まずは、コロナ第3波の最中、11/28日を無事に終わらせてから、だ2020年11月26日 11時07分10秒

★コロナ感染拡大第3波の渦中に

 秋はともかく忙しい。まさに目が回る程だ。
 父不在の日でも早朝からの庭先、道路の落葉掃きでおちおち長く深く眠れないし、今頃になって先日の自転車での転倒の傷というか部位があちこち痛み出したのと件のアレルギーで咳も止まらず、満身創痍とはこのことか、という感じである。言葉の綾ではなくまさに睡眠不足でメマイがしている。
 が、できるときにすべきことを、つまり、やらなくてはならないことを一つでも少しでも進めていくしかない。でないとどんどんさらに溜まるばかりだ。

 今朝は久しぶりに朝からカラッと晴れたので、溜まった洗濯ものを懸命に洗っている。ウチのは昔ながらの二層式、しかも粉せっけんだからだからいまどきのそれのようにスイッチさえ入れれば後は干すだけというわけにはいかない。
 いちいち取り出しては脱水かけて、またさらにすすいで、最終的に再度脱水して干すという手順を繰り返す。洗うものが多いとそれを何度でも繰り返さねばならない。

 今日は夕刻、父が介護施設から戻る。すべてはそれまでの勝負で、明日は訪問診療も来るので終日在宅の日なのだが、施設に無理言って明日の夜から一泊早めに預かってもらうことにした。
 今も洗濯機廻しながら二階に上がってはこれを書き進めている。午前中にともかく干さないと明日施設に持っていく父の着るものがない。
 何であれ我が人生は常に後手後手で、季節のほうや老いのほうが先回りして慌ててそれに対処して何とか「とりあえず」間に合わしている。
 根本的に追いつきはしない。古本屋稼業ということもあってモノはどんどん溜まるしそれを処理・分別、出品する時間もろくにとれない。
 私的にやりたいことはいっぱいあるが、ともかく今この人生をかろうじて維持することだけで手いっぱい、精いっぱいなのだ。

 人並みのまっとうな人生、フツーの人生はどんどん先へ進んでいく。我はそれを見ながら今も必死に後を追っている。
 が、その距離はどんどん引き離される一方のような気がする。

 さておき、後手後手で思うのは、菅政権、政府のコロナ対策である。
今また第3波が押し寄せて、けっきょくGoToキャンペーンはそれぞれ一時中止としたり、繁華街などでの飲食店は各地で時短営業が要請されてしまった。
 まあ、今回、かけこみ亭でのコンサートには大きな影響はないと思うが、慎重な人はとうぜん足を運ぶのは躊躇うことであろう。出る側もまた然り。そう考えると憂鬱である。またも緊急事態宣言が出たらどうしたものか。

 しかし、これもまた当然のことであろう。感染が完全に終息してもいないのに、消費喚起策として国を挙げて旅行に行けとか店で飲食しろとかGoToキャンペーンで人心を煽るからである。結果人出が増す。そして全国でこれまでで最大の感染者数を日々更新する事態となる。
 政府は「三密」に加えて、換気や体温の計測、手洗い消毒などを徹底すれば移動しても問題ないといまだ言って、感染拡大は国民の気の緩み、からだと国民に責任を転嫁している。
 が、これこそ噴飯モノで、「気の緩み」は政府が音頭とって始めたこのGoToという愚策が引き起こしたからだし、何より問題なのは、コロナというのは無症状、軽症の人も多々いることを失念していることだ。
 つまり発熱など症状がないとして各地へ出かけお店て飲食している人たちの中にも確実にウィルス持った人はいるのである。結果として全国的にウィルスを国が拡散させてしまったからこんなに感染者数が増えたのだ。
 それを野党は批判するばかりで学術会議のことばかリ騒いで何もコロナ対策しなかった、とかコメントするバカの何と多いことよ。

 さておき・・・
 「肉屋を支持する豚」とか「卵を産まなくなった鶏」とかまるでイソップの喩え話のような事態があちこちで起きている。
 そうしたことについて書き記したいと思うが、ともかくいまは時間がなく、まずは28日を無事終えてからだ。

 いま、午後1時半過ぎ。何とか洗濯物は全部干し終えた。思ったよりも時間がかかってしまった。今日乾かなくても何とか明日一日あれば父が明日の夕方持って行く分は乾くだろう。

 コロナが続く限り、もうかつてのような音楽イベント、コンサートはもう不可能のような気がしてきたが、ともかく我が出来る限りのことはこれからも続けていく。
 それが音楽を手の内に入れた者の務めであろう。そう、音楽はどこにいたって出来るし存在するのだから。

寒暖差アレルギーに苦しみつつ野沢菜を漬けていく2020年11月22日 08時30分05秒

★暑いんだか寒いんだか、咳と鼻水が止まらないが

 今日22日は、また気温が下がり例年通り晩秋~初冬のひんやりとした朝である。北風は今朝は吹いていない。今日も晴れて陽射しの温かさが心地良い。

 が、一昨日までは、生暖かい南風が吹き荒れて気温も高く、ともかく気持ちが悪かった。穏やかな小春日和というよりも春先3月頃、春一番のようなヘンな陽気であった。数日前はかなり冷え込んで5~6度しかなくこのまま一気に真冬となるか案じてたのに。
 その天気の不穏さに気持ちも何か落ち着かず、不安な気持ちを抱えつつ山梨へ行ってきた。まあ、向う山里でも冷え込むことはなく身体は楽であったが。

 今回出かけたのは、荷物の搬入よりも、向うの家の庭先にある植栽、青桐やケヤキの樹の伸びた枝葉のことが気にかかって、少しでもそれを「処理」せねばと急かされていたからだ。

 拙古民家のある山里は、ほぼ限界集落と言っていいほど、ほとんど人は住んでいない。行っても誰かニンゲンに遭うことはまずなく、お猿や鹿たちに出会うことのほうが多い。ご近所も住んでいるのは寡婦となられた老人だけでその姿も全然見かけない。唯一、家族のいる世帯はすぐ下の隣家だけである。
 しかし、前回、雨が降り続いていた10月に行ったとき、帰り際、高低差のあるすぐ下の、その隣家のオバサンが突然やってきた。
 我に、今夏伸びすぎて葉が生い茂っていた桐の樹とケヤキを指さし、落葉もすごいからこんなに丈を伸ばさずに切り詰めてくれ、落葉も困るが、危なくてしょうがないと苦情を言われた。何でも地区のどこそこでは樹が家に倒れてきて何百万も損害賠償したとか、一本切るのだって百万円したとか言う。

 確かに入り口のプレハブの物置脇に生えていた桐の木は成長が早く、このところなかなか訪れることなかったら、気がつけば丈も枝も伸びてその大きな葉で、玄関までも暗く覆い隠すほど成長していた。
 俗に俚諺に、娘が生まれたら桐の木を植えれば、その娘が嫁ぐときにその桐の木で箪笥ができると言うが、あながちそれも誇張ではないほど桐という木は成長がやたら早く、この一年ほどほったらかしにしていたらあっという間に巨大化していたのである。
 そして葉も大きく落ちて散れば辺りはチリチリの枯れ葉が散乱いっぱいとなる。確かに隣家ではかなり迷惑したことだろう。
 仕方なく脚立を立てて、小雨降る中、手の届く所だけ剪定ばさみと枝切り鋸で枝下ろしを試みた。ケヤキも切れと言われたが、高所でとても一人では危険すぎ作業は出来ないと自制した。

 だが、桐は切り出してみると木質がとても柔らかく存外苦労せずカンタンに切れることがわかった。当たり前のことだが、成長の早い木は柔らかく脆いのである。人も同様であろう。
 30分もしないうちに手の届く範囲の枝はほぼ全部切り落とすことができ、ほっとした。
 そうしてその切り落とし葉が付いたままの枝はそのまま物置の前に積み上げ投げ出したまま帰って来たのだが、やはり「その後」も気になっていた。
 隣家の苦情に少しでも誠意を示さないと田舎ではやがて「村八分」にされると聞くから近隣、特にご近所には気を使わねばならない。
 で、何とか今回犬猫たちも連れて、その続きの作業を目的に出かけた次第だ。

 が、行きの中央高速、山梨県内は、車窓から見る限り山々は紅葉、黄葉の真っ盛りであったが、我が山里はもう落葉は終わりに近く、庭先の桐もケヤキももう完全に葉は落として丸坊主であった。
 今さら枝だけとなった樹の枝下ろしを急いでする必要もないと考え、ともかくまだ山積みのままにしてあった、先に切り落とした桐の枝葉を片付けることにした。
 着いた日の翌日、午前はゆっくり農協や直売所で地場野菜買って、昼過ぎから庭の中で焚火をして枯れた雑草もろとも燃やせるものは枝も落葉もほぼ全部燃やし終えた。庭もスッキリ広くなった。
 隣家の人の姿もなかったし、こちらから出向くこともないと考え、火だけ消えたか確認してから夕方から一番近くの公営温泉に行き、焚火の煙臭い身体をよく洗って広い湯船に浸かりようやく気持ちも一段落ついた。

 そんなで手のかかる猫たちもいたから今回は何か落ち着かず、他のことは何もできずのんびりもできなかったが、直売所には幸い生の野沢菜が出ていて、かなりの量を買い込むことができた。
 これもタイミングであり、収穫期は晩秋の一時期だけのものだから時宜が合わないと山梨へ行っても買うことはできない。今回は高菜は出会わなかったが、かなり鮮度の良い野沢菜を計7束買うことができた。いつもの倍である。漬けこむブラ樽が足りないので昨日、近くのホームセンターで新たに買い足して来た。一把の束が5kだと思うから、樽二つで収まるはずだが、下洗いしたがまだ漬けこんでいないのでどうなることか。
 
 昨日からまた風は北風に変わりまた本来の寒さが戻って来た。おかげで寒暖差アレルギーが悪化して、咳と鼻水、そして咳のため喉も痛み痰がからみ風邪症状で苦しいが熱は例によってない。ともかく咳が止まらず息苦しいが何とか作業してやり過ごすつもりでいる。これはじっと寝ていても治りはしないいつものことだから。
 
 野沢菜は高菜のように手間がかからないから一週間ぐらいで食べられると思うので、今度の共謀コンサートに持参して皆にふるまえるかと思う。
 参加者にはおみやげとしても差しあげられると思うのでぜひお気軽にお越しください。11/28日、午後5時半から、谷保かけこみ亭。

また山梨へ行ってきた2020年11月21日 22時44分16秒

ベルコと黒猫モコ
★コロナは続くよ どこまでも である。

 このところ連日コロナの新規感染者の増加更新が日々全国的に止まらない。東京では連日五百人越えである。これはさすがにマズイことなのは誰でも思う。
 言うまでもなく菅政権が安倍政権から引き継いだ愚策GoToキャンペーンなるものを、まだウィルスはちっとも収束していないのに全国的に始めてしまった故で、どう言い訳しようとも「気の緩み」、つまり感染防止策さえとれば移動も含めほぼ元通りの生活、経済活動をしてもかまわない、と政府がお墨付きを与えてしまったからに他ならない。
 何で拙速に経済を回そうと、しかも観光業を優先したかは、そこに菅政権誕生の功労者、影の総理二階幹事長の存在が大きいからだそうで、彼のバックには観光産業が付いているから何が何でもトラベルなのである。そう、この先どうなるのか誰もわからない、「神のみぞ知る」状況でもだ。

 さておき、実は、この数日、18日の水曜の夜から昨日金曜の昼まで山梨の最北、北杜市へ一人で行っていた。むろんウチの倉庫である古民家へ、だ。
 問題の老父を、いつもより一泊長く介護施設にあずかってもらい、水木金の二泊三日で行けたのだが、実質まるまる一中向うにいられたのは19日の木曜だけだ。
 じっさい隣の県とはいえ、その古民家のあるところは、峡北と呼ばれる県北部で長野県に近い八ヶ岳南麓である。しかも高速降りてから山道を30分昇る山里なので、高速に乗ってる時間は 1時間強だとしても、やはり移動には片道2時間はどんなに急いでもかかってしまう。
 一泊二日の日程だと、着いて荷物下ろして、近くの温泉に入って一晩寝たらすぐまた翌日、農協で野菜とか買って昼には向うを出ないとならない。いつもあまりに慌ただしく田舎へ行ってものんびりなんか常にできない。だから気も身体も休まらない。何かあたふた荷物を移動させているだけだ。
 今回は、中一日、向うにまるまるいられたので少しはのんびりできた、が、実はまたバカな判断から危うく事故るところであった。
 理由は、愛犬ベルコだけでなく猫たちも三匹連れて行き、しかも車内で猫たちが騒ぎケージ破ってうろつき出してしまい運転に集中できずパニック状態となり往生した。

 いつもは、動物は連れて行くとしても愛犬ベルコの他に、ケージに入れて三本脚のキジ子だけなのだが、今回は、キジ子の他に、黒猫モコとヘタレ大将という子猫ならぬ「中猫」も連れて行った。つまり犬1、猫3、ヒト1である。それが車に乗ってった。
 もっと他にも今ウチには猫たちがたくさんいるのだが、人に慣れて大人しいメンバーを厳選して、他のは餌をたくさん置いて留守番させてのことだ。
 で、今回キジ子は、車内に放して、中猫二匹はソフトケースのケージに入れて連れて行った。むろん二匹はニャーニャー大鳴きして中で騒いでいる。
 が、後部座席に置いてあったビニール製のケージからいつの間にか自分たちで咬み破いて穴をあけ車内に出てしまったのだ。※後で判明した。
 八王子インターから高速道に入り、次のPA、藤野まで来たら、足元に誰かがいる。ファスナーが緩くて出たのかと思ったが、二匹はもう車内で自由にうろつき、キジ子も含め皆で大騒ぎである。
 いったんどこかPAに停めて猫たち捕まえてケージに戻すことも考えたが、出たのが夕方7時過ぎだったことと、車内には本や荷物も多く猫たち全員捕まえるのも難しいと考えてともかく大急ぎで古民家に向かった。
 じっさい古民家に着いても、車内から猫たちを捕まえて閉じ込めておく二階の部屋に連れて行くのもまた一苦労であった。
 まあその晩は、猫たち広い部屋に放たれコーフンして主人が寝ている布団の上でも追いかけっこ、こちらはなかなか眠れずに閉口したが。
 
 翌日、向うでの用事を済ませて、さらに一泊して帰路へと。猫を入れようとケージを確認したらば、あちこち咬み破いて隙間ができてボロボロであることがわかった。どうしたものか。修繕もできないし時間もない。
 けっきょく、ともかく中猫二匹をそのケージに投げ込み車を走らせた。
が、すぐさま彼らは出てしまい、車にも慣れたからか、行きよりもさらにアクティブで、日中だったこともあって、運転席にまで三匹でやってくる。
 足元をうろつくのもいれば、キジ子は我の肩に乗ってニャーニャー鳴いてるし、モコはハンドルからボンネットによじ登ろうとけんめいである。
 危なくて運転に集中できない。その都度、周りをちょろちょろする猫たちを掴んでは後部座席に投げるが猫たちは懲りずに何度も運転手にまとわりついて来る。とうぜんハンドルもふらついてしまう。助手席の犬ベルコも心配顔である。
 気がつけば、後ろには工事用の大型トラックが急接近していてクラクション鳴らされ、慌てて路肩に停めたが、危うく事故るとこであった。

 それは高速内のことではなく、インターまで下りる山道のことだから、スピードは出ていなかったが、またしても我はいったい何をやっているのか!!と思わず自問した。またも命縮めるようなバカなことをしているではないか。
 けっきょく、昨日は朝から買い物などはできるだけしないで、できるだけ早く韮崎から高速に入って、キジ子を肩に乗せて、モコは膝に乗せて片手で押さえつけて、もう一匹の様子を伺いつつ片手ハンドルですっ飛ばし大急ぎで帰ってきた。
 昼過ぎウチに帰り、連れて行った猫たちをそれぞれの部屋に投げ入れてほんとうにホッとした。無事を痛感し缶ビール開けて、からからの喉を潤した。
 そして誓った。誰か他の同乗者がいて、猫たちの世話や様子見てくれるのならともかく、1人のときは、犬はともかく猫は連れて行かない。連れて行くとしても一匹だけ、それもしっかりしたケージに閉じ込めての話だ。こんなことで事故って命落とすのはバカらしいではないか。
 バカだから何度でもバカなことを繰り返す。ほんとうに危険なことは回避していかねばと先日も悔いたばかりなのに、だ。

 ※今回行かねばならない目的については別に書きます。

晴れの日が続く、コロナ感染拡大も続く2020年11月14日 21時16分31秒

★まず近況と思うところを

 雨や曇りの日がやたら多い今年2020年だったが、ようや11月に入って天気の良い爽やかな秋晴れの日が続くようになった。
 が、今週は一気に寒くなって、隣町八王子では最低気温が5~6度と報じられた。まだ何の冬支度もしていない我は、また寒暖差アレルギーが悪化して咳が止まらず往生した。発熱などはないものの風邪の初期症状で痰も絡み咳が収まらず苦しい日もあった。仕方なく体温めできるだけ早く寝るしかなかった。毎度のことなのでコロナではないと信じるが・・・

 ようやく昨日あたりから寒さも和らぎ、今日など日中はひなたにいると汗ばむほどで、朝晩は冷え込んでもともかく陽射しのあるのは有り難い、助かると陽の暖かさに感謝である。
 今朝がた、父を介護施設に送り出し、ようやく落ち着いて今心静かにパソコンに向かっている。とりあえず明後日の夕方までは、父のことはさておき自分のことに専念できる。
 が、今日は、それでどっと疲れが出て、午前は歯医者の予約診療を終えた後、昼過ぎに近くの家系ラーメン屋でたらふくライスと一緒にラーメン食べて、犬猫たちに餌やったりしてから少しだけ横になるつもりで布団に入ったら爆睡してしまい気がついたら外はもう暗かった。5時は過ぎていたか。約3時間半寝たことになる。
 寝ながらも忘れ物したようなあれこれ気になることが頭をよぎり、その都度今日は父は不在なのだから今は寝ていいいのだと思い直し、けっょくだらだらと午後は暗くなるまでひたすら眠り続けたのだ。無為に時間を費やしたとも思えなくはないがおかげでやっと体調は戻った。

 先だっての自転車での転倒したケガは、今も肘などは青痣になっていて押したり触るとまだかなり痛いが、身体節々の痛みはなくなりもうほとんど生活に支障はない。
 今回の件で、多々ご心配とお叱りも受けた。今さらながら情けなく反省中である。バカは死んでも(死に損なっても)直らないとは自分のことである。
 で、酒はもうやめたかというと、実は、咳が出ると、いちばん効くのは、ウイスキーなどのお湯割りで体自体を温めることなので、このところの寒さもあって酔っぱらうほどではないが、咳が出るたびアルコールはまた飲んでいる。熱くしたお湯割りを流し込めば咳は収まる。
 咳止めの薬こそ、中島らもの命を奪ったようにかなり危険なので、それよりは薄いお湯割りならば、という判断だ。
 いずれにせよ、外で呑んで自転車に乗ることはもう絶対しないと誓ったのでご容赦願いたい。家で一人で酩酊できる余裕も時間もない。
 ただそんなでまたブログ更新の間が空いたのは、急な寒さで体調悪く、父不在で寝られるときは咳止めにアルコール流し込んで早く寝てばかりいたからと告白する。
 ※アップする写真もまとめたが、けっきょく未だそれはできていない。

 さておき、父のことはともかく、アメリカ大統領選の結果と大阪維新の会の都構想の結果の類似と政府のGO Toキャンペーンの継続である。そのどれもトランプ的というか、身勝手な悪あがき、ある意味狂気の沙汰というしかない。終わりは既に見えているのに、あえてそれを認めず欲望のおもむくまま都合良く解釈してさらに状況を悪化させていく。
 政治家、というより政治に携わる者は、いつの間にかこんなに無責任になったのであろうか。誰もが自分たちの都合しか考えず民意など認めない。
 我は先にアメリカの大統領選はトランプ氏の再選だと予想して拙ブログに書いた。じっさいのところ開票半ばまで激戦州は圧倒的にトランプ氏の票が伸びていた。
 のちに郵便投票の票が出て来てバイデン氏優勢となったとされるが、確かにトランプ氏や日本国内も含めて支持者の人たちはいかさまや不正があったと思いたくなるし我もそう疑う気持ちはある。
 が、少なくとも政権与党側がするならともかく、全米で民主党が政権奪還のために大々的に不正操作がてぎるはずもなく、現時点ではその確証事例なども報じられていないのだから、やはりこの選挙結果は誰もが認めねばならないはずだ。大阪都構想も同様に。
 ところがトランプ陣営や大阪維新幹部たちは、それを認めず諦めず新たな妄動を続けている。接戦だからこそインチキ不正があったとか、ほぼ半数の人が賛成したのだから廃案になってもその民意をくみ取らないとならないという「詭弁」である。

 そして今また、コロナ感染拡大が連日都内も含めて新たな段階に入ってきている。各地で感染者数が過去最高となり東京でも連日300人越えが続いているし北海道でもかなり危険な状況となってしまっている。
 特に人口が少ない北海道での再流行は、政府のGoToトラベルが大きく関与していると誰もが想像できる。
 なのに政府は北海道をキャンペーンから外さないだけでなく、これからもこのキャンペーンは全国的に続けていくと明言している。それも利用は各自「皆さんの自己判断で」、という無責任ぶりである。
 けっきょくつまるところ全ては金なのだ。そこに金が動くから、金を求めて無責任な妄動を続けざる得ない。

 そもそも彼らは選挙で示された民意や道民、大阪府民、国民のことなどまったく大事におもわないし考えてもいない。※沖縄の民意だってそうだろう? 二階幹事長のご威光で誕生した菅政権は、彼のバックにある観光業界の顔色を窺うしかないし、トランプ氏もアメリカ大統領選挙の得票歴代二位の7000万票越えの力をかざして大統領の椅子に居座り続けるのである。

 何せよ、敗戦日本に民主主義をもたらしたアメリカの「自由と民主主義」なるものはどの程度のものか今回底がはっきり見えた。ならば、彼らが教えてくれた日本の民主主義、選挙なども自公や維新が示すように自らの為だけのもの、ご都合主義でもちっともおかしくない。
 非民主国家である中国や北朝鮮、ロシアが嗤っている。

慌ただしい一週間を終えて2020年11月09日 09時23分06秒

砂川秋祭りで「砂川の空」を唄う館野公一
★ようやく腰据えて自分のことを

 昨日は、砂川秋祭りだった。
 我は、オープニングアクトで、盟友太田さんと「三密クラスターズ」で演る申し込みもしていたので、朝9時に集合とのことで8時過ぎ大慌てでギター背負って機材を籠に乗せて自転車で向かった。
 会場は立川市の砂川平和広場だ。今回で30回目となる恒例の秋の野外イベントである。言うまでもなくあの砂川闘争の舞台となった地区である。
 その報告もきちんとしたいが、実は帰り道、我家の近くのスーパーの前で自転車ごと転倒し左手肘や左足の膝に軽い怪我をしてしまった。
 そんな時間は遅くない。夜の7時頃であろうか。

 イベントを終えて立川駅北口まで太田さんと南北道路をえんえん歩き、駅前の安いとんかつチェーン店で定食を肴にアルコールを吞んだ。
 そんなペロペロになるほど飲酒しなかったはずなのだが、やはり酒に酔うと足もとがふらつくごとく帰路、自転車も右に左に定まらず走っていてもかなりバランスとるのに苦労してたらついに転倒である。歩道上で幸いだった。

 どうにもその状況ははっきり思い出せないが、誰か他の自転車に接触したのか。すぐ男の人に抱き起され近くにいた女の人も大丈夫ですか!と駆けつけてきた。
 ビッグAという24時間やってるコンビニ的スーパーの入り口のところで、我はそこに寄ろうとして車道から歩道に乗り上げたのかもしれない。
 ともかくそこの駐輪場に自転車は停めて籠から落ちた荷物などを拾い集め辺りを確認してまたフラフラしながらも家に戻った。
 いま、一夜明けて持って行った荷物を再確認したが、特に失くしたものや見つからないものはないようだ。ギターも無事であった。kヤイリの自分としてはかなり高い値のギターだったので、安堵した。
 ただ帰り道もヘンだと思ったのだが、そのギターを入れてあった背負っていたソフトケースのストラップが切れて外れてもう修復は難しい感じだ。つまり転んだ時、ギターにもヘンな負荷がかかり胸にまわしていたベルト部分が切れたらしい。

 怪我もあちこちの打ち身と擦り傷程度で、まだ節々がかなり痛むが後遺症が残る程ではないと思う。※以前にもやはりかなり吞んで友人宅からの帰り道、塀か何かにぶつかって左指を骨折した。いずれにせよ、毎度のことながら無事で幸い、有難いことだと今つくづく思う。
 これまでも酒に酔って高所から落ちて頭打ったりしたり何度も九死に一生を得てきたが、思えば全て酒がらみのことで、今回こそ真に深く反省した。後悔した。こんなことをしていたら無為に命を縮めるだけだと誓う。

 本当に愚かである。バカも極まりだ。実は先日も、先月の「共謀コンサート」でもウチから自転車で谷保かけこみ亭まで出向き、行きは秋空の元、至極快適だったものの帰り道はすごく時間かかりペダルこぐのも苦労し疲労困憊した。その晩は酒はほとんど吞まなかったが・・・。
 そのときも思ったが、何かを終えた後はやはり当然疲れているし、それからまた一仕事的に身体を使うのは無理がある。我はアスリートではないし、身体を鍛えたいわけでもないのだからできるだけ楽に早く移動できることを旨とせねばならない。
 ※また多摩地区は西に向かうにつれ緩やかに地盤が高くなっている故、京都でも同様、北ならぬ西に上るにつれて常に緩い登坂なのである。

 だからもう自転車では行かない、使わないと思ったはずだったが、秋祭りの会場が駅からも遠く交通機関もろくにない場所だったから自転車がいちばん早いと考えて、帰り道のコトを又しても失念してしかもアルコールまで吞んでしまったのだ。そしてまたもこの失態である。下手に頭打ったり、車道だったら命落としていてもおかしくない。

 毎度ながら思うが、神はこんな愚かでどうしようもない男をまたも見捨てず見守り大事に至らぬよう守ってくれたのだ。その神の深い愛、思いやりにただ感謝するしかない。
 そしてまたしても生き延びた命に対して、報いるようなことをしていかねばならぬと今強く感じている。

 ともかく昨日で、先月31日のコンサートからの慌ただしかった一週間は終わった。いや、勇造の民家ライブからか。後のイベントは、今月28日の回だけである。
 中山ラビさんからお知らせハガキも届いていて、癌克服!?のスターパインでのラビ組ライブもあるのだが、それは席数も少なく既に予約は満席だと思うから、連絡確認はするがたぶん行かないだろう。

 今年も残すは二か月足らずとなった。共謀コンサートもあと二回でいったん終える。まだ何も確定していないが、昨日のイベントで出会ったバンドによって今後の企画も湧いて来た。
 秋も深まり今も多忙かつ多事多難なのは変わりないが、今日は父が夕刻帰るまでは自分のことだけにようやく専念できる。まずは晴れたので溜まった父の洗濯ものと、窓や戸を開け放しての掃除と片付けである。

 穏やかな秋の日を浴びて今思う。生きているって素晴らしい。そう、まだ何とか無事我は生きている。
 すべてに感謝してがんばろう。ただただ有難い。まだ死んでない。生きている。

ブログ書きたいこと多々あれど2020年11月04日 23時23分56秒

★またあれこれトラブル重なり落ち着いて書く時間がとれないのでスミマセン!!

 おかげさまで先日の「共謀コンサート」は無事かなりの盛況のうちに成し終えた。収益も予想外にあった。
 その報告もしたいのだけれど、老父の世話に加えて犬猫だけでなく自分の病院通いもあってともかく慌ただしく、その時間がゆっくりとれない。

 でも今朝は、久しぶりに朝寝坊出来、たっぷり眠ることができた。午前の仕事を済ませて、朝昼兼の飯を食べながらアメリカ大統領選の開票速報をずっと見ていた。
 残念というか、またもやというべきか、激戦州の票数の差からおそらくトランプ氏が再選されると予測・確信し、それからまた夕方まで横になった。

 ようやく先週末からの溜まった疲れは癒えた感じで、足底の痛みも耳鳴りなども今日はほとんど感じないのだが、また新たなトラブルが起きたようで、いまその対処法を相談する電話を待っている。
 天気も穏やかかつ晴れの日が続いて季節は快適である。が・・・

 米大統領選についても思うところ、書き記したいことは多々あるのだが、書きだすとまた長くなり夜も更ける。
 明日は朝一で歯医者の予約があり、その後は、人と会い受け渡しがあり、小田急線沿線へ出かけねばならない。まだ確定ではないが、たぶんそうなるだろう。
 ただ、父は夕方4時には介護施設から帰宅するので、果たして用事を済ませてその時間までに戻れるか予想もつかず、その用事自体気が進まずまさに憂鬱だが我が行かねばならない。

 まあ思い通りにならないのが人生だし、嫌なこと、面倒で辛いことも含めて生きているが故なのだから、ともかくそれから逃げずに向き合い生き続けていくしかない。
 世の中は、決して良くはならない。そして自分の人生もまた同様に。だが、これ以上さらに悪くならないよう、何とか努力していく。それならできるはずだ。日々ともかくやりすごし毎日を終えていく。つまり現状維持ならば、それはそれで良いことだろう。※先の大阪都構想の否決のように。

 そう、嫌でも我が老いも含めてどんどん何もかもできなく衰えていく。つまり悪化していく。ならば(予定通りに何一つできなくても)今日がともかく無事に終わるのならば、それだけで有難いと感謝せねばならない。
 ともかくまだ今日も生きているのならば。
 嫌でも死は向うからやってきて我の足を引っ張って連れていく。その日までどれだけ自分なりに、これ以上悪くならないよう頑張れるか、だ。

ともかくまだ生きている2020年10月31日 04時29分54秒

★うたと音楽の場があることが「有難い」。まさにに生きがい。

 このところブログ更新できず申し訳ない。ご心配されている方もいるかもしれない。何とか生きている。

 先日。某民家でお会いしたミュージシャンが語っていたことだが、ライブのオファーがあって受けたのにその後その店の人から連絡が何もない。連絡も取れないしフェイスブックを見ても更新されていない。メールもライン入れても返答はない。
 けっきょく、そのフェイスブックの書き込みで、友人の誰かが、彼は脳梗塞だかで倒れたと記してあってようやく状況がおぼろげだがわかったと言う。
 その話を聞いて、フェイスブックというのは、今の人にとっての存在証明ならぬ「生存証明」、生きている証なのだと気づかされた。

 我は、フェイスブックは、基本的に我が関するコンサートやイベントの告知に用いることしか考えていない。
 が、友人知人の中には、私的なメモ帳のように、ごくごく私的なこと、日々の雑感などを画像と共に短くアップしている。毎日どころか、1日に何回もアップする人もいる。
 我は基本的に他者のことは無関心というわけではないが、人様のコトにまで気を払う余裕が今はまったくないのでろくに確認すらしていないが、確かにそうして日々更新している限り、ああ彼、彼女は元気なんだと知ることはできる。
 逆に、その更新が止まってしまっていると確かに何か起きたのかと心配にもなろう。今の人にとっては、そうしたSNS上の私的やりとりのみが世の中、広い意味で世間と関わる手段であり、それを持たない人は、実質連絡手段を持たない。携帯の番号どころかメルアドだって知らない人が我にもかなりいる。

 そんな風にして、ネット上でも直電でさえも音信不通となって結局、死んでいたことが後に確認できた人が何人も記憶にある。
 今そうした人たちの思い出を書きだすと長くなるので控えるが、ならば我にとってのブログこそ、そうした生きている証を世に知らせる場であるわけで、何があめうとどれほど忙しくてもできるだけ頻繁に更新せねばならないのだと思い至った。でないと数人であろうと読み手にご心配おかけしてしまう。それは本意ではない。逆に、これで我の生きている「証明」、告知ができるのならば楽ちんではないか。

 ただ書き出すとついつい常に長大になってしまうものだから、我自らも書きだすのはついついおっくうになる。読み手もまた同様だろう。
 ただこれからはできるだけ短くとも以前のようにほぼ毎日とはいかずとも三日にあげず、更新していこうと今は誓い直した。
 そう、我にはここしか世間、外の世界と繋がる場はないのだから。そして近況も交え頻繁に更新していれば、それが止まってしまったときこそ我に大事、有事が起きたとわかろう。

 ただひとつ問題は、フェイスブックのように読み手仲間からの「書き込み」はカンタンにできないことで、我が関知できなくなっても広くやりとりができる掲示板のようなシステムを考えおかねばならない。
 孤独死が特別なことではなく、誰もが日常的に抱える危険な日常にある危機となっている現代、その対策としてももっとフェイスブックやブログは活用出来ると思うし利用していくしかない。

 さておき、ごく短く「近況」を少しだけ。

 このところともかく忙しく、目が回るようという言葉通り、寝る時間さえなくてまさに睡眠不足と疲労でメマイと耳鳴り頭痛がひどくもう限界かなと思うほどだった。おまけに右足の裏の足定筋膜炎も悪化している
 父の呆けと衰弱が悪化して、帰宅している日は、連日毎回必ず深夜早朝に徘徊し始める。
 彼が寝ている部屋の古い木の引き戸を鍵かけてあっても無理やり内側から引き外して部屋から出てしまう。
 そして今はまだ家の中だけだが、あちこち電気つけて徘徊してまたベッドに戻って眠るつもりらしい。が、問題は、彼の部屋にいる猫である。父は不在のときが多いからいつもその部屋に閉じ込めている猫たちで、脚が三本となった障害者猫のキジ子も木戸が開け放たれると外に出て逃げてしまう。
 幸い何とか朝になれば自ら帰ってきてくれるので大事に至っていないが、治療費総額50万円のが残り10万円の未払いがあるので、ほんとうに心痛めその晩は眠れないでいた。
 また父は、一昨日は介護施設で座らされている車椅子から落ちて腰を打ったとか留守電に伝言が入っていたりと、もう徘徊に加えていよいよ老衰も極まってきた感がある。
 
 我が事を記せば、先週三か月ぷりに一泊二日でやっと山梨へ行けたのだが、そこでもまた新たなトラブル的課題が生じ、そのこともブログに書いたのだが、何故かこの旧いブログ専用のデスクトップが容量過多からか不具合が多く、書いたのはほとんど消えてしまった。
 新たに書きなおそうと思いつつ多忙が極まりそれもできず、今に至っている。申し訳ない。
 その他、唯一の我の収入、Amazonマーケットプレイスでの古本稼業のほうも、一昨日突然、その販売専用のトップページが異常を来たし頭抱えていた。そこでも我はややトラブルあったので向うからアカウント停止の処分を受けたのかと憂鬱にもなった。この商売も一から再構築しないとならないのか・・・と。
 が、他の利用者の記す掲示板を読んだらば、それはAmazon側のシステム異常だと判明して一晩過ぎてようやく翌日の昼頃復旧して事なきを得た。が、ほんとうに不安になった。
 
 その他、そこにいくつかのライブに顔出す用件もあり、身体の不具合を抱えてもう心身とも疲労の限界であった。何しろろくに枕高くして眠っていない。子猫入れて十数匹の世話も抱えている。
 俗に、神はその人に背負えない荷物与えないと言うが、頭痛と咳が激しくて苦しい晩は、もうダメかもしれないとつい弱気になった。もうフラフラで心神喪失状態であった。

 が、自分には、うたと音楽があり、そのための場がある。苦しい最中でも唯一の慰みというべきか、そのことを考えると心が温まる事があるのは真に救いだった。
 そして今日は31日、いよいよ当日である。実は未だ何の準備も支度もできていない。これから頑張って配布する歌集を久々に作る。

 昨日は、夕方、父をショートステイの施設に一晩早く連れて行った。ほんとうは今日土曜の朝、向うから迎えが来るのだが、それだとまた深夜に徘徊など騒動があれば我は身体がもたない。コンサートで倒れてしまうかもしれない。
 父を送り届けて、軽く晩飯食べたら、気が緩んでどっと疲れも出て寒気もしてきて起きていられず10時過ぎ寝てしまった。
 昨日は北風が吹き荒れ何かうすら寒くて布団かけてもあまり熟睡できなかった感じだが、それでも午前4時にトイレに起きたら頭はずいぶんスッキリして身体も暖まり咳も収まっていた。
 そして今約一時間半かけて久々にブログでこのところのことを書いた。
 途中で刻時、またパソコンの不調で消えても被害が少ないよう、少しづつサイトにアップしながら何とか書き終えられた。

 さあ、当日、気の合った仲間たちが待っている。もう何も怖れないし心配しない。我にはうたと音楽がある。その場に向かおう。
 本当に音楽の場があって良かった。この喜びを、有り難さを一人でも多くの我同様多事多難に悩み苦しむ人たちに伝えたい。

形骸にすぎないとしても生きていることに意義と意味がある2020年10月21日 23時58分17秒

★我が父、満96歳の誕生日に

 今日10月21日は、大正13年生まれの我が父の誕生日である。今年は年男だから、なんと96歳になる。
 母が死んで4年、我一人で何とか面倒見て来てついにここまで来た。決して平穏無事に歳月を重ねたというわけではない。老いさらばえた父と還暦過ぎた、老いてゆく息子との男同士の生活は、ある意味辛酸の極みでもあり、何度キレて殺しそうになったかわからない。
 通ってる施設の職員から暴行が疑われると通報があり、市の福祉課が乗り込んできて我ら当事者の意向を全く無視して「保護」されそうになったこともあった。
 このところはさすがに老化衰弱も極まり、深夜に徘徊して外に出たり妄動や暴言は収まって来たが、介護の度はさらに高まってきて、いよいよ最終介護施設に死ぬまで入所の日は近いとひしひし感じている。

 もういつ死んでもまったく不思議ではない歳まで生きたわけで、あと一年またさらに馬齢を重ねられたとしてもこの家で暮らすのはまず難しいとはっきり思える。
 何しろ足腰が萎えて、自力ではほとんど歩けない。介護施設では車椅子に乗せられ移動しているがウチでは車椅子は入らない。何かに掴まってからうじて立ち上がれたとしても歩き出したとたんよろけて転倒するのも日常的だ。
 また、このところ食べるのもかなり難しく、吞み込む力がさらに衰えたのでいつまた誤嚥性肺炎を起こすかその危険度は高まってきている。食も細くなってさらに痩せて来ているのでつい無理して促すと吐き戻してしまう。
 排便排尿は、もう常時紙パンツの中に垂れ流しだからさほど問題はないけれど、呆けがこれ以上進むと就寝中など、息子の目が届かないとき、それを自ら脱ぎ捨て糞尿まみれとなるかもしれない。
 じっさい寝ながら無意識にオムツを自ら外すのは夏場などこれまでも何度もあり、幸いにしてシーツと敷布団に世界地図を広げる程度で済んでるが、大便をあちこち撒き散らすまで痴呆となればもうアウトである。とても我一人で処理できなくなる。

 いまはもう死の瀬戸際というだけでなく、全てがギリギリ、限界となってきていて、人はここまで長生きするとこんなにまで頭も身体もダメになるのか!!という驚きと嘆きとが合わさった感心状態でいる。
 そう、頑健な体質に生まれて、酒もタバコもやらず、癌などの進行性の病に罹らなければ、結果として人はここまで生きられるのである。別に彼の行いが良かったとか、健康に常に自ら気を付けていたからではまったくない。
 今の時代は、医療じたいも、介護保険など介護体制も進んでいるから人は特に病気や事故に遭わない限り誰もが基本長生きできるのである。

 ただ、ここまで何もかもできなく、わからなくなってしまった父を見ていると、往年の几帳面で様々なことに興味やこだわりを強く持っていたかつての父は完全にすがたを消してしまったと情けなくも悲しくも思える。
 今の父は、まさに今はただ生きてここに在る、というだけの形骸であり、長生きと引き換えに、彼は彼自身の個性、ある意味「人間性」をも失ってしまったのだ。つまるところ今の父は抜け殻である。
 「形骸」という言葉で思い出すのは、今できもう誰もあまり語らないが亡き江藤淳のことである。自殺した彼の遺書にその言葉があったと記憶する。

 文芸評論の大家として戦後の文壇、論壇をけん引した江藤の業績や仕事については今ここでふれない。
 ただ彼の死は、ときどきこの我にも喉に刺さった小骨のように、我が心に痛みを走らせる。彼は1999年、自死したのだ。
 彼はその前年、愛妻を癌で亡くし、彼も脳梗塞で半身不随となり、夫婦には子もなく、飼っていたペットも手放して自ら自宅の風呂場で剃刀で手を切って自死したのである。今調べて歳を確認して驚いた。66歳とある。
 我の記憶ではもっと老齢、高齢でと思い込んでいたが、今の我の齢とほとんど変わらないではないか。

 その彼の遺書には確か「今の自分は形骸に過ぎず」と記してあったと記憶する。つまり、妻も先に逝き、自らも脳梗塞で不随となり何一つできなくなってしまい、絶望し自分を形骸だと断じ、ゆえに生きている意味がないとして死を選んだのである。
 彼の死はそのときも我に大きな衝撃を与えた。三島の死はある意味、愛国に名を借りた彼の美学の果ての情死だと理解できたからそのときはショックを受けたが、言葉は悪いがヒトゴトですんだ。
 が、江藤の死はヒトゴトにはできない。いや、誰にとってもそうではないのか。
 老齢でなくとても何かの理由で半身不随となり、自らでは何一つできなくなってしまったとき、人はその絶望にどう向き合えるか、だ。そしてそこに孤独も加われば、解決策は自死となってもおかしくはない。
 江藤淳は、妻を亡くし自らも半身不随となって仕事も難しくなり鬱状態となって結果として死を選んだのだと思える。

 この我も父がいなくなればたった一人でこの家で生きて行かねばならない。困窮もしてくるだろう。もしそこに脳梗塞などで身体が不随となってしまえば、それでも生きていく意味が見いだせるだろうか。
 いや、身体は動けても父という唯一の家族がいなくなってしまえば、子も妻もない我は、誰を頼りに一人で老いて行けば良いのか。その先、そこに希望は少しでもあるか。やがては父のように足腰立たなくなろう。

 真夜中にふと目覚めてしまった時など、トイレに行ったあとはまた布団に入ってもあれこれ先のことを考えると不安で眠れなくなる。そしてそんなときに江藤淳の遺書を思い出す。たった一人で形骸になってしまったとき、我は自死せずにいられるか。
 むろん、生来の意気地なしの我だから彼のようにスタイリッシュに振舞うことは絶対にできないと今は思えるが・・・

 幸い我には今は犬猫たち、手のかかる「家族」がいっぱいいる。モノも言わないし家事は何一つ手伝ってくれず、ひたすら要求ばかりする彼らだが、そこに「他者」という関係が結べるのが有難いしウレシイ。父がいなくなったとしても完全な孤独ではない。彼らがいる限り我は自死はしたくてもできやしない。
 我が父もまさに形骸にまで老いさらばえてしまったが、その「存在」だけで今の我には有難い。父がいなくなれば我の存在自体が意義と意味をかなり失ってしまうのだから。

 そう、ヒトは「存在」しているだけで意義と意味、つまり価値があるのである。そこにその人がまだ生きて在るだけで、様々な関係が生じるしあれこれ始まっていく。
 何一つできなくなったとしても、そこに一つのモデルとして「生き方」も「死に方」も示せる。我も人がとことん長生きするとどうなるか、父からとことん教わっている。
 呆けというのは老いて死に行くための神の計らい、賜物だと上智大学ホイヴェルス神父は記していたと記憶するが、確かに最愛の妻の死も含めて何もかも忘れてわからなくなっていくのはある意味幸福なことなのかもしれない。
 親しい人たちが先に逝き、自らも身体が動かなくなって何もできなくなって頭だけは明晰というのは実に辛いことであろう。江藤淳のように。

 そう、どんな歳になってもどんな状態となろうとも、死は自ずからやってくるものなのだから、自らそれに向かうことはない。
 その日までともかく生きてその「存在」を世に示していけば良い。
 あなたは一人ではない、とよく諭される。が、問題はこのコロナ禍で、ソーシャルディス、社会的距離の確保などとかいうバカなことを振りかざす世相が正義となっっていることだ。それでは「関係」が結べない。
 コロナより怖ろしいものがある。それは孤独である。今はコロナでは人はまず死なないが、孤独は確実に人を自ら死に追いやっていく。

すべてこれもまた良しとしよう2020年10月13日 23時56分23秒

★もう身体はボロボロだが

 俗に歯、目、マラと言う。男が老いてダメになっていく箇所、部位のことで、その順番なのだそうだ。
 ほんとうに情けない話だが、世の中にいるのは老いてきても元気で健康な人ばかりではない、ということを知ってもらうために、特に若い人たちに知ってほしい。恥ずかしいが包み隠さず書く。

 先に、市の特定健診へ、父連れて行ってきた。今回はコロナもあって予約入れてたのでさほど待たされずにすんだ。まだ、結果はきちんと返ってきてはないのだが、父は腎炎の疑い、我は・・・、かなりあちこちの数値が悪いようだ。
 まあ、父のように百歳近くまで生きていれば、どこも異常がないほうがおかしいわけで、進行性の持病などなくてもまさに全身の機能が衰え、老衰による多機能不全となってもまさに当然なのである。
 が、息子である我は、まだ60代半ばにならんとする齢で、何がいけなかったのか満身創痍、いくつもの病を抱えていよいよ身動き取れくなって来た。今月はいくつも病院通いが始まる。

 先に過活動膀胱による小便垂れ流しのことは書いた。寝て起きたときとか、何かの折、ある程度の量の小水が膀胱に溜まっていると、尿意を感じた途端、トイレに行くまで我慢できず漏らしてしまう。
 以前は、ちょろちょろ下着を濡らす程度だったのが、最近ではどんなに我慢しても我慢がきかず、一度漏れ出すと止めようがない。床にまで垂らすほど出続け、濡れたズボンを押さえて大慌てでトイレに駆け込む。
 では、父のように始終、無意識的に漏らし続けているのかというと、我はそうではなく、起きてるとき、何かに集中しているときは漏らすことはない。
 この病気は、一度でも「尿意」を覚えてしまうと突然したくてたまらなくなってトイレまでの我慢もできず漏らしてしまうものなのである。頻尿というわけでもない。ともかくしたいと意識すると、とたんに我慢ができなくトイレに行くまでも待てずにたらたら漏らし始めてしまうのである。

 介護施設で働いている妹からは、女の人の病気だと言われたが、男だってなる。記憶にあるかぎり、五十代に入った頃から起こりだし、いろいろ漢方薬を試したが効果はなく、このところさらに悪化して今では常に我慢できず、家にいる時は垂れ流しとなることも多々ある状態になってしまった。
 しかし、外に出ていて特に何かに集中、専念しているときは決して起こらない。だからコンサートのときなどは、ご安心ください。緊張していめときこそお漏らしはしませんから。
 でもこれからは父の尿漏れパンツをお借りすることもあるかと思う。今は世間がウルサイから、外でもどこでも立小便も気楽にできないご時世だから。
 我の年代でこんな病気になった人は少ないかと思う。じっさい情けなく恥ずかしいが、やがては隠すこともできないだろうから早めにここに記す。

 しかし尿漏れは下着を濡らす程度の不快感だけで痛みなどの実害はない。じつは今、いちばん困っているのは、歯であり、もはや我の前歯は残ってる歯が少ないだけでなく、その少ない歯さえこのところ欠けてきて神経に障り沁みて痛くて食事も進まない。
 虫歯があってのことではない。自分でも驚いたが、健康だと思っていた歯が、周りのエナメル質から剥落してどんどん削られ小さくなってきているのだ。あたかも岩山が雨風で風化してボロボロに崩れていくように。固いものを食べてたほけでないのに、食事中や歯ブラシで磨いているときに歯の表面から欠け落ちていく。こんなことってあるのか!?だ。
 もう手遅れかとも思うが、まだ根が残っているうちならまだ何か処置は出来るのではないか。

 よくシンナー常習者やドラッグやってるとは歯がボロボロになると言われる。じっさいそういう人は皆さん歯がほとんどない。先に逮捕された某シンガーソングライターも。
 我は若いときはともかく、ドラッグはアルコール類以外一切口にしていない。ただ一つ思い当たるのは、このところ炭酸と酸味料入りの缶チューハイの類を日々吞み続けていたことで、それで酔っぱらって歯も磨かず寝てしまったりしていたから、歯そのもの、特に前歯が劣化してボロボロとなってきたのかもしれない。

 もっと早く歯医者に行こうと常常考えてはいた。が、かかりつけの歯医者は立川にあり、しかもそこは混んでて常に待たされることと、このコロナ禍もあって、ついつい足が重く遠のいていた。
 しかしもう痛くてそろそろ我慢も限界である。このままさらに悪化したら飯もおちおち食えなくなる。

 このところさらに目もかすんで老眼と近眼が相俟って、パソコンに向かう職掌柄そちらもタイヘンだが、それは治しようはないしメガネや目薬で対応するしかないのでもう悩みはしない。
 また、マラに関しては、使い道はないので精力が衰えようとちっともかまわない。ただ、我の失禁頻尿もそれに当てはまるとすれば、この老化の三点は我に一気に今やしかも同時に訪れてきていて、そこに腰痛や足底筋膜炎という持病も加わり、もはや我が身全身、まさに満身創痍という感がある。

 情けない。恥ずかしい。しかもこれもまた我が身の不徳の結果なのだと思い至る。そう、だらしなく野放図に生きてきたツケが出てきたのだ。
 60代でこんなであれば、この先、もし長生きできたとしてもどれほど惨憺たる状況が起こるかさまに先が思いやられる。憂鬱になる。
 しかし、こうも思う。もしほんとうに健康で、ずっと元気のままで長生きできたらそれは素晴らしいが、自分にとってそれは良いことだっただろうか。
 我はとことんバカで何も考えない性分なのだから、結果として過信してまたさらにとてつもない愚かな過ちをしでかすのではないか。事故など取り返しのつかないひどいことが起こりそれで命を落とすかもしれない。
 モノゴトには二つの側面がある。病気がちの人間は嫌でも慎重になるはずだし、結果としてそのことで長生きできることもある。
 昔の人は一病息災と言ったが、元気で長生きしてある日突然ピンピンコロリと死ぬほうが幸福かどうか我はわからない。

 ただ今は、こうなってくると健康ということに何より注意を払うし、食べ物にも気を使うことが多くなった。もう四つ脚の肉類や炭酸飲料は極力口にすることはやめにした。
 無理はしないし無理はできないから、意識して何事も自制せざる得ない。我のような極端から極端へ、無理を無理やり通して来た生き方も再考のときが来たと思える。

 これもまた運命であろうし、自らまいた種だとしてもだからこそ結果責任をしっかり負わねばならないはずだ。痛みも苦労もしてみないとわからないしそこから得るものも何かあるはずだ。
 もっとひどい難病も多々あるしそれでも挫けずに明るく前向いて行きている人たちがたくさんいる。我の病気や体調など病気のうちにも入らないほどの。
 ならば、だからこそすべてこれもまた有難いことだとして、すべてこれも良しとしよう。

 何であれ、すべてをきちんとしてまず自らに向き合っていくことから始めていく。自分をまず愛させない人間は他者誰も愛せないのだから。

やまない雨はないけれど2020年10月11日 00時07分51秒

★長く続いた冷たい雨はやっと上がったが

 颱風が来ているからだというが、8日木曜の午後から降り出した冷たい雨は、金曜、土曜と終日降り続き、やっと先ほど10日土曜の夜になって上がった。
 ともかく気温も低く昨日など日中でも20度に届かず、秋というより初冬11月半ばの気温だと報じられていた。
 つい一か月前、9月の半ば頃は、まだまだ残暑厳しく、猛暑、酷暑続くと騒いでいたのにまったくあの暑さが信じられず夢のようだ。
 このところ春と秋という中間の季節がどんどん短くなってきていると誰かが言ってたが、まさにその通りで、季節は一気に短い秋から冬へ駆け足で向かっている。
 毎度のことながら冬支度など何もしてなく、やっとのこと長袖のパーカーを引っ張り出して何とか寒さをしのいでいる。ああ、また今年も冬が来る、というため息が出てしまう。そう、もう今年も残すは三か月足らずとなった。

 体調も悪いところに、様々なトラブルや予期せぬ事態も重なりほとんど自分の「けんあんの事」は進まない。
 が、今は死に行く老父も含めてあれこれ抱えるものが多すぎるのだから、ともかく日々何とかやり過ごせて月日が無事過ぎていくならそれだけでも良いことだと肯定していくしかない。そう、ともかく皆まだ生きているのだから。時間が経つのは良いことだろう?
 そして我がこと以外の事案として、谷保かけこみ亭で毎月開催の「月刊・共謀コンサート」のこともどうすべきか頭悩ましている。

 コンサート自体は常にとても素晴らしく楽しく面白いことであり、企画できるのは身に余る名誉に思えることだが、このコロナ渦中、感染不安の問題から観客のみならず演者側、つまり「共謀者」が集まりにくく、どう企画を立てるか、いま再考迫られている。
 このところのイベントの規制緩和コロナは収束していない以上、実際のところまだ入場者数は制限しないとならないし、出演者の側も二極化が進んで、積極的にライブ活動に専念する人と未だ慎重派とに分かれて出演者の手配が難しいというのがどこものようだ。

 つまりコロナを怖れずライブに出る人は多忙でスケジュールがいっぱいとなり、慎重派は感染を怖れてそうした「三密」の可能性高い場には出向くのは今も自粛中だから出演してもらえない。そのどちらも出演は難しいのである。
 我は、再開後の「共謀コンサート」、つまり今年残り三回の出演者を募るに際し、先日、これまで出て頂いた多くの方々に、ご都合というか、参加の意思、その有無をお知らせ願いたいと同報メールを送った。
 だが、○○月の回なら参加可能とか、「返信」を頂いたのはごく少数で、我が不徳の致すところだとただ情けなく思うしかなかった。
 個々に出演願いの連絡をとればまた返答はあったかもしれないが、このコロナ禍、それぞれ思う立場やご事情があるわけで、無理強いはそもそもできない。
 高齢の方や、家族に病人がいたり、自ら持病があったり福祉や医療関係等、絶対にコロナに感染してはならない仕事に就いている人もいてそれぞれの事情から当面は屋内のライブ活動は控えたい方もいるわけで、それもごく当然至極のことだと思える。
 じっさい、このコロナが完全に終息するまではかけこみ亭でのイベントには参加しないと宣言された方もいて、それもまた致し方なく、このご時世では「共謀」じたい、もはや不可能なのかと自問するしかなかった。

 しかしだからといって、この「共謀コンサート」は、共謀者が少ないからといって中途で中止すべきことではないと信ずるし、逆にこんな全てに不如意かつ不自由な時世だからこそ、配信以前に生のライブイベントは意味と意義があると思いたい。
 少数であろうと眼前に観客がいてくれて、彼らと共に過ごすライブの時間こそ新たなこれからの我らの「共謀」の入り口であり、コロナでさらに分断が進んだ世界の、人と人との距離、関係を再構築する「連帯」の手段だと信ずる。
 人はモノゴトがうまくいかないと、ときに絶望に陥り、結果として全てが無意味、無駄だったとニヒリズム、虚無的になってしまう。
 が、大事なことはあくまでも結果ではなく、成功しなくてもその過程、プロセスなのだと信じたい。結果は変わらないとしても誰かが声を上げたり、新たにアクションを起こすことで、小さな水滴が波紋を広げていくようにじょじよに少しづつでも変化が起きていく。
 変化を望むなら待つことでなく、自らが変わっていくことからではないか。外からの変化を期待し待ち望むことも大切だが、同時にまず自らからこそ変わらねばならない。

 同じうたは聞き飽きた。新しいうたが聞きたい。もし、新しく良い歌がないならば、我は拙くても自らそれをつくりたいと願う。
 安倍政治が終わり菅政権となったが、それで何が変わったのか。同じ顔触れの彼らに何が期待できよう。
 新しいうたを自らつくり歌っていきたい。その場として「共謀コンサート」を続けて行く。
 降り続く雨を止めることはできやしない。が、やまない雨はない。晴れたら、したいこととすることが誰にでもあるはずだ。