「ヒトゴト」と我が事と・中2016年04月18日 21時30分18秒

★父の苦難を思うと

 今日も昼と夕方の二回、立川の病院に出向き、父の食事の介助をしてきた。
 さすがに、もう我も疲れで意識朦朧、頭蓋骨を締め付けるような頭痛は終日続いている。が、ともかくもいよいよ明日、父の骨折部位の手術である。
 父が誤嚥性肺炎で入院して、今日でまだちょうど一週間だが、実に長い中身の濃い一週間であった。特に、木曜日朝に、「骨折」の知らせが届いてから事態は急展開、新たな大変な状況に入ってしまった。それからの5日間、こんなに一日一日が重く(長くではなく)、感じたことは今までになかった気がしている。

 それにしてもつくづく思うのは、父も母もまさに晩年となって、何故にこんなに苦闘せねばならないのか、だ。今の彼らの状況を見るにつけ、死ぬためには癌であろうとなかろうと、何故にこれほどの痛みや苦しみを味わわねばならないのか。
 これまでもいろいろ書いてきたが、やはり一番理想的な死に方は、ポックリと逝く死に方、つまり風呂の中で死ぬとか、布団の中で眠る様に死ぬとか、できるだけ長く苦しまず穏やかな死に方もあるのではないか。
 むろんのこと、人は自らの最後を選ぶことも希むこともできやしない。ならばその人それぞれの死に方には、そこに何かしらの意味や、役割すらあるのかと思うし、今、我が、彼らの死に行く様を見つめ立ち会うこともきっと大きな学びや気づきのために示されたことなのかと思うしかない。
 しかし、周りの者として、何より子として老いた親が苦しんでいる姿を見るのはやはり辛い。

 今日行ったら、父は、夜中にまた自ら点滴の管を抜いてしまったらしく、両手をグローブのような厚いミトンのような指のない「手袋」をはめさせられていて、ベッドの上で暴れて「外してくれえー」と大声で叫んでいた。
 しかもそうされたのは、新たに輸血の点滴もされていたからで、確かにそのチューブを外したら、辺り一面また血だらけになるわけで、そうさせないよう仕方ないのもわかったが、嫌がって泣き叫ぶ父をなだめているうちに涙が少し出た。
 だが、そうしないことには手術もできないし、このまままさに寝たきり一直線なのである。ベッドから落ちたのも自業自得だと思えなくもないが、90歳を越えるまで長生きしたツケとはこうした形で、最後に出てくるものなのであろうか。それともこれも彼にとって、その息子にとっても乗り越えるべき、乗り越えられる試練なのであろうか。

 看護婦たちは、そうした事態に、冷やかではないが、ごく冷静に、職業柄として動じず日常的に対応していて、それは当然といえば当然だけれど、しょせん「ヒトゴト」なのだとつい憤るような気持ちに今日はなってしまった。まあ、そこにいちいち私的感情を持ち込んでしまえば、いくつもの死に日々立ち会う仕事はやってはいけなくなってしまうことも良く理解できる。

 他の人は知らないが、つくづく思うのは、何事もじっさいに体験、つまり「経験」してみないことには結局何一つ本当のことなどは理解もできないしわからないということだ。
 賢い、しかも想像力豊かな人ならば、読んだり聴いたり学んだりと、見聞きしたことを構成して、そのことを、体験しなくても理解できるのであろう。
 しかし、我は根本がバカで、理解力も構成力も想像力も貧困だからか、周囲に何かで悩み苦しみ、大変な状況にある人がいても、「大変だなあ」と思いはするもののちっともその痛みがわからなかった。いや、わかろうとする努力をしなかった。それはヒトゴトだったからだ。

 今、自分がこんな情けない状況に陥って、先人たちのことを思い心から申し訳ないと思う。老いて病む親を介護していたものの、家庭での介護は限界となってしまい、特養のような介護専門施設に親を預けてしまった人たちに対して、我は、大変でも自らの親なのだから何でもっと家で世話しないのかと批判的なことすらかつて口にしてしまった。
 そうした大変な事情は、つまるところ当事者でないとわからないということに尽きるわけだが、やはりそこにあのは「ヒトゴト」だったからと思うしかない。何もわからず本当に申し訳なく今頃悔いている。
 この世のすべては、そうしたヒトゴトが「ワガコト」となったとき、人は初めて実際のところが、本当のことがわかるのかもしれない。

 しかしそうだとすれば、語り継ぐ戦争体験のようなものすらも、残念なことに、親や祖父母の体験だとしてもやはり後の世代にとっては「ヒトゴト」でしかないわけで、ならば、戦後も70年も過ぎてしまえば、再び戦争へと時代が移り行くのもまた致し方ないということになる。
 では、人はじっさいに「体験」しないことには、何事も真に理解できないものなのであろうか。言葉や文字はそれほど無力なものなのか。

 我はバカだから、そうした「共感」能力は劣等なのであろうけれど、経験や体験しない者でもその思いの根源の部分は、地下を流れる水脈のように人と人の間に通じる、流れるはずだと信じたい。

 この稿もう一回書き足したい。