癌とどう闘うか、付き合っていくべきか。2016年04月30日 10時09分25秒

★まずはできることがあれば手を尽くしていく。

 このブログ、書き出すとつい愚痴のようなものになってしまう。そして読まれた方にご心配おかけしてしまい心苦しく申し訳なく思う。まったく情けない限りである。

 世間は大型連休の最中のようである。いろいろ次々と難事に見舞われた今月も今日で終わる。何かこのところ疲れが溜まってきたせいか、ブログ書き出すときちんと「本意」まで進まないうちに、息切れするように終わってしまっている気がする。
 前回、前々回のブログもいちばん書くべきことが知り切れトンボだと気が付いた。これから母の癌治療はどうしていくか、だ。

 母が癌を患ってから古本屋という職掌がら、手元に入って来たあらゆる癌関係の医学書や治療や死に臨むためのカウンセリング本も読んでみた。
 うさんくさい、『○○で余命数カ月の癌が治った!』というような、特殊な食べ物や奇妙な治療法の類を説く本も手に取ってみた。そしてそれなりに癌とは何か、どう患者はそれに対処すべきかはおおよそ考えはまとまってきた。そうしたことはこれまでも拙ブログで書いて来たと思う。

 大別すれば、癌を積極的に治療していく様々な処方を選び癌と闘ってみるか、あるいは近藤誠医師が書いたベストセラー本のように、患者は癌と闘わない方が逆に長生きもするという選択をとるか、に尽きるかと思える。※いや、長生きできるのではなく、「天命」を受け入れるかどうかということかもしれない。
 個人的には、そのどちらも正しいし間違ってもいるような気がしている。どちらか一方が常に正しいとは思えない。

 そもそも癌とは、他の病気とは異なり、外からのウィルスや細菌が引き起こすものではない。自らの体内の細胞が変異を起こして増殖して他の正常なそれを侵して結果死に至らしめるものだ。そしてそれは体中どこにでも起きる。
 となるとこれを「病気」と捉えるのは果たして正しいのか疑問に思える。そうした細胞の変異は何百万もある細胞の中では常に日々起きている。しかし、普通はそれは増えることはなく、白血球などの免疫力で淘汰されていく。
 が、歳とったり、体力が衰えたり、外部からの発癌物質やストレスによってそうした異常細胞はいつしか増え続けて「癌」としてカタチを成していく。今、我も含めて誰の体にも癌細胞の元になっているものはいくらでも点在している。が、それは今はまだ癌化していないだけの話らしい。
 むろんその癌が、肥大化したとしても周囲や他の臓器に転移したり悪さを及ぼさないのなら何の対処法も不要であろう。

 抗癌剤に懐疑的な医師らによると、芸能人などは、癌だと診断を受けるとあえて無謀な治療法に臨み、結果として癌によるのではなく、抗癌剤などによって疲弊したり癌が刺激受け逆に拡散したりして死を早めてしまうのだという。
 確かに、癌だと告白して様々な治療していると報道されても、一度は治療が効果を上げて復活してもたいがいが数年後には再発してしまい結果帰らぬ人となった芸能人が何と多いことか。
 いずれにせよ癌はいったんは収まっても完全に治癒したということはあまりなく、かなりの確率で数年後には再発してくる。そしてその理由もわかっている。

 我が母が癌と診断されて、もう6年になるかと思う。
 思い返せば2010年の夏頃からかしだいに食事が摂れなくなって痩せて来て原因がなかなかわからずあちこちの医者を訪ね歩いた。高名な漢方医の診断も仰いだ。
 ようやく、癌によるイレウス、大腸が癒着し腸閉塞を起こしていることが判明し大震災の年2011年の3月頭に、その癒着部分の癌を取り除き腸を短く繋ぐ手術を受けた。そして卵巣が原因の癌だと開腹してわかった。それからは産婦人科の患者としてずっと医師にかかっている。

 手術は終え無事退院となったものの、数か月もしないうちにまた癌は再発して、そのときはその医師の勧めで、抗癌剤を投与してみた。約半年間、数日入院して抗癌剤を体に入れたら幸いにして癌は縮小して、以後は再びほぼ病気前の生活が送れるようになった。
 腸をかなり切ってしまったたため便は常に柔らかいそれになったが、口から何でも食べられるようになり体重もほぼ以前に戻った。

 が、癌は数年後にたいがいまた再発すると言われるように、去年の年明けに、定期的に診断を受けている産婦人科の女医から、また癌は再発してきてその固まりが腹部ヘソの下あたりの腸間膜というところにできていると知らされた。
 しかし当初はあまり肥大もせずに、大人しかったためずっと何ヵ月も「様子」を見ていた。が、秋口あたりから、じょじょに大きくなってきたため、さてどうしたものかと対応策が検討された。

 医師によると、母の85歳という高齢もあり、このまま何も治療しない方法もあると言われたし、そのときは元気だったからもう一回抗癌剤をまずやってみるか、と提案された。あるいは放射線をピンスポットで癌部位に照射する治療法もあると。
 けっきょく、そのときはまだ体力もあり母は元気だったから気軽な気持ちで今年の年明け1月半ばに、抗癌剤を一回だけやってみた。
 薬を入れているときは何も以上もなく、その後も特に異常はなかったのだが、一週間後ぐらいから高い熱が夜になると出始めて、風邪だと思いほっておいたら抗癌剤の副作用で白血球の数値が極端に下がっていることがわかり、大事をとって一週間入院してそのときは放免された。

 今思うと実はそのときからまた再び腸管の一部が、肥大してきた癌によって圧迫され癒着してきて体内で出血が起きていたのだ。熱も体内でのその炎症からのものだったようだ。
 以後、抗癌剤はその医師によって一回きりで中止と宣告され、効果も見られなかったので、やはり放射線治療を、と勧められた。一回でもかなり毛髪が抜けたが、ツル禿にはならないで済んだ。

 年明けから、母はしだいに食が細くなり、食べられても胃や腹部が痛くなり吐いたりすることがときたま起こるようになった。
 できることはまず山梨の増冨のラジウム泉に浸かることぐらいだと頻繁にその温泉旅館に通っていたが、向うでも吐いたりして連れ戻しに慌ててかけつけたこともあった。
 そして3月に入り、また熱が続いたことと、口から水分さえも入れると胃がチクチクして痛いと何も食事が摂れなくなってきたので、その立川のかかりつけ総合病院に行ったら、CTで腸閉塞を起こしている判明し即入院、そして数日後に開腹してバイパス手術を行った。そして20日に退院できた。

 その間に、あろうことか父までも誤嚥性肺炎で入院、さらに院内でベッドから落ちて右の大腿骨を折るという惨事もあり、今もまだ父は入院中だが、そのことは今この文脈とは関係ない。

 その立川の医師たちの意見だと、母の現段階の癌は、放射線治療をやるとまた腸に癒着を起こすので奨められないと言う。かといって他に何か治療法があるわけではなく、今回腸のバイパス手術を担当した医師によると、癌とは離れたところの腸を繋いだので、しばらくの間は今回のような事態にはならないだろうと。
 しかし、癌は放っておけばまたさらに増殖はするはずであり、やがてはまた発熱、激痛、食事不能という事態になると我は予測している。
 このままその癌と共に、痛みはモルヒネなどで抑えながら余生を全うさせるという方法もある。どうやらその医師たちの考えでは母は高齢であり、今さらの積極的治療は及び腰のようだ。
 確かに、放射線治療が効果あるのか、果たして母の癌でそれができるのかもわからない。

 そしてまた近藤医師たち、癌と闘わない生き方を説く人たちのご意見も頭をよぎる。
 しかし、抗癌剤も含めて、ある種の癌には、積極的治療法が効果を上げることも確かにあるのである。胃癌や乳癌は初期のものなら、切除することでかなりの確率で癌部位を取り除き、術後の人生も普通の人と同様に長生きできる。
 母も、最初のときに、開腹して癌部位と癒着した大腸を取り除かなければ間違いなく今はこの世にいない。その外科的手術を受けたから一度は復帰できたのだ。
 むろん、抗癌剤は癌部位だけでなく体中、健康な臓器まで悪影響を与えるから逆効果だと言われる。しかし、前回のときはその薬によって癌は一回は収まったのだ。
 そして今、母は八十代も半ば過ぎとなって、肥大進行してきた癌を抱えてこれからどう進むべきか難しい判断を問われている。

 ただ、これまでの経緯を鑑みると、医師たちの意見に唯々諾々と従っていると、常に後手後手となって、結果としては何とか辻褄は合ったとは思うものの、何とも釈然としない気持ちになってきている。
 今はまだ母は生き永らえているからそれはそれで有難く彼らに深く感謝しているが、 彼らは癌の専門医でもないわけで、これからは我ら自ら医師任せにするのではなく判断しないとならないのだと深く自覚している。
 先日も、そのことを今回執刀した外科医に伝えて、新たにCTも撮ってもらったので、近く紹介状を書いてもらい、立川の医師たちは反対したとしても放射線治療ができる病院に出向き、相談してこようと決めた。
 セカンドオピニオンとして診断を仰いで、もし放射線が可能ならば今はそれに賭けてみようと思っている。

 むろん、このまま何もしないで癌の痛みは薬で抑えつつ生きていくという余生もあろう。癌と闘わず共存強制である。それも望ましい。しかし、もしできることがあるのならば、人は最後までとことんそれにかけてみるべきではないのか。
 逆効果だったということもあろう。しかし、何もしないで死を受け入れるよりはとことんあがくのも一つの対処法だと我は考えている。

 すべては神の御心のままである。生かすも殺すも人の決めることではない。しかし、自ら助く者を神は助けると信ずる。
 人はどんな状況であろうとも何かできることがあればそれをすべきではないのか。
 今もまだ迷いと不安の最中にいるが、今現在の心境を長くなったが記しておく。