「ヒトゴト」と我が事と・前 ― 2016年04月17日 21時37分39秒
★まず現況から、少し
いろいろご心配おかけして申し訳ない。我の体はまだ何とか大丈夫だと思える。ただ、夜になると疲れで頭がぼーとしてズキズキ痛くなり、起きていられない。今はともかく少しでも長く深く眠りたい。
この数日来、立川の病院に昼に夜に出向いては、まず母を見舞い、次いで父に食事を摂らせる介助をしている。
一日に二回、隣町まで近場とはいえ車を走らせ病院に通うのはさすがに疲れてきている。行くのはちっとも嫌ではないが、車を走らせるのに飽きてきて、できるだけ違うルートを、かつ早く着けるコースをあれこれ毎回考えながらハンドルを握っている。
倦み疲れるという言葉はこんな気持ちかと思う。
親たちのことだが、一喜一憂しないし逐一あったことを記してそうした思いを読み手にまでさせてしまうのは本意ではない。なので、詳しくは遂次書かないが、今日までのところ、父も母も現状には大きな変化はない。ならばまずは「経過良好」だとお考えください。
母のほうは手術後、だいぶ回復もしてきたので、おそらく来週中には退院できるかとも思える。しかし、それ以降のこと、癌の治療もまったく未定なわけで、手放しで喜べないが、まずは家に戻れるのは我としても大いに助かる。本当に嬉しく有難い。
しかし、となると父一人を病院に残してしまうわけで、今は母が共に同じ病院に入院しているから日々最低でも二回は母が父の病室に出向き、あれこれ話しかけることでかろうじて保っている「正気」が、どうなってしまうのかその不安も強い。
母の今の体力を思うと、毎日は見舞いには来れないし、我としてはこれからも毎日通うつもりではいるが、日々二往復はそろそろ限界になってきている。
その父だが、やはり病院にいると、変化がなく、しかも今はベッドに縛り付けられているような状態なので、認知症はかなり進んできている。だが、毎日食事ごとに行って、曜日を理解させてから何故今ここにいるのか、ここはどこか、これからどうなるのかを丁寧に繰り返し話して、だから食事を摂らないと大変なのだと「理解」させて、嚥下障害を起こさないよう少しづつスプーンで時間かけて口に運んでやっている。
幸い、そのボケも一定以上は進まないようで、何とかむせることなくまあまあの量の食事は食べてくれているので行った甲斐もあるかと思うようにしている。
明日は月曜、その骨折した大腿骨の付け根の手術は明後日火曜の朝から。このまま明日もこの調子で問題起こさず食べてくれるようならば、体力も戻り手術も問題なく行えるかと思う。
そうして、ギブスつけたまま車椅子に座れるようになれば、我としては家での介護がどれほど大変でも父は家に連れ戻そうと考えている。父はマイワールドの人だから、我家にいれば自分の物に囲まれて好きなことが自らでき彼の「正気」は保たれる。が、それがない単調な病院内では、刺激もほとんどなく、一か月もいれば完全に脳は活動停止し、反応のない植物人間のような状態になることは間違いない。
それが可能かどうかわからないし、先のことは考えてもまたどうなるか、何が起きるかわからないのだから意味がない。まずは手術の成功と、母の退院が先決だ。
それにしても今回はいろいんなことを考えさせられた。こうした事態に至ってようやく知った、わかったことばかりだ。
そして思うのは、我の周りには先に親たちを亡くされた方がたくさんいたのに、また、我同様、その死に臨んで「介護」に苦悶していた方がいらしたのに、我はまったくヒトゴトとして、無関心であったとは思わないまでも、実にその人に対して薄情であったと今にして痛感している。ちっともその人の苦労、苦しみ、苦悩に対して理解するどころか、無関心でいたと恥じ入る。
自分がその人たちと同じ状況に陥って、今にして死に行く者の介護の大変さがやっと本当にわかってきた。まさに恥じ入るばかりである。
このことについてもう一回書き足したいが、もう目も開けていられない。ご容赦ください。
いろいろご心配おかけして申し訳ない。我の体はまだ何とか大丈夫だと思える。ただ、夜になると疲れで頭がぼーとしてズキズキ痛くなり、起きていられない。今はともかく少しでも長く深く眠りたい。
この数日来、立川の病院に昼に夜に出向いては、まず母を見舞い、次いで父に食事を摂らせる介助をしている。
一日に二回、隣町まで近場とはいえ車を走らせ病院に通うのはさすがに疲れてきている。行くのはちっとも嫌ではないが、車を走らせるのに飽きてきて、できるだけ違うルートを、かつ早く着けるコースをあれこれ毎回考えながらハンドルを握っている。
倦み疲れるという言葉はこんな気持ちかと思う。
親たちのことだが、一喜一憂しないし逐一あったことを記してそうした思いを読み手にまでさせてしまうのは本意ではない。なので、詳しくは遂次書かないが、今日までのところ、父も母も現状には大きな変化はない。ならばまずは「経過良好」だとお考えください。
母のほうは手術後、だいぶ回復もしてきたので、おそらく来週中には退院できるかとも思える。しかし、それ以降のこと、癌の治療もまったく未定なわけで、手放しで喜べないが、まずは家に戻れるのは我としても大いに助かる。本当に嬉しく有難い。
しかし、となると父一人を病院に残してしまうわけで、今は母が共に同じ病院に入院しているから日々最低でも二回は母が父の病室に出向き、あれこれ話しかけることでかろうじて保っている「正気」が、どうなってしまうのかその不安も強い。
母の今の体力を思うと、毎日は見舞いには来れないし、我としてはこれからも毎日通うつもりではいるが、日々二往復はそろそろ限界になってきている。
その父だが、やはり病院にいると、変化がなく、しかも今はベッドに縛り付けられているような状態なので、認知症はかなり進んできている。だが、毎日食事ごとに行って、曜日を理解させてから何故今ここにいるのか、ここはどこか、これからどうなるのかを丁寧に繰り返し話して、だから食事を摂らないと大変なのだと「理解」させて、嚥下障害を起こさないよう少しづつスプーンで時間かけて口に運んでやっている。
幸い、そのボケも一定以上は進まないようで、何とかむせることなくまあまあの量の食事は食べてくれているので行った甲斐もあるかと思うようにしている。
明日は月曜、その骨折した大腿骨の付け根の手術は明後日火曜の朝から。このまま明日もこの調子で問題起こさず食べてくれるようならば、体力も戻り手術も問題なく行えるかと思う。
そうして、ギブスつけたまま車椅子に座れるようになれば、我としては家での介護がどれほど大変でも父は家に連れ戻そうと考えている。父はマイワールドの人だから、我家にいれば自分の物に囲まれて好きなことが自らでき彼の「正気」は保たれる。が、それがない単調な病院内では、刺激もほとんどなく、一か月もいれば完全に脳は活動停止し、反応のない植物人間のような状態になることは間違いない。
それが可能かどうかわからないし、先のことは考えてもまたどうなるか、何が起きるかわからないのだから意味がない。まずは手術の成功と、母の退院が先決だ。
それにしても今回はいろいんなことを考えさせられた。こうした事態に至ってようやく知った、わかったことばかりだ。
そして思うのは、我の周りには先に親たちを亡くされた方がたくさんいたのに、また、我同様、その死に臨んで「介護」に苦悶していた方がいらしたのに、我はまったくヒトゴトとして、無関心であったとは思わないまでも、実にその人に対して薄情であったと今にして痛感している。ちっともその人の苦労、苦しみ、苦悩に対して理解するどころか、無関心でいたと恥じ入る。
自分がその人たちと同じ状況に陥って、今にして死に行く者の介護の大変さがやっと本当にわかってきた。まさに恥じ入るばかりである。
このことについてもう一回書き足したいが、もう目も開けていられない。ご容赦ください。
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