思いはかなわず伝わらず だが・・・2015年02月01日 00時30分18秒

★人生は長く虚しいものか      アクセスランキング: 163位 
 
 良いライブであった。笠木透さんを追悼するコンサート、かけこみ亭で、多くの出演者とぼちぼちの観客とが集いそれなりに盛況となった。自分も企画から関わり末席ながらもちょっこっとだけ出させてもらい1曲だけ唄えた。満足のいく出来ではなかったが、歌いたいという気持ちだけは実現できた。歌に託した思いは届いたであろうか。そして改めてうたについて多くを考えさせられ学ぶところが大きかった。
 いろんな方々の笠木さんとの思い出や彼と彼のうたについての思いが聴けてとても面白く示唆にとんだ一夜となった。

 さっきまでかけこみ亭での気の合う仲間たちと楽しいときを過ごしとても楽しかった。だから手放しで喜びたいのだけれど、いろいろ心にかかることや心配ごともあって、祭り後の淋しさ的に、帰りの青梅線での自分の後ろ姿はきっと肩を落としてとぼとぼと歩いていただろう。今日はやけにギターケースが重かった。

 笠木さんに対する思いはどうにか自分なりに表現できたかもしれない。だが、その他の今回の企画に対する自分が込めた気持ちは結果として実現しなかったこととなって、いろいろ先走って宣伝したりして関係した方々にまたも迷惑をかけてしまった。

 当たり前だが思いはなかなかかなわないということだ。我がことではないし、人にはそれぞれ個人的事情がありこちらの思う通り、願うとおりにはならないこともわかっている。でも良い企画であっただけに、その場にいて欲しい人がいないことはやはり辛く淋しかった。むろん本人の気持ちとは関係なく来れない事情があるのもよく理解している。

 いや、そうした気持ちを拡大すれば誰か特定の個人ではなく、どうしてそうした場に来てほしい人はなかなか来てくれないのだろうという思いに尽きる。
 良い楽しいライブであったからこそ、その後で帰り道に何ともうまく表現できない気持ちになってしまうことが多い。それは「淋しさ」なのであろう。むろんその後で家に戻り誰か妻なり親しい人に、あれこれそうした感想的な気持ちを語り、吐き出すことができればたぶんそのもやもやも晴れるのかもしれない。
 が、自分には誰もいない。老親たちは寝静まった家の玄関をそっと開けて自室に戻り今これを記している。

 亡き高坂一潮さんの名曲「だびよんの鳥」はこうした淋しさを巧みにうたにしている。
 (うたにある)そのフォークシンガーは自らのステージを終えて、客たちも全部帰った後に一人重たいギターケースを抱えてライブハウスを出る。頭上には満天の星。たった一人でよその土地に深夜に一人でいる彼の心中にあるのはいったい何であろうか。虚無か、無頼か、淋しさか、それとも満足感か。
 その答えは出やしない。ただ一つだけ言えるのは知る限り一潮さん以外にそうした宴のあとの「淋しさ」をまるで映画のようにイメージさせて「うた」に切り取った人はいないということだけだ。
 ごく当たり前の誰もがふとしたときに感じる日常の中での淋しさや哀しみ、あるいは胸が痛くなるほどの愛おしさを彼は実に巧みに自然にうたにしていた。今など彼のアルバムを聴くと、いや、うたを思い出しただけで泣けてしまう。そうしたうたを作りうたった人がもういないことも含めてだ。

 私事だが大事な人が仕事で今苦境にあり届いたメールには、「人生は長く虚しいものです」とあった。むろんそれを否定するための励ましの長いメールも言葉を選んですぐに返した。こちらの思いは伝わったかはわからない。
 人生はすばらしく、生きるに価値あるものだとの信念は変わりはしない。が、その虚しい気持ちも実のところ実によくわかり同感してしまうし、楽しいひと時の後ですら絶望的なほどの「淋しさ」に襲われるのも人生なのだ。

 いったい人は人にどれほどの思いが伝わるのであろうか。自らの思いはかなわず、そして相手には伝わらないのが当たり前、それがデフォルトとして、それを前提にして生きて行かねばならないのか。淋しさの根源とは実はそこにあるように思える。

 こんなことを独り言のように書き連ねても誰にも伝わらないだろう。それぞれの淋しさの種類も質も異なろう。しかし今日のライブで一番感じたたことは笠木透とは実に幸福な歌い手ではなかったか。
 自らが思う通りにうたを作り自ら思い通りに唄い、それを支える仲間たちがいてそしてこうして彼を慕い偲ぶフォロワーたちがいる。幸運な歌い手はいくらでもいる。しかし幸福な歌い手は実はあまりいない。彼に比べれば一潮さんはつくづく可哀想だったなあと思う。幸運にも幸福にも遠かったと言ってしまうのは失礼か。
 いや、彼には素晴らしい音楽仲間たちがたくさんいた。結果として不慮の死に向かうこととなったが、彼の音楽人生は満ち足りた幸福なものであったと信じたい。

 じっさいのところ、人生は長く虚しいものであるし、淋しさは自分だけのものではない。しかし、だからこそ人はそれを抱えて踏まえて生きていかねばならないしそこに「うた」が生まれる。
 そして真にすぐれたシンガーはそのこと、その部分をどう歌にするかなのだ。うたにメッセージがなくちゃだめだとさんざん書いてきた。でも今思うのは、そんなのは実はごく簡単なことであって、かなわぬ思いや伝わらない気持ち、そして説明できないような淋しささえもうたとしてカタチにできるかが問われている。
 笠木さんや一潮さんのうたにはそれが確かにある。だから胸を打つのだと今日はっきり見えてきた。うたとは実に奥深い。

一番怖れていたことが現実に~それでも 地に平和を!2015年02月01日 09時05分20秒

★後藤さんの遺志は「報復のための戦争参加」ではない。         

 朝起きてネットでニュースを知り布団の中でしばらく声を殺して泣いた。
 昨晩は零時過ぎ戻ってブログに笠木透追悼コンサートの報告のようなことを書き上げすぐにベッドに入った。いや、しばらくは寝床で新約聖書を繰っていた。そのうち瞼が重くなりいつしか眠った。
 でも何故か眠りが浅くあれこれ眠りながらも考えていたらしくうなされまだ暗い中何度か起きてしまった。
 膠着状態に陥っているシリアのイスラム国との人質事件のこともあれこれ考えていた。トイレに起きてから寝なおしそれからはナンセンスな夢をだらだら見て8時頃目が覚めた。
 外は明るく晴れてはいたが北風が音たてて吹いている。。

 そしてパソコンを開いて目に入ってきたのは後藤健二さん殺害か という見出しであった。いちばん最初の映像、湯川氏と並んだときと同じ服装で彼がひざまづく写真がそこにはあった。新しくネット上に投稿された映像からのものであろう。その結末はすぐに想像できた。

 まさに残虐かつ非道卑劣であり彼らは人間ではない。どのような大義や理屈があろうと民間人を、それもかの紛争地域を取材し現地の人々の窮状を世に知らしめ人道的援助を説いてきた人を殺したのである。

 憤りだけでなく様々な思いに胸が張り裂けそうに痛い。今もドキドキして心は鎮まらない。まさに胸が痛い。張り裂けそうだ。
 
 安倍首相は記者団に「非道、卑劣極まりないテロ行為に強い怒りをお覚える」と非難し「テロリストたちを決して許さない。その罪を償わせるため国際社会と連携していく。日本がテロに屈することはない」と語った。
 
 テロに屈しないことは当然である。が、「その罪を償わせる」とは「報復」行為を意味するものであろう。彼らテロリストたち撲滅のために自衛隊を派遣し日本も対イスラム国への戦争に参加していくことすら検討されるかもしれない。有志連合への後方支援から始めて。そして多くの国民は復讐を歓迎するかもしれない。

 だがそれこそが後藤さんが一番望まないことのはずだ。紛争の拡大ではなくその地が安定しそこに住む人々誰もが安心して平和に暮らせる世界を彼は望みそのために危険を顧みず取材活動してきたのだ。
 さらなる軍事的参加や戦火の拡大はテロリストたちだけを殺すのではなく、また新たな被災者や難民を大量に生み出す。そして紛争の火種は世界中に拡散していく。地球はさらに疲弊していく。

 後藤さんの殺害というあまりの衝撃を受けて考えはまだ何も浮かばない。心は千路に乱れている。今はまず彼の冥福と残されたご家族の心痛を思い悼むことしかできない。様々な思いを残してさぞや無念であっただろう。

 勇気ある優れたジャーナリストが殺された。しかし地に落ちた種、その思いははその何百、何千倍にも増えていく。彼の思いを引き継いでいくのは残された私たちなのだ。

 彼のことを思えば、もう何も恐れない。もう何も怖くないと北風に誓った。

届かなかった思いと果たせなかった思いとが2015年02月02日 06時18分01秒

★♪神様 神様 世界とは こうしたものですかと 問いかけている             アクセスランキング: 142位

 泣いて涙も枯れ果てた、とは通俗な歌謡曲の一節だが、昨日2月1日は後藤健二さんの悲報と個人的にもいろいろあってまさに茫然自失の一日だった。今は彼がキリスト者であったことのみが救いのように思われる。彼の魂の安らかなることを祈るしかない。

 実は彼の他にも無事を祈り続けている人が自分には今いる。海外の紛争地ではないが、非情な歪んだ世界の中で孤立無援で闘っている。その苦しみに対してただ無事であるよう祈るだけしかできない。一日も早い「解放」の報をただ待ち続けている。

 我の悲惨に関してはまさに自業自得の末なのだから当然でありまったくかまわないのである。が、世の中には善き立派な人こそ、その善良さにおいて悲惨かつ大変な状況に陥り苦しむこととなる。
 我が交友関係を振り返っても早逝した人はすべて知る限り皆善人、無私の人であった。他の誰よりも真面目で人を蔑むことなく誰にでも優しく温和で何事にも真摯に取り組み無償の愛に生きていた。

 ところが何故かそうした人がこの世界では苦境や不測の事態や難病にかかりあっけなく死んでしまう。見舞いに行かなくちゃとか考えているうちに、連絡が途絶えて心配しているうちに訃報が届き彼らはこの世界から旅立ったことを知る。

 早く死んだ人だから良い人だったと書くのではない。じっさい善き人であったから、神様がもう十分善行を積んだと認めてこの辛い歪んだ世界から引き上げたとさえ思える。
 どんな宗教でも人は生まれてきたからにはその果たす役割があり、生きるとはこの世で徳を積むこと、善行を他者に施すことだとすればそれを果たした善き人は早く天国に行けるのではないのか。

 自分のように堕落し愚かで悪に染まった罪ある者はこの悪の世界でこれからも償いのためにも罰として終身刑として苦しみの中に生かされるような気がしている。いや、こんなどうしようもない者でもこの世に生を受けこの歳まで生かされているのにはやはりそこに神の計画があり、何らかの使命や役割があるのだと信じたい。

 先のライブでは自分は拙くとも後藤さんの無事解放を祈って心を込めて笠木透の「君は君の主人公だから」を歌わせてもらった。残念だがその思いは届かずに彼はテロリストたちに殺害されてしまった。
 届かなかった思いと果たせなかった思いだけがこの歪んだ地上に残された。それは凍った雪の残る東京に、空爆で破壊されたイスラム国占領地域に、ヨルダンの街角にはっきりと残っていつまでも消えやしない。だがそれはきっといつの日かひとつに結びつき、やがては天国で彼に届くだろう。

 人の命が顧みられない残酷かつ不寛容な時代である。人皆それぞれが勝手に自らの「正義」を口にし振りかざす。他者をいとも簡単に殺してしまう。そして恥じることがない。だからこそ、愛と慈しみの寛容さが強く求められる。
 
 ナザレのイエス死後、聖書に登場する最初の殉教者となるステパノは律法学者やパリサイ人たちに囲まれ石打ちの刑、つまり集団リンチで殺された。
 だが、彼は息をひきとる直前大声でこう叫んだと記されている。『主よ、この罪を彼らに負わせ給うな』と。

 ステパノのように人は寛容にはなれやしない。しかし、その場にいた若者サウロはやがてはダマスコで回心して後の聖パウロとしてイエスの教えをキリスト教にまで高めたのである。我はそこに神をみる。神の計画を知る。

 善き人が殺されたからこそ自分は誰よりも寛容でありたいと願う。地には平和を。後藤さんが願い思い描いた世界を私たちが作っていかねばと誓った。誰一人殺しも殺されもしない世界をつくらねばと。
 愛こそが何よりも優先されるとそのパウロも清志郎もJ・レノンも説いている。

泣いてばかりはいられない2015年02月03日 08時31分37秒

★愛と勇気に満ちたジャーナリストの死を悼み嘆き悲しむことの先に      アクセスランキング: 155位

 泣いてばかりはいられない。憎しみからは何も生まれない。先へ進んでいきたい。

 よく米国のアクション映画の一ジャンルに、ヒーローが敵に捕らわれた要人や仲間を奪還しにその敵地に乗り込んみ、苦労の末に人質となった彼らを無事救出するというストーリーがある。

 たいていは敵方は悪辣非道な組織で、当然のこと気がつき敵陣営にもぐりこんできたヒーローの前に立ちふさがり襲いかかってくる。が、映画だから、敵をもろともせずなぎ倒して人質のいる牢獄にたどり着き、仲間や要人を救出し、たいていは敵機を奪ったりして共に奇跡の生還を果たす。観客はハラハラドキドキしながらもラストシーンには快哉を叫ぶ。
 安倍晋三の頭の中にはそうしたアクション映画的愉快かつ楽観的な想像力が働いているのではないか。

 昨日の国会でも彼は、在外邦人「救出」のために、自衛隊を海外へ派兵させることも検討していると答弁していた。
 もし仮にそれが可能だとしたとしても、日本の軍隊を派遣するのである。敵組織もむろん自衛隊に反撃してくるだろう。起きた武力衝突は「戦争」へと拡大していく可能性も高い。

 アクション映画だって敵の組織の者を次々と殺して倒して人質を奪還するのである。敵陣営に乗り込む自衛隊が平和的に解決できるはずがない。武器を使用するのだから必ずそこに死者が生まれる。自衛隊員も死ぬだろうし敵も死ぬ。場合によっては騒乱で無関係な市民も巻き込まれて死ぬ。

 今回の案件だって、もし自衛隊がイスラム国に、日本人救出を理由に出動していたら二人が助かったかどうかはともかく、どのような事態が起きたか想像してもらいたい。おそらく世界各地で彼らに呼応するテロ組織が新たに日本人を襲撃し拉致し拘束し殺害しただろう。国内でも襲撃や爆発などテロ事件が起きるかもしれない。
 武力からは死と憎しみしか生まれない。そこには希望はどこにもない。後藤さんはそのことを命をかけて報道し続けた。

 思うに安倍はそんなバカな目論見に固執するのではなく、彼自らの今回の判断が正しかったのか深く自問すべきではないのか。
 そもそも日本人二人がシリアで拘束されイスラム国側から交渉の連絡があったのは昨年の話だったのだ。日本政府はそのことを把握しながらいっさい公表しなかった。後藤さんの家族にも口止めさせていたという報道もある。

 そして臆面なく彼はアラブを歴訪しテロとの戦いを支援するとエジプトで表明したのだ。むろんテロリストたちの感情に忖度する必要はない。しかし、その直後日本人二人を殺害する二億ドル要求の画像が流れた。
 思うに人質解放に向けて、もっと広く国際社会に働きかけるべく二人が拘束されている事態を世界中にまずもっと早く公表すべきではなかったのか。公表を隠した裏には衆院選挙で政府与党に影響が及ぶのではとの思惑があったのではないか。

 二人の殺害予告の動画が公表されるまで日本政府はいったい何をやっていたのか。テロリストと交渉する余地はないのならその時間何をしていたのだ。そしてそのことを野党はもっと堂々と追求しないのか。

 今回の悲惨な事件の結末からいったい何を学ぶのか。哀しみや悲嘆の先に今は日本政府の対応に憤りすら覚えている。

怒りと憎しみの連鎖が止まらない世界2015年02月05日 13時12分03秒

★国家や民族、宗教の違いではなく人間と地球とで考えるとき      
   アクセスランキング: 165位
 
 外は冷たい雪交じりの雨が降り続いている。家の中もものすごく冷え込んでいる。
 立春を過ぎ、もうあと少しで冬は去り、本格的春は来るはずだが、世界は憎しみの連鎖が広がり止まることを知らず冷えきっている。いや、その先に爆発さえ起きそうな不安を抱えている。

 世界各国のどの政府でも、その長は自国民の安全と国益を守ると、イスラム国のテロには断固屈しないと熱く語っている。それは正しい。まったく正しい。同感である。

 が、どの国家もそれぞれが国益を守ることに固執してしまえば、必ず多国間においては、軋轢が生まれよう。国際社会とは様々な国家で成り立っている。自国民の安全と国益がその国家においては真っ先に優先されるのは当然でも、各国それぞれが国民はともかく、特に自国の利益だけに囚われ最優先するのならばそこにまた紛争は起きる。必ず利害はぶつかる。争いは途絶えることはない。

 むろん人命は重く尊い。しかしそれは自国民のみならず他国人も同様であろうしましてイスラム国の「住民」でさえ同様ではないのか。
 彼らは極悪非道なテロ組織だと断じてもかまわないし、自分もそう思う。しかし、その地に空爆を加え、あるいは地上部隊を派遣し壊滅させるとしても誰がテロリストであり、誰がその支配地域に住む、彼らに抑圧された一般住民なのか区別などできないであろう。

 報復を誓いテロリスト集団だから彼らを全員抹殺してしまえと言うのはあまりに乱暴な非人間的な論理ではないか。狂信的無法者であろうとも法的に裁くのが国際社会の論理であり人間的行為だと信ずる。
 無法には無法で対応していたらば争いは永久に終わらない。憎しみの連鎖で紛争は止まらず地球そのものが疲弊していく。

 どの国家であろうと為政者は国内的には自国民の安全と国益を守る義務がある。しかしそれは国家という単位で考えるからであり、その枠を取っ払い、各地域に住む 人間と、地球 という規模で考えれば人命の大切さはもちろんのこと「国益」などに囚われなくて住むのでないか。

 むろんそんなことはオーエンやJ・レノン的夢想者の謂いだともわかっている。しかし空想だとしても、21世紀に生きる我々は、この地球を次の世紀と世代へと繋ぐためにも、そろそろ国家とか民族とかの枠組みから離れて、真のグローバル化を考えるべきだと自分は思う。

 そこにある、確かなことは、人や生きもののすべての「命」と「地球環境」だけなのである。

 世界の富の大半を所有するほんの1パーセントの人たちはもうとっくに国家なんて概念は持っていない。彼らは行きたいときに地球上どこへでも行き、住みたい土地に住んでいる。それは金ゆえの「自由」だと我々は考えてしまうが、貧困層、弱者こそその土地に縛られ民族や宗教にがんじがらめにされ、自由も含めあらゆるものを収奪され続けていく。抑圧された貧困層、弱者たちこそが、自らの国家や民族に固執してしまうのである。外国人排斥のヘイトスピーチに共感する人たちの多くが世界各国同様に経済的弱者であるように。

 国家間は国益を巡って対立し続けるのではなく、やがては地球連邦という巨大国家の一州として存在すれば良いのではないか。そうなれば国益や人種、宗教をめぐって対立や紛争などありえない。
 そのとき、我々は日本人である前に、地球人して地球という国家に生きているのだから。そのうえで、治安や秩序を乱す狂信者たちやテロリストには地球政府が正しく法の裁きを加えれば良い。

 昨日そんな夢をみた、とピート・シーガーも歌っていたはずだ。

僕は文章が書けない2015年02月06日 23時18分17秒

★ブログと「売文」はまったく違うのであった。         アクセスランキング: 160位

 このところ、とある雑誌に載せる原稿を書いている。が、思うように、満足いくように書けず頭が痛い。締切は過ぎ、どうしたら良いものか。

 当ブログも読んで頂いている恩ある方から声がかかった。彼が主宰する雑誌に、フォークや音楽について、マス坊の思うところ、やってきたことなどについて原稿書けとの依頼である。お前なら書けるはずだと期待された。原稿料も出る。有難く思う。そのご期待に応えねばと奮起した。

 で、先月はいろいろライブで忙しかったので、腹案を練って今月に入ってからやっと書き出した。八千字程度の原稿である。書き出せば一晩で一気に書ける。つい分量もオーバーするほど書けた。だが、読み返すとどうにも自分でも気に食わない。

 ライターの女友達に読んでもらったら、「もう一度よく読み直して書き直せ」と即NGが出た。自分でも満足してなかったから当然である。
 さっそくまた一晩かけて新たに書き直した。前回よりは満足いく出来となった気がした。それを遊びに来てくれた評論家の友人に頼んで読んでもらった。
 忌憚のないご意見を、とこちらから願う前に、彼はざっと読んですぐNGを出してくれた。冗長すぎる、キレが悪く、言いたいことが全然伝わらないとのことである。言われるとその通りでまったく返す言葉もない。
 遅くとも今週中には原稿入れると約束してしまった。さてどうしたものか。このまま相手方に送っても間違いなくボツになる「自信」はある。

 ブログならいくらでも書けるしそれなりに書き手として自信もあるし何一つ迷いはない。そんな人間がどうして雑誌の文字原稿となると書けないかというと、要するに分量と媒体、そしてスタンスの違いとしか言いようがない。

 読み手の方には申し訳ないが、ブログなんて落書き帳なのである。推敲も見直しもろくにしないし、毎回この程度の分量なら30分ほどで書き上げられる。あくまでも思いつきと勢いで一気に書ける。
 そして自分でもまず読み返さないし、おそらく読み手の方も一回限りで読み捨ててしまうはずだ。つまり書いた記事はサイトには残ってはいるがきわめて賞味期限の短い雑文なのである。だから気楽に、テキトーにも書ける。読み手もまた同様のスタンスであろう。
 それでは書く側として無責任だとお怒りの方もあるかもしれない。でもブログとはそうしたもので良いのではないか。
 
 しかし商業原稿となるとそうはいかない。まず長さが違う。コラム程度の長さではないし、決めたテーマにそって論旨に沿ってはじめから終わりまで一つの筋がなくてはならない。
 そしてそこに、原稿料に見合うだけの価値、内容もなくてはならない。中身もなく、つまらない原稿ならばその雑誌は載せるのを控える権限がある。金出して読まれる価値があるかどうかが問われる。金が動くゆえ真剣な関係が求められる。

 ブログは、タダだから、そして誰が読もうと、あるいは誰にも読まれなくたって書き手も含めて誰もちっとも困らない。だから支離滅裂で良いとは思わないし、そんなつもりで書きはしないが、あえて告白すれば、しょせんは気楽なものなのである。
 しかし、文を書いてそれで金を頂くという世界は、そんな甘さは許されない。金額の多寡ではなく、文を売って金を頂くからには、常にそこに相応の価値と責任が求められる。

 今そのことを痛感している。つまるところ常にまったくのタダという世界は貧乏人にとっては有難く思えるが、実はモノゴトのあり方としてはちっとも良いことではなかったのだ。
 1円であろうとも金が動くことにより「価値」が問われ検証され批判もされる。いや、批判も反論もできるのである。
 金が動かない、金を媒介した「関係」がないところには良くも悪くも批評すら成り立たない。つまり金を払ったからこそ文句も言え、その相手と関われるが、タダという関係においては文句のつけようすらない。いや、文句は言えたとしても効力がない。

 昔は売文業もやった経験もあるが、このところはずっと当ブログをはじめ原稿はタダで書き、タダで読んでもらっていた。それは良いことだとも思っていた。タダだからこそ多くの人に読んでもらえると信じてもいた。

 だが、それは間違っていた。そうしたユルイ世界に浸かり切っているとひたすら冗長に長くなってしまい規定の分量に収まらないだけでなく、文の切れ味が鈍くなってちっとも読み手に伝わらないのである。

 拝金主義や商業主義を否定し、お金などどんな関係にも介在させないほうが良いことだとずっと考えていた。が、今その間違いに気づいた。タダという関係は結果としてちっとも良くないのである。

 フリーコンサートや投げ銭という形式のライブもこのところ多い。しかし、それが本当にタダで成り立つものならばともかく、そうでないのならたとえ10円、100円でもお金を介在させるべきだと思う。まあ、そもすると主催側自らがこれは100円の価値と蔑むことにもなるのでそうしたものの値段は難しいが。

 いずれにせよ、金が動き、分量もきちんと決まっていることはとても良いことなのだ。そうした既定の枠があってこそ真の批評や批判応酬の関係も成り立つ。タダだと文句のつけようすらない。結果、関係があいまいになり深まらない。こちらもだらだら書いて冗長かつ切れが甘くなる。読み手も真剣に読まないし感想を返さない。
 まあ、ブログなんてそうした関係のものなのでもあろう。書き手も読み手もそれが嫌ならその先のありかたを模索すべきであった。

 人は旅に出ないと世界というものを真に味わえない。世界の姿がわからない。「売文」の世界と関わって今痛感している。まさに井の中の蛙であった。ぬるま湯につかり過ぎた。

旧き友来たりて楽しからずや2015年02月07日 20時04分16秒

★我を憐れみ心配してくれる友に           アクセスランキング: 216位

 今年は「脱ダメ宣言」をしたはずなのだが、相変わらずダメのまま2月に入ってしまった。
 先に書いたように、2月、3月は、拙宅でのイベントなどはすべて休止して家にこもり、これまでの溜まったモノを精力的に片づけ、懸案のことを少しでも進めてすっきりさせて春4月から「新装開店」的にまたあれこれ大きく始めようと考えていた。
 が、諸般の事情で思い通りに進まず、これからのこと、「先」の予定がまだ見えてこない。

 先に記した、連絡がとれなかった人たちとは連絡があり、いちおう無事が確認できた。体調崩されたり、仕事に追われたりと皆それぞれ個々の事情を抱えて大変なのであった。なかなか連絡がとれなくなると、こちらもやきもきするだけでなく不安にかられてあれこれしょうもないことを考えて何も手につかなくなってしまう。

 もっと泰然自若に、何事においてもどっしり構えて外のことに振り回されないようにならねばと思う。が、先年、親友と連絡不能となってそのままほったらかしにしていたら彼は死んでいたという事態があってから、人と連絡がとれなくなるとつい悪い方にすぐ考えて心配し不安にかられるようになってしまった。
 人のことを心配するのは良いことであろう。が、そのことで振り回されて不安のあまりパニックに陥るのは愚かなことでしかない。
 どんなときでも自分は自分のなすべきことを心乱されず粛々とやるしかない。それはわかっているが、小心者というべきか臆病な我はすぐに心惑い揺らいでしまう。

 さておき、昨日、三重県津市から懐かしい友が拙宅に泊まりに来た。何年も前に、詩人有馬敲さんを通して知り合った批評家の方で、以前よく、津の河芸で真夏にフォークフェスがあった頃は、向こうでお会いしたし先年、東京にも出張のおりに遊びに来てくれた。
 今回も仕事関係の会議があり、夕刻見えられ一泊だけだが、ウチに泊まり、今朝がた見送った。慌ただしかったが晩飯を共にし、腹蔵なくお互いの近況を語り合い楽しく有意義なときを過ごせた。

 今は我が家はものすごくとっ散らかっていて、何とか布団だけ敷くスペースを拵えて今回はお泊めしたのだが、綺麗好きの人なので申し訳なく思う。また、拙ブログをいつもお読みになり、我マス坊の「老後」のことも大変心配されて今回は暖かい助言と愛あるご忠告、生活についてのご意見も頂いた。

 老いて無年金で一人暮らしで、もし病気でもしたら金もないわけで、いったいどうするのかとマス坊のことを常々大変心配していてくれたのだ。
 実の親だってそんな風に心配してはくれないのに、アカの他人である我のことをそんな風に気遣ってくれる。ほんとうに有難いことである。
 幸せとは、目に見え、形あるものやある出来事なんかではなく、こうしてマス坊のようなダメ人間でもあれこれ思って考えてくれる友がいるかどうかではないか。

 彼も今、高齢の、しかも要介護5という大変手のかかるご両親を抱えて、ご夫婦で体力気力の限界の中、介護に追われている。今回はそうした多忙な合間を縫い、仕事での上京を利用しで我にも会いに来てくれたのだ。申し訳なくただ頭が下がる。

 そしてブログでは迂闊に個人的事情は愚痴的に書くべきでないと気がついた。こちらは書いて、書くことで気持ちも晴れて楽にはなる。しかし思いやりのある読み手の方は、真剣に読まれて心痛めて大変心配される。
 そうしたご心配をおかけするのは本意ではないし、実に心苦しい。

 確かに我、この男の老後は大変な苦しみ、地獄が待っているかもしれない。孤独と貧困と老いや病気の苦しみに突き落とされるのであろう。覚悟なんて何一つありゃしないし、何の対応策も逃げ道もない。
 しかし、ご心配頂いて申し訳ないが、今あれこれ考えてもどうすることもできない。眠れぬ長い夜、真夜中にそうした一人になったときのことを思うともちろん不安と恐怖で叫びだしたいほど居たたまれなくなる。
 だからそんな先のこと、といってもせいぜい20年も先ではないのだけれど、今はいっさい考えない。今考えるべきは「今」のことだけだ。

 ともかく今はまず少しでも懸案のことを片づけ、一歩でも先へ進めていくだけだ。そして足元を固めていく。
 彼がアドバイスしてくれたように今さらでも嫁さんをもらうとか、年金をかけていくという対処法もあるだろう。それは老後の救いや助けに間違いなくなる。フツーの人は誰でもそうしている。我のことを思ってのご意見は心から有難く思う。
 しかしとことん大バカだからこうなったのだ。そして今さら軌道修正はできやしない。できるのは根本解決でなく、ふらつく人生の微調整でしかない。あまりに緩み過ぎたネジをせめてもう少し締め直して、ぐらつく軸足をしっかり組み直すだけだ。それだってなかなか進まないのである。

 そんなダメ人間を愛おしく思い心配してくれる友がいる。それだけで自分は幸福な、幸運な男だとつくづく思う。そしておそらくこのブログをお読み頂いている方の中にももう数人は津の彼と同じくマス坊のことを案じてくれているかと信ずる。
 もうそれだけで良いのである。

 我がことのように隣人を愛せとイエスは説いた。この自分もそうしたいと切に望む。が、じっさいのところなかなかそれはできない。なのにこんなどうしようもない人間を真摯に心配してくれる人もいるのだ。

 彼らの愛と思いやり、慈しみの心に応えるためにもこの人生頑張らねばならない。

真の思いを熱く正直に、あるがままに2015年02月08日 22時11分32秒

★文章もうたも同じだと気づいた         アクセスランキング: 156 位

 ついあれこれ考える。結果、ますますひどい出来となる。
 運動会などで、スキップを皆でするとする。意識しないときは不器用だが、何とかできている。が、人前で、それも運動会という皆が見ている場だと意識すると手足が強張って、できていたスキップが急にできなくなる。
 本の発送にあたり、送り状に自筆で一筆書く。下手な字でもまあそれなりに満足いくようにふだんなら書ける。が、相手に送るからには綺麗に読めるように書こうと意識すると字は形が崩れいつもよりもっと下手に、書くほどに下手になっていく。

 緊張するからだろうか。いや、うまくやろうとかその行為をことさらに意識した瞬間に、固くなるのか、必ずダメになる。失敗する。うただってそうだ。人前だと必ずギターは間違え歌詞は出てこない。なぜだろうか。

 先に書いたように、今とある原稿依頼を抱えていて、先ほど何とか相手方にメールに添付して送った。満足のいく出来ではない。
 いや、そもそも書いた者とてしてそれが良い出来なのか不出来なのかすら判断できない。料理の味が食べてもわからない味覚障害という病気があるそうだが、それに近い感じ。昨年の秋からずっとそうで、それは音楽でも同じで困っている。

 むろん他人のうたや演奏にはビビットに聴き分けられるし好悪などの判断の感情もわく。が、自分がそこに少しでも介在してしまうと、まったく判断できない。良いのか、悪いのか、面白いのかわからない。いや、否定的にはいくらでもなれる。悪いところはいくらでも気づく。だが、それは正しい評価なのかそれがわからない。

 たぶんあまりにいっぺんに我と我のしでかした失態にご批判と叱責が集中したからだと思う。ショックで主観と客観の境界が崩れて防衛本能的に、自分に関する「評価」を自らは下せなくなったのではないか。
 自信喪失というのとはちょっと違う気がする。それまでは根拠はないけれど、自分なりにバカボンのパパ的に「自信」はあった。これでいいのだ、と常に思っていた。それが、味覚を感じないように、良いのか悪いのかわからなくなったのである。

 そんなで原稿ももう一つ何を書けば良いのか、ナニが書きたいのか自分でもうまくつかめずかなり苦労した。書き出せばブログと同じくつらつらだらだらといくらでも書いてしまう。が、冗漫冗長に長くなるだけで、どうにもまとまらない。
 けっきょく、拙宅に泊まりに来てくれた旧友らにもアドバイス頂き、分量もオーバーしたが何とか書き上げた。しかしそれが面白いのかその出来はどうか満足いく以前に感覚障害の今は自分では何もわからない。

 不思議なことに書き上げて送ってから突然、こう書けば良いとか、こう書きたかったと水が湧き上がるように、新たな「書く気」が湧いてきた。久々に原稿を書くという行為に頭を使い、刺激を受け、ようやく本スイッチが入った気がするし、書き上げたことで気が緩みプレッシャーが失せたことも大きいかと思う。
 運動会本番のスキップのように、やはり意識して固くなっていたのだと今はっきりわかる。本番が終わったので、緊張がとれてフツーにスキップできるようになったのだ。
 その原稿が使って(掲載して)頂けるのかわからない。しかし、今はダメ出しもらえれば時間さえ許せば何度でも書き直すし、もう少しは良く書き直せる自信もあるし、1からでも改めて書きたいとさえ思う。
 
 真に書きたいこと、それは要するに「本当に大事なこと」「本当につたえたい思い」ということなのだけれど、もっと真剣に熱く、とことん自由に、思い通り書かねばならないという気になったからだ。
 文体や誰に向けて、とかは関係ない。うただって何だって、本当に伝えたいこと、その思いあらば、ただそれをあるがままに表現できれば良いのではないのか。
 ついあれこれ考えて構えて言葉を選び呻吟して推敲して、そうこうしてるうちに「思い」はするっと手のうちから落ち、後には躯体のようなものだけは残る。覗き込んでみると中は空っぽである。

 本当に大事なものはごくシンプルなもので、何の味付けもいらない。ただそれをうまく捕らえて、ぽん、と猟師が狩りの獲物を土間に投げ出すように読み手や聴き手に投げ出せばよい。
 だがそれが難しい。しかしそれこそが正しい姿だと今はわかる。拙く不器用でもそれが芸術であり、ひとそれぞれ違うが到達点は違わない。絵ならともかく描き続けるしかない。
 そんなことを先日読んだ漫画から教わった気がする。後でそのことについてもふれておく。

 もし思いあらば、何も構えず正直に、自然体で、だが、熱く全力で、とことん自由に、その思いを表現するため書いて、うたって、本気で生きていきたい。そうすべきだったんだとようやくはっきりわかった。
 今さら遅いですか。いや、すべてはこれからだ。

ともかく描け! ともかくうたえ!2015年02月09日 22時49分07秒

★東村アキコの『かくかくしかじか』に泣いた。 アクセスランキング: 109位

 漫画を読んで泣いたのはいつ以来だろうか。、それもジャンルは少女漫画なのだが、思わず泣いた。泣かされた。
 今もっとも油が乗って人気作を多発している東村アキコの自伝マンガ、集英社の「ココハナ」連載中の『かくかくしかじか』が最終回を迎える。
 少女漫画といってもこの作家は、先日映画化された『海月姫』や傑作『ひまわりっ』や『メロポンだしっ』など、雑誌、ジャンルを選ばず基本的にハイテンションサブカルコメディを得意とするギャグ作家で、そのオタク的うんうん、あるある世界で近年多方面から注目されていた。

 『かくかく~』も同様のテイストを保ちつつも実は彼女の「マイバックページ」の物語で、漫画家を漠然と目指していた宮崎のダメ少女が、漫画家として成功した今、過去を振り返りペンをとる。彼女に多大な影響を与えた今は亡きある「先生」について悔恨と感謝の気持ちを込めて捧げた愛の物語である。

 主人公である作家本人である明子は美大進学を目指して地元の絵画教室に通う。そこで出会った日高先生は、常にジャージ姿に竹刀を持って、容赦なく明子たち生徒をスパルタ式に鍛え上げていく。
 最初は驚き反発していた明子も彼の厳しくも愛ある指導で金沢の美大に受かり、やがては先生の右腕として教室を手伝うが、漫画家の夢忘れがたく、結局は先生を捨てて大阪に出てプロの漫画家としてしだいに売れていく。だが、日高先生は癌になり・・・

 物語は現在の視点で、高校のとき先生との出会いから順に振り返り、合間合間に人気作家となったアキコ自身が顔だしては過ぎた愚かな日々に悔恨の思いを吐きだしつつもじょじょに現代へと話は進んでいく。このベタな、ストレートすぎる語り口もいかにもこの作家らしく読み手を楽しませ笑わせる。が、圧巻はその恩師日高先生の圧倒的存在感で、常にハイテンションで切れ気味ながら芸術にかける思いと、子弟たちに対する強い愛に満ちたものすごい人で、まさにエキセントリック。だけど憎めず主人公と同じくいつしか魅せられてしまうのだ。

 私的なことだが、マス坊もいちおう美大をめざし、こうした進学のための絵画教室に通って石膏像とか描かされていたこともあるので、世代は違っても実にこの世界はよく「ワカルワカル」と共感できた。
 ただ残念なことに日高先生のような本当に良い教師、それは人生の師とも呼べるほど強い愛ある師とは出会えなかったことで、今の売れっ子漫画家東村アキコが存在するのはまさに彼との出会いがあったからだと頷けるものがある。

 日高先生は死ぬ間際まで、「描け!」とひたすら教え子一人一人に説き続けていた。描くという行為、それは他の芸術行為「書く」でも「うたう」でも何だって同じで、そこに理由や理屈なんて何もないし必要ではない。ともかく絵ならば描くしかないわけで、小説なら書かねばならないし、歌ならば唄わねばならない。芸術を志すものは当然のことだった。
 人は弱いからすぐ立ち止まり考えてしまう。また様々な誘惑や外の事情に志は揺らぎもする。しかしそんな余裕は本来ない。まさに人生は短く芸術は長く深いのだから。

 先生は芸術を心底から信じ愛し、その思いを後から続く者たちに伝えよう知らしめようと愚直までに熱く真っ正直に、描け、描けと叫びながら死んでいく。その迷いのない強い生き方に明子は圧倒され結局は先生から逃げて漫画家の道を選ぶ。期待に応えられず何もできなかった悔いと今がある感謝の気持ち、亡き恩師への深い愛がこの漫画を描かせた。

 そう、どんなことでも芸術に理屈や能書きなんていらないのであった。絵ならばとも描く、描き続けるしかないし、何であろうとその行為を続けるしかない。うたえ、走れ、動け、生きろ!そしてそれこそが本当の人生なのだと今はわかる。
 そんな当たり前のことを、いや当たり前すぎて忘れていたことを、この漫画から、愛弟子明子の描く日高先生の熱い姿から教えてもらった。

 人生においてこれほど素晴らしい無私の愛の人と出会えた幸福を今東村アキコは悔恨の苦いテイストで振り返る。この漫画は亡き先生への恩返しでもあろう。しかし、これは芸術が繋いだ幸福な師弟の出会いと別れの物語であり、漫画誌に残る傑作となった。必読の漫画である。

「世界」とどう繋がっていくか・前2015年02月10日 19時18分57秒

★マス坊、ついにスマホ買いました!             アクセスランキング: 200位

 昨年から思うところあって、今年は、今の人たちみんなが持ち歩いている携帯端末が自分も欲しくなった。で、頼んでいたスマートフォンが先日届いた。まだ全然使いこなせていないし、果たして使えるようになるのか甚だ心許ないが、それでもウレシイ。

 スイッチ入れて、皆さんと同じように指で画面を撫ぜて切り替わるだけでも繰り返してはカンドー的に面白がっている。これでようやく21世紀の現代人の仲間入りしたのではないか。まあ、持っているだけでは猿のままであるが。
 
 それにしてもこうした端末、まったく関心もなかったので機種も種類もまったくちんぷんかんぷんで、格安スマホを(スマートフォンなら略すとスマフォが正しいのではないのか?)を申し込んで届いてからそれがandroidのタイプだとわかった。それからカンタン解説本をネットで取り寄せて勉強しつつある。

 今までは、携帯電話だけあれば十分だと考えていたし、パソコンは家に何台も新旧含めて持っているので、こうしたブログも古本稼業も家でじっくり腰据えてそれでやれば良いと考えていた。じっさいもう何年もそうしてきた。
 携帯電話は電話での通話だけと決めて、先にも書いたが、メール送信機能さえ付けなかったし、中にはCメールでショートメールを送ってくる方もいたけれど、確認はできてもこちらから返信したこともそのやり方も正直なところわからないでいた。
 
 ただ、昨年の秋口からイベントなどで出掛けることが多くなると当然、携帯電話を多用する。それである月は請求が一万五千円にもなって、通話しかしていないのに、とさすがにバカらしくなった。そのことは先に書いたっけ。
 それと並行して、山梨の古民家に行っていると、そこはネット環境にない以前に、テレビもないし、ラジオもなぜかFMで地元のコミュニティ局のしか入らない。
 当初は、そうした情報から隔絶された場だからこそ心煩わされず、のんびり出来、心地静かに我が思いにふけり我がことに専念できると、それは良いことだと思っていた。

 が、先のイスラム国日本人人質事件をはじめ慌ただしく動いている世界情勢を前に、一切直近の情報が入らない、わからないのは困るではないかと思えてきた。また、メールでの連絡も本の注文も含めて、ウチに帰らないと確認できないのも問題だと気づき始めた。
 まあ、山梨に行ってもせいぜい一泊二日程度のことだから、緊急を要するような連絡はまずありえない。しかし、帰ってからパソコン開いて慌てて届いていた注文の本を発送したりするのは慌ただしいし、やはり最低でもその日のメールはその日のうちにチェックしないのは何か落ち着かない。

 世捨て人や半リタイアした人生ならば、そうしたスタンスでかまわない。でも今はもっと真剣に必死に、あれこれもがいて仕事みつけて金を稼がないとならない。それは先日来られた友人からも進言受けた。
 となると、どこにいようと情報とは常に結びついて、アクセスできたほうが良いし、せめてまずはどこでも常にメールは確認できないとならないのではないか。

 ブログだって、今は出かけてしまうとその間は、更新できず「休止」中となってしまう。長期の旅行は帰ってから後になって慌てて書き足し報告していた。しかしスマホのようなネットにアクセスできる携帯型端末を持てば、現地から、旅先であろとたぶん画像付でも更新できるのではないか。

 このところいつの間にかそうした思いが強くなってきていて、あるとき今利用している朝日ネットからの広告で、格安スマホが宣伝されたので、あまり深く考えず、ろくに他と検討もせずにすぐに申し込んでしまったのである。
 そうした顛末と使ってみて考えたことなどを何回かに分けて書いていきたい。