無頼庵8月の予定2013年08月01日 21時51分56秒

★8/25日には{サマークリスマス}拙宅でやります!現在のアクセスランキング: 99位

 西日本日本海側・北陸での豪雨、九州・関西での猛暑、東北での長雨冷夏と全国的に異常気象の夏であるが8月に入りました。皆さんのところは大丈夫ですか。体調はいかがですか。

 東京ではこのところ梅雨明け直後のような高温にはならないが、湿度が高くもわっとしてともかく蒸し暑い。今日は特に蒸し暑く、買い物などで冷房の効いた建物から外へ出るとメガネが曇るほどの湿度には呆れた。気温は30度ちょっとでも体感の暑さは猛暑並である。
 暑さとは、外気温ではなく、実は湿度の高さなのだと知った。晴れて単に気温が高いだけならば日陰や室内にいればやり過ごせる。だが、湿度が高い暑さは、家の中のほうが風がない分より蒸し暑く、夜になってもちっとも涼しくならない。よって冷房に頼るしかない。こういう暑さが一番体にこたえる。まだまだ夏は続く。皆さまご自愛ください。

 さて、今月8月の無頼庵の予定。

・月一例会「三留まゆみの映画塾」は8/18日。今回のお題は「怖い映画の話をしようPart2 大ゾンビ 映画塾」である。
 納涼大会にふさわしく、怖~い映画を持ちよって暑さをしのごうというオモシロ企画。※代金、時間共いつも通り。

・そしてそれとは別に、一週間後の8/25日は映画塾番外編「サマークリスマスat無頼庵」と題して、特別企画「2013年無頼庵サマークリスマス~検証、林美雄とその時代」をやります。

 開場:午後3時半
 終了:午後9時半頃
 参加費:¥3000 ※飲食費すべて込み 当方儲けなし、酒類持ち込み歓迎!

※ハヤシヨシオ的メモリアルクラブ会員以外の方もどなたでもご自由にご参加ください。ただし、予約制とします。席に限りがあります。参加希望者はぜひお早目に予約お願いします。先着順とします。★特別豪華ゲストあり
 
 予約&問い合わせ:三留まゆみ、https://www.facebook.com/mayumi.mitome
 マス坊、または拙ブログのコメント欄にお名前と連絡先など書き込んでください。おって確認の返信します。

・「フォークソング講座」は夏休みなので今月はお休みしますが、ギター教室はやります。日程が出たらまたお知らせします。こちらもお気軽にご参加を。

 ではどなた様もお気軽に拙宅無頼庵で集い語らい、歌い呑んで歌って騒いで不穏不快な夏をブッ飛ばそう!!

憲法を変えるにゃナチスに学べと三代目2013年08月02日 09時19分30秒

★改憲派の「本音」がまたもやポロっと出た。現在のアクセスランキング: 114位

 これはもう失言、誤解の範疇ですまされる事態ではないと思う。内閣副総理、麻生太郎氏の「ナチスに学べ」発言である。

 あの櫻井よしこ女史を座長とする右派シンポジウムで語った内容だとしてもこれはあまりにひどい発言であり、すぐさま近隣アジア諸国のみならず米国ユダヤ人権団体、西欧諸国と内外、世界中から糾弾、批判された。

 麻生氏はその大騒ぎを見てすぐさま「失言」であり真意は誤解されたと撤回した。彼はいう、「喧騒にまぎれて十分な国民的理解及び議論のないまま進んでしまった悪しき例として、ナチス政権下のワイマール憲法に係る経緯をあげた。私がナチス及びワイマール憲法に係る経緯について、極めて否定的にとらえていることは、私の発言全体から明らかだ。ただし、この例示が、誤解を招く結果となったので、ナチス政権を例示としてあげたことは撤回したい」とナチス肯定発言の火消しに大わらわである。

 だが、彼の今回の発言は報道された発言要旨の文面を読む限り自分にはどう考えても「ナチス及びワイマール憲法に係る経緯について、極めて否定的にとらえている」とは読み取れない。

 その場の話の流れがわからないので断言すべきではないと考えるが、報道される限りにおいて麻生氏はこう語っている。

 「ドイツのヒトラーは、民主主義により、きちんとした議会で多数を握って出てきた。選挙で選ばれた。ドイツ国民はヒトラーを選んだ。ワイマール憲法という当時ヨーロッパでもっとも進んだ憲法下で出てきた。憲法が良くてもそういったことはありえる」。 さらに靖国神社参拝で諸外国が騒ぐのははマスコミのせいだとして、「憲法の話を狂騒の中でやってほしくない」と、「ワイマール憲法もある日気が付いたらばいつの間にか変わっていた。誰も気がつかない間に変わった。あの手口を学んだらどうかね。みんな納得してあの憲法は変わっているから。僕は民主主義を否定するつもりもまったくないが喧噪の中で決めないでほしい」と語ったと記録されている。

 文脈を読む限りどこがナチスを「極めて否定的」にとらえているのだろうか。誰が読んでもこの発言は額面通りに、憲法を変えるのは、(国民の)誰にも気づかれないようナチスのやった「手口」に学ぶべきだと言っているではないのか。そこにはナチスを否定するどころか評価しているではないか。

 じっさいにナチスがやった手法、つまり「手口」は、強権と謀略でまんまと憲法を変えたのであって、決して「いつの間にか、誰も気がつかない間に変わった」のではないことは多少の近代西洋史を学んだ者ならだれでも知っている。が、そんなことはともかく、彼はナチスに学んで日本でも国民的議論が高まらないうちに、「いつの間にか」「誰も気がつかないうちに」粛々と憲法を変えたらどうか、と言ったのである。これが単なる一政治家の失言ではなく、それも日本国副総理による世界的影響を及ぼす大きな「問題発言」なのは海外の報道で歴然としている。失言と撤回ではもはやすまされない。

 このナチスに学べ発言には、当然のことながら野党のみならず与党内公明や自民党内からも批判する声が上がっていた。それが常識、良識ある政治家の示す態度であろう。ところが唯一彼を擁護する政治家もいた。維新の会代表、問題発言の先達橋下大阪市長である。彼は「ナチスドイツを正当化した発言では決してない。国語力があれば、すぐわかる」と市内の記者団に答え「かなり行き過ぎた、ちょっと度のきついブラックジョークというところもあるのではないか」として「憲法改正論議を心してやらなければいけないという趣旨だったのではないか」と全面的に麻生氏を擁護している。

 例によって彼特有の表現で「(ナチスを正当化しての発言でないことは)国語力があれば、すぐわかる」と決めつけているが、マス坊もこれでも物書きの端くれとして国語力は多少はあるつもりでいたが、ちっともわからない。麻生氏はナチスに学べと言っている。ナチスを評価しているとも読める。俺はバカなのかなのか。これをブラックジョークだと捉えられる橋下氏の国語力を疑ってしまうのは俺一人か。海外に向けて臆面なく「ブラックジョークでした」と言えるのか。西欧ではナチスに関してはブラックジョークですら題材にするに憚れることを知らないのか。

 先の橋下氏の「従軍慰安婦容認」発言も同じだが、こうした無見識な政治家による暴論、失言、それも国政に大きく関与する立場の要人の問題発言はどれほど世界に「日本発」として悪影響を及ぼすか彼らは考えないのであろうか。愚かでありうかつすぎると考えるのは憲法改定論者だって同感であろう。橋下氏に至っては取り消すどころか、今もマスコミによる誤報だと言い張っている。

 こうした愚か者たちが日本国憲法を変えたいと願っているのである。先の石破氏による「国防軍創設時には、軍事法廷において命令に従わない者は死刑」発言もだが、いったい彼らは憲法を変えてどんな国にしたいのかそれは今だってみえてくるではないか。

 麻生氏はよく知られるように吉田茂元首相の孫である。吉田茂については毀誉褒貶あれこれ言われているが、少なくとも終戦処理と戦後復興に大きく尽力した平和主義者であったという側面もよく語られる。
 現在の日本国憲法には、時の内閣総理兼外務大臣 吉田茂 と以下、各大臣14名の名が連署されている。ある意味、麻生氏の祖父である吉田茂氏こそ平和憲法の生みの親なのである。

 麻生氏がその祖父を思い、憲法改定反対の論を張るならば理解もできる。ところが、よりによって憲法を変えるには誰も気づかないうちに、ナチスドイツの手法に学めばよいと言ったのである。何たる孫であろうか。

 タイトルの「憲法を変えるにゃナチスに学べと三代目」であるが、お分かりの通り、「売り家と唐様で書く三代目」という江戸川柳のもじりである。
 
 初代が苦心して財産を残しても、3代目にもなると没落してついに家を売りに出すようになるが、その売り家札の筆跡は唐様でしゃれている。遊芸にふけって、商いの道をないがしろにする孫を揶揄しての歌である。継いだ政治家の道を失言と放言、問題発言でないがしろにし祖父が築いた日本国憲法と平和主義をナチスに倣って改定、否定するとはいつの時代も三代目なのだと呆れはてる。さぞや土の下の吉田茂も嘆いていることであろう。

 もう政治のことは書きたくない気持ちでいたが、どうしてこの発言が見過ごされようか。
 ♪あ~あ~やんなっちゃった。あんがあんがあんが驚いた~。

「あの手口」ってどんな手口? 麻生副総理のナチス発言再考2013年08月03日 16時14分14秒

★これのどこが「問題発言なのか」という声に対して。 アクセスランキング: 141位

 前回書いた麻生氏の発言に関して再度補足的に書く。自分なりに再考してみた。

 ネットの世界では理解しがたいことだが、彼のナチスに学べ発言について「問題ではない」「大騒ぎするマスコミのほうがおかしい」という意見が多いようだ。批判もせいぜいナチスを例に出したことだけが不適切だと。
 そもそも彼はナチスを擁護していないしそんな発言はしてないとは文脈からすぐわかるのだという。橋下氏がいう「国語力」の問題で自分はバカだからちっともそれが読み取れないのかと昨日からずっと考え続けていた。自分が書いたことが間違っているのかとも悩んだ。
 
 確かに新聞記事、それも発言の要約をまとめたものだけだと、氏の言うように真意が誤解される可能性は高い。なぜなら言葉というのは話の流れの中で出てくるもので、そこだけを抜き出すとよく伝わらないものだから全く逆に受け取られることも多々あろう。

 ゆえにそのときの「講演」じたい聞いていない者が文字に起こされた、しかも要約や言葉の抜粋、言葉じりだけを捉えて彼をナチス擁護者だと断ずるのは適切でなかったかもしれない。
 これは自分の国語力、読解力、理解力不足なのかと考えもした。そしたら知人から麻生氏がその日話した講演そのものが一部ではあるがユーチューブに上がっていることをお知らせ頂いた。実に有り難い。それもまたナチス発言に関するごく部分でしかないのだが、当日の様子、会場の雰囲気ははっきりと理解できた。

 http://www.youtube.com/watch?v=SrnQREcDNJM

 これを聞いてわかったことはそもそもこれは仲間内の放言、悪く言えば単なる与太話なのである。きちんと脈絡立てての「講演」ではなく、気の合う仲間、つまり同じ思想信条を有する聴衆を前に、彼特有のくだけた、ざっくぱらんな物言いで、ただ好き勝手なことを思いつきでサービス精神いっぱいで話しているにすぎないものと言えよう。内容もさほどなく論旨も乱れてよく伝わらない。雑談の域であろう。その意味でこんなに大騒ぎするほどの問題発言ではないという意見も理解できなくはない。

 ただ、彼にとって怖いのは、スパイというわけではないが、こうしてその件が録音されそれが誰でも聴けるよう世界中にアップされているように、そのシンポジウムには雑談のような与太話でもすぐさま報道した者がいたということだ。そして当然世界中からこの発言はナチス擁護と批判糾弾されることとなる。

 麻生氏を弁護するわけではないが、youtubeの音源と朝日新聞デジタルヘッドラインなどに載った、その一連の話を全部起こした要約ではない文章を読んでようやく彼の言いたいことが何であるか自分もある程度少しだけは理解できたかのように思う。以下それについて書く。

 まず彼は前段で、ナチス・ヒトラーは合法的にワイマール憲法下、選挙で選ばれ登場してきたことを話している。当時進んだ良い憲法下でも合法的に登場し権力を掌握したのだ、ドイツ国民はナチスを自ら選んだのだと語る。

 そして、今どきの国民の意識や若者たちについての話から自民党の改憲草案に話が及び、憲法改正は静かに、みんなでもう一度考えてほしい、(自民党の)俺たちが何十時間もかけて作り上げた改憲草案なのだから、「私どもは狂騒の中、わーっとなったときの中でやってほしくない」と述べ、

 次いで、その流れで話は靖国神社参拝に及ぶ。

 「静かに参拝すべきなんですよ。騒ぎにするのがおかしい」のだと、自らも含めて昔は政治家は誰もが行っても問題にならなかったのに、「いったいいつから騒ぎにしたのか。それはマスコミだ」(賛同の拍手)。
そして問題の発言が出てくる。
「騒がれたら、中国も騒がざるをえない。韓国も騒ぎますよ。だから、静かにやろうやと。憲法は、ある日気づいたら、ワイマール憲法が変わって、ナチス憲法に変わっていたんですよ。だれも気づかないで変わった。あの手口学んだらどうかね」 。

 要するに彼がもっとも繰り返す「喧噪はよくないこと」と合わせて発言の中で問題化した部分「ワイマール憲法もある日気がついたらばいつの間にか変わっていた。誰も気がつかない間に変わった」とは、話の流れからすると、ナチスは喧噪、騒ぎのさなかに乗じて(どさくさにまぎれて?)憲法を改正したのだという意味だと捉えられなくもない。ゆえに何度も繰り返す「狂騒、喧噪の中で憲法を決めないでほしい」とはナチスを批判してとの説明も成り立つ。
 しかしそうなると理解に苦しむのは「あの手口学んだらどうかね」 の部分であろう。会場からは軽い笑いが起こっている。
 麻生氏側の立場で考えれば要するにこれはギャグ、まさに受け狙いのブラックジョークなのだと捉えられよう。つまり、笑いをとるために、あえてサービス精神で露悪的なギャグを付け加えたのだと。

 そして話は「わーわー騒がないで。本当に、みんないい憲法と、みんな納得して、あの憲法変わっているからね。ぜひ、そういった意味で、僕は民主主義を否定するつもりはまったくありませんが、しかし、私どもは重ねて言いますが、喧噪(けんそう)のなかで決めてほしくない」と話は結ばれるわけであるがここでも「みんないい憲法と、みんな納得して、あの憲法変わっているからね」の部分は自分には意味不明である。
 ナチスが喧噪の中で誰も気づかないうちに変えた憲法がどうして「良い憲法だとみんなが納得した」のであろうか。これは「ナチス憲法」の擁護ととらえられても仕方ない発言ではないのか。

 我に国語力が不足しているのか理解力に欠けるのか、誰かはっきりとこの発言の意味を納得いくよう説明してもらえないか真に願う。あるいはきちんと国会喚問で、この発言の真意を言葉一つ一つご当人から説明願いたいと強く願う。特に聞きたいのは「あの手口に学べ」の手口である。いったいどんな「手口」なのだろう?

 彼の発言は支離滅裂とは言わないが、要するにただ次々思いつくまま話しているだけだから脈絡なく言いたいことがそもそもよく伝わらない。まあ、自分も含めて雑談とはこうした自分だけはわかっているつもりの意味曖昧なものであるとは思う。何となく言いたいことの雰囲気だけは伝わる。が、日本国第二のVIP。副総理なのである。発言内容も語り口もすべてがあまりにお粗末であり、思慮に欠くことは誰もが同感するものと信ずる。

 憲法改定の問題は喧噪のさなかにどさくさに紛れて勝手に変えて良いはずは当然ない。もっとじっくり静かに国民的議論を重ねねばならない。それは麻生氏の意見に深く同意する。しかし、彼が問題とする、まずその「喧噪」とは何なのか。靖国にしろ、皆わーわー騒ぐのはマスコミのせいで、マスコミが報じなければ近隣アジア諸国は騒がないとでも言いたいのだろうか。

 そもそも何で政治家の靖国参拝が他国との間で問題化するのであろうか。それは国内問題であり、韓国や中国が騒ぐほうが悪い、おかしいと国外的にも強く抗弁できるのか。お前ら、ほっとけ、と言えるのか。彼らが騒ぐのには騒ぐ訳があろう。従軍慰安婦問題もしかり、このナチス発言も世界中で騒がれた。それすらも靖国参拝と同じく「騒ぎにするのがおかしい」と言うつもりなのか。

 麻生氏の発言を自分なりにできるだけ彼の立場で好意的に考え直してみた。いくつかは彼の説明も受け入れてみた。しかし、やはりよくわからない。どう考えても理解できない意味不明なことばかりだ。いったい彼はそもそも何が言いたいのだろうか。憲法改定も靖国参拝も内外どこからも騒がれずに静かにやりたいということだけなのか。
 ナチスのように「誰も気がつかないうちに」憲法を変えたいと望んでないとしても、ナチスの「手口」、つまり強権独裁体制にシンパシーを抱いているように思えてしまうのは自分だけか。
 
 昨日から何度も何度も発言を読み返した。それにしても麻生氏はあまりに言葉が足りなさすぎる。彼の言いたいこと、要旨は説明不足でこちらに伝わらない。彼はベテラン政治家である。しかもかつては短期間でも日本の首相経験者なのだ。いくら仲間内の集まりだとしてももう少しきちんと言葉を選んで自らの言いたいことをしっかりと聞き手に伝える努力をすべきではないのか。それができないのならば政治家として不適格ではないか。政治家には誤解されたならば発言撤回だけでなくそもそもそれはどういう主旨で話したのか再度真意をきちんと説明する責任と義務があろう。

  ただ、一つだけ言えるのは、何であれ、どのように説明しようとも、公人、しかも日本国ナンバー2の政治家が、身内の集まりであろうと、冗談としても「ナチスに学んだらどうか」とは口が裂けても言ってはならなかったということだ。それだけでも彼は政治家失格なのである。これまでさんざん失言を繰り返してきたのに何も学んでいない。全くもってウカツである。日本はまたも国際的信頼を失った。すぐに辞職してご先祖の墓参りに行くべきだ。

 みんなの党の渡辺代表はマス坊と同様に祖父をひいて麻生氏を強く批判していた。思想的には相容れないが、個人的には彼の発言には共感をおぼえるところが多いこともここに記しておく。

 この問題、国語力の足りない自分にはわからないことばかりだ。読者の皆さんのご意見と見識をうかがいたい。

言葉を大事にし伝える努力を2013年08月04日 08時19分21秒

★わかる人にはわかる、伝わる人には伝わるでは・・・ランキング: 128位

 麻生氏の発言について、一昨日昨日と書いてきた。結局のところ、ネット右翼の方々の国語力が高いのかはともかく、麻生氏の発言の解釈の、世間の大勢はやはり最初にマス坊が理解したようなものに落ち着いたようだ。
 当人はあくまでも誤解された、真意はそこにないと思っているだろうが、ならばこそどんな集いであろうとも政治家は常に自らの発言に深く注意を払い、誤解されないように言葉を選び正しい考えが聞き手に伝わるよう努力をしなければならないのである。
 そのことは、政治家だけの問題ではなく、自らも含めて話すことだけでなく、書くという作業もまた「伝わる」「伝えていく」ということに細心の中を払わねばならないのだと深く思い至る。

 麻生氏の「問題発言」であるが、勝手ながら彼の真意は私解釈だとこう捉えてしまう。

 憲法を変えたい。変えるためには靖国参拝のように、内外からわーわー騒がれ国論を二分するような喧噪、狂騒のなかでは変えたくない。願わくばナチスがやったような手口、つまり誰も気が付かず、気が付いたらいつの間にかそっと憲法は変わっていたという手法ができれば望ましい。さらにそのときその新憲法を国民皆が納得し「良い憲法」だと認めてほしい。

 ということになる。そこには彼がナチスをどう捉えているかは別とする。想像だが、ナチスを擁護する気持ちはなくとも心底にはナチスの強権政治に対する憧れのような気持ちもあるように思える。それが根底にあったからこそ、ぽろっと「あの手口に学んだらどうかね」という「本音」がうっかり出てしまったように思える。

 しかしこれはあまりにもご都合主義というか、虫のいい願望だろう。自民党内で草案を作った時だって喧々諤々の議論が噴出したと当人が語るならば、改憲に際してはそれ以上の喧噪が起きても当然ではないのか。それを騒ぐことなく静かに、願わくば「誰も気が付かないように」変えてしまいたいと願うは身勝手でありそれは国民が許さない。

 ただこれはあくまでも筆者の「私感」である。どう捉えるかは人それぞれであろう。これが「誤解」だとするならば麻生氏は簡潔な撤回声明を出すだけではなく、記者会見及び国会などできちんと本当の考え、真意を大衆に向けて説明すれば良いだけだ。
 それをしないということはこれ以上口を開くとまたも歪んだ考えや「本音」がぽろっと出てしまうかもしれないからだろうと勘ぐってしまう。

 よく、「わかる人にはわかる、伝わる人には伝わる」という言い方がある。これは発言にしろ書いたものにせよ、音楽にせよ、全てに当てはまる。確かにそのとおりである。
 が、だからといって、伝える努力、わかってもらう努力は放棄して良いということには当然ならないはずだ。自分も物書きのはしくれとして、プロでなはないがあちこちでこうした駄文拙文を書いている。
 そのとき先の、「わかる人にしかわからないだろうなあ」という気持ちがいつもわいてくる。いくら懸命に書いたって伝わらない人には伝わらない。それは読む、読まれるという次元とはまた別の話。

 しかし最初から読み手にわかるように、伝わるように書く努力を少しでもしない限りもっともっと伝わらない。それはすべて同じであろう。話し手は聞き手を、書き手は読み手を意識し、こちらの考えや気持ち、伝えたいことを一人でも多くの人に正確に伝えたいと願う。言葉だって音楽だって何だって同じだ。例外として勝手にどうでも解釈してください、という芸術もあることはあるが、人が社会生活を送るうえで必要不可欠なことはこの「伝達」能力の精度を高めていくことなのだと信ずる。

 そしてそのことが最も必要な職業が政治家だということに異論を唱える者はいない。政治家こそ自らの思想信条、政策、考え、歴史観などを選挙の時だけでなく常日頃から大衆に語りかけ理解を求める仕事であろう。有権者はその発言や書いたもの、公約、じっさいの活動行動などからその人を判断するのであるのだから。

 ところが、先の橋下氏といい、常に思い付き的突発的に耳目を集める「発言」をし、それが大きく報じられ、ときに「問題発言」化すると撤回、もしくは謝罪、またはそれすらもせずにマスコミの「誤報」だと開き直る。
 思うにその考えが絶対正しいと信ずるならば、一方的に報道陣を前に自らは悪くないマスコミの誤報だとまくしたてるだけではなく、逆の考えの反対論者と公開討論の場を設けて聴衆を前にし時間をかけ堂々と自らの歴史観の正論を張れば良いではないか。そうした公開討論こそが弁明以前に主義主張の場であろう。ディベートの達人を標榜する氏がどうしてそれをしないのか。

 麻生氏といい橋下氏といい政治家は常に一方的に身勝手な思い付き的「失言」はするが、その後の言葉の責任をとらない。誤解されたと言うならばどうしてきちんと発言の真意を長々と皆にわかってもらえるよう、伝わるよう説明努力をしないのかと訝しむ。

 政治家だからこうした無責任な発言、放言が許されるのかと思ってしまう。国民から選択された政治家こそ言葉を大切にし、自らの思想信条、そして歴史観を、それが正しいと信ずるならばこそ国民に伝える責任がある。それができない、労を放棄する者は政治家たる資格はない。

メディア・リテラシー考2013年08月05日 19時35分41秒

★msn産経新聞ニュースはあまりに右傾化している

 世の中には何事にも敵意と悪意をもって臨む人がいる。その反面、融和と寛容をモットーとし全てに謙虚かつ温和な人もいる。そのどちらが人として正しいとか善だとは問題としない。ただ、もめごとや争いはどちらのほうが起こりやすいかは誰だって想像がつく。敵意と悪意の人である。最初から相手方に対して憎悪感のような気持ちで向き合えば、当然のこと向こうもカチンとくる。それはどちらが先かという問題ではない。対処するスタンスについて言っている。争いが起こるにはワケがある。

 パソコンをウインドウズ8の入った機種に新しく変えてから、インターネットのトップページはmsnのそれとなってしまった。むろん自分でカスタマイズして好きなホームページを起動したとき最初に開くページにすることはできる。
 ただ、そんなのどこでもかまわない、どうせざっとその日ごと入ってきたニュースをチェックする程度なのだからどこだって同じだと思っていた。しかし、このところのmsnのニュース、それは産経新聞の報道を元にしているものなのだが、あまりにひどいのでうんざりした。読んでいて吐き気がしてきそうだ。これではネット右翼の主張とほとんど変わらないと自分には思えた。

 むろん報道というのは常に公平平等でなくたってかまわない。新聞各社それぞれの立ち位置、スタンスはあって然るべきだと信ずる。つまり体制寄りのそれと、反体制側のそれがなければ総体として正しいマスコミ、メディアとは呼べなくなってしまう。しかし、元々産経新聞というのは近年は大手数紙の中でも右翼的言質が目立ち、基本反体制、左翼側にいると自認する自分とはその考え方は全く相容れない。これはどちらが正しいという善悪の基準で言っていない。産経的考え方をも自分は容認するしときに評価する記事だってままある。

 が、この新聞というか、ネットで読む、いや、嫌でも毎日目にしてしまう「msn産経新聞ニュース」とは、基本方針が強い嫌韓反中であり、原発容認、消費税増税そして「憲法改正」を早くしろとの大合唱である。そして安倍首相の登場回数もやたら多い。はっきり言って、だれが 見てもこのニュースは政府自民党の太鼓持ち、もしくは右翼的論者の巣窟といっても言い過ぎでないと思う。

 そこでは近隣韓国中国は常に無法で愚かであり、北の非道は別格としても悪意をもって、在日の人の言葉を借りてさえ(向こうが)「異常に反日感情を煽り立ている」と報じている。その無法をゆるすなと説く。
 まあ、報道というのは何を取材しどう報道するかは個々の記者と編集サイド、そして会社の権利であるのでそれもまた許される。しかし何より問題としたいのは、こうしたかなり偏向した報道姿勢のサイトが、もっとも利用者の多いパソコンOSのトップページにデフォルトとして、つまり基本設定として組み込まれていることだ。

 はっきり言って知る限り、産経新聞を身近でとって毎日読んでいる人はいない。産経は今は右傾色強い一部の特殊な新聞であり一般紙ではないと思える。それは日刊赤旗だって同じだろう。それぞれの報道姿勢があり購読する人は限られる。それはそれで何ら問題ない。それぞれにとっての真実があり、報じるべき事実があるのだから。

 その赤旗新聞がデフォルトとして、買ったパソコンのOSに最初から組み込まれていて使いだすとすぐ読むことになっていたらいかがなものか。問題だと騒がれるに違いない。左に偏って偏向報道だと。msn産経新聞ニュースはその例えと同じく、右への偏向が甚だしくこの会社とMsnが組むことは大きな問題だと思える。※それはどちらが真実を報じているかではない。自分は赤旗と東京新聞はその報道姿勢を高く評価している。メディア・リテラシーについてのことを書いている。

 産経では、日本をダメにしている愚かな左翼マスコミとしてやたら朝日新聞、ときに毎日をも攻撃するような記事、論が載る。自分は今の朝日が左翼だなんて全く思わないが、朝日よりももっと左だとおそらく誰もが認める「東京新聞」を無視するのが良くわからない。部数も少ないから赤旗と同じく衆寡敵せずという気持ちなのだろうか。
 右翼が悪、左翼が善、あるいは左翼は民主的だなんて簡単にくくれないことはもはや言うまでもない。しかし、右傾化した報道内容を無意識的に、パソコンを開くたび目にしていれば、紙の新聞やメディアを目にしない若者たちはいつの間にか右に偏向している産経新聞的意識、右翼思想に染まっていくだろう。それが怖い。

 ネトウヨというのは、ネット右翼という意味なのだそうだが、何故にネットの世界では一般社会とはだいぶ隔絶して右翼的な発言がやたら目立つのかようやく少しわかった。。デフォルトとしてウインドウズのパソコンにmsn産経新聞ニュースが組み込まれている限り、こうした思想はごく自然に定着していく。
 報道とはつまるところバランスなのである。各新聞社、報道機関ごとに恣意的に独自の姿勢でモノゴトを報道して何も問題はない。しかし、様々な報道機関があり、一つの事実に対しても多面的な見方、報じられ方があることを読み手は知り理解しなければならない。
 いたずらに反感反中感情を煽り、改憲を鼓舞する報道機関は正しく社会の木鐸ではないと自分は考える。それは政府自民党の御用聞きであり、財界大企業のスピーカーでしかない。真実をできるだけ公平に報道するという報道の原点から逸脱している。

 最初の喩に戻れば、近隣アジア諸国との間で双方のマスコミが互いに敵意と悪意をもって相手国を非難し愛国心を掻き立てるような報道に熱中すればやがては外国人排斥と暴動、さらには武力衝突、戦争へと向かうことは間違いない。先の大戦の前、日本の報道機関は統制され、新聞紙面は常に米国ら西欧列強を非難する言質で埋め尽くされた。産経よ、赤旗はともかくも東京新聞を見習えとは言わないが、国の立場に立つのではなく国民の立場でモノを言う新聞になってほしい。

 世界は多様化している。他民族が同時代に狭い地球でひしめきあって生きている。愛国心とは自分の国だけ、自らの民族だけを愛することではないと信ずる。自分は日本が好きだ。深く愛している。それはそこに住む外国人もすべて含んでいる。友好的に付き合わなくてはならないのは欧米人だけではないはすだ。

新しい一日が・・・2013年08月07日 05時57分02秒

★歴史は進歩しているのか。 現在のアクセスランキング: 128位

 朝である。今日も暑くなるとの予報だが、陽が高く上る前の今頃はまだ涼しい。これが7時頃になると陽が高くなり犬の散歩でも汗だくとなってしまう。

 昨日は夕刻にかなり強い雨が一時降った。まったく予期しないゲリラ豪雨ではなかったが、このところの常套句「ところによって注意が必要」の「ところ」に当たったようで、瞬間的にはパニックに陥るほどの雨量が一気に降った。

 昔から夏の午後には夕立があるものだが、最近のそれは「夕立」なんてのどかな表現が当てはまらない。一時間で100ミリなんてほどの豪雨があちこちで起こる。そうなると傘など役に立たない滝のような強さで降るし下水処理だって間に合わない。昔はそんなことはまずなかったように思う。これも地球規模での異常気象の一つなのだろう。
 おまけに必ずカミナリも伴う。雨が吹き込まぬよう家中の窓をすべて閉めて、パソコンなどの家電の電源を一つ一つ切りコンセントも抜かねばならない。家にいるからだが、夏はいちいち面倒なことだと思う。

 夜が明けて朝が来て、また日が沈み夜となる。こうして一日一日が繰り返される。それが「時」、時の歩み、時間が進んでいくことだ。しかしその一日は常に新しく、昨日と同じに思えても常に全く新しい。そこに同じ日は絶対ない。

 生まれてきた者は日々少しづつ成長し、大人は日々老いて死に向かっていく。いや、全てのものが生まれてはやがて消えていく。個人がそうであるように、総体としての人類も社会も文明もまた然りである。

 何が起きようが人類は進歩的に発展していくのだと説く学問もある。それはニンゲンという生き物に強い信頼を置いているからだと思う。いっぽうひたすら破滅に向かって人類は突き進んでいるという考えもある。有限な資源である地球上にこれだけの数の人間が増えてしまったこととその人類を滅亡させるのに事欠かない危険な科学文明=核兵器などを手にしたのだから未来は絶望的だという。

 バラ色の未来と悪夢、そのどちらになるかそれは誰にもわからない。ガクモンというのはそれを研究し予測し様々な処方を練る。そして政治家たちは実際に日々政治を、社会を良かれと考え動かしていく。その政治家たち、つまり為政者を選ぶのは今の時代は国民一人ひとり、つまり人間個々の個人だということになっている。昔は王族など一握りの支配層がすべてを決めていたが。

 未来はいったいどうなるのか、それは学者でも政治家でも誰だってわからない。この文明がいつまで続くのか未来に何が待っているのか神のみぞ知るである。
 しかしただ一つ確かなことは一日いちにちが繰り返され、それは常にあたらしい一日だということだ。人類が滅亡しようとそれだけは変わらない。

 夜が明け陽が昇り、一日がまた始まる。今生きている我々には昨日と同じ一日がまた始まったに過ぎない。何も変わっていないように見える。しかし、確実に細胞は老い、全てのものは朽ち、ときに成長もし刻々変化していく。ただ人の意識がそれについていかないだけだ。せいぜいルーティンワークと化した「生活」を維持するだけで一日が終わってしまう。しかし何も変わっていないように見えても昨日の自分はここにはいない。

 そんな風にして人は生まれ成長して子孫を作ったりしてやがては老い死んでいく。一日一日陽は上りまた沈み時は過ぎゆく。

 色即是空、空即是色、仏教が説くすべてが無だとしたらいったい人生とは、生きているとは何なのだろう、どんな意味があるのかとよく考える。
 しかし、こんな時代に、こんな自分が生きていることだけは確かな現実である。それは誰にとっても同じこと。そして全く偶然はない。ならば、そこに意味があるはずだし、時代との関わり、役割があるのだと思える。
 たくさんの者たちが自分より若く、思い半ばで死んでいった。ならぱこそ死んでいった者たちの分もしっかりときちんと生きなければと考える。

 蝉が鳴きだした。今生きている蝉は暗い土の中で何年も何年も気の遠くなるような時を過ごしてこの夏地上に出てきた。そして夏が終わる前数週間ですぐに死んでしまう。ずいぶん無意味な無駄の多い生き方だと思わざるえないが、その地上に出てきた蝉の見た世界、現世はさぞや素晴らしいものであったと信ずる。
 我々も現世にいる間に、一日一日、新たな一日を新たな思いで生きなくてはならない。ただ繰り替す、現状維持だけにあくせくしてはならない。

 一日一日が新しい。歴史が進歩しようと破滅に向かおうと人は新たな気持ちで新しい一日を生きていく。すべてはその先に待っている。希望はそこにある。

詩朗読の集い、参加者募集!秋から始動2013年08月07日 21時09分43秒

★声に出して「詩」を読むということ

 無頼庵ではこのところ「三留まゆみの映画塾」は順調好調で、毎回常にほぼ満席の常連客でにぎわいを見せている。
 一方、フォークソング講座は、参加者は入れ替わり少人数1~2名で、じっさいのところもはや先行きが見えないような状況だ。これも自分、マス坊の不徳の致すところだと反省しきりである。状況は適切な例えではないが、映画塾が先の選挙での自民党だとすれば、フォークは社民党ら弱小野党だと言ってよい。ここから巻き返しができ共産党ぐらいまで盛り返せたらなあと夢想するが手だてが何も思いつかない。

 で、マス坊としてはあまりに悔しいので、映画に勝とうとか勝てるとは思わないが、新たな企画を立てることにした。それは「詩朗読の会」である。

 自昨詩朗読の「生活語詩」運動を提唱されている世界的に高名な京都の詩人・有馬敲氏のかばん持ちを任じている者として、詩の弟子筋ではないが、敬愛する「師匠」に倣い、門前の小僧よろしく自分も詩作りと「朗読会」つまり声に出す集いをやってみようと無謀にも思い立った。

 実はこれでもこの近年、有馬さんの知己を得てから、自分は「詩」というものぼちぼちを自らも書きだし始めていた。もちろんそれにはメロディはないし、だいいちまだ誰にも他者には見せたこともない。それが詩としてどれほど完成されているのか愚にもつかない出来なのか自分ではわからない。が、いきなり勝手に「詩集」として手づからプリントして「発表」するのもおこがましいし第一すごく恥ずかしい。でも誰かにそれを聴いてもらいたい気持ちはある。読んでもらう以前に。

 「詩」とは、言葉であり、もちろん文字で書かれるものではあるが、まずはその前に声に出して「読まれる」ものだと考える。読まれるもの、としたが即ちそれは「聞かれる」ものである。なぜならそれが言葉であり、言葉は目に読まれる前に耳でまず聞くものだからだ。それは原初の昔からまずは言葉があった。

 その言葉で、詩をつむぐ。自分の詩が果たして詩となりえているかそれはわからないし自信もない。しかし、そうした「詩のようなもの」を人前で、声に出して他者に訊いてもらうという行為は面白いものではないかという気がしている。
 昨今文学作品の「朗読」がひそかなブームだと聞いている。朗読はある出来合いのテキストを個人や皆で文字通り「朗読」することではあるが、詩朗読もそれと同じとなるかわからないが、ともかくやってみようと考えた。

 自分としては、出来合いの詩、誰かの詩集や詩人の発表した作品でないもの、願わくば読み手が自作した詩が望ましいと思える。しかし、もちろん自分の詩でないとダメだとか、他者誰かの詩では歓迎しないとは言わない。
 ともかくはまず「詩」を参加された方が声に出して、「発表」するという機会、場をつくってみたい。むろん、そこでは「聴衆」、「観客」としての参加もかまわない。が、できれば誰もがさいてい一つは「詩」を読み上げてもらえたらと願う。詩なんてたいていはごく短いものだ。その声で、耳から伝わることはどれほどのものなのか、一度試してみたいのである。

 夏の間に書き溜め準備して、願わくば秋口、遅くとも10月からまず初回を始めてみたい。詳細はまた当ブログで告知するとして、どなたでもかまわない。参加者を求む。貴方もまず「詩」をみつけて書き留めてともかく読み上げられるよう準備しておいてもらいたい。

 うたなら歌がうまい下手とか、ギターの巧拙も誰でもわかる。しかし、「詩朗読」はどうだろうか。そこにうまい下手とか良い悪いなんてことはあるのか。じっさいすべてが今はまだわからない。面白いのかつまらないのかもわからない。だからこそこれは面白いと考える。何事もやってみないとわからない。参加者は当然少ないだろう。しかし、そこに自分ではない誰かがいるならばそれはやり続ける意義があるように考えている。

 どうか無頼庵詩朗読の集い、ぜひご参加お願いします。

この猛暑をまず乗り切ってから2013年08月08日 21時05分10秒

★また猛暑がぶり返した。現在のアクセスランキング: 144位

 暑い。今は夜の9時過ぎだが、冷房を入れてないこの部屋は室内で30度ちょっとある。湿度74%。かろうじて扇風機の風で何とか涼をとっている。むろんのことパンツ一枚の裸族のマス坊である。「寒空はだか」氏ならぬ、「夏空全裸」である。いきなり来客があると慌て果てる。

 梅雨明けにいきなり記録的な猛烈な猛暑となったこの夏、以降は30度前後の通常の夏の暑さで過ぎてきていた。が、昨日からまた猛暑がぶり返すとの予報通り、今日も日中はあちこちで35度の真夏日となった。自分は勤め人や、野外での肉体労働者ではないので、基本的常にウチにいる者として、猛暑だろうがあまり関係ないかというと実はそうではない。

 ウチには今、老犬も含めて外飼いの犬が三匹いて、高齢のニンゲンも二人抱えている。いかにこの猛暑の影響を受けず何とか無事に生きながらえるか、今一番の難問、課題なのである。この猛暑期間を全員無事で果たして乗り切れるか今頭を痛めている。

 犬たちは早朝、まだ陽が高く上がる前に散歩を済ます。それから餌を与えて、昼近く外気温が30度を越した時点で冷房を入れた室内に全員避難させる。それから夕刻、夕方時の散歩時まで室内に閉じ込めておくわけだが、早くしないと部屋でお漏らしもしてしまう。しかし、外気温は5時、6時でもまだ高くちっとも涼しくならない。午後6時でも30度以上今日もあった。
 仕方なく犬たちは焼けたアスファルトの上をできるだけ短く簡単に散歩させてまたすぐに室内に入れて、人間と共に晩飯を食べさせる。それからまた外に出さないとならないわけだが、温度計ではまだ外でも30度を超している。それでは夜でも熱射病になるか、ならなくても老犬は体力を奪われ命を縮めてしまう。
  
 で、今は、犬たちを夜また外に出す前に、ホースで庭に水を毎晩たっぷりと撒く。この散水で外気温は2度ほど下がり少しはひんやりとした風も吹く。そして犬たちを出して小屋に入れる。そうした体調維持管理に一日追われている。
 人間だって同じことで、老人たちはうっかり目が離せない。特に徘徊系認知症の父は目を離すとどんなに暑くても外で何かの「作業」を始めてしまう。たぶんオレが捕まえて無理やり家に入れない限り、テレビで報じられるように「お年寄りが倒れて意識不明の状態で搬送」となってしまうのである。
 老人はそもそも暑いか寒いかだって自らはよくわからない。こちらが無理強いしなければ水も飲まない。先日もフラフラする、風邪ひいたと騒いだが、要するに暑さからの脱水症状で、軽い熱射病であった。

 言葉が通じるはずのニンゲンだってこんな調子なのだから、犬たちはよほど注意しないとこの暑さではほっとけばすぐに倒れて死んでしまう。
 終日、彼らの体調を伺い、夜はホースで庭先と道路に水をたっぷり撒いてようやく外に出し寝かしつける。まだ今のところはこれで何とか対処できている。しかし、夜でも熱帯夜が続くようになってしまえば、やはり室内に入れてクーラーを効かせた部屋で寝かせるしかない。

 この猛暑がいつまで続くのか定かではないが、ともかくまだあと一週間は猛暑が続くとの予報である。、特に山場は今週の土曜だときく。終戦記念日のころにはいくぶん収まって涼しくなっていてほしいと願うが、ともかくあと一週間はこの暑さと戦わねばならない。ここを乗り切らねば、乗り切れなかったときは、死者が出る。

 がんばりたい。頑張るしかない。皆様もどうかご自愛ください。無理や我慢せずに。もはやクーラーなしでは生き物は生きていけない。原発やエネルギー問題、地球温暖化についてもあれこれ思わなくないが、ともかくクーラーという文明の利器に頼るしかない。でなければ死んでしまう。

 人はまず生きていく。生きなくてはならない。生きてこそ次がありまた先のことがある。こんな文明は絶対間違っている。しかし、だからといって一人で旧には戻せない。戻すためにもまず生きながらえなければならない。すべては生きてこそなのだ。ならば仕方ない。

 この夏を乗り切るだけで精いっぱいとはあまりに情けないが、それもまた仕方ない。そう覚悟するしかない。そう、ここをまず乗り切ってからだ。なにごとも。

異常気象、異常事態の猛暑2013年08月09日 21時53分24秒

★猛暑となるとの予測されてたが・・・アクセスランキング: 170位

 ちょっと予想以上の暑さとなっている。皆さん要注意です。

 今、夜の9時過ぎだが、まだ外気温は31度。湿度も高く外はもわーと異常な熱気である。ホースで道路や庭を散水したが、ほとんど涼しくならずこれでは犬たちを外の小屋で寝かせると熱中症になると判断して、昼間に続いて今さっき冷房の効いた部屋に入れた。

 そしてこれを書いているパソコンのある部屋は33度。湿度64%。扇風機を最強、固定にしてほぼ全裸でモニターに向かっている。マス坊の私室であるこの部屋にはエアコンはついていない。そこでマス坊は新型のパソコンとベッドを置き寝ている。

 昨日まではどんなに暑くても窓を開け扇風機だけで何もかけずに寝ていた。が、今日はもはや限界、風もなく33度では室内でも脱水症状となってとても眠れない。いや、一晩そんな中で寝たらサウナの中で眠ることと同じで、たぶん死んでしまう。仕方なく犬のブラ彦といっしょに冷房がある無頼庵の大広間でカーペットの上で眠るしかない。

 この猛暑は明日が山場だとのこと。明日はもっと暑くなるのかと思うとそれだけでうんざりし汗が噴き出てくる。が、それもこれも仕方ない。御身大事で家族全員無事であるよう冷房を効かせた部屋で犬猫も含め息を潜めてやり過ごすだけだ。

 ここまで書いただけで、汗まみれで頭痛がしてきた。限界である。まずは水風呂に入ってからだ冷やしてから涼しい部屋で日記でもつけて寝ることにする。
このところランクは下降の一途であるのでブログきちんと書きたいことも多々あるが、この暑さではそれもかなわない。まずは命どう宝なのだ。
 皆様もどうかご自愛ください。水分をじゅうぶんとって無理されずに!

異常気象の災害はいつどこででも誰にでも2013年08月10日 08時53分50秒

★狂ってしまった地球でTPPに参加する愚~農業壊滅的危機  ランキング173位

 東北では記録的大雨ですごいことになっているようだ。道路が川のように水浸しで、津波が襲ったように町も田畑も水没していた。山も崩れている。これではこれから収穫をむかえる米だけでなく多くの農産物が大きな被害を被るだろう。野菜の価格もまた上がる。

 いっぽう関東から西ではこちらもまた記録的猛暑が続いている。雨も降らないし北日本とは対照的にカラカラの熱波の中である。こちらも農業に影響が出よう。もちろん人も含めて野生生物だって全て命の危機である。

 よく、人は無意識的に、何かが起こると、それは~だから、だと勝手に「理由」や「原因」をつける。例えば、中国人だからとか、それは関西だからとか、世界の流れだからと。むろんその「推察」が正しい場合も多々ある。しかし、たいがいは根拠も説明足る理由にもならない。
 今回の東北の記録的大雨だって、東北だから起きたのではない。確かにこのところ東北では梅雨が明けないばかりか日本海側を中心にずっと記録的量の雨が降り続いていた。そこに地形や天気図的説明はできなくもない。

 が、こうした異常な大雨による災害は山口県や北九州でも起こったし、マス坊の妹が嫁いだ先の大分県でも去年も川が氾濫して何人も流されて死人が出た。こうした予測できない豪雨水害はいつどこでも起きる。ただ、それが大都市圏ではまだ起きていないというだけの話だ。
 どこでも起きるということは誰にでも起きるということである。ヒトゴトだと高を括っていると突然そうした災害に見舞われる。それは地震だって同じことだ。まさにいつどこで起きるかわからないし、緊急の予測もできない、あてにならないことは先日の気象庁の誤報が示している。

 言うまでもなく、異常気象は国内、日本だけの話ではない。新聞の海外面を開けば、世界中で熱波、猛暑、豪雨と日本と似たような不穏な文字が並んでいる。それが今の地球、世界なのである。つまり農作物だけを考えてもただでさえ人類史上最大に増えた人口を抱え食糧不足、食糧危機、水不足が叫ばれているのに、日本はTPPであらゆる関税を撤廃しようとしているのである。

 それで海外へ工業製品をたくさん輸出し、海外からは安く農産物を輸入していけば理屈では国は儲かる。国民は豊かになる。が、裏を返せば、日本の農業はとても安い輸入品に太刀打ちできず、壊滅的打撃を受ける。農家は自らが食べる分ぐらいは作るだろうが、もはや農業、漁業は廃業せざるえない。

 そこで、地球規模の異常気象、大災害がさらに多発すればどうなるのか。今でさえ先進国中異常に低い40%前後の食料自給率(それも米によるところが大きい)の日本が、さらに輸入に依存し自給率を下げてしまったときいったいどこから食べ物が入ってくるのか。外国もまずは自国内優先であろう。余らなければ作物を輸出しない。
 いきなり元農家に米を再び国産しろと政府がはっぱかけても米はすぐには作れない。田とは維持管理が大変なのである。農業が衰退し輸出に頼る工業先進国である日本はそのときどうなるのか。食料はなく国民は餓え死にしてしまうではないか。

 21世紀の今は地球規模の異常気象の世紀だと言われる。ならば、まずは食料自給率を高め、国民がどのような異常気象でも災害下でも飢えることがない食の絶対的自衛体制がなくしてTPP参加は国家の自殺行為だと断言する。

 災害はいつどこででも誰にでも起こる。東北地方だけではない。私の町にも遠くのあなたの町にも。そのためには常に備えておかねばならない。それは一時の食料備蓄ではない。将来的にも安全保障されるに足る余裕ある国内での自給体制だ。日本は水も豊富で狭いながらも豊かな土があり漁場にも恵まれ農産物、海産物が宝庫の国なのだ。おまけに高冷地では酪農もできる。つまり世界中ほぼすべての食べ物は国内生産ができるのである。そんな食の宝庫の国が輸出産業優先で国内の農業漁業を切り捨てていく。TPP参加はまさに亡国の途なのである。

 ネット右翼の方々にも言いたい。安倍自民党政権はこの豊かな国土を一部の大金持ちたち大企業ののために破壊ならぬ「放棄」しようとしている。愛国者ならばTPP交渉参加反対と改めて声を上げよ、である。