闇夜に光を灯していけ~とりあえず近況と今思うことだけ2016年01月25日 22時35分24秒

★答えも結果もすぐには出ない     アクセスランキング: 154位

 ものすごい寒い日が続く。皆さんご自愛ください。
 この数日風邪気味だったり、咳の発作が出たりして、夜起きてられず、かといって朝も早くから起きてても落ち着いてパソコンにも向かえずただ日々慌ただしいだけでどうにもブログ書けなかった。
 いや、実は書いてたのだが、アップさせる前に、違うページ開いてうっかりそのまま書いたものを全部消してしまったりと初心者的ミスなどしでかし、再度書きなおす気も失せややネグレクト気味であった。これではいけないと自戒している。

 沖縄宜野湾市の市長選、様々な思いがわく。民意が示されたとか以前に、米軍基地という「問題」は、その地に人たちにどこまで苦渋の選択を強いていくのかと憤りのような感慨がわく。
 このところ我家の上空、東京横田基地も飛行機の往来が激しくオスプレイのような耐え難い身体にさわる騒音ではないもののかなりの頻度で慣れない者にはかなりこたえる飛行回数であった。
 一方、福生のゲート前や滑走路近くのフェンスには、航空機マニアが集まってスゴイ人出だときく。皆車を停めてカメラ構えてステルス機などが離発着するのを待ち続けているらしい。
 富士裾野の自衛隊などとの合同演習などもすごい見物客で申し込みがいっぱいだと報じられていたし、そうした輩をバカだとか愚かだと詰るのはたやすいが、それもまた人心であり否定してはならないはずだ。地元住民には耐え難い苦痛を与えるものをわざわざ好んで観光に来る人もまたいるのである。
 戦争も原発も絶対悪だと信じて我は心底疑わないが、そのどちらも金が動きそこで儲けたいとか金の匂いに惹かれる人たちはいて当然だと思うし、それもまた人心、人の世の常だと理解し認めることはせねばならない。でないと、正義の名のもとに立場が変われば弾圧する側にもなりかねない。
 米軍基地という問題は、きわめて単純であるがゆえまた複雑で、歴史的地勢的環境のうえに、現況的目下の情勢があり、またそこに金の問題が大きくからむ。それは原発も同様で、単に命と健康など安全だけの問題ならば結論は最初から見えている。
 じっさいのところ、今はもう原発に頼らなくても電力の供給は十分まかなえるのである。そして事故など起きないとしてもリスクだけみてもちっとも原発は安くも得でも全然ないのだ。ただ、経済の側面だけみれば、リニア新幹線を作るのも新たな高速道や全国津々浦々に新幹線を作るのも同様に、その建設費という特需でまず地元、日本経済は動き出す。その計画で潤う人たちが確実にいる。むろん被害をこうむる人たちも同数かそれ以上いたとしても金が動けばそれは是なのだ。

 一時期ダム凍結とか、無駄な箱ものは作らないと民主党は言い出しじっさいにそれで政権をとったがすぐ腰砕けとなり、自公が政権を奪還後、すべてはまた元の木阿弥、そうした公共事業で、今や地方再生、一億総活躍社会の名のもとに、オリンピック特需を足がかりにまたさらに全国的に公共事業で景気回復へと日銀を巻き込んでのけんめいのゼネコン政治なのである。民主党が何故ダメになったかはごく簡単なことで、彼らの政治では金が動かないからだ。
 我はそんな恩恵は何一つないから、全面的に否定するし、アベ政治を許さないというステッカーは、安倍政権退陣まで剥がす気はなく、今もずっと車にも貼って走り続けているが、世の中にはいまの政治に期待しそのおこぼれに預かろうと必死になっている人たちもたくさんいるのだと思う。
 じっさい山梨県で、リニア新幹線など不要だとか批判的なことをマスメディアに対して公言するにはとてつもない勇気がいる。その地ではもうリニアは期待の的、絶対的善であって、それがどんなに無意味かつ無駄かということは当初からまったく人々の頭にはない。ただそれができればきっと山梨県にももっと人が来る、そして活性化する、金が落ちて所得が上がるだろうという期待だけでワクワクしているのである。その負、リスクがあるとしてもあえてそんなものには目を向けない。いかにも日本人だと思うし、それが国民性なのだと思える。
 原発再稼働の地元自治体しかり、代替先の見えない普天間基地移設を問われれば、住民はやはり悩み迷うだろう。そしてそのときに心が動くのは金の匂いがあるかどうかだ。正義や道理、理性なんて関係ない。そうしたものでは人は生きていけない。まずは金の有無であろう。そして金が自分にどう動くかどうかだけに人の心は敏感になる。

 人間とはそうしたものだ。それを否定してはならない。そしてそうした人たちに向けて理を説くことの苦難を覚悟しないとならない。理屈や正義では飯が食えないと返されたとき、どんな説得力ある反論ができるのか。
 どんなところにも状況にも現実に苦しんでいる現地現場の人たちはいつもいる。問題はその苦しみや痛みをどれだけ無関係の人たちに伝えて彼らをこちら側に招き入れられるかだろう。しかもこちら側には金の匂いは全くないのにだ。
 わかる人にはわかる、伝わる人には伝わるとつくづく思う。しかし、それでは異次元的別人種には絶対に伝わらないしわかってもらえない。が、それではまず安倍政権は倒せない。何故なら我々の手数だけでは何度選挙やっても自公の戦力の前に非力だからだ。
 彼らは札束で頬を叩く。金の匂いをまき散らす。じっさいに金は渡さなくてもだ。だからこそ、景気回復の実感なくても今もなおずっと高支持率が続いている。そうした金の匂いに惹かれて騙され続けていく人たちを相手に道理を説いていく。それは並大抵なことではない。彼らには社会正義なんてそもそもない。あるのは金さえあれば 何でもかなうという金の権力という信仰だけなのだから。

 ならば絶望するしかないのか。屈するしかないのか。だからこそ一喜一憂せず生きている限り身をもって抗い訴え続けていくしかない。答えも結果もすぐに出るわけがない。仮に「革命」が成ったとしてもその革命が最終的結果であるはずがない。常にその結果に満足することなく、その先を見据えて次世代に託す気概で運動を続けていくしかない。
 ナザレのイエスと呼ばれた男のように世の灯になる人もいる。が、そんな人はごく一握りだとするなら、灯を持つ人、保つ人になれたら良いと願う。闇夜にも遠くからかすかに見える灯をかざす人でありたい。
 そしてそうした人たちが一人でも増えて夜が明るく白み始めたら世は変わるはずだ。
 人は金を求め金に絶対的に価値をおく。そして金こそ善にも悪にもなる当てにならない人を惑わすものであろう。だからこそ金で買えないものこそに正義や真理は存在するのだと説いていく。いつの世にも、ホロコーストの中でさえも、その灯をともし続けた人たちはいた。それは正義ではない。愛と慈しみと感謝、全てを赦すという慈愛の心である。憎しみや否定、暴力であってはならない。
 そしてあらゆる運動も闘争もその上に立ってのことでなければならない。ならば負けても当然、だが、だからこそ諦めずに続けていくこともできるのだ。