良いライブを成し終え思うこれからのこと2015年07月28日 04時25分03秒

みほこんソロのステージ、歌集を手にしてシングアウト
★「政治」のことはひとまずおいて     アクセスランキング: 96位

 おかげさまで去る7/25日の我マスダが企画したコンサートは盛況のうちに無事終了した。改めて今落ち着いて振り返っている。

 出演者も含めて観客の他、関わり参加された人たち全員の感想を確認したわけではないが、かなり皆の達成度、満足度の高い良いイベントになったのではないかと思う。
 まず企画した自分が久々の満足かつ納得できるライブとなった。ひとつ夢がかなった。思いが現実になったという感慨と喜びがある。

 はからずも打ち上げの場で告白したが、我は7月5日に、両国のイベントで不慮の失態から頭を打ったり転んだりして以後、体調がおかしくなって、メマイ、ふらつきがひどく何度も病院に行き検査した。脳に特に異常はみつからなかったが、体の不調は収まらず、あろうことかさらにそこに我が老父も脳の異常がみつかり緊急入院。直ちに頭蓋骨に穴開ける手術となり、約一週間で無事退院できたものの予期せぬ大騒動も重なった。情けなくも親子で病院通いが続いていた。
 場合によっては、企画したものの自分は当日このコンサートに行けない、関われないかもとあれこれ何度も考え大いに不安であった。

 それが何とか当日を迎えられ無事盛況となり良いライブを終えられた。しかも満足のいく出来となった。まさに夢がかない夢のようであった。そう、そもそも5日の「事故」で、打ち所が悪ければ死ぬこともあったし、死なずとも大怪我して入院、治療、後遺症という大変な事態もありえたのだから体調不良程度で済んだのは僥倖であったのだ。まさに有難いことであろう。
 嗤う人もいるだろうが、神様はいて守ってくれたと信じただただ深く感謝している。

 それはさておき、自分はつくづくプロデューサー、プランナー的人間なのだと改めて気づく。その才があるかは別として、そうした「企画」を立てること、いやそもそも企画を考えることが好きなのだと思う。
 「思いつき」と言っても良い。これは音楽に限らず、昔やってた自主映画でもミニコミでも同様なのだが、あるとき突然何かしているとき、ふいにアイディアというのか、面白そうなことが頭に浮かぶ。
 そしてそれをあれこれ考え細部をつめていく。そうしていくとやがてカーと頭に血が上り、その面白そうなことを現実化、じっさいに実現させたいと強く思い、それに囚われて頭がいっぱいになってしまう。

 むろん、それは現実になるどころかたいていは「思いつき」の段階で何も動かずやがて冷めてしまうことばかりだが、また次々と新たな思いつきは湧くというべきか、突然天啓のように降りてくる。
 昨年秋の、阿佐ヶ谷での詩人有馬敲氏とフォークシンガーのコンサートもそうであったし、あちこちで人に告知したもののまだ果たせぬ「思いつき」も多々残っている。それを恥ずかしく情けなく思う気持ちも当然あるけれど。

 今回の「反戦歌、労働歌コンサート」もそうであった。まだ先の阿佐ヶ谷でのイベントの後始末も終えていないのだから、本来新たなイベントは控えるべきであったとも思うが、ともかくそろそろまた音楽ライブを企画したいという虫がうづき出してきたのだった。

 しかし、そうしてある思いつきが「企画」として動き出し、やがてはついに現実化したとしても自分の場合、たいていは苦い思いの結末となって終わる。興行的失敗もあったし、スタッフ間の軋轢やトラブル、あるいは出演者たちからの不満と突き上げに苦しみ、さらに自らの資質について思い悩むはめとなる。

 昔あるとき、大学の後輩で、今はマンガの原作や映画のシナリオを書いている友人と話したが、彼曰く、一番楽しいのは何かを思いついたときで、あれこれ思い描くのはとても楽しい。が、それがしだいに現実化していくにつれ大変になるばかりでどんどんつまらなくなっていく、と。全く同感だ。
 まあ、それが現実化ということで、マルクスにせよレーニンにせよ、孫文にせよ、思いつきではないだろうが、当初の「理念」は崇高で素晴らしい。が、実際の革命闘争が起こるにつれてそれは変質しやがてはスターリンや晩年の毛沢東がしたことのようにヒドイ、変質・変節したものとなってしまう。
 思いつきの楽しさ、面白さがそっくりそのまま残り、現実になることなど本来はありえないことであろう。特にそれが多くの人を伴い規模が大きくなるにつれより難しくなる。

 思いつきをそのまま現実化するに一番なのは、人など巻き込まずにできるだけミニマム化し究極は自分一人でシコシコとやっていくしかない。さすれば出来はともかく思い通りのものができるはずだ。
 じっさいそうして陶芸や工芸、絵画やアート作品を一人でこつこつ制作し世に示している友人知人もたくさんいる。音楽だって一人で活動しアルバム制作までやっている人も多い。我もそうすべきではないか。

 が、自分でも不思議なのだが、それほど人間好きでもお祭り好きでないと自認しているこの男が「思いつく」のは、多くの人と関わる企画なのである。しかも人間関係が下手で、調整も含めて不器用かつ配慮の足りない人間がライブイベントなどの企画を思いつく。
 だから当然のことたいてい失敗してしまう。何しろ本来その才がないのだから結果は常に見えている。成功するイベント企画には適した才覚が必要のはずだ。そもそも結婚や家庭とか小さな人間関係さえうまく築けない者が大きなイベントなどつつがなくやれるはずがない。過去をふりかえってつくづくそう思う。
 ※これほどヘンクツかつ人嫌いなのに何故、他者と関わることを企画するのか自ら不思議でならない。自己認識が出来ていない故か。このこと再考してみたい。

 自分のケツさえきちんと拭けない人間がどうして大きなことを無事成し終えられるのか。誰が考えたってわかる。そして利口な人間はそうならばそんなバカなことはしない。結果は見えている。しかし、たぶんバカだから、考えなしだから、一度頭に浮かんだ「思いつき」に固執して失敗のたびに悔むが学ばず何度でも繰り返すのだ。そしてそれが生き方、習い性としてこれまで生きてきたのだ。

 今回の谷保かけこみ亭でのコンサートが成功したと言えるとしたら、それは店主も含めてまず良きスタッフと気心知れた良い出演者に恵まれたからに尽きよう。当たり前のことだが、我マスダだけでは思いつきはできてもそれを現実化させ、しかもトラブルなく成功させる能力は皆無に等しいといっていい。
 今回はマスダとはさういう人間だと多くの皆がよくご理解のうえで、総力戦で協力して非力な我を支えてくれたから結果としてイベントとしても成功したのだと今思う。

 当たり前だが、「成功」というのは個人の力では成しえない。多くの人たちに支えられその協力があって初めてそれに近づける。そしてそのことは何事も同じであり、思いつきであろうと、もしそれが良い、成すべき価値あることならば、賛同し皆で支えていかねばならない。
 一人は皆のために、皆は一人ために。どんな運動でも長続きさせるためには、皆で助け合い支えあうことだ。

 改めてこの場で、個々のお名前は出さないが、参加者、協力者の皆さん全員に深く心から感謝したい。そしてこの恩返しをしていきたい。同労者の皆々に神のご加護がありますように。

ライブ画像追加12015年07月28日 14時15分44秒

7/
★7/25日のファイナルは、みほこんの弾く「アメイジング・グレース」から「三ツ星さん」で大いに盛り上がり終わりました。

追加22015年07月28日 14時41分05秒

★終わっての記念写真~みなさん実に良い笑顔です。

追加32015年07月28日 14時54分39秒

★トリを務めた「五十嵐正史とソウルブラザーズ」渾身のステージ