沈んだ心に再着火2014年01月25日 16時27分45秒

★心もフリーズすれば良いのに           アクセスランキング: 192位

 コンピュータ、特に家庭用のパソコンなるものは、人間の思考回路をもとに、人が使いやすいよう作られている。だから逆に考えれば、人もまたパソコンと基本的に仕組みは同じだということになる。

 いくつかのタスクを同時進行でやることもできなくはないが、あまりいっぺんにあれこれ難作業を詰め込むと負荷がかかりパソコンならば、フリーズしてしまう。人間ならばパニック状態となったり、ときに鬱的症状が出たりと体調を崩し病気となったりやはり不具合が生じてくる。
 また、古いマシン、老人は容量が少ないから処理能力が新しい機械や若者より当然劣るがゆえ、スピードは遅いし、できる作業にも限界がある。「記憶」=メモリも一度消去したり上書きしてしまえば、それまでのものは消えてしまう。本当は、人も外付けのハードディスクのようなものが後から取り付けられればもう少し記憶も動作も早くなるのにと嘆息する。

 このところあれもこれも同時に処理しないとならない「問題」が発生して、どう振り分けるか、どれから片づけていくべきか頭を痛めていた。また、そこに、自らの迂闊さと愚かさが招いたトラブルも抱えて、忙しい最中なのに気持ちは落ち込んでしまった。
 自分のバカさは今に始まったことでないし、そんなことで悩みもしないが、やはり他者を巻き込んだり、迷惑をかけたとなると、何も思わないわけにはいかない。自分の過ちを友人からも叱責されると、当然、毎度のことではあるが、何で俺はこうなのか!と忸怩たる苛立ちや怒り、情けなさで頭と心はいっぱいとなる。
 パソコンもまた同様な事態となれば、不具合が出てうまく作動しないか、フリーズしてしまうだろうが、人間は残念なことに気持ちはフリーズさせることはできない。そこが機械と人間が違うところだ。そう、何も思わなければ良いのに。

 俗に、バカは死ななきゃ治らないと言われる。しかし、死ねば治ったのではない。死んだが故、もうバカなことはしなくなる、できなくなるにすぎない。ならば、これから死ぬまでバカなことをまた自分はやるかもしれない。いや、バカ故にまたきっとしてしまうだろう。
 バカボンのオヤジのように、それを全面肯定してどんなときでも常に「これでいいのだ!」と言い切れたらどんなに楽だろうか。

 気持ちが萎えるといつものように勢いでブログも書けなくなる。バカだから自らの立場、不始末はさておき、あれこれ政治をはじめ世間のことをつらつら臆面なく書けたのだ。それはそれ、これはこれという割り切って考えることもできよう。が、今はしばらくは自粛したほうが良いように思える。
 あるいは人のこと、世間のことはもう一切何も書かないということにするかだ。しかしそんな「自分のこと」だけ書いていったい何がおもしろいのか。誰が読んでくれるのか。