多発する火山活動と地震頻発列島で原発再稼働の愚2015年06月01日 23時05分33秒

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 相次ぐ地震や列島あちこちでの火山活動にゆれるこのところの日本である。

 このところ体に感じる地震が多いが、一昨日夜のながーい横揺れの地震は本当に気持ち悪かった。
 マス坊はこのところメマイとふらつきに煩わされているので、その揺れの時も、台所にいたのだが、あ~やばい、またかと立ってられず吐き気に襲われた。が、親たちも気づき、かなり大きい地震の横揺れだとわかった次第。
 じっさいの身体的メマイ感もああしたもので、こうした揺れが頻発すると内からと外からのダブルパンチとなり非常に苦しくツライ。その後も揺れ感はなかなか収まらず体調乱してしまった。

 我がことはさておいて、この国はいったいは今どういう段階にあるであろうか。地震国日本が火山活動も含めて大きく揺れる活動期に入っていることは誰だって体感として実感しているはずだ。
 その日本で、あの3.11の原発大災害を受けてもなお川内原発からまず原発再稼働を目論むというのは、飲酒運転で事故をしでかし何度も逮捕されている者にまた免許を与えることに近しいような気がしている。あるいは幼児性愛事件犯罪者を野に放つようなものだ。常識的に考えてもそれはかなり「勇気ある」決断ではないだろうか。

 大地震にしろ火山噴火にしろ、現状では未だまったく予知できないのである。そうした火山帯と断層、各プレートによる地震のまさに巣の上にある日本という国で今また大慌てで原発を稼働させる必要性、必然性はあるのであろうか。

 先に書いた犯罪傾向ある者に対しては、社会においても周囲の注意で事故に至らぬよう防止もできると考える。その個人の人権もある。もう二度と再犯しないうちに生涯を終えるかもしれない。が、原発と自然災害に関しては、いくら安全確認を徹底させたとしてもどの程度の規模の災害がいつ起こるのか我々は誰も予測も万全の対応もできないとまず認識すべきではないか。
 いつしかまたもや安全神話が復活して、あの事故を受けてから厳しい基準を設けたのでどんな大津波にも巨大地震にも大丈夫、だから安心して再稼働、という風潮が蔓延している。

 しかし、自然災害に関してだけは、百年、千年に一度ということも起きよう。まして地球規模で異常な大災害、まさに天変地異が多発しているのだ。そこに危険な火種を灯し続ける必要性はないであろう。いざ、そのとき、核燃料をすぐさまとりだし、周辺住民全員を大急ぎで避難させるなんてことは絶対にできやしない。
 机上の空論として試案はできたとしても現実として不可能ならば、そもそもそんな危険なものは稼働させず撤廃していけばいい。じっさいその廃炉だってものすごく時間と金がかかるのである。そのコストと派遣性だけ考えたって、原発を再稼働する利や益なんでない。
 あるのは、地元自治体、周辺住民たちの原発マネーで潤いたいという欲と、原発大企業の儲け優先だけであろう。