我が父のことも少し記す2016年04月10日 22時14分04秒

★最後の帝国軍人とはこうしたものか

 今日は日曜で、入院している母の病院へは行かず午後はひたすら眠った。おかげで少し疲れはとれたし頭もスッキリしてきた。

 昨日の夕方、見舞いに行ったときは、酸素はとれたものの母はまだチューブだらけで、一応口から摂れるよう「食事」も出るようにはなったものの、まだ固形物は重湯さえ出されずに、三度ともドリンク剤にやたら栄養素を詰め込んだ小さな栄養補助食品1パックづつだけだとのことだった。それは200カロリーはあって、ヨーグルト味とかバナナ味など数種類風味は異なるとのことだが、ともかくしつこくてとても全部飲みきれないとこぼしていた。まあ、静脈から栄養は点滴で流し入れられているからそれはあくまでも「補助」なのである。

 食いしん坊の母としては、同室の他の患者たちと同じように、早く一般食が出ることだけが目下の楽しみであるが、腸管のバイパス手術を木曜にしてからまだ間もないのだからそれもまた仕方あるまい。なだめて早々に帰って来たが、毎日来るのは大変だし日曜は医者も少なく何の検査もないだろうから来なくていいと言われ、甘えて今日は一日家で、我もひたすら眠って鋭気を養った。
 じっさい、先週はあれこれあって気が休まらず心身疲弊した。手術を無事終え、その後も容態は安定しているようなので、ようやくほっと安堵した。気が緩んだというわけではないが、一気に疲れが出た。昨日は右のこめかみが夜になってズキズキ痛み出し、起きていられず薬飲んで早めに寝てしまった。
 後はもうあれこれ気を病んでも仕方ないわけで、傷が癒えてあちこちのチューブが外され、口から再び自力で食べられるようになる目安がつけば退院となるだろう。来週末は難しいかもしれないが、今月20日頃までには放免されるのではと期待している。

 さて、母のことではなく、我がこと、これからのことを書かねばならない。あれこれ「次のこと」「なすべきこと」はあって、早く準備も含めて取り掛からねばならないのだが、今はともかく身動きが取れない。母が家に戻らない限り我が用事で家を空けることができやしない。その理由は何と言っても認知症の父、ボケ老人がいるからだ。

 近く還暦を迎える年となって、老親たち、特に母に依存しているのは実に情けなく恥ずかしい事態だが、あえて記す。依存と言っても飯を作ってもらったり洗濯してもらうわけではない。そうした家の用事、家事はこの十年来ほとんど我が担当である。そしてそうした家事は好きではないが、特に苦だとは思わない。
 母が不在で困るのは、父の世話というか、面倒を見ること、相手してやることで、今は母が入院していないので、父と息子の二人だけの生活はほぼ限界となってきている。先週はそれもあってキレて疲れた。母は入院して先が見えずこちらは苦慮しているのに、そんな状況も考えず「通帳、ツーチョー」と騒ぎまくるのでさすがに頭に来てキレた。

 アクティブ系認知症の父はともかく目が離せない。ほったらかしにしておくと何をしでかすかわからない。先日の銀行通帳の件でも、また電話かけようとしたり、禁じたら一人で駅前のその支店まで行こうとしているのをけんめいに静止している。たぶん行ったら帰ってこれなくなって行方不明として放送されるしかないだろう。
 何か一つのことに囚われるとそのことで頭がいっぱいになり、同じことを何度でも繰り返し言い出し煩くしつこくこちらはいつもキレてしまう。そして父の挑発に感応してしまう我の堪えのなさと人間性の低さ、醜さに必ず自己嫌悪となる。

 そんな親と同居したくないというのが本心だが、まだ母がいればそうした父の狂気は鎮まることが多い。今は、近く退院して戻ってくるという期待と希望がこの家に見えたから、父も我も破滅に至らずに何とか持ちこたえられている。
 しかし、もし母が父より先に逝くこととなれば、我は一人でこの父と二人では絶対暮らせない。少しは我慢しててもやがて間違いなくキレて、実の父だが、この男を殺して家に火を放ち我も自殺すると確信している。
 そうならないためには、家の全財産を費やしてもどこかの特養ホームに父を預けるしかない。今までは母がいてくれて、母がクッションとなって父と息子の合いは相食む諍いはマックスにならないで何とか持ちこたえていた。
 もちろん、母だってそんな男と始終向き合っているのは苦労だし疲れてしまうことは同様のはずだ。だから母の癌もストレスで大きくなったのだと思うしそれもこれも言ってもしかたないことだ。

 ただ、この大正の末に生まれた、戦争にも行った戦中派世代の男のメンタリティには非常に興味深いものがある。というのは、この世代の父を持つ者、持っていた者に訊くと、非常にその性格が彼らは似通っているのである。
 まず非常に利己主義、自己中心主義で、他者をまったく評価も相手もしない。唯我独尊、常に自分だけが正しく他は皆卑下の対象でしかない。そして酷薄で、ニヒリスト。何事も執着するが、反面それが無くなった途端、一転して全く関心を失う。世間や社会への関心は皆無と言っていいほど無関心。興味と関心は自らのこと、財産と身の回りのものだけ。他はすべてどうでもいいのである。自分の体や健康だって無関心なのだ。
 一言でいえば身勝手なニヒリスト、執着はするが愛情は薄い人だ。

 母方の兄弟姉妹が今も常に連絡とって互いに気遣っているのに対し、父方のそれはほとんど没交渉だから、そこにその彼の家系的性質もあるのかもしれないが、それにしても我が父は特異な性格である。何しろ友人というのは若い時から一人もいない。親しい他人は妻となった女、つまり我が母だけで、後は職場関係などでの知人はいても友人、つまり誘い合わせてどこかへ行ったり会って吞むような仲間は彼の性格もあってだろう一人もいないのである。そしてそのことを寂しいとか苦にもしないのだから我とは全く違っている。

 そうした異常性格とも呼べる特異な性格には、戦争とその時代が多かれ少なかれかなり関係していると思うが、どうであろうか。ただ、彼らにとって戦争がどう影響して結果どうなったかは心理学者でさえも解明は出来ないと思う。何故なら今のいまさらであり、しかも認知症も進んでしまっているのだから。
 この世代の男たちには知る限り、皆同様の匂いがし、そこに「狂気」が見え隠れしている。父は若い時からかなりおかしかった。ただ歳とって呆けて来てさらにその度が進んだのである。彼ら自身はその性格で悩むことはまったくない。そして苦労するのは、まずそうした男たちと生活を共にした女たちなのだと思う。