来たバスに乗るな・続き2013年03月23日 22時29分33秒

★素晴らしき哉、ボケ人生

 【前回の続き】認知症を患うマス坊の米寿となる父は、デイサービスの迎えの車と勘違いして病院の送迎バスに乗ってしまった。

 さて、どうするか。幼稚園の送迎バスや全く見知らぬ人の車に乗り込んだわけではないので行方不明になる心配はないが、問題は父を連れ戻すことと母の病院行きである。下手に動くとまたすれ違いになったりしてはぐれてしまう。
 気がついてすぐに病院の送迎バスの運転手の携帯に電話した。が、運転中は出ないのでともかく着くのを待つしかない。それにしても違うバスなのにどうしてヘンだと当人も誰も気がつかないのか。まあ、父もこの病院にかかることもあり、行くときはいつも母と一緒なので運転手も顔見知りだったに違いない。しかし病院に行く日ではないし介護施設のいつものお迎えのお姉さんもいない。なのに違うバスだと認知できない。病膏肓に入るとはこのことだと嘆息した。

 幸いすぐに病院から電話があり、これから父を連れてまたこちらに来るとのこと。それならば母はそれで病院に行けるしともかく父を確保できる。少し待っているとご足労ながら再度病院の送迎バスが着いた。父は憮然とした顔で降りてきた。
 訊けば、運転手の話だと、いつも乗る母がいないのでヘンだと思ったが、奥さんは乗らないのかと父に聞くと「婆さんは昨日行った」と答えたとのこと。そして当人は、病院行きのバスだと気がつかずに、どうもいつもとコースが違うなあと思いつつ気がつげは東中神の病院に着いて、ここからも介護施設に向かう誰か乗るのかと思いそのまま車内にいたら運転手に着きましたよと知らされて初めて間違えたことに気がついたらしい。

 来たバスに乗れ、と言われたから乗った、先に病院のバスが来たのが悪いと本人はお冠である。バスの形も車体に書いてある文字も違うが全く気がついていない。だいいち運転手も違うし乗っている顔ぶれも違う。しかし当人はそんなことには一切関心がないから間違えて乗ったことに着くまで気がつかないのである。もう何言ってもらちあかん。

 本人は、もう今日は行きたくないと駄々こね始めそうだったのでともかくうちの車に乗せてすぐに介護施設に搬送した。施設のお姉さんがすぐに「心配しましたよ」と出迎えてくれてさすがに本人は気恥ずかしそうな顔をしていたが、降ろしてすぐに自分は帰った。まあ、マス坊が自営業だから何とかなったが、父母2人だけでいたらたぶん今日は母は病院は行けなかったに違いない。

 で、その晩、父が戻ってから今日は向こうで荷をしたか訪ねたら「お習字!」だと言う。本人は習字なんてやったのはごともの時以来何十年ぶりだろうかと感慨深げである。が、正月明けにも向こうで実はやって、全く同じことを言っていたのは知っている。
 そのことを指摘すると「そんなバカなことはない。初めてやった」と何度も広言する。では今日はなんて書いたかと訊くと思い出せない。正月にも習字はやったはずだとの指摘に「お前達が勘違いしている」と怒り出す。仕方なく、その時書いた彼の習字、持ち帰ってきた何枚かを出して見せた。
 「天下泰平」と「健康第一」と下手くそな文字が黒々と書いてあった。本人はそれを見て、そうそう確かにこれ書いた、でもどうしてここにある!?としばらく悩み、ようやく記憶に全くないが、どうやら正月にワシは習字をやったらしい、しかも全く同じことを書いている、不思議だ!と認めた。

 認知症と暮らすのは万事こんな調子である。また人間の頭の中は実に不思議だと思う。昨日のことは覚えていないのに古いことははっきり覚えている。そのバスを間違えた介護施設は以前は土曜日に行っていた。それが曜日を変更して木曜にしてもらって日が浅い。金曜日に明日はなにすんの?と父に聞いたら「明日はデイサービスに行く」と即答された。で、確認すると、昨日・・・ワシは行ったのは昨日だったのかと、送迎バスを間違えた騒動もうろ覚えである。

 人は誰もが老いるとこうなっていく。呆けも周囲に混乱は巻き起こすが当人は全てが「何でも始めて」のことなのでなかなか楽しく刺激的もあろう。この話からもし何か得ることがあるとすれば、来たバスに乗るな、ということであろうか。いや、ボケ老人から迂闊に目を離すな、か。