ともかくまず今日を、「今」を生きる2016年04月16日 06時26分56秒

★過ぎたことや、これからのことは考えない

 九州熊本では大変なことになっている。また新たに今日未明にもさらに大きい地震が起きたらしい。14日夜のは前兆にすぎなかったというのには驚かされる。今テレビをつけて映し出された映像に息を呑んだ。
 地震列島日本。あらためていつどこでもこの規模の巨大地震が全国どこにでも起きるのだと痛感する。
 とにもかくにも一日も早い終息と、人命救助最優先と被害が少ないよう祈るだけだ。この事態を受けていったいこの国はどこに向かっていくのだろうか。不安な昂ぶる気持ちで迎えた週末の朝だ。

 そんな大変な時に、私ごとなど書いて申し訳なく思うが、毎回何人かの人たちは、我と我が家族の「その後」について関心持たれ、もしくはご心配されているかと思う。
 このまま何も更新ないまま空けてしまうと、またそれもご迷惑と心配おかけしてしまう。手短かに記したい。

 昨日午前に、整形の担当医師から説明受けた。母も同席した。
 やはり父のケガは、骨折で、来週の火曜19日に手術をすることになった。右足の付け根、大腿骨がすぱっと折れていくつか細かくも割れているとレントゲン見せられた。そして手術の説明と事前にいろいろ「今後」についてあれこれ詳しくお話しされた。
 手術が終わり、リハビリに移ったとしても高齢であり、まず元のようには戻らないこと。また、このまま認知症も進み、車イスの生活、もしくは寝たきりになる可能性も高いこと。
 回復したとしても現段階より一ランクは間違いなく全ての機能は落ちるであろうとのことであった。そしていくつも書類に同意のサインをいつものように書かされた。
 だが、そんな先のことよりも目下のことで我は頭がいっぱいだ。果たして手術までも無事に迎えられるのか、今の父の状態を見てともかく心痛めている。

 今回のような骨折という事態を迎える前は、誤嚥性肺炎もほぼ回復してきたとのことで、一昨日などは、ベッドで、こちらが心配するほど自ら精力的にパクパク食事をほとんど残さず食べていた。
 そしてあろうことか、看護師に断りもなく、一人で点滴を下げて下の階の母の病室までひょっこり顔出したりもしたという。
 だからこんな事態が起きなければ、おそらく今日、この土日には退院させられていたのではなかったかと思う。
 しかし、そうした徘徊系の認知症であったから、14日の明け方に、ベッドから落ちて腰を強く打つような事件を起こしたのだ。誰も見ていないし、看護師たちは父が落ちてから慌てて駆けつけたわけで状況は不明だ。おそらく、寝ぼけて、家と同じく尿瓶を探して身を起こしてバランスを崩して転落したのではないだろうか。
 ベッドに縛り付けておくわけにもいかず、一応、父のベッドの横には、勝手に降りて歩き出せば感知してブザーがナースセンターに繋がるマットも敷いてあったのだ。ただ転落は予想外で、もう起きてしまったことだから悔いても仕方ない。

 父は、5階から4階へと病室も整形の階に移された。
 そうした人が骨折後は、痛みだけは訴えるものの、ほとんどこちらの呼びかけにも答えず反応が鈍い、意識朦朧の状態となってしまった。目も細くしか開かないし、耳元で声かけてもロレツの回らない不明瞭な言葉しか返らない。
 一気に認知症が進んだかと案じたが、担当医の話だと、痛み止めの薬に、意識を鈍くさせ行動を抑制する成分が入っているので認知症が進んだこともあるが・・・と説明を受けて少し安堵した。
 しかし、問題は、そういう状態でも、食事を摂らせないとならないことで、彼自らだとスプーンも口にうまく運べないほどなのである。手もぶるぶる震えて、しかも吸い飲みで水を飲むとまた激しくむせてしまうので、誤嚥する可能性が高い。
 当人は食べたくない、とほとんど残してしまう。医師からはもう少し体力つけないと、輸血しないと危なくなると言われて、その同意も求められた。そのときはそのときだが、このまま食べないことと、食べてもまた誤嚥から肺炎になってしまうのでは、事態はさらに悪化していく。

 昨日は昼食時に立ち会い、父の食べるのを見ていたら、これではどうしようもないと思い、スプーンで口に運んで何とか半分程度、細かく刻んでとろみの付いたオカズだけは食べさせた。
 そして母と少し話して、午後家に戻り、犬たちに遅い食事を作って与えたり、洗濯物を干したりして夕方までベッドに短時間横になった。
 少しでも仮眠をと思ったが、あれこれ考えてしまい眠れず、本の発送もあったので、夕刻5時半頃、犬たちと郵便局まで行った。

 母からは、あんたも大変だから明日また来ればいいよと言われていたが、父の状態がずっと頭から離れなかった。で、家に戻ってから犬たちも車に乗せて、また立川の病院に、夕食の時間に間に合うよう車を走らせた。
 犬たちは車の中に待たせて、父の病室に行ったら、ちょうど食事は届いたところで、父は半身を電動ベッドで起こされていたが、相変わらず意識朦朧状態である。
 また来たよ、と声かけてもあまりはっきりした反応はなかっったが、食べたくないと言うのをなだめ励まして、スプーンで口へと運び、少しは食べさせた。

 看護師は食事の介助もしてくれるのであろうが、父一人だけにずっと付きっきりで立ち会ってくれるわけではない。いきおい、父一人に任してしまうのであろう。となると食べたとしても誤嚥する可能性が高いし、自らはそんなぼうっとした朦朧とした状態では食べる意欲もないであろう。
 母も同じ病院に入っていて、病室に来ることも可能だが、同時刻に彼女自身も食事を苦労して摂るのだから父の介助は任せられない。
 ならば大変でも朝はともかく、昼と夕食だけは我が来て、父に声かけて少しは意識を保たせながら食事介助せねばならないと決心した。

 ウチからは、その病院までは車で片道8キロ、時間にして30分はかからない。それでも母の病室にも顔出したりすると、向うに一時間いたとしても毎食ごとに、2時間は要する。となると午後はじっさいのところ3時間程度しか家にいられない。
 しかし、それでもまずは、父の手術の日までは、ともかく食事時には出向いて少しでもむせることのないよう、慎重に励ましながら食べさせていくつもりだ。

 正直大変である。しかし、まずは今日から三日間、火曜日までできる限りやってみる。もう今は家の方はしっちゃかめっちゃかで、洗いものも溜まり足の踏み場もない状態だし、病院通いの他は注文本の発送以外は何一つできないけれども、ともかくまずは親たちのことだと覚悟している。
 今やらないでいつやるの? 今でしょ!と某予備校の先生の掛け声を自らに問いかけている。

 過去を振り返れば、その父に対して我がしてきたことなど悔やむことばかり思い出す。そして先のことを考えれば不安が高まり、心臓もドキドキして夜も眠れなくなる。そしてつくづく思う。貧しいけれど、親子三人でこの歳までともかく無事で共に暮らせていたこと自体が奇跡のようなことだった、有難いことだったのだと。そのときは再び戻るのか・・・
 が、まだ、今なら彼らは健在で、まだ我にもできることはある。ならば、今日、今、そのできることを一つ一つやっていくだけだ。
 
 すべては神の計らい。神の愛の表れ。そして御心のなせる業ならば何を怖れる必要があろう?
 我のことよりもまず、熊本の被災された人々に神のご加護がありますように! 大地が早く鎮まるように。皆さんと共に祈るだけだ。