詩人とミュージシャンとの間に⑦2012年06月17日 08時51分35秒

たっつあん、藤しんいちろう、そして有馬敲。会場の岩室温泉・伝統文化継承館の前で。
★人は皆どこかで繋がっている。

 さて、長々と続いた一連の記事、新潟での有馬敲さんと地元フォークシンガーとのコンサートの報告記だが、とりあえずここらで終了としておく。トータルなライブの様子は後ほどもう一つのブログの方に画像だけアップさせておくのでそちらをご覧下さい。

 この世には偶然などは一つもなく、起こることは全て必然だといわれる。自分も最近はそうよく思うし、偶然にしてはまるで見えない糸に手繰り寄せられ人と人は予め出会うべき関係だったのがついに結びついたのだと思うことも多々ある。

 たぶんこれは誰でも少なからず経験していることかと思うが、新たな人間関係が出来て、その人と親しく話しているうちに全く偶然に双方に共通の知人、友人がいることがわかり驚かされることがある。世間は狭いというありきたりの言葉で片づけてしまうにしてはあまりに不思議かつ不可解な話であろう。
 それがある業種、業界内の話ならまあ狭い人間関係の中のことだから大いに有り得ることに違いない。ところが、全く別の世界、遠く離れたところでもそうした偶然は自分の場合よく起こる。

 先だって、友人に頼まれて、彼の音響機材を修理に出すべく、車出して初めて相模原市藤野というところに行った。地理的には中央線では高尾の先にあたる。そこにある有名なシュタイナー学園の近くに工房を構えて、電化製品なら何でも修理してくれる人がいるのだという。まあ、パーツなどが既にどこにもなく直せないものもあるとのことだったが、基本的にまず持ち込めば彼がいじってみて直せるものは直してくれるのであった。住まいも人柄も大変好感もてる良い出会いであった。

 で、その山荘のような住まいに行き、あれこれ雑談していたのだが、その人も高田渡のファンだというので、近く新潟で今度有馬敲さんを招きコンサートがあるとチラシを見せた。そしたらそのチラシの中に名前の載っていた「たっつぁん」という人を知っていると彼が言うので驚かされた。何でも以前国立近辺に住んでいたとき、たっつあんも国立に来て何かの折に同席したとのことだった。ある時期、新潟の彼らは国立に来る機会がよくあったらしいのだが、それにしてもこんな偶然はまず起こるはずはない。本当に世界は狭いとびっくりしたが、こうした偶然は時間と空間を越えて自分の周りではよく起こる。

 今回の一連の新潟でのコンサート、発端は昨年の今頃、何の予備知識もなく何も考えず熊坂るつこさんがコンサートに出るため新潟に行くというのでその車に同乗させてもらった。今考えてもそのきっかけさえアイマイなのであるが。その新潟で、その地の音楽仲間を束ねる、そのたっつあんと知り合い、宴会の場であったか、彼が学生の頃に京都にいたこと、有馬敲さんのファンであり、出たばかりの「全詩集」を購入したことを知った。ならば増坊は有馬さんとは懇意にして頂いている者だからいつかそのうち新潟でも彼の詩朗読のライブが出来たらいいなあ、と酒の席の夢想は盛り上がった。

 そして今年の正月明けそうそう、その有馬ご当人が新年会で東京に来られたときに、昨年の新潟でのコンサートの主役、藤しんいちろう氏を紹介し、そこからトントン拍子に、有馬敲を新潟に招く話は現実味を帯びてきたのだ。4月末にまず行われたルッちゃんの二日間に渡る新潟でのライブを成功させてから準備は一気に進み6月頭の温泉でのコンサートに至ったという次第である。

 そのコンサートには広く新潟近隣の有馬さんを知る詩誌、詩人関係の方々も多数参加された。そして昨年の藤さんのコンサートの会場となった画廊の主で詩人でもある小林直司氏も詩のパフォーマンスをされたし、詩に疎い自分でさえ存じていたビート詩人・経田祐介氏、詩誌「詩人会議」の集いで面識のあった清水マサさんもマイクを握って挨拶された。その二人ともたっつぁん、コンサートに出演したそうだみつのりは長年の付き合いがあったようで、むろんのこと有馬さんとも詩人たちは旧知の仲であり、全てが昔から個々には繋がっていたことなのにようやくこの日その関係がきちんと繋がり「公開」されたのだと今にして感慨深く思う。
 
 その経田祐介氏とは実は両国フォークロアセンターとの繋がりもある。ビートといえば、ギンズバーグでありその翻訳者、故諏訪優とも親しかったセンターの主宰、国崎氏が、先年、新潟より経田さんを招き、そこで詩朗読のイベントを催した。増坊は残念なことにそのときは参加できずお会いすることはかなわなかったが、センターには今も彼の書いた詩の大きなパネルが掲っていて、新潟で今も旺盛な創作活動を続けておられることは彼から聞いていたのだ。以前から氏に関心を持ち会えたらたらと願っていた。今回のコンサートでご本人ともようやくお会いできたことは望外の喜びであった。※昨日、経田氏から手作りの通信誌の送付を受けた。本当に嬉しく有り難いことだ。
 
 こうして一人ひとりきちんと繋がっていく。そうした場を拵えること、その一助になりえたことが何よりも嬉しい。そしてまたこれからもこうした機会を作れたらと夢想するし、自分もまた、まだ出会っていないまだきちんと繋がっていない人と早く出会いたいと願う。

 同じ思い、志を持つ者は皆最初から見えない糸で繋がっている。ただ、その出会いがあるかないか、きっかけが作れるかどうかなのだ。もし自分に役割のようなものがあるとしてたら、その見えない糸をたぐってうまく結び付けていくことだろうか。僭越かと言われてもまたこうした場をこしらえたいと思っている。