新しい月、気持ち新たに~悔いることなく秋を迎えるために2015年08月01日 08時52分06秒

★今日から八月、新たな気持ちで街に出よう     ランキング: 94位

 連日記録的猛暑が続く。今日から8月となる。
 先月は実に慌ただしかった。居間に掛けてあった7月のカレンダーは今剥がしたところ、用事がびっしりと書き込まれ真黒だった。こんな月は記憶にない。

 まず自分は7月5日に、両国で頭を打って病院通いが続き、さらに我が父も慢性硬膜下血腫で、9日に緊急手術、一週間の入院と、親子で騒動が起こった。そこに25日の谷保かけこみ亭で我が企画の大きなライブイベントもあった。
 今落ち着いて先月を振り返ると、実に盛り沢山、あれこれ次々と事件が起き、それを何とか無事にやり過ごせたものだと感心さえする。
 ともかく今はまた元通り、何とか無事に親子三人の生活に戻っている。ふりだしに戻ったわけだが、親たちの歳を思い、自分が頭から落ちた高さを考えると有難いことであったとしみじみ感慨がわいてくる。

 あれからも遅れて、友人知人から今回の我が騒動について、もっと己を大切にしてくれ、体に注意しろという忠告と励ましのハガキやメールを頂いた。まったく有難いと思う。先のことはわからないが、今はもう二度と自分からはバカなこと、愚かな失態は起こさないと心に誓っている。自分一人の命ではないと知った。そしてじっさいのところ、頭を打ったせいなのか、体質も変わりアルコールも呑めなくなり、食べ物の嗜好も以前とは変わってしまった。それは良いことであろう。

 さて、緊迫する国会情勢、この猛暑もあってなかなか外出は難しいが、自分も国会前行動にできるだけ駆けつけたいと今は考えている。

 戦争法案を阻止するためには、フェイスブックなどで、安倍晋三の悪口を仲間内でやいやい囁き交わしているだけでは無意味だと我は考える。ともかく反対の意志あらば、国民一人一人がその思いを「外」に、「表」に少しでも示していかねばならない。

 こんなブログで、悪い奴らの非道を指弾したとしても、それをお読みになるのは、基本「おわかりの方々」ばかりだと思うので、それでは反対運動は広がりを持たない。
 やはり外に出て、街に出て声を上げて、国民の声として反対の意志を示さねばならないとこのところ強く思う。

 だが、じっさいのところ誰もがみんな国会前行動に参加できるわけではない。自分も老親たちを抱えてなかなか身動きがとれないのが現実だ。しかし、だからこそ、そうした人たちの分までも、代わって行動で示す人たちがいなければならない。
 ゆえに今月は何とか時間をうまく調整して、夕方からでも国会周辺に出たいと考えている。今このときに声を上げないと、絶対に後々後悔すると自分で思う。

 結果は見えていると言う人もいよう。しかし、先のことは誰もわからない。我には子孫はないが、次世を託す子供や若者に、無責任なことはできない。何で戦争が起きたのか。若者は戦争にとられるのか、そんな世の中にいつ誰が変えたのか。彼らに問われ返答に窮したくない。今できること、精いっぱいのことはやったと胸をはりたい。後になって悩み後悔はしたくない。この法案を看過することは自らを否定し殺すことに他ならない。

 拙ブログでは、マス坊が出かける日が決まれば載せていく。我は無党派でどこにも属していないし組織には属したくはない。あくまでも一市民、鶴見俊輔的一日本人として声を上げていく。たぶんギターを下げてデモ行進の中にいる。なので、もし時間があい「合流」して頂ける方あらば心強く有難い。連絡ください。力合わせて戦争法案廃案に、がんばりましょう! 声を上げていきましょう。皆で街に出よう。

五十嵐正史とソウルブラザーズ阿佐ヶ谷あるぽらんでの夏ライブのお知らせ2015年08月01日 17時35分05秒

★今、いちばん熱いソウブラ、必見!!

思いはどうしたらかなうか、伝わるか2015年08月02日 03時51分51秒

★踏みにじられた数々の「思い」の上にある歴史   アクセスランキング: 91位

 ヘンな時間に起きてしまった。窓を開けて寝て扇風機も回してもクーラーのない部屋は蒸し暑く寝苦しい。一度トイレに起きてしまうと、ベッドに戻ってもなかなか寝付けない。手元の本を開いたり、聖書を繰ったり、あれこれ眠る努力をしたが、かえって目が冴えてしまった。諦めて起きだしてパソコンに向かうことにしよう。
 この連日の暑さでは、日中はパソコン作業は怖くてやりたくもない。そもそもパソコンは熱を持ち暑さには弱い機械なのだ。なのでまだ深夜といっていい時間に起きたことを利用してこのところ考えていることを書こう。

 鹿児島の川内原発が近く再稼働される。そのことを望み喜ぶ人と逆に嘆き憂いさらには反対だと怒る人とどちらが多いだろうか。
 また、豊かな自然の宝庫である辺野古の海を埋め立てて新たな米軍基地を沖縄に、新たにさらに建設することを認める人と計画に反対する人とではどうだろうか。

 日本人全員に国民投票的に、その是非を問うことはできないし、またその地元とそれ以外の地域に住む人では賛否は全く違うこともあるかと思う。さらに、どちらともわからない、無回答という判断保留の人も多いはずだ。
 つまるところせいぜい無作為にアンケートをとった世論調査のようなものしか「民意」なるものは出てこない。しかしそれでも日本人の大半は原発再稼働を歓迎はしていないはずだし、今も多くの人が反対の立場でいる。良しとする人でもフクシマの現状を思えば現時点での稼働には異論があるかと想像する。
 それを歓迎し待ち望んでいるのは、原発のある地元自治体の人たちだけで、要するにそこに原発マネーが落ち関連産業もうるおい生活が豊かになると期待するからだろう。周辺の自治体でもその恩恵がないところは軒並み反対していてもだ。

 沖縄の辺野古はというと、県知事選、衆院選と沖縄県民の民意は新たな基地建設は絶対反対だと明白に示された。が、政府はそんなことはどこ吹く風、県民の願いは一切無視して粛々と基地建設へサンゴの海埋め立てへと駒を進めている。
 県民はオール沖縄で強く反対し、本土の日本人でさえ賛成は少ないはずだが、現時点でこの暴挙を止めさせることはできないでいる。地元も国民の多くもそれを望みはしないことが政府の方針、アメリカとの約束、国策として次々と一方的に進められていく。
 また、先の秘密保護法も今の新安保法制もだが、各種調査で国民の過半数をはるかに超えるほど反対派がいたとしても、今国会で成立すべきでないと考える人たちがいようと、政府=自公政権は何がなんでもどんなに支持率が下がろうとも今国会での成立に突き進んでいる。

 国民のだれもが参政権を持つ民主主義国家で、国民主権の日本で、どうしてこんな無法がまかり通るのであろうか。国民の多くが反対している悪法や環境破壊の非道行為が平和のため国家のため国策として強硬が許されてしまうのか。考えれば考えるほど不思議でならない。

 自分は直の記憶はないが、こうした無法政治の原点は60年安保であったと考える。当時のニュースフィルムや本、雑誌などで顧みると、実に激しい国民的反対闘争がその頃起きていた。が、安倍晋三の祖父岸信介は、大多数の反対世論を無視して安保改定に強権的に突き進み今日に至る日米関係の礎を築いたのだ。
 その安保闘争にもし国民が勝利していたら、辺野古だけでなく全国の米軍基地の問題も、米国に従属しての戦争法案もありえなかったはずだ。そう思うと敗北が実に悔やまれるが、歴史は後には戻せないからこそ「今」である。

 何だかんだ言ってもどれほどの低投票率であったとしても、安倍政権は国民の審判を二度も受けている。景気回復を前面に掲げ、アベノミクスなるまやかし商法はともかくある一定の効果を上げ株価は戻り景気は前よりは良くなった、ようには見える。が、じっさい庶民の懐は、低所得者層、年金生活者などでは、諸物価高騰と介護保険料なども軒並み上がったので、実質的には所得は減り生活はさらに苦しくなった。
 しかし、それでも庶民は騙され御用マスコミに景気回復したと踊らされ、「景気回復この道しかない」、と叫ぶ安倍首相の訴えに耳を貸してしまい彼ら政権与党に再度多大な議席を与えてしまったのだ。彼らがどれほど危険かまるで気づかず何も考えずに。

 思うに政治とは、崇高な理念など庶民には関係なく、あくまでも目先の金のこと、景気が回復して金が入って来るかだけなのだと嘆息してしまう。つまるところ原発自治体の住民と同様なのだ。フクシマのようにどれほどまた大地震が起きたり、火山の噴火で予期せぬ大事故が起こるかもしれないのに、それはありえない、絶対安心だと思い込んで、目先の金、生活のことしか考えない。

 が、誰がそれを嗤えよう。人が生きていくには金が必要だし、地方は産業は乏しい。原発があるのだからそれにすがり地域を活性化させていくしかない。明るい未来は原子力あってのものだ。この国はすべて自己責任の国なのだから。我に彼らを非難も批判することはできないしすべきでないと自戒している。

 が、またこうも思う。そうして誰もが自らの目先のこと、金のことや今のことだけに囚われてしまえば、地震大国日本は再び原発大国に戻ってしまうし、このまま戦争法案が成れば国家として戦争に巻き込まれ再びかつてのような息苦しい国家統制の戦時体制が始まる。そして子供たちは徴兵制で戦地に送られていく。取り返しのつかない原発事故も再び起きるかもしれない。人は、今のこともだが、「先」のこと、日本の、子孫の行く末のことも考えねばならないのではないのか。

 景気回復一点で自公政権を信任し彼らの暴走をこのまま許してしまえば、すぐに恐ろしい大変な時代がやってくる。日本はめちゃくちゃになってしまう。そのためにも今できること、反対だと声を上げ世論を高めていくしかない。
 
 この国の歴史、特に戦後史を振り返れば、強大な国家権力に民衆の訴えや願いはことごとく踏みにじられてきたことに気がつく。歴史は彼ら「反対者たち」の屍の上に成り立っている。自民党はそれでもこの国は平和で豊かに復興したではないかと胸を張る。彼らの政策は反対はあったが常に正しかったと。

 が、それは違う。安保条約により多くの米軍基地駐留をゆるしつつも、韓国のように戦争に巻き込まれず経済は成長し安定してこれた。それは自民党の成果でなく、この国は戦争ができない、しない、軍隊を持たないという平和憲法があったから故だ。
 その憲法が安倍政権のクーデータのように国民にはかることなく勝手にも解釈変えられ、海外でも日本が攻撃受けていなくとも集団的自衛権行使可能=戦争可能となっていく。
 人ひとり一生分もの長さである70年も続いてきた平和が、今ここで終わろうとしている瀬戸際に我々は立っている。

 岸信介と安倍晋三、この国を破滅に導く祖父と孫の今に続く亡国の系譜を今こそ断ち切らねばならないのだ。

 今こそ「歴史」を国民自らの手にとり戻すときがきた。

癌を抱え老いて死にゆく母に2015年08月03日 21時34分21秒

★この暑さはいつまで続くのか          アクセスランキング: 105位

 私事というか、家庭内のことを書く。
 連日、うんざりを通り越し辟易してもなお非情かつ容赦ない猛暑が続く。たぶん明日も記録更新であろう。

 居職ゆえ毎朝家を出て汗まみれになって会社に行かなくて良いのは至福とも言えるわけだが、犬や老人など抱えるものも多いとこの猛暑の中でどううまく世話していくか頭を悩ましている。人はもちろんのこと、犬たちも外気温が30度を超してしまうと外には出しておけない。このところ連日35度前後の日が続き、夜になっても熱帯夜なので犬たちはほぼ一日家の中にいる。小型犬ではなく二匹とも柴犬よりは大きい中型の大きさなので場所をとる。

 外にかけてある寒暖計を眺めつつ、犬たちを室内に取り込むわけだが、元々室内飼いとして育ててはいないので、大小便は外でないとしないし犬用トイレもウチにはない。仕方なく、犬たちが騒ぎ出す前に、日に何度かごく短く近所を散歩させ小便だけさせて慌ててまた家に入れる。
 涼しくなれば夕方からは外に出せるが、ここのところ連日朝方の涼しい数時間を除きほぼ一日中家の中にいる。あまりの暑さに散歩も長くは行けないし犬もストレスが溜まり家の中でも大暴れである。

 そんなでこちらも猛暑の間は外出もろくにできやしない。実は、老犬ブラ彦は、先日のライブの日、マス坊が夜になっても不在だったがため、怒って我が老父の足に噛みついた。なわけで、またもや病院に連れて行き破傷風の注射を打ったり、膿まないよう毎日傷口に薬縫って包帯取り換えたり面倒な事態が続いている。抗生物資も出された。
 まったく気が休まらない。しかしこういうことが生活であり生きているということだと観念するしかないのである。

 今日、3日は、母の癌の定期検診で、三か月ぶりに立川の担当してくれている女医のところに母連れて行ってきた。

 案じていた肥大してきた癌の部位は、その成長の度合いは幸いわずかであった。しかしそれでも約4センチ四方となって来たので、女医曰く、5センチ越したらどう治療していくか考えましょう、と、とりあえずまた次回まで何もせず、そのときまた様子見となった。薬も何もないが、また血をとって検査に出した。が、次回行くのはは11月に入ってからだ。

 診断が終わってほっともしたが、無罪放免ではなく、またも執行猶予が続くという思いがした。
 年も歳なので、若い人の進行がんのように、ぐんぐん成長してあちこちに転移していくというほど母の癌は元気ではない。しかし、確実に少しづつ肥大は続けているわけで、やがては、場合によっては次回の検診のとき、医師から今後の治療法の選択を問われるかもしれない。少し憂鬱である。

 ただ、現実のはなし、今さらこの歳で、つまり85歳という年齢で抗癌剤を投与するのは癌は小さくなったとしても副作用で体が弱り逆に命を縮める結果になる可能性高い。部位に放射線治療というのもまた腸が癒着する可能性が高いので奨められないとも言われてしまった。
 要するに有効な手立てはじっさいのところもはやなく、あとはこうして定期検診で様子だけ見つつ、だらだら生きて、うまいところで癌と老衰による自然死とが合致してくれるのを待つしかないかとも思えてきた。

 癌であろうとなかろうと人は必ずいつかは死ぬ。もうほぼ平均寿命まで生きてきたのだから、癌で死のうが他の何かで死のうが大して違いはないはずだ。が、母の腹部に居座り、ごく少しづつだが、確実に肥大化しつつある癌の固まりのことを思い浮かべるとスイッチの入ってしまった時限爆弾を抱えつつ生きていくようなものに思え、内心やはり憂鬱となる。

※この噺、もう一回だけ書き足したい。

戦争に行かないという「権利」と「自由」2015年08月04日 05時17分46秒

★戦争に行かないのは、個人的利己主義か       アクセスランキング: 101位

 自民党の若手議員が、自らのツィッターで、戦争法案に反対の活動を続けている学生たち「SEALDS(自由と民主主義のための学生緊急行動=シールズ)について、彼らの主張は、「戦争に行きたくないという自分中心、極端な利己的考えに基づく」と記したことが報じられて大きな問題となっている。ブログ内容の予定を変更してそのことについて書きたい。
 彼の主張はこうだ。

 武藤貴也
 SEALDsという学生集団が自由と民主主義のために行動すると言って、国会前でマイクを持ち演説をしているが、彼ら彼女らの主張は「だって戦争に行きたくないじゃん」という自分中心、極端な利己的考えに基づく。利己的個人主義がここまで蔓延したのは戦後教育のせいだろうと思うが、非常に残念だ。

 唖然とした。そしてこう書いたこの男の顔は、新聞に載っているのを見る限りまるで子供である。まだ36歳。つまり彼が強く非難している戦争に反対している利己的若者たちとさほど違わないか、ほぼ同世代である。完全な戦後教育世代である。
 その若者議員が、昔から老いた保守派がよく口にする、手垢のついた「戦後教育の弊害」だとして、戦争に反対する若者たちを極端な利己主義、自分中心だと非難しているのである。この男何様なのであろうか。愚かというだけでは足りないほど愚かだ。※この男にはそもそも自分の考えがない。自分の頭で何一つ考えることができなく刷り込まれた旧い思想をただオウム返しに口にしているだけだ。呆れを通りこし哀しみすら覚える。

 彼は批判が集まると、フェイスブックで「法案に反対するのは真の平和主義に忠実とは言えない」と反論し「世界中が助け合って平和を構築しようと努力している中に参加することは、日本に課せられた義務であり、正義の要請だ」と説明したという※東京新聞8/4日付け朝刊から。

 武藤議員の発言を深く読み解けば、要するに、彼の「真の平和主義」、――つまり安倍首相が言うところの「積極的平和主義」のことに違いないのだろうが、――紛争解決のためには武力攻撃、戦争参加も可能とする主義こそ真に正義であって、国際貢献としての戦争、それに忠実でない者、批判する輩は、利己的個人主義だと断ずるのである。
 つまり、戦争が始まる事態においては、若者に限らず、個人が「戦争には反対だ、戦争には行きたくない」と言ったりすれば、それはお前、国家に対して利己的個人主義だと強く批判されても仕方ないということになる。

 こう書いている我は、若者ではないからおそらく戦時においても徴兵にとられることはないと思う。が、仮に今のように「戦争反対! 若者を戦地に送るな」とあちこちで書き発信し、街角で叫んだとする。そのとき権力側にいる武藤議員らは、そうした行動や発言は「真の平和主義に反する」としてどうするつもりだろうか。きっと「非常に残念だ」ではすましてくれないだろう。おそらく戦時においては過去がそうであったように、必ずと取締りと弾圧の対象になるに違いない。

 「戦争に行きたくない」のは利己的なのであろうか。武藤議員の頭にあるのは、平和構築のためには戦争もまた正しいという幻想であろう。仮に百歩譲ってそれもまた一選択だとしても、個人が戦争に行きたくないと言うのは権利として保障されなくてはならない。そうした発言の自由も保証されなくてはならない。権力側にいる議員に批判する権利はないし、そもそもこの発言は:現職の国会議員として許されない。撤回と反省を強く求めたい。
 戦争に行きたくないと叫ぶのも行きたいと叫ぶのもどちらもまた同等に発言は保障されなければならない。それを一方的に非難するのは異常である。自分中心、極端な利己的考えは武藤議員のほうではないか。たぶん戦後教育のせいだろう。

 今はこうした妄言としか言いようのない発言に対して多くの批判が生まれ、それもまた報道され武藤議員は批判される側にいる。まだ世に「良識」はまかり通っている。
 しかしひとたび戦争が始まってしまい一人でも戦死者が出れば、逆に武藤議員の発言が主流となり、「日本に課せられた義務、正義の要請」という「戦争参加」に反対する者、協力しない者は利己的個人主義者、非国民として非難され逮捕弾圧されていく。過去の歴史はそうであった。ならば今度もまたそうなるに違いない。我はそのことをもっとも恐れる。
 ※そもそも戦争に行かない、戦争に参加・協力しないという意思は、個人の人権として思想信条の自由として保障されていると信ずるが、戦時下においては、徴兵制や国家総動員法なるものが必ず制定されてしまうから、法律違反にならないためにも嫌がおうでも徴用されてしまう。戦争協力を拒み、反対し批判した者は犯罪者として逮捕投獄される時代が来る。

 今参院で審議されている安保関連法案が成立してしまえば、そういう時代が間違いなく来るだろう。武藤議員の今回の一連の発言はまさにそうした「時代」を先どる戦争国家、権力者側の本音なのである。

 しかし、どんな時代であっても戦争とは人殺しであって、国家の義務にせよ正義の要請であっても、誰でも人殺しに協力しては絶対にならない。そしてそのことは「だって戦争に行きたくないじゃん=殺し殺されるかもしれないから」と叫ぶ若者たちの側に義があることを示している。それは人としてごくごく当たり前の思いであろう。

 若者でもある武藤議員は、戦地に兵士として出向き、自らの「真の平和主義」のためならば銃をとり敵の兵士を殺し、自らも殺される覚悟があるのであろうか。彼がすべきことは、手垢のついた妄言を繰り返すことでなく、まず議員を辞職して自らの発言通りに、自衛隊に入って兵士として戦地に行き戦争というものの真実を知ることだ。
 戦争に行きたくない者を非難する者はまず自らが戦争に行けばいいじゃないか。人を殺すことが正義だと思うならば。

人はどう死ぬか、どう死んでいくか2015年08月05日 21時51分07秒

★人生でいちばん暑く熱い夏に    アクセスランキング: 102位

 記録的猛暑が連日続く。皆さんご無事か。

 今、夜の9時過ぎ、室内にいた犬たちを外に出そうと玄関を開けて軒下につるしてある寒暖計を見たらまだ30度以上ある。外はもわーんとしてちっとも涼しくなっていない。
 仕方なく今晩も犬は家に入れることにして、ごく簡単に町内をぐるっと散歩させてきた。戻る頃にはそれだけで汗が拭き出しまた冷たいシャワーを浴びてこれを記す。おそらく今年の夏は観測史上もっとも暑い夏となるに違いない。
 
 あれから自分の体のほうは、ひどいメマイはないものの、ふらつき、立ちくらみは日常的で、鈍い頭痛もずっと続いてる。が、その原因も前と同じかというと、あまりの暑さから来る熱射病の軽いものなのか、冷房つけて寝ることによる体調不良からなのかもう何がなんだかわからない。ふらふらしてても吐いたり動けないほどでないからもうこれは持病として付き合っていくしかない。

 ただ、この猛烈な暑さの中ともかく生きているだけでやっとという思いでいる。そして親や犬たちもやっとの思いで何とか無事に生かしているという状況だ。ともかく生きてこの危機を乗り切るだけで精いっぱいで何一つできなくても仕方ない気がしている。
 どうか皆さんも無理せずご自愛くださいと祈るしかない。

 さて、前々回ちょっと書いたことの続きというか補足的なことを。

 人は誰でもどう生きるか、生きていくかは考える。特に、若いころは「人生」について、どう生きるか、何をすべきか将来のことについて思い悩むはずだ。
 しかし、どう生きるかについては考え悩むが、どう死ぬかについては普通は人はまず考えない。むろんいろいろ身辺に悩みを抱えて自殺を考えている人は別として。
 まあ、若い時はそれが当然で、今を生きることだけで手いっぱいで死ぬことも死に方についても考えるほうがおかしいかもしれない。 死と若さは本来無縁であり、よほどのことがない限り意識することはない。かつての自分もそうであった。

 それが歳と共に、老いて自らの周りに「死」がしだいしだいに氾濫してくると、かつては非日常であった死は、日常的なものになってきて、人は自らの「死」についても意識し考えるようになっていく。
 どう生きるか、ではなく、どう死にゆくかと。

 そして友人知人、肉親の死も含めて、他者の死のカタチから、自分はどう死ぬか、いつ死ぬかもあれこれ考えてしまう。まあ、世の中には、自分だけは絶対に死なないと思い込み、いや、そもそもそうしたことすらも無自覚に、頭から「死」は意識的無意識的に払いのけて能天気に日々生きている人も多々いる。それこそ健全かとも思える。

 しかし、身近に死にゆく者がいたり、大事な人を死で喪ったりすると、嫌でも死に向き合うがゆえ、生き方ならぬ「死に方」について考えざる得ない。
 
 死に損なったからではないが、このところずっと死に方についてあれこれ考えている。理想的生き方がもしあるならば、理想的死に方も当然あるかもしれない。我はどんな死に方をしたいか。いや、そもそも死に方など考えたとして生き方のごとく選べるのだろうか、むろん自殺ではなく。

 不慮の何らかの事故死や、殺人などの被害者となるのは論外として、人はほぼ全員何らかの病気で死ぬ。あらゆる癌や肺炎、脳梗塞、心筋梗塞、その他様々な病気で人はたいてい病院で死ぬ。若くして病気で死ぬ人もいるが、たいていは老いて病んで衰弱して死ぬ。
 老いと病気は密接な関係があるとか以前に、表裏一体であり、老人が病気にやたらかかるのは、肉体そのものが経年疲労を起こしすべての機能が衰えたがゆえ病気にかかることは間違いない。若者は病気にかかる率は少ないのでわかる。そして老人の病気は治ることは少ない。結果としてその病気で死んでいく。

 昔から古い車を長く乗ってきて思うのだが、人も車もまったく同じだとよく考えせられる。あちこちに不具合が起きて定期点検のつど、ここもあそこも取り換えた方が良いと修理工場の人から言われる。じっさい中を開けて見てみると、赤サビや腐食でボディからしてかなりボロボロである。
 それでも不具合の起きてきたパーツを取り換えれば、まあ問題なくまだ動く。そんなふうにして手を加え調整しながら古い車でも乗り続けられる。が、人間はそうはならない。せいぜい白内障で眼内レンズを交換できる程度で、後の部位はどんなに悪く限界になっても交換がきかない。結果して不具合が起き、薬や外科的手術で何とか抑えたり調節したりするが、最終的には体のエンジンとガソリン、つまり体力・気力もなくなりオシャカとなるのだろう。それが人に限らず動物の死だ。

 ならば人の意志ではどうすることもできないのか。老いて病み弱って最後はただ死んでいくしかないのか。いや、人は他の動物とは違う。死すらもコーデュネイトできるのではないか。他者の死も自らのも。
※長くなったのでまた書き足したい。

人はどう死ぬか、どう生きていくか・追記2015年08月06日 07時10分29秒

★70年目の広島原爆の日に      アクセスランキング: 88位

 昨晩は、あまりの暑さにパソコンも自分の頭も調子が悪く、書き進められず中途で断念してしまった。改めて朝の涼しいうち、頭がすっきりしているうちに書いておく。

 要するに、人は自らも含めての「死」にどれだけ意識的に、積極的に関われるかどうかが問題なのだと気づく。
 人は誰でも生まれ生きてきたから必ず終わりとしての死を迎える。その長さは関係ない。満足度と納得度の度合いだけだ。

 が、そうはいってもそれは建前の謂いで、誰だって死ぬのは怖いし、どんなに長生きしようと一日でも長くこの世に留まっていたい。なかなか禅坊主のように達観して心静かに死を受け入れて生きられないし死んで行けない。
 が、それよりも死の時が来て、どれだけその事態ときちんと向き合えるかが、当事者も周りにとっても課題だと思える。

 むろん、予期せぬ事故、もしくは同様の突発的心臓発作や脳梗塞のように、それまで元気に普通の生活を送っていた者がある日突然、急死することだってかなりの確率であり得る。
 当人はその一瞬刹那、あっ苦しいとか痛い、死ぬかも、と思うかもしれないが、たぶん何もわからなくなって一瞬で死んでしまう。周りはもっと驚き突然の出来事に慌てふためく。心の準備もできていない分だけ悲しみは続く。
 残された者はともかく、当人はあっという間に死ぬのだからある意味潔い。簡便である。そういう死に方が面倒がないぶん良いと思い、憧れる人もいよう。

 逆に、癌などの長患いで、半病人から寝たきりの状態となってもまたさらに苦しみながらもだらだらと、しぶとく生きて最後は多機能不全、長期闘病の末の壮絶死という死に方もある。どちらも極端だが、多くの人の死は、その双方の中間点に位置すると考える。わりとあっけなく死ぬ人と意外にしぶとく死と闘い死んでいく人とに分けられる。

 そしてもう一つ、うんと長生きして、直に死に至るほどの病気には罹らず、ただただ長く生きて頭も呆けてきて、最後はほぼ一日中眠り、寝たきりとなり、まさに眠るように死ぬという死に方も実はある。自然死、老衰死という言葉があるかわからないが、存分に生きた末の大往生である。
 看取る周りは大変だが、当事者としては理想的のように我は思える。認知症とかボケが進んだ末、当人は何もわからなくなって大して苦しむことなく枯れ木が朽ち倒れるように死ぬのは動物として正しいあり方かもしれない。自然死、老衰による死に方はある意味いちばん死ぬ者にとっては楽で正しいかもしれない。むろん、家族こそ大迷惑であろうが。

 癌のように、頭はしっかりしていて、当人も死にゆく意識ははっきりあり、その理解のうえで死に行く生き方、いや、死に方はやはりツライ。でも時間はあるので、後顧のことを家族に託せるし身辺整理もできるかもしれない。自らの人生も振り返れる。
 そうした死に方こそ理想だと友人の誰だかは言っていた。個人的には死ぬために生きるのはまっぴら御免であるが、まあ、何もわからぬ突発死よりは当人にとっても周囲にとっても準備と覚悟ができる分だけ十分理想的であろう。ただ、癌は痛いのでけっきょく最後は、モルヒネで痛みを和らげ意識はなくなっていく。痛みに極端に弱い者として、癌だけはご辞退したいが、たぶんウチは癌家系だから、我もまた癌で死ぬのかとも思っている。そのときはそれを受け入れるしかない。

 と、とにかくも、しっかり死ぬためにはまずしっかり生きなくてはならないことだけは確かであり誰も異論ないはずだ。
 人は必ず死ぬ。そのときがきたとき嘆き悔やみ反省することのないようまず日々しっかり生きなくてはならない。

 しかし、そうして生きてきたとしても全く望まずに当人の意志や判断とは一切関係なく死んでいく人たちもいる。殺されていくと言ってもいいかもしれない。
 昨日見たテレビのニュースでは、間もなく今年で30年前となる、日航機が御巣鷹山に墜落した大惨事航空機事故の犠牲者の遺書が公開されていた。墜落する直前に、愛する家族、妻や幼い子たちに宛てて、手元の紙袋に走り書きしたものだ。
 そのときの彼の心境を思うと言葉もない。墜落していく飛行機の中の恐怖と混乱の中で、死ぬまでの間その父は何を考えたか。それほどの苦しみはどんな病気による緩慢な死より激しく残酷であろう。

 また、ちょうど70年前の今朝、広島で起きたことも人類史上最悪の残酷極まりない犯罪である。米軍による原爆投下だ。
 その日その瞬間のうちに数万人が紙のように燃え尽き、その年の暮れまでに14万人ともそれ以上とも推定される、広島にいた人たちが火傷や後遺障害も含めて順次死んでいった。彼らの多くはいったい何が起きたのか何もよくわからないまま死んでいった。ピカッと光りそしてドンと激しい衝撃と爆風で意識を失い、生き残った人たちも地獄絵図の中にいた。かろうじて生き永らえてもまたその後も放射能は長く被災者を蝕み苦しませたことは記すまでもない。

 様々な死がこの世にはある。しかしもっとも悲惨であってはならない、繰り返してはならないのは、こうした誰も望まぬ事故や戦争による死であろう。彼らには何も責任がない。何の罪もない。なのに望まぬ大惨事に遭い犠牲者として無為に死んでいった。
 さぞや無念であろうと今生きている我らは思う。しかし死者たちは何も語らない。ただその厳粛な事実の前に、我々は首をたれ、彼らのためにも二度ともう悲惨な出来事は繰り返さない、過ちは繰り返してはならないと固く誓うだけだ。

 平和な世なら死に方もまた選べる。生きて思うように好きな人生も送れる。しかし再び戦争の時代が始まれば、いつまた望まぬ死が日常に溢れかえるかもしれない。
 人は誰も殺してはならないし、同様に誰も殺してはならない。他者の意志で殺されたくないならばこそ誰も殺すことなかれである。

 ヒロシマ原爆の日。今日は一日、朝から先日25日の反戦歌コンサートで、館野公一さんがうたってくれた「死んだ女の子」という歌が頭の中を流れている。
 そう、♪炎が子供を焼かないように、甘いあめ玉がしゃぶれるように戦争だけは絶対に起こしてはならないのだ。
 戦争に行かない若者は利己主義だと、与党の若手議員がそう言うのだから、この安保法制関連法案とは、戦争するための「戦争法案」そのものだとはからずも証明しているではないか。ならばこそぜったい反対!だと改めてここで記しておく。

拙くとも自分のうたを2015年08月07日 23時51分23秒

★我に唄いたいうたあれども              アクセスランキング: 97位

 このところずっと迷い考えていたことを書く。
 音楽の現場に関わるようになって、もう10年近くなるはずだ。

 あちこちで書いたけれど、そもそものきっかけは高田渡の死を受けて、なき小金井公会堂で、彼の友人、仲間のミュージシャンが総結集して追悼コンサートが催され、それに出向いてからだ。その場で血が逆流する様な強い感動と刺激を受けて我が内側に再び音楽が戻って来たのだ。

 うんと昔、自らもフォークギターを手にして、アマチュアで音楽活動はやったこともあったし日本のフォークソングに若い頃は強い関心あったが、約30年もの間、日々の生活に追われてそうした「うた」とは無関心、絶縁状態だった。
 それが、中川五郎氏や岡大介、さこ大介、みほこんたちとの素晴らしい再会、出会いがあり、いつしか週末ごとライブ会場に足運ぶようになる。国崎氏の両国フォークロアセンターとも知り合って一観客から企画にタッチするようにもなっていった。
 さらにそこに、京都の名高い詩人、有馬敲氏の知己を得たことから、自らも再びギターを手にして、拙くも音楽を再開するようにいつしかなった。

 そして、先年秋の、阿佐ヶ谷での、その有馬氏を迎えたライブイベントで、臆面なくも彼らに伍して「デビュー」させて頂いたことは記したと思う。まあ、それだって自らの企画であったから、ゴーマンにも企画者権限で勝手に出たに過ぎない。前座の前座であった。

 じっさいのところ、今はまだ人に請われての出演オファーなど一回もない。理由はわかっている。あまりに下手くそで、わざわざ聴いてみるに値しないからだ。だから勝手に自らあちこちに押しかけたり、自宅の無頼庵で、来たお客様相手に唄っている。運悪く聴かされた方々はいい迷惑であろうが。

 何でそんなことをするかといえば、自分だって唄いたいということと同時に、ある考えの理論と実践から来ている。

 拙ブログの場で、これまでもうたや音楽について度々書いて来たことなのだが、我マス坊の考える「うた」とは、プロの作家たちが作り、プロの歌手によって歌われるものではなく、生活の中や民衆の中から自然発生的に歌として出てくるものだと考えている。
 特別の教育や知識、テクニックがなくても、ときに楽器すらなくても、うたは世界中どこでもあったし、耳から口に、口から耳へと伝播して何百年も唄い継がれてきた。

 それが近代になり、ラジオやレコード芸術が登場すると、そうした本来のうた、生活の中からのうたたちは、商業主義のそれに駆逐され、ほとんどのうたは専門家がつくり会社に管理され、つまらないパターン化したものになってしまった。

 が、米国でのウッディ・ガスリーやピート・シーガーたちが登場したことから、本来のうた、フォークロア、民謡としてのうたに再びスポットが当てられ民衆のうたは復権してきた。
 その流れは60年代半ばの、関西フォークムーブメントとして、日本でも若者たちに大きな影響を与えた。それまでのプロが作って来た商業主義の歌謡曲に対して、素人であった若者たちによる、若者たちが自らうたう「フォークソング」である。プロテストソングとも呼ばれた。

 マス坊は、その頃はまだ子供過ぎたので、その運動には直にタッチしていない。が、その理念はしっかり受け止め、これこそがうたなんだと思春期の入り口で確信した。つまりうたとは、誰だって作れて誰だって唄えるものなんだと。日々の思いや社会に対する怒り、私的な愛と別れの哀しみ等メッセージを唄わなければならない。うたとは本来そういうものであったし、そういうものでなければならないはずだ。

 ならば、その理論を前に、自分も実践しなければならなくなる。そして高田渡に倣い関西フォークの理論的指導者・有馬敲氏の詩にメロディーをつけてギター手にしていつしか唄うようになっていった。

 が、それがである。当たり前のことだが、実に難しく大変なのであった。じっさいにやってみると理論と現実は大きく異なる。
 マルクスやレーニンの素晴らしい理論がソビエト国家でスターリンによってどう歪め変節させられたか以上に困難なことであった。【もう一回続く】

拙くとも自分のうたを思い通りに2015年08月08日 15時38分33秒

★我にその力を与えよ              アクセスランキング: 97位

 うたは誰にでもできる簡単なことだ、と書いて来た。その考えは変わらない。だが、じっさいに人前でうたうこと、音楽をやってみるとその難しさ、深さを思い知った。うたは簡単だとしても音楽は実に難しく深い。

 昔から音楽は大好きで、人よりはその知識も多少の経験もありわかっているつもりでいた。もし、それが才能だとするならば、詞に曲をつけたり、コードを探し出しうたに伴奏をつけることだって大して苦労せずともできる。

 だが、人前でギター手にして唄うと常に必ず失敗してうまくいったためしがない。必ずどこかでコードやピッキングを間違えるのは毎度だが、肝心の「うた」だって、歌詞が出てこないでつまったり、順番や歌詞そのものを間違えてしまう。
 それが他人様の曲や練習していないのならあり得る。が、自分のつくった曲で、もう何年もずっと唄ってきているのに本番だと必ずトチる。
今まで一回として満足して唄い終えたときがない。いったい何故なんだろうか。自分でも嫌になる。

 一つに、練習不足ということがある。唄いこみが足りないから練習ではまあ何とかやれても本番となるとボロが出るのだ。
 だが、それよりも一番の理由は、我は極端な上がり症、気が小さい小心者だから、本番で観客を前にすると緊張してパニック障害的状態となってしまう。頭は真っ白になり、手はふるえドキドキ心臓は早くなりまったく余裕を失ってしまう。
 そしてまた失敗するのではないかという「不安」の通りに毎度また失敗して苦い思いでステージから降りる。

 みんな最初はそうだよと言われたが、まだまだ場数が足りないこともあるけれど、いっこうに直らない。人数の多寡に関係なく、ともかく人前となると緊張して100%失敗する。失敗する自信はある。

 もともとこれは親たちとか家庭環境から来るものだと今にして思うが、自分の心の根底には常に不安神経症と自己否定のダメ意識が強くあって、コトにおいて特に緊張し、意識すればするほどに興奮緊張してしまい、できることでも必ず失敗する。
 後で思えば、何であんな簡単なことができないのか、何故そんなことで躓くかと情けなく自らを責め苛む。
 親しい仲間を前にすれば、まずそんなことは起こらない。うまくやらねばという緊張のスイッチが入ったとたん言葉はつまり、指は動かず失敗が失敗の呼び水となってさらに頭は真っ白になって崩れていく。

 だから最初は、うたは作ったとしてもそれを提供する側として、唄ってくれる人に代わりにお願いし裏方として音楽に関わるつもりでいた。今やっているライブの企画構成だって根本のところは同じ事で、出番や曲順も含めて全体の構成を立てて、出演者たちに我に代わってうたってもらっているようなものなのである。我にはそれができないから。

 が、こんな無名な素人のうたなど誰もプロの方たちは唄うはずもない。唯一バイオリン弾き語りのみほこん嬢だけが、こちらが半ば騙したようなものだったが、関心をもってくれ我が楽曲を代わりに唄ってもくれた。有馬敲詩の「ヒロシマのクスノキ」だ。
 しかし、後になって彼女からも厳しく諭されたが、うたとはそもそも作った者のもので、そこに責任がある。まずその作り手がたとえどれほど下手でも自ら唄わねばならない。まさに我が理論的にそうであった。

 そしてそれからは、ともかく場数を踏んで慣れることだと自らに言い聞かせ、呼ばれもせずとも人前で演るようになった。が、相変わらず失敗続きのままで、先日の「反戦歌」コンサートでもみほこんたちと共に演ったのだが、やはりひどい出来に終わってしまった。
 企画側でもあったので練習不足ということもあった。しかしそんな言い訳もできないほど、相変わらずダメで、一人どんどん演奏が早くなり、みほこんたちの歌にも伴奏として合わせられなかった。
 良いコンサートとなっただけ、共演者にはご迷惑をかけ場を汚した思いで後々までも悔やみ自らを苛んだ。もう、やはり自分は人前でやるべきでないと決意した。裏方に徹するべきなのだと。

 しかし、どこで誰とやるかではなく、自分が関わって来た長い音楽人生を振り返れば、今では誰も知らない、歌われなくなったうたや、今でも、今こそどうしても唄いたいうた、うたわれるべきうたがたくさんあることに思い至る。そうしたうたたちは、たぶんこのマスダがうたわない限り時間と共に忘れ去られ消えていく。レコードなどになっていないものも多い。

 自分には人前でううまく歌える演れる才能はない。自信もない。でも関わりとしてそうしたうたとの関係まで断つ必要はないだろう。良い悪いかは別にして、自分には自分のつくった、唄いたいうたがある。歌わなければそれらは、水子のように日の目もみず闇に消えていく。それもまた可哀想に思える。
 
 本が自ら読まれることを求めてあるように、うたもまた唄われることを求めているのだと思う。特に作り手を喪ってしまったうたは、例えば高坂一潮さんの遺した楽曲のように、佳作、傑作がどれほどあろうとやがては忘れ去られ、そんな歌があったこともそんな人がいたことすらも世から消えてしまう。それはあまりにもったいない。

 今まで苦しい時も楽しい時もいつどんな時でも歌があり歌に救われてきた。ならばそろそろ恩返しをしていかねばならないと思う。

 我にうたう才能なし。だが、自分には自分のうたがあり、自分が唄わない限り消えてしまううたもたくさん抱えている。
 音楽のカミサマにひれ伏しても、どうか思い通りにそれらのうたをうたえる力を我に与えてくださいと祈る。

 今は亡き笠木透の遺したアルバムに「私に人生といえるものがあるなら」と同名の有名な曲のタイトルを付けたものがあるが、もし、僕に人生とよべるものがあり、まだそれが少しでも残されているとするならば、拙くても我が音楽=うたにそれを捧げたいと切に望む。

70年目の長崎原爆の日に2015年08月09日 21時21分57秒

★非核三原則を国是とする日本が他国軍支援時は核兵器を輸送するとは   アクセスランキング:127位

 戦後70年とは、広島、長崎へ原爆投下70年でもある。その節目の年の広島市での平和記念式典では、安倍首相は、核兵器は持たず、作らず、持ち込ませずの国是である「非核三原則」をあえて口にしなかった。
 「あえて」と記したのは、奇しくも、同日の朝刊には、5日の安保関連法案の参院特別委員会で、中谷元防衛相が、戦闘中の他国軍支援で行う弾薬輸送において「核兵器の運搬も法文上は排除していない」とする発言が大きく取り上げられていたからだ。
 つまりこの法律が出来たら、他国軍支援という名目においては、非核三原則を堅持しているとする日本は、他国軍、つまるところアメリカ支援のためならその核兵器を輸送してしまうのである。また彼は、核兵器を搭載した戦闘機への給油も「法律上は可能」と述べたという。

 世界で唯一の原子爆弾が投下された国家が国是として、核兵器は作らず、保有せず持ち込まさないと世界に向けて公言しているのに、海外では、核兵器を運搬でき、核兵器搭載中の戦闘機にも給油するのである。それをすれば事実上核兵器の使用に加担、協力していると誰だって理解する。矛盾とか二枚舌という言葉があるが、もしそれをしたら世界中から日本は支離滅裂、狂気の沙汰と糾弾されるであろう。
 これもまた憲法との整合性を無視したこの稀代の悪法の持つ根本的矛盾ある問題点だと誰もが気づく。この法律は全てが憲法違反であり支離滅裂なものでしかない。

 安倍首相はそうしたことが念頭にあったからか、あえて広島の記念式典では非核三原則は発言から抜いたのではないか。つまり憲法九条を変えることなく骨抜きにしようとしているように、この悪法を成立させれば三原則すら国是から取っ払い、近い将来に被爆国日本が核兵器を作って保有し場合によっては使用も選択肢の一つとできるよう変更をめざしている魂胆から外したというのは考えすぎだろうか。

 そして結果として当然のことながら被爆者団体のみならず内外から多くの批判や抗議の声が集まった。
 今日9日の長崎での式典では、抗議を受け仕方なく?しぶしぶと非核三原則は堅持すると彼はスピーチに入れざるえなかった。

 さらに平和宣言の中で、田上長崎市長から「国会では、国安全保障のあり方を決める法案の審議が行われ、日本国憲法の平和の理念が、今揺らいでいるのではないかという不安と懸念が広がっている」、日本政府と国会には(法案への)「不安と懸念の声に耳を傾け、英知を結集し慎重で真摯(しんし)な審議」を求められてしまった。
 会場からはそのとき期せずして大きな拍手が起こった。画面に映し出された首相の顔は見ものだった。もじもじとまさに居心地悪そうでバツが悪い顔をしてた。帰ってから下痢でもしなければと案ずる。