世界をもっと大きく広く、そして深く・前2015年01月30日 20時26分11秒

★一月終わりの雪の日にまず古民家のこと       アクセスランキング: 179位

 今日は朝から雪が降りだし、一時は一面白く積もるほどであったが、幸い午後からは雨に変わり夕方にはその雨もやみ雪も大方溶けたようだ。
 実は昨日からまた山梨へ行く予定でいたのだが、関東甲信でも積雪との予報だったので断念した。向こうに行けても中央道はチェーン規制が出ていたから今日中に帰ることは難しかったかもしれない。

 東京で積もる雪ならば長野よりの北杜市の山間部では10㎝近くは降っただろう。タイヤは冬用のスタッドレスタイヤに先日替えたばかりだが、裏道には除雪車も入らないので果たしてタイヤの問題以前に車が通れたかどうかだ。
 自然の中で暮らすということはその自然の脅威を間近に実際問題として受け止め受け入れることに他ならないと気づく。快適かつ便利な生活を望むならば自然や田舎ではなく都市生活に限る。それでも少しの雪に皆が大騒ぎし大変だと騒ぎうんざりもするのだ。

 ウチから日帰りでも行けるその山里は夏は涼しく静かで本当に良いところだが、じっさいのところ冬の間はおいそれとは通えない。凍ったかなりの坂道を上り下りして行けたとしても少しの雪でも公道までも出られなくなる可能性があることと去年の冬の様な豪雪ともなれば一週間も完全に雪の中に集落ごと閉ざされ孤立してしまうのだ。ならば冬はもう行かないと決めるか、食料や燃料持参で籠城の覚悟で行くしかない。

 しょせん「別荘」暮らしなど夏だけのものと割り切るべきかとも考えるが、それではあまりにもったいない。ただ今の人は寒さには格段に弱いから冬など誰も同行してくれないし結局一人で映画「シャイニング」状態となって雪に閉ざされ孤独に耐えるしかない。
 今はテレビも電話も何一つないこともそうしたとき不安に思える。やがてはネット環境も取り入れて、その古民家からでも「発信」できるようにしなければと考えている。

 それと必須の生活道具は、薪ストーブである。向こうは山の中なので伐採して放置された丸太や枯れ枝などいくらでも道端に転がっている。燃料にはことかかない。薪ストーブさえあれば、たとえ電気やガスが切れたとしても凍死もしないし料理もできる。山の中で生きていくためにはまずは薪で炊くストーブが必要だと二年目の冬痛感した。

 今は2015年の1月の冬。がんばって生活を立て直して安くても鋳物のストーブを手に入れて設置して今年の新たな冬には薪ストーブをガンガン燃やして暖をとる快適な生活を夢想している。
 いちおう設置業者も薪ストーブ自体もほぼ選定は終わっている。問題は冬が来る前までに、秋口のうちにその資金が作れるかだけだ。

 しかし薪ストーブさえあれば広い家の大広間でもかなり温まるはずだから、友人仲間も誘い冬でも集えるはずだ。今のような自分でも寒くて耐え切れず夜は布団被ってひたすら寒さ我慢して早めに眠るしかない暮らしから早く脱したい。

 何にせよすべてはいかに機能的に暮らせるかであり、山里の古民家であろうと何とか改善を図るべく模索していくしかない。でないと冬は行かれず使えずもったいないに尽きよう。

 古民家再活用と言いながらちっとも再活用できていない。夏の間だけ行ってそこを倉庫代わりにしているだけでは真の活用ではない。

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