STOP!社会の貧困・教育の貧困フリーコンサートのチラシ裏面2012年06月07日 22時13分04秒

画像をクリックすると拡大されます。

詩人とミュージシャンとの間に④2012年06月07日 22時20分38秒

昨今人気高い藤しんいちろうが会場を沸かせる。
★うたはそもそも「世につれ」なのである。

 と、書いてきて、では関西フォークとは、自作自演のうた、そうした作者自らが作ったうたを自分で唄う行為なのだと思われるかもしれない。
もちろんそれも大きな要素であるが、それなら単に今でも数多いるシンガーソングライターということになってしまう。今のしょうもないJポップだって、その多くが唄っているミュージシャンの歌詞も曲も自作自演ということが多い。まあ、そうした系譜の祖、シンガーソングライターと呼ばれるルーツは拓郎、陽水ら、元々フォーク畑から出たヒットメイカーがヒット曲、売れるアルバムを生み出し、やがて荒井由実、のちの松任谷由実というニューミュージックの祖によりそのシステムが一般化したからであるが。しかし、関西フォークのスピリッツはそれだけではないはずだ。

 本場米国のフォークソングとは、ディランやスプリングスティーンにも多大な影響を与えた二大巨星、ウッディ・ガースリー、ピート・シーガーの楽曲を見ればわかるように、そのほとんどが、トピカルソング、またはマーダーソングであった。トピカルソングとは、時事ネタを唄の題材にしたものであり、マーダーソングは文字どおり殺人事件を唄ったもので、フォークとはそうした事件をバラッド、つまり物語うたとして「うた」にしたものであったのだ。あのボブ・ディランだって、初期のアルバムのほとんどがそうした曲で占められていることに気がつくだろう。※誰がディビー・モアを殺したのか、八ッティ・キャロルの淋しい死他参照。

 それは高石友也や高田渡が評論家三橋一夫の示唆により目を向けた明治大正の日本の演歌師たちのうたと近似であり、そのときどきの世相や憤懣やるせない政治ネタなどを「演歌」にし世相を批判したように、向こうのフォークも本来はそうした事件をうたにして告発することが大きな要素であった。まあ、もちろんそれだけではなく、遠く離れた恋しい故郷や別れて会えない恋人、死んだ人を偲ぶうたもまた多いが。

 つまり関西フォークとは、そうした本来のフォークソングのスピリッツに則って、政治や世相を風刺しうたにして批判したり笑い飛ばすという側面も大きく持っていた。ゆえに、社会派フォークとか、プロテストソングとかマスコミから評されたし、毒にも薬もならない従来の歌謡曲とは明らかに異なる強いメッセージ性とどんなことでもうたにしてしまう自由な柔軟性を当初からはっきり持ちえていた。大手レコード会社の自主規制組織レコ倫では絶対に許可しないような性的、反体制的なことを題材にしたものでも彼らはうたにしたし、関西フォークのアーチストの拠点、URCでは自主制作的に自らシンガーのライブ会場や会員制通信販売で売りさばいていたのである。

 だが、そうした時事性、社会的メッセージ性を強く持っていた関西フォークムーブメントもURCが1970年代半ば過ぎに事実上倒産してからは、完全に立ち消えてしまい今では社会派フォークは一人御大中川五郎のみが今も元気に孤塁を守っているだけとなってしまった。しかし、新潟では、現在は東京に居を移した藤しんいちろうというシンガーがいて、かつての岡林的コミカル風味の風刺ソングや時事ネタを巧みに取り入れた笑わせる自作曲で、ステージをいつもおおいに沸かせている。そうした風刺性のあるシンガーを生み出したということも有馬敲言うところの「関西フォークの精神」が今も息づいているということなのだと推測できる。

 そう、うたとは誰が何をどう唄ったって全くかまわないものなのだ。だのに巷には、あなたに会えなくて淋しいよとか、いつもきみのこと見守っているから元気を出して、大丈夫だよ、とか愚にもつかない失恋歌や下劣な応援ソングばかりはびこってうたは自縄自縛にがんじがらめにされてしまっている。うたとはもっともっと自由なものではなかったのか。誰もがうたいたいことを自分の言葉で自分の方法で自由にうたってかまわないはずだ。実はそれこそが有馬敲が関西フォーク黎明期から今に至るまで全国行脚で実践して示している「生活語詩運動」の思想であり、フォークソングのフォークは、フォークロア、民芸だとするならば生活語とはとりもなおさず「フォークソング」を指している事に思い至る。

 つまり本来のフォークソングの正しい継承者たちが今でも新潟には沢山残っているわけで、今回の有馬敲と彼らの出会いは、喩えれば長崎の隠れキリシタンの村に明治になってカトリックの枢機卿が訪れたほどの運命的な「再会」であったのだなと思える。
 その場に立ち会えたこと、またそうした場を藤しんいちろう氏とお膳立て出来たことの光栄を噛み締めている。