戦後70年、再び「戦前」へ・12015年07月22日 22時49分02秒

★東洋平和のためならば

 「もはや戦後ではない」とは、終戦後10年が過ぎ、経済復興もほぼ軌道に乗った昭和31年、1956年の経済白書に出てくる言葉だ。
 それからまたさらに「戦後」は続き、今年で70年の節目の年を迎える。そして今、新たな安保法制、いわゆる「戦争法案」が衆院を強行採決後通過し、与党自公政権は、この夏中の参院で可決、仮に否決されても衆院に差し戻し何がなんでも法案の成立を目指している。

 この憲法違反の稀代の悪法が成立してしまえば、長く続いたこの国の、二度と戦争で誰も殺さず殺されることのなかった平和な「戦後」はまさに70年目で本当に終わり、以後再び「戦前」が始まることとなる。

 というのは、積極的平和主義の名の下に、日本が直接攻撃されなくても同盟国が攻撃されたり、国家存立危機の事態だと時の政権が一方的に判断さえすれば、世界中のどこででも自衛隊を派遣し戦闘行為、つまり戦争が始められる法律が施行されるからだ。

 そうなればいつ戦争が起きてもおかしくない。これまで我が国は戦争はしない、できないことを憲法に記し国際社会に誓ってきた。それを安倍政権は解釈を変えて投げ捨てる。ということは、戦争をしなかった「戦後」は今年2015年で終わって、まさしく、もはや戦後ではなく再び戦争前夜の「戦前」となっていく。
 紛争地があって、国家の危機だと判断すれば「平和のため」に戦争を始めるのである。

 私ごとだが、今年85歳となる我が母は、戦時中は女学生で、いわゆる軍国少女であった。今なら女子高生の年代、学徒動員で学校の授業そっちのけで、日々軍需工場でゼロ戦の羽根の一部を作らされていた。
 その母がときおり今も口づさむ歌に「露営の歌」という軍歌がある。かなり当時も戦後も唄われて、今でも右翼の街宣車では定番の一曲だから若い人でも聞き覚えはあるかもしれない。
その歌詞を記しておく。

露 営 の 歌

作詩 藪内喜一郎  作曲 古関裕而
昭和12年

1 勝ってくるぞと 勇ましく
  誓って故郷(くに)を 出たからは
  手柄立てずに 死なりょうか
  進軍ラッパ 聞くたびに
  瞼(まぶた)に浮かぶ 旗の波

2 土も草木も火と 燃える
  果てなき曠野(こうや) 踏み分けて
  進む日の丸 鉄兜
  馬のたてがみ なでながら
  明日の命を 誰か知る

3 弾丸(たま)もタンクも 銃剣も
  しばし露営の 草枕
  夢に出てきた 父上に
  死んで還れと 励まされ
  覚めて睨(にら)むは 敵の空

4 思えば今日の 戦いに
  朱(あけ)に染まって にっこりと
  笑って死んだ 戦友が
  天皇陛下 万歳と
  残した声が 忘らりょか

5 戦争(いくさ)する身は かねてから
  捨てる覚悟で いるものを
  鳴いてくれるな 草の虫
  東洋平和の ためならば
  なんの命が 惜しかろう 

 昭和12年は、盧溝橋事件が起き、以後8年間の泥沼の日中戦争が始まった年である。
 この歌詞もまさに戦意高揚のためもので噴飯ものであるけれど、特に注目すべきは、五番に出てくる「東洋平和のためならば」であろう。

 安倍首相や側近の議員たちは、彼らが成立を目指す新安保法制は「戦争法案」ではないし、徴兵制に結びつかないと、国民の理解を得られていないことを認めつつも「これからも丁寧にわかりやすく説明を続けていく」と繰り返し述べている。
 そして我が国の平和と安全のためにはこの法案が必要不可欠だと何度でも口にする。

 しかし、かつてのこの15年戦争のときも戦争は「平和のため」に始まったのである。五族協和とか三原じゅん子議員がお好きな「八紘一宇」も皆スローガンとしては悪くない。が、じっさいのところ平和のためだとしても一たび戦争が始まってしまえば、敵味方多くの兵士のみならず民間人も殺され、国家総動員法は施行され、言論統制が強まり反戦運動は抑圧されていく。国民の自由は失われる。

「東洋平和のためならば なんの命がおしかろう」との言葉に踊らされ、平和を名目として大陸で、南の島のジャングルで死んだ兵士たちの霊に報いるためにももう二度と再び戦争をしてはならなかったのではないのか。
 確かに緊張する東アジア情勢を思うとき、軍備に対しては軍備をアメリカと共に強化し対処するという方策も考えとしては理解できなくもない。しかし、ひとたび紛争が起きたときに、軍事力で解決をはかろうとすればイスラエルとパレスチナのように永遠に報復を繰り返すだけだろう。まして巨大国家を前にして小国日本がとるべきことは軍事力強化ではないはずだ。どれほどまた勇ましい軍歌が生まれようと勝てるはずがない。

 ならばどうすべきか。日本国憲法の理念、中でも九条に立ち返るしかないではないか。平和のためだからこそ、絶対に軍事力を用いてはならないのである。それをかなぐり捨てて再び戦争国家としての日本に戻そうとする奴らの時代錯誤の妄動を絶対に許してはならない。

 戦争とは、兵士は、にっこり笑って死ぬものでも、父が子に、手柄を立てて死んで還れ、と言うものではない。戦争は狂気の果ての殺し合いでしかない。人類にとって絶対悪だと断言する。

 戦争を知らない子供たちならぬ、戦争を知らない政治家たちが身勝手にも今、70年の戦後を経て再び戦争をしようとしている。
 戦争はいつの時代も「平和のため」と称してはじまることを忘れてはならない。