「ぶらいあんず」新メンバー募集中2016年12月27日 22時21分54秒

★音楽を愛する方ならばどなたでも

 我マス坊が、本年友人知人たちと始めた音楽活動ユニット、『さみだれ楽団ぶらいあんず』であるが、谷保かけこみ亭での「反戦歌コンサート」などに、前座として登場したものの、その後、諸般の事情で休止状態となっている。
 その原因は、何といってもマス坊の母の容態が悪化して、同時期に父も病院内で骨折したりと老親二人の介護に追われてまったく時間がとれなくなってしまったからだ。
 やむを得ない家庭の事情ではあるけれど、メンバーの皆にはただ申し訳なく思う。

 そして既知のごとく母は亡くなり、三か月が過ぎ、死後の煩瑣な雑務処理もほぼ終え、我としては音楽の活動を再開すべきときが来たと思えてきた。
 ただ、メンバーの一人が、確認したわけではないが、練習も含めて今後の参加は難しいようなので、改めてこれからどういう編成でどんな活動をやっていくか再考している。
 むろん、いわゆる通常のバンド編成のように、ギター、ベース、ドラムとか、それぞれ担当が決まっていて、そうしたメンバーを求めているわけではない。

 そもそも我の考えている「音楽」のカタチは、ある楽曲を演るとして、その曲に参加できる人は、コーラスにしろ楽器にしろ、自由に誰でも参加してもらえたらと、いうものだ。
 例えば、誰でもよく知っている曲、フォークソングのスタンダードがあるとする。レッド・ベリーのグッドナイト・アイリーンでもいい。
 それをステージでやるとしたら、ボーカル、ギター、フィドロ(バイオリン)、マンドリンなど、できるだけ多彩な楽器で、楽しく唄い演奏したい。他にバンジョーやアコーディオンなども入ればもっと楽しく面白くできる。
 フォークソングというのは、元々は村祭りの余興、演芸のようなもので、日本のお神楽がそうであるように、その時々集まれる人たちが集って、各自できる楽器を持ちより、スタンダードの楽曲を自由に唄い演奏するものだったのである。
 ヒルビリーというルーツミュージックがそもそもそうであって、農民たちが村の寄り合い所的食堂などに仕事休みのときなどに集まっては、一杯やりながらだらだらと知ってる楽曲を演奏していたものだ。
 農民や職人、アマチュアでも、子供ときから家には様々な楽器があり、カーターファミリーのように代々家族で音楽に親しんできているから、皆かなりの芸達者なのだ。
 うたが上手い人は、立ち上がって唄うだろうし、楽器はボロくても腕は確かで、それぞれが得意な楽器でフリーセッション的に音楽にいそしむ。誰でも参加自由である。
 そうしたフォークソングの原初のかたちを、示すことはできないものか。そのスタイルは我にとって憧れであった。

 じっさい、様々なフォークシンガーのライブを企画してみると、フィナーレのときにやる、出演者全員での〆の曲などは、キーだけ確認しておけば、あとは自由闊達に、交互に歌ったり、楽器のソロを聴かせたりと「回す」ことができる。それは皆、経験豊富なベテラン、プロだからだが、たとえアマチュアであろうともしっかり練習を積めば、やがてはそうしたことは可能だと考えた。
 ぶらいあんずはそうしたスタイルで活動していく楽団だから、メンバーは固定でなくても良い。しかし、いきなり素人が集まって何かできるはずはなく、まずは課題曲、楽団のレパートリーを決めて、練習を積み重ねて行かねばならない。

 新メンバー募集と書いた。だからメンバーとして常に活動を共にしないとならないということもない。しかし、ステージに出るならば、事前に腕は確認しておかねばならないはずだし、そのためには事前に集まって練習はしないと恥かくだけだろう。
 音楽経験の有無はまったく問わない。が、練習にできるだけ参加できることだけが条件で、たとえばの話、事前に課題曲の譜面やカラオケ的なものはこちらでCDなどに焼いてお渡しするので、各自まず聴いて私的に練習したうえで、月一でもどこかで集まって「音合わせ」をする。
 そうして少しづつでも楽団としての腕を上げて、ステージなど、人前で活動していく。音楽が好きで、練習にできるだけ参加してもらえるのなら性別年齢、経験はまったく問わない。楽器は何もできなくてもうただけでの参加だってちっともかまわない。あるいは裏方的お手伝いでも。
 我らが多少でも手ほどきできる楽器ならば、またギター教室のようなこともやるので、音楽の経験が全くない素人でもご安心を。

 大事なことは、うたや音楽が好きだということ。それらを通して何かを伝えたい、表現したいという思いがあること。巧拙はいっさい問いません。こちらも下手くそですから。
 ただ、うたの場、音楽の場をできるだけ広く、誰でも参加できるような場を作っていきたいと願う。
 うたとは、音楽とは、ただ椅子に座って聴くだけのもの、あるいはYouTubeなどで、ぼんやり眺めるものではなく、自らがまず唄い奏でるものだと信じて。

 ちなみに「さみだれ楽団」という名称は、昔デモ行進でよく使った言葉、集会後参加者各自勝手に解散する「さみだれ解散」からとってつけた。誰でもバラバラで各自自由参加、自由解散でやっていきたい故に。

コメント

コメントをどうぞ

※メールアドレスとURLの入力は必須ではありません。 入力されたメールアドレスは記事に反映されず、ブログの管理者のみが参照できます。

※なお、送られたコメントはブログの管理者が確認するまで公開されません。

名前:
メールアドレス:
URL:
コメント:

トラックバック

このエントリのトラックバックURL: http://masdart.asablo.jp/blog/2016/12/27/8296588/tb

※なお、送られたトラックバックはブログの管理者が確認するまで公開されません。