春は未だ来たらずか2016年02月16日 22時48分02秒

★びっくりぽんの気温の乱高下      アクセスランキング: 92位

 昨日の朝のブログでは、一昨日の5月の汗ばむ陽気を受けて、もうこれで春が来た!と勇んで喜びを記した。が、その後天気はにわかに曇って気温はぐんぐん下がり昼前には雨も降り出し、さらに夕方には何とウチ、多摩地方では小雪が舞うほど寒くなってしまった。積もることはなかったが、降る雪を見てあちゃーと思った。前言撤回、早速古い上着を引きづり出して羽織った。
 あろうことか初夏からまた冬へと一日で実に20度近くの気温の下降である。今の流行語を借りれば、まさに、びっくりぽんである。アベノミクス破綻の株価だってここまで一気に下がらない。
 つくづく先のことはわからないと嘆息してしまった。迂闊なことは書くべきでないし、どんなことでも一喜一憂してはならないのだと今さらながら自戒するしかない。

 昔から、暑さ寒さも彼岸までと言う。つまり春の彼岸を過ぎればもう寒くなることはないし、秋のお彼岸を過ぎれば熱さも和らぎ涼しくなる。じっさい昔はそうであった。
 が、近年は、いつまでも異常な猛暑が続いたり、記録的大雪があったり今年のように、記録的暖冬だと思わせておいて、また一気に厳しい寒さが遅れて来たりと、めちゃくちゃで予想が立たない。もう昔のような季節のサイクル、節目はまったくアテにならない。まして一昨日のように、汗かいてTシャツ姿で過ごした日の翌日に、雪が降るようなことはまさしく異常であり、今は暑いにしろ寒いにしろ極端から極端へと季節も何でも移行する時代となってしまった。そしてその間隔はどんどん短くなっている気がしている。これではたまらない。

 そういう時代なんだ、と言う人がいる。それが「現代」なのだと我も思う。しかし、そんな異常気象は、人智の及ばざるものだとしても人間が関与したものだと科学的に今では解明されつつあるし、じっさいのところ世界の平均気温の上昇と、人類の人口増加は比例しているわけで、あまりに人間が増え二酸化炭素排出量も同時に増えて地球規模でその影響が出てきていることは疑いないかと思う。

 東京の田舎に住んでいて気づくのは、都心に出ての帰路、中央線を下るにつれて一駅ごとに気温が下がり、まず三鷹で1度、国分寺で2度、立川で3度というように、山に向かうにつれて寒くなっていく。
 もちろん青梅線に乗り換え立川から拝島まで来ればまたさらに気温は低くなるし、それが青梅、さらには奥多摩となれば冗談抜きに約10度近く都心部より寒いのは間違いない。
 要するに、人の数、人家・住宅の多さと気温の高さは連動していて、人口の少ない所は当然ながら気温は低くなるのだ。まあ、当たり前のことだが。
 だからウチでのイベントで、都内に住む女の子たちが来たりすると、必ず寒い寒いと大騒ぎしてしまう。エアコン入れても真冬は大して暖かくはならないから、そこに住む者は慣れてしまったが、やはり都内のマンションやオール電化の戸建ての人にはウチは耐え難い寒さらしい。
 しかし、古民家のある山梨の北杜市江草へ行けば、そこはほぼ山間部の、標高も700mの森の中の山里だから、寒さに慣れている我でさえも真冬はちょっと堪える寒さであった。行って最初の冬は夜寝るとき、本当の寒さとは、痛いものだと初めて知った。布団にくるまっても外に出している顔や頭が凍えて痛いのである。

 だが、ストーブやエアコンなど冷暖房機がない場合、真に耐えられないのは、寒さより暑さのほうで、寒いのは布団や衣類の重ね着で着ダルマ状態になれば我慢も出来、死ぬことはないが、酷暑、猛暑の熱波の前には素っ裸になったとしても限界があり人は体温より外気温が上がればすぐに死んでしまうのである。
 山梨の古民家は、山里にあるわけだからクーラーなど冷房は何もない。でも一昨年までは夏行けば涼しかった。が、去年の夏は湿気の多い夏だったせいか、行ってもちっとも涼しくなく閉口した。東京とほとんど変わらないほど暑かった。

 おそらくどんな生物にとっても真に望むのは、暑くもなく寒くもなくほどほど、中庸の気温であろう。日本は四季のある自然豊かな国だから夏は当然暑くはなるし冬も寒い。が、やはりそれには段階を得て、じょじょに移行するために間に春と秋を置いた。
 ところがそれが、このところは春と秋が異常に短く、一昨年なんかは秋がほとんどなかったし、春も短くすぐに猛暑となったりもした。
 それが一昨日昨日のように、もっと短期間で、極端な寒暖の差を繰り返している。もう体がついていかないし、自然界の生物だって参ってしまうだろう。本当に何とかしてほしいし、ニンゲンの手で何とかなるのなら何か手をうたねばなるまい。機械に頼らないと生きていけないのならば自然界の生物は絶滅してしまうではないか。

 この歳になると、あちこちから訃報が頻繁に届き、となると嫌でも自らの死期についても思わざるえない。古の西行法師ではないが、願わくばどんな季節に死にたいか、どんな死に方を望むか考えることがよくある。
 まあ、それは希望してかなうことではないから無意味かとも思うが、やはり猛暑の最中とか、厳冬のときに死ぬのは願い下げしたい。まして熱中症とか凍死はもっての他であろう。そんな苦しい死に方はしたくない。
 願わくばやはり、外気温が22度ぐらいの暑くもなく寒くもない晴れて爽やかなそよ風の吹く季節に眠るように死につきたいと思うが。我にそんな平穏な死が与えられるはずもない。