なすべきことをともかく一つ一つ進めていく2016年04月29日 06時30分56秒

★当たり前のことを「当たり前に」やっていく

 今月、2016年の4月も明日で終わる。
 いたずらに何も成すことなく時を費やしてはならないと思う。が、今はただ時間が過ぎていくことが有難い。
 というのは、老親たちのことがまず一番にあるからで、父の大腿骨の骨折は治癒までにまだかなり時間がかかることと、母も癌を患いながらも生き永らえている、その日々、つまり「毎日」が続いているからだ。
 腸の手術後、退院してきたものの未だ半病人というべきか、ほとんど寝たきりに近い状態の母に、あれこれ工夫して食事作って食べさせて、父を見舞いに行き、犬猫たちの世話だけで一日が過ぎていく。
 しかし親たち、そうした我が関わる皆がともかくまだ生きている。彼らが生きて共に我の時が過ぎていく。ならば時間が経つこと、月日が進んでいくことは良しとしないとならないはずだ。

 そうした日々の毎日の積み重ねが人生だとは思うものの、自分のこと、つまり我が実人生はまったくストップしたままで、この一か月友人とは誰にも会えないし都心にも出られないしライブも一回も行けやしない。ひたすら毎日立川まで車走らせて行き帰りに買い物して、後は炊事と洗濯する時間を合間合間に工面して何とかやっている。我が事は何一つできず他人様とのこと、様々な不義理に心中焦り苦しい気持ちでいるが今はどうすることもできやしない。

 掃除などは我が身の回りは何一つしてないし、そんな時間は全然ないのでもう自室のある二階から、庭先まで我が家はゴミ屋敷、汚部屋の極みという状態になっている。おいおい時間のあるとき片付けようと考えててもその時間が全くとれず、日々そうした親たちのこと中心に雑事に明け暮れていく。時は過ぎていく。

 今は父が退院したらという希望があるけれど、これで車椅子?の状態で自宅に戻って来てもその介護にさらに追われて、ますます我が人生はさらに身動きとれなくなることは間違いない。
 「家庭の都合により、老親たちが生きている限りは、マスダの人生と無頼庵は閉店休業中!」という貼り紙、告知を友人知人たちに出そうかと考えたが、先の見えないことだからそれもできやしない。

 ヘルパーなり、介護保険から介助してくれる方を頼むということもできるかと思うが、現段階では日に1~2時間、誰か他人が来られても足の踏み場もない我が家では何も頼むことは思いつかない。食事なら我が考え作るほうが手早いし管理もできる。何より見知らぬ人に介入されるとさらに事態は混乱していく気がしている。今はまだ何とか我一人で家事は回転できるのである。

 それにしても母は退院しても食がなかなか戻らず、食べ始めるとすぐ満腹感というか腹が痛くなったりして進まない。どう食べさせるか頭が痛い。今は一人前の半分どころか、一食が三分の一食べられるかどうかだ。体重も30キロ代前半まで落ちたからまさに骨と皮である。
 何とか40キロまで戻さないと体力がなさすぎてこの夏すら乗り越えられない。今までは、母と家事を分担して、母が元気でいたから家のことは任せて我はあちこち出歩くことが可能だった。父の世話も任せられた。

 その母が家にいても始終ではないとしても体の不調を訴えて寝たきりともなると、犬の散歩や買い物程度の外出はともかく、夜遅くまでライブの場に入り浸ることなど落ち着いてできやしない。昼間の集会だって行くのはためらう気持ちとなる。
 それもこれも今は、この現況では仕方ないと自分で逸る心を納得させてはいるが、そうした状況の中でも「仕方がない」と諦観的に肯定するのではなく、少しでも成すべきこと、できることを探して進めていくべきではないのか。

 考えてみれば、これは特別なことではない。ある意味起こるべくして起きたごく当たり前のことではないのか。親が子を育てたのと同様に、子が老いた親を世話をし面倒見るのは当たり前のことだ。
 そのときが来ただけの話なのである。ただ、彼らがこの歳まで無事に生きて、子も老いてしまったことと、親二人に対して子は一人であったことは想定外の特別な事情かもしれない。

 明治の文人、一葉を早くから見出した奇人斉藤緑雨の遺した様々な言葉に「箸は二本、筆は一本」というのがある。つまり、飯を食うのに箸は二本必要なのに、筆は一本なのだからそもそも文学などでは飯が食えないのだという至言である。
 そう、親たち両親二人から我は生まれた。が我は一人なのである。結婚して妻がいれば二人で良いと考えもするが、その妻だって同様に親は二人いるのである。我には妹もいるが、嫁いだ先には夫の、やはり老いた親たちがいる。その義理の親たちを置いてこちらに頻繁に呼び戻せすのは出来ない。
 ならば、老いても両親ともに健在だという「有難さ」と引き換えに、子は我一人で、親は二人、子は一人という、そもそも無理ある状態を抱えて、何とかできる限りやっていくしかないのではないか。
 それがある意味「当たり前のこと」なのだと思う。そしてそれができる限りはそのことはかなり「幸福」なのではないのか。

 まあ、今月春四月、いろいろあったが、ようやくいちばん大変な時、不安に抑し潰されそうだった段階は脱したと思える。ならばこのライフスタイルの中で、何とかうまく時間を工面して、我が親たちのことを抱えながら、我が事をも少しづつでも進めて行こうと決意した。
 それは欲深いとは思わない。それもまた人として成すべき当たり前のことなのだから。我を待っている人たちがきっといると信じている。