少し回復の兆しが。2012年06月27日 21時43分33秒

★ご心配おかけしました。

 久しぶりに風呂に入った。腰を痛めてから温湿布が良いのか冷湿布が良いものか最初はよくわからず、暖かいのを貼っていたが、どうにも気持ち悪く、母に背中を見てもらったら、腰というより背中のほう、肩甲骨の下辺りが腫れて熱持っているとのことでウチにあった親たちの湿布薬の冷たいやつをベタベタ貼って少しづつ痛みは引いて来た。

 そう、自分の場合、腰そのものより実はまず背中の右腕の付け根、脇腹のほうが痛くなり、今回も腰痛の前から背中が痛かったのである。思うに今回はそこから以前やったギックリ腰が誘引されたもののようだ。
 痛みは相変わらずで、買い物などで歩くのも休み休み何かに摑まりつつ恐る恐るの移動となり、時折、変に捻ってはギャーと激痛が走り、その場にへなへなと崩れ落ちてしまう。

 ただ、昨日は一日ほとんど何もせずにベッド中心にじっとしていたから今日はいくぶん動けるようになった。まあそれも自転車で主に移動し腰をかばいつつ痛みを堪えてのことではあるが。腰痛のときの体操もやったせいか、ほんの少しだが回復に向っていると思えてきた。たぶん今週末には何とか治まっているのではないか。

 大変な時代に、自分もまた何らかのアクションを起こしたいと願うし、書きたいことも山ほどあるのだが、こうして半病人、ほぼ寝たきりになって全く情けなく恥ずかしい。
 しかし、焦りも慌てもしないし、諦めてはならないと思う。まずは一つ一つきちんと足場を固めて力をつけていきたいと願う。笑われるかもしれないが、自分にはまだすべき役割がある。できることがある。そう信じて焦り苛立つ気持ちを慰撫している。【終】

ザ・ピーナッツを偲ぶ2012年06月27日 23時26分48秒

★伊藤エミさんが亡くなったとの報をうけて

 今の人はこまどり姉妹は知っていてもピーナッツは知らないであろう。享年71歳とのことだから、世間的にはもう老人である。死の病名なども報じられていない。何で死んだのか定かでないが、ネットのニュースで知り、そのモノクロの画像が出ていて、そんな昔の人になってしまったのかと時の過ぎたことに改めて驚く。

 自分にとってアイドルというにはかなり年上であったし、もう引退して久しかったので今はどんなふうに暮らしていたのか想像もできないが、子供の頃、あの日本テレビの牛乳石鹸提供、シャボン玉ホリデーで親しんで以来、姉のように慕い大好きだった二人組、最高のデュオであった。その伊藤姉妹の片割が亡くなったのだ。もう今さら二人で出てきて懐メロ特番でさえも唄うことはかなわないと思ってはいたが、すごく悲しい。自分を構成している要素のうち幼少期の記憶として、音楽バラエティ「夢で会いましょう」や「ザ・ヒットパレード」と並ぶ「シャボン玉」の要、ピーナッツの一人が死んでしまったのだ。

 番組の最後で、ピーナッツの二人が「スターダスト」を原語で歌っているところにハナ肇が出てきて、「いかがでしたか」と今日の放送を振り返る。毎度のお決まりごととしてつい余計なことを彼は口にしては、二人に肘鉄を食らわされ、目を白黒して引き下がる。もうそんなシーンを覚えている世代も少ないだろう。

 ピーナッツの二人の凄いところは、同じ声質であったゆえに、メロディをきちんと常にパートに分けて正確にハモっていたことだ。今の女性グループがただ大勢集まっても皆で同じメロディを芸もなく唄うことを思えば昔は音楽性も高かったことに驚かされる。
 特に、「恋のバカンス」など二人の類稀なる重層なハモりは双子ゆえ成し得た奇跡のコーラスだったと今にして思う。また洋楽のエッセンスを巧みに取り入れた天才宮川泰先生の楽曲を一番多く巧みに唄いきったのもピーナッツであった。

 言いたくはないが、自分は子供ながらギリギリで本当にテレビ創成期のいちばん良いところに立ち会えたことを誇りに思う。ナベプロ主導であったが、クレイジーキャッツとザ・ピーナッツ、名プロデューサー伊原高忠、本当に質の高いセンスある、ぜいたくな音楽バラエティ番組があった良い時代であった。思い返しても夢のようだ。ピーナッツはヒット曲もたくさんあるが、自分にとってはやはりシャボン玉ホリデーの進行役、そして東宝映画、ゴジラ対モスラのモスラを呼ぶ南洋の島の小人姉妹だろうか。

 老いて今なお元気に活動続けるこまどり姉妹も本当にスゴイと敬愛感嘆すべきお二方であるが、ピーナッツのように全盛期に引退してそのまま二度と老いた今の姿を見せない生き方もまた一時代を築いたアイドルとして高く評価したい。そう、自分にとってはザ・ピーナッツの二人はいつまでも大好きなあの頃のままなのだから。思い出はいつだっていつまでも裏切らない。

 桑田ケースケではないが、♪心から好きだよ、ピーナッツ、抱きしめたい、のである。