終えて10日過ぎ、やっと一段落。2019年05月15日 23時59分23秒

★今も「うた」は寄せては返す波のように

 5/5日の「共謀」フォークジャンボリーが終わって10日が過ぎた。
 ようやくだが、やっと当ブログでの事後報告「画像で振り返るフォークジャンボリー」を全部アップし終えた。
 今回は、写真担当の人はいなかったので、我マスダが、司会進行・タイムキーパーの合間合間、ステージ上の出演者たちを撮っておいたのたが、毎度ながら片手間作業ゆえなかなか良いピントのしっかりあったものは少なくまず選び出すのに苦労した。
 が、いちおうざっと出演者ごとにコメントも付けておいたので、画像だけでも当日の雰囲気は伝わると信じたい。我の期待通り、緩~く、かつ熱く、皆がそれぞれを信頼しいい意味で忖度し、しっかり和やかに「共謀」した良いコンサートだったと今さらながらに思う。

 我のような基本様々な人格障害ある者がよくまあ無事にこんなビッグイベントを成し終えたものだと奇跡のようにさえ思える。
 じっさい毎度のこと、綱渡り状態を繰り返し、まず、果たして当日配布のプログラム・歌詞カードも印刷できるか前日夜遅くまでわからなかった。本当は前日のうちに完成させる予定が雷が鳴って中断させられた。
 そこに平成最後の安倍政権の愚策・改元の10連休のおかげで、予め注文していたプリンターのインクが届かず、印刷中紙詰まりを起こしこともあって、果たして全部印刷し終えるまでインクがもつかと真夜中にハラハラドキドキさせられた。※幸い予定枚数分はギリギリ印刷できた。
 そして当日になって大荷物も、近くに住む友人が、先にバイクで行って運んでくれると申し出てくれたし、不安であったビデオ撮影もいつもお願いしている友人に加えて、今回はイベント専門に記録活動している方が連絡して来て全部撮ってくれたし、受付も前回に続いて女友達が担当してくれて、すべての心配事は有志の助力で無事何とかなった。
 まさに神の計らい、音楽の神のご加護であろう。これはその催す価値がある「良いこと」だからと、あれこれ助けてもらえたというわけだ。

 これから出演者方には個々に、我の撮った画像などを送って、後には、ビデオ映像も編集のうえ渡したいと考えている。
 先にYouTubeに未編集のままアップしてあったものも取り下げて盤面で貰えたし、これからはそれに加えて友人に頼んた分も加えて編集して演者・関係者には記念品として贈呈していこうと思う。

 ともかくこのビッグイベントを終えて、しばらくは家に籠って今夏は、溜まりに溜まったこれまで我が企画し撮り集めた映像・音源をきちんと整理編集してアーカイヴ化していくつもりでいる。
 いちおう秋口10月半ばに、中川五郎御大を迎えて、今回の主だったメンバーたちと『五郎と「共謀」コンサート』は既に確定しているけれど、これからのことについては、しばらくこれまでを振り返りつつ未定として、ゆっくり考えなおしたい。

 いずれにせよ、今の時代は、YouTubeやツッイターなど、SNSを有効活用しないことには、まず同じ志の方々にもこちらの「情報」が届かない。今さらながら、我もそうしたネット上のカクサンの方法、手段を学んでもっともっと広く大きく我と我らの企てを世に知らしめたいと強く願う。

 今さらながらだが、今もあの日、そこで唄われた唄の数々が、寄せては返す波のように我の脳内では、エンドレスで流れている。そこには素晴らしいうたがたくさん歌われた。むろんそれをYouTubeなどで上げて追体験してもらうことも今はできなくもない。
 しかし、それでは、ほんとうにあの瞬間、そこにいた者全員の熱く和やかな至福の感覚は、伝わらないと思える。モニターで見ることと、そこにいること、いたこととは違う。見ることは傍観者でしかなく体験者にはなり得ない。

 願わくば一人でも多く、そのとき、その場で皆での「共謀」を体験してもらうべく、我は企画だけでなくそうした呼びかけ、働きかけにも力を注いでいかねばならない。
 まだまだできる。それは出来る。きっと思いはかなう。今回の企画を成し終えて、「神が味方」してくれることを強く感じた。
 
 ♪おお、心から、信じよう。皆で、壁を乗り越えよう。

画像で振り返る「共謀」フォークジャンボリー後半・①2019年05月11日 18時38分24秒

★後半第二部のトップは、小林直樹&楠瀬咲琴withみほこん。

 というわけで、5/5日、谷保かけこみ亭で開催された「共謀」フォークジャンボリーを、画像で振り返っている。いよいよ後半の紹介だ。

 毎度、我マスダの関わる企画には常に何らかのトラブルは付きもので、不備失態はデフォルトとして何が起きようと今さら驚きはしないが、今回は、お店のトイレに不具合があり、タンクが満杯となり流れなくなってしまったようだ。当日になって知らされた。う~むこれは想定外である。
 そんなで、基本トイレは使用不可となってきてしまい、お客様・出演陣は、近くのコンビニへ用足しに行ってもらうこととなった。そんなで休憩時間は長めにとって、気持ち新たに後半のスタートとである。

 第二部のトップは、小林直樹&楠瀬咲琴に加えて、今回は、当初は「共謀」参加予定のなかったみほこんが駆けつけてくれて、先の彼女のワンマンコンサートに続いて三人での息のあったステージを見せてくれた。やや弛緩して来た場の雰囲気が力強い確かな歌声で熱く一変した。

と、中休みをすこし2019年05月10日 07時02分58秒

★うたという、見えないものに手をひかれて

 と、ここまで去る5/5日に、無事成し終えた「かけこみ共謀フォークジャンボリー」について、このブログでは、画像で開演からの流れを追ってみた。
 いちおう、二部構成のうちの第一部というか、前半部だけはアップし終えた。コンサートは、ここで休憩入れて、その後は第二部の開始となる。
 それも続いてアップさせていこうかと考えたが、今日は終日父が家にいる日でもあり、パソコンに向かえるのは、今この朝方しかない。たぶん夜は疲れ果てて何もできない。
 父を起こす前に、あれから5日過ぎて思うことというか、いまの気持ちを記しておこうと思う。

 昨年やっと始めた我がフェイスブックのほうにもコンサートの画像は何枚か載せてある。そちらのほうが綺麗で大きく見れると思うが、我は「文章」の人なので、そこではブログのような長大な記事は書けないようなので(詳しくわからないが、そこでは長文はそぐわない)、あくまでも基点はここに定めて自由に書かせてもらう。※ぜひそちらも覗いてもらえればと思う。
https://www.facebook.com/profile.php?id=100024251173424

 フェイスブックは、写真などをアップするとダイレクトに反応があり、今何人の人が、誰がそれを見てくれたかさえ表示されるので手ごたえがある。素晴らしい機能だと思える。
 が、気持ちとしては当ブログのように、別にコメント禁止になってもいないのに、ほぼ誰も何の反応も返してくれない場のほうが、我は気軽で読み手を意識せずに自由に書けるし適時アップできる。それは楽だ。

 他の方のフェイスブックを見ると、まず自分の書いたこと、アップした画像にコメントが届き、それに「返答」するとまたそれに「返答」がある。えんえんそうしたやりとりを繰り返している人も多々見かける。たくさんのフォロワー?っていうのか、読み手がいたら、終日そんなレスポンスだけに追われてその画面にかぶりついていなくてはならない。

 そういうことで自分が認められていると思うのか、それがその世界の礼儀なのかわからないが、いったん始めてしまえばたぶん我もそれに囚われる。ほったらかしにはできなくなる。
 誰かが見て、読んでくれて簡易に反応を返してくれるのは嬉しいことだが、我はそれよりももっと人とはリアルに濃密に関わりたい。そして身勝手と言われようと何より自分の時間がもったいない。

 他の人の動向に関心なくはないが、今はまだ自分の人生すらきちんと管理・把握できてなく、自らの人生に、いいね!は一つも付けられないのだ。ならば他の方のフェイスブックのチェックにまでとても手が回らない。
 まずは何をさておき自分のことだろう。それが「誠実」ということのはずだ。まず自分に誠実でない者が他者に誠実であれるはずもない。


 また「前書き」だけで長くなったが、ともかくこれまでいくつもこうしたフォークコンサートに関わって来たわけが、その5日の「共謀」フォークジャンボーは、我が人生で最良最高のものとなったと今つくづく思う。
 先にも書いたが我が企画人生の中で、集大成、ある意味一つの到達点となった。観客自体の多寡については思うところあれど、ステージ上ではちょっとあれ以上のものを再度実現できるか今は自信がない。
 出演メンバーも演奏もコンサートの流れも選曲も最良のものであったと企画者自身が思う。ついにここまで来たか、という感慨が今も続いている。

 そして何より思うのは、我をそこまで導いてくれた見えないものの存在、縁であり、その奇縁というか計らいによってここまで来れたのだと思う。そうした不思議な縁が積み重なってそのコンサートは成ったのだと今さらながら気づく。
 では、そもそもそのきっかけは何か、誰かと振り返れば、高田渡の死であったのだと気づかされる。
 2005年の春に、渡氏が急逝され、その直後に中川五郎ら友人知人たちが催した追悼コンサートに出向くことがなかったら今の我は存在していなかった。それは間違いなく。

 高田渡が、「ぺけ君」と呼んでいた年下のフォーク仲間いとうたかお(素晴らしいシンガー!)が出した本に「小さな唄に手を引かれて」というのがあるが(同名アルバムのほうではなく、ビレッジプレス刊)、そう、我もまさに、「うた」という見えないものに手を引かれてここまで来たのだと深い感慨がわく。
 繰り返しになるが、我は、十代の初めに、深夜放送でRCサクセションら日本のフォークソングと出会い、その半ばで、吉祥寺の喫茶店「ぐゎらん堂」に手入りするようになり、渡氏ら日本のフォークシンガーたち本人実物を知った。そして十代の後半は、大阪天王寺の野外音楽堂で毎年今の季節開催していた「春一番コンサート」にも通うようになった。

 そんな熱烈フォーク少年だった我だが、受かった大学が小田急線の町田方面だったこともあり、青梅線で立川、南武線で登戸、そして小田急線というルートに動線が変わってしまい、いつしかフォークの盛んだった中央線沿線にはほとんど足を向けなくなってしまった。その吉祥寺にも。
 大学では自らもパンクバンドを結成したり、8ミリフィルムで自主映画を撮ったり、ひたすら遊び尽くして、卒えてやがては社会人となれば、生活に追われてしまいまったくフォークソングのことなど忘却の彼方となってしまった。折しも八十年代は、日本のフォークシンガーにとって冬の時代、ニューミュージックの次の、「イカ天」バンドブームである。元々四畳半フォークと揶揄されたフォークソングは、完全に時代遅れとなっていた。

 それから幾星霜。生活を喰い詰めて実家に戻った我は、21世紀になったのを機に、インターネットの古本屋を始めることにした。そしてアマゾンなどでも古本を売るようになり、少しはその商売も軌道に乗り始めたと思えた矢先、ネットで知り合った羽村のネット古書店仲間のHという音楽好きの男に、高田渡が死んだので、追悼するコンサートが小金井公会堂であるので一緒に行かないか、と誘われたのだ。
 正直に記せば、そのときは渡氏も含めて、かつてあんなに夢中になった日本のフォークソングになんて全く関心も思いもなかった。行くのも乗り気でなかった。が、そこでの「音楽」との再会が、我を大きく変えたのだ。

 その追悼のイベントは、「人間接着剤」と評された誰からも慕われ愛された渡氏の幅広い人脈を示し、旧友のシバ、中川五郎から、小室等、山本コータロ―、大杉連、さらには遠藤賢司、陽水、鮎川誠!まで、それぞれ各自が故人との思い出を語り1曲だけ唄うというもので、合間に渡氏の遺したうたを出演者・観客が一体となって歌って彼を悼んだ。
 我は、そこで初めて李政美、リクオたち新たな素晴らしい人脈も知ることになった。
 感動で打ち震える、とか焼けポックリに火がつく、とか月並みの言葉しか出てこないが、一度は枯れ果てたと思えた老木iに再び芽吹くがごとく、枯れていた井戸に地下水脈が届いたかのように、何十年間も眠っていた音楽の思いが突然再燃再興したのだ。

 終わってから、すぐさまかつて面識の会った五郎氏と連絡を取り(ぐゎらん堂は、彼のわいせつ裁判支援の東京本部であり我も応援団に入っていた。むろんこちらのことなど記憶にはなかっただろうが。)、彼のコンサートに招かれ、今は亡きHONJIを知り、また日本のフォークソングの世界へと再び舞い戻ることとなった。
 そして再開していた大阪での「春一番」へと、また毎年通うことになり、そこで有山たち昔ながらの顔ぶれと再会しただけでなく、いま21世紀の日本の音楽シーンも知ることができた。
 関西に行ったついでには、必ず京都の古川豪氏の薬屋にも顔出していろいろなお話も訊けたし、あの有名な喫茶店六曜社のオクノ修さんの知己を得た。

 そしてそうした「活動」を拙ブログに記していたら、それを読んだ方からメールが届いた。それには長々と詩が記してある。だがそれは定型のそれで、どうも歌詞のようで気になって会ってみた。
 それが今回出てもらった漂泊のシンガー太田三造さんとの出会いで、彼からまだ両国フォークロアセンターがあることを知らされ、半信半疑で彼に誘われて訪れて主宰の国崎清秀氏を知った。そしてそこに通うようになりそこで様々なアメリカンフォークソングの歴史を学んだ。
 今に続く、隅田川フォークジャンボリーも最初は彼と共に始めることになった。
 今、これまでことを振り返ると、まさに奇縁としか思えない様々な出会いで、今の我とその活動があるのだと深い感慨を覚える。

 古川豪さんが東京にライブで来られた折に、オフノートの神谷氏や、館野公一さんを紹介されたのだと思う。また拾得での藤村直樹氏の「中休み」コンサートも誘われて生前の彼をかろうじて知ることができた。
 館野さんと親しくなったので、谷保のかけこみ亭との関係も始まったはずだし、神谷氏の企画されたコンサートを通して、詩人・有馬敲さんとの関係も始まったのだった。むろんそここに岡大介もいた。
 西荻のみ亭は、彼から知らされなくても知っていた店だったが、我がフォークソングの世界に復帰してからは、そこを岡君がホームグランドにしていた関係で、我も頻繁に通うようになりそこでのライブでまた多くの素晴らしい人たちと出会えた。
 一番最後は、葬儀場で、遺骸となった彼を挟んでの山口敦子との出会いであった。渡氏もだが、彼もまた最後の最後まで人を繋いでくれたのだ。

 また春一では、会場で「春友」と呼ぶべき濃い昔ながらのフォークマニアと知り合い親しくなった。その中のガスリーという三重県津市の男が毎年地元でやっていた超ユニークな河芸の「ええかげん」まつり、というフォークジャンボリーにも何回か顔出し春一とはまた少しは違うが、多彩なシンガーが大勢登場するイベントの楽しさ、醍醐味を味わった。
 今回、飛び入りで参加してくれたコジロー氏もそこで名刺交換していたシンガーで、直前に連絡くれたのだ。

 春友から誘われて、10年前の京都丸山公会堂での勇造60歳フリーコンサートも参加したことで五十嵐正史とソウルブラザーズをはっきり知ったのだと思う。
 中川五郎から彼のコンサートを通して知り得たシンガーは数多いるけれど、中でも西島寛二さんとみほこんは我にとって今も一番大きな存在となっている。
 その他、と言っては失礼だが、そうして数多くの人たちが「うた」を通して我と繋がった。こんな非力で愚かな我に彼らとの出会いはまさしく僥倖、神の恵みと言うしかない。

 思うと、まさに見えないもの、さまざまな「うた」に手をひかれて、いつしかここまで来たのだと気づく。その現時点の集大成が、今回のかけこみ「共謀」フォークジャンポリーだったのだ。
 自らのことは何一つできない、だらしなく愚かで非力な我が無事成し終えられたのも、人としても素晴らしく暖かい音楽仲間たちとの出会い、その助力があったからだ。それを思うとただただ有難くて涙が出て来る。

 そしてそもそも一番最初のきっかけは、あの高田渡追悼のイベントであり、渡氏の死であったのだ。
 人は死んでも何かを残す。それが借金やガラクタ、ゴミの類という「負債」もままあるかもしれないが、何よりの「富」はじっさいの金や貴金属でなくとも、その人がいたことで生じた、繋いだ「人間関係」友情、愛情、親愛の関係であろう。
 人と人は今の時代、ネット上で、フェイスブックなどのSNSを通してごく簡単に出会える。が、真の人間関係は、やはり人を介して直の出会いから始まる。我はそう信じるしそのことに疑いはない。
 会ったことのない人に、いいね!をいくつも貰ってもそれはそれだけのことで何も始まらない。それよりも一度でも我の企画するコンサートで、我マスダが認めた良い、本物のシンガー、音楽家たちを観て知ってそして彼らと「共謀」してほしい。そして直にこんな我とも関わってもらいたい。

 音楽とは、YouTubeで観、ダウンロードしてイアホーンで一人で聴くものではないと知るだろう。
 素晴らしい歌と音楽は人と人を真に繋いでくれる。そしてそのことで少しだけ、少しづつ世界は変わっていく。そう信じてこれからもやっていく。
 我にとって「うた」とは、『この俺をこんなに変えてくれた、昔の友』であった。

 ※登場した氏名の敬称の有無に意図するところはありません。ご容赦を。

画像でふりかえる「共謀」フォークジャンボリー・⑦2019年05月09日 23時00分05秒

★館野公一のステージの最後は、ご存知ディランの「ハリケーン」日本語版。

 そろそろ「共謀」もあつく熱を帯びて来た。

画像でふりかえる「共謀」フォークジャンボリー・⑤2019年05月09日 22時03分28秒

★そして、情念の歌姫・志万田さをり

 前回の「女たちの共謀コンサート」に引き続き、このところかけこみ亭では常連となってきた志万田(しまだ)さをりが、ソウルフルなステージを見せてくれた。

画像でふりかえる5/5「共謀」フォークジャンボリー・②2019年05月09日 21時41分49秒

★次いで、「共謀」コンサートには毎回登場、パーカションの槇篤‼

 オープニングアクトは、鼻笛によるラベルの「ボレロ」の独奏で早くも観客を沸かせた。
 彼は、この日、午後9時まで、様々な打楽器を駆使してどのミュージシャンのステージでも見事に「共謀」し続けた。まさにこのコンサートには常になくては欠かせぬ、縁の下の力持ちである。

YouTube怖い!!2019年05月07日 20時50分56秒

★この男の動く映像をネット上で見かけたら直ちにお知らせください。薄謝進呈します。

 人生には驚きや予期せぬ出来事がつきものである。が、近年我がいちばん驚き仰天したのは、この画像の男が、我のパソコン内に登場してきて何やらもぞもぞ口上を述べたかと思うと何とも下手くそなギターとうたを唄い出したことだ。本当に呆れるほどヒドイ。

 どうやらどこかのライブハウスでのコンサート?など何かの催しの最初のシーンと思える。その映像は何の一切の編集もなく店のトイレが詰まったとか尾籠な話をした後、この男はいきなり歌いだすのである。そしてコンサート本編が始まるようだ。司会進行しているつもりなのか!?
 何もかもそのビデオはいきなりこの男からして最低である。何で世に、YouTubeにアップされているのかフツーの人は理解に苦しむ。我もそうであった。偶然見て、真にびっくりした。心臓が止まるかと思った。ただ見苦しい。

 というのも、我のよく知っている非常に長い付き合いのある人にそっくりで、我マスダはそいつと生まれた時から付き合っているような気がする。まあ、真に幼い時は記憶がないが。
 少なくともこの数十年は鏡の中で毎朝顔合わせているような気がする。そいつが何で臆面もなく何かのコンサートの冒頭で、亡き遠藤ミチロウのように拡声器もってあれこれがなり立てたかと思うと下手くそな歌を唄い出すのである。いったい何のつもりだろう。頭オカシイのではないか。
 非常に不快である。その後に続くコンサート自体はなかなか味わいがあり、画像も音も綺麗で、出演者たちはどれも素晴らしいようだが、ともかくそのビデオは最初がひどすぎる。まさに目を汚す。

 あまりに驚き不快なので、我は、これをアップした人にすぐさま連絡して、公開、つまり世界中の誰でもが常に観れるような状態にするのはやめてくれと懇願した。
 幸いその撮影してYouTubeに上げた方は、すぐにまず「限定公開」に変更してもらった。もうこれで安心、ほっとしたと思えたが、知人が、「共謀フォークジャンボリー」とか「かけこみフォークジャンボリー」とかで検索すると、別のリンク先がヒットして、また相変わらずこの男が登場してくると知らせてくれた。ちっとも関係者だけの限定公開になっていない。理由はこの世界に暗い我にはよくわからない。

 胃も頭も痛くなってきて、精神的にもまいってきたので、再度申し入れして基本、「非公開」にしてもらった。いちおうあれこれネット上で検索してみても今現在はその男が出てこない。この画像は表示できませんということになっている。
 ほっとした。が、いちどネット上に出回ってしまった画像、映像は誰かが自らのパソコンなどに取り込んでいて再度アップさせることもあると聞く。
 もし、このブログをご覧の方で、この男が出てくる「かけこみ共謀フォークジャンボリー」関連の画像を見かけたらばぜひまず我マスダにお知らせお願いしたい。

 この世に怖いものは多々あるが、YouTubeが一番怖い。次いでは酒とフォークソングのコンサートが怖いと言っておく。もう女なんか怖くない。

令和元旦?に思う2019年05月01日 23時38分24秒

★令和なる新時代となったからと、何を浮かれ騒ぎ喜ぶのか

 多様性社会とか、みんな違ってみんないい、とか叫ばれる時代になったはずなのに、この改元騒ぎからの新元号開始の祝賀・お祭りムードには我はうんざり辟易している。どうしてメディア挙げて、国民皆で大騒ぎして祝賀しないとならないのであろうか。
 日本人の横並び主義、皆が好むことにすぐ同調する気質は何も変わっていない。

 そもそもこれは天皇家の人たちの「行事」であり、国事行為とするほうがおかしいと思う。それが日本国の「象徴」であるとしても国民一人一人にとっては何の得も益も無い。ただ元号が代わって、平成時代が終わってこれからの日々は「令和」として括られるだけの話だ。
 むろんそうした区分、括り自体は意味なくもないし、何であれ、いったん一区切りがつき、また新たに何か始まるきっかけは、気持ちを切り替える意味でも「良いこと」だとは思う。改元自体は支持している。
 ただそれは新年と同じことで、毎年の元旦に、今年こそは、と新たな誓いを立てたとしても、そのための努力が果たせねば全くの無意味であり、新元号の時代が始まったとしてもそこに何か「良くなる」「良いこと」を期待するのはナンセンスだと言うしかない。

 外の社会を変えるのは、まず内面からの変化によるヒトの行い、行動しかないわけで、何よりも先の統一地方選の結果以前に、その投票率全体の低さを見る限り、もうこの国の民主主義は根幹から揺らぎほぼ成立不能となっていると嘆息し絶望してしまう。
 誰も選挙に行かず、立候補する人も少なく無投票当選が増え続くのならば、議会制民主主義はもはや成り立たない。選挙のつど組織力のある政党の議員だけが当選し、他の多くの民意は一切反映されなくなる。特に小選挙区制の現行選挙制度では。
 今日の安倍一強独裁政権を許し支え続けているのは、そうした政治に無関心の多くの国民であるし、同様に世論操作的メディアに素直に踊らされる国民性であろう。一億総白痴化ならぬ総安倍洗脳化である。

 今日から新しい時代が始まったからといって、その「功労者」として安倍晋三とその最凶極悪自公政権が免罪されてはならないことは言うまでもない。これ以上の悪行の先は、安倍四選と憲法九条改正としてはならない。しかし、これでまた支持率は回復することであろう。

 この令和の改元狂騒がいつまで続くかわからないが、日本人には早く現実に再び目を向けて、自らの暮らしを見つめ直し、冷静に今夏の参院選を見据えてほしいと心から願う。ほんとうにこのまま安倍自公政権が新時代もずっと続いて良いのか、だ。
 この四月から食料品などの物価は上がり諸々の税金はまたさらに上がり年金はいっこうに増えない。さらにそこに消費税は上がるのだ。
 それでも自公政権を支持するのは痛いのを好むマゾヒストか、頭がおかしいとしか思えない。現政権で恩恵を甘受する富裕層は国民の10人に1人もいないのだから。
 
 令和という新時代には新政権を。サヨナラ平成、サヨナラ安倍政権。古い上着よ、さようなら、だ。

そぼ降る雨の平成最後の日に2019年04月30日 11時39分41秒

★行く時代、来る時代か

 今朝は、またひと騒動あったものの何とか父を介護施設に送り出した。平成から令和へ、元号という時代を跨いでの二泊三日のお泊りである。

 今日で平成は終わり、明日からは令和となる。外は昨夜からの雨がしとしとと降り続いている。しかしこれまでの冷たい雨ではなく今日の雨は暖かい雨だ。外は寒くない。穀雨という言葉があるように、乾いた大地を潤し植物にとって有難い恵みの雨である。

 ともあれ、令和なる新元号の時代も父は生きることとなるわけで、実に大正、昭和、平成、令和の四つの時代を生きる稀有な人となった。
 そのことは長寿の証として目出度いことだと思うが、不思議に思うのは、この改元騒ぎでの「祝令和」というお祝いモード、お祭り気分はいったい何なのだろうか。
 新元号が安倍官邸主導であろうとも新たに決まり、天皇が退位し皇太子が即位して令和なる時代が始まることは目出度いことなのか、だ。

 これまでは、天皇の死去と共に元号が変わり新時代が来ていたから、こんな祝賀ムードはありえなかった。まさに天皇の「死」と共に粛々と新時代が始まり自動的に移行していく感が先の時はあった。
 が、今回は近年にない、死去ではなく天皇の退位による改元だから、祝賀ムードも不謹慎ではなく、逆に国民皆で祝賀しないと、という雰囲気がマスメディアを通して政府主導で煽られているのだろう。

 本日のテレビ欄は、NHKなど朝から夜まで終日改元関連の特番ばかりなのには真に呆れ果てた。我のように、昭和はともかく平成なる時代には特に思い入れも懐かしさも持たない者にとっては、ふーん、別にぃ~である。そこまで平成を振り返り、現時点で記録と記憶に留める必要があるかないかだ。そして何でそれをスタジオの皆でコーフン気味に騒ぐたてるのであろうか。
 それよりも政府主導で国家を挙げてのこの改元騒動と天皇家の代替わり行事は、主権在民を記した憲法に抵触、違反しているような気がするのは我だけだろうか。赤旗を読んでもそうしたことにはふれていないし、表立ってそうした異論を叫ぶ者はいないようなのが気になる。

 我は繰り返し書いて来たが、元号容認、擁護者であり、現天皇に対しても非常に崇敬の念を持っている。が、そのことと、改元発表時から一連の行事まで含めて、この改元「騒動」を政治的に利用し「政治ショー」化していく安倍晋三の毎度のマスコミ手法には、真に怒りと憤るものがある。ちっとも笑えない安倍新喜劇は吉本に入ってやってもらいたい。
 天皇家を自らの権力維持に利用するとは、皇室に対して非礼だとどうして日本の右翼の人たちは怒らないのであろうか。それもまた不思議でならない。

 さておき新元号で新時代が始まろうとこの国は何も変わらない。少子高齢化はますます進み、外国人労働者は街にあふれ、二人に一人も選挙に行かずに、日本の民主主義は形骸化していく。
 金持と大企業はますます溜め込み肥え太り、貧困層はさらに増大し、児童虐待も増え続ける。そして何も考えないネットの若者たちは無条件にそれでも自民党を支持し続ける。
 現状変革を願うより、この悪い現実を変えることを怖れ現状維持を望み、日本人は破滅という鍋の中で自ら茹でガエルになっていく道を望んでいるようだ。まずは消費税10%という地獄が待っている。東京オリンピックが来ても国民の暮らしとは一切関係ない。

 安倍であろうとなかろうと自公政権が続く限り、この国は何も変わらない。基地も経済もアメリカに食い物にされて、外国人労働者に依存して日本と日本人は滅亡衰亡していく。そこに原発再稼働と新規建設が拍車をかける。
 令和がどこまで続くかわからない。が、その先の元号があるかないか、そのとき、日本と日本人はそこにまだそこに在るか、どうか。日本という国家は21世紀半ばには破滅、消滅しているのではないか。

 改元のお祭り騒ぎに国民総出で浮かれているときではない。行く時代、来る時代、ならば令和という地獄がこれから始まる。そのとき国民は平成を真に懐かしむことだろう。あの時代は「平和」で良かったと。

 ※むろん、我が事、我が身としても、父亡きあとの「我が地獄」に、逃げずにどうきちんと向き合い対処していくか、それこそがこれからの当ブログの主題となっていく。

平成の終わり、令和の始まり、そして2019年04月27日 11時02分18秒

★5/5日の「共謀フォークジャンボリー」まで一週間

 水曜夕刻から父が家に帰って来て、木金と在宅で、今日土曜日の朝、何とかまた介護施設にお泊りに行かせた。ほっとしている。

 じつはまた二週間前に修理した父の入れ歯が水曜の夜に毀れてしまい、翌木曜は医師による訪問診療の日だったので出かけられず、昨日金曜日の朝一で立川の歯医者に行き、とりあえずまた修理してもらった。
 前回は、急患扱いで行ったこともあり10時半に受付したのに、終わったのが午後3時半と延々ひたすら待たされ続けて、一日潰れてしまった。待合室の固いソファーで我の腰痛も悪化してしまった。
 今回は、直して二週間でまた壊れてしまったことと午後は用事もあるので、と強く申し入れをして、朝8時前に父を叩き起こして朝食も摂らずに朝一で出向き、何とか午前中に修理終えて解放された。
 が、その父、夜はまた微熱が出てきて何度体温を測っても37度前後で、出かけて風邪ひいたかと案じたが、幸い今朝は平熱に下がっていたので、予定通りに週末のデイサービスに送り出すことができた。

 そんなこんなでこの三日間、例によって父が家に居ると我のことは何もできず、何とかやっと父を送り出してさあ、これからという思いでこれを記している次第。
 谷保かけこみ亭での「かけこみ共謀フォークジャンボリー」まであと一週間と迫った。今さら焦る気持ちはないが、ともかく一人でも多くのお客様、参加者が来られることをただ祈るだけだ。
 出演者に連絡事項などやるべきこと、備えることはいくらでもある。
 ともかくこの一週間、ところどころ父は帰って来るが、翌日はまた朝から送り出すので、さほど煩わされずに済むかと思う。しかしもしまた熱でも出して在宅となってしまえば全てがアウトである。

 我にとってこの平成の終わりと令和の始まりの、前代未聞の大型連休は、大正生まれの父の体調しだいなのだ。四つの元号を生きることになる我が父があとどのぐらいどこまで生き永らえるか、我はどうすべきかあれこれ思うが、すべては神のみぞ知る、という気持ちでともかく一日一日やっていくしかない。

 まだ書きかけのことも後で書き足してアップしていきたいと思うが、まずは、5/5日のコンサート、成功に向けて、まだできる、すべきことを全力で進めていく。がんばるしかない。