明日からブログ再開します。2017年02月04日 23時38分24秒

★ちょっといろいろあって更新できませんでした。
 
 2月に入りました。少し間が空いてしまい申し訳ありません。
 パソコンの調子が突然おかしくなってたりしたのと、私の父の(頭の)具合がまた悪化して、ひと騒動起き、夜もろくに眠れなかったりと慌ただしかったのでパソコンの電源自体切っていて、更新できませんでした。
 明日からまた気持ち切り替えて再開します。ご心配おかけしました。

無頼庵手作り味噌の集いは、2月19日の日曜に2017年02月05日 23時40分11秒

★今一度、本当に安全かつ確かなものを自ら手作りで。

 トランプ大統領や沖縄のことなど、思うところや書き記しておきたいことは多々あるが、まずは今月の拙宅無頼庵でのイベントのお知らせから。

 先にお知らせした2月のイベント、手作り味噌造りのイベントは、今月19日の日曜に確定した。時間は午後1時開始で、遅くとも夕刻には終わらせたい。
 かねてより拙宅では、毎年この寒い時期に、国産大豆と海塩、それに国産麦や米の麹で、手作りで味噌造りのイベントを催していた。
 が、この数年は、準備も含めて参加者呼びかけが面倒だったことと、我マス坊の老いた親たちの体調がすぐれないこともあって、計画はあっても実現に至らなかった。
 今年は、その老親のうち母を亡くし、残された父も当日はデイサービスに預けられることになったので、ようやく時間的条件も整い、久々念願の手作り味噌の集いが開催できることとなった。
 本当は、一人でも地道に毎年ごくごく少量でも作るべきだったと思うが、作るからにはある程度量も多く、それに人手もあったほうが早く終わる作業でもあるので、後ほど参加者は各自応分別け合うことを前提に、ある程度の人数を見込んでやりたいと考えていたのだ。
 今回、女性陣が何人か来てくれることになったので、久々の味噌造りができることとなった。ぜひ、どなたでも全くの未経験者でもともかくお気軽にご参加お待ちしている。

 今は、味噌なんてごく安くスーパーで買えるものだし、そもそも今の人は自宅では味噌汁や味噌を使った料理なんてしない。外食したときに、半インスタント的な、味噌味のスープを飲むぐらいであろう。
 しかし味噌ほど栄養価も高く、抗癌作用のある調味料は他にはないと言われる。様々な料理に使えるし、だいいち家で、自ら作った味噌ほど旨い味噌はない。まさに「手前味噌」という言葉通り、市販の大量生産の味噌とは比べ物にならない深い旨味とコクがある。
 そのうえ、自ら作るからには、大豆から麹、塩までできるだけ一番安全な国産のものを用いたいと考えている。できれば麹も、米麹だけでなく麦の麹も使って作ってみようかと考えている。
 今回、仕込んだ味噌は当然ながらすぐには食べられない。容器さえ持ってきてくれれば、原価で、欲しい分だけ持ち帰って自宅で寝かしておくのでもかまわないし、来年の仕込みの時期に、またウチに来てもらい、その節に今年の分を開封して、分け合うことでもかまわない。
 今回はいちおう参加費として、五百円だけ頂きたい。前回仕込んだ味噌が、問題なく食べられるようなら「おみやげ」としてお持ち帰りして頂くとして、作業後は、ごく簡単に「慰労会」を企画している。作業の後に簡単な夕飯を提供したいと思っている。

 ★無頼庵2017.2月イベント 「手作り味噌造りの集い」

  日時:2017年2月19日(日) 午後1時開始 5時前頃終了の予定
  参加費:500円 
  場所:古本音楽ハウス無頼庵=青梅線立川より四つ目の駅下車徒歩8分。
 
 ※問い合わせ及びご参加予定の方は、初めての方は場所、来方も含めて、当ブログのコメント欄に;連絡先などを「書き込み」頂ければ、返信いたします。非公開ですのでご安心ください。
 もしくは、マスダの携帯に連絡ください。090-8175-8479

 食の安全と安心はもう何十年も問題とされているけれど、今こそ改めて、自ら自分たちの手で作れるものは、一つ一つ何であれ自分たちで作っていきたいと思う。それは食べ物だけでなく音楽も然り、仕事も働く場も電気も含めての話であり、ゆくゆくはその先に、「政治」さえも自ら選択し政権を作れるようにと夢見て。
 味噌造りはそのための、いちばん簡単にできる第一歩として、ほんとうに安全な良いものは自ら作るという宣言をカタチにしていきたいと。

 堅苦しいことは何一つありません。ただ、もくもくと煮て柔らかくなった大豆をつぶして、麹と塩と混ぜて樽に仕込むだけの作業です。エプロンがあればご持参ください。ともかく人手が多ければ作業効率も上がるので大いに助かります。特に男手も。

 本当にどなたでもお気軽にご参加お願いします。

沖縄の人々の痛みに、我々は何を成すべきか。2017年02月06日 21時26分37秒

★非道と無法の強大な公権力の前に、沖縄の思いは無力なのか。

 今月に入ってから、心安くおちおち眠れない日々が続いている。家庭の事情もあるのだけれど、それに増して沖縄の辺野古の埋め立てが急ピッチで進み、胸が張り裂ける思いでいる。
 それに抗う現地の人たちは多々いるのだろうけれど、まさに成すすべなく工事は強行されていく。国家権力の前にはまさに蟷螂の斧だということだろうか。我がその地にいたならば、すべてを投げ出してキャンプシュワプのゲート前で座り込みをして、阻止するため出来る限りの抵抗するのだけれど、辺野古へ駆けつけたいと思えどもいかんせんここ東京多摩の実家で、耄碌した父を抱えててはどうにも動きとれず何もすることができない。

 地元の合意ないままに、いったい日本のどこで、こんな無法かつ非道な行為が許されるのだろう。それは遠く離れた沖縄だからだろうか。沖縄の人たちには基本的人権はないのであろうか。
 むろん、世界一危険な普天間基地をなくすために、安保条約がある限り日本のどこかに代替の基地は作らねばならないという「理屈」は理解できなくもない。しかし、それが辺野古の美しい海を埋め立てて、しかも恒久的かつ新たな軍事基地を作って米軍に差し上げるという「理屈」は絶対に承服しかねる。辺野古こそ唯一無比の案だと固執する日米政府の考えがわからない。
 沖縄の人たちの思いは、この計画に常にずっとNO!であり、何度様々な選挙しても反対派が常に勝利して県知事さえも反対派を選んだではないのか。どうしてそれがまったく無視されその県民の民意は否定され、反対運動は暴力的に弾圧されていくのであろうか。そんなことが許されるのは、内地から離れた沖縄であり、我々内地の人たち総じての無関心と差別的意識がどこかにあるからではないのか。それに輪をかけて正しい報道がメディアではなされていないからだ。

 我々は今沖縄で起きていることを、どこか遠い国の話のように思い「ヒトゴト」のように感じている。しかし、同じ日本人である沖縄の人たちに起きていることは次は必ず我々にも起きよう。
 先日のゴールデン・グローブ賞の受賞席で、メリル・ストリープが語ったスピーチの一節が頭をよぎる。彼女は、新大統領となった男の愚行を評してこう批判した。

 軽蔑は軽蔑を招きます。暴力は暴力を呼びます。力ある者が他の人をいじめるためにその立場を利用するとき、私たちはみな負けるのです。

 そう、沖縄の人たちが負けるとき、我々日本の人民、大衆市民はみな負けるのである。そして一たびそうなった流れは、もう簡単には元には戻せない。彼らはあらゆる抗議、抵抗運動に対して弾圧を強めていくだろう。

 今、我々が沖縄の人たちと連帯して何ができるか。拙ブログの読み手の皆さん、どんな情報でもご意見お考えでもお寄せ下さい。訴えや呼びかけを広げたいと思います。まだまだ今からでも力合わせて我々自身が負けないためにも抵抗の闘いを続けていきましょう。

ご主人様トランプに首にされないために安倍晋三は2017年02月08日 07時31分21秒

★卑屈の極み、対米従属外交

 日米首脳会談が近づいた。今、日本国首相安倍晋三は夜な夜な悪夢にうなされているかもしれない。
 トランプ新大統領と会ったはいいが、彼を怒らせてしまい突然「You're hired!お前は首だ!」と、怒鳴られたらどうしようか、心配でたまらないことだろう。
 挙句に、日米安保条約は破棄する、在日米軍は日本から引き上げると、過激発言が売りの新大統領は言い出すかもしれない。そうなったらいったいどうしよう。アメリカ無しでは生きていけない自民党のトップ晋三としては、トランプ大統領から、クビ!と宣告されたら彼の地位が危うくなる。
 ならばまず心象を少しでも良くしておこうと、会談の前から必死に沖縄辺野古の米軍基地建設にハッパをかけて、米軍のために日本政府はこんなに真剣にやってます、急いで海を埋め立てて約束の基地建設に邁進してますので、と、誠意を示さないとならない。
 哀れと言うより、その卑屈さに今さらながら呆れ果てる。沖縄県民の思いよりもまずはトランプ氏へのご機嫌取りが優先される。辺野古の海埋立は、トランプ大統領への手土産なのか。

 そもそも安倍晋三は、昨年トランプ氏がアメリカの新大統領に当選した直後、世界のどの国よりも一早く、まだ就任もしていないのにアメリカに出向き、トランプタワーに駆けつけて祝意を述べて、日本と自らの新たな「飼い主」に忠誠を誓ってきたのである。
 その席で彼らは何を話したのか、あくまでも非公式な会見だったから何一つ報じられていないが、常識的に考えて当選したからといってまだ正式に就任もしていない私人の元に、一国の首相が慌てて駆けつけるという行為自体、いかにアメリカ様様か、日本の卑屈さを世界中に示したのは恥べきことではないだろうか。

 そして成る今回の正式な会談、先日も電話会談したばかりだし、マチス国防長官も来日したばかりなわけで、わざわざまたもこちらから出向いて行く理由は大してあるとも思えない。
 このところ対日批判を強めているトランプ氏にともかく直接お会いして、さらに頭を深く下げ忠義の度を示せば、まあ彼としても怒りは収めてくれだろうとの期待が見え隠れしている。そしてゴルフをやって個人的にもっと親しくなって信頼関係も築ければ、一安心だと様々な「手みやげ」満載でアメリカに向かうのである。

 その直前、沖縄の翁長知事一行は、トランプ新政権誕生で、アメリカの対日政策も風向きが変わるかもと期待を込めて、沖縄の現状を新政権の要人に訴えるべく訪米した。が、新聞報道などでは大きな成果は得られなかったとされている。
 まあ、それも当然かもしれない。日本のアメリカの関係は、例えれば強大なブラック企業とそこで働く従業員、もしくは下請け企業のようなものであって、オーナーが変わったからとしてもブラック企業が突然民主的になるはずもない。
 まして今度の新オーナーはさらに前のトップより悪いのである。過激な発言が売りのやり手のビジネスマンなのだから、さらに下請けや従業員を締め付け、とことん搾り取ろうとするはずだ。そこでは過労死が当たり前となり、拒めばクビにされるのだ。
 むろん、現実の話として、さらなる駐留経費を支払えとか無理強いされたら、我も沖縄の人たちも期待するように、基地撤去、ひいては安保条約破棄という対抗手段もなくはない。が、まず日本側として、日米軍事同盟は普遍かつ恒久的なものだと考えているし、硬直化した与党の思考では、それしか日本が国際社会で生きていく青写真は存在しない。ならばさらにトランプ大統領の顔色を窺い、彼のご機嫌を損なうことのないよう、常にとことんどこまでも譲歩して、自国民をないがしろにしてもアメリカ様の要望に従っていく。

 戦後70年過ぎて、ずっと敗戦国日本は勝利した大国アメリカ様の子分や手下、いや、飼い犬ポチだと言われ続けて来た。確かにアメリカなしに今の日本の繁栄はありえない。だが、「平和」はどうだろう。
 安保条約があったから、日本に基地があちこちにたくさんあり、おかげで日本の安全・平和が守られたというのは真実であろうか。
 そろそろここいらで日本も「対米従属」というドグマから解き放たれて、経済も軍事も真にアメリカに依存することない独立国へと変わるときだとトランプ大統領登場はきっかけになるはずだと考える。

 ひところ、NO!と言える国日本を、というスローガンが出回った。その提唱者は最低な男であったが、今こそ、日本はアメリカに対して毅然としてNO!を、言うべき時にはきちんと堂々と言わねばならない。
 まあ、それは常にアメリカの顔色を窺ってびくびくしている安倍晋三に望むべくもないけれど。昔の人は、こういう輩を「売国奴」と言った。そう、沖縄の海や森を人民の思いとは別に、アメリカに提供した者たちは皆。

母の月命日に2017年02月09日 21時55分36秒

★ここを乗り切れば春が来る

 このところ夜になると眠くて意識朦朧で、起きてられない。
 年寄りとはそうしたもので、晩飯食べ終わるとすぐこっくりこっくり、うつらうつら状態になるものだと知ってはいたが、我もまたそうなってきた。
 むろん朝は早く起きるのだからそれも仕方ないのだが、そもそも慢性的睡眠不足なのである。父より遅くまで起きて、父より早く起きて、さらに眠っている合間合間に、老犬たちに起こされたりして真夜中散歩に行ったり断続的にしか眠れない。
 晩飯を終えて、父をベッドに追いやり、着替えさせ、紙パンツを交換して寝かしつけてからようやく我こと、一人の時間が生まれる。が、そんなで、もう疲労困憊、アルコールも入っている故、我もまた起きてられず、倒れ込むように眠ってしまう。そんなことの繰り返しで、眠気と疲れてブログすら更新できない日が続いていた。

 父は、このところ週に二日、火曜金曜とリハビリ作業もあるデイケア、そしてさらに二日、土日はお泊りもできるショートステイに通わせている。しかしそれでも、デイケアは約6時間ほどしか預かってもらえにいばかりか、送迎の時は必ず我が立ち会わねばならず、かなり制約がありあまり楽できない。
 土日のデイサービスは、お泊りも可能なので、今は常に一泊二日で預かってもらうようお願いしている。さすれば、我も山梨まで足伸ばせるし、土曜のライブなどあっても父は不在なので、時間気にせず夜も過ごせる。それに加えて、今月からは、さらにもう一日、お泊りの日を増やそうと考えている。土日月と二泊三日で、お泊り願えれば、我は土日は完全に自由になれる。さまざまなイベントなどはたいてい土日にあるわけで、父には申し訳ないが、それにゆっくり家も空けられるし山梨の倉庫での作業も腰据えて専念できよう。

 正直なところ、父が家にいると我はおちおちブログすら書けないのである。夜、眠らせているとき以外は、何をしだすかわからすないので目が離せないし、よって家も空けられない。かといって、日中昼寝させてしまうと夜中に徘徊したりして昼夜がわからなくなってこちらも振り回されて疲弊してしまう。

 このところ九州の妹や担当ケアマネージャーたちとはかって、そんな父を特養に入れるなり、九州の妹宅に連れて行く案も俎上に上がっていた。じっさい年明けから、父の呆けも進んできて、息子とのトラブルが絶えることがなかった。たすけを求めて、父は一人娘である九州に嫁いだ我が妹に電話してしまい、妹がケアマネに連絡して、我と父、この親子二人だけで暮らしていくのはもう不可能ではないかと話は進んでいたのだ。
 まあ、事態は何も解決してはいないし、今後もまた我と父のトラブルは些細なことがきっかけで勃発するだろうけれど、もう少し頑張ってこの家で面倒見ようと我は思い直したところだ。

 母をこの手のうちで殺した者として、ならば父もまた我が自ら殺そうと思う。父はもう92歳。生きたとしてもあと数年だろう。とならばやはり最後の日までどんなに我も父も大変で辛くともこの家で過ごさせてやりたい。特養に入れたってどうせすぐ殺されるのならば、我が手で、この家でしっかり殺したい。
 あと何日、何年、この父との日々が続くのかわからないが、できるだけ無用な軋轢を増やさないためにも、特養に全面的に入れる前に、うまくショートステイ等を多用して、トラブルとストレス増えぬよう我が負担を軽減させたいと思う。

 立春も過ぎ、暦のうえでは春となったわけだが、この数日また北風が吹き荒れたり、今日は小雪が舞い厳寒の日が続いている。
 午後から降り出した雪は幸い積もるほどのことはなく、途中から冷たい雨に変わり、向いの畑はうっすら白くなってはいるが、今はもう氷雨もやんだようだ。
 このブログでは書くからにはと、つい対外的、対社会的に、まっとうな威勢の良いことばかり書いているが、ご存知の通り我自身弱気の虫に襲われれば、常に、もうダメだ、オシマイだ、どうしようもないという気分に常に囚われてしまう。
 人は皆、それぞれ何かしらの生き甲斐を持ち、それを頼りに人生を生きていくわけだが、我自身は生き甲斐など何もない。せいぜい老いた親、父とか犬の世話という、後ろ向きのものしかなく、せめて妻とか子とか孫とか、誰か我が後のことを託する者たちがいたらなあと思うことがよくある。
 けっきょく、どこまで行っても一人なわけで、人はそもそもそういうものだと言うのはあくまでも建前に過ぎず、それが辛いがゆえに人は結婚し家族を、子孫を作るのだと今ははっきりわかってきた。
 これは誰かに我の老後の世話を頼みたいということではない。ただ生き甲斐というのが、我が事、自分の事だけだとこんなに虚しいものかと今になって思う。そう、自分の事だけならば、もう何もいらないし、何ももはや求めないのだ。すべてが無為虚しくあり不要なのだ。
 願うは、母が生きていたときの日々がもう一度戻ればと思うが、それは二度と帰らない。位牌を前にして写真の中の母は、優しくにこやかに我をただじっとみつめて微笑みかけてくれる。

 今はまだ父の世話という「仕事」と共にその生活が我に残されているけれど、父が死んだ後に、我に生き甲斐なんてあるのだろうかと訝しく思う。
 それでも生まれてきて、今も生きて、生かされているからには生き続けなくてはならない。しかし、それは本当に辛いことではないか。人が生きていくためには、何か、絶対的に大事な、確かな何かがなくてはならない。真に愛する対象となる何か、誰かが。
 母を喪った今、残りの人生で、我はそうしたものと出会えるのであろうか。それは間違いなく物ではない。まずは人であり、たぶん目に見えないものであろうか。
 ダマスコに向かう途中の道で、迫害者サウロに起きた事件のように、イエスの声が天から我に降りればと願う。あるいは漱石居士が晩年、好んで毫したように、則天去私の心境に達することができるかどうかだ。

 まだまだ寒い日が続くと予報士は言っている。しかし、陽射しも伸びて来てこの寒さを乗り切れば春はやってくると思う。まずはここを乗り切る。まだがんばれる、頑張らねばとと自らを鼓舞しつつ。

裸の王様が国家を、世界を牛耳る世紀・12017年02月10日 18時34分06秒

★歴史は進歩的発展などしていかない。

 我は、いちおうサヨクなので弁証法とか社会科学なるものも学び、歴史というものは時と共に段階的に進歩し発展していくものだと教わってそれを信じて来た。つまり、その時々を見れば、ちっとも進歩どころか停滞し、さらにはまた逆戻りしているようにも見えたとしても、螺旋階段のごとく、人類はその英知でもって確実に良い方向、さらなる進歩へと段階的に上昇してゆくのだと思っていた。
 が、このところどうやらそれはマチガイで、人間とは常に愚かで罪深いものだから、ある程度の歳月が過ぎれば失敗や苦い経験から一度経験し反省し学んだことでもまた忘れてしまい、同じような過ちを繰り返すのではないかと考えるようになってきた。まさに元の木阿弥ということだ。
 特にこの戦後も70年も過ぎて、戦争体験者が限りなく消えていくにつれて、じょじょにまた反動というべきか、武力や戦闘で事態を解決してもかまわないというようなまた戦前のような風潮が蔓延する世相となってきたからだ。日本と日本人だけが正しく偉く賢くて、他の近隣諸国は愚かで遅れていてその民族としても劣っている。そんな見下すような言質がネット上では日々満ち溢れている。

 今の人たちは戦争というものがじっさいはどんなものか戦時下とはどういう状況となるのかまったくわからないし想像もできないから、アニメやゲームのシューティング、ハンティングのようなものだと考えて、殺し殺されるという事態にもカッコよさは抱いても抵抗感がない。
 だからイジメ事件も蔓延するし、ごくごく簡単に人は殺し殺されてしまう。そもそも死というものが日常から消えてしまいあるのは、2時間ワイドのサスペンスドラマの中だけだ。戦争もまた同様に、映画の中や今起こるとしても遠い他国での話で、派遣された自衛隊の人たちががんばって働くもの、我々一般人とは関係のない出来事だと思っている。
 そうこうしているうちに、戦争法も出来、集団的自衛権行使という憲法解釈も変更されて、さらにはそこにテロ防止名目の共謀罪も近く成立されよう。

 それはいわば現代版治安維持法だから、今の自公政権、現政府に対しての抗議活動全般でさえ、政権転覆を狙った準テロ行為として準備や計画した段階で逮捕されても仕方ないこととなろう。
 そう考えるとき、何だ、結局また元に戻ってしまったんだと気づく。むろんこの国を取り巻く国際情勢は全く異なっている。しかし、国家権力が強大な力を持ち、個人を管理し自由を奪い、反抗する者は逮捕拘禁し迫害するという図式は戦前、戦時中と何ら変わらない。
 しかも情けなく思うのは、そうした状況は、決してどこかの国のように軍人たちがクーデターで勝手に起こしたわけではないのである。この今の日本人、国民自らが、そうした体制の政権を選挙で選んでしまい、じょじよに確実に自らの自由と権利、つまり基本的人権を放棄して行ったのである。
 ※まあ、あのナチスも合法的選挙で、当時もっとも民主的とされたワイマール権法下で登場して政権を手に入れたのだから、常に大衆とはそうした間違った選択をどこの国でもいつの時代もするのだということだろうか。
 それは大衆の実感はない、うわべだけの好景気に沸き立ち、他に政権選択肢もなく、やはり自公政権に経済を託すしかないという消極的支持が彼らをずっと勢いづかせてきた。何度選挙を繰り返しても常に彼らは大勝し、野党側はいつまでたってもまさに蟷螂の斧でしかない。
 そうして経済を餌に、国民の支持を集めた彼らは確実に国家権力の増強、つまるところ政財官一体となった支配層、富裕層に富も権力も集中させていくという戦前そのものの体制を再び拵えるに余念がなかった。
 そして今、そしてこれからこの国と世界はどうなるのか、拙稿ではあるが何回かに分けて考えていきたい。

痛いほどの寒さをどう乗り切るか2017年02月13日 21時32分01秒

★未だ厳冬の山梨から戻って来て

 実はこの土日月と二泊三日で、また山梨の倉庫へ一人で行っていた。それでブログは更新できなかった。一昨日土曜の昼に出て本日月曜夕方に戻って来た。
 むろんスマホから携帯でメール打つようにしてこのブログにもアクセスして書き込みできなくはない。が、キーボード操作でやってるように、頭の中のことをそのままほぼ瞬時に打ち込むようにはとてもできやしない。
 指先で一文字づつ押して言葉を選んでちまちま書いていると、いったい自分でも何をどう書きたかったのかわからなくなってしまう。考えに書きこむスピードが追いつかないのである。自慢ではないが、我はパソコンで書くのはたぶんフツーの人より何倍も速い。
 ショートメール程度のことやごく簡単な報告なら可能だろうが、ある程度内容ある、まとまった記事を書くのは、やはりパソコンで、机に向かってでないとできないので、基本向うへは土日など週末に行くことが多いので更新されないときは、また山梨へ行ってるのかと思って頂きたい。

 今回は、施設に預ける父のショートステイ、お泊りの日を通常土日の一泊二日を、もう一日増やしてもらい月曜までの二泊三日でお願いした。おかげさまで、二日目、中一日はまるまる向うにいられたので、腰据えて片付け作業などに専念できた。
 また月曜も増やしてもらったのは、向うの市役所、北杜市の窓口の人と会う用件もあって、平日でないと行政は動かないので、今日、月曜まで行っていたのだ。北杜市はいくつもの町村が合併してできた地図でいうと下は韮崎市に接して、上は長野県に接する、清里まで含む県内最大?の巨大な市ではあるが、幸い利用する高速道須玉インター近くに市役所があり、近くなので有難い。まあ、支所はあちこちに点在しているけれど。

 さておき、二泊三日で、時間的にはかなり余裕あったのだけれど、山梨県でも峡北とされる標高700mはあろう我の倉庫と化した古民家は、いつ降ったのかわからない雪が日陰にはまだかなり残っていてともかく寒い。水道も昼近くにならないと凍っていて出ない。
 昼間は晴れて陽射しもあるのだけれど、八ヶ岳おろしの強い風が午後になると吹き出し、たぶん体感温度は日中日向で5度程度、日陰や室内では零度近くではないか。夜になると、寒くて室内でも足先が冷えて痛くてたまらない。まさに底冷えがする。
 暖房と呼べるものは、電気こたつと石油ストーブが一台あるだけで、コタツに入っていては何も作業できないしそれもほとんど暖かくない。で、温風タイプのではない、昔ながらの火が出る、上でヤカンも乗せたりちょっとした料理もできるタイプのストーブを一昨年、近くのホームセンタで安く買って、向うに持ち込み、それだけを頼りに冬を越して来た。
 そんなストーブ一台で、広い家全体が温まるはずもないが、ともかく火があり、上でヤカンがちんちんに湯気立てていれば、その周囲だけはまあ暖かくなる。冷えた体もすぐ近くに置いた椅子に座ってストーブに向き合えば足元は暖かくなる。

 そうして石油ストーブで暖をとりつつ本や雑誌の分別作業、仕分けを進めていた。ところが、先週行ったとき使用中に突然そのストーブが消えてしまい火がつかなくなってしまった。何度つけ直しても同様で、着火はしても火が大きくならずやがて消えてしまう。
 芯がなくなったのかとも考えたが、まだほぼ新品なのである。山梨に来たときだけしか使っていないし確認すればまだ芯は出ている。
 ならば灯油が古いのかと、今回はいったん麓のホームセンターに行き新しいのを買ってきて取り替えて入れてみた。が、やはり同様の状態で、メーカー、コロナに相談したわけではないが、どうやら何か不具合が起きたか壊れたとしか思えない。
 元々春先に、展示品として格安で買ったものだから、修理に出すもバカらしいしともかく現実問題としてこの寒さである。前回の時も寒くてほとんど作業は進まなかったが、今回も頭痛めた。麓のホームセンターで新たにまた新品を買うべきか。
 Amazonで、もっと熱効率の良い、部屋自体暖められるような大型の円筒型のを買うかあれこれ迷ったが、けっきょく近くの公営の温泉に行くしかないと考えて、どちらも片道約5キロのところにある、土曜も日曜も近場の日帰り温泉に車で行って何とか体を暖めて眠りに就くことができた。

 今回は、ウチから電気アンカも持ってきた。元々昔ながらの金物の熱湯を注ぎこむタイプの湯たんぽを使っていた。が、石油ストーブの上で沸かしたヤカンのお湯を詰めて布団に入れてもそうした湯たんぽでは、朝方になると冷えてきてしまい寒くて起きてしまうのだ。
 普通は、一度熱湯入れれば朝になってもまだまだ暖かいはず。それが室内でもほぼ零度の夜間は、熱湯入れたとしても旧来の湯たんぽでは数時間で冷えて来てしまい暖かさは持たないのだ、ここいらは。
 それでも寝てても夜中に犬たちが吠えるので、叩き起こされ、満点の星の下、深夜や明け方にごく簡単に犬の散歩に行く。あまりに寒いと寒さも痛さに変わり、ただ顔や手、耳など外に出てる部分が痛いのである。
 室内でも鼻水はぽたぽた垂れるし、足は次第に爪先から感覚がなくなって来て凍傷のようになってくる。温泉に入らなければ霜焼けになったことだろう。
 布団に入っても、頭が寒いのでフードを被り、布団に鼻だけ出すようにして、電気アンカを抱えて何とか眠れるのである。灯油ストーブやアンカが無くても凍死はしないだろうが、寒くてたぶん朝まで一睡もできないかと思う。元々我は冷え性だったが、体重も落ちて皮下脂肪がないので、この冬は特に寒いのだと思える。

 けっきょく、そんなでこの季節に山梨に行っても、あまりの寒さに作業効率はすこぶる悪い。しかし、父をショートステイで預かってもらえるようになったからには、自らの「商売」のためにも向うを片付けて、売れる本を仕分けして来てネットで必死に「出品」しないとならない。
 今、Amazonマーケットプレイスにウチが出品している冊数は、ようやく二千冊を超えたところだ。以前はもっと出していたが、親たちの介護に時間とられて新規投入ができなかったのだ。
 しかしその半分は限りなく一円本に近い、売れない本と化したものであり、もっと精査して、他店が1円で出している本などは取り下げて、もっと高値がつくものだけで二千冊にしていきたい。

 と、どうでも良いことをだらだら書いた。マス坊はもっと寒いはずの北海道にいたこともある。が、向うは、もう寒さは暖房器具の普及で完全に克服してしまっているので、外はともかく室内は異常に暖かい。Tシャツで過ごせるほどだ。
 けっきょく、そうした対策がまだ中途の内地の冬の方が、寒さに関しては圧倒的に寒い。まして山梨の長野寄りの山間部の古い民家なのだ。隙間風も入るしそもそも雨戸もろくにない。※改築して窓はアルミサッシにしたら外してしまったと思われる。
 さらに家の構造自体が、襖や障子を開け放せば40畳ぐらいの大広間になる壁や仕切りが全くない作りなのである。しかも今は立て付けが悪くて個々の部屋を仕切る引き戸も閉まらない。
 夏は圧倒的に涼しいから、クーラーもいらない。これは良い物件だと思ったが、皆住む人は東京に出てしまい限界集落となる理由は、まず日常の生活に不便なのと冬はとてつもなく寒いからだった。
 ここでの冬はもちろん始めてではないが、これまでは親たちの事もあって、真冬はほとんど来ることがなかった。タイヤもスノータイヤに交換していなかったし。
 去年からようやく、通年来る決意をして、まして母も死に、父もショートステイで介護施設に預けられるようになったのでこのところ土日ごとにほぼ来ている。が、まずは、新たな石油ストーブを探すこともだけど、寒さ対策だ。これではとても冬は暮らせない。何もできやしない。

 兼好法師は、家づくりは夏を主(むね)とすべしと記した。まあ、クーラーが無い時代、大昔の京都とかにいたらそうであろう。が、今我はこう思う。八ヶ岳山麓に住むとしたら、冬をまずむねとすべし、と。京都の冬も半端じゃない寒さだが、山梨の古民家に比べれば何ほどでもない。京都はまだ人がたくさんいるし人が来る。ここには誰もいない。出会うはただただ猿ばかりだ。お猿たちは毛皮をまとっているだけでなく、大勢の群れで暮らし家族もいる。
 寒さとは孤独の代名詞なのである。

裸の王様が国家を、世界を牛耳る世紀・22017年02月14日 09時41分17秒

★日本はアメリカの子分、手先だと世界に知らしめた日米首脳会談。

 日本人として本当に恥ずかしい。おそらく当ブログの読者の方なら誰もがそう思っていることであろう。日米の首脳の会談が終わってその様子が報じられている。
 媚びへつらい、おべっかを言ってご機嫌をとる。それが一国の独立国の、しかも小国とはいえ世界でもトップレベルの技術と経済大国の日本の首相がなすべきことであろうか。どうしてもっと威厳を持ち毅然とした態度で臨めないのか不思議でならない。日本は今も昔もペリー来訪の頃と変わらない。ただただ卑屈に顔色を窺い向うの出す条件に唯々諾々と従うのみだ。独立していないのは沖縄だけでなく日本国じたいが今もアメリカの被占領下にあるのである。世界にそのことを知らしめた。日本の国際的地位も低下していくことだろう。
 対米追従どころか隷属国家に、独立国としての発言権は与えられない。そんな国、日本に住む日本人として心底恥ずかしい。これはサヨク、ウヨク関係なく心ある人なら誰でもそう思うのではないか。
 
 日米は対等なパートナーなのだと言う。しかし、パートナーにしろ友人にしろ、真に対等ならば、相手を持ち上げ褒めたたえるだけではなく、ときには、相手にとっては苦言や忠言をも述べるべきであろう。耳が痛いことでも真に対等な関係であり相手方をおもうのであるならばなおさら言うべきことはきちんと発言すべきだ。これは「会談」ではなく「ご機嫌とりの面談」である。
 そうしないのは、対等なパートナーや友人関係とは絶対に言えない。それは手下、子分の関係であり、トランプ氏の大統領令連発が引き起こす一連の騒動についても会談でも一切ふれず、その国の内政問題だから、とだんまりを決め込み、ひたすらトランプ氏をヨイショしまくるのは家来や手下だと思われても仕方あるまい。

 さて、表題の「裸の王様」である。詩人、有馬敲ならば「ほら吹き将軍」と呼ぶのだが、こうした愚かな王様や将軍が今や世界中でそれぞれの国家を率いて鼻高々である。
 そもそも童話としての「裸の王様」の寓話は誰でも知っているかと思う。記憶をたどれば確かこんな話だったと思う。

 あるとき、あるところの王様の元に詐欺師の仕立て屋が来て、バカな人には見えない生地で素晴らしい服を作ると持ち掛けた。
 たぶんその男は、抜群のパントマイム師なのであろう。何もないのに服を仕立てたことにして王様に着せた。
 王様は、その服は見えないけれど、そう言ってしまえば、バカだとされてしまう故、これは素晴らしい、気に入ったと見栄を張り、取り巻きの家来たちも見えないのに王様に倣って、見えているふりをしてその服を褒めたたえた。
 そして裸のまま町を歩いていたらば、やはりその国の民も、どう見ても王様は裸だけれど、見えないのは自分がバカだと告白することになるので、裸だと誰も言わない。
 けっきょく最後は、純真無垢な子どもが、それを見て、王様は裸だ!と笑い叫んだことで、皆、誰もが実は王様は何も着ていないことに気づき、裸のままの王様は大恥かいて逃げ帰ったという落ちであったかと記憶する。
 
 今でもあちこちで、喩えとして用いられる「裸の王様」であるが、この寓話はいったい何を意味しているのであろうか。
 裸の王様は、実は何も着ていないのに、着ていると思っている。そして周囲の取り巻きも、それに気づいていても誰もそのことを指摘しない。それを口にすれば処罰されるかもしれないし自らバカだとさらけだすことになる。
 けっきょく、純真無垢な曇りない目の子どもだからこそ、王様は裸である事を指摘して民衆もやっとそのことに気がつき同意するのである。

 我は思う。この場合の王様が裸であるとは、不寛容と傲慢、そしてそれらがもたらす「独善」を象徴していると。
 そして今世界は、多くの国で、大小のそうした裸の王様が跋扈し、その国を牛耳っている。その頂点にいるのがトランプ大統領であり、そのとりまきの小国の裸の王様が、我らが安倍首相なのだと思う。
 
 王様が裸なのは愚かさ故仕方ないことだ。問題は、その裸の王様を担いでいる取り巻きたちであり、王様同様彼が「裸」であることがわかっていない。いや、気づいていても保身と自らの目も曇っていて正しい姿がよく見えていない。
 そしてさらに言ってしまえば、どこの国でも、裸の王様を抱く国家は、国民自体も王様の裸に気づいていない。特に今この国は、安倍晋三という裸の王様を未だに高く支持している。
 もし誰か勇気ある者が、その「裸」を指摘すれば、今ではマスコミ寄ってたかって、トンデモナイことを言う奴だ、王様に抗うとはテロでも準備しているんじゃないか、と袋叩きにされることすらある。

 その小さな裸の王様が、大きな国の裸の王様のところに出向いて一緒にゴルフしたりディナーしながら記者会見したり、ひたすら媚びへつらい相手を持ち上げた。二人してお互い「裸」であることは気づかず楽しい親密なときを過ごして来た。

 日米同盟はさらに深化させていくのだと裸の王様たちは言う。しかし、彼らが裸である限り、二人がどれほど親密な関係になろうとも世界は混乱し続けることであろう。
 彼らに服を着せるのは難しい。ならばこそ、そんな王様は裸のままでいい逃げ帰って一日も早く退陣してもらいたい。

味噌づくりライブ2月19日午後1時から2017年02月15日 20時22分31秒

★どなたでもお気軽にお越しください。

 先にもお知らせしましたが、今度の日曜19日に、拙宅無頼庵で、手作り味噌の集いを開催します。
 時間は、午後1時開始、終えるのは夕刻の予定です。その後、簡単な食事会、飲み会など予定しております。
 久々の味噌造り、麹は、米と麦を予定し、材料および下準備はこちらが用意しておきますので、各自、エプロンやタオルなど、自分用の作業品だけお持ちください。
 参加費は、500円。食事会費、お土産も含みます。また、今回仕込んだ味噌を持ち帰りたい方は、タッパーのような何らかの容器もご持参ください。
 詳しいことは、拙ブログに連絡先を書き込み下さるか、マス坊の携帯まで。090-8175-8479
 ※自家製高菜漬けと野沢菜漬けたのもぜひお召し上がりください。

 なお、無頼庵3月は、『素晴らしきアナログ芸術の世界~レコードコンサート』を企画しております。三留まゆみの映画塾再開は検討中とのことです。

長生きした罪と罰~老いた父と暮らして思う2017年02月18日 22時19分19秒

★父が家にいるとブログも更新できやしない。

 土曜日の夜である。昨日は突然の春真っ盛りの陽気となって、ジャンパーや上着を着ていると汗ばみ暑くてたまらないほどだった。
 が、今日は一転して曇りがちで陽射しも少なくうすら寒くまた冬に戻ってしまった。
 春先はこうしたもので、三寒四温という言葉どおりまだあと一か月はこうした寒暖の差が大きい日々が続くのかと心している。まあ、それでも梅をはじめ春を告げる花々は咲きほこり、一陽来復、また季節は新しい春を迎えたのだ。
 ただ古人が詠ったように、年年歳歳季節は繰り返しても人は同じではない。去年の春はまだこの世にいて、春の花々を愛でていた我が母は、もうこの世のどこにもいない。
 そして母=妻亡きあと呆けがさらに進んでしまった父と息子の二人だけの暮らしは正直なところどうにもならなくなっている。

 父は今、基本、デイケアに火曜、金曜、お泊りもお願いできるデイサービスに、土日、ときに月も含めて、週の内に計五日は老人介護施設に通っている。
 それで我は父が不在のときはずいぶん助かっている。が、朝起こして着替えさせ飯食わせて送り出すのと、夕刻、帰されるとき立ち合い、また着替えさせ、夕飯食べさせるだけでも一苦労で、父が不在でも日中は洗濯などの家事に追われ、ようやく父を寝かしつけてようやく自分の時間がとれる。夕方時、犬の散歩までの間、短時間でも昼寝もできる。
 しかし、父が家に一日いる日となると、朝から晩まで父の世話にただただ時間をとられて何一つできず、父を寝かしつけたら自分も倒れ込むように疲労困憊で寝てしまう。

 認知症、昔は痴呆症とか言ったかもしれないが、老化による呆けとはいったいどういうことか、我は今父を通して実によくわかってきた。
 父は人格が崩壊したとか、何もわからなくなって反応がないという状態では全然ない。喜怒哀楽はしっかりあるし、会話も成り立つ。訪看さんが来ると、ごく真っ当な、いつもお世話になってとか人当たりの良い口をきいたりして、一見ちっとも呆けているように見えないときもある。
 が、ともかく記憶が続かず、何でもすぐ忘れてしまうし、何度でも何度でもいくら説明してもまた同じことを繰り返し訊いてくる。しかも先日は、11月からずっと通っている「N苑」という介護施設のこと自体を突然忘れてわからなくなってしまい、前日朝までは明日はそこに今週も行くと自ら口にしていたはずなのに、その夜になったら、ワシはそんなところに行ってるのか?聞いたこともないし行っていないと突然言い出し一騒動となった。
 もう何ヵ月もいつも毎週行ってるだろうといくら説明しても理解できず、けっきょく自らそこに電話して、ワシはそこに行ってるんですか!?そちらはどこにあるの?と尋ねたりしていた。
 翌朝、迎えが来て、ともかく車に乗せて向うに行ったら思い出したとのことで、ワシはちょっと度忘れしていた、と本人も頭かいて反省したようだったが、そういうのはもはや「度忘れ」とか言わない。もはやそういうレベルではないのである。

 前にも書いたかもしれないが、母が生きていた頃も、そうした介護施設から帰って来て、彼はいったん夕方昼寝したらしく、夜、外は暗くなって起きだしたら、晩飯もまだなのに、ワシはこれからデイケアに行かなくちゃ、と一人で支度して迎えを待っていた。
 我は母の介護が忙しくて説明もバカらしく、母もあきれてもはや相手にしないでいたら、父は荷物持って外に出て、今日は朝なのにいつまでも暗い、おかしい、どうかしたのか迎えが来ないと騒いでいた挙句、自ら施設に電話かけて、今は夜ですよ、と向うから諭されてようやく朝と夜を勘違いしたことに気がついた。
 また、真夜中に厳寒の戸が開いた音がしたので、慌てて気づいて下に降りたら、寝間着姿で父が外に出ようとしている。「犬がいなくなった、大変だ」と探しに行くのだと言う。詳しく聴けば、夢でウチの犬がいなくなった夢を見て、それを現実と取り違えて、犬を探そうと暗い中ふらふらヨタヨタなのに危うく徘徊するところだった。
 幸い父はまだそうして行方不明になったことはないが、息子が浅い眠りで常に眠っていても気が張っていたから惨事に至るのは防げていたのだ。

 最近はそうした失態は起きていないが、もうともかく記憶が続かず、こちらもいいかげんその対応にキレまくっていた。何しろ隔週ごとにいつも来てくれる訪問診療の医師の名前さえわからず、カレンダーに日付が記してあるのを見て、「ここに書いてあるA先生って誰だ、何しに来るんだ」と言い出す始末。その先生が来たときそのこと相談したところ、一度そろそろ脳のCTを撮ってみた方が良いのではないかという話となり、その医師の紹介状持って、系列の病院の脳神経外科がある立川の大きい病院に行ったのだ。
 昨日、17日は、金曜で本来はデイケアに行く予定の日だったが、その予約が朝9時半で、いつもよりかなり早く父を叩き起こして大慌てで朝食摂らせて、急かして支度して新しく立川駅北口に新設移転したその病院に行った。

 ※続きは後でまた書きます。実は今、明日の味噌づくりイベントのため、夜通し大豆を煮ていて、せがらしかけん、落ち着いてブログもよう書けん。