まず近況を、憲法記念日に2017年05月03日 22時26分55秒

★施行70年目の瀕死の平和憲法を思う

 まず近況を少し。
 前回、ようやくモノゴトがまた動き出したと書いた。が、まさにそう、好事魔多しということか、昨日から父の体調が良くなく、その世話に追われていた。まったく気が緩められない。そう、浮かれてはいられない。

 昨日、火曜は、父はデイケアに行く日で、無事行って夕方早めに戻って来てくれた。特に変わりはなかったと、送迎のお姉さんは言ってたが、夕飯時に熱を測ったら、37度ちょっとあって、微熱程度だが、また肺炎気味かもと憂鬱になった。といっても最高で37.3度だったが。
 そんなで、夕飯を軽くとらせて早目にベッドに入れたが、さて、どうしたものかと頭痛めた。今ちょうど連休にかかっていて、来週明けまで近くのかりつけの病院はやっていない。このまま熱が上がれば医者に行くことになるがまた急患扱いで、立川の相互病院まで連れていくべきかどうか。

 このところ、また食事時に父は飲み込みに咽て咳き込むことが多くなってきていて、誤嚥しているのかと気にかかっていたが、先だってのデイサービスのお泊りではどうであったのだろうか。連絡帳には何も記されていないが、施設での食事で誤嚥が進んでまたも肺炎発症したのかと昨晩はあれこれ考えてよく眠れなかった。
 が、幸い今朝起きて熱を測ったら平熱に下がっていてほっと安堵した。父をまた立川まで、おそらく救急外来の患者で満員の病院に連れて行かずにすんだ。
 じっさい、老いて父はもう飲み込む力、咀嚼する力が落ちているのである。いくら我が工夫してご飯も粥状にして、おかずもできるだけ柔らかく吞みこみやすい形状にしても、このところほぼ常に毎食時何度かゴホゴホむせこんでしまう。
 それはとりもなおさず胃に落ちずに誤嚥しているわけで、それが気道に、気管に入ればしだいに炎症を起こしてやがては肺炎となる。
 ただ、それも程度の問題で、むせて咳き込むのは、誤嚥に対して抗っている身体の正しい対応でもあるわけで、多少の誤嚥ではすぐさま肺炎発症とはならないと医師たちは言っていた。
 ただこれが常態化し、慢性化してしまえば、また間違いなく肺炎となり入院となろう。たぶん、そしたらば呆けも進みもう退院できずにそのまま特養どころではなくホスピス的入院施設に移され死ぬまで入れられることになる。
 父の世話に半ば倦み疲れている我としてはそれを希みはしないわけではないが、できれば今はまだその段階に進む覚悟も準備もできていないので、もう少しこのまま家に置いて一緒に暮らしたい。父の意向も同様であり、母の死後、ようやく軌道に乗り始めた親子二人のライフスタイルをすぐまた新たなものに変えたいとは思わない。
 それが我にとって結果的に楽となっても、入院すればまた手続きも含めてあれこれ面倒になろう。様々な書類書いたりハンコ押したり考えただけでうんざりしてくる。

 そして、今日は晴れたので、デイサービスなどで溜まった父の汚れ物を洗濯して午前中から庭先に干した。暖かったので父も外に連れ出して、洗濯したものを干すのを手伝わさせていた。
 縁台のような長い木の台に座らせてピンチに洗った靴下とかを留めさせていたらば、ふらついて後ろに倒れ込んで、地面に転倒してしまった。幸い高さはなかったのと倒れても柔らかい土の上だったのでジャージの下を泥で汚しただけで、ケガなどしなかったが、実は計三度も父はバランス崩して縁台から転がり落ちた。
 元よりふらつき気味で、しかも大腿骨骨折後、自ら一人では自立できず、杖を頼りに何かに掴まって、伝い歩きしている父だったが、以前はそんなことはなかった。
 今日それを見ていて、やはり確実に老化が進んでいるのか、呆けとふらつきの状態が悪化しているのか、これは困った事態だと思い至った。
 となると、食事での誤嚥からの肺炎を心配する以前に、周囲が目を離した時に、よろめいてそのまま転倒し、頭を打ったり、またもや骨折する可能性も高いと気がつく。いずれにせよ父はもう今、まさに薄氷を踏むようなぎりぎりの状況にあるのだと知った。

 前回のブログでは、このまま父の体調が良ければ、我もまた自らのことに専念できるだろうと期待を込めて書いた。しかし、まさにそれは希望的観測で実に甘かったとわかった。
 これが70代、80代ならば、まだもう少し先はある。しかし、もはや父は92歳なのである。車でいえば、ガソリンタンクの数字の針は、ゼロ、つまりEMPTYと表示されているのと同様だ。むろん車は、目で見る表示がE=ゼロとなっても、まだ少しは走る。タンクの底に残っているガソリンでもう何キロかは走れる。
 父もそうしたもので、もう魂はほぼEMPTYとなっている。しかしまだよろよろとふらつきながらかろうじて動いている。が、いつそれが完全に空になり、不意に止まるかわからない。
 その命のガソリン、エネルギーが完全に尽きるとき、父はもう動かなくなり死ぬ。それがいつ来るのか、明後日なのか、一か月先か、それとも半年先か、一年後か。それは我もだが当人すらわからない。
 ゆえに、まだもう少し時間はあるとか、希望的観測や楽観的期待などせずに、常に覚悟してその日に備えておかねばならないのであった。

 今日は憲法記念日。この水、木は父のデイケアとかはなく、水曜は訪看さんが来るだけで、週のうちこの二日間だけが父が家にいる日であった。我は、父によく言い聞かせて留守番頼んで、今日の憲法擁護の集会に行けたら行こうと考えていた。
 しかし、やはり父がそんなでは無理であったのだ。明日木曜も父が家にいる限り、目を離すべきではないと今は思う。やはり、都心まで出られるのは、父がショートでお泊りに行ってくれている間だけだった。
 ※続きはまた明日記す。