「ヒトゴト」と我が事と・後2016年04月24日 21時39分22秒

★世界は多様かつ普遍なものだと

 疲れが溜まって来たせいか、このところ寝るとともう短時間では起きられない。まさに泥のように深く前後不覚で爆睡してしまう。夕飯の支度済ませて少し横になってからブログを、と思うともう起きられずブログも更新せずにひたすら眠ってしまう。
 母は退院できたものの半病人状態、父は相変わらず誤嚥性肺炎と股関節骨折で入院中、状況はさほど変わらない。

 が、連日、昼と夕方の二回、病院に出向いて父に誤嚥しないよう食事を介助していたのは、このところ昼もしくは夕飯だけの一日一回になった。
 肺炎がだいぶよくなって鼻からの酸素吸入も終わったこと、栄養状態も改善されたのか、腕からの点滴もなくなったようなので、口からの食事を自ら摂るよう指導が入り、付きっ切りでスプーンで誤嚥しないよう口に入れてやらなくとも、付き添い「監視」程度で様子見ていくことになってきたからだ。
 今はまだミキサーにかけたようなトロトロの、細かく刻んだ状態の数種のおかず類と粥状に柔らかくしたご飯が出されてそれをほぼ「完食」させている。水もとろみをつけないとまだむせてしまうが、やがては、固形物でも自らよく噛んで誤嚥せずに食べられる様になれば、誤嚥性肺炎は治ったということになる。
 しかし、認知症の九十過ぎの父が、果たして意識して自分でそうできるかどうか、だ。今も食事時には、何度も良く噛むように、しっかり飲み込んでから次のおかずに移るよう、常に言い聞かせているが果たしてそれがどこまで彼が理解して徹底できるか、何とも定かでない。
 そして、そちらが完治して、さらに折れた足のほうが固まってきて、車いすに乗って一人でもトイレに行けるように、用をたせるようになって初めて退院の話も出て来よう。
 まだ先は長いと思うが、今以上に認知症が進むことがないよう、彼自身が入院生活に倦み疲れ失望し諦めて無気力にならないよう、これからも毎日一回は病室に顔出して励まして希望と刺激を与えないとならない。
 辛いとか大変だとは思わない。じっさいのところ、行けば父の病室で父と過ごすことが一番安心できる。病院に入れ看護師たちに任せたから絶対安心でないことは今回の骨折事件で痛感した。父のことだから良くなれば良くなった時こそ、また何か事件を起こしかねない。

 患者を預かり治療するのが病院だとしても、しょせんは単なる一患者でしかなく、医師や看護師にとっては我が父もまた多くの患者の中のワンオブゼム、ヒトゴトでしかない。そして何よりビジネス、「商売」なのである。それは仕方ない。ならば息子が行って、「我が事」として出来る限りのことをしないとならない。
 そしてそうすることが生きがいにもなるし、仲が悪かった父と息子にとってようやく訪れた、赦し赦される至福の時かもしれない。つまり、こんな事態が起きない限り我らにとって「和解」の場はなかった。

 むろん、もし父が無事に元通り家に戻れたりすれば、男同士我らのことだからまたきっと懲りずにつまらぬことで諍いは起きて、ひと悶着あるかもしれない。しかし、それはそれとして、今は懐かしく歓迎したい気持ちすらしている。

 さて、先のことはともかく、ひとまずこの辺で、今月頭からずっと書き続けて来た老親たちの病気やケガで入院騒動についてはペンを置きたいと思う。ヒトゴトの出来事にずいぶん長くお付き合い頂き申し訳ない気持ちでいっぱいだ。
 読まれてどう思われたかはわからないが、これはごく個人的かつ珍しい特異な話では決してない。実は、その病院にはやはり夫婦で共に入院しているケースも他にもいたと母は言ってたし、高齢でも共に健在で生き永らえれば、ウチのように夫婦で体調崩しそれぞれ入院する事態も多々あることだろう。交互に入院もしていれば二人のそれが重なるときもきっとあろう。
 我も最初は暗澹として信じがたい気持ちになったが、それもこれも起こるべき当然のことだと今は得心している。また、高齢になれば股関節を骨折する事故も多発して、父に限らず入院患者の多くが、その足の付け根の部分を右も左も交互に折ったりしていることを知らされた。
 そして高齢ゆえに、リハビリしてもまた転んだり何度でも折ったりして結局歩けなくなったり、病院から生きて戻れなかった人も決して珍しい話でないことも知った。

 これは読み手の皆さんにとっては「ヒトゴト」である。しかし、ある意味、それは「我が事」にも常に成り得る話でもある。
 そして世界とは、そうした多様かつ普遍的な人生に満ちている。我がこうした私的なことをくだくだしくも書くのも、世界の多様さとそこに通底して流れる、多くの人にとっても同様に、誰にでも起こるかもしれない「普遍的なこと」を知らしめる意義があるかと今回考えもした。

 ついでに記すが、世の中に「障害者」という特別な人たちがいると考えている人たちがいる。自分とは別な人種、関係のない人たちだと。
 しかし、「障害者」、文字が良くないと言うのなら「障碍者」という人たちはヒトゴトではなく、実は我が事として誰にとってもそうなる者たちのことなのである。
 話題の乙武某氏のように先天的に、異なって生まれてくる者もいよう。が、人は健常者であろうと、事故や病気で後天的になる可能性は常にあるし、やがては老いて病み転んだり認知症になったりとまず誰でもほぼ程度の差はあっても様々な障碍を持つようになっていく。
 そして自らが、家族がそうなったとき初めてようやく「ヒトゴト」が「ワガコト」として認識されていく。しかし、だとすれば、それはカンケイナイ「特別」な人たちだなんて思わずに、予め我が事として、誰にとっても起こることだと考えていけば良いことではないのか。

 特殊なことだとか特別な人生なんて実はどこにもない。人は生まれて生きてただ死んでいく。そこに人の数だけ様々な程度の差や個性があるだけの話だ。ただ、だからこそ多様かつ普遍的なそれぞれの人生を人はとことん精いっぱい生きていかねばならないのである。
 今回の親たちの件で日々立川の病院まで車を走らせながらそんなことを考え気づかされた。