近況報告から2024年06月01日 23時12分51秒

★6月に入りました。

 前回、当ブログを更新したのが、5月1日であるから、実に一か月ぶりである。拙ブログを始めてから、いや、我がブログという書く行為を世に発し始めてから20年近く経つかと思うが、ひと月も更新怠ったことは一度もなかった。
 いったいどうしてしまったのか、何が起きたのか。
 誰からも問い合わせなど一切ないが、もしかしたら誰か多少心配された方もいるかもしれない。ならば申し訳思うし、その理由など説明すべき義務もある。

 ともかく忙しかった、のである。そして今も目が回るほど、忙しい。落ち着いてゆっくり座って飯を食う時間もないほどだ。
 突然いろんなことに注文が入ったり、売れっ子になってそれで忙しくなったわけではない。
 相変わらず全く働いてないし、どこからも金は入らない。ただ日々忙しく慌ただしくあっという間に一日が過ぎ、一週間が過ぎ、一か月が過ぎていく。
 ブログもだが、音楽を聴いたりギター弾いたりテレビで映画など観たり、本をじっくり読む時間なんてまったくとれない。
 パソコンに向かう時間だって、メールを確認する程度だけしかないから、ブログ書くためにある程度まとまった時間が取れないのである。
 こんなブログでも、書くのが早い我でも、一回書くのには1~2時間は時間が必要だ。そもそも落ち着いて座ってパソコンに向き合う時間がとれないのだから、書きたくても書けるわけがない。
 体調が悪くて寝込んでいたわけではないし、鬱が高じて書けないとか書きたいことが見つからないわけではない。
 身体の調子は万全というわけではないが、右腕の痛みはだいぶ快癒してきたし、キモチもこのところは前向きで書きたいことはいくらでもある。
 が、ともかくたた忙しくてそのための時間がとれないのだ。いったいどうしてか、何でだろう、と自問する。そしてまさかこんな時が来るとは、と今更ながら驚く。

 これまでも書いてきたが、我は今この歳で人生再建途中で、これまでの人生のリストラ、つまり再構築をせねばならなくなった。
 世間に比べて大きな家の中に溜まりたまった親たちの代からのものと自らの本やレコード、CD、楽器、捨てずに溜めてきたチラシや書きしるしたものなどの紙ゴミ類で、まさに家中がいっぱいになってしまい、さらにそこに増えすぎた猫たちがそれらを崩しぶちまけたり混乱・混沌に拍車をかけて、家の内外、庭先までゴミ屋敷となってしまった。
 親たちがいなくなったのだから、我一人でこの家を維持していかねばならない。そのための金も自ら稼がないとならない。

 繰り返しになるが、若い時分より定職に就かなかった我に貯金などないし、年金もほぼない。細々と小遣い程度は、ネット上の古本稼業で得ていたが、故あって今はそれも昨秋から休止している。
 だから、新たな金稼ぎのプランというか、これからの人生を生きて行くのに必要な最低限の金を得る方法を真剣に考えねばならない。
 今さらこの歳で肉体労働は正直しんどく、体力なしの我にはとうていできないし、ましてそれは老いて死ぬまで続けられるわけではない。
 だから考えたのは、ネット上での商売や、売文など、さらに齢とっても家にいてできることしか思いつかなかった。
 アフェリエイト、て言うのか、ブログなどでも、やりようによっては、金を稼ぐ方法はあるらしいので、そうしたことも早くともかくやってみようと考えてはいた。ブログもそうした形態のものに、新たな場で再開しようと目論んでいる。が、忙しくてまだそこにも行きつかない。
 何故そんなに忙しいのか。

 日々、たくさんの猫たちの世話、餌やりとトイレ掃除、餌の買い物に追われているだけでなく、先に記したように、自らの片づけを進めても積み上げた本の山を猫たちがまた崩して散乱させる、賽の河原の石積み状況も常の事である。
 それでも少しづつ片づけは進めている。いま家の中は足の踏み場がない状態なので、作業は日中、分別処分するものをまずは庭先に出してとなる。
 が、外に出した未整理の紙ゴミ類等を分別、仕分けしてても雨に祟られては、その都度クルマの中に取り込んだりと、そうした出したり入れたりの繰り返しに、自分でも呆れ果てる。
 そう、今年は春からやたら雨が多く、このところは三日に上げずどころか、二日ごと、あるいはほぼ連日、夜になってくると雨が降りだすとの予報で、クルマの中へ紙ものの箱、本や雑誌を出したり入れたり毎日やっている。
 そしてその他、毎年のことだが、庭のケヤキなど高木の剪定など庭仕事も多々ある。それは山梨の古民家も同様に。そうした様々な雑事でともかく毎日忙しく、ほんとうにすべきこと、やらねばならぬことに時間がとれないのだ。

 加えておまけに家中の家電が、このところ次々壊れだして、それにもまた頭抱えて対応策に時間とられている。
 先に、猫たちの部屋のエアコンが壊れて修理頼み交換なったことや二層式洗濯機を新たに買ったことは書いた。
 その後も、このパソコンはモニター画面がイカレて交換したし、居間のテレビもやはり同様に今は縦線がひどく入って観るのにかなり困難になってきた。
 台所のトースターは、猫たちが転落させて使用不可能となってるし、炊飯器はまだ炊けるものの保温がすぐに切れてしまう。つい先日まで問題なく使えていた電子レンジも一昨日から突然起動しなくなった。
 ガスコンロも片側しか点かないし、冷蔵庫は満杯で機能不全。家中いくつもあるトイレも問題なく使えるのは、二階の一つだけとなっている。
 さらに長年、本の搬送などで使ってきた、我の愛車ブリジストンの昔ながらのがっしりした躯体のジュピター号もついに経年劣化で、後ろ車輪のスポークが次々折れ始めて、タイヤ自体を交換しないとならない。またまた金がかかる。
 なんで次々と不具合が重なるのだろうか?

 でも今思うのは、全てそれも起こるべくして起こったことだということだ。すべてのカタチある物は、経年と共に劣化していくわけで、ある程度長い年月を経れば当然オシャカになるし、そうならぬ前にメンテナンスが求められる。それが重なる時がきたのだろう。
 この家自体だって、中身の物はともかく、建物自体は、あの大震災の年、2011年に全面的に増改築したものだから、そろそろ10年以上が過ぎて、屋根や外壁などメンテナンスが必要な状態になってきている。
 この吾身もまた70歳を前にして、近年あちこちの不調、不具合が目立ち医者にかかるべきだとの声もあるが多忙と困窮で、何とかだましだまし生きている。
 そう、まだ生きているし、まだ死ねないし、これからもまだ生き続けるためにもこの行き詰った状況を何とかしないとならない。

 それにしても何でいま一気にこんなことが起こるのか、だ。親たちがまだ生きて在るときならばまだしも。我一人になって様々な問題が山積しているところにまたさらに新たな問題が起こる。
 しかしそれもまた起こるには理由があるし、悪しきこと、「問題」だと捉えず、艱難辛苦であろうとも受け容れていくしかない。そしてそれを乗り越えていく努力はしていく。
 そう少しでも、少しづつでも進めていく。

 もし、親たちが今も元気で健在であったら(まあ年齢的にそれはありえない話だが)、我は、愚かなまま今も好き勝手に趣味道楽に耽り、あちこちに出向いて、まず遊ぶことに熱中し肝心なことに気づかなかったに違いない。
 誰よりも愚かな我は、ほんとうに何がしたいのか、何ができるのかよくわからないまま、人として本当にすべきことにきちんと向き合ってこなかったのだ。
 いつだってその時々の目先の欲望、したいことや欲しいものに囚われていたままだったと思える。
 嗤われるだろうが、今は、ようやく生きるとはどういうことなのか、人は何を為すべきなのか、大まかながらもわかってきた。
 あの頃は、日々楽しいことや面白いことがいっぱいで、人生に満足していたか、と顧みると、実際はそうではなかった。事において終われば常に悔いて苦い澱のようなものが心にずっと残っていた。
 今も思い通りにモノゴトが進まず苛立ち忸怩たるものは多々あるけれど、人生そのもののカタチは見えてきている。

 かつての自分は、人生そのものにNO!と叫んでいたが、今は、すべてにイエスと言える。
 どうしようもない人生だけど、このままどうしようもないまま終わってしまうのかもしれなくても、生きて行くのはさほど悪くない、人生は我なりに素晴らしいと思う。
 昔は、それを「外」に求めていた。どこか、誰かに在るものだと思っていた。だからあちこちに出かけ、多くの人と逢い、何でもあれこれやってきた。が、実は、それは我が裡、ここに在ったのだ。

 今はもう、やっとだが、何がしたいのか、何ができるのか、今先ず何をすべきなのか、すべてがわかる。はっきりしてきた。
 それは親たちがいなくなり、一人きりになったからだ。自らの声に真摯に耳を傾けて、かすんできた目だが見開き、心が真に求めるものに応えていこう。
 まだここでは死ねない。人生はまだまだ続く。続けなくてはならない。
 肉体は弱いが心は燃えている。

ただただ有難く、情けなく申し訳ない2024年04月20日 23時51分19秒

★現金書留が昨日届いた。

 拙ブログで、このところ我の窮状というか、困窮状態にあることを韜晦気味に何回か書いてきた。
 そしたらば、それらを読まれた方からコメントの書き込みが久しぶりに届き、我を暖かく励ましてくれたと同時に、猫の餌代にカンパするとのことであった。※4月11日付け。
 我としては、助けを求めたり誰かが援助してくれることを期待してこの「実情」を書いてる気は毛頭なく、正直な気持ち、まずそのお申し出には驚いたし、またそれが実現したとしても額など期待していなかった。
 この世の中は、話半分に考えておいたほうが良いことはたくさんある。届かなかったにせよ、その気持ちだけで十分だと思っていた。

 それが届いた。現金書留で。サインして配達員から受け取り、その封筒をその場で開けてさらに驚いた。額はここに記せないが、かなりの金額がピン札で入っていた。
 まずは直接、その方に届いたことの御礼を申す連絡をすべきである。が、現金書留の封筒には、住所氏名とご自宅の電話番号は書かれていたが、直に電話すべきかずっと迷っていた。何をどう話せばよいのか言葉がみつからない。口下手な我はただしどろもどろするだけだろう。また当人がうまくすぐ電話口に出られるとも限らない。

 メルアドなりショートメールが送れるならば、簡潔に感謝の意を記してまずは一区切りとできるのだが、メルアドも携帯番号もわからない。
 昨日からずっとその封筒を大事に抱えながら、どのようにその方と連絡を取り、こちらのキモチを伝えるべきか考え迷い頭悩ませていた。
 彼のコメントは、先に公開して誰でも読めるのだから、迷うところも多々あるが、やはりこの場で、つまりブログを通して今思うことと、感謝の気持ちを伝えるしかないと考えた。

 実は、その方は、拙ブログの読者とはいえ、まったく面識のない未知の人ではない。
 個人情報に関して今の時代やたらウルサイので、お名前など出せないが、我の学生時代のサークルでの後輩にあたる人で、ある意味、友人と呼べるかもしれない。
 が、学年が離れてたこともあり、個人的に親しく付き合ったり一緒に何かした記憶は思い出せない。
 ただ学生時代から非常に才気あふれる人で、常に皆に高く評価されていたと覚えるし、我もまた同様に彼には大いに注目していた。
 彼は、大学を出た後は、映画や漫画の原作、脚本家として活躍しだし、マンガ雑誌の表紙や映画のチラシなどで彼の名前を目にすることが多くなった。
 頑張ってるなあと感心し活躍を願うだけでなく、彼が手掛けたコミックスなどはできるだけ買い集め1ファンとして読んできた。

 彼との関係は、本来は先輩、後輩という括りになるのかもしれない。常識的には、先輩ならば、年下の後輩の面倒を見、世話したり何らかの影響を及ぼす立場にあるべきだと思うが、我と彼はまったく逆で、彼の方が、我を導き影響を大きく与えてきたという経緯がある。
 うんと昔、どこかで書いたかもしれないが、我がネット上で、いまの古本稼業を始めたきっかけは、彼から届いた古本が詰まった箱の中にあった、北尾トロ氏が書かれたネット古本屋開設指南本を読んだからだし、当初は、その稼業の原資となった本の多くは、彼からの寄贈によるところが大だった。
 そう思うと、友人というのはおこがましく、まさに奇特な博愛の人という気がする。何ゆえにこんな我に、これほどよくしてくれるのであろうか。

 そんな彼とはもう十年以上疎遠になってしまっていて、先にも書いたが、一方的に彼の為した仕事でのお名前を目にするだけであった。
 しかし、彼もまたこのブログは読んでくれていたわけで、今回のコメント共に現金書留によるご支援が届き、今はただただ有難く、かつ情けないような、申し訳ない気持ちでいっぱいである。
 もちろんすごく嬉しい。が、ほんとうに情けない気持ちと、申し訳なさ、といううまく説明できない複雑な感情はどうしたものか。

 この恩義は必ずいつか、生きている間に返したいと思うし、彼のご厚情にどのような形でも報いたいと願う。
 あえて書くが、我は、このブログはもう誰も読んでないと思っていた。昔からの旧友たちの多くは我に離反していったこともある。いや、読むのは、我を社会の敵として目し、要観察対象として監視している敵意と悪意の輩だと警戒していた。
 が、今回の件で、その考えを改めた。このブログを好意的に、少しでも楽しみにして読む人が、一人でもいるのならば、きちんと応えたいと思うし、それこそが書くことの義務、責務だと思い至った。
 彼のような善い人になりたいと願う。そして我もまたこの恩愛を、また別の誰かに届けたいと思う。
 がんばりたい。Kちゃんほんとうに有難う。

まさに、自由と自堕落は紙一重であった。2024年04月19日 11時55分46秒

★金はないがまだ時間はある、身体もまだ動く

 《前回の補足》つまるところ、2016年秋の母の死後6年、我は父と二人だけで暮らしていたわけだが、その父がコロナ関連死で逝き、突然我は一人に置かれた。ほんとうの自由に、それまでの父の介護中心のルーティンから解き放たれたのだ。
 そして情けなくも今のこの惨状、苦境に至った。

 これは、向田邦子の謂いだそうだが、一人暮らしとは、『自由と自堕落は紙一重』だという名言は、まさに正鵠を得ているとつくづく今思える。
 つまり、誰にも気兼ねせず、他者の介入そのものがない故、自らのペースで何であろうと好き勝手にできる。
 が、同時に、他者の目や意見等がない分、どれほど部屋が散らかろうと身だしなみや生活がだらしなく崩れようと気にする必要はなくなる。
 自由と自堕落は、本来はまったく別の文脈で語られるべきことなのに、確かに気づけば我は、自由になった故に自堕落に陥ったのだ。

 父が生きていた時は、嫌でも介護関連で様々な他者が定期的に家に来るので、応対するために最低限の掃除や身だしなみの整えは必須であった。
 我は一人になって、一切の外との関わりが切れたとたん、徐々に生活は崩れていき面倒に思えることは全て後回しにして、日々まさにその日暮らしにだらしなく、ただ安逸を貪って刹那的に生きていた。
 むろんそこに鬱々とした心境、新たなライフスタイルに対しての戸惑いや混乱はあったと思う。ただ、最低限の、どうしてもやらねばならないこと、つまり動物たちの世話以外は、何故かすべて面倒になってしまい結果として自由は自堕落へと崩れ落ちて行ったのだと今わかる。

 先にも書いたが、増えすぎた猫たちをめぐるトラブルや、ご近所との諍いなど、自堕落が招いたトラブルも多々あった。その都度、鬱の度合いは深まり自死すら頭をよぎった。俺は、そんなに非道い人間なのかと問い直した。
 我の崩れよう、だらしなさに、かつての友人たちの多くが呆れ果て疎遠になるどころか、もう連絡してくるな、縁を切るとの通告さえあった。
 それもこれも自由という状態に甘えて、はき違えてしまいとことん自堕落に、自らを甘やかしてきたからだと今気づく。

 ともあれ、あれこれ今さら悔やんだり自らを責めても意味がない。時間は一秒たりとも戻せないし止めることはできないのだから、日々ともかくこれからも生きていくしかない。
 どうしようもない人生、咳しても一人、ならば、その一人の責任において最低限の当たり前のことを自らに課してやっていく。これ以上さらに酷く悪化しないよう律しながら。
 どうしようもない人生だが、これからは少しはマシになるよう、再びこの人生を自らのものに取り戻していく努力を精一杯やるしかない。

 テレビで先日見たが、昨今ひとり暮らしの高齢者だと、その住まいさえ見つけることがなかなか難しいそうだ。保証人も含め先行きのことを思うと、貸し渋りする大家も多いらしい。
 幸い我には、金はなくても親たちが残してくれたこの家、住まいはある。ゴミ屋敷と化して諸処の税金やあれこれ生活費はかかろうとも、ホームレスになる心配は今はない。誰にも気兼ねせず、とことん自由の上に住むところの心配はないのである。
 これはもしかしたらすごく恵まれた幸福な状況なのではないか。世にはもっと切羽詰まったギリギリの、明日生きて行くのも切実な人たちがたくさんいるのだから。

 我が人生がこの先どれほどあるのか、先行き何が起こるのか、それは誰にもわからない。しかし、老いてきたとはいえ、体調すぐれずともまだ何とか身体は動く。進行性の病にはかかっていない。
 自由なのだから時間はある意味いくらでもある。すべて自分勝手に好きなように配分できる。
 ならばモノや猫の多さを思うとき、いったい今後どうなるのか、前途多難というか先行き不安にもなってくるが、ともかくまずは今を生きること、今できることを一つづつ少しでも進めていくしかない。

 誰にも訪れる死、ゴールはもう見えてきている。あとはそこまでどれだけしっかりと自らの足で歩いていけるかだ。
 良い時もあれば悪い時もあろう。良い時は浮かれて崖から落ちないようにしないと。悪い時は自ら飛び降りないように。
 主は、こんな我をも見捨てじ、と祈るだけだ。

自分は、誰よりも自由で幸福であった!!2024年04月18日 22時47分18秒

★先日、ふと気がついた

 先に記した我の本格的な風邪は、症状が出てから10日ほど過ぎた。もう治りはしたのだが、まだ喉が痛く痰も絡んで、本調子とは程遠い。
 おまけに午後になると、鈍い頭痛がしてきて起きていられず、朝もさほど早起きしていないのに、午後は何かしんどくて必ず昼寝してしまう。それも時に、かなり長く眠ってしまい、気がついたら夕方だったりもする。
 これは、嗅覚の異常も含めて先年罹患したコロナウイルスの後遺症なのかとも思うが、ともあれ無理はできない。
 そんなでようやく本腰入れて始めた片づけ作業もまた中断してしまいやや焦り苛立つ思いでもいる。
 が、ともかく少しでも少しづつでも、できるときにすべきことを一つ一つ進めていくしかない。いまは、そう自らに言い聞かせて、先行きを思うと萎えそうになる心に火をつけている。

 もう家中庭までどこもモノが溢れ溜まって、傍目には真のゴミ屋敷状態である。家の中を歩くのも猫たちが崩した本や雑誌の上を慎重に踏み越えて何とか移動している状態なのだが、先日、二階の広間の床に溜まった本や書類を改めてきちんと積み直してやっと少しづつ床が見えてきた。
 そして自らに問うた。どうしてこんな事態に陥ったのか。自分はいったいどこにいたのか、と。
 いや、ずっとここにいた。特に父が死んでからは、前にもまして出かけずひたすらずっと家に籠っていた。
 ならば、ここまで溜まり散乱し、収拾つかなくなる前にどうして手を打たなかったのか。何で全て放擲してただ溜まるに任せておいたのか。
 けっきょく今わかることは、我はずっと頭がおかしくなっていたのだ、と。いまつくづくそう思う。
 心ここにあらず、という言葉がある。まさに我は、心を失い、何もかも投げ出して、生活のすべて、人生そのものをほったらかしにしてきたのだ。結果、こうなってしまった。

 まあ、今は、そうしたおかしな状態であったことがはっきり見えてわかるのだから、少しは正気も取り戻してきたと思いたい。
 今さらながら心に誓うは、当たり前のことをただ当たり前にやっていけ、それしかない、ということだ。それも最低限の「当たり前」のことから。
 それは、歯を磨いたり顔を洗ったり、こまめに洗濯、入浴したり、スーパーの半額になった弁当や総菜でなく、自らきちんと食事を作り、使った食器はすぐ洗うとか、ごくごくヒトとして当たり前のことだ。こまめな掃除もそうだし、捨てるモノ、捨てられるものはそのままにしないでできるだけすぐに処分していくこと。

 元からだらしなく、何であれ片づけられない性分であったが、以前は、父母が生きていた頃は、彼らが動けなくなってからも我は、何とかそれを一人でやっていた。
 それが二人が逝き、一人暮らしになってからしだいしだいに崩れていき、ついには、自らの生活という「当たり前」のことを、ほぼ全て放棄してしまったのだ。幸い、猫や犬など、日々手のかかるイキモノがいたので、散歩や餌やりなど最低限の世話はしていたけれど。
 そしてようやくこの状況を何とかすべく、片づけをどうにか始め出して、先日ふと気がついた。
 もしかしたら、我は、(おそらく)誰よりも自由ではないのか、と。

 父が生きていた頃は、週かなりの割合でデイケアやショートステイなどのお泊りがあったとはいえ、不在の日でも我は父の介護のローテーション中心の生活を追われていた。
 在宅時の介助を別としても衣類の洗濯もだし、週ごとに来る訪問診療の医師や看護師、ケアマネージャーたちのために部屋を掃除したり、何だかんだやるべき用事は多々あってともかく慌ただしく日々が過ぎていた。
 それが父がいないのだから、もう誰一人訪ねては来ないのだ。家族は犬猫だけだから、ある意味、何時に寝ようが起きようが自分の自由、勝手で良いのである。
 父がいた頃のような、外の世界の人たちとは、一切関わりを持たなくてすむ。好きな時に音楽をかけたり、夜通しギター弾いても明日のことは考えなくて良いのだ。
 動物がいるから何日も家を空けられないが、一泊程度ならどこへでも行けるのだ。時間に何の束縛もない。我は何だって好き勝手にできるのだ。
 ♪女房、子供に手を焼きながらも、という唄の一節があったが、我にはもとより妻も子も、今さら関わりが必要な親類縁者もいない。ある意味、誰よりもとことん自由なのだった。

 そう気がついたら、コーフンしてきて不意にある光景が頭に浮かんだ。
 逃亡奴隷が、過酷な仕事と主人の虐待から逃げ出し、闇夜に北極星を頼りにひたすら走りに走って険しい山間に入り、ようやくここまでくれば追手も来ないと安堵して、山中ふと見つけた平らな砂地で嬉しさのあまり一人で躍っている姿である。
 が、そこは崖の上であり、そこは平らでも一歩足を踏み外せば、深い谷に落ちてしまう。自由を得たとはいえ、その先の生活の保障は何もないのである。
 だが、彼はまだそれに思い至らず、嬉しくて狂ったように崖のうえで踊っている。

 それこそが我のいまの姿なのである。崖から落ちるのも近いだろう。

これからのこと・近況追記2024年04月11日 22時46分27秒

★まず、喫緊の近況から

 私事だが、久々に本格的な風邪をひいてこの数日寝込んでいた。
 先週の土曜日の夕方から、急に寒気がし水のような鼻水がひっきりなし垂れて、喉も痛いし咳も出る、しっかり風邪にかかってしまった。
 幸い齢のせいか、熱などは高くもならぬものの、ただ身体は節々が痛いし怠いので何もできず、猫たちの世話など最低限の用事以外は、ひたすらじっと横になって寝てばかりいた。
 幸いやっと昨日ぐらいから回復の兆しも見えて、まだ本調子ではないものの大事に至らず治ってきたと思える。

 しかし、このところ人とは誰とも会わず、電車にも乗らず、ライブ等の人込みには全く行かないのに、いったいどこで誰から風邪にかかったのだろうか。
 今はもうどこへも出かけず誰とも口も利かず、人と会うのは、近くのスーパーのレジ払いのときぐらいなのに風邪に感染するとは不思議でならない。
 ようやく少しづつ動き出した家の片づけ作業がまた少し足踏み状態に陥ってしまった。が・・・
 まあ、さておきそれもまた仕方ない仕方ない事態であり、大地震などで突然、家も仕事も家族知人さえ失う不測の事態を思えば、有難いと思えるほどだ。

 能登半島で今も被災され先行きの不安と日々の心労に苦しむ人たちを思うとき、もし、我に今この我家を託せる人がいるならば、すぐさま一人で現地に行って支援の一助になることを何でもしたいと心から思う。
 お金で支援できる方は、どのような枠組みでも義援金を送ることはすぐさま可能だが、今の我は、そうした余裕は皆無なのでできることとしたら体一つで現地向かい災害ゴミなどの片づけ作業ぐらいしか思いつかない。
 が、いまは途方もなく多くの猫たちがウチにはいるので、その日々世話だけに追われて一晩程度なら家を留守にできたとしても、何日も家を空けられない。
 動物たちを任せられる家族がいれば、昔のようにどこにでも週単位で気軽に行けるのだが、もう今は一人身だからほんとうに身動き取れない。災害ボランティアに限らず、数日にわたる旅行など無理であり、まして海外などへは行きたくてももはや夢物語である。

 風邪も大したことなかったから幸いだったが、何であれケガや大病等でもし入院する事態にならば、いったい動物たちの世話はどうなってしまうのか。
 今回寝ながら、風邪で息苦しい浅い眠り中で、このままでは旅行以前に、うっかり病気にも事故にもなれないなあと痛感した。
 一人暮らしは気軽で自由ではあるが、自らが病気や事故に遭ったときはまったく無力で、一人ゆえ助けも求められず究めて致死率は高い。
 できることは、自らの健康に留意して、常に最新の注意で、何事にも慎重かつ丁寧にやっていくしかない。

 どのような関係であれ、共に生活する人、家族がいる人たちは幸福、幸運なのである。事故なり地震なり病気なり、何か起きたときに何らかの対応はしてくれる。
 むろんこちらも同様に、心配し世話や介護や何らかの手配はしないとならないとしても。
 隣近所に住民はいたとしても、家族親族ではないし、まして親しい付き合いは皆無だから、しばらく我の姿が見えないとしても、誰も関心をはらわないし心配もしない。結果、死後、何週間もしてやっと異変に気がつく。

 思うのだが、独身者、いや、一人身の家庭が増えて、しかも高齢化が進む今日の社会では、行政などに頼り任せる以前に、こうした我のような単身生活者たちのネットワークを構築する必要があるのではないか。
 市であれ、国であれ、行政が管理し担当する組織によるものではなく、また金儲けの会社組織ではない、もっと緩やかなNPO的連絡&サポート組織。
 いまの、フェイスブックや旧ツイッターのようなSNSが、友人知人間においてはその役割を担っていると思えるが、もっと確実かつ真に安全安心な相互連絡確認とれる組織を。

 その組織に入って、日々ないし数日に一度、確実に連絡とるように設定しておけば、こちらと連絡とれないとき、あるいは急な助けを要するときは、すぐさま救急システムが動いて、その人の親族なり住まいの行政なり警察や医療体制側に直ちに通知がいくような仕組みを。
 むろん介護保険などの関係で、日ごろからケアマネージャーや地域包括支援センターの人と緊密な連絡とり合ったりする関係があれば不要かもしれない。
 が、この世には行政などとは全く関係を持たない人たちも多々いるわけで、高齢でも特に異常なく健康ならば、介護保険関連の繋がりは一切ない。
 一人暮らしでも我のように、近隣住民も含め地域との繋がりを持たない高齢者はたくさんいる。
 そうした孤独な一人者は、災害も含めて何か不測の事態が起きたとき、どう安否の確認をとればよいのか。いや、自ら助けをどこにどうやって求めればよいのか。
 急な病気や事故においては、救急車や警察に自ら電話連絡することもできないことも多いはずだ。
 「そのとき」にそなえ、災害時の生活グッズを装備しておくこともだが、それ以前に、まずどうやって自らの安否を外へつなげることが出来るか。そんなことをこのところずっと考えている。

 風邪のせいなのか、天候なのか、暑いのか寒いのかよくわからない。
 寝ていても、あれこれ着ると汗かくし、着ないで寝ると寒気がして眠れない。幸いいまは、心は落ちつき不安はないが、ベッドの中でぼんやりそんなことを考えたり、文庫で漱石の評伝とか読んでいた。
 そう、非人情を自覚していた先生も、大病以降、他人の恩に気づき善い人間になりたいと記している。
 先生は、それだけの仕事を遺し、門弟や家族、友人知人も多くいたから、多くの人たちが心配し回復を祈ってくれたのだ。
 我のような友人も片手に満たないほどの人間、天涯孤独となった者は大事に至ったとき、どうすべきか。
 やはり介護保険料、ちまちまと工面して払っていくしかないか。

♪ああプランタン 無理もない♪2024年04月02日 23時33分51秒

★春本番4月となりました。

 寒の戻りが予想外に長く厳しく、桜の開花も遅れるほど寒い日が続いた3月だったが、月末頃から急に初夏を思わす暖かい、いや、気温がとても高い夏日が続き、ようやく冬も過ぎ去り春到来の感4月となった。
 気がつけば、これで今年も1年のうち、4分の1の3カ月が終わり、今月が終われば年の3分の1が終わり、6月が終われば半分が終わってしまう。
 まさに光陰矢の如しで、もたもたしているとつい先日、始まったと思った新年2024年も年末となってしまう。
 それでもともかく無事?に生きていられるのは良いことで喜ばしく、今はただ、この冬を何とか乗り越えられたという感慨のような気持ちでいる。
 この冬は、灯油も買わず、暖房は、寝るとき布団中の電気アンカ以外は一切何も用いず、猫たちの部屋一室だけのエアコンだけに留めたから、電気代はこの物価高でも幸い低く抑えることが出来た。
 しかし夏は、冷房を入れないことには毎年の猛暑を乗り切ることはできないと思うので、自室のエアコンも扇風機も含めて今年も毎月かなりの額となろう。
 寒ければ、ともかく布団にもぐって早く床に就き、冬眠のごとくじっとしていればよいのだが、暑いのばかりはクーラーなど、冷房をつけないことには熱中症にもなるし今は生きて行けない。

 昔の兼好法師も、家は夏を旨とすべし、記していたと思うが、今はともかく夏が長く厳しく、おそらく今年も5月頃から猛暑日が始まるようになり、それが去年と同じく10月の終わり頃まで続くのではないか。
 いちばん誰にも過ごしやすい、春と秋はさらに短くなって、夏は、一年の半分を占め、冬は三か月~、春秋はそれぞれ一か月程度となっていく。
 ならばこそ、この短い春のおだやかな季節を、花々と新緑の時をじっくり眺めゆっくり味わいたい。
 コロナ禍は去ろうとも大変な時代、世相に我々は今生きている。果たして来年もまた無事にこの花々、草木の芽生えを目にすることができるのか。
 また、そのときに余裕やゆとりがあるか、それすらもわからない。
 サトウハチローと中田喜直の名曲、『ああプランタン 無理もない』 である。
 春の物憂げな情景をうたったうたで、これ以上のうたがあろうか。

https://www.youtube.com/watch?v=Pv8hsSAxgwY ※藤山一郎

https://www.bing.com/videos/riverview/relatedvideo?q=%E3%81%82%E3%81%82%E3%83%97%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%82%BF%E3%83%B3%E7%84%A1%E7%90%86%E3%82%82%E3%81%AA%E3%81%84&mid=B75A5A01A573C487691AB75A5A01A573C487691A&ajaxhist=0 ※ダークダックス

近況を記す と2024年03月26日 11時31分01秒

★今すぐ死ねない、まだ死なないならば

 毎年のことだが、春は雨もよいの日が多く、降らずとも曇天が続く。
 このところ数日おきに雨の日が続くが、降っても春の雨だから傘が要らない程度の弱く短い時間のことも多い。
 が、今日は、昨夜から久々に本格的に音立てるほどの強い雨が降っている。予報では、このまま終日、夜半過ぎまで降り続くとのことだ。暖房もないから当然寒い。冷え込んでいる。
 外仕事は雨では何もできないので、溜まりに溜まった紙類の片づけ・整理分別処分など、足の踏み場のない室内の掃除・片づけを少しでも進めていくしかないのだが、今日は久々に腰据えてパソコンに向き合い当ブログを書き進めていくことにする。
 またまた更新がずっと滞っていた。ご心配おかけして申し訳ない。

 理由はともかく体調が悪く、心身ともに不調で、書けたとしても毎度の愚痴のような訴えにしかならないからだ。
 そんなものは誰も読みたくないし、心ある人には嗤う以前にご心配かけるだけだろう。ならば、書きたい気持ちはあっても書くべきではないではないか。

 自分でもいったいどうなってしまったのか、どうしたら良いのかと思うけれど、ウツウツとした気持ちと右腕全体の痛みと痺れがまた再発して酷く何一つきちんとできずに時間あれば横になってばかりいる。
 世の人から見れば、たんなる怠け者、頭がおかしくなってると思われるだろう。もうどこにも行かないし誰とも会わないし誰からも連絡はない。

 届くメールは、我は持ってもいないカードや口座などに不正利用があったので、確認の返信をしろという詐欺メールばかりだし、かかってくる電話は、給湯器の点検にこの地域を回っているから伺いたいというこれまた詐欺商法のアクセスだ。
 まっとうな電話は、先日、不動産会社からの、お宅の持ってる空家を借りたい、売ってほしいという方がいると言うので、訊けば、我がいま住むこの家のことであった。
 世間ではこの荒れ果てたゴミ屋敷の庭先を見て、この家はヒトが住んでいないと判断するのだろう。
 そう思われても仕方ないが、売れば多額の金は入ってきたとしても行先もないし、だいいち全てあるものを処分することなんか我が生きている限りできそうにない。右から左にそれが出来ていたらこんな悲惨かつ最悪の状況にならなかったのだ。

 我が今乗っている車もまた同じことで、庭先で作業していたらば先日は浅黒いアジア系外国人が来て、このクルマ、使ってないなら売ってクダサイと言われた。
 確かに、雨のたびに濡れてはならない庭先に出ているものなどを車内に満載しているから、荷物でいっぱいのボロ車を見ればフツーは、もう廃車状態だと判断するのであろう。何度もそうした買取のチラシがワイパーなどによく挟まっている。
 が、こんな車でもないことには山梨の倉庫には行けないし、猫たちを動物病院に連れて行くことも難しくなる。何より荷物運ぶのに自転車だけでは限界がある。移動の手段として、クルマはガソリン代も含めて今はやたら金がかかるけれど、ないと本当に困るので売るわけにはいかないのだ。

 先日は、そこに市役所から介護保険の担当の男が来て、ずっと未納になっている介護保険代を支払えと言ってきた。このままだと利用するときに制限が出るとも。
 しかし、払いたくても今は、一円も収入がないのだから払えないと正直に伝えたら、ともかく少しづつでも払ってください、と言い残して帰って行った。
 「外」の世界からのこと、世間とは今の自分にとってそれだけのもので、届く郵便は諸税金類の督促状だけだし、友人知人からの楽しい便りなど全く途絶えた。
 ご近所付き合いもないから、都会に住んでても世捨て人のようなもので、今は唯一ごく親しい知人がウチの片づけなどに来てくれたときに会うだけで、あとは猫や犬など動物相手だから誰とも話すこともない。

 以前はそうした中でも心の内を日々拙ブログに書き記し鬱気分を散らすこともできたが、それも近隣からの悪意ある嫌がらせにより控えるしかなく、ますます鬱は悪化傾向にある。
 日中も昼寝しているからか、夜も早く眠くなっても真夜中に尿意などで起きてしまうとそれからしばらく眠れずにそれがまたツライ。
 うんと昔の学生時代の仲間とのことや、もう死んでしまった人たちのことがあれこれ次々思い出されて何時間も眠れず、そのうち外も明るくなってくる。
 夏だったら早暁でも散歩に出たり、外で何かできるのだけれど、まだ今はとても寒くて起き出せずに、布団の中で枕元の文庫やスマホを繰ったりしてもうひと眠りするまで苦労する。
 そして思うのは、こうしてこんな風にしか生きられないまま、なし崩し的に死んでいくのかな、と。
 何一つきちんと為し終えずに。時間だけは無常に過ぎて浦島太郎のように気がつけば齢だけとって老いさらばえた。
 最愛の親たちも逝き、我には妻も子孫もないのだから、何故にこの地獄のような状況を一人生きて行かねばならない?
 自らが蒔いた種だとしても刈り取らねばならない義務はあるのだろうか。

 だが、それでも目覚めてまた一日が始まり、腹をすかせ騒ぐ猫たちにご飯あげて思うのは、彼らがいる限りまだ死ぬわけにはいかないし、動物の世話という義務があるからこそまだ我は生きているのだと。
 そしてまたこんな人間にも支援してくれ時に助けてくれた奇特な友人知人が少なからずいることを思うとき、彼らの愛、恩義に報いることなくして死んではならないと気づく。
 そう、まだ今すぐに死ねない、まだ我に時間が少しでも残されているのならば、死ぬまでの間に、今在るものすべてにきちんと向き合いこれまでに我が受けた「愛」を感謝と共に少しでも少しづつでも返していくことだけだろう。
 嫌でも終わりの時は来る。それまでもう少しだけ頑張らねばと思う。

 どうしようもない人生だからこそ、どうにかしないとならない。それは、この社会、世界だって同じことで、どうしようもないからといって「そのまま」にしていては、その悪しきこと、状態は永遠に続いていく。
 どうにかできる、できないかではなく、やっていくしかない。誰の人生でも生きて行くとは、そうしたものではないのか。
 どうにかしていく。誰よりもどうしようもない人生だからこそ。

表現の自由と「差別用語」考~「買い物ブギ」をテレビで再演することについて2024年03月03日 14時07分04秒

★つんぼ、は、その歌の中で使うべきではない、と。

 個人的に気になっていることを書く。
 いま、NHKで放送している、笠置シヅ子をモデルにした、朝の連続ドラマについてだ。
 正直、このドラマに対しては多々違和感というか、書きたいこともあるのだけれど、それはまた置いとくとして、いま、いちばん気になるのは、劇中で主人公が唄う、服部良一作詞作曲の『買い物ブギ』である。

 ご存じの方には説明不要だろが、様々な買い物に街に出て、いろいろ買った挙句、ラストにおっさん、これなんぼ?と何度も訊いても、訊かれた主人は何も応えずに、オッサン、オッサン、オッサンという繰り返しのフレーズの挙句、帰ってきた返事は、「わしゃ、聞こえまへん」で、その歌は終わりとなっていく。
 が、元々の原曲、つまり唄われた当時は、何で返答がないかというと、「わしゃ、つんぼで聞こえまへん」であった。
 ただ、現代では、その「つんぼ」という言葉が、差別用語というのだろうか、聴覚障碍者に対して問題があるとの認識からか削除されていて、我の持っている彼女の当時オリジナル音源の復刻CDでも、その部分は、ピーと伏字ならぬ、伏音がかかってたように記憶する。
 で、今回のドラマの中でも、「つんぼ」という言葉が削られて、ただ「聞こえまへん」とされて唄われた次第だ。
 これでは、元々のうたの意味がよく伝わらず、これは無意味な言葉狩り、過剰な自粛だという意見もあちこちで見かける。
 確かにそうも思える。が、我としては、やはりいまこのうたを唄うならば、まして広く誰もが見聞きする公共放送の場ならばなおさら、「つんぼ」は使うべきではないと思う。

 むろん、つんぼ、めっかち、我の母たちがよく口にしていた、おっちんぼ、ちんば、びっこ、などという言葉自体は、使うことの是非如何ではなく、言葉として残すべきものだと考える。
 その言葉を無くしたからといって、その障害自体がこの世からなくなるわけではないし、文化的伝承としても、昔の書物中の言い換えなどはすべきではない。
 今日でも例えば、手塚治虫の漫画本などでは、巻末に、「今日では差別にあたる表現が見られるが、オリジナルを大切にしてそのままにしました」というような「お断り」が付けたしされているが、それは正しいと断言する。
 あくまでも当時は、差別意識云々とは別に、表現としてそれは確かに広くに世間にあったわけで、差別している意識は検証すべき必要は多々あれど、それはそのままにして伝え残すべき事例であろう。
 よって、CD復刻などでは、できるだけ当時のままで、出すべきだと我は考えている。じっさい、近年では、一時期よりそうした意識の元に、ヘンなピー音など被せずに出されている昔の音源も多いと思われる。
 それは本にしろ、なんであれオリジナル尊重として大いに喜ばしい。

 が、では、今のテレビの劇中で、『買い物ブギ』を昔のまま、当時のオリジナル歌詞そのままで唄うのはいかがなものか。
 我は、以前もちょこっと書いたかとも思うが、色覚障害があり、色の一部が健常者のように正確に判断できない。昔で言う「色盲」なのだ。
 そうした障碍ある者としてこのうたの「つんぼ」を考えたとき、やはりこれは非常に複雑な気持ちにならざる得ない。
 昨今ではどうかわからないが、都心の地下鉄の路線図など、我にはほとんど見ても判別できないし、数年前、拙宅のプリンターが壊れたとき、修理相談にメーカーのオペレーターとの電話対応にも苦労したことを思い出す。
 電話口の女性は、プリンターの上部に点滅しているごく小さなランプの色が、いま何色か、緑なのか赤なのかと我に聞く。
 が、その単独のランプの色が、我には、何色なのか色盲である我には全く判別ができない。だから、正直にそのことを伝えるしかなかった。
 街中の信号だって、昨今では、ほとんどLEDのものに替わり、昔のランプ式のモノは少なくなったので助かるが、以前はほんとうに判別に常に苦労していた。特に背から夕陽を浴びたりしていると、昔の信号は我にはほとんど何色が点いたのか判別できなかった。仕方なくランプの位置で判断していた。

 一部の色がうまく判別できないということは、多々生活の中で不便なことはかなりある。が、かの乙武氏の名言ではないが、障害は、不便だが不幸ではない、とはまさにその通りで、それはそれで我の個性であり、不便なことが多い社会だが自らを不幸だなんて考えたことはない。
 と、自分では思う。そうしてそのことを自ら書いたり公言はできる。が、では、それを他人に、しかも障害のない人間に、それを「うた」にされて、さらにうたの中の「オチ」に使われたらどうだろう?
 「オッサン、オッサン、これ何色?」と繰り返し問われて、「わし、色盲でわかりまへん」と歌われたら、当時でもそれを笑って受け流すことができるだろうか。

 自分が、地下鉄の職員で、○○駅へここから一番てっとり早く行くには何線と何線を乗り換えて行けばいいか聞かれる「地下鉄ブギ」といううたがあったとする。
 「オッサン、オッサン、オッサン、このカラー路線図のどの線に乗ればよろしいんか?」と何度も訊かれて、挙句に「わし、色盲でわかりまへん」というオチはやはり考えただけでもツライ。
 そして気がつく。ツライのは、つんぼとか色盲という「言葉」自体が原因なのではなく、その不自由かつ不便な状態、=障害を、笑いの対象、うたのオチにされたということだと。言葉は言葉でしかない。
 むろん、オリジナルの音源は、そのままでもちっともかまわない。いくら訊いても返事がないのは、つんぼだったというオチは、コミックソングとしてあまり上質なギャグとは思えないが、それもまた仕方なく過去の「時代」なのだと理解できる。

 ただ、一部に、オリジナルを重視しろ、は、ともかくも、言葉狩りだとか、今のテレビ放送でも、それを昔のまま唄うべきだという意見にはあえて異を唱える。むろん、ただ「きこえまへん」だけでは意味がよくわからない。ならばこそ、当時はその歌の中に「つんぼ」という言葉があり、それらが使われていた時代にも思いをはせるべく、世に伝えていきたい。それこそが当時を知る者の義務ではなかろうか。
 ※このドラマ中に、「パンパン」とか「パンパンガール」という言葉が平然と出てきたが、パンパンは差別用語ではないのだと、今回思い知った。むろん、パンパンこそ、当時は差別、蔑み用語の筆頭であり『銀座カンカン娘』という映画も「パンパン娘」では、あんまりだということで、全く無意味な「カンカン娘」に替えたという逸話を思い出したことを記し終わりにする。映画そのものは、パンパンそのものの映画ではなく、たわいもない楽しく明るいものだが。

さあ、3月、ここから本当に再スタートだ。2024年03月01日 21時21分52秒

★キリギリスはキリギリスのまま、どうやってこれからも生きて行くか。

 今日からあっという間に3月。冬の間、年明けからだらだら自分事を書いてきたが、これで終わり、オシマイとしたい。

 結論だけ書けば、要するに、怠け者、若い時から享楽的に生きてきた我、寓話の中のキリギリスに喩えられる者が、人生の冬の時期、晩年を前にしてどうやってその季節を乗り越えられるか、ということに尽きる。
 そう、キリギリスは一日でも長く、冬が来た今、どうやったら生きて行けるか、だ。

 げんじつの話、もう行き詰ってきて、今日は、市役所に行って様々な税金の支払いに、延期を願い分割の誓約書を書いてきた。
 今のまま、ほんとうの無収入状況が続けば、もはや親たちの遺してくれた蓄えも完全に尽きてくるので、早晩、生活は破綻してしまうだろう。
 幸い、ホームレスの方々とは違い、今住んでる持ち家はあるので、路頭に迷うことはないが、日々、その家にもかかる諸税金は溜まり督促され、差し押さえへと流れは進むので、事態はさらに悪化していく。

 我自身は、衣食など何もこだわりはしないが、案ずるのは、共に暮らす動物たちの生活費の工面できないことで、ほんとうにそろそろ1円でも稼ぐ方法を真剣に求めないとならない。
 いま、模索しているのは、ネットで古本を売る稼業以外に、ネットを利用して、少しでも収益を得る方法は何かということだ。
 ブログも、ブロガーとして金を稼いでいる人も多々いるようだ。それはカンタンなことではないと思うが、自ら書くことが、少しでもお金に繋がるのなら、まずはチャレンジしてみるべきではないだろうか。

 たとえば、本であれ、何かについて我がブログなどで書いて、その画像なりを宣材として貼り付ければ、アフェリエイトって言うのか、それを読んでくれた方が、またそれを購入してくれれば、我のほうにいくらかはキックバックがあると訊く。
 良くないもの、内心、価値がないと思うものを取り上げて、褒め上げる気はないが、我自身が良いと思い、もっと売れて世に知られることを望むものを載せて、もしそれで金が入るのなら、それは正しいことではないかと考えるようになった。
 幸い、我は書くことだけは、質はともかくまったく苦にならない。いろいろ誤認識や、勘違いはあるかもしれないが、書きたいことは本や音楽についていくらでもある。
 まずは、そうした様々なネット上での金を稼ぐ手段を模索していこうと思っている。
 その場合、当ブログではない、別のブログで活動となろう。また、そのときは、この場所でそちらへのアクセス方法はお知らせしたいと考えている。
 ともかく、今年、2024年度中に、キリギリスがこれからも生きて行く処方を何としても見つけ出さないとならない。
 もう季節は今年も春が来た。が、我が人生の冬の時期を、一日でも長く、いかにして生き延びるか、まさにそこに、最大の課題、目的がある。

 これからもおいおい、そうした状況は、まずはここで、できるだけ正直に、包み隠さず書いていく。何であれトラブルにまた繋がらぬようなことは書き記していきたい。
 まだまだ、もう少しだけ人生は続く。そう信じてやっていく。

これからのこと⑦2024年02月24日 13時23分54秒

★どのように、どんな音楽に向き合っていくか

 これから、残りの人生はオンガクとブンガクにきちんと向き合うと書いてきた。
 むろんそれは何事もすべて同じで、我はすべてに不真面目で、だらしなくテキトーだったと今更にして思う。友人関係においてもだ。本来きちんと成すべきいろんなモノゴトを放擲、つまりほったらかし投げ出してきた。

 さておき、では、向き合うとはどういうことか。つまるところもっと関わりを深めて、少しでも究めて「自分のもの」にしていくことだ。
 音楽はなんでも好きだとしても、ジャズやクラシックは、あまりに敷居が高く難解で、その素養もない人間が、おいそれと究められるはずもない。あくまでも鑑賞にとどめて愛聴する1リスナーでありたいと考える。

 我がもっと究めたいと願うのは、ボーカルを主体としたポピュラーソング、それもスタンダード曲についてで、フォークソングや歌謡曲であれ、そうした楽曲は、いくつも存在している。
 一言でそれらを括れば、時代をこえて残る、残すべき、多くの人に愛好される「うた」ということに尽きる。それは売れたか、ヒットしたかという次元の観点ではない。良い「うた」ゆえに、誰もに愛聴、愛唱される価値がある楽曲であるかだ。
 我は、そういううた、スタンダード曲をもっと深く勉強して、願わくば、自らも表現できるようになれたらと夢想する。
 一例をあげれば、服部良一なら、「蘇州夜曲」や「胸の振り子」であり、中村八大でいえば、「上を向いて歩こう」「黄昏のビギン」、いずみたくなら「見上げてごらん夜の星を」等々、説明せずとも誰もに知られて後世にこれからも永遠にのこる名曲である。
 畏友「さこ大介」さんの創るうたの数々も、フォークソングとかブルースの枠に収まらない、まさにスタンダードとなり得る楽曲で、我も死ぬまでに1曲でいいからそうした「うた」を作り遺せたらと願う。

 洋楽で、ザット・ラッキー・オールド・サン (That Lucky Old Sun)」という曲がある。
 日本では、さほど知られていないと感じるが、この曲は、ビーズリー・スミス (Beasley Smith) 作曲、ヘイヴン・ガレスピー (Haven Gillespie) 作詞による、1949年のポピュラーソングの楽曲だそうで、我も拙いながら、聴き覚えた日本語詞で唄っていた。
 ♪朝っぱらから仕事に出かけ 悪魔のように金儲け なのに1日中ゴロンゴロンとお空にゃおてんとさん ~という出だしのうただ。

 レイチャールズやF・シナトラ、ルイ・アームストロング他、多くのシンガーに唄われているスタンダード曲だが、我は、このうたを10年以上前、春一番コンサートなどで大阪に行ったとき、向こうのライブハウスで地元ミュージシャンが唄ってるのを聴いてまず知ったと記憶する。
 また、その後、東京に来た関西系シンガーが唄っているのを聴いて、いい曲だなあと思い、覚えてコピーし我も持ち歌にした経緯がある。
 日本では大西ユカリのバージョンが特に知られているかと思う。

 ボブ・ディランも近年のアルバムの中で、同曲を唄っているのだが、まったく違うメロディーに我は聞こえて戸惑い、同名だが、別の曲だと思っていた。※まあ、近年のディランさんは、自分のうたでも、とことん崩して唄っていて、ファンでもすぐに何の曲かわからないそうだから、無理もなかったわけだが。
 それが、先日テレビで、NHKの番組『街角ピアノ』で、米国・ニューオリンズの回のとき、道端の芝生に置かれたピアノでこの曲を弾くミュージシャンが現れ、テロップで曲名とカンタンな解説が流れた。
 メロディーは、我が知り唄っているものとはだいぶ違ってはいたが、それでやはりこの曲は、同じものだと思い至り、気になってあれこれネットで調べてみた。
 そして以下のことがわかった。

 先の日本語での歌詞は、京都の老舗の蔵造りのライブハウス、拾得のオーナーのテリーさんがつくったもので、久保田誠と夕焼け楽団のアルバムにこの歌詞でまず収録されたという。※そのアルバム、我は未聴だった。たぶんウチにはそのLPはあると思うけれど。
 向こうでのオリジナル曲というか、最も早く録音したのは、フランキーレインらしく、そのバージョンを聴くと女性コーラスが大きく取り入れられていて今のそれとはだいぶ違うアレンジである。※彼は、大昔のテレビ西部劇『ローハイド』の主題歌で有名な歌手で、♪ローレン、ローレン、ローレン~で、始まるその歌は、我らの世代なら誰もがご存じであろう。
 他にもいろいろな向こうの歌手が唄っているバージョンをYouTubeで聴いて、ようやく基本的なメロディーがはっきりわかった。
 個人的にもっとも参考になり、良いと思えたのは、k.d.ラングのそれであった。

 ともあれ、今の我が唄っているメロディーは、元々の原曲とはだいぶ違うことがわかってきた。それはつまるところ、日本でも様々な歌い手が唄い次ぎ、それぞれが耳で覚えて唄っていたため、伝言ゲームのようにいつしか微妙に変わっていったのだと思える。
 むろんうたは、そうしたもので、長い間に多くの人に歌われているうちに、本来のオリジナル曲からメロディーも歌詞も変わってしまうことはよくある。それはけして悪いことではない。
 ただ、我としては、やはり当初のメロディーにできるだけ近づけて、いや、忠実に唄いたいと思う。崩すことはカンタンだが、まずは原曲を知ることからだろう。
 また、何故に関西系のシンガーたちに多く唄われたかというと、そこに拾得のテリーさんが訳したということも大きいはずで、そうか、そうだったのか!!と長年自分でも唄ってきたこの歌のルーツというか、背景がやっと判明した。

 それにしても呆れるほど驚くのは、こうしたことは全てネット上ですぐさまわかることだ。原曲、及び訳詞の歌詞もコードも内外問わず様々な歌手が唄ってる画像さえも無料で視て調べ得ることができる。
 つまりケイタイ1台あれば、昔なら図書館に行ったりあちこちに確認すべきことが、たちどころに判明するのである。まさにこれが21世紀だとその安逸さ、利便さにただただ驚かされた。

 これからは、テリー氏の訳したバージョンだけでなく、原詩をもう少し取り入れて、我なりに日本語詞で基本のメロディーに則った「ザット・ラッキー・オールド・サン」をぜひ完成させて唄いたいと願う。
 我が言う、音楽に向き合い、自らのものにしていくというのは、一例だがこうした行為であり、世の多くの人にはまったく無関係な、興味のないことだと思えるが、こうした掘り下げと再確認は個人的には為すべき大事なことだと考えている。
★フランキー・レインのバージョン↓
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★k.d.ラング ※CMが最初にあるかも
https://www.youtube.com/watch?v=pXJBih_QqLQ

★おまけ、忌野清志郎 https://youtu.be/gj8EO9N9sQ0