「開店」に向け準備を進めていく2011年06月01日 23時21分53秒

★6月の予定と計画~今月中にとりあえずの完成・開店へ①

 外はしとしとと雨が降り続いている。気温が低く寒い。

 関東地方もどうやら早くも梅雨入りしたらしく、このところ連日鬱陶しい曇り空か雨模様の日が続いている。梅雨寒という言葉はあるが、うすら寒いどころか、朝晩はしっかり着こまないと風邪ひきそうな寒さで、街行く人々の装いは晩秋の格好である。マフラーしている女の子もいた。じっさいそのぐらい寒い。今年は冷夏となるのかちょっとへんな気候である。

 しかし去年のような猛暑にならなければ電力供給不足も起きないわけで、ある意味良いことかもしれないが。推測するに、今あちこちで節電節電と喧伝され、企業もお店もその意識が高まっているから冷房などの排気による温暖化の影響が減ってまずそれで気温が上がらないのかもしれない。
 考えてみれば例年の猛暑も、暑いゆえさらにクーラーを効かせ、室内は冷えても外部に熱風を撒き散らしそれでさらに都市全体の温度を上げていた側面も否めない。つまり電気を使わなければ猛暑にもならないわけで、われわれ日本人はいつしか自縄自縛のような悪循環に陥っていたのだと気がつく。
 震災はさまざまな大きな被害と損害、人心に傷をもたらし未だ解決のめども立たないが、原発問題も含めて多くの人々に意識の変化ももたらせた。自分もまたそれは認めるしそれは良いことなんだと思う。
 起きてしまったことは元には戻せない。ならば大事なことはそれを踏まえて新たにどう生きていくかなのだ。

 さて、今日から6月。気がつけば今年も半分が終わってしまう。母の病気や手術、そして家の一応の完成、預けていた荷物の移動と片づけ。そして3月11日の大地震、さらに親友の死やらさまざまな騒動が続いてまさに息つくひまさえなかった。
 今の状況を隠さず報告するとすべてが「とりあえず」のまま、中途半端なまま後手後手の対応に追われていて、政府の震災対応そのものでもある。自分としては早く客人を招けるように、ブックカフェはともかく、店としてオープンさせたい気持ちはあるのだが、被災地さながら物があふれてせっかくの新居は収拾つかない状況でいる。
 何でこんなことになってしまったのか。大地震の被害は直接はなかったのに。この混乱から一日も早く抜け出さない限り、何一つ自分の人生は始められない。

 まずここに至った経緯を振り返っていく。

「開店」に向けて準備を進めていく・22011年06月02日 14時02分42秒

★6月の予定と計画~今月中にとりあえずの完成・開店へ②

 今日も冷たい雨が降っている。慢性化している腰と膝の痛みは寒い日はことさらである。

 世の多くの勤め人の方々のように、自分は出仕事でなく基本的に家にいる居職の身なのにどうして作業が捗らず大したこともできずに一日が終わってしまうのだろう。根本が怠け者なのか愚図なのか不思議でならない。
 このままだと何一つ完成できずに一年が終わり、自分の命も尽きてしまうのではないかとさすがのノンキなのんびり屋も思うところはある。今はともかく新居に押し寄せてきたガレキならぬ雑多な本やレコード、衣類などの整理に追われている。これを片付けてなくしていかないことには店を開く以前に客人さえ招くことはかなわない。

 ごく簡単にこれまでの状況を説明する。
 
 家作りの経緯はともかく、大工が来て本格的な工事は昨年5月の連休の頃から始まった。その前に、壊す部分、つまり新たに改築も含め建て直す箇所にあった本やモノなど一切合財をどかさねばならず、大慌てで近所に借りている倉庫に、本類は紐で括り、衣類や雑貨等は箱に積め移動させた。大工に急かされ、ほとんど分別整理もできず、家が完成したらゆっくり見ればいいやとともかく運んでしまった。

 そこは数年前から工事を控えて格安で借りている長屋の一棟で、他にもその並びにある無人の倉庫の四畳半ほどの洋室も借りている。長屋が一杯で入りきらなくなったからだ。安いといっても家賃は払っているのだから、家の完成がなった今、早く引きはらいたい。
 で、このところ唯一の社員である友人を招いては、せっせっと移動させている。倉庫の洋室のほうは、5月中にカラにして大家に返そうと鋭意努力していたのだが、結局間に合わず、また今月も家賃を払ってしまった。
 もう一つの長屋のほうも早く引き払いたいのだが、ほぼまだ手付かずの状態で、秋口にメドがつけば良いほうだと自分では考えている。ともかくそこもびっしり本や雑誌、レコードなどが山積みとなっていて、どう整理・処分したものか頭が痛い。
 
 レコードは若い頃からの自分のコレクションで、処分する気は今のところないが、本類は商売道具でもあるので、捨てるにせよ十把ひとからげにゴミとして処分することもおいそれとできやしない。大方が値がつかないクズ本だとしても一応検索かけて市場の値を確認してからだ。その作業がまた時間がかかり、一日中家にいて出かけずパソコンに向かったとしても100冊検索し分別することは難しい。その中からアマゾンなどに出品に値する本は10%も出ないこともあって、内心これは砂金拾いのような地道な作業だと思っている。長くやっていると目も腰も痛くなってくる。

 借りている倉庫を引き払うべく、今新居の二階広間にも、下の一室にも倉庫から来た本の山が出来てしまった。本というのは増殖するものでもあるから、鋭意努力して整理と処分に励んでもなかなかおっつかない。じっさいまだまだボーダイに残っている。知らない人が見たら仰天し卒倒するに違いない。

 見かねた大工の親方親切なカワムラさんは、家ができたのに倉庫に家賃払い続けるも馬鹿らしいから、だったらウチの青梅の作業場に持っていけばと言ってくれた。増坊家からだと車で30分ほどのそこは、小作から対岸の多摩川を越した山の中で、行くのがちょっと不便なのとワケあって今はほとんど使っていない。たまに作業で出た廃材や使う予定のない材などを置きに行くぐらいで倉庫の中はかなりの空いたスペースがあった。
 自分の気持ちとしては、行くのも面倒だし、いずれまたそこから引き払うことも考えるとうんざりもするが、家賃の話もまだないし、とても一気に本の処分は進むはずもないので、仕方なくそこに運び込むことにした。今はそれしか方法は思いつかないし、先のことはまた先の話だと覚悟を決めた。

 家というのは倉庫ではない。いや、商売柄倉庫だとしてもそこは整理され、住居としても快適に住まうことができなくてはならない。そしていつ客人が来ても応対歓待できるように備えてスペースもなくてはならない。
 前の家はあまりにモノがありすぎて、何がどこにあるのか自らも管理できなくまさに収拾つかなくなってしまっていた。その轍を踏んではならないと思う。本やレコードはいくらあっても良いが、人が来て集える場所としなければならないしそれができないのなら家を新しくした甲斐がないではないか。

 正直なところまだまだ時間がかかる。しかしまずは6月中に人が招けるようメドを立てたい。本格的「開店」はまだ当分先だとしても。決まり次第お知らせしたい。

「開店」に向けて準備を進めていく・32011年06月03日 10時00分06秒

★今月と今夏の行くライブのお知らせなど

 今日は朝から晴れて、久しぶりに初夏の明るい日差しが戻ってきた。天気が良いとそれだけで気分も変わり前向きな気持ちになる。あれもこれもやりたいことが頭に浮かび気分も昂まっていく。

 私ごとではあるが、ようやくまた再び人生が動き出したような気持ちになっている。
 拙ブログを前からお読みの方はご存知かと思うが、昨年は春先から実にあれこれライブに出かけ自らもいくつも大きなコンサートを企画し、その上同時進行的にも家の工事、CDの製作、さらに母は病気になると我が人生、生涯最多忙の年となった。
 そして様々な無理が祟ったのか、その反動から気持ちは落ち込み、さらにそこに母の容体悪化もあって、どうにも身動きとれなくなり、家はどうにかひとまず完成となったものの、この5月の連休前まで家にこもり隠棲を余儀なくされていた。
 人と会うことや連絡をとることすら何故かなかなかできなくて、不義理がたまり、やるべき懸案事項が増すばかりであった。そこに3.11の大震災も直接の被害はこちらになくとも心理的に影を大きく落としている。

 しかしようやくここに来て、自分を責め苛む気持ちとも縁が切れ、幸い友人たちからもまた暖かいお誘いと励ましもあり、こんな自分でもまた何かできること、やれること、そしてすべきことがあると気持ちも前向きになってきた。過ぎたことは過ぎたことで大事なことは今とこれからなのである。
 さて、今月から今夏にかけての予定だが、詳細はともかく、自分が行く予定のライブの日時だけお知らせしたい。

 今月予定として行くつもりなのは、まず15日に、下北沢ラ・カーニャでのオクノ修&前野健太のジョイント。これは友人の企画で、先日の京都でオクノさんと約束したので何が何でも行かねばならない。
 そして前後するが、もしかしたらオショウさんの車で、るっちゃんの新潟での遠征ライブに同乗させてそのライブに行くかもしれない。それが11日から12日。
 さらに19日には、我らの岡大介の新ユニット発表ライブが浅草で大きくあるとのことで、それにも彼から強く誘われている。

 その他、京都では、また今年も例年恒例の七夕コンサートが拾得であり、もし時間的調整がつくなら今年こそ顔出したいと検討中だ。豪さんからお知らせのハガキが頂いた。何しろ来年から春一は参加できないのだから。それが、7月2,3の両日。ラビさんは今年も不参加のようだ。

 そして8月には三重県津市で、盟友ガスリー氏が企画する海辺のライブハウスええかげんの「ええかげん祭り」がある。地元のミュージシャンに加えて五郎&律、カマケン氏ら豪華メンバーが揃うらしいので、今からとても楽しみだ。ええかげんもこれでしばらく閉店となるらしいので、何が何でも賑やかしに行きたい。それが8月7日。

 個人的には他人様のライブに顔だすことも大事であるが、早くこの家でも人を招きオープニング記念のライブを一日も早く催したい。出演ミュージャンだけは当の昔に決まっていて、律&五郎のお二方を予定しているのだが、家がいつまでたっても片付かないのでなかなか確定できない。
 家のほうを片づけつつ、頼まれている作曲も溜まっているので、渡された詩に曲をつける作業も進めなくてはならない。懸案のことは相変わらず山積みだが、沢山のことを抱えつつも人から誘われ求められるなら何でもやりたいしどこへでも行きたいと思っている。

 人生は一度きり、まだまだ自分ができる自分しかできないことがいっぱいある。無理はしないしできないが、再び動き出した人生をうまく操縦していきたい。

日本の政治を憂う~今大阪がおかしい2011年06月04日 17時28分34秒

★世界はどんどん自由が失われていく

 おそらくこれは誰もが感じていることだと思うが、世の中はいつしか次々と規制が強まり何事でもうるさく規則、規約、法律で取り締まわれるようになっていく。
 増坊はタバコは吸わないが、喫煙者は今や肩身が狭くとても窮屈な思いでいるかと思う。それと同じで以前は許されていたことがいつしか禁止され、時には違反した者、守らない者には罰則さえ付け加えられるようになっていく。先日も街道筋で、パンを買うため路上に車を停め店に入ったら数分もしないうちに路上監視員のオヤジ二人組が自転車で来て危うく摘発されるところであった。おちおちパンも買えないちょっと異常な世の中である。

 規制緩和が錦の御旗であるのに、庶民レベル、一般市民においてはますます管理と規制は強まるばかりだ。つまるところ規制緩和とは会社や法人の儲ける自由のためのものであり、個人や市民にとっては全く関係ないということだ。
 報道規制も含めて、この国は今やどこか隣の国々のように国民には大事なことが知らされないし、反政府、反原発的な発言や行動はマスコミから無視されなかったこととして封じ込められていくような気さえしている。

 自分はこのところ政治に関心を失くして、政治についてはもはや論ずる気分ではないが、最近の世の中の動き、特に政治状況に関しては憤りさえ覚える。この大変なご時世に、ポスト管に値する人物が誰一人いないのに、ともかく管首相が憎いから引きずりおろしたいという思惑で大騒ぎする政治家たちの心情がまったく理解できない。ダメ菅は誰だってわかっている。が、今そんなことで騒いで時間とる前にまず被災地に行き、被災者や避難を余儀なくされている人たちの声に耳を傾け政治ができること、政治家としてまずすべきことに頭を使うべきであろうが。自民も公明も民主党も今の政治家たちは頭がおかしいか足りないのかと呆れ嘆息するばかりだ。

 それにしても思うのはこの一連の菅降ろし、内閣不信任案決議騒動で、鳩山前首相が果たした役割である。さすがに外国からルーピーと罵られただけの人だと感心さえしまった。この人が出てくるとモノゴトは常に面倒に、さらにやっかいになっていく。菅氏との間でどこまで細かく辞任の約束があったのか話を詰めたのかはわからない。しかし、後になって約束が違うとか騙されたと泣き言をこぼすのも実に鳩山らしい。この人は本当に筋金入りのおぼっちゃまで、悪気はないと思うが、政治家としては全く不適格だ。普天間基地移設問題の時も、政界引退するとかしないとかも、いつも心は揺れ動き、発言はぶれて混乱を引き起こす。さすが御殿に住んでいる人の感覚は庶民とは異なる。名門政治家一家も何代も続くと徳川幕府の最後のようになる見本である。

 逆に菅首相のしたたかさにも感心した。さすがに何の党内基盤もないのにうまく首相にまで上り詰めた男である。金も派閥の後ろ盾もない男が権力志向だけで首相になれた。つまるところこうしてうまく方便やそのときどきの風を読む力がこの男に長けていたということか。しかし、一国の首相としての資質、責任力も判断力も含めてこの男にあるとは思えない。東日本大震災は彼にとって政権と首相の座延命の起死回生のチャンスであったが、そんな男がこの大事にこの国の首相であったことがそもそも国難であったと今にして思う。いや、今の国会、ほぼすべての政治家たち全員が同罪かもしれない。

 そしてもう一つ、気になることは大阪の橋下知事率いる維新の会による「君が代」条例可決である。「君が代」起立を強制し義務づけるということを法律で決めたのだ。今後は従わない教職員は懲戒解雇するという条例案をさらに提出するらしい。
 増坊は「日の丸」「君が代」について、マルクスを多少でも齧ったものとしてそれなりに思うところも思想信条もあるが、今ここでは長くもなるのでそのことについてはふれない。人それぞれの考えがあるし、祝日に日の丸の国旗を掲げる人もいれば君が代を国歌として姿勢を正して歌いたい人もいるだろうし、それはそれで理解できなくもない。それもまたその人の自由だと思う。ひとそれぞれ、みんな違って良いのだから。橋下知事は憲法にある、思想信条の自由という言葉をご存知でないらしい。

 逆にそうしたくない人がいたとしてもそれもまた自由のはずだし、それをわざわざ条例にし規則として強制していくのは異常にしか思えない。まして従わない者はクビにするとは。本当におかしな話だと考える。さらに怖いと思うのは、これが戦前戦中の軍国教育を受けた人たち、つまり慎太郎的老人世代の妄動、世迷言なら、それも仕方ないかと納得できなくもないが、自分より若い世代である橋下らがこんな愚かな常識に照らし合わせても異常なことを真剣に本気で考えていることだ。
 東京都民が大阪府民が選んだ彼をファシストと呼ぶのはやぶさかではないが、そこにファシズムの臭いを嗅いでしまうのは自分だけか。

 自分はずっと大阪が好きで好きで、この何年も毎年5月の大型連休には大阪に足を運んでいた。大阪の魅力とは一言でいえば、何でもありということで、人様に迷惑さえかけなければ基本的に何をやってもゆるされるようなルーズさが魅力であった。また、外から者に対しても親切を通り過ぎるほどおせっかいであり、他者に対しても寛容な、その懐の深さこそが四角四面の融通がきかない冷たい東京にない大阪の魅力であった。暖かいながらも、どうでもええこっちゃ、である。それは無関心ではなく、許容であり、大阪人の懐の深さである。
 それがいつしか大阪でも東京人と変わらない頑なな杓子定規、生真面目な若い人たちが増えてきたようで、以前ほどのユルさ、何でもありという魅力が薄れてきたことを先日の春一で痛感したばかりであった。関係はないはずだが、今回の条例による強制も大阪気質の変化のような気さえしている。

 むろん、東京都民全員が慎太郎を支持して選んだわけではない。自分は今もこれからも彼を絶対に支持しないし認めない。それと同じように大阪府民も全員が橋下という男に全幅の信頼をおいて支持しているのではないと思うし、良識と心ある府民たちはこの妄動に心痛めているかと信ずる。

 君が代のとき、立とうと立たんとそんなんどっちでもええこっちゃ、目くじらたてんとき、という何でも許してしまうかつての大阪人にもどってほしいと勝手ながら大阪大好きの自分は今心から願っている。

「開店」に向け近況報告など・前2011年06月05日 23時11分36秒

★まずは母の現況について。

 と、気がつけば初夏、6月である。ここいらで家の現況と母の容態を報告したい。
今日は久々によく晴れて日中は汗ばむほどの陽気となった。今もやや蒸し暑い。今年の夏がどれだけ暑くなるかはわからないが、夏は夏で、冬は冬で老人や病人にはその季節をまず乗り切るのが大変だ。ならばその間の時期、今が一番過ごしやすく何をするにも楽で有り難い。寒いと体が動かないし、暑過ぎてもそれだけでバテて何一つ捗らない。

 おかげさまで母の体調はこのところだいぶ良い。食欲は認知症の父より格段にあるし、病気前と同じかそれ以上に食べ、あれもこれも食べたいと食の関心も強い。しかし体重は少しは戻ったものの、まだ35キロ以上増えないし、食べるとすぐ便意を催し下痢気味となるのは相変わらずだ。それでも庭仕事をしたり簡単な家事等もしてくれるので増坊の負担はだいぶ楽になった。ただ、ガリガリに痩せ体力がないからすぐ疲れてしまうのは仕方ない。

 しかし父も母も入院することなく一応今は事もなく家にいて共に過ごせるのは本当に有難いと思うし、おかしな例えだが、冬を前にした小春日和のような気がしている。今はまだ過ごしやすい季節で、老犬も含めて皆とりあえず元気で生きている。これがいつまで続くかわからないしやがてまた手のかかる病院通いの大変な日々が来るのは間違いない。ならばこそ今のこの一瞬を大切に噛みしめるように過ごしたい。

 母は立川の病院で精密検査の結果、大腸と小腸の間に進行した癌が転移し癒着して腸閉塞起こしていることが確認され、開腹しその部分の癌と癒着した腸を1m近く取り除いた。
 しかし、医師の話だとまだ体内あちこちに癌は残っているし、全部取り切れたわけではないのでいつまた再発するかはわからないとのことだった。
 本来は退院と同時に抗癌治療を施すことに普通はなるのだが、齢80という年齢と今あまりに痩せて体力も落ちているので、抗がん剤のほうが体に悪影響を与える可能性が高いのではないかと案じられた。また、医師の話だとこれだけ高齢だと抗癌剤の効果があるのかないのか確認も取れないので、ふつうは抗癌治療は行わないケースも多々あるとのことであった。要するに癌だろうが癌でなかろうがもういつ死んでもおかしくない歳だということだ。

 しかし家族としては、人はいずれどっちにせよ必ず死ぬのだからと一切癌に対して何の対処も治療もせずに再発を待ちながら生活していけるほど強い覚悟はできていない。むろん確実に再発するのか、それがいつなのかはわからないし癌にならない保証もない。ただ言えることは癌という爆弾を抱えて生きていくことは常に安心できないし不安を解消するために気休めでも何かの対応策をとらないわけにはいかない。

 人から効果のほども定かではない怪しい健康食品なども勧められたが、そんなのよりもあれこれ迷った挙句、昔からある丸山ワクチンを打っていくことを試みることにした。これはどんな癌でも確実に治るとか強い効力はないようだが、ほとんど副作用はないと聞くし、値段もさほど高いわけではない。ただ、問題は始めたら毎週三回、つまり月水金というように三日間はそのワクチンを打ってもらいに医者にかからなくてはならない。居職とはいえ、週に三日も病院に母を連れて行くことは正直な気持ちかなりの時間的負担で、家は空けられず身動きとれなくなってしまう。この治療を始めたらそれが何年も続く。つまり癌が再発しない限りは。
 しかし、かかり付けの病院では今患者を送迎もしてくれるとのことで、そこに頼みワクチンを打ってもらうことにした。それなら母は一人でも病院に行ける。

 というわけで、明日午前、都内文京区根津にある日医大まで自分が出向き、説明をきいてその丸山ワクチンを購入してくることになった。詳しくはまたその続きを明日の夜にでも。

丸山ワクチンについて学び考えたこと2011年06月07日 23時05分08秒

★今はこの療法に取り組んでいくことにして。

 今日は午前から千代田線根津と千駄木の間に位置する日医大病院に行き、そこの丸山ワクチン研究所で、詳しく初診に際してワクチンについて2時間ほど説明を受けてきた。

 実は今まで、不安も含めてこのワクチンを用いることには抵抗と疑いの気持ちもややあったのだが、今日説明担当の医師から実に詳しくお話しを伺い疑念も不安もすべて晴れた。癌も含めて自分が考える病気に対して患者はどう立ち向かうべきか正しいありかたがそこにはあったと思う。大学病院というと何となく無機質な研究組織というイメージがあったが故丸山博士の人柄も含めてこのワクチンと病院に敬意と好感を抱いた。そこは患者を思いやる人間味があふれていた。

 今日はそれで疲れて体調もあまりよくないので、早めに寝たい。明日は家にいられるので、今日学んだことについて詳しく報告したい。

ちょっとお休み2011年06月09日 00時17分35秒

今日8日は、急な用事で友人と会うことになり、夕刻からかなり長く駅前の安居酒屋であれこれ話しがら呑むこととなり気がつけば11時過ぎてしまいそれから犬散歩ほか諸用事を済ませたら午前零時を過ぎていた。腰もじんわりかなり痛いし、もう早く寝て明日書き足したい。こんな日もある。

丸山ワクチンについて学び考えたこと・続き2011年06月09日 21時01分19秒

★まずは気長にワクチンを続けることにした。

 「丸山ワクチン」と聞いても、今の人、特に若い人は知らない方も多いかもしれない。かつて昭和時代には一時期マスコミでも大きく取り上げられ、癌治療の特効薬として話題になった。しかし近年はあまり耳にしないし、癌治療自体も様々な新薬や新たな治療法も登場し、丸山ワクチンは既に時代遅れの古臭い手法だと考える人もいるかもしれない。
 実のところ自分もややそんなイメージを抱いていたし、効果のほどについても疑問があった。
 しかし、今回、日医大附属病院のワクチン療法研究施設に出向いて、医師から約2時間にわたり詳しい説明をお聞きして、ワクチンのシステムから癌治療そのものに対しての考え方まですべて納得し共感もできた。そのことを報告していきたい。

 丸山ワクチンによる治療開始にあたって、一度はここ日医大のワクチン療法研究施設に来て医師から説明を受けなくてはならない。

 まず受付室で、母の担当医からの紹介状を提出し診察カードを作るため書類に記入し、40日分の丸山ワクチン代として一万円弱の金額を支払った。そしてしばし待たされて、初診説明室という部屋で説明を聞く初診の人たち、それは患者でなくとも代理でもかまわない――が揃ってから医師が登場して説明会が始まった。
 簡単な説明のあと、20分程度のワクチンと開発者故丸山博士についてのビデオを見せられて、その後また医師が詳しく補足の説明をし、質疑応答があって、最後にワクチンの配布となる。


 癌というのは今や日本人にとって最大の死因となる病気である。3人に一人は癌で死んでいるとのことだ。遺伝的要因も関係しているらしいが人が歳を重ねていけば発生率は高まるしそこにストレスの多寡も大きく関係してくる。また放射能も・・・だが、それは今回考えない。
 我が家の家系だけ追っても、母の父、つまり祖父は胃癌で死んでいるし、父の姉や妹たち既に亡くなっている人たちの死因も癌である。また母のすぐ下の弟も膀胱癌で若くして死んだ。そして今回母が子宮癌が原発の癌となって、おそらく自分もまた早晩死ぬときは癌ではないかと想像している。ならば癌はごく身近なありふれた病気でありそれに罹らない人のほうが珍しいぐらいだ。

 まず癌発生のシステムから詳しくお聞きしたのだが、それは長くなるので省略するとして、癌治療には手術以外に直接癌そのものを攻撃し破壊する抗がん剤や放射線治療などの化学療法がある。しかし、よく聞くようにそれにはかなり副作用が起き患者も苦しく負担が大きい。というのも正常な細胞や白血球にも影響がおよび嘔吐、下痢、脱毛など悪影響が起きる可能性が高い。
 自分は迂闊にもよく理解していなかったのだが、丸山ワクチン(以下SSMと略す)は、そうした直接癌そのものに働きかける薬ではない。癌そのものには効かないが、人間の本来持っている免疫力を高めて、癌と闘ってくれる白血球などを活性化させ癌の増えるのを阻止し小さくさせていくという免疫療法だったのだ。間接治療法と言えるだろう。じっさいに癌抑制と消滅に効果があった症例をビデオではいくつも見せてくれた。

 SSMは、そのようにして癌治療に一定の効果はあると認められてきた。が、未だなぜか保険の適用がきかない有償治験薬として、極めて特殊な状態のまま開発から何十年も経過している。※長くなるのでもう一回続きます。

丸山ワクチンについて学び考えたこと・続きの続き2011年06月10日 00時00分35秒

★人は何故がんになるのか、そもそも癌とは何なのか。

 癌は体中あらゆるところにできるし多種多様だとは誰だって知っている。そして未だ完治根絶することも予防することもできない難病である。
だが、そもそも癌とは病気なのだろうか。他の病気は全て外部からウィルスなど病原体が入って発症する。が、癌はそうではない。自縄自縛という言葉があるが、自らの体内で、細胞が変異し制御不能となっていくのである。
 今回、ワクチン研究室で、詳しく癌という病気のシステムについて説明を受けて、発生のメカニズムについておぼろげにわかってきたことがある。素人考えだが、要するにこういうことだと思う。

 人の細胞は常に生まれ変わっていく。それが新陳代謝ということで、ほんとうかどうか知らないが人の体のすべての細胞は三か月ほどで新しいものに入れ変わっていると何かで読んだ。しかし、人の形態も記憶もそのまま続いていて変わったようには全く見えないし思えない。それは古い細胞から新しい細胞に変わるときにきちんと遺伝子はコピーされその受け渡しが問題なく続いているから人はその人のまま生き続けられるのだと理解している。
 しかし、そうした連綿とした情報のコピーも長い年月が経つと当然のこと不具合、プログラミングのミスが生じてくる。たとえば、紙の情報、チラシでも何でも同じものをいっぺんに大量にコピーするのは問題なくとも、一枚ごとコピーしたものをまた再度コピーすることを繰り返していくとどうなるか。最初の数回は元のチラシとさほど変わらず綺麗にコピーできていても数十回、数百回それを繰り返したものは薄汚く汚れてしまい読めない場合もままあるだろう。なぜならコピーする過程でゴミが入ったりしてそのゴミもまたコピーしてしまうからだ。伝言ゲームの例えでもかまわない。元のままの情報ではなくなってしまう。

 遺伝子の情報も長く生きていると、そのコピーの回数が当然増えるがゆえ、汚れはしないが少しづつ変わっていきやがては突然変異を起こす。それが癌細胞なのだと考える。異常な細胞だから制御がきかないし、体内で大暴れして結局最後は自らの肉体を滅ぼしてしまう。だから癌の発生率は若者より老人が格段に多いのも頷ける。
 若いときはそうしたバグが生まれても体そのものの力、免疫力が強いから癌細胞は除去されてしまう。しかし、ストレスや疲労などで体そのもののが弱ってしまうと当然免疫力も落ちているから若い人でも癌が頭をもたげてくる。ゆえに癌の発生は老化とストレスが原因だといわれるのだ。

 それではできてしまった癌とどう戦うかと考えたとき、一番てっとり早いのはその癌そのもの、原発箇所を特定し転移した部分も含めて外科的に取り除くことが第一であろう。しかし、母の場合もだがそれだけでは癌はすべて取り除くことはできず、体内には散らばった癌細胞が残る場合が多々ある。手術の他にも抗がん剤の投与や放射線治療など様々な療法があり、母も従来の考えではすぐに抗がん剤の注射を始めるはずだった。だが、それにはかなりのリスクも伴う。
 母の場合は極めてやせ衰え体力も低下していたので、たとえ弱い抗がん剤でも癌再発の危険よりその薬使用した際の副作用の高さのほうが案じられた。八十歳という年齢でもあり、癌再発以前に常識的に考えても余命は長いわけではない。今は一応原発部位も含めて癌の箇所はかなり取り除いてもらった。しかし、またやがて癌が動き出し病院通いが長引くのはうんざりである。いったいどうしたものかと悩んでいた時人から知らされたのが丸山ワクチンであった。

 SSM(丸山ワクチン)の素晴らしい点は、それを用いた場合の副作用がほとんどないことで、他の抗癌治療方とも併用しても全く問題ないしさらに効果を上げる助けをすることもあるらしい。癌そのものを攻撃するダイレクトな薬ではない分、効果が出るまでかなりの時間が要するが、体にはきわめてやさしいということが何よりも気に入った。
 そもそも正常な細胞と癌化に向かっている細胞と癌と診断されるほどに変化してしまった細胞との差はさほどない。医師もどこまでが正常でどこからが癌だとは特定は難しいらしい。先の紙コピーの例えを繰り返せば、どこからが読めないほど汚くなるかその判断が難しいということだ。だから抗がん剤は治療の過程で正常な細胞まで破壊してしまい結果として様々な副作用が起こり患者はかなり苦しむこととなる。癌細胞だけを殺すことはまだできないのである。

 ならばもどかしいが、体そのものの体力をつけて免疫力を高めて体が本来持っている力で、癌と闘っていくほうが考え方としてまっとうであろう。癌はそもそも「病気」ではないと自分は考えていた。自らの体内でいつしかおかしくなってしまった細胞ならば体がまた元に戻すことも可能ではないかと夢想する。SSMはその手助けをしてくれるのだと理解した。
※ではじっさいの治療法、投与については項を改めて書き足します。

大震災のあの日から三か月が過ぎて2011年06月10日 15時42分59秒

★政府は国を挙げて国の責任で災害廃棄物を撤去せよ!

 あの日から間もなく三か月が経つ。しかし、被災地の惨状はまだほとんど復旧の目途がたっていないかと思われる。その最大の障害は、想像を絶するほどの膨大な量のがれきの処理である。つまり大津波などによって破壊され海水を被りゴミとなってしまった家々の生活用品から工場、船舶に至る一切の災害廃棄物をどうやって片づけていくかだ。
 むろん現地では行政や個人も含めて人々は必死になってその処理に取り組んでいる。しかし、仮置き場すらもはや一杯だと報じられているし、雑多なゴミを分別して処理していくことは非常な手間がかかり遅々としたスピードでほとんど進んでいない。
 
 もう一か月前の話だが、自分は大津波で壊滅的被害のあったいわきの浜での実情を垣間見てきた。そこの様子は他のブログのほうに画像入りでアップさせてある。残念だがおそらく今も現地の様子はさほど変わっていないと想像する。こんな壮絶な手の付けようがない現実は、今も東北の沿岸地域では程度の差はあれどこもほぼ同じだと思う。
http://masdart.exblog.jp/16441163/

 がんばろうニッポンとか、がんばれ!東北という掛け声以前に、われわれ日本人がすべきことは、国を挙げてまずこの膨大な量のゴミ、災害廃棄物の処理に取り組むことだ。そのために国に強く働きかけなくてはならない。とても現地の行政だけで取り組んで解決する量ではない。
時間だけが徒に過ぎていくばかりだ。

 交通費、人件費をかけてもフェリーなどが着けられる港にゴミをまず集めそれに積み込んで処理施設に余裕がある被害のなかった他県に運んでそこで分別処理してもらうしか早くなくす方法はないと思う。それは国が全額費用を支払う。そのためには特別税も致し方ないとさえ思う。

 なにはともかく、まずこのがれきの山、災害廃棄物と化した膨大な量のゴミを片づけないことには被災地の復興も復旧もない。被災地にエールを送るかけ声はもういい。政治家は今こそ権力抗争に明け暮れることなく、大英断を下すべきだ。

 おりしも今日の新聞では、立川断層で近いうちに大地震が起こる可能性が上がったと報じられていた。東京、自分の住む地域だって、いつ東北の被災地のようになるか明日は我が身なのである。このことは東北や東日本だけの問題ではない。地震の巣の上に位置する日本という国に住む人々全員が自分の問題として考えなければならないのである。