春はそこまで、あと少しの辛抱なのだけれど・・・2014年02月13日 09時19分25秒

超高齢犬バドおじさんは何思う
★辛酸佳境度の増した近況を記す        アクセスランキング: 135位

 今日もどんより曇り空。今にも雪が降り出しそうなほど寒い。週末はまた雪との予報である。
 この国に生まれ長く生きても来たので、冬とは二月が一番寒く雪も降ることはわかっていたし覚悟もしていた。が、この冬は、2月初旬に春一番が吹く頃のような暖かい日が続き、雪も降らずにやり過ごせるかとおもっていたところに、先日の何十年ぶりかの記録的積雪となり、おまけに以後ずっと天気も悪く気温の低い日が続いている。雪も公道はともかく庭や畑はまったく溶けていない。これでは冷凍庫の中で暮らしているようなもので当然寒い。大雪の後、連日ものすごく冷え込む。

 マス坊の寝室にはエアコンなどがない。昨晩は寒くてよく眠れなかった。山梨でもないのに、顔や頭が冷たくてどうにも熟睡できない。むろん電気あんかは最強にして、腹に抱きかかえたりして暖はあるのだが、布団から出て外に出ている部分が気温の低さで耐えられない。鏡を見ると花や耳たぶが赤くシモヤケ状態となってすこし痛かゆい。こんなことは久しぶりである。あまりの気温の低さに風邪でもないのに鼻水がだら~と垂れてばかりだ。

 このところ選挙のこととか公的なことばかり書いていたので私的なことを少し書きたい。
 親たちの風邪というか、インフルエンザ騒動は無事治まった。大して寝込むこともなく、一回病院で点滴打って、後は薬飲んでひたすら寝かせておいたら、わりとすぐに熱も下がり元通り食事もとれるようになった。ご心配おかけしましたが、たぶんこの冬はこれで乗り切れるかと思える。
 が、一年でいちばん年寄りの死ぬのが多いのは、二月、八月と言われるように、ウチと親しくしていた栃木の郷土史家の訃報が入り、本当は葬式に出向くべきところだが、親たちもまだ本調子でなくおまけにこんな気候なので断念した。香典は参列する親戚に立て替えてもらい弔電だけ打っておくことにした。

 その方、Hさんは、栃木藤岡町の町議会議員のかたわら、「旧中村の遺跡を守る会」の代表として長らく活動を続けてこられた。まあ、88歳というお歳であったから天命かとも思うが、残念でならない。自分の母方の出は、日本の公害闘争の原点、足尾鉱毒事件と田中正造で知られる、廃村を余儀なくされた谷中村であり、今も祖先の墓石は渡良瀬遊水地の岸辺に残っている。そうした遺跡を保存し過去の「闘争運動」を記録に残し語り伝える活動を続けられてきたのが彼であった。ずいぶん長らくお世話になった。あの世で田中正造翁からねぎらいの言葉を頂いていることと思う。かの地での様々な思い出と感慨が湧いてくるがそれは私的なことだから記さない。

 誰もが必ず死ぬ。自分は「生まれ変わり」などは信じないが、「来世」はあると思うし、「あの世」というか「天国」はあると信ずる。だから肉体は滅びても魂は永遠だと考えるのでこの世での別離は哀しく残念でもそれはそれとして受け止めていこうと思っている。大事なことはこの現世で、自らのためだけではなくどれだけしっかり、他者=隣人のため、世のため社会のために生きたかであろう。
 しかし、死に臨む者を抱える側としてはなかなか「死ぬ」だけでも一苦労というか簡単なことではないと思う。それは生=生きていることがともかく面倒なことだという証なのかとも考える。

 ウチの老犬バドが今年は19歳となろうとしている。去年の春ごろから自ら歩けなくなって、もうその夏の猛暑は越せないものと誰もが観念していた。ところが、夏を越し、秋が過ぎ、そして年が明けまた冬が終わりに近づく今もまだ生きながらえている。人間にすれば百歳は超えている。レトリバー種の大型犬の家系だと考えればまさにギネス級だと思う。すごい生命力だと感心している。
 この冬はともかく寒いので、暖かいぽかぽか陽気の日は外に出し日向ぼっこはさせてもあとは基本的に室内か玄関の中で毛糸のショールをかけて寝かせている。もう食事時以外はほぼ一日うつらうつら眠ってばかりだが、まだ歯もあるし何より食欲だけは旺盛で毎食しっかり食べる。それが長寿のヒケツだとわかるが、問題は下の世話である。

 以前は、朝夕、自らは歩けなくても人間が犬の腰にベルトを回して後ろ足を持ち上げてごく簡単に町内を一周させて用便を済ませていた。が、この寒さと雪も残る天候では外での散歩もままならないし、当人もこのところさらに体力が衰えてきてろくに歩かなくなってきた。
 仕方なく、一日に何度も様子を見計らっては室内から庭先へ、抱きかかえて連れて行き小便をさせる。当人も家の中でしてはならぬとわかっているので、したいときはもじもじ徘徊するのでそれとわかる。
 問題は大便のほうで、お尻もゆるくなってしまったのか、どこまでが当人の意志なのか、寝ていてもいつの間にか出てしまうのである。それも外に連れて行ったときにするならまだしも、室内で真夜中に小便と共に垂れ流したり、玄関に入れて寝かしておくといつの間にかウンチもしてあることがよくある。しかも当人はその上を這いまわったりしてしまうので体についたり床になすりついたりと大変な事態となる。
 正造翁は谷中村の苦境を評して「辛酸佳境に入る」と言ったが、このところウチもまた「辛酸佳境」度が増してきた。バドの体を拭き、濡れた床を雑巾で拭き、玄関のこびりついたウンチを削りとるときそういう思いがわいてくる。老ニンゲンもこのところ、謎のロシア人「クソチビリ・モラシェンコ」と呼ばれる有様なので、今は家中どこもかしこも糞尿臭が漂っている。情けない困った状況である。

 今、バドは夜は親たちと一緒に裏の部屋で、デロンギの効いた暖かい部屋で夜は過ごしている。しかし必ず明け方、用便に騒ぎ出し、親、つまり母が起きられれば外に連れ出すこともできるが、まだ暗いうちだとそのままにされてしまうので、糞尿まみれで朝を迎えることが多い。
 日中でも室内から外へ抱きかかえて連れていく途中で小便を垂らしたりとさすがに今までよりもさらに介護の手がかかるようになってきた。人間ならば施設に入れたり、アメリカ人なら安楽死させるレベルとなったという感慨がわくが、ともかくまだ意識もあり、当人もけんめいに生きているのだからこちらも頑張らねばと思う。もう20年近く共に暮らしてきた大事な家族なのだ。最後までこの家で面倒をみてやるべきであり、それができることは幸福なことであろう。

 しかし、反面その介護で人間も老人なのでかなり疲労困憊している。一番若いこの自分だって、腰痛と右腕の痺れが慢性化している。山梨の温泉に行ってゆっくり雪見ながら湯治をと願うが、バドとボケ人間の世話もあるのでなかなか出かけられなくなってしまった。
 いや、そうでなくても今行きたくても天候のせいで何回もキャンセルが続いている。いろいろ天候の都合もあって行きたくても行けないのだ。
 山梨の元の管理人と電話で話したが、向うは50センチの積雪だとのことで、急こう配の山道を上っていくその古民家へは怖くて行けないとのことだった。たぶん、チェーン巻いてても道は凍っていてかなり危険だと推測する。そんなで年明けに一回行ったもののこの冬は行きたくても行けないでいる。

 そんなでもう雪が解けて春にならない限りその北杜市須玉の古民家へ行くことは難しいのかなあと嘆いている。これでは、まさに「山小屋」である。雪の前に戸締りして春が来て雪が消えるまで行けないのでは半年間近く使えない。これでは本当に困る。しかし、そういう場所を選んでしまったのだ。それもまた仕方ない。
 逆に、無理して行って、大雪に見舞われたりしたら、春が来るまで古民家に閉じ込められて映画「シャイニング」状態となろう。それも困る。あれもこれもモノゴトがうまく進まず焦り苛立つがともかく春はすぐそこまで来ている。そう考えてあと少しの辛抱だとも思う。暖かくなればバドも外に出せるのでその世話ももう少し楽にもなろう。

 厳しき寒さはあと少し、どうか皆様もご自愛ください。