山本太郎と田中正造2013年11月01日 09時49分55秒

★太郎よ、何故に天皇に直訴するのか訝しむ アクセスランキング: 163位

 あまりテレビ、新聞などのマスコミなどでは取り上げていないようだが、ネットでは今ちょっとした騒動になっている山本太郎参院議員の昨日の園遊会での天皇への手紙直接手渡し「事件」について思うところを書く。

 そのニュースを知ったときすぐに思い浮かんだのは日本の公害闘争の原点、谷中村鉱毒事件で知られる義人田中正造による天皇陛下直訴の一件だ。近代史に少しでも関心ある方なら誰もがすぐに思い出すであろう。

 足尾銅山の精錬所から排出された鉱毒が、渡良瀬川下流の流域、谷中村まで及び、田畑は枯れ人々はその被害に苦しんでいた。が、農民がいくら訴えても行政は動かない。見かねた元代議士田中正造は、天皇が帝国議会開院式から帰る折、その惨状を記した直訴文を明治天皇に手渡すべく沿道の人込みから飛び出し天皇の乗った馬車に駆け寄った。
 結局警護の警官らに捕縛され、正造の直訴文は天皇の元には届かなかったが、その不敬罪に相当する我が身を捨てた無謀な行動は当時のマスコミにも大きく報じられ、谷中村の問題は世間の耳目を集めこの日本初の公害事件は大きな政治問題となっていく。ちなみにその文章を書いたのは名文家としても知られていた幸徳秋水であった。

 そして山本太郎もフクシマの原発労働者の悲惨な実態と福島の現実を知ってほしいと天皇へ訴えるべく直接それを記した手紙を手渡したのである。おそらく彼の頭には先人正造翁の「直訴事件」があったのかもしれない。
 しかし、当時と今は政治の状況も権力構造も全く異なる。戦前は天皇陛下こそが国の最高統治者であり、まさに最高位の権力者であった。正造は国会という機構が谷中村の問題に関して何も動かないならばもはや手はなく、天皇に直接この問題を訴えるしかないと考えたのだろう。世の注目を集めるためにもそれしかないと。
 だが今は、そうではない。天皇には政治に対して一切の権限はないし、私的発言すらゆるされていない。天皇および天皇家一族は現行憲法上、まさに日本の「象徴」でしかなく、直接国政、つまり政治問題にはタッチしないし関われない。ならば、何故その天皇に原発問題を訴えるのであろうか。その発想自体が不思議であり訝しく思う。

 それが仮にマスコミの話題になりフクシマの原発事故の現状を世に知らしめる機会になればと考えてのパフォーマンスだとしたら噴飯ものであろう。なぜなら彼はもはや一市民ではなく、民意を託された参議院議員なのだから国会の場で堂々とそのことを公に訴えれば良い話ではないか。また、他の同調する会派に働きかけて何らかの改善のための立法を国会の場に出せばよい。そこに天皇は必要ない。どのような大義があろうともその目的のために天皇を利用すべきではない。

 これを書いている自分、マス坊は批判もされるかもしれないが、現在の天皇ご夫婦に深い敬愛の念を抱いている。日本国民である以前に一個人として彼らに対して深いシンパシーと関心を抱いている。何故なら今の天皇方はとてもリベラルなお考えの持ち主で、戦後民主主義の理念を自ら体現されていると考える。さらに美智子さん共々慈愛にあふれた人としてとてもご立派な素晴らしい方々だと深く思慕している。お体の具合も気にかかる。

 天皇制なるものや、今の天皇家のありかたや、皇室の役割については大いに疑問はある。もっと彼らは一個人、人間として自由に扱われるべきだと深く考えるが今ここではふれない。今の天皇家には基本的人権もプライバシーも存在していないとだけ記しておく。
 ただ、たとえリベラルなお考えの方だとしても天皇の口からフクシマの問題をどうのこうのしろとは言えないし、言うべきではない。天皇が政治に関与するようなことはあってもさせても絶対にならない。一度でもそうした先例を作れば、今の天皇ではない次の代にでもまた大元帥としてときの権力に政治利用される先鞭をつけることにもなろう。今回の騒動は天皇ご夫妻のお心を痛めるだけだ。

 山本太郎よ、頭を冷やせ、目を覚ませ。もう目立ってなんぼの芸能人ではないのである。国民、都民から信任され思いを託された国会議員なのだ。ならばその行動と発言は深くよく考えてから行え。このままでは彼を支持支援してきた者からも呆れ果て愛想つかされるだろう。彼のとりまきには、「平成の田中正造」だと彼の行為を評価する者たちもいるようだが、自分はまったく同調できない。そうした熱い強い思いがあるとしてもこうした場を利用し天皇に向けるべきものではないと信ずる。また、こうしたスタンドプレーは広く批判され彼の議員活動の妨げや足枷になるだけで損失の方が大きいのではないか。彼の孤立を深める結果にしかならない。

 天皇に頼る前にまず自らすべきこと、できることをしていくしかない。まだ彼は政治家として何もやっていないではないか。なぜにこんな愚かなパフォーマンスをしでかすのか訝しむ気持ちでこれを書いた。彼には期待していただけにまったく残念だ。
 母方の祖母の出自の地、旧谷中村の末裔としても複雑な気持ちでいる。正造翁の業績は今も高く評価され褪せることはないが翁の時代とは今は異なる。原発問題にどれほどの思いがあろうとも天皇に直訴とは時代錯誤も甚だしい。

ああ金の世や2013年11月02日 20時09分13秒

★いつの時代も金金金だ! アクセスランキング: 144位

 このところじわじわと物価が上がっている。物価が上がることが景気が良くなるしるしだとは絶対に思えないが、アベノミクスの理屈ではそうしたものなのだろう。これもそれも国民の選択である。
 物価が上がって所得、つまり給料や懐に入る金も上がるなら何も問題はない。しかし、給料は上がらないばかりか年金は削られ生活保護まで削減されていく。ということはその分のお金はどこかに消えていったわけで、どこかで誰かがたんまりその分儲けていることになる。言うまでもないそれは大企業や法人及び一部の富裕層で、こうして貧富の差はますます激しく甚大になっていくのである。それは明治の昔から変わらない。

 ウチの母方の祖母などは、明治33年の生まれで、要するに19世紀の人だったから、自分は彼女からその親世代の話を子供の頃よく訊かされた。明治になって良かったかと言えば、得したのは薩長など一部の武士階級や官吏だけで、大方の庶民、特に農民は「徳川様の時代のほうが良かった」と皆が言ってたとのことだそうだ。
 何故なら年貢は不作の時などはある程度猶予もされたし、その取り立ても、「ない袖は振れない」のだからある程度融通がきいた。それが明治になってすべて税金、つまりお金で収めるようになってからは、非常に厳しく管理されて徴収され農民は本当に困窮していったと言う。

 歴史の本では、徳川の幕政は悪で、明治政府は善、歴史の必然だととらえている。が、じっさいのところ庶民の感覚では決して徳川の治世は悪くはなかった。ただ、幕府という政治体制が諸外国の開国要請に対して対応不能、持ちこたえられなくなっていただけのことだと思える。
 開国=文明開化は善だと教科書では教わったが、今の自分の気持ちはそれまで江戸時代300年近く鎖国して国内だけでやっていけてたのだからそれでいいじゃん、と思える。要するにいつの時代も外圧で、やれ開国せよ、港を、市場を開放せよ、これからはグローバルスタンダードだ、TPPに参加しないと取り残されると外国かぶれのバカが騒いでそれにこの国は常によくわからないまま猫も杓子も乗せられていくのである。
 そして西欧型資本主義が導入され、全ての価値は金に換算される金の世の中ができた。勝ち組、負け組ではないが、要するに金があるものが正しく、金にならないもの、金のないものは悪いものと判断されていく。
 売れれば善、売れないのは悪、有名人には憧れ、無名の者は鼻もかけない。金持ちは偉く、貧乏人はダメ人間。そうした風潮は明治に出来近代以降ますます確固たるものとなり今に至りさらに激化していると思える。要するにこの世はすべてが金、金がすべての世の中なのである。

 このところバイオリン演歌師、楽四季さんと過ごすことが多く、彼の明治大正のバイオリン演歌を始終きいているのだが、けっきょく昔の歌でもいつの時代も全く同じだなあと嘆息している。

 実は今も自分は金がなく、支払いばかりに追われてその工面で本当に頭が痛い。贅沢した記憶も大してないのだが、家計を預かる身としてこのところの物価上昇と、山梨へ出かけたりと様々な出費が嵩んでもうどうにも首が廻らない。おまけにいろいろ病気見舞いなどにも入用で、年内何とかやっていけるか年が越せるかやりくり算段苦労している。せめてどかんと高額本が何冊かでも売れれば少しは楽になるのであるが・・・。

 このところ頭の中には流れているのは添田知道さんだったか親父さんの唖蝉坊の作だったか、「金々節」である。ほんとうにいつの時代も呆れかえるがこの世は金金金なのだ。

 金々節

金だ金々 金々金だ
金だ金々 この世は金だ
金だ金だよ 誰がなんと言おうと
金だ金々 黄金万能

金だ力だ力だ金だ
金だ金々 その金欲しや
欲しや欲しやの顔色眼色
見やれ血眼くまたか眼

一も二も金三も四も金だ
金だ金々 金金金だ
金だ明けても暮れても金だ
夜の夜中の夢にも金だ

泣くも金なら笑うも金だ
馬鹿が賢く見えるも金だ
酒も金なら女も金だ
神も仏も坊主も金だ

《略》
金だ本から末まで金だ
みんな金だよ一切金だ
金だ金だよこの世は金だ
金金 金 金 金 金 金だ!

あったことと、なかったこと2013年11月03日 08時57分45秒

★本日は、無頼庵「秋の詩朗読会」。ぜひお気軽にご参加を
アクセスランキング: 137 位

 言うまでもなくこの世には、あったことと、なかったことしかない。
 なかったことを、「あったこと」にすることもできなくないが、圧倒的にはあったことを、「なかったこと」にするほうが多いと思われる。たとえば犯罪事件。
 当事者、関係者が口をつぐみ、一切語らないまま、記さないままあの世へ行けばその犯罪はあったのだが、世に知られず結局「なかった」こととなる。いや正しくは最初から最後まで「ない」のである。
 おそらく世界にはそうした「あった」のだけど「なかった」ことにされて「ない」まま、「なかった」こととして誰にも知られていない「事実」や「事件」が山ほどあるはずだ。

 また、人の心理には、辛いこと苦しいことの記憶は早く忘れたいという強い願望がある。今東北各地では震災遺構というべき、津波で被災した建物や船などが次々と解体され消えていこうとしている。はたから見れば、あの原爆ドームのように、大震災を忘れないためにもモニュメントとして長く後世に残すべきだと考えるが、現地の人たちに言わせるとその辛い記憶がそれがあること、見ることで蘇るから撤去してほしいのだという。そう地元の方が望むならばそれもいたしかたない。

 そうしてあったことを忘れようとして「なかったこと」にはできなくても、できるだけ記憶から消していこうという心理は当然でもある。いつまでも辛い体験を繰り返し思い出すこと、追体験することはトラウマとなり精神に異常をきたす。誰もが過去は過去として過ぎたこととして処理していかない限り人は前へと次へと進めない。

 しかしこの世には、あたかも「なかったこと」として忘れてしまったり、過去のことだからもうどうでも良いとしてしまうと困ることもあると信ずる。大震災の教訓、津波の恐怖と対策は今後に未来永劫語り継がねばならないし戦争体験だってそうだ。
 辛い体験、嫌な記憶だからとしてあったことをなかったかのようにしていこうという心理は誰にでもある。我が父にとって軍隊の記憶もそうだ。この自分にも過去は忘れたいことばかり失態ばかりである。が、やはりそれらは忘れてはならないし、なかったことにしてはならない。でないと愚かな者はまた繰り返す。

 まして「犯罪行為」、それに準ずる行為は、なかったことにしてしまえばそれをしたワルイ奴らにとっては思う壺でまたそれを何度も繰り返す。誰かがそれを告発して白日の下に曝け出さない限りその犯罪があったこともなかったままになってしまう。
 今、政府が成立をもくろんでいる「秘密保護法」もいったい何が秘密なのかさえ秘密だというのだから、全て政府の側、ときの政権にとって都合の悪いこと、犯罪行為でさえも秘密とされ「なかったこと」とされてしまうに違いない。日米の密約しかり。

 かつて大本営発表というのが戦中にはあった。国民は何一つ時の政府からは知らされなかった。大戦末期、大きな地震があったことも広島長崎に新型爆弾が落とされたことすらすぐには知らされず秘密とされていた。
 どんなことでも「なかったこと」にできるならそれもよい。でも現実にはすべてあったことは「あったこと」なのである。それを「なかったこと」にしていくことは本来ゆるされない。特にそれをするのが権力者、当局側だとしたらなおさらではないか。ましてその秘密を告発したり世に発表しただけで逮捕処罰されてしまうとはまさに戦前の時代に逆戻りであろう。

 どんな時代でもあったことについては、記録し語り継ぎ後世へと伝えていく。それはマスコミだけの役割ではない。文字と言葉を与えられた人類の責務だと信ずる。

詩朗読会無事盛況のうちに終了す。2013年11月03日 22時15分44秒

★初めての試みとしては成功したと思うけれど。

 どっと強い疲労感でこれを記す。ようやく終わったという思いでいる。詩の朗読会だけのことではない。今年一年のウチでのイベント企画がである。陳腐な表現しか思いつかないが、今やっと肩の荷が下りたという気持ちがする。あと一回、映画塾を終えれば今年も終わる。やっとここまで来たという疲労感である。まっ、クリスマス頃に忘年会ライブは今年もやるがそれは「デザート」、別腹のようなものだと思っている。

 今日11月3日の無頼庵「秋の詩朗読会」は詩人方が当初から登場予定の方が5名、その他、観客として参加されその場で即興的に自作詩を発表された方も2名。で、詩人ではない観客は残念ながら詩人たちより少なかったという結果を告白するが、良い集いとなったと思う。自分としては予想していたよりはるかに面白かった。いろいろ新たな発見もあったし感心もした。ただ、その純粋観客が面白いと満足されたかはわからないが。そしてフォークシンガー側からいつもお世話になっている太田三造さんが来られた。

 詩の朗読というと、文字に書かれたもの、テキストをただ読み上げるものだと普通は想像するだろう。自分もそう思っていた。これまで少ない中で立ち会ったそうした催しはそうであり、せいぜい必要かどうか判断に苦しむギターなど楽器の伴奏が付く程度であった。
 しかし今回、企画を相談し他の詩人方に連絡をとってくれた、詩人奥主榮氏が招いてくれた方々は皆極めてユニークで、パフォーマンス度が高く、自分が抱いていた詩朗読会というイメージを良い意味で覆してくれた。

 関西弁のリズムを駆使して言葉を軽やかに、とても面白く弄ぶ方、音楽をバックに流し自らを語った詩世界を一人芝居的に演ずる方、あるいは聴衆から「お題」をもらってその場で即興的に詩を自作し長々と吟ずる方々。となるとそれは朗読ではなく、まさに西欧の「吟遊詩人」だと気がつく。そんなことが即興で可能なのかと驚き感心させられた。もうそれはもはや「詩人」というより演芸に近いと気づく。大した才能である。
 奥主氏曰く、今回はあえて詩の門外漢の人でも関心を持てる方々に声をかけたとのことであったが、それは大いに成功したと思える。詩がこんなに面白く、また詩のライブの可能性がこれほど多様であることを初めて知ることができた。願わくば詩人の方々に伍する数の観客が来てほしいと思う。それだけが次回の課題かつ問題で、それ以外は今大いに満足している。

 ただこの疲労感は、映画塾とかの時とは格段に違う。自分は出る側でも司会進行側でも今回はなかったが、やはり非常に緊張していた。映画塾は自分は基本的に何一つ関わることはなく、下で懇親会用の料理をもくもくと作っていれば良いだけで、あとは主宰の三留さんと常連客だけで勝手に進んで行ってくれるから大いに楽できる。今回は何かしたわけではないが、お客が何人誰が来るか非常に気になり心配もしたし、その反応が一番心配であった。また詩人たちもほとんど初対面だったこともある。

 今回の懇親会の料理はいつもと逆に三留さんに全て任せたので、彼女は詩朗読に参加できずやや不機嫌でもあった。おかげで大いに助かり自分は詩ライブ専念することができた。彼女には申し訳なかったが、たまには立場逆転するのも一興かと思う。それでも今どっと疲労感に襲われているのだから疲れが溜まっていたことと初めての企画でそれだけ無意識下であれこれ心配していたんだと今思う。

 ともかく無事に終わってほんとうに良かった。そしてフォークと詩の「関係」も太田さんと今回の詩人たちとウマが合ったのか決して悪くなかった。そのことにも深く満足している。それも想定外だった。今思うのは、1960年代後半、京都時代の高田渡や岩井宏たちが、詩人たち有馬敲氏や片桐ユズル氏らとお寺で催していた「ばとこいあ」コンサートに少しでも近づけたか、真似でも良いから似たようなことを企画できたかという満足感、それだけだ。
 さらにマス坊のフォーク活動の相方、最愛のバイオリン担当みほこんとも久しぶりに会えたし今日は良い一日だったと思える。ただ、企画側が満足して「大成功!」とは自賛すべきではないと考える。詩人方も含めて今日来られた方々がどう思い何を感じられたかがすべてなのだから。

 まずは第一回目はこうして無事に盛況のうちに終わった。願わくばこの「詩朗読会」、いや、もはや「朗読」とは呼ぶべきではなく、「詩ライブ」は年に四回はやれたらと考えている。次回は来年早春、もしかしたらまだ寒いうちぐらいに開催できたらと予定している。ぜひ次回こそ、だまされたと思ってご参加ください。

 と、映画塾でも詩朗読会でも何の企画であろうと自分が一番情けなく思うことは、このブログから、これを読んだことで参加してくれた方が未だ一人もいないことだ(友人知人外に)。けっきょく、皆それぞれの出演者側からのツテでお客様は来てくれる。まあ、自らの無名と非力故のことで仕方ないのではあるが、一人でもいい、このブログを読んで関心を持ってご参加してくれる方が登場することが自分にとってまず来年の課題、目標としよう。

 それにしてもこのブログ、ランキングがたまにかなり高い時もあるけれど本当に読まれているのだろうか。最近ふとこれ自体インチキではないのかとそんな気がしている。まっそんな順位など意味がないことはともかく、これからも無頼庵がんばりたい。

 演じる側でもなく唄う側、読む側でもないこの自分にできる唯一のことはこうした場所を提供することだけなのだから。まして商売でやっているわけではないのだから来た人数の多寡ではなく、内容と来られた方皆の質、その偶然の空間、一時だけが実のところ問題なのである。
 今日来られた皆さんは全員誰もが素晴らしく良い方たちであった。※他のイベントの客の質が悪いと言っているわけではない。それはそれ、これはこれ、企画も内容も全く違うのだから比べることは意味がない。

まだできること、すべきことがある。2013年11月04日 09時01分15秒

★生活と人生、そしてそれを取り巻く世界に手を加えていく。      アクセスランキング: 157位

 秋の今ごろは晴れて爽やかな気候が続くはずだが、今年は何か天気が悪い日が多くスッキリ晴れない。今日も曇り空。夜半に小雨が降っていた。うすら寒い。今の気持ちも似たようなものだ。

 イベントから一夜明け、よく寝たので体の疲れはとれたし一つモノゴトを成し終えほっとしたが、さて、またこれからが・・・、という気分で今いる。年内残すは二か月弱。無頼庵のほうはともかく、私事多事多難である。
 老親や老犬、冬を前にして家のこともある。来年4月の消費税が上がる前に買いなおさねばならないものもある。そうした金の算段、倉庫の撤収作業と山梨への移動作業、向こうの片づけ、これからの先行きを思うと、山歩きで遠くの嶺を見上げて、まだあんなに歩くのかというような気分になる。が、まだやるべきことがあり、それができること、たとえ完遂できなかったとしてもそれがやれる、関われることは有り難いことではないか。始めてしまったこと、この愚かな失敗人生も最後までやり遂げないとならないのである。

 先だって拙ブログで書いた、山本太郎の天皇手紙手渡し事件についても書き足すべきかと考えている。
 彼が軽率な行為を考えなしにしたという見解は変わらない。が、今、自民党やネトウヨたちが騒ぎ立ててる状況についてやはり異議は唱えたい。天皇に手紙を手渡したというだけで存在しない「不敬罪」を持ち出す心理が理解できないし心底怖ろしく思える。天皇の政治利用を口にするならば、まさにこうしてこの一件で山本太郎を議員辞職に追いやろうとする輩こそが天皇を政治利用しているのである。彼らにはその自覚がない。天皇は残念ながらそれほど「シンセイニシテオカスベカラズ」ではない。

 むろん、自分も同様の者だと思うが「問題児」は常に監視されているわけなのだから、やつらに付け込まれることのないよう行動や発言はいつどこでも細心の注意ですべきであった。迂闊さは今に始まったことではないがこのままでは効果のない「自爆テロ」で彼は消えてしまう。せっかく国会議員となった山本太郎、その責務があるし果たすべき役割がある。こんな事件で足を引っ張る、引きずり下ろそうとするやつらに負けてはならないとエールを送っておく。今の世の中は常にスケープゴートを求めている。

 招かれた園遊会の場で、天皇に手紙を手渡した、たかがそのぐらいのことでマスコミが大騒ぎしネット上でも喧々諤々の騒ぎが起こる。世間がそらちに目を向けている間に今国会では現在もっととてつもなく重要な法案が次々とろくに審議もなく成立されようとしている。
 心ある人たちはそれを嘆き怯えもはや諦観すらしている。しかし、いつだってどのような状況だってまだできること、すべきことがあるはずだ。

 遅すぎることはない。自分も含め人はその生活の渦の中でもその取り巻く社会、政治状況に異議を唱えられると信ずる。刑務所の中だって待遇改善は訴えられる。それが実際かなうかは問題ではない。問題があれば異議ありという声を上げていく。何であろうと、それで良し、仕方ない、もうどうでもいいということはない。それこそせっかくの人生を放棄することに他ならない。無関心と見て見ぬふりはゆるやかな自殺行為である。

 まだできること、すべきことがある。きっとある。今それを自分にも言い聞かせている。がんばろう。

カセットデッキの名機復活!2013年11月05日 09時42分22秒

★修理に出していたティアックのカセットデッキが復活した。 アクセスランキング: 131位

 すごく嬉しい出来事を記す。以前もちょこっと書いたかと思うが、何でもアナログ家電なら修理してくれる藤野のシゲさんのところに出していたティアック社製のカセットテープのデッキが一昨日修理が完了したと戻ってきた。まだきちんとオーディオに繋いでないが、テープは再生も送りも巻き戻しも問題なく稼働している。ものすごく古いデッキだったのでもう捨てるしかないと諦めていたものがまた使えるとは夢のようだ。本当に嬉しい。

 そのデッキは、カセットデッキのトップメイカーだった、優良オーディオメーカー・ティアック社製のff-80という機種。たぶん1970年代のものだと記憶する。どうしてウチにあるのか、自分では買った記憶はないが、誰かから譲ってもらったのかもしれない。
 当時でも7~8万そこらしていたのではないか。たしか同社の同モデルの最高機の一つ下の機種で、カセットデッキとして当時、そして今も最高レベルのデッキだ。動いていた頃、使ってみてカセットでもこんなに音が良くなるのかと驚嘆した記憶がある。そのわけは、スタビライザー機能にある。

 レコードでも同様なのだが、こうしたアナログオーディオは、いかに走行を安定させるかが一番重要で、そこにふらつき、ムラがあると音質は歪んだりノイズが出たりしてその素材そのものの真の良さ、本来の能力は再生できない。
 レコードの場合も、意外に皆さん知らないようだが、カートリッジの性能の問題以前に、レコード盤をターンテーブルにいかに未着させふらふらぐらぐら揺れないようにするかが最重要なのだ。何しろレコードはすぐ反ったり歪んだりする柔らかいものなのだから。

 そのためには穴のところ、レーベルが貼ってある部分に重石にあたるものを乗せて少しでも盤を固定してターンテーブルに密着させなくてはならない。そうすると走行は安定し、ふらつきは減り音質は格段の向上する。ただ、それはかなりモーターにも負荷がかかるのでプレイヤー自体がどっしりしたダイレクトドライブの本格的なものでなくてはならない。安物の昔の電蓄程度のプレイヤーではそんな重石を乗せると機械そのものが壊れてしまうだろう。その重石にあたるものをスタビライザーと呼ぶ。

 アナログのオーディオカセットテープを用いるカセットデッキも理屈は同じで、ヘッドでカセットテープの磁性体をトレースするのだが、テープ自体が左から右へと巻かれて動いていくときにふらつきが起こる。それを防ぐことさえできれば走行は安定し音質は良くなる。だがカセットのデッキにはそんな機能は元々なかった。
 そこで他の会社はどうしたのか知らないが、このカセットデッキの老舗ティアック社の高級機種は、カセットテープがふらつくことのないようカセット本体を固定させるスタビライザー機能が付いている。これによりカセットテープとはいえ、音質は格段に向上する。ただ、今もデッキはいくつか新品が出回っているし、ラジカセ的なものはいくらでも存在するがそんな機能があるものはこの地球上にどこにもない。ティアック社、タスカムのブランドで出しているデッキにもそんなものはない。そもそも今は高級機種など作られていないしすべて海外生産の、ただテープが再生できればそれで良いという程度の安物なのである。

 このデッキが壊れて動かなくなって、近くにあったティアックのサービスセンターに持って行った。確か入手した当初、不具合も一度は直してもらった記憶もあるのだが、やがてまた動かなくなって、そこに持ち込んでもこれはもう交換するパーツがないので直せないと断られてしまった。応対した窓口の技術者もこれはすごく良い名機なのでもったいないと残念そうな顔していた記憶がある。
 そう、確かに今は販売終了後7年だかそこらでその機種のパーツの保存が終わるので修理がきき、修理したくてもその材料がメーカーにもなく直すことはかなわなくなるのだ。海外ではありえない話だが、それもまた資本主義ということなのであろう。つまり直して長く使い続けるより新しくまた買え、そのほうが安いから、という理屈だ。

 しかし、このデッキなどは、同機能の新製品は出ていないし、もはやカセットデッキ、カセットテープ共々風前の灯火なのであるから、修理を考えた当時でさえこのデッキに勝る、または機能的に及ぶ機種は存在していなかった。ということは、あのすばらしい音質はもう再生できないのかと嘆くしかなかった。
 以降、何度もその壊れた古いこのティアックのカセットデッキはゴミとして処分することも考えた。どうせ動かないのだから、ウチは博物館でもないし場所をとるばかりだから捨てるしかないはずであった。
 だが、もしかしたらいつか直ることもあるかもしれないとその都度心が迷い、けっきょく21世紀も13年過ぎる今の今まで、捨てずにただ場所を占めていたのだ。たぶん製造から40年は過ぎていることは間違いない。まあ、ウチにはそうしたガラクタが他にもいっぱいある。

 それが友人を通して知った、藤野在住の奇特な方の手で、メーカーの技術者でもパーツがないので修理できないと突っ返されたこのデッキが直って戻ってきたのである。まさに夢のようだ。捨てないで良かった。奇跡が起きた。実に有り難いことである。

 さあ、これで、これから溜まりにたまった、自分が中学生のとき70年代初頭から録音してきたカセットテープを全部これで再生して、最良の音質でデジタル化していく。そのシステム、ソフトもそろえてある。ただ、再生するにあたり良いデッキがなかったのだ。
 このティアックの高級機が復活したのだから、いよいよ機は熟した、時は来た。この読者の方で、大事な昔録ったカセットテープが手元にあり、それをデジタル化したいと願う方は当方で順次その作業を代行していく。

 今ならまだ間に合う。まだできる。カセット文化万歳!という気分でいる。

もの言えば唇寒しの時代2013年11月06日 21時17分44秒

★この国と日本人はどこへ向かうのか アクセスランキング: 129位
 
 物腰、立ち振る舞いなどが何となく気に食わない有名人がひとたび事件や犯罪などしでかしたり、巻き込まれたりすると、それ見たことかと集団暴行的に、よってたかって叩きのめし引きずり下ろし過剰なまでに攻撃する。
 それはみのもんたであり、山本太郎であり、実のところ誰だってかまわない。
 叩いている側は、自分は「正義」だと、当然のことをしていると信じている。ゆえにそれは収まるどころか一度火がつけばエキサイトしていくばかりとなる。

 もしそこで彼らを弁護したり少しでも理解を示す発言をしようものなら、そいつもまた仲間、敵とみなされ世間の攻撃、憎しみの対象となる。
 ならば異論はあろうともバッシングの嵐が吹き荒れている間はじっとだんまりを決め込むが賢明だ。あるいはいっそのことその攻撃する仲間となって、石を投げる側に加われば良い。
 今の時代、次回の東京オリンピック決定の熱狂を見るまでもなく、国民の大多数の声が正義であり、常識であり、それに異を唱え反対する少数派は偏屈、変わり者ならまだましで、「非国民」扱いされる。よって大多数と異なる意見は口にも文字にもしにくい。よほど勇気ある者、あるいは社会的に認知された文化人でもない限り世相と抗う発言、行動はしにくくなってきている。
 つくづく嫌な時代、恐ろしい時代だなあと嘆息する。

 山本太郎がしでかした園遊会での席での天皇への手紙手渡し事件、筆者の考えは先に書いたし変わりもしないのでもう付け加えることはない。ただ、週刊誌などマスコミは今もトップニュース扱いで太郎攻撃の手を緩めていないし、ネット上では相変わらずこの事件は話題の上位にランクされている。
 先日もネット上のアンケートで、この事件について太郎氏の行動を支持するかというアンケートがあり、つい結果を覗いてしまった。約八割方は、支持しない、で、一割が支持する、という結果が出ていた。自分も問われれば支持しないと答える側だからその「結果」については問題としない。
 が、そこに付けられた回答された方々の各コメントを読んでしまいものすごく嫌な気持ちとなった。読んだこと、知ったことを後悔した。

 非常識な太郎はすぐさま国会議員を辞職しろ、議員としての資格なしと辞職を求める程度ならまだ良い。太郎を議員に選んだ都民は恥を知れ、もまだ許させる。が、目を疑ったのは、太郎は即死刑 !とか、日本国籍を剥奪しろ、ついでに不敬罪を復活させ、自衛隊の実弾射撃演習の標的にしろ、というのまであった。またそのコメントについても支持する人たちがかなりいる。
 逆に太郎氏を支持するとか弁護する「少数派」のコメントにはそれを嘲笑うような「反論」がまた多く投げつけられている。むろん中にはごく常識的な傾聴に値するコメントもなくはないが、多くは極めて異常なほど攻撃的であった。つまりネット世界では天皇に手紙を手渡すとは万死に値するのである。

 むろん今の時代、誰もが自由に好き勝手に何を書きどう発言しようとそれはゆるされよう。しかし、こうしたまさに非常識と思える、極論「死刑にしろ」とか「国籍はく奪」とかはいくら何でも冗談?まじりだとしても果たして一個人に向けて公然と公開の場で吐き捨てて許されるのであろうか。ネットならばありなのか。
 人として口にしてはならないことを平然と文字にして憎悪をつのらせる。信じられない目を疑う言葉を文字にして「社会の敵」とみなした者に浴びせつける。また、そのコメントでは太郎は福島にも行っていないとかまさにデマ、流言飛語が飛び交っていた。それをまた真に受け、「こいつは死刑だね」と新たなコメントが付けられ同意する者が増えていく。

 大昔、関東大震災の直後に、朝鮮人が井戸に毒を入れたというデマが全国的に飛び交い、少なくない数の朝鮮及びアジアから日本に来ていた外国人が自警団に殺されたと言われている。それについては真偽のほどはともかくも今のこうした世相をみると、そうしたことも決して起こりえない、有りえない話ではないと思わざるえない。
 
 以前も書いたことだが、寛容さを欠いた時代である。ただ何となく気に食わない奴が何か問題を起こすと、とことんマスコミでもネット上でも皆で叩く。その攻撃は常軌を逸している。これはいわば「イジメ」「集団暴行」に近しいものだ。その攻撃目標とされた者が自殺すれば気が済むのであろうか。そんな小悪よりももっと大きな巨悪は存在しているのを知らないのか。

 ナザレトのイエスは、言った。「自らに罪なき者はこの女を石で打て」と。おそらく今の日本人なら嬉々としてその汚れた女を石もて殺したであろう。いったいいつからこの国の人たちは自らの「正義」を過信するようになってしまったのか。昔の日本人が持っていた温和さ、やさしさはどこへ消えたのか。
 人は弱い愚かなものだ。失敗もしでかす。ならばゆるすしかないではないか。犯罪とも呼べない過ちに対して「死刑」を求める人たちが多くいる。彼らが頼むものは日本という国家なのか。大多数の側の自らと相容れない考え、思想、行動をとる者は「非国民」として糾弾する。それは私が考え愛する日本と日本人ではない。
 この国はどこへ向かうのか。

いつかそのうち、今度また、なんてなかった。2013年11月07日 11時28分38秒

★パソコンが壊れて気づかされたこと アクセスランキング: 191位

 また天気が悪い。明方、また強い雨の音で起こされてしまった。昨日は晴れてからっとした絶好の洗濯日和であったが、今年の秋は、晴れが続かない。秋に三日の晴れなし、である。

 実はパソコンがまた壊れた。まだ買って一年も経っていない富士通のデスクトップがである。サポートに相談したらハードディスクの交換となるとのことで、明日金曜に、引き取りが来る。幸い保証期間中なので、一切の代金はかからないと思うが、憂鬱である。面倒なことになった。今これは、別の前から使っていた東芝のノートパソコンで打っている。

 おそらく自分だけではないと思うが、人は忙しさにかまけてやるべきことを先送り、先延ばしにするものである。つまり今は忙しくてその時間がない、今度の休みとか時間ができたらその時にやる、と決めて後回しにしていく。だが、「そのとき」が来たら来たで、また何かとやることはあり忙しいから結局やろうとしていたことはできず、ただ懸案のことが溜まっていく。
 サラリーマン氏なら定年後は毎日が日曜日となるから、そうした常日頃からできなかったこと、例えば買ったものの読まずに山積みとなっていた本を読むとかはできるかもしれない。が、自分のように、オンとオフの切り替えもないただ何だか常に慌ただしいだけの人間はヒマになることなどないし、平日が休めるということは休日も休めないということで結局休みの日などないに等しい。そうこうして半世紀以上生きてきて、先延ばしにしてきたこと、いつかそのうち今度また、やろうと考えてできなかったことが山ほど溜まってしまった。それはモノでもある。

 先だって新しくウインドウズ8の入ったパソコンを手に入れた。容量が2TBもあり、テレビも観れて録画機能もあった。だからつい嬉しくて、ディーライフも観るようになったし、そこから気に入った番組、忙しくて観ることがかなわない回などはそのパソコンに録画するようになった。また、NHKBSプレミアムでやる映画なども。しかし、それらは今回、すべて消えてしまった。ヒマになったら観て、残すべくはDVDに保存しておこうと考えていたものがすべてだ。
 また、メールもどうやら消えてしまったようで、そのパソコンで書いて送ったメール、原稿なども探してもみつからない。幸い、同じメルアドでこのノートパソコンもメールは送受信していたから、すぐにやりとりで困ることは特にない。が、自分が相手に送ったものが消えて確認できなくなってしまったのでそれが悔やまれる。

 まあ、まだそのパソコンで本格的に作業は始めてなかったから失われて大騒ぎするほど大切なデータは沢山入ってないのが幸いだった。国産の機種、信頼できると思ったメーカーであっても油断してはならない。常にこうした不測の事態を想定してバックアップをとっておくべきであった。

 まあ、禍福は糾える縄の如し、なのであるから、良いこともあれば悪いこともあるのが人生で、このトラブルにも特に何も思うことはない。面倒なことになってしまったがこれもまたメッセージなのだと受け止めるしかない。

 つまり、いつかそのうちに、とか、今度また、時間ができたらと先延ばしなどしてはならないのである。そんなときはおそらく絶対来ない。何故なら今生きているだけ、日々生き抜くだけで精一杯なのだから余裕や時間的ゆとりができるはずがない。もしその時ができたとしてもテレビなど観るよりもっとやるべきことが山ほどある。すべては、今とそのとき、その時々だったのであった。

 そう生きているだけで精一杯、生きているだけで良いのである。先延ばしにしたりいつかそのうちになんて考えてはならない。今だけをしっかり生きていく。それだけで良いのだ。まず「今」に専念しろだ。今しかないのだ。

今年の無頼庵忘年クリスマスライブは12月23日に決定。2013年11月08日 21時25分28秒

★先行き不安なご時世ですが、今年も忘年・謝恩の集いやります。ぜひ、どなたでもお気軽にご参加ください。
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 パソコンは、夕刻、持って行かれてしまった。引き取りに来たのは、以前もウチに来て梱包して持ち帰った日通の下請けのオジサンで、どうやらこの人はパソコンの引き取りを梱包も含めて請け負っている専門業者らしい。パソコンのメーカーは関係なく、各社とも修理に際しての引き取りは日通に任せて、ウチの近辺はこの人が来てプチプチでくるんで箱詰めして持ち帰り各工場に送るのである。直っての配達もこの人だったと記憶する。そういう仕事があるのだ。

 さて、いろいろ不穏な政治情勢で気持ちは焦り追い詰められたような気分でいるが、それはさておき、毎年ウチの年末恒例イベント、無頼庵歳末謝恩ライブを今年も行う。曜日が確定したので早速お知らせしたい。

 毎年クリスマスの前後の休日にやっているこのイベント、今年は23日月曜祝日の天皇誕生日に開催したい。時間は午後2時頃から夜10時頃まで。むろん泊まりも可能である。

 代金は一般参加は千円。ミュージシャン、アーチスト、パフォーマーなど何か当日、演ってもらえた方は無料とする。これは毎年のことで、今年一年の感謝の気持ちを込めて、広く無頼庵と関係された方々にお知らせしていく。むろん、拙ブログの読者の方も遠慮なくご参加願いたい。

 今年は映画塾関係の方も詩朗読の関係の方も、そしてフォークシンガーの方々も広く合同で一堂に会して集まれたらと夢想している。ともかく異分野、異なる業界の方であろうと、皆で唄い、語り、飲み、食べ、話し、映像も流し、詩も詠んで今年一年を振り返り来年に向けて英気を養いたい。
 増坊も今年こそ、しっかりギターとうたを練習して、一年の成果を披露できたらと考えている。ぜひぜひどなたでも皆お気軽にご参加ください。

 お手数ですが、今からカレンダーに印をつけておいてください。豪華抽選会もやります!

 と、テレビでは島倉千代子、お千代さんの訃報が流れていた。自分が子供の頃からずっと親しみ大好きだったお千代さんの珠を転がすような美声はもう聴けないのか。残念である。一番彼女の持ち歌で好きな曲は、むろんのこと「愛のさざなみ」である。異論あろうか。お千代さん、お疲れ様でした。極楽でも皆をうたで励まし楽しませてください。合掌!

我もまたネット依存症かも2013年11月10日 17時11分10秒

★ネットとは「今」と繋がっているという「幻想」
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 メインに使っていたパソコンを修理に出した。今それが乗っていた机の上にはぽっかりとした空間が広がっている。目新しいような少し寂しいような不思議な気持ちである。そしていかに日々、それに向き合っていたのか気がついた。

 昨今、中高生ら子供たちの間でケータイ依存症のようなものが蔓延して教育の場で問題化していると新聞で読んだ記憶がある。つまり始終起きている間は携帯の画像を開いてメールやら何やら確認せずにいられないのだという。
 自分は携帯電話はいちおう持ってはいるが、それではメールのやりとりはCメールでさえできないので、そうした携帯依存とは縁がないが、街には確かに、中高生でなくても携帯片手に画面を覗き込みながら歩いている人すらよく見かける。今の電車の中などは携帯をいじっていない人のほうが少ないほどだ。

 要するにメールやら来ているか確認しまたこちらからも送ったりとそうしたやりとりに忙しいのかと想像するが、今パソコンを修理に出して自分もまた携帯ではなかったが同様なことを日々やっていたことに気がつく。

 居職の身なので、基本的に毎日家にいる自分だが、二階に上がると常にパソコンを立ち上げてメールを確認していた。それが日に何回に及ぶのかわからないがかなり頻繁だったと思う。
 別にそんなに売れっ子ではないし、友達も少なく個人的メールなど一件もない日さえ多々ある。しかし一応ネットで商売している関係上、注文に迅速に応える必要からメールチェックは欠かせない。けっきょくそうしたことから必要なくてもメールをやたら開く習慣、パソコンを日に何回となく覗き込む習慣がついてしまったのだ。

 そして今、そのパソコンがなくなって二階のその場所に行っては空っぽの机を見て、ああ、そうか、ここではメールは確認できないんだと気がつく。そうした行為が日課、いや、日に何十回もの日常的繰り返し行動になっていたのだ。パソコンを修理に出してようやく気がついた。

 まあ、もう一台の今使っている、このノートパソコンがあるのだが、それは立ち上げるのに時間がかかったり、設置してある場所まで行きつくのに不便な場所にあるのでそう気軽に起動できない。だから自分のメール確認しないと不安症は治まりつつある。どうせ大したメール、連絡などはほとんどないのである。なのに何故メール確認に精だすのか。

 しかし、そうした携帯やパソコンに依存する、囚われる「心理」を自分なり分析してみると、一つに、何かを待っている、つまり誰かから良い知らせ、嬉しい連絡を期待している、ということと、その立ち上げた時点で、「今」とつながっているという安心感があるからだと思える。
 今と繋がっている、というのは抽象的な表現だが、少なくともその時点ではジャストナウに、「世界」を認識しているということと他ならない。むろんそんなのは幻想であり、知ったそのとき、「今」さえも、得たものはほんの一部の情報、しかも管理と選別されたものでしかなく、真に大事な情報ではないのだから、本当はどうでもよいようなものだ。

 しかし、携帯やパソコン、つまりインターネットの利点とは、その時点での今、リアルタイムのことが一番早く伝わる、伝えられる手段、ツールであるから、やはり「世界」と繋がっている感は確かにある。それは良いことであり、安心、自信にもなろう。

 つまるところ自分も含めたそうしたネット依存症とは、心の根底に漠然とした不安と、満たされない不満があり、届く良い知らせを期待して待つ気持ちと今の世界と繋がっているという安心感を得るために携帯やパソコンが欠かせないのだと考える。

 本当に自らのことで忙しく、満足して自らのことに専念して集中している人はインターネットなど全く不要だと思える。メールのチェックもせいぜい朝晩程度で何一つ困ることはない。我もまたそうありたいと願う。緊急の連絡ならば携帯電話か宅電にかけてくれればよいのだ。もうメールやネットでのニュースや連絡など確認しなくてもかまわずに生きていけるようになりたいと今は望む。
 でもきっとパソコンが修理から戻ってきたらまた元の習慣が復活するかもしれないが。まあ、外でも携帯操作に夢中になるほど自分はまだ重症ではないからそれでも良いのである。

 しかし自分はいったい何を「待っている」のだろうか。恋しく思う女の子からの返信メールを待つという歳ではないのだから。その心理が訝しく思う。