また一つの願いがかなえられた。2016年04月20日 22時31分28秒

★母は本日退院となりました。安堵し湧き上がる深い喜びで記す。

 おかげさまで、母は、本日20日の午後に我が家に戻ることができた。今はただ深い喜びをかみしめている。

 いろいろ個々に励ましやご心配のメールなどを頂いた方々にはすぐお知らせすべきところだが、後ほど私的に御礼のメールなどは送ることとさせていただき、まずはこのブログで報告とさせてください。

 今月頭の2日の土曜日に、前回の体調不良と同様に、熱が続き胃や腹が痛くて吐いたり食べられなくなってきたこともあって立川のかかりつけの総合病院に急患扱いで行ったらば、検査の結果、腸閉塞を起こしているとして即入院となってしまった。
 そして、その原因として腸間膜という腹部のヘソ下あたりにある、癌部位が肥大してきて、腸を圧迫してきて一部の腸管が細くなったり癒着してしまっていて、その対策が検討された。
 で、癌や癒着した腸の部位はそのまま手つかずのままで、流れを良くするため細くなったり癒着してしまった腸を通らずとも大腸、直腸に至るよう外科的にバイパス手術が行われた。
 その手術すらも、開腹してみて、そうした箇所が他にもいくつもあれば、そうした腸の迂回路を作る案は中止するしかないと脅かされ、まず手術自体ができるのか、そしてそれが無事終えられるのか不安に頭悩まされた。

 幸いバイパス手術は無事成功し、口からの食事も粥状のものから再開され、ほぼ元通りに食べられるようになってきた。そして一昨日18日に抜糸が済み、父のほうの大腿骨の付け根の骨折、股関節部に金属のパイプを骨に入れる手術が19日に終えたこともあって、今日の退院となったのだ。途中手術の前に夕方から一晩だけ家に戻ったが、18日間の入院であった。
 まだ食べると胃や腸がチクチクして痛いとか、食後は便意をすぐにもよおすとかいろいろ不都合も多々あるけれど、手術を終えて母が退院でき今日家に戻れて本当にほっとしている。このところ日々ずっと祈っていたことはまずは母の我が家への帰還であった。

 昔の人は、家で生まれて死ぬ時も家で家人に看取られて死んだ。が、今の人、つまり我々現代人はほぼすべてが、病院で生まれて最後も病院で死んでいく。家というのはただ生活の場でしかなく、家で死ぬ人は、自宅の風呂場で入浴中不慮の死を遂げるとか、心臓マヒ、心筋梗塞、もしくは脳梗塞を起こして絶対安静の場合以外は病院や介護施設に運ばれて、結局家には戻れずそこで死ぬ。
 それは望むと望まぬも関係なく、今では一般的当たり前のことだ。

 しかし、思うが、たとえ家人に囲まれたとしても、騒がしく落ち着かない病院のベッドの上で死んでいくのはどんなに不本意な、不如意かつ不満足な死に方ではないのか。誰だって自宅に帰りたいはずだし、もし可能ならば我が家で、自宅の布団の上で、落ち着いて覚悟のうえで死にたいと願うはずだ。
 どうせ死ぬときは意識もなくなっているのだからそんなの関係ないとのたまう方もいよう。しかし、まずこの我自身、このところ連日病院に通いづめてつくづく思うのは、こんなところでは落ち着いて死ねやしないし、真っ平ごめんだということだ。

 実は、一昨日のこと、我家のごく近隣の家のご主人が約半年間の入院生活の末に亡くなられた。奥さんがウチにお知らせに来た。身内だけで式は簡素に行うとのことで、葬儀に来ないでかまわないとのことであったが、我家の惨状についても洗いざらい話した。
 その方は、昨年の秋口だったか、自宅で転んで腰だか背骨だかを折って以来、高齢と他にも病気を抱えていたこともあって、残念ながら一度も家に戻ることなく病院でついに息を引き取ったのだ。
 遺体は一泊だけご自宅に戻ったようであったが、その方は、認知症でもなかったはずだから、さぞや住み慣れた我が家に戻りたいと切望していたのではないか。結局、救急車で病院に運ばれてから一度も家に戻ることなく逝ってしまったのである。その無念を想うと胸が痛む。

 本日母が家に戻って来たから記すが、手術の前日の頃は、もしかしたらもうこのまま母は家に戻れないことも考えてしまった。そんな怖れに囚われそうになった。
 もしそうなっていたら、父のこともありさぞや無念であり不安であったであろう。だから、もう医療行為は何もできないとしても、死ぬ時こそは我が家に連れ帰って、我家で死なせたいと考えたし、今も最期はそうしたいと思っている。

 母は腸のバイパス手術を終えて我が家に戻って来た。が、癌は今も彼女の腹部に厳然としてしっかり存在して、日々これからも少しづつだが肥大していく。新たに転移していくこともあろう。
 おそらく、このままだと年単位ではなく、月単位で、また近いうち間違いなく今回と同様の事態がまた腸管に、腹部に起こるであろう。そのときはもう今回のような応急処置的対策はとれない。かといって癌ももはや摘出できやしない。
 当初、まずはこのバイパス手術を終えてから、早く放射線治療を、と言っていた立川の医師たちは、それをやることに難色を示し始めて来た。理由は、放射線を中てると、腸管がまた癒着する可能性が高いからと言う。
 となると、もはや癌に対しての治療法はない。あるとしても今はまだみつからない。あとはまた気休め的に、ラジウム温泉に湯治に通い、丸山ワクチンを地道に続けていくしかもうできることはないかもしれない。

 母の退院、帰宅はとても嬉しいが、今後のことを考えると、晴れた日に望む、西の空にかかる黒い雲が見える夕暮れ時のような気分である。

 しかし、それはそれ、これはこれ、今日の苦労は今日で足りる。明日のこと、これからのことはまた明日考えれば良かろう。汝、明日のことは明日思い煩うべしと聖書は説いている。
 心配や不安で今日の喜びを損なうのはバカバカしい。ともかく、まずは一つ、ずっと祈っていたこと、我が願いがかなえられた。ただただ有難いことである。
 そして次は父のことである。父も歩けないとしても一日でも早く家に帰らせたい。

 繰り返す。人はいずれいつか必ず死ぬ。しかし、その死に方は自らが選ぶ権利があるのだと思いたい。病院で、医者たちに任せて彼らの手の打ちようがなくなったからという死に方だけはしたくないし、親たちにさせたくはない。我自身においてもそう願いたい。
 今通っている病院は、医師たちも看護師たちも皆全員とても良い人たちで、彼らの対応にはほとんど何も不安も不満もない。が、死ぬときは病院のベッドでは死にたくない。死ぬのはやはり自宅がいい。それは贅沢な願いであろうか。

 今晩こそは本当に枕を高くして深く眠れそうだ。