着るもの考・その12017年05月07日 21時55分53秒

★母の遺した衣類に思う

 昨日はこの季節にしては耐えられないほど我は暑く感じて、もしかしたら風邪気味だったせいもあるのだが、今日は昨日の格好でいたらうすら寒くて困惑している。
 今の季節、朝晩と日中の寒暖差が大きく、何を着たら良いか迷うところだ。迂闊にしてると我ではなく父を風邪で肺炎にしてしまう。もはやそれでアウトとなろう。で、着る物について考えたことを何回か分けて書くことにする。

 人間は生きていくのには衣食住という三つの大事な要素、問題を抱えて死ぬまでそのことに頓着せねばならない。
 そのうちの食と住、つまり食べることと住むところ、ねぐらに関しては人間以外の動物だってもちろん生命維持のために重要なファクターであり、彼らの生活は、繁殖期や子育てを除けばほぼ年中終日餌を求めて活動したりと「食べること」に追われている。
 そして次いで身を守るためと子育てのための巣穴など住居もかなり大きな問題であり、彼らにとって食住は死ぬまで必須のけんあん事項であるが、「衣」はそうではない。
 衣食住のうちの「衣」、つまり着る物というのは、数ある動物の中で人間だけが問題として常に頭を悩ましている。そう、動物は皆さん毛皮なり甲羅なり、固い皮膚なり、自らを守るための外装を備えている。それは一張羅ではあるが、持って生まれてきたそれだけで十分なのである。※今日では小型犬たちは犬用ウェアを着ているが、それは必要性があったり自ら着たくて着ているのではなく飼い主の趣味で無理やり着せられているのは言うまでもない。

 ところが人間だけは、何故か薄い皮膚だけしかなく、残念だが裸体では、何も着ないでは生きていけない。冬など凍死しなくとも風邪等ひいて死んでしまう。人間に近いお猿たちでも皆、チンパンジーたちだってまだ毛皮があるので、衣類は一切不要なのに何故人間だけその体毛を失ってしまったのであろう。考えると実に不思議だが今回はその件はさておくとする。
 むろん常夏の密林や南洋の島々で暮らす昔でいう「土人」の人たちは、今はどうか知らないが、一昔前まで裸であった。せいぜい性器を蓑の類で覆う程度ですみ、外気温が高いので衣服は必要としなかったのである。
 我は彼らの持つ文化、文明を否定したり卑下する気は毛頭ないが、残念なことに、裸族の人たちが暮らす熱帯からは今日の我々の持つ高度な文明は発生していない。そこに文明と衣服とは密接な関係があることは誰でも読み取ることができるはずだ。
 あえて論を進めれば、裸ではいられない、生きてはいけないという状況があったから、人は衣類を求め動物の毛皮などを加工し纏う必要も生じ、その工夫が文化に、文明に発展していったとも考えられよう。寒さを防ぐための住まいも同様に。必要は発明の母なのである。
 ならばつまるところ、衣食住のうち、衣こそ、人を人として成らしめた第一の要素であり、衣服を着た無毛の猿が人間なのだと言うこともできる。
 そして人間だけが、膨大な数と多彩な種類の衣類を持ち、身体の成長と共にサイズも変えて、さらにそれを季節ごとに使い分けたり日々TPOに応じて着替えたりしているのである。他の動物からすればまさに不可解かつ面倒で大変なことだと見えるに違いない。

 前置きが長くなった。何で衣類について書こうと考えたか。実は今我の頭を悩ましているのは、母が死んで遺された彼女の衣類の始末である。我が母はおしゃれであったとはとても言えないが、ともかくボロ衣類を捨てずにたくさん抱え込んでいた人で、母亡きあとその処分に追われている。
 母は古着、ボロ衣類のイメルダ夫人と我が揶揄した如く、ウチが貧乏にも関わらず、いや、貧乏だったからこそ、バザーや友人知人から頂いた衣類を捨てずに溜め込んできたのでボーダイな量の女物衣類が死後残された。
 それが高価なブランド物ならばリサイクルショップなどに持ち込めばいくらかにはなったかもしれない。が、戦後の物不足の頃から、自ら手作りで裁縫したものから、近隣のイベントの出店、フリーマーケットなどで100円そこらで買い求めたものまで、ともかく着る物が大好きで、他人様がもう着ないから捨てるというものでも喜んで貰い受けていた。
 まあ、それは我が本や雑誌、レコードならともかく集めて処分できないのと同様に、母にとってそれが生き甲斐、趣味であったのだと思うし、お金をかけずに安くお気に入りのしゃれた衣服をみつけるというのが彼女のささやかな楽しみであっのだと今にして気づく。

 我は母が生きていた頃、元気だった頃から、そうした衣類、どうせほとんどボロなのだから溜め込んでも仕方ない、身体はひとつなのだから着ないものは早く捨ててくれと常日頃から母に強く言ってきた。
 婦人会のバザーなどに売れそうなものは出せと言いつけ、我もまたそうした荷物をその場に運んでやったが、母もその場に顔出せば、ミイラ取りがミイラになるの喩えのごとく、また新たに違う服をあれこれ買ってきてしまい元の木阿弥であった。

 「ねー見て見て、これいいでしょ、今の季節こういうの欲しかった、これ百円なの」と買ってきた新たな古着を手に一人ファッションショーをやっていた声が姿が今も目に浮かぶ。
 だから母の部屋は当然衣服類で乱雑をきわめ、あまりに増えればときに父が段ボール箱に詰めて、季節ごとの箱も山積みとなっていった。そうして箱に入れたりしてその季節に今着る物が見つからなければまた新たにバザーなどで安く買う。基本、モッタイナイ症候群の人だから、着ないからといってもぽいぼい捨てられない。それを戦後ずっと結婚後繰り返し続けて来た。よって我が家は息子の本類、レコード、カセット類、オーディオ類と共に、母のボロ衣類が山を成し、何部屋も占めていたのだ。※父は父で同様に彼の溜め込み捨てないアイテムは別にあるのだが、今回の話とは関係ない。
 いずれにせよ何であれ捨てられない溜め込み一家、これもまた世間でいうところのゴミ屋敷なのである。

 母が老いて癌という病に侵されしだいに体力も弱って来た。だからこそ生きているうちに何としてもそうした負の遺産は早く片付けてくれと我は母に繰り返し頼んできた。
 しかし、体調が悪くなってからは当然のこと、私の衣類はそのうち片付けるから、勝手に捨てないで見てから捨てるから、と言っていたが、去年は年明けから病院通いに追われ落ち着いて衣類に向き合うこともできず、けっきょくほとんど手つかずのまま母の愛したボロ衣類はそのまま残された。
 俗に、人は死ぬばゴミになるといわれる。母が死んで母はいなくなったがボーダイな衣類ゴミが残された。
【続く】