今日は何日? 明日は・・・2017年05月05日 23時01分24秒

★認知症介護3~4の父と暮らすこと

 正直なところを隠さずに書く。
 このところ昼寝のときなど、浅い夢の中で死んだ者たち、母や愛犬ブラ彦たちがよく出てくる。が、夢の中でももう彼らは死んでこの世にいないという理解はしていて、その姿を見、ある意味夢の中で再会し思い出しては、目覚めて、彼ら死んだ者たちのためにもしっかり生きなければと思い直す。
 もう、前みたいに哀しみに打ちひしがれ泣きながら目覚めることはない。しかし、哀しみは癒えたとしても淋しさは変わらずで、彼らが生きていた証に触れたり、生きていた頃、母ならば去年の今頃、まだ元気にいた頃のことを思い返すと突然胸が張り裂けそうな痛みにとらわれる。
 そう、去年の今頃は、手術で入退院を繰り返していたが、まだ家にいる時は元気で動き回っていたし、何より父祖の地、谷中村がある栃木県佐野市、藤岡の親戚のところまで我と共に一泊でも無理なく旅行にも行けていたのだ。

 その人が七月からの僅か二か月自宅での寝たきり、往診、在宅治療だけで九月頭には急逝してしまいもうこの世のどこにもいない。その頃、老いてもやはり元気でいた愛犬も年明けから衰弱して今春四月頭に老衰のため命を全うしてやはりもうその姿はない。
 何とも無常感に嫌でも苛まれてしまうが、それも天の定め、運命だったのだと今は受け入れられるし、辛くとも彼らのいない、新たな生活にも慣れては来た。
 死んだ者たちには何もできないからこそ、我ら生きている者たちはその分、しっかりと生きねばならない。彼らの分、彼らのためにも。そう誓い、頑張らねばと自らを叱咤激励してはいても、今現在、まだ生きている死に行く者と暮らしていると、もう日々心底疲れ果てる。元気なはずの我の方が先に死んでしまうかもしれないと思う時がある。
 
 父は今、毎週火、金とデイケアへ、土日はお泊りもできるデイケアへとショートステイで通っていて、二週に一日、在宅診察の医師が来る月曜以外の月曜ももう一日デイケアに行っている。
 つまるところ火金土日、ブラス二週に一日、月曜も含めて、週に四日ないし五日は施設に通ったり預けたりもできるようになった。おかげで我はずいぶん楽にはなったと言いたいが、通いの日は、朝起こして食事摂らせて送り出し、夕方帰宅を迎え入れるまで、父が我の手を離れるのは実質6時間そこらであって、せいぜい昼飯の支度とその数時間世話しないで済む程度の「楽」しかできやしない。
 6時間そこらでは、バイトでも仕事には出られないし、都心に映画を観に行くことだってかなり厳しい。朝夕の送迎時に携帯に電話がかかってきて父を迎え入れるのに我は在宅していないとならないからだ。
 で、父が家に終日いる水木は、水曜は毎週訪問看護士が来るし、父がいると朝から晩まで食事時以外も目が離せず、家もろくに空けられず、ほとんど気が休まらない。
 ほっと一息つけるのは、父をベッドに寝かしつけた今頃、食事の後始末を終え台所を片付けた後、夜も遅くなってからだ。

 今日、金曜も父はデイケアに行ってくれたが、朝7時前に起こして着替えさせ誤嚥しないよう傍らについて食事をとらせて、持っていく荷物をまとめて8時過ぎ、施設からの迎えの車に乗せてほっと一息した。
 それからゴミ出したり犬たちの散歩や餌など世話したら不意に疲れが出て昼まで一時間半横になって仮眠とった。
  昼前に起きて、掃除や台所仕事、自らの本関係の雑事に追われて、ゆっくり落ち着いて食事もとれず、気がつけば父が戻る3時過ぎとなって、早や夕方となってしまう。※今日は二回も昼寝してしまったが季節の変わり目、やや風邪気味っぽいということもあるけれど、この父と暮らしていると、父よりも早く起き、父よりも遅くまで起きて、睡眠時間も足りなく、手のかかる父の世話に疲労困憊、今日のように週末になると心身疲弊して来る。

 施設から送り返された父を玄関先で受け渡してもらい、また着替えさせたらまた疲れが出、今日は夕方もまた一時間仮眠してしまった。それから犬たちと散歩がてら買い物したりして、父に晩飯を作って食べさせる。
 しかし、今日は、父に施設で昼に何食べたか訊いても父は思い出せず返答なかったばかりか、明日の予定を尋ねたところ、毎週必ず通っているデイサービスのことを完全に失念していてその名前を教えても思い出せずその事態でひと騒動起きた。
 そのNというデイサービスに通い始めてもう半年過ぎた。毎週土日、ときには月までも一泊二日、あるいは二泊三日で父を預かってもらっている。我にとって通いの日はろくにのんびりできないうちにまたすぐ帰って来てしまうので、唯一父がNという老人施設に終日行ってくれている土日だけが息抜きでき、何とかそれで我は倒れず発狂せず持ちこたえられている。

 今晩は、夕食事時、デイケアから戻ってきた父に、今日は何日かと訊いたら、先だって曜日表示も出る腕時計を買ってやったこともあって、正しく「今日は5日の金曜」という答えは返って来た。
 で、次に明日は、どうする? 明日の予定は?と訊くと、父曰く、明日は何の予定もない、家にいると言う。カレンダーに父自らつけさせた、土日にはNと書いてあるのを見せて示して、Nと書いてあるじゃないかと教えても、Nって何だ!?と父は思い出せない。
 自分で書いただろうと言っても、Nの記憶がまったくないと彼は言う。思い出させようとしたら、父曰く、Nは食堂だ、弁当の宅配サービスだとトンチンカンなことを言い出す。そもそもそウチでは弁当の宅配など頼んだことは一度もないのにだ。この妄想はどこから生まれるのか不思議にもなったが、それより呆れたのは、毎週通って、もはや半年、いつも土日ごとお世話になっているNという施設の記憶が完全に失念していることだ。

 けっきょく、前にも一度同様のことがあり、「お宅は何ですか?どこにあるんですか?そこに私は通ってるんですか?」と父自ら電話させ思い出させたが、やはり今回もNに電話して、当人が施設側に質問して、Nとは老人介護施設デイサービスであって、父はそこに毎週通っていて、明日も朝9時半に迎えに行くという説明を受けて、ようやくおぼろげながらNへ行く明日の予定を思い出してきた。
 そして、しばらくしてそこに毎週通いお泊りもしていることを何とかどうにか思い出すことができた。けっきょくそんな騒動で、一時間以上も混乱し騒いでいた。幸い今回も記憶を取り戻すことができたから良かったけれど、この調子でいけば、こうした事態はさらに進み再発して、その都度説明に時間がとられる。そしていくら周囲が説明して思い出させようとしてももはや当人は何も思い出せなくなる日も近く来るかもしれない。

 いったい彼の頭の中はどうなっているのか、これからどうなってしまうのか本人も不安になっていたようだが、我もまた暗澹たる気分になって来てしまう。
 昼に何食べたか、今さっき何したかさえ記憶が続かない。我が訊いても思いだせないことも毎度のことだし、今回に至っては毎週常に通い、先週までは毎回、金曜はAという日帰りのデイケア、土曜はNというお泊りのデイサービスと「認識」していたことが、今晩突然、明日はNにお泊りに行くどころかNとは何なのかさえも分からなくなってしまう。そのこと自体思い出せなくなっている。
 記憶喪失とか以前にあたかも発狂したか、まさに痴呆化が進んだのだと呆れ果てる。驚くより情けなくて不安になって来る。このままこれが進めば、すべてのことが思い出せななくなるだけでなく一切何もわからなくなるかもしれない。まさに痴呆症と言ったものだと思う。この先は廃人であろう。
 そんな人間を介護することは、息子であろうと我一人でできるはずもない。これ以上何も思い出せなく、何もわからなくなれば、デイケア、デイサービスだって受け入れてくれなくなるだろう。この家でだって我一人で介護できるはずもない。
 さすれば、そういう痴呆型老人患者を受け入れてくれる、治療はしない医療施設に入れるしかなく、どこまで理解できたかわからないが父にそのことを食事後とくとくと説明した。

 父は今介護3という認定だが、すぐにでも4にできると言われている。しかし、度数が上がったからといって介護保険料がさらに高くなるばかりで何も得はない。家にいて、我が面倒みれるのももうそろそろ潮時、限界、峠に差し掛かって来たと今日は強く感じた。
 人は長生きすると、身体もだが、オツムのほうもこうして衰弱、衰退して何もできなくわからなくなっていく。それでも家族が大勢いて介護体制に余裕があれば、とことん最後まで在宅で看取ることも可能かもしれない。しかし我の場合は、一人でもはや限界に近づきつつある。我が妹の言うように、父の寿命もあと一年かそこらだとしても我がどこまで寛容で元気でもちこたえられるかどうかだ。
 まったく老いて死ぬのも大変なのだ。当人もだが、その周りの者、家族こそまた大変なのである。

 ※【追記】 翌日土曜の朝記す。
 翌日の土曜日の朝になったら、父は自ら起きてきたが、こう記した騒動を覚えていないだけでなく、昨晩は思い出したNというデイサービスに行くこと自体また失念していた。まったくもう、やれやれである。
 息子が持参用の着替えやパジャマ、紙パンツ類など荷物をまとめてやって行く支度をしながら朝食を作って食べさせている最中も「ワシは今日どこに行くんだ!?」と繰り返し訊いてくる。こちらも思い出させるためにゆっくり説明している時間はないので無視していたら当人も不安そうだった。
 表に出して迎えの車を待つ頃には、どうやらデイサービスNへ今日は行くのだと思い当たったようで、騒がずにいつも通り乗って行った。ほっとした。
 父を送り出すだけでも一苦労である。

 もう特養のようなところに入れるしかないのはわかっている。ただ、本人の同意がまず優先されるし当人は絶対にイヤだ、そんなところに連れて行かれて入れられたらワシは自殺する、という意思は呆けても失念しないのでケアマネージャーも我もこの男には手を焼いているのだ。
 ただ、もっとさらに呆けて、この痴呆状態が進めば妄想徘徊も悪化して、最後は息子の顔さえもわからなくなろう。そうなれば当人の意思など無関係に強制的に施設に連行することも可能だと考えている。
 そうした事態を望む者はいない。我も父もできるだけ最後のとき直前までこの家で暮らせるように、と願っている。よって、未だ現時点では行政も我もどうすることもできないのである。こうなっても父はまだ人間であり、ニンゲンとしての意思も感情も残っているのだから。それを忖度せずに無視するわけにはいかないだろう。