バイオリン演歌の灯よいつまでも2012年12月01日 23時17分33秒

★悪天候の中、とても良い集いとなった。

 本日12月1日の拙宅無頼庵での「楽四季一生バイオリン演歌ショー」は先ほど無事に盛況のうちに終わった。予定したより客足はもう一つであったもののとても楽しい充実したときを築くことができたと思う。今、ともかく無事終わった安堵感、満足感とどっと押し寄せてきた疲労感の真っただ中にいる。

 良い出演者と良い観客、そして共に過ごす良い時間。こうした催しはそろそろ数を重ねてきたので、ようやく出す料理とか手はずや量もだいぶ手馴れてきたと思う。が、毎度ながらその客を迎え入れるだけの空間を作るのが大変で、いったい何日そこにあった本の片づけに時間費やしたかわからない。
 でも、このイベントがあったから部屋は片付いたわけで、毎度のいたちごっこだとしてもこうした企画を催さないかぎり家はすぐにモノに溢れ身動きとれなくなって機能不全となってしまう。その片付け、移動作業のために多くの人の手を煩わせ本当に申し訳なく恥ずかしくも思うけれど、人が来なければこの家はすぐにゴミ屋敷と化してしまうのだからこれからも続けていくしかない。ミュージシャンのためとか観客のためとか関係なく誰よりもまず自分のためなのだと今気づく。

 幸いにしてウチに来てくれる方々は皆気心しれた良い人たちばかりなのでたぶん来た方々は皆満足し楽しい一時を過ごせてもらえたかと思える。それは己惚れではなく、自分もまたとても満足した良い時間だったのだからそこに至るまでが大変だとしてもやはりやって良かった満足感、充足感に今浸っている。

 もう少し本来はあと4名予約の方はいたのだが、風邪で高熱出したり高齢の方は体調悪くしそうとのことで来れなかったのだ。でも一部、二部含めて全参加者を数えれば総勢15名程にはなったので健闘したと言えなくもないと思う。
 バイオリン演歌という特異なジャンル、それに昨日に引き続きどんよりとした小雨交じり悪天候のところに昼時は一瞬突風が吹き豪雨ともなった。歳末のこの寒く慌しい時節も考えれば興業としても上出来だったのではないか。

 バイオリン演歌師楽四季一生、昨年の秋口からどこそこで会う都度に無頼庵でライブをやりたいと交渉してなかなかスケジュールが合わずようやく1年過ぎてついに夢がかなった。願わくば来年また今頃お招きできたらと考えている。そのときはCD発売記念?ライブとなればと今から夢を見ている。

 唖蝉坊演歌の研究&継承者、土取利行氏に言わせると、バイオリンを使っての「演歌」は本道ではないという見方を示すが、今日たっぷりと楽四季さんによる、石田一松~桜井敏雄師に連なる流れにある「バイオリン演歌師」のうたをあれこれ聴いて、このスタイルも今日ではまさに貴重な絶滅しつつある芸能だと深く思い至った。昨今の老人ホームの慰問などだけではもったいない至芸であろう。

 これを今きちんと記録し保存しておかないとならない。今ならまだ間に合う。あと数十年もしたら誰もバイオリン演歌など存在したことすら知らない世代ばかりとなってしまう。楽四季さんと大いに語りそうした思いを一つにできたよい一夜であった。

無頼庵年内の予定とこれからのこと2012年12月02日 12時19分28秒

12月1日「楽四季一生バイオリン演歌ショー」の模様
★一夜明けて思うこと

 すごく冷え込んだが朝は久しぶりに陽射しもあり新春を思わせるカラッと深閑とした爽やかな快晴であった。でも予報だとまた天気は曇り空で夜からは猛烈な寒気のせいで関東平野部でも雪が降るらしい。

 昨晩は泥のように深く眠った。つい寝坊して気がついたら9時近かった。こんなに熟睡したのは久しぶりである。小心者だからか、こうしたイベントがあると気が高ぶり不安にかられるのか前夜は何度も夜中に起きたりしてほとんど眠れない。トイレに起きたり枕元の時計を見てまだ深夜だとか明け方だと寝なおすことを繰り返す。
 辛いのは準備や部屋の片付けよりそうした「不安感」「焦燥感」のほうで、もっと泰然自若として何も動じずありのままに構えられたらと願うのだが、こればかりは性格なのでどうしようもい。自宅を公開していくというのはそれが当たり前の人、普段からきちんと整理整頓でき、そうした生活を送れている人は何でもないことだろうが、ウチのように全てにだらしのない汚部屋汚宅の家庭ではかなりの難行苦行なのである。

 ようやくその課題がとりあえず終わった。年内12月はまだほぼ一ヶ月あるわけだが、もう気持ちとしては今年は昨日で終わったという感じである。むろんクリスマス頃に、また鶏を薪ストーブで丸焼きにして忘年会ライブをやる予定ではいるが、それはコンサートとして事前に手配して宣伝してやるほどのことではなく、来た方が自由に歌ってくれればそれで良いと思っている。だから一年で最も賑やかな忙しい年の瀬のことでもあるし田でもクリスマスイベントは目白押しだろうから来る人だけでさささやかにやりたいと考えている。日程は今日明日には発表します。

 師匠、有馬敲氏の教えでは、一年は12ヶ月あると思うのではなく、11ヶ月だと最初から考えて、11月中に年内のすべき用件は全て終わらせることになっている。一週間も6日間だと考え、あとの一日は予備日だと空けておくのである。そうして早め早めに用事を片づけてしまえばその余った一日、一ヶ月は好きなことに使えて悠々自適となるはずなのだ。
 それが愚図の大忙しの身としては、逆に一年は13ヶ月ぐらいあるものと考えているかのようで、けっきょく年末ギリギリとなって年内にどうしても片づけないとならない、やるべきことに追われてあたふたと超「大忙し」になるのである。

 だからもう今年は年内はもう特別なことは何もしまい。せいぜい年賀状程度は作るけれどそのクリスマス宴会ライブだって特別な取り組みはせずに自然体でやろうと思っている。
 ただそうは言ってもこの8日ニはその有馬さんと津の友人、モジロー氏がまた東京に詩関係の集いで来られるのでそれまでに渡すものなど仕上げなくてはならない。そのほか「フォークソング講座」と「味噌作りの天地返し&キムチ作り」のイベントもあるし、決して呆然として薪ストーブにひがなあたっていられるわけでは全然ない。でももう構えずに無理せずにやっていくだけだ。

 拙ブログをお読み頂いている方々も皆誰もが忙しい。その忙しい日々の合間を縫って、もしウチの都合とそちらのご都合がうまく合うようならばどなたでもお気軽に遊びに来て欲しい。人様のライブだって同じことで、マス坊もその日予定が空いていて家庭の事情がつくならばどこにでも参加したいと考えている。

 ともかくひとつひとつ丁寧にきちんと、軽やかかつ確実にやっていきたいと思う。

12月の雨の日2012年12月03日 18時21分00秒

★マス坊、久々に本格的な風邪ひいた。

 このところ一気に冷え込んできた。今日も一日どんよりとした曇り空、冷たい雨、氷雨が霧のようにしとしとと降り続いていた。雪にはならなかったものの気温は5度にも満たない。初雪の便りもあちこちから届く。今年は例年になく寒い冬になるらしい。

 12月1日のイベントが終わってつい気が緩んだものか、昨日から鼻水が止まらなくなり寒気もしてきてついに本格的に風邪をひいたようだ。今まで何度も、ちょっと風邪っぽいので早く寝ます、などと当ブログで書いてきたが、ついに本当の風邪をひいた。

 鼻水がぽたぼた垂れるほど出て止まらないし、喉も痛く咳も出て体の節々が痛いという実に風邪らしい風邪である。ただ、熱はまださほどないようで、体はだるいがひたすら寝込むほどではない。
 が、とうぜん頭はぼーとしてきてやや痛いし、何かきちんとした作業や考えは何もまとまらない。気持ちもやや萎えてネグレクト気味である。いちばん忙しい12月、この季節に風邪などひいてはいられないのだが、ひいてしまったものは仕方ない。バカでも風邪はひく。まあ、勤め人でないのが救いである。

 こんな日は早く食事済ませて葛根湯を飲んで暖かくしてひたすら眠るしかない。焦り苛立つ気持ちもなくはないが、ここで無理してこじらせて入院にでもなったら最悪この上ない。冷えてきて下手するとまた腰痛になりそうだ。

 皆さんもどうか無理なさらずご自愛下さい。

さあ、いよいよ総選挙! 政治を取り戻せ2012年12月04日 23時29分02秒

拙宅のイチョウと欅は散り間際
★争点は自民か民主か、第三極のいずれが勝つかではない。

 風邪の真っ只中で、鼻も詰まり頭はぼーとしている。体の節々、特に腰が痛い。ごく簡単に書き上げる。

 ついに待ちに待った衆院議員選挙が告示となった。東京では都知事選と重なってもう掲示板はいっぱいである。都知事に関しては後ほど別に書きたいこともある。まずは衆院選だ。

 このところずっと思っていたのは、今ほど国民の意思、民意と政治が大きくかけ離れている時代はなかっただろうということだった。
 長年の自民党+公明に嫌気がさした国民は民主党に政権交代を託したのにその公約、マニフェストはほとんど守られずに、徒に首相だけが自民党時代と同じくコロコロ代わった挙句、公約にはなかった消費増税を民自公の三党合意、つまり密室談合で成し遂げる。多くの国民が危惧している大飯原発は再稼動を強行し、おまけに大間原発は工事再開である。野田首相は口先では、2030年代に原発ゼロと言いつつ、どんどんなし崩し的に原発存続、依存体質は改まらない。

 何度も反原発集会でシュプレヒコールを挙げたとしても自分も含めその参加者の怒りは政治に全く反映されていない。さらにはその集会の集合場所すら取上げられてしまったのだ。
 けっきょくのところ、こうした閉塞的状況は政治のスイッチ、つまり政治の実権が国民の側にではなく、為政者、民主党野田政権側にあるからなのだときづく。彼らがその政治のスイッチを握っている限り、国民の思いや願いはまったく政治に反映されない。
 
 だが、ついに野田首相も支持率低下と党内支持基盤さえも失い国会を解散し信を問うため選挙となった。いよいよ国民の声が政治に反映されるときが来たのである。この選挙で政治のスイッチを国民側に取り戻し、大多数の国民の願いが政治にそのまま反映されるようにしなくてはならない。
 しかし・・・・12?もの政党が乱立しそれぞれ様々かつ似たような政策を掲げしかも原発問題に関しては脱とか卒とか反原発の立場でもその期間と行程にそれぞれ差がある。これだけ政党があるといったいどこを選ぶべきか迷う人も多いかと思う。いったいこの選挙の争点はどこにあるのか。一つは間近いなく今後のこの国の原発政策であろう。

 活断層など危険な地域の原発は停めたとして、安全性が確保された原発だけ再稼動させていくという今後もエネルギー政策を原発に依存していく選択とどの程度の歳月をかけてやるかはともかくも原発自体最終的に全て廃炉、原発ゼロを目指す選択のどちらを選ぶか。そしてTPPのテーブルに加わるか否か。争点はいくつもある。

 でもいちばんの争点は、やはり消費税増税をこのまま国民は認めるかどうかではないか。選挙の審判を得ずに公約にない増税を民自公の談合で勝手に決めたのである。そしてそれは議決されたとはいえ、実施はまだ先の話だ。その増税勢力がこの選挙で勝利すれば、国民は彼らの暴挙を信任したということになる。それは維新だってその仲間であって、使い道はともかく消費税増税を認めている。

 これまで何度も書いてきたからもう繰り返したくないが、今のような不景気な時代に増税などしたらますます金は動かない。消費はさらに低迷し賃金は下がり続け庶民は疲弊していく。ただでさえこれまでも年金は減らされ給与は下がり続けているのである。入る金は少ないのに出る金がこれ以上増えたら国民の多くを占める貧困層、低所得者は生きていけないではないか。
 まずはその愚挙の極み、消費税増税を撤回させるべく、反増税勢力が増えなくてはならない。民自公、維新が減り、反増税勢力が増えれば増税実施はなくなるのである。

 TPPについても書きたいがもう体力が尽きた。今度の選挙の争点は、第三極ではない。原発依存か脱原発か、TPP参加の是非、そして消費税増税の信任である。でも個人的にはもう一つもっともっと大きな争点が隠されていると考える。それは憲法改定であろう。
 この総選挙の結果如何で、近く憲法改定がなされる可能性がきわめて高い。改憲・原発容認政党、自民と維新だけは勝たせてはならない。彼らは選挙後合流して憲法改定を国会に持ち出す。

♪皆さん方の中に 憲法を変えたい人はいませんか
  戦争したいひとはいませんか
  政治家は改憲求めています

  憲法を変えよう 変えよう 変えよう
  憲法を変えれば日本は神国
  男の中の男はみんな戦争に行って花と散る

  日本の平和を守るためには国防軍がいりますよ
  アメリカさんにも手伝ってもらい
  悪いロシアや中国、韓国、北朝鮮をやっつけましょう

  憲法を変えよう 変えよう 変えよう
  憲法を変えれば日本は神国
  男の中の男はみんな戦争に行って花と散る

同世代、同時代人の死を悼む・勘三郎が死ぬなんて2012年12月05日 22時37分55秒

★あまりにも早すぎる死であった。

 勘三郎、いや、どうもピンと来ない、今も勘九郎としか呼べない。その中村勘三郎が急逝したとの報が朝から駆け巡った。今日は一日暗澹たる気持ちに囚われている。何でだっ!と憤る気分であった。

 自分はもとより歌舞伎ファンでもないし、伝統芸能にも全く詳しくない門外漢である。でも勘九郎は昔からテレビから書いたものからよく知っていて、じっさいにその舞台を観なくても彼の活動はほぼすべてリアルタイムで共に生きてきたと思っている。それが同時代性ということだ。
 歳は彼のほうが少し上だが、昭和30代生まれのほぼ同世代であり、同時代を生きているというシンパシーをずっと抱いていた。だから気持ちのうえで仲間であり、ファンとして好きだとか以前に同志的に昔から好ましい人、大切な人であった。

 最近次々と団塊の世代の人や、もっと歳若い人も病気で不慮の死を遂げるが、やはり一番つらいのは同世代、同時代の仲間の死であることに今日気がついた。まだ50代半ば。あと20年は十分生きられたはずだし、その頃にはまさに人間国宝となる逸材であった。惜しいとか残念を通り越して憤りさえ覚えるはずだ。
 このところ体調を崩されていることは知っていた。が、食道がんの手術も終え、もう少ししたらまた元気なあの笑顔を見せてくれると誰もが信じていた。なのに、今朝方のまさかの訃報である。当人こそが無念を通り越してあの世で信じられない思いでいるに違いない。これもまた運命とはいえ、運命の神の無慈悲さを呪う。

 勘九郎、あえて勘九郎と書くが、彼の魅力は歌舞伎という今では堅苦しささえ覚える伝統芸能の世界で、ずっとそこに収まらない軽み、ひょうきんさを持ち続けてきたことだ。それはおちゃらけではなく、観客を楽しませ沸かせるサービス精神であり、歌舞伎が本来持っていた「かぶく」という精神そのものであったのだと思える。

 何の舞台だったか、張りぼての石がアクションの途中で外れて動いてしまったことがある。彼は、芝居の途中でわざわざそれを力入れて運ぶしぐさで持ち上げて元の位置に戻して観客を笑わせて大喝采を浴びた。そうしたアドリブ性、お茶目さが彼の持ち味で、自分のツボにすごくはまったし、ゆえに関心を持ち続けていた。封建的な歌舞伎の世界に留まらない彼の個性、生き方は前衛的、アバンギャルドと呼べるほどであった。だから現代劇のドラマにも気軽に出たし、他のジャンルの演劇人との親交も深かった。そうした感覚こそが自分が共感する同時代性であった。

 そしてともかく勉強熱心で教養も深く、彼の書いたもの語った本には独特の含蓄に溢れていたし大スターでありながら腰も低く、義理堅くいちど関わりを持てば他の人の舞台も時間が許さなくても観に出かけた。ゆえにファンのみならず誰からも愛され慕われた。その活躍の場は国内外を問わなかった。誰もが歌舞伎界、日本演劇界を背負って立つトップスターだと目していたのだ。

 ただそうした八面六臂の活躍、がんばりがいつしか彼の体を蝕んでいたのだろう。若いときはともかく、50代は長年の疲れがそろそろ噴出してくる頃である。自分もわかったことだが体のあちこちにガタが出てくる。常にどこかしら不調がある。ここをうまく調整して乗り切りしだいに老人期の肉体とライフスタイルに移行できれば70、80まで生きられる。だが勘九郎はあまりに無理しすぎた・・・そしてあまりにも良い人すぎた・・・

 自分にとって勘九郎の死は、歌舞伎、演劇界のみならず同世代、同時代を牽引したトップランナーを失ったことを意味している。歌舞伎にはろくに関心のない自分のような者にとっても痛恨の極みとしか言葉がない。いつも彼の走り続ける姿を横目に見てきた。もうあの笑顔にも会えず声も聞けないのか。世代を引っ張ってきたリーダーを失った今発する言葉もない。ただ合掌あるのみだ。

無頼庵忘年会イベントは23日に2012年12月06日 10時16分28秒

無頼庵の庭のイチョウは黄葉真っ盛り
★オールナイトでやってます。どなたでもお気軽に

 今日は朝から晴れて暖かい。庭のイチョウは真っ黄色に色づき今日明日が散る盛りである。落葉掃きに大忙しである。隣近所の目がコワイ。

 さて、マス坊の風邪であるが、今朝になってようやく峠を越したというか、快方に向かってきた感がある。昨日はまだ先が見えず、寝て湯たんぽを抱いていても寒気がしてよく眠れなかった。たぶん熱も出ていたのだろう。
 ただ、親たちを立川と矢川の病院に連れて行く用事が前から入っていてぼーとした頭で朝からハンドルを握った。
 母はがんの進行の検査。またCTを撮った。父は前立腺がん手術後の定期検査で血液をとるだけ。幸い午前中だけで用件はすみ、昼過ぎには家に戻ることができた。

 で、昼食は立川で買ってきた太巻きやおはぎでかんたんに済ませて、またひたすら眠った。夕方、本の発送だけ大慌てで終えて、晩飯も軽くしてブログだけ書き上げて早めに眠ったのだった。けっきょく今秋は風邪のためほとんど何もできずひたすら眠ってばかりである。
 風邪は峠を越えたといっても、体は鉛のように重くだるく体中の節々が痛い。今週いっぱいはまだ出かけられないし無理は出来ない気がしている。

 今年も終わりが近づき様々な思いがある。勘三郎は死んでしまうし、選挙投票動向の調査では自公復調で、過半数に迫る勢いだとある。またもや政治は元の振り出しに戻るのか。
 金権腐敗と公共投資、大企業優遇、官僚天国、原発依存、消費増税の旧来型の日本型政治。それが今の日本人の民意、選択だとしたら、これでは3.11でなくなった人たち、故郷を追われた人たちは本当に報われまい。どうして全うな思いは政治に反映されないのか。
 様々な思いがわく。が、ともかく風邪を早く治して自分のできること、やるべきことを少しでもすめていくだけだ。

 去年にひき続き、また無頼庵では今年も忘年会&クリスマスライブイベントをやる。12/23日にしました。この日は午後は、「フォークソングのワークショップ」をやって、その後から忘年会としたい。
 その日は、あちこちでクリスマスイベント、ライブ企画があるかと思う。なので、当日はそうしたライブに顔出した後でも来られるようオールナイトでやることにした。大変だが、泊まる覚悟でどうぞお越しいただきたい。誰でも歓待する。酒と音楽でこの暗い世相を吹き飛ばしたい。

「地震大国日本」を忘れるなかれ2012年12月07日 20時33分05秒

★大震災の復興もまだ成し得ぬ最中の総選挙

 またかなり大きい地震が夕刻にあった。例によって平積みにしていた本の山が少し崩れたが、幸い被害はウチは何もなかった。でも岩手県沿岸中心に津波警報が出て東北地方の方々は避難に追われて一時騒然としたことであろう。大震災の被災地はようやく3.11から落ち着きを取り戻してきた矢先のまた大きな地震の再発であった。

 しかし、総選挙の争点から外された「被災地の復興」という大問題を今また知らしめるきっかけにはなったのではないか。いまだ故郷を追われて見知らぬ土地で家族離れ離れで暮らす人、家を失い仮設住宅で暮らす人、そして仕事も住まいも家族親族も失って生活再建のめどが立たない人が東北にはたくさんいるのだ。ガレキの処理、除染と除染した汚泥の再処理だってちっとも進んでいない。

 そしてこの程度の地震はこの国ではどこでも日常茶飯事であり、地震多発期を迎えた日本列島に活断層の上にあるのかはともかくまだ何十もの原発があり次の再稼働を待っているのである。新規建設も進めている。
 こうした地震がある都度、原発は今のところ関西の大飯以外は稼働していない「現状」にほっと胸をなでおろす人も多いに違いない。
 日本は世界でも有数の地震大国なのである。そんな国がすべきこと、できることはいったい何なのか。政治の課題は何なのか。

 首都東京でオリンピック誘致に熱中することではないだろう。そのために積み立てている金はまず緊急に防災やライフラインの補修点検、その維持に使うべきではないのか。今や中央道だけでなくこの国のインフラはどこもかしこも老朽化している。

 原発は即全て廃炉に、そして「国防軍」に金をかけるよりもまずは国民が日常的に安心して暮らせる防災上安全な国作りを進めることだ。対外的な脅威はその先の話である。消費税増税凍結もオスプレイ配備撤回も普天間移設もTPPも全てその流れにある。

 総選挙の争点はただ一つ。この国の国民一人一人が安心して暮らせる「安全な国」にしてくれるのはどの党か、どの議員かなのだ。

体調不良につき2012年12月07日 21時50分13秒

老犬バドおじさん
★今週末はじっとしてます。

 風邪は快方に向かっているはず、なのだが、咳はまだ残っているし喉も痛く息が苦しく、体の節々が鈍く痛くだるい。朝の気分は最低最悪であった。
 が、だからといってじっと寝てはいられない。今日は晴れて風もなく、楽だったがまた一日落葉掃きに追われた。庭の中はともかく、道に落ちた落ち葉をそのままにしておくと隣近所がキレて、「ご近所の底力」で町内会に諮ってウチの庭木はみな切られてしまう。
 だからご近所さんの寄って集まっての罵声を馬耳東風と無視し、そ知らぬ顔でともかく黙々と飛び散ったイチョウの葉を遠くまで掃き集めた。
 腰はますます痛いし疲労困憊、これではなかなか風邪も治らない。

 明日土曜日、今週末は関西より師匠や友人が詩の雑誌の集いで東京にやってくる。むろん自分も出向いて彼らと会う予定で約束もしていた。が、こんな調子ではとても不可能だと勝手ながらキャンセルさせてもらった。全く会わす顔がないとはこのことだ。
 その他、夜は夜で親しく、お世話になっているシンガーのライブにも顔出すつもりでいたが、それも諦めた。日曜も同様で、ともかくこの週末はまだ体調が戻らないので大事をとって出かけないことにした。じっさいイチョウにはまだ葉が残っているし外出は体力、時間的にとてもかなわない。
 そんなこんなで不義理をはたらくが、もう自分も若くない。御身大事でともかく体調を戻してからだと自らに言い訳している。親たちもちょっと風邪っぽいと今日になって言いだした。
 けっきょく家にいて、ともかく自分のできること、すべきことを少しづつでもやっていくしかない。
 無理を通せば・・・また年末や正月に寝込んでしまうだろう。

政治も歴史も旧に戻すべからず2012年12月08日 16時46分38秒

★歴史を前へ進めて行こう

 風邪は相変わらずである。体がだるいのはともかく咳がなかなか止まらないのが苦しい。親たちも今日はデイケアで不在だったので、薬飲んで一日断続的に寝ていた。
 今日も晴れて午前は穏やかだったが午後からの強風で庭のイチョウはほぼ舞い散った。もはや枝にはほとんど葉は残っていない。が、ウチの近隣界隈、北西からの強風の風下、東南側50m一帯に落葉は広く舞い飛んでしまいとても「回収」は不可能だ。ご近所の顰蹙をかってしまうが仕方ない。
 今年は慌しくて庭木はどれも一回も枝下ろし、丈ツメはしなかった。「社員」が待つの木から落ちて頭を強打し入院治療となったこともある。それがこの事態を招いた。来年はまず冬の間に、イチョウもケヤキもうんとこじんまりと切りそろえなければならない。


 さて、政治の話。
 衆院選投票日まであと一週間。当ブログをお読み頂いている方々は投票先を決められたか。一部の報道では自公復調、過半数に届くかとの先行予測である。選挙結果そのものではないがもしそうなったらいったいこの国はどうなってしまうのか。そもそも三年前の政権交代とは何だったのかということだ。元の木阿弥、自公にお灸を据えるために政権交代を国民は望んだのか。

 まだ投票日まで一週間あり、事前の投票動向調査で答えた方たちがそのまま自民に投票するか定かではないが、その心境はある程度推測もできる。
 思うに、ウソツキ公約破りの民主党にはもう政権担当能力はないと誰もがコリゴリであるし、期待の第三極も離合集散が甚だしく、どうにも胡散臭いし信頼できなさそう。ならば、やはり伝統ある自民党にまた政権を任せるしかないかという消去法的発想によるものではないか。何が何でも自民という強い支持ではないが、やはり政権担当能力だけみれば自公のほうがマシと何となく思うのであろう。

 そこには自民党が公約発表後このところの株価の上昇、円安傾向も関係しているようだ。つまり経済の側、市場は自民党の勝利を待ち望んでいると判断もできる。確かに民主党では緊縮財政が基本であり、それではダムや高速道路、箱モノなど公共事業でのゼネコン、大企業への大判振る舞いは期待できないからだ。

 しかし、ここでまた政権交代し、自公が国政を担うとするなら3年前の政権交代はいったい何のために起きたのであろうか。あれはバカな国民がその気はないのにマスコミに踊らされてついウッカリ投票先を間違えたのか。そうではあるまい。じっさい3年前の民意は、内外の山積する問題に対応できずにコロコロ次々代わる総理大臣と、長引く不況と収入の減少、自殺者増加と長年続いた自公政権に国民の多くがうんざり飽き飽きしていてその閉塞状況を打ち破るべく新たな政権に期待をかけたのでなかったのか。
 その2009年の総選挙での敗北後、自民党内からは「政・官・財が結びつき、経済成長で得た『果実』を国民に分配するような長年の自民党政治は、すでに『制度疲労』を起こしていた」という指摘も出て、時の選挙対策副委員長は選挙後のテレビ番組で、「自民党は長年、政権の座にいて、ぬるま湯の中にいた部分がある。国民の目線から遠くなっていた」と述べている。

 ではその「体質」は変わったのか。自民党の今回の「公約」や安倍総裁の発言からは、残念ながら新しく変わったのはより右傾化した部分だけで基本政策は何一つ変わっていないと思える。つまりより政・官・財が結びつき、そこに日銀までも巻き込んで、市場を操作し経済成長をはかるという画策である。だからまた公共投資と市場開放の強化となるだろうし、またもや小泉構造改革の再現だといえなくもない。むろんそれで景気が良くなっていくならケッコウである。が、仮に彼らが政権を奪還したとしても果たしてその旧来の手法で経済は再生できるだろうか。

 自民党および民主党の首脳陣たちは国民の多くが3.11の後、大きく意識が変わっていることがどうやら気づいていないらしい。自分も含めて知る限りの大衆は、経済成長よりももっと身近な命と暮らしの安全を求めている。むろん景気は良くなってほしい。正職に就きたいと願う。しかしもう今さら真夜中でも電気で昼間のように明るい街を求めてはいない。原発による電気に依存した大量生産、大量消費の暮らしから一線を画すようになってきた。
 つまり質素で素朴、多少は不便であっても放射能の心配のない、安心安全な食べ物と競争のない自然に囲まれた暮らしを求めている。そこには一時のヒルズ族のような勝ち組志向もないし、社会的成功よりも家庭の幸福に価値を重く置いている。そう人々の意識は3.11の前と大きく変わったのだ。今の人々は「金」そのものにはそれほど価値をおかない。

 だが、自民党の政策は相も変わらず財界、大企業優遇の金持ち、大企業本意のものである。彼らの求めで原発もすぐに再稼動させていく。低所得者層向けに何かしてくれるとは思わない。維新の会も同じくそこにあるのは、国による公的扶助よりも自己責任論だけで、維新にいたっては「最低賃金制度」さえもなくそうと目論んでいた。国としてはやがては生活保護制度、国民皆保険制度さえも撤廃したいというのが本音なのだろう。

 この16日投票の衆院選で自公が再び政権を奪還したとしてもすぐに彼らの政策と国民意識との矛盾が吹き出てくる。原発再稼動は自公に投票した人でも望まないし許しはしない。彼らは米国追従一筋だからTPPにもすぐに参加していく。オスプレイも全国の米軍基地に配備される。そしてまた、その国民との「約束」を裏切ったことの矛盾に政治は混乱していくことは間違いない。国民の怒りと失望はまた噴出していく。維新と組んで憲法改定に突き進む前に、まずは彼ら、歴史の歯車を逆回転させようと目論む奴らにNO!という審判を下さねばならない。

 まだ投票日まで時間はある。もう一度投票先を再考してみてほしいと切に願う。ほんとうに「私たちの望むものは・・・」。

改めて「忘年会イベント」のお誘い2012年12月09日 21時38分50秒

★今年は12/23日オールナイトでやってます。どなたでもお気軽に。

 人と人が繋がる、結びつくというのはそこに「縁」があるからである。その縁がない人とは人は会うことも関わることもまずない。
 それは直接の「出会い」でなくとも同じことで、偶然ふとしたことで切ブログを目にしたことから「縁」が始まることもある。良く会う人、縁がある人とは出先であっても偶然再会したりもするが、縁がない人とは偶然同じ場所、同じ電車や店の中にいたとしても互いに気づかない。

 このところ人間関係というものを良く考える。いろいろ家のことや親たちとのことがあってライブなど出かける機会が減ってずいぶん非社交的になってしまった。だからかつては親しかった人とも縁が切れ縁遠くなってしまった人も沢山いる。でもそれでも一部の人たちとは、数少ない機会でも会うことが多いし不思議に縁が続いている。

 ウチで何か催しを企画し、そのお知らせのハガキを出す。一応手書きで一筆したため「私信」のようなもののはずだが、かなりの確率で無視される。来れないなら来れないとメールで返信があれば良いほうでハガキは届いているはずなのになしのツブテ、全くの黙殺である。
 まあ、自分もそうしてきたことも多々あったし、単に事務所が送る宣伝のチラシ、同報メールならいちいち返信する必要もないとは思うが、こちらは個人でその人を想定して一筆したためているのである。何故無視するのか。
 でも最近は別にそれでもかまわなくなった。要するにその人とは「縁」がなかったのである。縁とは一方的にやいのやいの働きかけたって通ずるものではない。こらの思いと向こうの思いが一致して関係が生じてこそ縁なのである。
 だから何度かハガキやメールを出してもいっさい返信がない人はもう「縁」が切れた、いやそもそも「縁」はなかったのだと思うようになった。残念な気もするがそれはそれで仕方ない。それが縁のあるなしなのだとわかってきた。
 だから、最近ではあまり以前のようにやいのやいのとそうした宣伝もしなくなった。来る人はこのブログだけでも目にして来てくれるし、来ない人はどれだけハガキ出してメールしたって来やしない。むろん何故かすげジュールが合わず行けない、会えない場合もよくある。しかし、だとしたら自分ならその旨、相手には伝える。それもなしで連絡もないのだから向こうはその気がないのである。そもそも相手にとってこちらはそれだけの扱いで足るものなのだ。

 去年から始めた毎年恒例の忘年会ライブ、呑んで食べて話して唄って、ともかく一年の無事を祝いたいと思う。むろん同時期にあちこちで同様のイベント、ライブコンサート、集いもあろう。でも、そのどこにも行けない人、一も落ち着けない人もいるだろうし、本当に商売ではなくだらだらと長くいられて落ち着ける集まりは実際のところほとんどない。
 ウチは利潤を求める商売の店ではないし、かといって個人の家でもない。その日はオールナイトで開放して、誰も拒まず大騒ぎしてかまわない。無礼講という言葉があるが、無頼庵で無頼講でかまわない。
 縁の有無、縁とは自らが作るものであり自然にできるものでもある。縁あればまたそこから新しい何かが始まっていく。自分がまあ元気で、生きながらえている間は毎年、年末のこの季節には無頼庵忘年会&クリスマスイベントを続けていく。

 今年は23日午後5時頃から。その前に午後1時からフォークソングス・ワークショップをやっている。で、本イベントは夕方から始めて、お客がいれば一晩中、24日の昼まではやっている予定。ですので、他のライブの後でも来れたら何時でも来てかまわない。
 薪ストーブで今年も鳥の丸焼きを作る。手作りキムチや、料理も沢山作っておく。参加費は千円程度、持ち込み歓迎。呑み放題、食べ放題、唄い放題としたい。

 何でそんなバカなことをやるか。来てくれた方とは「縁」があり、「縁」ができる。その縁を大事にしてこれからに繋げていきたいからだ。その場からまた新しい出会いがあり何かが始まっていくと信ずる。それこそが「縁」なのである。