監視で国民萎縮の「共謀罪」を憂う・42017年05月20日 07時08分43秒

★カエルを、気づかれずにうまく茹で上げて殺すには

 昨晩は、いろいろあってあれこれ考えてよく眠れなかった。
 我が身の「これからのこと」も当然心配するが、それ以上に、我を取り巻くこの社会、世界全体がこれからどうなるのか不安でならない。その「漠然とした」ぼんやりとした不安に押し潰されそうになる。

 また「大逆事件」のような権力が反体制活動家と目した人々を弾圧し冤罪で多数抹殺した最恐最凶最悪の事件が起きるかもしれない。
 ナチスドイツもだが、権力者は、常に彼らにとって邪魔者、それも政権を揺るがしかねない「内なる敵」を弾圧し抹消することに余念がない。それはいつの時代も内外変わりない。安倍政権の閣僚がいみじくもかつて口にしたように「ナチスの手口を見習って」、まずそのための法整備からはじめ、本来必要のない、彼らにとって都合のよい、国民にとって悪法を国会でほとんど議論させず次々と強行採決のあげく、成立施行していく。その先に来るのは、国家権力による国民総監視社会である。
 ときの政権に都合の悪い大事件が起きても報じられないし、マスコミも政権の顔色を伺い報じない。つまらぬタレントの浮気や離婚のゴシップは繰り返し報じても国家国民に関わってくることこそ国民には知らされない。
 だから沖縄で何が今起きているか、MXテレビのような悪意に満ちた、偏向報道はされても、真に沖縄県民の気持ちに寄り添った正確な報道は内地に届かない。
 同様に、マスコミも皇族女子の「海の王子」とのご結婚に盛り上がり、もっともっと肝心大切なこと、国家と国民の未来に直截大きく関わって来る新たな法律「共謀罪」新設についてその是非をほとんどとりあげない。ゆえに国民の多くは何も知らないし、いったいその法律がどんな内容なのか、わからないしできたらこの先どうなるのか想像すらできない。

 シュールな喩えだが、カエルの上手な茹で上げ方という例え話がある。
 カエルを茹でるのには、いきなり熱く煮立った鍋に入れてはダメだ。カエルはその熱さに驚き、ぴょんと跳ねて鍋から飛び出し逃げてしまう。
 だから、まず水からカエルを鍋に入れて、少しづつ火を強め熱くしていけば良い。そうすればカエルたちは逃げ出すことなく、いつしか煮られてしまい上手に茹であげることができる。さすがにこのところ鍋の湯の温度が急激に上がってきて中のカエルたちも少しだけ、おや、ちょっとおかしいぞと感じてきてはいるが、このまま茹で上げられるのは変わりない。
 このカエルが何を指しているか、説明不要であろう。我は最近、そこに、その鍋が載せてあるカマドにくべる薪をせっせと運んでいるカエルたちがいることに気がついた。そのカエルたちは、次は自分たちもその鍋に入れられることがわかっていない。鍋の中身に気づいていないから、薪を運ぶのに加担しているのである。哀れではないか。

 昨日、強行採決に際して「「ピント外れの質疑ばっかり繰り返し、足を引っ張ることが目的の質疑はこれ以上必要ない。直ちに採決に入って頂きたい」と促した日本維新の会の議員は、野党でありながら権力側の意向に従い国民を売り渡したユダとして後世に記憶されことだろう。

 何回かに分けて、「共謀罪」について思うところを書いて来た。が、当ブログの読者ランキングも下がり気味になっているし、このブログをお読みの方すらも関心外のことのようで、書き記しておきたいことは山ほどあるが、いったん筆をおくことにする。
 まだこの稀代の悪法、成立はしていない。これからも我は声を上げていく。行ける時は集会へ、国会前にも出向く。たった一人でも。
 声が上げられるうちに。我も監視尾行され逮捕されないうちに。