本を破く人たち考2014年02月28日 09時42分41秒

★本でも何でもわざわざ傷付けて捨てる人たちがいる。

 図書館に置いてある、アンネの日記という本が、大量の数破られていることが発見され、大きな社会的事件となっている。コトは、図書館のだけではなく、書店の新刊にまで及んでいることも発覚、これはもう犯罪、刑事事件として犯人をみつけなくてはならない。むろん、新刊、図書館本の違いなく、こうした異常な行為は病的「犯罪」に間違いない。

 ただ気になるのは、その犯人のコトに及ぶ心理であって、何故に「アンネの日記」及びそれに関する本なのかだ。想像にするに、ネオナチ、ナチズム信奉者のような狂信的ウヨク傾向にある者の犯行ではないか。正しい右翼はこんな卑劣かつ姑息な行為はしない。
 愉快犯的一過性の思い付きではなくある程度確信的計画的行為であることがその破られた本の数からも読み取れる。場合によってはこの犯人は「裸足のゲン」にも同様の行為をしてもおかしくない。それにしてもこんなことをして何になるとこの犯人は考えているのであろうか。そうして破損本が処分されてやがて日本からアンネの日記という本が消えて誰も読めなくなる、読まなくなるとでも願うのか。そんなことが可能だと考えているのか。

 出版・言論の自由の危機が叫ばれている。そして今またこうした自らの思想信条と反するものを敵対視し実力行動に出る者もいる。そういう世相なのかとも思う。しかしあまりにも短絡的かつ狂信的としか言いようがない。自らと考えが異なる他者を尊重しない者は同様の扱いを受けよう。その両者が出会えば解決は力による衝突しかない。けっきょくその思想、発想こそがホロコーストを生んだナチズムであり、アンネも含めて数多くのユダヤ人が地上から抹殺されたのである。そして犯人はそれに倣ってアンネの遺した日記までも抹消しようと本を破くという行為に情熱を傾けているのであろう。

 さて、実はここまでは落語でいうところの枕でしかない。自分が書きたいのはアンネの日記に限らず、「本を破く」 という行為についてである。古本屋として数多くの本を扱かってきた。そしてかなり多くの割合で「破れ」のある、傷んだ破損個所のある本とも出合った。しかもそれは自然劣化とか幼児・子供のした行為ではない。たぶん持ち主、所有者が自ら「破いた」本なのである。その行為について考えて稿を進めていきたい。

※長くなるので次回へと。