名護市長選の結果に思う2014年01月19日 22時53分08秒

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 人間というのは、良心や良識を本来持っているものだと信ずる。悪いことは悪いし、ならぬものはならぬものだ。それは人として絶対に譲れないもの、プライドであろう。
 例えば、札束で頬を叩かれ土下座して従えと飴と鞭両方を用い、強い力あるものから強制されたとして、ヘイヘイ、はい、わかりました、と素直に従う者は人間ではない。ニンゲンのかたちはしているが、それは奴隷であり、豚や牛たちと同じく家畜の仲間だと言ってもよい。

 危険な米軍基地が住宅の真ん中にあり、それを撤去してほしいと誰もが望む。しかし、その移設先として辺野古の海を埋め立てるというのでは、真の問題解決にはならない。それは沖縄県内への基地のたらい回しであり、新たにまた基地を固定化するだけのことだ。最低でも県外移設を誰もが望み政治家たちは公約に掲げてきた。

 それを交付金や振興策と引き換えに、辺野古受入れを表明した知事に倣い、地元の海に新たに基地をつくることに応じてしまえば名護の市民たちの良識が疑われよう。金は誰だってほしい。しかし、金よりも大事な大切なものもまたあるはずだ。
 未来の子供たちに残す綺麗な海、基地も戦争も必要のない平和の沖縄であろう。一度失ってしまった自然はもう後には戻せない。金と引き換えに危険な基地を受けれたとしたらその大人たちは未来の子供たちに顔向けできなくなる。

 いつの間にか、この世の中は全て金だけが価値を持ち、金さえあれば、金になるならば何でも許される、何でもできると考える人ばかりとなってしまった。まさに長いものには巻かれろ、力あるものには従え論である。それこそ金のためだからと自らの命さえ削って会社に飼い殺しされていく者たちが後を絶たない。そこには人間の尊厳がない。

 政府自民党は、そうした世相を受け金の力で名護市民たちも思い通りにできると考えたのだろう。自民党の石破茂幹事長が現地入りし、新基地と引き換えに「名護振興基金」500億円を創設する考えを示した。が、市民は飴よりも基地NO!を毅然として突きつけたのだ。この男、さらにまだ臆面もなく、「米軍基地の場所は、だれの権限で決めるか、だれの責任で決めるかということは、それは政府が決めることだ」と強弁、基地の場所は住民の意思ではなく政府が(勝手に)決めることだと持論を展開している。ならばまさに、「500億円」で名護市民の頬を殴って従わさせる傲慢このうえない手法であろう。名護市民でなくても憤りを抑えられない。

 人間が人間であるためにはその矜持を失ってはならないはずだ。今回の選挙結果はそのことを示している。金になれば、金のためなら何でもするというのは人間ではない。人には未来を選ぶ権利がある。権力に恫喝され唯々諾々と従う政治家たちは去れ。その自らの良心に従い良識を示してくれた名護の人たちに感謝したい。今晩は久しぶりに枕を高くして眠れると思える。