書かないことには次へと進めない。申し訳ないが。

 いちばん危機的、末期的状態にある我が父は、幸いにして老衰進みつつもまだ何とか健康は保ち、ルーティンであるショートステイなどに行ってくれている。
 父のことはさておき無事、大事ないとして、私ごとである。

 まず、クラッシュしたパソコンのことから。
 7月の「共謀」コンサートを終えた翌日に、突然ハードディスクがいかれて、電源は入るもののOSが起動しなくなった、長年使い続けてきた東芝ダイナブックの、ウインドウズ8.1が入ったデスクトップパソコンであるが、けっきょく、メーカーの修理センターに出しても修復不能、データすらも取り出しできないとのことで、返送されることになった。
 近所の民間修理センターから立川の同様の修理専門店、さらには藁にもすがる思いで、メーカーにも送ったわけだが、けっきょく打つ手なしという「結果」となってしまった。

 東芝のサポートにまず電話相談した段階では、その機種は生産終了後時間も経っているのでもうパーツはないから「修理」はできないだろうが、中のデータだけは「救出」できるように言われたのだが、ハードディスクの損傷が激しく難航している、と連休明けにまず電話があり、予想はしていたが、一昨日データすらも取り出せないとまた電話があった。
 この先は、外部の専門業者に出して、そこの無菌室の中でハードディスクを分解して取り出してみる作業を依頼することもできるが、それにはおよそ10万以上かかるし、たとえ何もできなくと3万円~の依頼費がとられるとのことで、もはや断念するしかなかった。
 我としては、パソコン自体は元に戻らなくても最悪、データはきっと戻ってくるだろうと祈り信じていたので、やはり覚悟はしていてもショックである。

 何が惜しいと言えば、取り戻したいデータ、まずマイドキュメントの中、自分がこれまでメモ的なものも含めて書き記したものにはさほど思い入れはないのだが、他人から送ってもらったライブ音源や記録映像など、ダウンロード的に届いてそのままパソコンの中に取り込んだままにしていた貴重な物ものがすべて失われてしまったことが特に悔やまれる。またネット上からこれまで取り込んだ様々な「情報」や「記録」なども。そこにアクセスする「お気に入り」なども。
 また何よりも損失なのは、京都の詩人・有馬敲氏を招いて中川五郎氏らフォークシンガーとコラボした、先年阿佐ヶ谷のライブハウスで我が企画した『詩とフォークソングのイベント』の映像などで、それは録音も含めて専門にしている方に依頼して録ってもらったのだが、データとして送られてきたもので、何とかダウンロードしてパソコンには取り込んであったものの、DVDなどにバックアップとってなかったのだ。
 音源だけは、CDに焼いたものがどこかにあるとは思うが、この貴重なコンサートに関係するものが資料的な意味も込めてほぼ一切すべて今回のパソコンクラッシュで失ってしまったことは本当に残念無念というしかない。
 その他、個人的にはとても貴重かつ大事なものも結果として雲散霧消してしまったわけで、今になってあれもこれもと思い出すにつれて胸が痛くなるような思いでこの数日過ごしていた。

 しかし、今はこうも思う。大地震や津波、洪水などで家そのものを破壊、流され持ち物全てを「消失」してしまった方や、何よりも自らの命という一番大切なものを喪ってしまった人に比べれば、これはまったく大したことはない、些末なことなのだと。
 自分はまだ生きているし、失ったものはおよそ約10年未満の「過去」の記録だけなのだ。記録は失っても「記憶」はしっかり残っているではないか!
 我は、近年このところ外付けのハードディスクに、企画したイベントの音源、画像、映像など自ら録ったものは、パソコン本体ではなくそちらに入れていた。
 パソコン内には、HD導入前までの録りためた録音、録画、写真などが入っていたわけだが、それも基本、本体のSDカードなど元データの消去はまずしていないはずなので、また一枚一枚探し出せば「復元」できるはずだ。
 ただ、これからまず一番面倒だと思うのは、チラシ作成時のフォーマットなど、長年作り上げたワードやエクセルのプラットフォームをまた一からきちんと作り直さないとならないことで、歌詞カードも含めて使いまわしはもうできないことを思うと気が重い。
 憂歌団のうたにタイトルは失念したが、サビが「♪1からから出直し、やり直し~」というのがあった。
 1から出直しのものはそう多くはないし、ともかくこれを良い機会、きっかけとして、ここから「仕切り直し」として本当に人生を再スタートしていきたいと強く願う。
 ※これからは必ずいくつもバックアップを取り、文字データなども紙焼きして残していく。

 今までは何にせよ、我はすべてにだらしなく、過ぎた物事は常にそのままほったらかし、出しっぱなしにしてきた。結果、いざというときには混乱して事態はさらに悪化、混迷するばかりだった。
 それもこれも忙しさを「言い訳」にして常にきちんとその場そのときに「対処」してこなかったからで、今回のパソコンの一件は、お仕置きとして善きチャンスであるように思える。常に愚かな者は、実際に痛い目に遭わないと何も自らでは変わらない。
 中世の修道士たちは、常に「メメントモリ~死を思え」と警句を日々口にしていたと聞くが、ある意味、先のことなど神以外に誰も何もわからないのだから、常に「そのとき」を覚悟して備えておくべきだったのである。
 我は、実は今日が戸籍上の誕生日で、気がつけば60代半ばにならんとする歳になるのだが、だいぶ残り少なくなった人生を憂い嘆くよりも、まあ、七十代末までは今まで通りに動けれると楽観予想して、まだ約15年は人生は残っていると信じ、今さらながらだが、ここから仕切り直して、生き直したいと願う。
★友人知人関係の連絡先などもパソコンに入ってた分はなくなってしまったわけで、もし今これをお読み頂いた方は、お手数だがご連絡頂きたい。こちらからは連絡不能なのである。

 ビートルズのうたで、ボールが作ったとされる「ホエン・アイム・シックスティフォー」、邦題は「僕が64歳になっても」というのだったかが、今頭の中を流れている。
 恋人に対して、僕が64歳の髪の薄いお爺ちゃんになっても、君は僕を変わらずに愛してくれるかい?というプロポーズのうたなんだが、今、自分がその年代になってみて様々な感慨がわいてくる。※余談だが、中塚正人氏の名曲「風景」はこの曲にインスパイアされたかと今気づく。

 うたにあるようにとは違い、僕には孫もいないし団炉端でセーターを編んだり料理を作ってくれる彼女もいない。
 昔、聴いたときには、ずっと先のこと、64歳になる頃には、そんなのんびりした悠々自適の暮らしが送れるのかと漠然と思いもしたが、現実はまさに今も昔も変わらず生活に追われ火の車、トラブル多発の火宅最中である。
 ただ、年だけが気がつけばそんな歳になっていただけの話で、まさに浦島太郎的にただただ不思議な気がする。今も信じられない。自分の中では何一つ変わっていないのに、だ。
 ただ、またこうも思う。
 愚かさ故に事故などで何度も命を落とすような危機にも遭ったが、幸いにして何とか死なず大過なく、臆面なくもこうして無事に今も生きている。
 まさに神のご加護があったからで、我こそはとっくに早死にしても仕方ない人間だったし、人としての価値など誰よりもなかった。
 それでもここまで何とか生きながらえてそのビートルズのうたの歳まで生きているのだから、まさに運のいい有難いことだと言うしかない。

 最愛の母もパソコンの中のデータも失ってはしまったけれど、我はまだ生きてここに在る。ならば、失ったものや過ぎたことをあれこれ思い惜しみ悔やむよりも、これから来たるべきものを心待ちにして、そのすべてときちんと向き合い、精一杯のことを返していこう。我が関わる、関わりあえるすべてのことどもを愛し慈しもう。

 我にまだできることがある。すべきことがある。ほしいものが今絶対的に必要なものであるように、できることもすべきこともすべては一つなのだと今気づく。
 おかしな話だが、自分はこんな場所にいたのか、と今回やっと気がついた。そう、ここから 始めていく。

無理を通せば・・・コロナが広がる2021年08月10日 15時09分37秒

★五輪開催と感染対策の二兎を追った菅内閣を憂う

 東京オリンピックがともかく終わった。もう連日、テレビはどこつけても試合中継、感動と興奮の(報道陣側の)大歓声、そんな喧さいお祭り騒ぎを聞かなくてすむのが何より有難い。
 中でもNHKには、視聴者、つまり受信料払う側の選択の余地を奪う権利があるのだろうか。特にEテレにおいては通常番組の放送を求める人たちがたくさんいるはずなのに。本来オリンピックは「特番」なのだから「別枠」としてNHKにはいくつもある空いてるチャンネルで流せば良いと思うのだが・・・。
 さておき、このコロナ禍の「緊急事態宣言」下、多くの国民、医療関係者の不安と危惧を無視して菅政権は無理やり強行した東京五輪、終わってみると国民感情としては存外「好評」のようである。
 自民党の御用新聞、讀賣によると、五輪開催は「よかった」という人は64%、菅内閣の支持率も過去最低とはいえ35%だそうで、バッハ会長のほくそ笑む顔が目に浮かぶ。※ちなみに他の報道機関の調査では政権支持率はもっと低く、軒並み20%台に落ちてしまっている。

 果たして、首相がひたすら念仏のように口にしてきた、「安全安心な大会」に本当になったのかは、各国選手が帰国して数週間過ぎないとはっきりしてこないだろうが、まずは会期中は大きなトラブルはなく終了したと言えるかと思う。※開会式も閉会式もサイテーであったけれども。
 だからと言って、開催して良かったなどと我は1%だって思わない。オリンピックは無事終わったとしても、バブルの外の世界、街中は感染爆発で連日過去最多の新規感染者数を日々更新し、まさに医療崩壊寸前の危機的状況となってしまった。

 菅首相は、ワクチン接種に加速度つければ、五輪開催期間にはコロナ感染者も減少に転じて、有観客でも開催可能と甘く考えていたらしいが、結果として、無観客でありながらもコロナ感染史上最高のメダルラッシュとなってしまった。
 首相を筆頭に、五輪開催と感染者増加は関係ない、変異ウイルスに加えて元々開催前から増えていたのだから、という論調が見られるが、五輪開催が直の感染爆発の原因とならぬとも、大きなきっかけ、「引き金」となったことは間違いないだろう。
 いくら大臣や都知事が感染防止策として「不要不急の外出、移動」は控えてと繰り返し叫ぼうが、(尾身会長曰く)本来は開催はありえない「緊急事態宣言」中での、世界各国から大勢の人が集まる五輪という「お祭り」イベントを開催してしまえば、何故に都民、国民だけがさらにまた「自粛」しないとならないのか!?と誰だって疑問に思う。

 何故に、そんな緊急事態のさなかに、オリンピックだけは別枠で、何が何でも開催しないとならなかったのか、菅首相は最後までその理由をきちんと説明しなかった。「復興五輪」から「人類がコロナに勝った証証」、さらには挙句に「緊急事態宣言下でも開催できることを世界に示したい」まで「開催目的」は転々として、ただひたすら安全安心な大会を目指すということと、国民の命と健康を守る、という文言だけが壊れたテープレコーダーのように彼の口から繰り返されるだけだった。

 で、どうなったのか、だ。大会自体は仮に「安全安心」の裡に終わったとしても国民の「命と健康」は、結果として後回し、おざなりにされてこの感染爆発と医療崩壊の危機である。
 菅首相は、9日の会見で、「ようやく開催国の責任を果たせた。たくさんの選手から感動をもらった。素晴らしい大会になった」と自画自賛の総括を語ったそうだが、この期間に新たに感染した国民とてんてこまいの医療関係者、現場で働く人たちに対しては何のお詫びどころか、かける言葉もなかった。

 古人曰く、二兎を追うものは一兎も得ず、であり、無理を通せば道理が引っ込む、のである。
 仮に、五輪開催は「よかった」「成功」だったとして、一兎は何とか得たとしても国民多くに感染爆発、医療崩壊、在宅療養死を強いたのでは、いくらメダルの数が増えたとしてもそれで「了」とはできるはずもない。メダルの数と国民の命のどちらが重いかは比べるまでもない。
 およそ八割の国民が、反日であるはずもなく、皆心からこのコロナ禍での開催に不安に思い、再延期もしくは中止を望んだのに、菅首相とその取り巻きは、反対の声を一切無視して「強行」してしまった。
 まさに無理を通した結果、いまの連日最悪、過去最多の感染者数記録更新中という状況を招いたのだ。しかも対策は毎度の三密避けての自粛お願いと相変わらずのワクチン接種頼みだけなのだからこの先、いったいどうなってしまうのか、この国は・・・。

 ロックダウンとかの是非はともかく、この東京五輪をできるだけ早く「中止」としてしまえば、もっと強い感染防止対策はとれたはずだし、国民の側の危機意識も高まったはずだ。
 そう、何がなんでも五輪開催ありきという「無理を通した」。結果、『無理を通せば「爆発的に」コロナが広がる』、ことになったのだ。

ほんとオリンピックなんかどうでもいい2021年08月03日 20時52分04秒

★国民すべてがオリンピックに関心あるわけではない~もっと伝えるべき大事なことがあるだろうが

 この数日、ちょっと体調悪く、父だけは何とか介護施設に送り出して自分は家にこもり寝込んでいる。
 で、起きるとテレビつけたり、ベッドの中でもスマホでニュースを検索しているのだが、表示されるのはテレビもネットも、誰それがどの競技で○メダルを取った!!とかの速報「ニュース」ばかりで、本当に辟易してしまう。
 むろん競技者の頑張りを否定するわけではない。それは当人と関係者にとっては素晴らしい、大きな出来事であるに違いない。

 が、我にとって、そもそも関心のない、興味のないスポーツの、今まで見知らぬ聞いたこともない名の選手がどんな色のメダルを取ろうと、我にとって知るべき優先的ニュースではまったくない。
 それよりも気になるのはコロナウィルスの感染状況であり、全世界的にも今後どうなるのか、対策はどうすべきか、その危機的状況も含めてメディアはもっともっと積極的に警告を兼ねて報じるべきではないか。それが「報道」であろう。
 ところが、NHKに至っては、Eテレまでも従来の放送は全部五輪中継に埋め尽くして、ひたすら朝から晩までオリンピックの報道に明け暮れている。うんざりを通り越して憤りすら覚える。
 オリンピック以外の、これまであった一般のニュースの時間はわずか15分程度に削られてしまっている。
 繰り返すが、国民全員誰もが、この東京五輪に関心や興味があるわけではないし、もっとフツーの五輪以外のニュースや番組を観たいと思い、求める権利はあるはずだ。何しろ受信料を払っているのだから。

 つまるところ、NHKはやはり権力の犬、走狗であり、菅政権がコロナ禍の緊急事態宣言下でも無理強行した、東京五輪をやたら熱く報じることで少しでも国民が関心もち、メダルラッシュに沸いて、結果として開催した政権を支持するよう「忖度」した放送を続けていると考えてしまうが違いますか?
 スポーツは素晴らしいし、その頑張る彼ら選手の姿に勇気や感動、希望をもらうことは確かにある。
 しかし、それはあくまでも一過性のものであり、今一番肝心かつ人々にとって必要なニュースは別にある。それはコロナの今と今後であり、五輪以降、我々はどうやってこの危機的医療体制の中をそれぞれ生きていけるかということだ。報道とは、その指針を示すべきものではないのか。
 そのことを報じずに、ひたすら五輪中継に明け暮れ、メダルの数に一喜一憂するニュースたけ報じるのは、すべての報道メディアにとって、かつての大本営発表に等しい、存在自体が問われる危機的状況ではないか。

 何度でも繰り返す。オリンピックなんてどうでもいい。それよりもっと今一番国民皆が知りたい、求めている報道がある。メディアはそれをまず真っ先に報じてほしい。