答えは闘いの中にある~諦めも失望もしてはならない。2017年05月23日 22時42分09秒

★祖父母の代からずっと常に負け続けて来た者として

 今日の夕刻時、国会では衆院本会議で、「共謀罪」こと、テロ等準備罪を新設する組織犯罪処罰法改正案の採決が行われ、自公+政権の別動隊日本維新の会の賛成で可決、稀代の悪法は衆院通過となった。
 これから参院へ送られて今国会中に成立するものと予想されている。
 じっさいのところ数の力だけでは、与党プラス維新の前に、どう抵抗しようとも成立阻止はできやしない。そもそもこの法案が提出された段階で、いや、先の衆院選で自公に圧倒的多数の議席をまた再度与えてしまった時点で、こうなることは誰もが予想できた。
 残念だが、国会が開かれないような、よほどの天変地異的事態が生じない限り、秘密保護法しかり、戦争法しかり、この「共謀罪」もまた彼ら安倍暴走強権政権の手で成立してしまうだろう。
 我らはなす術もない、のか。国会前でどれだけ多くの市民が集まり抗議の声を上げようとも彼らにはどこ吹く風で、まさに粛々と悪法は次々と通っていく。そしてその行き着く先は、「憲法改正」、中でも九条改定であろうか。
 
 どれほど怒り声を上げ憤り、結果として敗北に打ちのめされることの繰り返し。まさに、「ケサラ」の歌詞の如く、
 こらえきれない怒り、抑えきれない哀しみ、そんなことの繰り返しであり、泣きはらした夜、迎える朝の眩しさ、涙が渇くときはないけれど、なのである。

 が、未来永劫、こんなめちゃくちゃな最凶最悪政権が続くはずもない。我はちっとも失望も諦めもしていない。かつての日本のように、治安維持法で支えられた国家権力は、無謀な戦争に突き進んだ挙句、日本全国焦土と化して、その体制は終焉を迎えたように、悪は破滅をもたらし、多くの犠牲も伴うが、必ず終わりのときがくる。
 むろん国民はひどい目にあう。しかしそれもまたそんな政治を選び許したツケなのである。それは年金制度や介護保険と同様、国民等しく支払わねばならない。安倍政権を支持しない者までも理不尽で不公平だと思うが仕方ない。そう我もまた、その覚悟もできている。
 
 こんなことを書くと、反対運動、抗議活動に水を差す、とご批判を受けるだろう。しかし、我は思う。結果はとうぜん何より大事だが、勝ち負けだけ見れば、国家権力の前に、民衆が勝てたためしはないのである。
 ただいつの時代も国家の強権の前に抗い、反対の旗を振り続けて来た先人がいたわけで、結果は負けであっても、その運動、闘いは無意味ではないのだ。

 我が母方は、栃木県の旧谷中村の出である。、谷中村とは、上流の足尾銅山の鉱毒が流れくるため渡良瀬川に貯水池をつくる国策として強制廃村させられ消えてしまった村であり、日本最初の公害闘争として、その指導者田中正造の名と共に今も歴史に名を残している。
 谷中村の農民は、ときの明治政府に対して、近隣の村人たちと共に、何度も集団で上京しては抗議をし政府の無法を訴え続けた。当時のマスメディアも大きく取り上げはした。

 が、抗議活動、抵抗運動は官憲の横暴の前に弾圧され、多くが逮捕され投獄され、我の祖父母たちの家もけっきょく立ち退かされ仕方なく故郷を後にした。移転費用などは雀の涙であったと訊く。昨年死んだ我が母は、彼らが東京に出てきて都内北区で生まれたのである。
 母の母、我の祖母は、子供のときに、その谷中村を出、県内別の地区に移り住んだ。が、子供の時分は、小学校ではさんざんその地元の子たちに「谷中の這い上がり」とバカにされ、苛められたと言っていた。
 こうした図式は、今も原発事故で福島から自主避難してきた児童に対して移住先の子どもたちが、同様に差別する図式に繋がる。人間というのは、百年たとうとも被害者に同情するのではなく、逆に差別したり侮蔑するのである。沖縄の人たちに対してもまた。

 そして、母の弟や妹たちも、安保改定の闘争、1960年当時は、学生で、母のすぐ下の弟は、あのとき樺美智子さんのすぐそばにいた、と話していた。そのときもまた国会前に詰めかけた国民大群衆の願いはかなわず、安保は強行的に改定されてしまい、以後、今日の対米従属の礎として盤石不動の日米関係に至るのである。
 反政府大衆運動は、そう考えると、常に明治以来負けっぱなしだと見えてくる。
 しかし、では、田中正造たちがやったことが全く無意味であったとは誰も思わないし、負けはしたけれど公害闘争、反政府活動、民衆抵抗運動の先人として、不朽の名を残している。そしてそこから我々は今も多くのことを学ぶはずだ。

 確かに、短期的には勝ち負けははっきりしている。民衆側が勝てたためしがない。彼らは金も力もメディアも持っている。だが、それではこれからも権力者側の支配が永遠に続くかと言えば、そんなことは絶対にありえない。近しい過去を見ても、明治以来の富国強兵、大衆運動弾圧の強権国家の行く末が、人類初の原爆投下の悲惨な敗戦であったように、無理を通せば道理が引っ込んだ挙句、その無理が破綻するときが必ず来るのである。

 だから、祖父母の代からずっと常に負け続けた者として思うのは、負けはする、勝てはしない、が、それは一時的なものでしかないし、大事なことは目先の勝ち負けではない、ということだ。
 祖母は、死ぬまで、面識あった田中正造のことを田中のおじやんと呼び慕っていたが、正造が今も義人と呼ばれるのは、義のあることをしたからだ。義とは、道理であり、人として当たり前のことをしたにすぎない。彼はそのために国会議員の職も投げだし、最後は無一文となり乞食のような姿で不遇のままに死んた。
 が、今も義人田中正造は、我々の中に生きている。いや、闘う者たちにとって闘争の原点として北極星のように不動の光を放っている。
 
 繰り返す。大事なことは、結果だけではない。人は必ず死ぬが、問われるのは結末、その死に方ではない。どう、いかに生きたかだろう。ならば、勝ち負けという結果ではなく、どう闘ったかである。
 そう、すべての答えは、闘いの中にある。そしてまだその闘いは終わっていない。これからも続いていく。諦めも失望することもない。
 闘いはこれからなのだ。